第20話 空を舞う道士(後編)
翌日、後宮の広場は、昨日以上の熱気に包まれていた。
天昇道士は、昨日よりもさらに豪華な装束を纏い、高々と設えられた祭壇の上で、自信満々に不敵な笑みを浮かべている。
「神の奇跡は、昨日の比ではございませぬぞ! 我が身は天へと昇り、尊き神の御声をこの地に届けよう!」
道士が錫杖を突き立てると、昨日と同じように、ふわりと身体が宙に浮き上がった。だが、今回はその浮遊の高さが違う。三尺どころか、一丈(約3メートル)もの高さまで上昇し、ゆっくりと広場の上空を移動し始めたのだ。
「おおおおお!」
観衆の感嘆の声が、地鳴りのように広場を揺るがす。小翠も、心配そうな顔で蘭瑛の袖を掴んだ。
「蘭瑛、やっぱりあの人、本当に飛べるんじゃ……」
「……馬鹿ね」
蘭瑛は冷静に呟くと、載淵に目配せし、そのまま無言で人垣を掻き分け、祭壇へと歩み寄った。
広場に集まった人々が、蘭瑛の突然の登場にざわめく。
「あれは、下級女官の蘭瑛ではないか?」
「なぜあのような神聖な場へ……」
蘭瑛は、祭壇の階段を臆することなく上がり、宙に浮く道士を見上げた。
「天昇道士様。その見せ方、あまりにも稚拙ですわ。そんな偽りの奇跡で、人の心を弄ぶなんて、マジシャン失格です」
道士の顔が、怒りで歪んだ。
「小娘、何たる無礼を! 我は神の御使いぞ!」
「神様は、人を騙して銭を巻き上げたりしません。……その『タネ』、私が華麗に暴いて差し上げますわ」
蘭瑛は、袖から一本の細い「鋼の糸」を取り出すと、それを道士の浮遊装置――祭壇の裏に巧妙に隠されていた、滑車と連結した「見えない柱」へと、瞬時に絡め取った。
道士は驚愕に目を見開くが、蘭瑛の動きはそれだけでは終わらない。
彼女は、さらに隠し持っていた二本の鋼の糸を、自らの手のひらと、祭壇の柱にそれぞれ固定した。
「さあ、道士様。空を飛ぶのがお好きなら、もっと高く舞い上がってごらんなさい!」
蘭瑛は不敵に笑うと、掌の糸を滑車に通し、一気に勢いよく引っ張った。
載淵が、群衆の視線を釘付けにするかのように、空中に向かって掌を掲げる。彼の背後では、宦官たちが素早く祭壇の周辺に目隠し用の幕を張り巡らせる。
「な、何をするっ!?」
道士の身体が、制御不能な動きでぐんぐんと上昇を始めた。
蘭瑛は、腕の筋肉と全身の重心移動を最大限に利用し、滑車の原理で道士の体重を軽く感じさせながら、空高くへと彼を引き上げていく。
道士の体が、屋根ほどの高さにまで到達した。
「ひぃっ! 落ちる! 助けてくれえええ!」
道士の悲鳴が、後宮中に響き渡る。
観衆は、道士の恐怖の叫びに困惑するが、蘭瑛の指先は寸分の狂いもない。
「神の御使い様なら、空中で恐怖を感じたりはしませんわよね? ……それとも、貴方はただの人間、それも三流の詐欺師だったのかしら?」
蘭瑛は、道士が絶叫し続ける中、彼を空中に保持したまま、観衆に向かって穏やかな声で語りかけた。
「皆様、ご覧ください。あの方は『神』ではございません。ただの人間、それも人の心を弄ぶ術師の端くれ。……彼の『タネ』は、彼自身の恐怖が証明しています」
道士の顔は恐怖で引き攣り、小便を漏らしたようなシミが装束に広がっていく。
蘭瑛は、再び鋼の糸を巧妙に操作し、道士をゆっくりと、だが確実に広場の泥の中に降ろしていった。
道士は地面に叩きつけられるように着地すると、恐怖と屈辱で身もだえ、そのまま意識を失った。
広場は、静まり返っていた。
載淵が、蘭瑛の隣に歩み寄る。
「……見事な手品だったな、蘭瑛。あの道士は、二度と人前で術を披露することはないだろう」
蘭瑛は、掌に巻かれた鋼の糸をクールに外し、道士が放り出された泥を冷めた目で見下ろした。
「人を騙して絶望させる嘘なんて、マジックじゃないわ。……私の父が愛したマジックは、もっと人を幸せにするものだったもの」
道士が空から引きずり下ろされたことで、小翠の顔には安堵の表情が広がっていた。蘭瑛は、その様子を見て、ようやく小さく微笑んだ。
これこそが、彼女の愛するマジックなのだ。
※
1. 道士のトリック【服の中に隠したイス】
• 仕掛け
握っている「杖」は、地面に固定された鉄のパイプです。
• 仕組み
パイプは袖の中を通ってお尻の下までL字型に繋がっており、道士はただ「空中のイス」に座っているだけでした。
• 上昇
さらに高く浮くときには、祭壇の裏に隠した滑車とワイヤーで、弟子たちが裏から吊り上げていました。
2. 蘭瑛のトリック【装置の乗っ取りと心理破壊】
• 乗っ取り
隠しワイヤーに自分の「鋼の糸」を絡ませ、装置の操縦権を奪いました。
• 力学
「滑車」の原理を使い、自分の体重をかけることで、自分より重い道士を片手で軽々と引き上げました。
• タネ明かし
予想外の高さまで吊り上げ、道士をパニックにさせて「助けて!」と叫ばせることで、「神ではなく、ただの臆病な人間だ」と観客に一瞬で分からせました。
道士は「鉄のイス」で人を騙し、蘭瑛は「力学」でその化けの皮を剥いだのです。




