第16話 侯爵の庇護
「夫人、少々よろしいですか」
ガストンが声をかけてきたのは、翌日の昼前だった。廊下で捕まえたという感じだった。
「侯爵に、余計なことを吹き込んだのですか」
率直な言葉だった。いつもの婉曲さがない。それだけ焦っているということだろう。
「書類を提出したのみです。余計なことは申しておりません」
「書類を、ですが……夫人がそのような書類を作ること自体が、私は越権行為と判断しております」
「発注記録と業者控えを照合することが越権行為でしょうか」
「それが帳簿の確認に繋がるとすれば——」
「ガストン様」
廊下の向こうからカルルが歩いてきた。
「侯爵より、ご伝言がございます。夫人には今後も引き続き内務の確認をしていただくように、とのことです」
ガストンが動きを止めた。
「……それは確かに侯爵の」
「はい。先ほど直接伺いました」
沈黙が続いた。ガストンは私を見た。私はガストンを見た。
「……分かりました」
それだけ言って、ガストンは頭を下げて立ち去った。背筋の伸びた背中が、廊下の奥に消えていく。
カルルが「失礼しました」と軽く頭を下げてから、私に小声で「侯爵のご意向でしたので」と言った。
「ありがとうございます」
「……夫人は動じないんですね」
「特に動じることはありませんから」
カルルが何か言いたそうな顔をしたが、それ以上は言わずに去った。
部屋に戻ってから、しばらく考えた。
続けていい、ということか。エドヴァルドがそう判断した。なぜかは分からない。書類を見て、問題があると判断したのかもしれない。あるいはただ「妻が何かをしているなら邪魔しなくていい」という程度の意味かもしれない。
どちらにせよ、動ける環境が整った。
夕方、廊下でエドヴァルドとすれ違った。珍しく一人で歩いていた。
「食糧倉の書類、見た」
短い言葉だった。立ち止まって、私に向かって言った。
「……はい」
「そうか」
それだけ言って、歩いていった。
私はその背中を見送りながら、その言葉の意味を考えた。見た、という報告。感想も評価も何もない。ただ「見た」という事実の通知。
でも、続けるように、と言った。それが答えなのかもしれない。
次の問題に頭を切り替えた。食糧倉の次は、診療記録だ。ヘルダとの連携を本格的に始めなければならない。




