第21話 麗妃の孤独
空昇道士のペテンを暴いてから数日。蘭瑛は載淵の命を受け、再び麗妃の離宮へと足を運んでいた。
そこは、あの日――蘭瑛が初めて「事件」を解決した因縁の場所。
麗妃は、かつて翠珠が待機していた小部屋の前に立ち尽くしていた。
「……あの日のことは、今でも鮮明に覚えているわ」
麗妃の声は、湿った土のように重い。
「夫を亡くした私を支えてくれた翠珠に、私は甘えすぎてしまった。主従の一線を超えようとし、拒絶され……。激情に任せて『今すぐ私の前から消えなさい! 二度とその顔を見せないで!』と、この部屋で破門を言い渡したの」
麗妃は、あの日、翠珠を残して部屋を飛び出した。だが、扉を閉めた瞬間に後悔の波が襲った。すぐさま、泣きながら扉を開け、「行かないで」と叫ぼうとしたのだ。
「時間にして、わずか数分。翠珠が外へ出る形跡はなかった。けれど、部屋の中は、もぬけの殻……。あの子は、私の呪詛のような言葉通り、本当に消えてしまったのよ」
そこへ現れたのが、載淵に伴われた蘭瑛だった。
蘭瑛は、密室から「消失」した翠珠を見つけ出した。彼女は麗妃の激しい拒絶に絶望し、麗妃が二度と自分を見つけられないよう、部屋にある大きな長持ち(衣箱)の二重底に身を潜めていたのだ。
蘭瑛が翠珠を見つけ出したことで、翠珠はそのまま後宮を去ることを許された。麗妃は謝る機会さえ失い、以来、翠珠の代わりに新しい侍女を置くことを頑なに拒み続けている。
「……あの子を追い詰めて、消える手伝いをしたのは私。そして、それを見つけ出したのは貴女。皮肉なものね、蘭瑛」
麗妃の瞳には、自分への嫌悪と、翠珠への消えない思慕が混ざり合っていた。
「麗妃様。私は、あの日翠珠様を救うためにタネを暴きました。彼女は、貴女様を傷つけたくないからこそ、姿を隠したのです。……それは、彼女なりの最後の手品だったのかもしれません」
「……あの子の優しさが、今は一番辛いわ。真実なんて、ただ心を切り刻むだけ」
蘭瑛は、麗妃の目の前にある、空になった翠珠のティーカップを手に取った。
載淵から贈られた最新の光学レンズが、窓から差し込む冬の薄日をわずかに捉える。
「麗妃様、その瞳を閉じて。三つ数える間だけ、貴女を縛る『後悔』という理を忘れてください」
蘭瑛が指を弾く。
一、二、三。
麗妃が恐る恐る目を開けた瞬間、彼女の目の前には、空だったはずのカップから、翠珠が好んで活けていた白い百合の花が、光を纏って溢れ出していた。
レンズの屈折と薄硝子を使い、蘭瑛は「かつての幸せな景色」の幻影をその場に再現したのだ。
「……あ」
光の百合は、麗妃が手を伸ばそうとした瞬間に、ふわりと消えた。
あとに残ったのは、ただの古いティーカップ。しかし、麗妃の頬には温かな涙が伝っていた。
「……不思議ね。消えてしまったのに、あの子の温度を感じるわ。……蘭瑛。貴女、次はもっと大きな嘘を私に見せてちょうだい。私が、再び誰かを信じられるようになるための、そんな嘘を」
麗妃の孤独な庭に、小さな再生の火が灯った。
だが、その様子を離宮の陰から見つめる、鋭い視線があることには、まだ誰も気づいていなかった。
※ 本作における麗妃は、先代皇帝の崩御後、その深い寵愛と載淵の政治的配慮によって、特例として後宮内の離宮に留まっている「太妃(先代の妃)」という立ち位置です。
本来であれば出家や移動を命じられるところですが、深い悲しみによる静養という名目で、静かな隠居生活を送っています。




