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第16話 国師・玄天の影

 暗殺者の襲撃から数時間。載淵サイエンの私宮の一室には、重苦しい沈黙が降りていた。

 捕らえられた刺客は、地下の牢獄で載淵の私兵による峻烈な尋問を受けていた。蘭瑛ランエイは、載淵が用意した椅子に座り、暗殺に使われた鋼線を指先で無意識に弄んでいた。


 扉が開く音がし、載淵が戻ってきた。その表情は、冬の月光よりも冷たく冴え渡っている。

「……口を割ったぞ。蘭瑛」

「……そうですか。どこの『三流』が、あのような悪趣味な仕掛けを指示したのです?」

 蘭瑛はいつものように、不器用な女官を装うことさえ忘れ、冷めた声で問いかけた。


「男は、ある人物のめいで動いていた。道士たちを束ね、今や皇帝の信認を一身に受ける男――国師・玄天ゲンテンだ」


 その名が載淵の唇から零れた瞬間、蘭瑛の指先から鋼線が滑り落ち、床に鋭い音を立てて跳ねた。

「……え?」

 蘭瑛の思考が、一瞬で十三年前──五歳の頃の記憶へと引き戻される。

 

 まだ幸せだった頃。父のそばで手品を眺めていた幼い日。

 父は時折、一通の立派な封書を嬉しそうに眺めていた。

『蘭瑛、見てごらん。今日も玄天殿から支援スポンサーの申し出があったよ。彼はとても物腰の柔らかい方でね。私の幻術を誰よりも理解し、応援してくれているんだ。……いつか、彼のような素晴らしい方を後見人にして、最高の舞台を見せるのが父さんの夢なんだよ』


 父の言葉を信じるなら、玄天は「幻術を愛し、父を支えてくれた唯一の恩人」のはずだった。


「……あり得ません。……玄天様が、私を消そうとしているなんて。だって、あの人は父の……」

 蘭瑛の言葉が、震えと共に途切れる。

 もし玄天が今回の襲撃の黒幕なのだとしたら、父が信じていた「恩人」という顔は、すべて偽りだったのか。それどころか、十三年前の父の不可解な自決さえも、その「善意の仮面」の下で仕組まれたものだったのではないか。


「知っている名なのか、蘭瑛」

「……はい。父が、最も信頼していた……支援者スポンサーだったはずの男です。父は、あの人を心から尊敬していました。なのに、なぜ……」

「……恩人が一転して、遺児を消しにかかるか。よほど、貴様が生きていては困る理由があるようだな」

 載淵が忌々しげに首を振る。

「玄天……。奴がなぜ、今さら貴様のような小娘を狙う。やはり、十三年前の『あの日』に、我々の知らぬ決定的なタネがあるのだな」


 蘭瑛は唇を噛み締めた。刺客が何も知らないのであれば、真実を知る者は限られている。父が「恩人」と呼んでいた男の真の姿を知る人物。


「……載淵様。一人だけ、話を聞かなければならない人がいます」

「誰だ」

総管です」


 蘭瑛の脳裏に、以前、李総管が放った不気味な警告が蘇る。

『……かつて、その嘘の重さに耐えかねて、命を散らした愚か者がいたことを忘れるな』

 あの時、彼は「愚か者」と言った。父を恩人として支えていたはずの玄天が国師にまで上り詰めた陰で、父だけが死んだ理由を、彼は確実に知っている。


「李総管なら、父の最後を……そして玄天様との本当の関係を見ていたはずです。……父が信じていたものが『嘘』だったのかどうか、確かめなくてはなりません」


 蘭瑛の瞳に、いつもの好奇心とは違う、激しい葛藤と覚悟の光が宿った。

 載淵は、その瞳の変化を見逃さなかった。彼は蘭瑛の手首を強く掴み、その視線を自分に固定させる。

「行くというなら、私も共に行く。……貴様を、再び見えぬ糸の餌食にはさせん」


 二人は夜の後宮を、李総管の居所へと向かった。

 信頼という名の「タネ」が剥がれ落ち、残酷な真実が姿を現そうとしていた。


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