第4話 鏡の檻と天女の嘘(前編)
月光を映すかのように磨き上げられた載淵の私宮の床に、侍女の絶叫が木霊する。麗妃の離宮で、密室からの侍女消失。蘭瑛は、その知らせを聞くと、先ほどの載淵の独占欲すら頭から消し飛んでいた。
(密室からの消失……。しかも、寵妃の侍女。これは三流の悪戯ではないわね。何かしら、切実な理由があるはずよ)
蘭瑛は、己の指先の魔法を暴かれた興奮冷めやらぬ載淵の腕を、反射的に掴んでいた。
「載淵様! すぐに現場へ! マジシャンを前にして、密室からの消失などと……っ(口を噤みかけるが、興奮が勝る)。い、いえ、その……私の奇術の腕前ならば、きっとお役に立てるかと……!」
載淵は、握られた腕に熱い視線を落とす。蘭瑛が我を忘れて事件に食いつく姿は、まるで新しいオモチャを与えられた幼子のようだった。
「ほう。貴様は、あの怪奇現象とやらが『本物の仕事』と見えるか」
「当たり前です! 私を甘く見ないでくださいまし! ……いえ、その、私の奇術の腕前ならば、きっとお役に立てるかと」
慌てて「どん臭い女官」の演技に戻ろうとする蘭瑛に、載淵は短く笑った。
「よかろう。ただし、私の宮から一歩も離れるな。貴様の『タネ』は、まだ私以外には見せるな」
載淵は、まるで宝物を囲うように蘭瑛の腰を抱くと、慌てふためく侍従たちを従え、夜闇を切り裂いて麗妃の離宮へと急いだ。
麗妃の離宮は、既に混乱の渦中にあった。
豪華絢爛な調度品が散乱し、絹の帳は引きちぎられている。そして、部屋の真ん中には、まるで何かが爆発したかのように、粉々に砕け散った巨大な鏡台が横たわっていた。
「ひどい……ひどすぎるわ……!」
麗妃は、侍女たちに支えられながら、その光景を前に嗚咽していた。美しく整えられた髪は乱れ、目元は赤く腫れている。まるで、目の前で愛する者を失ったかのような悲壮な様子だ。
「消えたのは、私の寵愛する侍女、翠珠。彼女は、体調を壊してこの部屋で寝ていたはずなの! 鍵は、鍵は私が肌身離さず持っていたのに……!」
麗妃は、震える手で胸元から金の鍵を取り出した。紛れもなく、部屋の扉を施錠するためのものだ。
部屋は内側から施錠されており、窓も厳重な格子で守られている。外部から侵入された形跡も、内部から脱出した形跡も一切ない。
「神隠しだわ……! きっと翠珠は、この部屋で怨霊に食い殺されたのよ!」
周囲の女官たちの悲鳴が、麗妃の叫びを一層煽り立てる。だが、蘭瑛は、その「怪奇現象」を前にしても、顔色一つ変えなかった。
「……怨霊、ね」
蘭瑛は部屋の隅々まで目を走らせる。
壁にかけられた絵画、絨毯の模様、そして、粉々に砕け散った鏡の破片……。
(これは……)
蘭瑛の視線が、部屋の片隅、壁に立てかけられた大きな衝立で止まった。普段は花瓶や香炉が置かれているだけだが、その奥に不自然な空間があるように見えた。
蘭瑛は、粉々に砕けた鏡の破片を拾い上げた。まるで、鏡が爆発したかのように散乱しているが、その破片の一つ一つに、奇妙な法則性があることに気づいた。
「載淵様。失礼ながら、部屋の灯りを少し落としていただけますか?」
蘭瑛の唐突な願いに、載淵は一瞬躊躇するが、すぐに頷いた。
部屋の灯りが落とされ、月明かりと蝋燭の微かな光だけが揺らめく。
「麗妃様、この砕けた鏡は、元々どちらを向いていましたか?」
「え……? あ、ああ、確か、寝台の真向かいに……」
麗妃の言葉を聞き終えるや否や、蘭瑛は手元の鏡の破片を、砕けた鏡台があった場所へとかざした。月光が、破片に当たり、壁の一点に反射する。
「……やはり」
蘭瑛の顔に、不敵な笑みが浮かんだ。
「この部屋には、もう一つ、見えない鏡があったのです」
蘭瑛の視線が、部屋の隅にある衝立を射抜く。
「載淵様、麗妃様。その衝立の裏――そこが、この密室唯一の『出口』ですわ」




