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第19話 空を舞う道士(前編)

 載淵サイエンから贈られた最高級のレンズとゼンマイ。そのあまりの精度の高さに、蘭瑛ランエイは寝食を忘れて没頭していた。父の死の真相を知り、冷え切っていた彼女の心に、唯一灯った熱が「術師としての探求心」だった。


 そんな折、後宮に激震が走る。

「蘭瑛、作業なんてしてる場合じゃないわよ! 早く広場へ行きましょう!」

 親友の小翠ショウスイが、必死の形相で蘭瑛の作業場に駆け込んできた。

「何事? 新作の調整で忙しいのだけれど」

「それどころじゃないの! 『てんしょう道士』様が現れたのよ。本当に空に浮いて、病を治す聖水を配っていらっしゃるの。……私、お母さんのために、どうしてもお会いしたいの」


 広場は、熱狂を通り越した宗教的な静寂に包まれていた。

 人垣の向こう、高さ三尺ほどの空中に、一人の道士が座していた。錫杖しゃくじょうを一つ地に突き、あぐらをかいた姿で、ゆらゆらと宙に止まっている。支えもなければ、吊っている糸も見えない。

「おお、天の御使い様……」

 下級女官たちがなけなしの銀子ぎんすを、祈りとともに差し出している。道士は尊大な笑みを浮かべ、それらを「浄財」として受け取ると、濁った色の水を「万病に効く聖水」として配っていた。


「……重力無視のマジックなんて、夢があるわね」

 蘭瑛は、熱狂の渦に飲み込まれることなく、冷徹な観察者の眼でその姿を射抜いた。

 蘭瑛の視線は、道士の顔ではなく、彼が握る錫杖の角度、そして風もないのに不自然なほど「静止」している装束の裾へと向けられる。


(……なるほど。そういうこと)

 蘭瑛は、懐から載淵に贈られたばかりの小さな単眼鏡を取り出した。レンズ越しに、道士の影の落ち方や、背景の幕との境界線を精査する。

 観察を続ける蘭瑛の隣で、小翠が震える手で財布を開いた。

「蘭瑛、私……これでお母さんに聖水を……」

「待ちなさい、小翠」

 蘭瑛は小翠の手を強く制した。

「あれを飲んでも病気は治らない。それどころか、ただの泥水かもしれないわよ」

「でも、あの方は空を飛んでいるのよ!? 神様にしかできない奇跡なのよ!」


 小翠の必死な瞳を見て、蘭瑛の胸に、静かな、しかし激しい怒りが燃え上がった。

 マジックは、人を幸せな驚きで満たすためのものだ。決して、愛する人を救いたいと願う切実な心を、泥靴で踏みにじるための道具ではない。


「……夢を見せるのがマジックの仕事。けれど、その夢で人を縛り、絶望させるのは『三流のペテン』よ」

 蘭瑛の視線の先で、道士はさらに高圧的な態度で「浄財が足りぬゆえ、加護が薄れるぞ」と、貧しい女官たちを脅し始めていた。


 蘭瑛は、単眼鏡を仕舞い、冷ややかに道士を見据えた。

「小翠。明日、あの方(道士)はもっと高く『飛ぶ』わ。……そして、一番無様な姿で泥の中に落ちることになる」

 蘭瑛は、懐から載淵に贈られたばかりの、あの「鋼の糸」を指先で弄んだ。


 道士は、明日この広場で、さらに大掛かりな「空中散歩」を披露すると宣言している。

 蘭瑛は、その「舞台」を、自分自身がジャックすることを決意した。

 父が愛したマジックの誇りをかけて、偽りの神を空から引きずり下ろすために。


「さあ、仕込みを始めましょうか。最高の『演出』を用意してあげるわ」

 蘭瑛の瞳は、獲物を狙う鋭い光を放っていた。



※ この仕掛けは、「服の中に隠した鉄のイス」です。

1. 支柱の正体

道士が握っている「杖」は、実は地面に固定された頑丈な鉄パイプです。


2. 隠された座面

パイプは袖の中を通って背中を回り、お尻の下までL字型のフレームとして繋がっています。


3. 仕組み

道士は空中を飛んでいるのではなく、袖の中に隠した「鉄のイス」に座っているだけです。


蘭瑛は、風もないのに装束の裾が全く揺れない不自然さから、布の中に重い金属フレームが隠されていることを見抜きました。


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