第6話 鏡の檻と天女の嘘(後編)
蘭瑛は、砕けた鏡台の破片を拾い集め、それをまるで宝石を扱うかのように丁寧に磨き始めた。
「載淵様、麗妃様。そして、ここにいるすべての皆様。私が今から、この後宮に、本物の『天女の奇跡』をお見せしましょう」
蘭瑛は、部屋の灯りを再度、最大限に落とすよう命じた。
部屋は、暗闇に包まれた。
そして、その暗闇の中、蘭瑛の指先から、微かな光が放たれた。それは、磨き上げられた鏡の破片に、彼女が仕込んだ燐光の塗料が、魔法のように輝き始めたのだ。
蘭瑛は、その光る鏡の破片を、宙に放った。
無数の光の粒が、夜空の星のように部屋中を舞い始める。
「翠珠……!」
麗妃の目に、涙が溢れた。その光の中に、まるで薄衣を纏った天女のように、翠珠が舞い降りてくるのが見えたからだ。
蘭瑛は、翠珠が隠れていた衝立の裏側と、部屋の壁の間に、細い糸と仕掛けを瞬時に施していた。そして、そこに光る鏡の破片を吊るし、まるで翠珠が空中を漂っているかのように見せかけたのだ。
蘭瑛は、翠珠にそっと囁いた。
「今から、あなたが天女になるのよ。そして、龍神の力で、この後宮から旅立つの」
翠珠は、蘭瑛の言葉に頷いた。彼女もまた、このままでは自分が罰せられることを悟っていたのだ。
蘭瑛は、載淵に目配せをした。載淵は、彼女の意図を瞬時に理解し、重々しく告げた。
「これぞ、龍神の御業……。翠珠は、その清らかな魂ゆえに、天へと召されたのだ。誰も彼女を探すことは許されぬ。そして、この部屋で起きたことは、一切口外無用とする」
載淵の言葉は、絶対的な権力を持っていた。そして、蘭瑛のマジックは、その権力を借りて、さらに真実味を帯びていく。
蘭瑛は、天井に仕込んだもう一つの仕掛けを引いた。部屋の屋根が開いた。満月が、部屋いっぱいに光を注ぎ込む。
無数の光る鏡の破片が、月光を反射して煌めく中、翠珠はまるで本当に天へと昇っていくかのように、部屋の窓からゆっくりと消えていった。蘭瑛は、翠珠が事前に逃走経路として用意していた細い縄を、目立たないように切断していたのだ。
夜空に舞い上がる翠珠の姿は、まさに天女そのもの。
麗妃は、その光景を呆然と見上げていた。悲しみに満ちた顔に、しかし、微かな希望の色が浮かんでいる。
「翠珠……お前の魂が、安らかでありますように」
蘭瑛のマジックは、翠珠の「脱走」という真実を、麗妃が「天女への召喚」という「美しい嘘」として受け入れることを可能にした。悪意ある真実を、誰も傷つかない救済の物語へと塗り替えたのだ。
やがて、光が消え、翠珠の姿は完全に夜空に溶け込んだ。
部屋の灯りが戻されると、そこには何もなかった。密室は、確かに密室のままであり、翠珠の痕跡は一切残っていない。
蘭瑛は、載淵の隣に立つと、小さく囁いた。
「載淵様。真実を暴くだけでは、誰も救われません。時に、最高の嘘が、人を救うのです」
載淵は、蘭瑛の横顔をじっと見つめていた。彼の合理的で冷徹な思考では、決して辿り着けない「魔法」のような解決。
「……貴様は、本当に面白い。だが、その嘘が、本当に誰も傷つけないとでも?」
「ええ。悪人は、自分の愚かさを欺かれたことに気づき、善人は、最高の夢を見ます。……そして、あの麗妃様は、きっと、以前よりもっと人を思いやれるようになるでしょう」
蘭瑛は、そっと笑った。
載淵は、その嘘の瞳の奥に宿る、真実の優しさを見抜いたかのように、蘭瑛の細い手を握り締めた。
後宮の闇は、まだ深い。だが、この奇術師と親王の物語は、ここから鮮やかに彩られていくのだ。
※ 今回のマジックは、現代のスタントやイリュージョンでも使われる「空中浮遊」と「光のノイズ」の組み合わせです。
光のカーテン
暗闇で光る塗料を塗った鏡の破片をバラまくことで、観客の目を眩ませ、「吊り糸」を完全に隠しました。




