第15話 姿なき暗殺者(後編)
空中に舞った白い石粉が、夕映えの中で幾筋もの「線」を浮き彫りにした。
それは、人間の髪の毛よりも細く、それでいて鈍い銀色の光を放つ極細の鋼線だった。回廊の天井、欄干、そして柱の影を縫うように張り巡らされたその線は、まるで死神が仕掛けた巨大な蜘蛛の巣のようであった。
「……糸だと?」
載淵が、驚愕と共に声を漏らす。
「ただの糸ではありません。鏡と滑車を組み合わせた、自動的な狙撃装置ですわ」
蘭瑛は、柱に深々と突き刺さった「凶器」を指差した。それは矢ではなく、両端を鋭利に研ぎ澄まされた小さな「分銅」だった。
「刺客は、この先の曲がり角……私たちの死角になる場所に潜んでいます。この鋼線を、舞台の『引きネタ』のように使っているんですわ。あちら側の角で鋼線を強く弾けば、遠心力と滑車の加速を得た分銅が、鋼線に沿って音もなく、最短距離で貴方を狙う。……見えないのではなく、見えない道を走らせていたんですのよ」
蘭瑛はさらに、回廊の欄干の陰に隠されるように配置された、親指ほどの小さな「鏡」の破片を見つけ出した。
「あの鏡の反射を使って、曲がり角の向こう側にいる刺客は、貴方の足元の位置を正確に把握していた。姿を見せず、気配も殺し、物理法則だけで命を刈り取る……。マジシャンの誇りを汚す、最低の暗殺術ですわね」
蘭瑛の解説を聞きながら、載淵の瞳に宿っていた焦燥は、瞬時に氷のような殺意へと置き換わった。
「鏡の反射と、鋼線の軌道か。……道理で、殺気がこちらへ届かぬはずだ」
載淵は、蘭瑛がぶちまけた白い粉の中に浮かび上がる「死の道しるべ」を、冷徹に見据える。
「逃がさん。……蘭瑛、私の後ろを離れるな!」
載淵は蘭瑛の手首を掴んだまま、鋼線の端が消える闇の角へと爆発的な速さで踏み込んだ。
角を曲がった刹那。
そこには、必死に鋼線を巻き取ろうとする、道士の衣を纏った男の姿があった。
男は載淵の接近に気づき、懐から予備の分銅を取り出そうとしたが、載淵の剣がそれよりも速く男の喉元を捉えた。
「――見つけたぞ、鼠が」
載淵の顔には、冷徹な死神のような笑みが浮かんでいた。刺客は蛇に睨まれた蛙のように硬直する。載淵は容赦なく男の腕を捻り上げ、背後の壁に叩きつけた。
「この仕掛け……誰に教わった。道士の分際で、これほど精緻な物理を扱えるはずがない」
男は口を閉ざしたが、その震える指先は、蘭瑛が指摘した「鋼線の操作」で赤く腫れ上がっていた。載淵はそれを一瞥すると、駆けつけた護衛兵たちに男を突き出し、蘭瑛の元へと戻った。
興奮で肩を揺らす蘭瑛に対し、載淵は無言で歩み寄る。
そして、まだ石粉で白く汚れた彼女の両手を、今度は壊れ物を扱うような手つきで、そっと掬い上げた。
「載淵……様?」
「この指だ。……この指が、誰も見抜けなかった死の糸を見つけ出した」
載淵は、蘭瑛の細い指の付け根から、爪の先までを、執拗なまでに自分の指でなぞった。彼の瞳には、暗殺を退けた安堵など微塵もなく、ただただ蘭瑛という存在への、狂おしいほどの「感銘」と「渇望」が渦巻いている。
「貴様のその瞳。その指先の器用さ。そして、窮地において恐怖よりも先に『仕掛け』を解こうとするその歪な魂……」
載淵は蘭瑛の指先に、深く、刻印を残すかのように熱い口づけを落とした。
「美しい。……やはり、貴様は私の檻の中でしか生きてはならぬ存在だ。この世のどんな宝玉よりも、貴様のその『嘘を見抜く才能』こそが、私の求めていた真理だ」
載淵の抱擁は、もはや護衛という名目を超え、彼女の身体を自分の肉体の一部として同化させようとするほどに強かった。
「蘭瑛。誓おう。貴様を狙う影がどれほどあろうと、私がすべてを斬り伏せる。代わりに、貴様は一生、私の目の前でその奇跡を、その嘘を披露し続けろ」
蘭瑛は、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。それが暗殺の恐怖によるものか、あるいは載淵の熱すぎる言葉によるものか、彼女自身にも分からなかった。
「……困りましたわ。私のマジックは、一度見せたら『おしまい』が基本ですのに」
蘭瑛は精一杯の強気で、彼の胸元に指を当てた。
「一生なんて、載淵様は飽きっぽい観客のようですわね?」
「飽きるなど、あり得ん。貴様という謎は、夜明けまで語り合っても、一生をかけて暴いても足りぬほどだ」
夕闇が完全に回廊を支配する中、二人は密着したまま、載淵の私宮へと歩みを進める。
見えざる糸に操られた暗殺劇は、二人の絆を、もはや誰にも解けない「情愛の結び目」へと変えてしまった。
※
このトリックをわかりやすく例えると「見えない線路の上を走る弾丸」です。
1. 見えない道
髪の毛より細い「鋼の糸」をあらかじめ標的に向けて張っておきます。
2. 鏡の目
鏡を使って、曲がり角の向こうから載淵の位置を盗み見ていました。
3. 自動狙撃
糸を引く力と滑車を利用して、分銅を「糸に沿って」弾丸のように滑らせました。
蘭瑛が石粉をまいたのは、この「見えないレール」を見えるようにするためです。科学的な知識があるからこそ、死神の糸を「ただの物理現象」として暴くことができたのです。




