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第7話 特命と寵愛のカード

 「天女の昇天」という鮮やかな嘘によって、後宮の静寂はかろうじて守られた。

 麗妃の離宮に朝の光が差し込む頃、昨夜の狂乱は、まるで最初から存在しなかったかのように片付けられていた。碎け散った鏡も、光る破片も、そして――密室から消えた侍女の姿も。


 蘭瑛は、麗妃の寝所にある豪奢な椅子の前に跪いていた。

 背後には、依然として冷徹な威圧感を放つ親王・載淵が立っている。その視線は、昨夜から一秒たりとも蘭瑛を離そうとしないほど執拗なものだった。


「蘭瑛。おもてを上げなさい」

 麗妃の、鈴を転がすような声が響く。そこには昨夜の錯乱した様子はなく、高貴な妃としての矜持と、どこか晴れやかな色が混じっていた。

 蘭瑛が恐る恐る顔を上げると、麗妃は慈しむような微笑を浮かべていた。


「翠珠は、天へ召された。……そうね? 奇術師の娘」

 麗妃の瞳が、蘭瑛の心の奥底を覗き込むように細められる。蘭瑛は、指先の震えを隠すために、いつものパーム(隠し)の構えで袖を握った。

「……はい。あの場にいた全員が、その奇跡を目撃いたしました」

「ふふ、そう。全員が『見た』のなら、それは真実なのでしょうね。……たとえ、あなたの指先に燐光の塗料がまだ残っていたとしても」


 蘭瑛の心臓が、大きく跳ねた。

(……気づかれていた。完璧な演出だったはずなのに!)

 麗妃は、蘭瑛の動揺を楽しむように言葉を続けた。

「案じなくていいわ。私は、あなたが魔法使いだなんて信じるほど愚かではない。けれど、あのような残酷な真実を、あそこまで美しく、誰も傷つかない『嘘』に変えてみせたあなたの腕前は……どんな本物の魔法よりも尊いと感じたの」


 麗妃は立ち上がり、蘭瑛の頬に優しく手を添えた。

「能のない道士たちは、私の退屈を埋めるために、人を怯えさせることしかしない。けれど、あなたは違う。あなたは私に、最も美しい夢を見せてくれた。……ねえ、蘭瑛。これからも、私の『お抱え』として、私を退屈させず、そして救ってくれるかしら?」


 これこそが、蘭瑛が後宮で手にした初めての、そして最強の「カード」だった。

 権力者の寵愛。だが、それを与えた麗妃の目は、蘭瑛を「便利な道具」として見ているのではない。「自分を救ってくれる共犯者」として愛でようとしているのだ。


「……不束者ではございますが、麗妃様の御前で最高のステージを披露すること、お約束いたしますわ」

 蘭瑛は、不敵な笑みを麗妃に向けた。

「その『嘘』がもたらす結末が、どんな宝石よりも価値があることを、証明してみせます」


「話は済んだか。麗妃」

 それまで沈黙を守っていた載淵が、割って入るように蘭瑛の肩を抱き寄せた。その手は、まるで所有権を主張するように力強い。

「私の直属となった娘を、あまり長く拘束してもらっては困る。私にも、彼女にしかできない『仕事』があるのだ」


 麗妃は、載淵の隠そうともしない独占欲を見て、楽しげに眉を上げた。

「あら、親王様。あなたほどの合理主義者が、彼女の『嘘』にそこまで執着するなんて。……まあいいわ。蘭瑛、またいつでも遊びにいらっしゃい。次は、どんな嘘を見せてくれるのか、楽しみにしているわよ」


 離宮を去る載淵の歩みは速かった。

 蘭瑛は、彼に半ば引きずられるようにして、彼の私宮へと連れ戻された。

 扉が閉まると同時、載淵は蘭瑛を壁に押し当てるようにして、その顔を覗き込んだ。


「麗妃に気に入られるとは、な。……だが、忘れるな。貴様を見つけ出し、その指の価値を最初に見抜いたのは私だ」

「わ、分かっております。……載淵様、仕事というのは?」

 蘭瑛は、彼の至近距離から発せられる熱を避けるように、話題を逸らした。載淵は、蘭瑛の懐から抜き取った銀貨を――いつの間にかスチールしていたのだ――彼女の目の前で弄びながら、低い声で告げた。


「特命だ。蘭瑛。……後宮に蔓延る『偽りの奇跡』。そのすべてを、貴様の指先で暴き、塗り替えろ」

 載淵の瞳には、冷徹な秩序と、そして蘭瑛の才能に対する深い陶酔が混じっていた。

「今、後宮では道士たちが跋扈し、妃たちを操り、政治を歪めている。奴らが使うのは、人を支配するための醜悪なペテンだ。……私はそれが我慢ならん。奴らの『タネ』をすべて暴き出し、私の前で晒してみせろ」


「……全部、ですか?」

「そうだ。一晩に一粒ずつ、貴様のタネ明かしを私に献上しろ。報酬は望むままに。父の死の記録も、禁じられた書庫の閲覧も、すべて許可しよう」


 蘭瑛は、載淵の瞳の奥にある「渇望」を見た。

 彼は、この世界のことわりをすべて知りたいと願う男だ。そして、蘭瑛のマジックという「解けない謎」に出会ったことで、その渇望は彼女個人への執着へと形を変えている。


「いいでしょう。……偽りの奇跡を暴き、本物の『最高の嘘』で上書きする。それがマジシャンの矜持ですわ」

 蘭瑛は、載淵の指先にある銀貨を、目にも止まらぬ速さで奪い返した。

「ただし、載淵様。私のマジックのタネを暴くのは、命懸けですわよ? 貴方のその鋭い瞳で、最後まで私を追いかけられるかしら?」


 不敵に微笑むマジック狂いの娘。

 それを見下ろす、支配的な執着を隠そうともしないリアリストの親王。

 後宮を舞台にした、史上最も華やかで、最も危険な「タネ明かし」の幕が、今、正式に上がった。


「ああ。……一瞬たりとも、貴様から目を離すつもりはない」


 載淵は、奪い返された銀貨ではなく、その銀貨を握る蘭瑛の細い指先を、熱く、そして深く見つめ返した。


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