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第25話 嵐の前の静けさ

 万寿節を翌日に控えた、嵐の前の静けさ。

 後宮の片隅、普段は人通りの絶えた「神武門」の脇にある一室で、蘭瑛は載淵の計らいによる「特例」の面会に臨んでいた。


「……姉さん、久しぶりだね」

 現れたのは、成長して少し背の伸びた弟の蘭祥ランショウだった。

 蘭瑛は十五歳で後宮に入るまで、父が亡くなった一年後に母が再婚した先の家庭で、弟と共に九年間を過ごしてきた。


「母さんは……相変わらずだよ。新しい父さんも商売が順調で、家は裕福だけど……」

 弟が言いにくそうに口を開く。

 その家での日々を、蘭瑛は昨日のことのように思い出せる。豪華な食事の並ぶ食卓で、母が事あるごとに亡き父を、そしてその「手品」を呪うように罵っていた日々を。


「母さん、最近またひどいんだ。『あの男は手品なんていう嘘っぱちに人生を捧げて、最後は勝手に自決をして私たちを捨てた。あんな呪われた血を引く子供なんて産まなければよかった』って……」


 蘭瑛の指先が、無意識に震えた。

 九年間、再婚先の家庭で身を縮めて暮らしていた頃、母から向けられた冷たい視線。

 母にとって、父の愛したマジックは、家族を破滅させた忌まわしい「嘘」でしかなかった。

 自分が信じ、父から受け継いだ技術。それは母にとって、娘を愛さないための理由になっていた。


(……お母さん。それでも私は、お父さんの『嘘』が真実を救うと信じたいの)


 悲しみは、消えない。けれど、その悲しみを燃料にして、蘭瑛の胸には青い炎のような決意が宿った。


「……教えてくれてありがとう、蘭祥。私のことは、もう死んだものと思っていいと母さんに伝えて」


 面会を終えた夜。

 蘭瑛は、月明かりの下、後宮の庭園で一人、明日のための道具を点検していた。

 そこへ、静かに近づく影があった。


「……夜風に当たりすぎるのは非合理的だと言ったはずだ」

 載淵だった。彼はいつものツンとした表情を崩さないまま、蘭瑛の隣に立った。


「弟から話は聞いた。……貴様の母親の言葉など、気にするな。あの女は、真実を見る眼がないだけだ。貴様の価値を決めるのは、あの女ではない」


「載淵様……」


「いいか、蘭瑛。明日は、玄天との命がけの舞台になる。……一歩間違えれば、貴様の命はない」

 載淵が、月光を浴びて銀色に輝く蘭瑛の瞳を、かつてないほど真剣に見つめた。

 その顔は、いつもの「空回りするツンデレ」ではなく、一人の男としての、剥き出しの情熱を宿していた。


「……必ず、生き残れ。これは命令だ」


 載淵は蘭瑛の手を取り、その指先にそっと唇を寄せた。

 蘭瑛が驚いて目を見開く中、彼は低い声で、逃げ場のない言葉を突きつけた。


「貴様を、私の妃にしたい。……貴様という『最高の嘘』を、一生私の側で、私だけのものとして飼い殺してやる。……断ることは許さん。私の合理的判断だ」


 突然の、あまりにも載淵らしい強引な告白。

 蘭瑛の頬が、初めて林檎のように赤く染まった。

 月下で、二人の運命が、主従を超えて深く、強く結ばれた瞬間だった。



※清朝の女官は、特定の門で宦官の監視付きという厳しい条件下であれば、親族との面会が許される場合がありました。弟との面会は、載淵が自身の権限を用いて特別に場を設けた「特例」です。

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