第13話 白き煙、独占の境界
「真冬の牡丹」の奇跡から数日。蘭瑛の名は、後宮の隅々にまで「不思議な力を持つ女官」として広まりつつあった。
だが、名声は同時に、どす黒い嫉妬と敵意を呼び寄せる。
その日の昼下がり。麗妃の離宮に、一通の手紙が届けられた。
差出人は不明。ただ、封筒には不気味な呪文のような紋様が記されていた。
「また、道士たちの嫌がらせかしら……」
麗妃が眉をひそめ、手紙を手に取ろうとしたその時。
――シュッ。
乾いた音と共に、手紙の端から白い煙が立ち上った。
「え……?」
麗妃が固まった瞬間、手紙は音もなく青白い炎に包まれた。誰が火をつけたわけでもない。ただ麗妃の手の中にあった手紙が、まるで内側から怒りを爆発させたかのように、ひとりでに燃え上がったのだ。
「ああっ! 呪いだわ! 龍神様の怒りよ!」
悲鳴を上げて手紙を投げ出す麗妃。周囲の女官たちがパニックに陥る中、蘭瑛だけは、床で燃え尽きようとしている灰に、冷徹な視線を注いでいた。
(……焦げた匂いの中に、独特のにんにくのような臭気が混じっている。これは、火打ち石の火じゃないわね)
「全員、下がれ!」
回廊に、載淵の鋭い声が響いた。彼は騒ぎを聞きつけるや否や、護衛を振り切って現場に駆けつけたのだ。
載淵は、真っ先に蘭瑛の安否を確認するようにその肩を掴んだ。
「蘭瑛! 貴様、怪我はないか!」
「……はい、私は無事です。ですが、麗妃様が……」
載淵は麗妃の無事を確認すると、すぐに床の灰を指先でなぞろうとした。それを蘭瑛が制する。
「載淵様、触れてはいけません。まだ『種』が残っている可能性があります」
「種だと? 誰の目にも触れず、突然発火したのだぞ。爆薬でなければ何だ」
蘭瑛は、いつの間にか手にしていた金属製の火箸で、灰の中から燃え残った紙の欠片を拾い上げた。
「爆薬ではありません。これは『白燐』――あるいは、それに類する発火しやすい物質(発火剤)を使ったペテンですわ。空気に触れて温度が上がれば、火を近づけなくても勝手に燃え上がる。……道士たちが、海外の商人と取引して手に入れたのでしょうね」
蘭瑛は、手紙が届けられてから発火するまでの「時間差」のトリックを淡々と説明した。封筒の中に白燐を塗り、水分を含ませた布などで覆っておけば、水分が蒸発して空気に触れた瞬間に発火する。
「……あんな三流の道士たちに、こんな貴重な薬物を扱わせるなんて。マジックとしての品性が欠けていますわ」
蘭瑛が呆れたように溜息をついた、その時。
載淵が、蘭瑛の腰を強引に抱き寄せた。
周囲の目を憚ることのない、あまりに露骨な抱擁。蘭瑛の背中が、載淵の硬い胸板に押し付けられる。
「な、載淵様……! 皆が見て……」
「黙れ。……貴様は、自分がどれほどの標的になっているか分かっているのか」
載淵の声は、低く、震えていた。それは恐怖ではなく、獲物を奪われそうになった猛獣の怒りだった。
「奴らのペテンを暴くたび、貴様の命は削られている。……これからは、一歩たりとも私の視界から出るな。掃除も、調査も、私の目の届く範囲でしか許さん」
載淵の腕が、折れそうなほど強く蘭瑛を縛り上げる。
彼の独占欲は、もはや「知的好奇心」という建前を突き破っていた。蘭瑛という「真理の体現者」を守るためなら、彼は後宮の秩序すら壊しかねない危うさを孕んでいた。
「……載淵様。私をそんなに強く閉じ込めたら、肝心のマジックが見えなくなってしまいますわよ?」
蘭瑛は、彼の腕の中で少しだけ苦しそうに、けれど不敵に微笑んだ。
「私は、捕まった小鳥ではありません。……檻ごと消えてみせる奇術師です。忘れないでくださいまし」
載淵は、蘭瑛のその傲慢なまでの微笑みに、悔しげに唇を噛んだ。そして、彼女の首筋に顔を埋めるようにして、深く、その香りを吸い込んだ。
「ならば、消えてみせろ。……私が、地の果てまで貴様を追い詰め、二度と離さぬようにしてやる」
白き煙が消えた後の静寂の中で、二人の距離は、もはや主従という言葉では括れないほど、濃密に重なり合っていた。




