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第9話 まやかしの道士と、三流の矜持

 後宮の庭園に、不気味な読経の声が響き渡っていた。

 池のほとりでは、仰々しい道着を纏った道士たちが、供物を並べて「龍神を鎮める」という儀式を行っている。その中心にいるのは、後宮で今もっとも勢いがあると言われる道士・明覚メイカクだった。


「おお、見よ! 龍神様が怒っておられる!」


 明覚が杖を振ると、池の水面が激しく波立ち、中からボコボコと泡が噴き出した。次の瞬間、水面が真っ赤に染まり、周囲の女官たちから悲鳴が上がる。


 掃除の手を止めてその光景を見ていた蘭瑛ランエイは、あくびを噛み殺すのに必死だった。


(……はぁ。水を入れた薄い膜の中に、ベンガラ(赤色顔料)を仕込んでおいて、遠隔で糸を引いて割っただけじゃない。泡のタイミングと色の広がりがズレているわ。演出の基礎もできていない……。あんな稚拙な仕掛けに騙されるなんて、みんなお人好しすぎるわね)


 蘭瑛は冷めた目で、明覚の袖口を観察していた。彼が杖を振る際、袖の中に隠された糸を引く「予備動作」が、マジシャンの目には丸見えだった。


「おい、そこの不細工な女官。何を笑っている」


 鋭い声が、蘭瑛の思考を遮った。

 明覚の弟子と思われる若い道士が、蘭瑛を指差して睨みつけている。蘭瑛は慌てて、いつもの「どん臭い娘」の顔を作った。


「い、いえ、滅相もございません! 龍神様のあまりの神々しさに、ただただ圧倒されておりまして……」

「嘘をつけ。貴様、さきほど鼻で笑っていただろう」


 道士たちが蘭瑛を取り囲む。彼らは、後宮の女官たちを恐怖で支配することに慣れている。自分たちの「奇跡」を疑うような視線を向ける者は、彼らにとって排除すべき敵なのだ。


「最近、麗妃様の離宮で『偽りの奇跡』を暴いた女官がいると聞いたが……貴様か?」

 明覚が、冷ややかな瞳で蘭瑛を見下ろす。その手には、怪しげな香炉が握られていた。


(……まずいわね。目立ちすぎたかしら)


 蘭瑛が言い訳を考えようとした、その時。

 道士たちの背後から、凍りつくような冷気が流れてきた。

「私の直属の女官に、何か不服でもあるのか」


 載淵サイエンだ。

 彼は従者を従えることもなく、たった一人でそこに立っていた。ただ存在するだけで周囲の空気を支配する、圧倒的な威厳。道士たちは慌てて跪き、明覚もまた、苦虫を噛み潰したような顔で頭を下げた。


「これは載淵様。失礼いたしました。この女官が、あまりに不敬な態度を取りましたゆえ……」

「不敬? この娘は私の目の代わりだ。彼女が笑ったというのなら、それは貴公らの『奇跡』が、笑うに値するほど稚拙だったという証だろう」


 載淵の言葉は、毒のように鋭く道士たちに突き刺さった。載淵は蘭瑛の隣に立つと、彼女の肩を抱き寄せ、保護を宣言するように言い放った。


「明覚。次回の儀式では、もっと『合理的』な奇跡を見せてもらう。この娘の目をごまかせないような三流の芸は、二度と私の前で披露するな」


 載淵に連れられ、蘭瑛はその場を離れた。

 回廊に差し掛かると、載淵は蘭瑛を離し、面白そうに彼女の横顔を覗き込んだ。


「……随分と辛辣な目をしていたな、蘭瑛。奴らの仕掛けは、それほど酷いものか?」

「酷いなんて言葉、あの子たちには勿体ないですわ」


 蘭瑛は、もはや猫を被るのをやめ、心底不愉快そうに口を尖らせた。

「マジックの基本は、観客を欺き、楽しませることです。恐怖で人を支配するなんて、マジシャンの風上にも置けません。あんな三流のペテン、私なら三秒でタネを明かして、もっと素敵な『嘘』で上書きしてやりますわ!」


 蘭瑛の瞳に、パフォーマーとしての闘志が燃え上がる。

 載淵はその光を愛おしげに見つめ、彼女の髪に指を這わせた。


「いいだろう。奴らは貴様を警戒し始めた。……ならば、こちらも本腰を入れる。蘭瑛、次の儀式で、奴らの正体を完膚なきまでに叩き潰せ」


 執着する親王と、怒れる奇術師。

 二人の標的は、後宮を支配する偽りの「神」へと向けられた。


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