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第23話 毒のすり替えマジック

 小翠が倒れてから数時間後。蘭瑛は、後宮の片隅にある茶室にいた。

 目の前に座るのは、麗妃の失脚を狙い、その夫だった先代皇帝を死に追いやったと……女官の間で噂される――「慧貴人ケイキジン」である。


「……何の真似かしら。下級女官の貴女が、私に茶を献じたいだなんて」

 慧貴人は、扇で口元を隠しながら冷笑する。その瞳には、蘭瑛を消し損ねた苛立ちが透けて見えた。


「小翠……いえ、毒菓子のお礼です。口に合わなかったようなので、私がお茶をお淹れしました」

 蘭瑛の表情には、何の感情も浮かんでいない。

 机の上には、伏せられた三つの茶碗カップ。蘭瑛はその中の一つに、小翠を苦しめたのと同じ『夾竹桃の毒粉』を、わざとらしく、しかし優雅な所作で振り入れた。


「なっ……何を……!」


「西洋に伝わる、三つのカップと一つの玉を使った奇術です。さて、毒はどこに入ったでしょう?」


 蘭瑛の指が動いた。

 シュッ、と空気を切り裂くような速さで、三つの茶碗が机の上を滑る。

 右、左、中央。入れ替わり、重なり、円を描く。

 慧貴人の目は必死に毒の入った茶碗を追う。だが、蘭瑛の指先は物理法則をあざ笑うかのように加速し、残像だけを残して静止した。


「さあ、お選びください。貴女が淹れさせた毒と同じ量が入っています。……正解を選べば、貴女は死にます」


 蘭瑛の声は、凍てつくように冷たい。

「さあ、飲んで。貴女が小翠にさせたことと同じです」


「ふ、ふん……! 目を逸らした隙に入れ替えたのでしょう。……私は、一番右のものを選ぶわ!」

 慧貴人は震える手で、最も安全だと思われた茶碗を掴んだ。中には、澄んだ緑茶が入っている。

 だが、口をつけようとした瞬間、蘭瑛がその手首を掴んだ。


「……本当に、それでいいんですか?」

「な……」

「今、貴女の目は一瞬、左の茶碗に泳いだ。そこに毒が入っていると、貴女の『罪悪感』が囁いたから。……でも、実は真ん中かもしれない」


 蘭瑛は不敵に微笑むと、再びカップを猛スピードでシャッフルした。

 ガリ、ガリ、と茶碗が擦れる音が、慧貴人の心臓を削る。


「……ひっ、やめて! やめなさい!」

「どうしたんですか? 自分で用意した毒でしょう? ……ほら、飲んで。飲めないんですか?」


 蘭瑛は最後、一つの茶碗を慧貴人の目の前に突き出した。

「飲めないでしょ? 自分の手が汚れていると分かっているから」


「あああああ!」

 慧貴人は恐怖に耐えかね、茶碗を叩き落として発狂したように叫んだ。

「あああああ! 毒よ! 私は見ていたのよ、そこの女が毒を入れるのを!」


 自白だった。

 その叫びが、静まり返った茶室に響き渡る。

 蘭瑛ランエイは冷めた目で、崩れ落ちた慧貴人ケイキジンを見下ろす。

 そして確信した。この女は、かつて麗妃の夫である先代皇帝が命を落とした、あの忌まわしい「暗殺事件」の糸を引いていた黒幕の一人で間違いないと。


 載淵サイエンが、影から静かに姿を現した。その瞳は、いつになく深く、暗い。

「……慧貴人。貴様が吐いたのは、ただの毒菓子の件だけではない。先代皇帝崩御の折、薬膳に細工をした者が誰の待女であったか……その口で、今、認めたも同然だ」


「なっ……! 載淵様、それは、私は……!」


 慧貴人は顔を真っ白に染め、ガタガタと震え出した。

 載淵は彼女に近づくと、その耳元で、死神の囁きのような低い声を落とした。


「安心しろ。貴様を殺しはせん。……死ぬよりも長く、合理的で、絶望に満ちた『反省の時間』を与えてやる」


 載淵は剣を抜くことすらなく、冷たく部下たちに命じた。

「待女については脅されていたやもしれん。

後で取り調べろ。慧貴人の位を剥奪し、宗人府(皇族専門の牢獄)の最深部へ連れて行け。…… 慧貴人。光も音もない場所で、貴様が葬った者たちの名前を思い出すがいい。死は救済だ。私は、貴様にそんな贅沢なものは与えん」


 引きずられていく慧貴人の叫び声が遠ざかる。

 彼女が犯した罪の全容――夫を殺された麗妃の悲しみは、まだ闇の中だ。しかし、その大きな扉の「鍵」を、蘭瑛のマジックがこじ開けたのは間違いなかった。


「……蘭瑛。よくやった」

 載淵は、蘭瑛の横に立つと、小さく息を吐いた。

「これで、貴様の父の無念にも、一歩近づいたはずだ」


「……はい。ですが、まだ終わりではありません」

 蘭瑛が指を弾き、空中で一輪の造花を咲かせてみせる。

「嘘を暴くには、もっと大きな『仕掛け』が必要です」


 載淵は、そんな彼女の横顔を、どこか誇らしげに、しかしひどく不器用に歪めて見つめた。

「……フン、生意気な。……ほら、行くぞ。小翠が目を覚ましたら、貴様の洗濯が溜まっていると泣き言を言っていた。……あぁ、あとで私の私宮に来い。……特別に、貴様の父が遺したかもしれない『古い記録』を見せてやらんでもない」


 蘭瑛は、ツンツンした彼の言葉の裏にある「最大の労い」を感じ取り、静かに微笑んだ。


※慧貴人は先代皇帝暗殺に関与していた大罪人ですが、載淵はあえて彼女を生かしました。それは、彼女の背後にいるさらなる巨悪を引きずり出すための「餌」にするためです。蘭瑛の父の死と、後宮の闇が、一本の線で繋がり始めました。

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