4.逃亡
しばらくエリスから素性についての詰問をされた俺だったが、最終的にはゴードンの冒険者ギルド加入の手続きにエリスが出向く必要が生じたため、事なきを得た。
まずい。
エリスが去った後、俺は一目散にその場を離れて、向かった先は自宅。自宅に到着するや否や、俺は身支度を始めた。
エリス達がこの村に滞在している期間、どこか遠くへ行き、身を隠そうと考えたのだ。
先程のエリスの口振り。そして態度。
彼女達がこの村に来た理由は、冒険者のヘッドハンティング。そして、彼女達は冒険者候補生としてゴードンをスカウトした。
『あなたの名前は、カイル・ドゥランでは?』
なのに、彼女の興味はどう見てもゴードンではなく、俺に向いていた。
英雄だった父を持つ、俺に向いていたのだ。
……得体が知れない不気味な連中だ。
背中にじんわりと不快な汗を掻いていた。
とにかく、今は一刻も早く、この村から立ち去らねば。
リュックサックに荷物をまとめて家の扉を開けた。
「早いよ、カイル……」
扉を開けた先には、セレスティアが膝に手をつき立っていた。
セレスティアはここまで走ってきたのか……汗だくだった。
「……ごめん。セレスティア、大丈夫?」
「……うん」
言葉の割に、彼女の息は荒い。
「……それより、その荷物はどうしたの?」
「……これは」
「どこかに旅行にでも行くの?」
息を整えた後、穏やかな笑みを浮かべて、セレスティアは聞いてきた。
言葉とは裏腹に……彼女は、俺がこれから旅行に行くだなんて、微塵も思っていないだろう。
「……ごめん。少しだけ家を空ける」
「それは、さっきのエリスさんとの会話のせい?」
「……っ」
「……違った?」
俺は俯いた。正直に言えば、答えたくなかった。
相手が例えセレスティアでも……俺の素性については、触れてほしくなかった。
「……思えば、あなたがこの村に来てから、あなたは自分の素性を一度も誰かに明かすことはなかったね」
セレスティアは少し遠くを見ていた。
「それが原因で、ウチ以外からははぐれ者だって煙たく思われてきた」
「……君達一家には感謝している。心から」
「まさかカイルが、英雄様のご子息だったなんてね」
エリスの前で、俺は父との関係に関しては黙秘を貫いた。しかし、端からみても、答えは明白だったか。
「……ねえ、カイル?」
「なんだい」
「教えて。……どうして、お父さんとの関係をひた隠すの?」
セレスティアの目は、切実なものだった。
「だって……だってさ。凄いことじゃない。お父さんが英雄なんて。その事実を言ってまわれば、この村の皆はあなたに敬意を示した。ゴードンみたいな荒くれ者だって、あなたに一目置いたはずじゃない。どうしてあなたは……お父さんとの関係を口外しなかったの?」
どうして、父が英雄であることを明かさなかったか、か……。
……セレスティアの問いに、俺はしばらく考えた。
質問になんと答えるか迷ったわけではない。答えない、という選択肢も……ここまで来たらない。
ただ、中々質問に返事は出来なかった。
考えてしまったのだ。
どう口にすれば、セレスティアに伝わるのか。
父亡き後、俺がどれだけ悲惨な人生を歩んできたか。
死にかけたか。
……苦しかったか。
彼女にだけは、俺の全てを知っていてほしいと思った。
でも、彼女に自分の想い全てを漏れなく伝えるには……今の俺には、表現力も語彙力も、時間もなかった。
「冒険者になる奴なんて、愚か者だけだ」
だから、俺は項垂れながら……吐き捨てるように、それだけ言った。
黙っているセレスティアの顔からは、困惑が見て取れた。
当然だ。
理由を伝えないと、納得は出来ないセリフだろう。
「ごめん。……続きは、また今度」
「カイル」
「……あいつらがこの村から去るまで、しばらく家を空ける」
それだけ言い残して、俺はセレスティアの前から足早に立ち去った。
村入口に置かれた腐食の始まった木製の門を抜けて、荒野を走って……夕暮れが沈み始めた頃、俺は目的地にしていた森に到着した。
この森に来るのは、いつ振りだろう。
確か、今住む村に到着する直前、ここで三日三晩迷ったのが最後だった気がする。
鬱蒼と生い茂る木々は、青空さえ覆い隠して、人々の方向感覚を完全に奪い去る。入ったら最後、抜け出すのは至難の業。奥地に進めば進むほど、人骨が散見されるようになるいわくつきの森だった。
なるべく森の奥には立ち入らないようにしながら、俺は一週間程はここに滞在するつもりで、野宿の準備を進めた。
野宿の準備を終えたのは、到着から一時間程経った頃だった。
本当であれば、寒さを凌ぐため火も焚きたいが……煙で魔物や冒険者ギルド連中にバレる可能性があるため、自重した。
「ここなら、そうそう見つかることはないだろう」
ホッと一息ついた俺は、地べたに座り、夕飯の支度を始めた。
「……ようやく一息つけるな」
「そうですね。それじゃあ夕飯にしますか」
「……え」
声がした方向に振り向くと、そこにいたのは……。
「え、エリス!?」
俺は思わず、飛びのいた。
一体どうして。
ここは村から相当距離が離れている。常人であれば到着までは三日はかかるし、そうでなくても、俺が隠れ場所として選ぶだなんて予見することは出来ないはずだ。
「……どうしてここがわかった?」
「あたし、この国の領土の地図は全て頭に入っているんです」
「……は?」
「ゴードンさんの冒険者ギルドの加入の手続きが終わった後、あなたの自宅に尋ねたら誰もいない。あなたのガールフレンドを問い詰めたら、あなたはしばらく旅行に出たという」
……セレスティア、こんな得体の知れない女に詰められたのか。すまない。
「まあ、タイミング的に旅行が嘘であることは明白でした。であれば、あなたが家を空けた理由で真っ先に浮かぶのは……逃亡」
その通りだ。
「それで、あの村から程ない位置にある潜伏できそうな場所を考えると、真っ先に浮かんだのが、この森だった」
「……だが、この森は深く広いだろ。この森に俺が潜伏するとわかったとして、どうしてこんなすぐに俺を見つけられた?」
「深く広いからです」
「何?」
「森奥地にまで歩を進めれば、いくら英雄のご子息であるあなたでも戻ってこれなくなるかもしれないでしょ?」
……そこまでバレてたとは。
「……お前、一体何者だ?」
俺は尋ねた。身体能力の高さ。知能の高さ。この女のハイスペックさは、普通ではない。
「うふふ」
「何がおかしい」
「おかしいですよ。だってあたし、もうあなたには伝えていたはずなので」
「……何?」
「あたしの素性。それは、あなたと違って、既に答えていますよね」
エリスはニコッと微笑んだ。
「冒険者ギルドの視察団リーダー。それが、あたしの素性です」
……そんな説明で、誰が納得出来るか。
エリスに向けて目を細めた俺だったが……文句を言う気は失せた。
彼女に聞きたいことは、それ以外にも山ほどあった。
「エリスさん、あなたはどうして、ここまで俺に付き纏うんだ」
「……それより、否定しないんですね?」
「ん?」
「あたしさっき、あなたのことを英雄のご子息だと言ったのに、それに否定の言葉がなかったので」
「……ああ、そうだよ」
俺は俯いた。
「俺の名前は、『カイル・ドゥラン』。父の名は、『ナイル・ドゥラン』。数年前、この王都で英雄と呼ばれた男だ」
「そうだったんですね。驚きです」
……わざとらしい反応をしやがって。
「それより答えろ。お前、どうして俺に付き纏う」
「あなたが英雄のご子息だからです」
「そんなことは言われなくてもわかってる!」
彼女は俺と出会ってからずっと、俺が英雄の息子かどうかしか気にしていないのだから。
「お前らはどうして英雄の息子を探している。そして、どうしてその息子に付き纏う。一体、何が目的なんだ」
「……目的ですか」
エリスは少し迷ったように天を見上げた。何か説明するか迷っている。そんな感じだろうか。
「……カイルさんは、冒険者という職のこと、どう思いますか?」
「くだらない職だと思う」
「あはは。ストレートな物言いですね。……これでも長らく、若者の間では人気職だったんですよ?」
「……それは、大金を稼げるかもしれないからだろ」
冒険者という職のことなど、語ることさえ虫唾が走るのに……致し方ない。
「……冒険者は、他の仕事に比べて羽振りがいい。成果の出し方もわかりやすく、成果を出せれば有名にだってなることが出来る。……英雄と呼ばれ、国民から称えられることだってある」
……俺の父のように。
「そんなメリットだらけの仕事なのに、冒険者は……望めば誰にだってなることが出来たんだ。面接もなければ、試験もない。自称すれば、誰だって冒険者になれたんだ」
かつては、冒険者を管理するギルドさえなかったくらいだからな。
「若者は誰だって、特別になりたいものだ。他の人より金を稼ぎたい。有名になりたい。英雄になりたい。そりゃあ、誰だって冒険者に憧れる」
「……そうですね」
少し意外だった。
冒険者という職が人気という理由を語れば、その職に就く彼女は喜ぶものだと思っていたからだ。
しかし、エリスは……どこか少し、寂しそうだった。
「さすがに、王都から遠く離れたタロー村にまでは届いていない、か……」
エリスが呟いた。
「カイルさんは、グランツ中央統計局が毎年発表している『なりたい職業ランキング』を知っていますか?」
「……ああ」
かつて王都に暮らしていた頃、そのランキングを見ることは毎年の恒例行事になっていた。
父の職である冒険者が毎年のように一位であることは、子供ながらに誇らしいことだったのだ。
「今年、そのランキングでついに、冒険者が一位から陥落しました」
エリスは静かにそう言った。
俺は目を見開いた。驚きを隠せなかった。
「……まあ、頃合いだったんだろうさ」
しかし、驚きはしたものの……わかってはいたことだった。いつか、冒険者がランキング一位から陥落することなんて。
「確かに冒険者は一獲千金の夢がある職業だ。誉れを得られる夢もある」
「……えぇ」
「しかし、失敗した時の代償が大きすぎるんだ」
冒険者の仕事は、成果さえあげることが出来れば、得られるリターンは凄まじい。
「金よりも名誉よりも……命を優先するのは、当然の成り行きだろ」
しかし、もし仕事に失敗した時……待っているのは、死。
「……カイルさんは」
「ん?」
「それだけが理由で、冒険者の人気が下落していると思いますか?」
……エリスの問いに、真面目に考える必要はないと思いながら、気付いたら俺は黙ってしまっていた。
ハイリスクハイリターンな仕事性以外に、冒険者の人気が下落する理由。
「……有名冒険者の一部は、特権階級かの如く、我が物顔でいることとか?」
「それもあり得ます。ここ数年、増長した冒険者の愚行は目に余ります。それは事実です」
「くそったれだな」
「では、その二つが理由と?」
「他には、他の仕事の台頭もあり得るな。命をかけずとも、名声を得られる仕事が出てきた、とか。……例えば、作家。宗教革命以降、識字率は右肩上がりだ。識字率が上がるということは……大衆小説なんかも流行ったりしているのでは?」
「惜しくも作家は三位でした。ただ、カイルさんの考えは大体合っています。一位は、吟遊詩人。文字を読めずとも楽しめる、命をかける必要がなく、名声を得られる仕事です」
「……なら」
「それだけが、理由だと思いますか?」
俺は黙った。
……それ以外には、冒険者の人気が下落した理由は、今の俺には思いつかなかった。
「……それだけじゃないのか?」
「まあ、大方の理由はカイルさんの説の通りだと思います。しかし、それだけで盤石だった冒険者の仕事の人気が急に下落するのはおかしい」
「緩やかな下落ではないと言い切れるか?」
「言い切れます。それは、統計局に問い合わせ済みなので、間違いないです」
「……それは、一体?」
「……破壊神の『チグリス』。慈悲なる『インダス』。革命者『コウガ』」
「……一体、何を?」
「そして、黎明の『ナイル』」
「……突然、何を?」
「この国にはかつて、四人の英雄と呼ばれた人間がいました。その四人は、自らの戦闘力。人間性。カリスマ性の高さ故、国民から厚い信頼を寄せられ、高い人気を集めてきた」
「……その四人の名前は、知っている。だが、それが一体?」
「統計局が人気ランキングを集計し始めてからこれまで、この国にはずっと英雄と呼ばれる人間がいました。しかし、あなたの父の死を最後に、英雄と呼ばれる冒険者は一人として存在しない」
「……まさか」
「先程、カイルさんが言っていた通り、この国で冒険者の職の人気が下落した理由は多岐に渡る。でも一番は、まさしく……『英雄の不在』。五年に及ぶ英雄の不在は、この国の若者に冒険者になりたい。英雄になりたい。という気持ちを失せさせた。今の冒険者には、子供ながらに憧れ、目指したい、と思うような人材が欠如している……!」
エリスの熱弁を聞いた後、俺は真っ先に思った。
馬鹿らしい。
人気者がいるかどうかで、自分の将来を決める選択をする?
そんなこと、普通に生きていたら考えられない。
エリスに向けて、彼女の説を断じてやろうと思ったが……。
子供の時、俺は父の後ろ姿を見て育った。
あの大きい背中に憧れ、父のようになりたいと思うようになり、愚かなことに、冒険者になりたいと思うようになった。
そんな過去を思い出すと、彼女を断じる言葉がついに口から漏れることはなかった。
……憧れ。
どうやら確かに、その感情は……時に人を惑わせ、誤った方向に進めさせる原動力になるようだ。
「それで、ここからが本題です。カイルさん……!」
エリスの目は、今日出会って以降、一番……熱がこもっていた。
「単刀直入に言います」
ここまでの話で、これから彼女が何を言うかは大体想像することが出来た。
「冒険者になってください、カイルさん!」
エリスは、声高らかに続けた。
「父が英雄であるあなたは、英雄になる素質がある!」
エリスは続ける。
「あたし達冒険者ギルドが視察団を結成した理由は、次世代の英雄を探すため! 次世代の英雄を育成して、冒険者職の人気を取り戻すため! あなたはまさしく、あたし達が探していた人材なのです」
……だから、タロー村に来るまでの間に立ち寄った村では、冒険者ギルドへ加入する人間がいなかったというわけか。
「……どうですか、カイルさん。あなたも、あなたのお父さんと同じように、人々の救いとなる、子供の憧れとなる、英雄になってみませんか?」
「なる気はない」
即答だった。
「……エリス、お前は誤解をしている」
「……何をです?」
「英雄とは、自称するものじゃない。皆に納得して呼んでもらうものなんだ」
……偉大なる父のように。
「俺には、英雄となれる素質なんてない。からっきしもな」
「いいえ、あります」
「ない。自分のことは、自分が一番わかっている」
「……ふうん」
「それに、俺は冒険者になる気もない」
「何故です?」
「……言っただろう。冒険者はハイリスクハイリターンだからだ」
エリスは黙って、俺の言葉を待った。
「俺は、大金を稼ぎたいとは思わない。名誉を欲するような野心もない。畑を耕して、気ままな生活を送っている方が、性に合っているんだ。だから、俺は冒険者にはならない。死にたくもないしな」
「……なるほど」
「わかったら、さっさとゴードンを連れて引き上げろ。これ以上、俺を説得しようとしても、時間の無駄だぞ」
「……カイルさん」
「それに、別に失墜してもいいじゃないか。冒険者なんて仕事は」
「カイルさん」
「命を賭す程の価値なんて」
「カイルさん!」
「なんだよさっきから!」
「……あっち」
「は?」
「あっち、タロー村の方から、火が」
「……は?」
森の奥深くに入らなかったおかげで、俺達の現在地からは辛うじて、森の外の景色が見えた。
とはいえ、エリスとの雑談に長らく興じたせいか、外は既に暗黒の世界に包まれている。
本来であれば、空に広がる星座しか見えなさそうな時間帯に……遠くの方から、大きな火柱が立ち上っているのがわかった。
一瞬、幻覚か何かだと思った。
あんな巨大な火柱……これまで一度だって見たことがない。幻以外では説明がつかない程の、巨大な、現実味のない光景だったのだ。
「セレスティア!」
ただ、次に気付いた時には、俺は大声を発した後、走り出していた。
間違いなく、火柱が立ち上る方角にあるのは、タロー村。
一体、何があったのか。
わからないが、ただならぬ予感だけが俺を走らせた。
「待って、カイルさん!」
全速力で走る背後から、エリスの声が聞こえた。何度も何度も聞こえてきた。
最初は大きかったエリスの声は、村に近づくにつれて小さくか細くなっていった。
全速力の俺の走力に、どうやら彼女は付いてこれなかったようだ。
タロー村に到着すると、村は……見るも無残な光景に様変わりしていた。
村の舗装されていない道路には、昨日までは元気だった村民の死骸。
冒険者ギルドの視察団の馬車は、馬ごと大破。
住居の壁には鮮血が飛び散り……鼻腔には、血なまぐさい匂いがこびりついた。
「速すぎますよ! カイルさん!」
「……エリス」
「……これは」
「これは、どういうことだ」
絶句するエリスに向けて、呆然と俺は呟いた。
一体、どうして……。
わかっている。これは夜襲だ。この村は襲撃されたのだ。何者かに。
そして破壊されたのだ。跡形もなく。
「嘘。冒険者ギルドの手練れの面々も……」
俺達は宛もなくフラフラと村を歩いた。
襲撃者の姿形はない。
しかし、エリスの言う通り、村民以外の……冒険者ギルドの面々の死骸も転がっていた。
「……ゴードン」
そんな中、ゴードンの遺体は、見せしめのためか……打ち首にされ、木の棒に刺さった状態で置かれていた。
「カイルさん」
「……生存者は、いないのか?」
「多分、ゴブリンの襲撃です」
「……生存者」
「この村の近くには、ゴブリンの生息地があります。奴等がこの村を襲ったんです」
「……セレスティア」
「若い女の遺体は、一つもありません」
エリスの言っている言葉の意味を理解した。
「多分、ゴブリンが攫っていったんです」
「……何故?」
「え?」
「何故、今なんだ?」
「……わかりません」
「お前等がゴブリンをけしかけたんだろっ!」
俺は激昂のあまり、エリスの胸倉を掴んだ。
エリスが苦悶の表情を浮かべた。
「違います」
「だったら、どうして今なんだ! そんなに俺を冒険者にさせたかったのか! 冒険者人気のためなら、こんな非情なことも出来るのかっ!」
「違います。冷静になってください。カイルさん」
「……っ」
「あたし達の仲間も、殺されているんです」
……強く握っていた手から、ゆっくりと力が抜けていった。
確かにそうだ。
彼女達もまた……今回の一件は、被害者なんだ。
「すまなかった」
俺はエリスに謝罪をした。感情的になるあまり、彼女に酷い仕打ちをしてしまった。
「いいえ。慣れっこなので」
「……セレスティアを助けに行こう」
「……」
「場所はわかるか、エリス」
「……」
「わかるよな。さっきあんた、この国の領土の地図は全て、頭に入っていると言っていたし」
そもそも、今回の襲撃がゴブリンだと断定出来たのも、エリスの気付きのおかげ。当然、彼女がゴブリンの巣窟を知らないわけがない。
「……エリス?」
さっきから静かなエリスの顔を、俺は覗き込んだ。
「カイルさん」
エリスは、切迫した表情をしていた。
「駄目です」
「は?」
「あなたをゴブリンの生息地へは連れていけません」
……彼女の言っている意味がわからなかった。
「さっき、ゴードンさんの冒険者ギルド加入の手続きの前、あなたの目の前でも言いましたよね?」
さっき……?
『契約書にサインをしてもらいます』
……あ。
まさか。
まさか、こいつ……。
「この期に及んで、冒険者ギルドのメンツを優先するのか?」
「この期だからこそ、メンツを優先するんです」
確かに、たかがゴブリンがした行為にしては、今回の夜襲は凄惨な出来事のはずだ。
一夜にして寒村が滅ぼされ、そこにたまたま遠征に来ていた数十人の冒険者ギルドの面々も殺されたのだから。
……エリスにしたら、俺が死んだ時のことが頭を過って離れないのだろう。
「……俺が行かないのなら、あんた一人でゴブリンの生息地に向かうのか」
「そうです」
「……自殺行為だ」
「でも、やるんです。何故ならあたしは、冒険者ギルドの一員だから」
「あんたは視察団。実働部隊ではないだろ」
「でも、やるんです。それがあたしの使命ですから」
……くそ。
「でも、あなたは違う。あなたは一般人。タロー村の農民、カイル・ドゥランなんです。だから、あなたは命を賭けたらいけない」
……そうだ。
父の死を伝えられたあの日から……俺は常に思ってきたじゃないか。
冒険者になんて絶対にならない。
金のために命はかけない。
名声なんていらない。
……ただ、平凡な人生を歩んでいきたい。
そう、思っていたはずじゃないか。
冒険者になる、ならない以前に……この状況、どうして俺が命を投げ出さないといけない。
命をかけて、誰かを助けないといけない。
命をかけたところで、誰かが助かるとも限らない。
命をかけたところで、お礼を言われないかもしれない。
命をかけたところで……。
『ナイル・ドゥランが戦死した』
父は、もう……帰ってこない。
父は、冒険者を生業としていた。
冒険者という仕事は、遠方に出向き、屈強な魔族の討伐を試みたり。ダンジョンに潜って、金銀財宝を探してみたり。時には、緊張状態の続く街の自警団として活動したり……言ってしまえば、街の万事屋、みたいな側面を持っている。
だから、例え火の中、水の中。身も縮こまるような寒空の下でだって、仕事に出かけなければならない、過酷な仕事だった。
しかし、そんなことも知らなかった当時の俺は、色んな人を助けて、色んな人に慕われる父を見て……父に、そして冒険者に。
……英雄に、なりたいと思ったんだ。
でも、英雄と呼ばれた父の最期は、実に呆気ないものだった。
父はどうして死なないといけなかったのか。
父はどうして誰からも弔ってもらえなかったのか。
父の息子である俺は……どうして、名も知らない荒野で野垂れ死にかければならなかったのか。
父を亡くして、自暴自棄になり。
身銭を失い、食うものに困り。
冷たい地べたに倒れこみ、空を見上げる日々は……虚しかった。
手を伸ばせば、星の一つでも取れそうなのに、星どころか地面さえまもとに掴むことが出来なかった。
俺はここで死ぬんだ。そう思った。
そんな時だった。
俺は、俺を見つけてくれた一人の少女に救われた。
セレスティアだ。
彼女は寒村の農民の暮らしだった。生活は裕福とは言えない。その日の食事にありつくのだってやっとのはずだった。
でも、彼女は……。彼女の両親は、死にかけの俺に食事をくれた。
暖を取るための毛布をくれた。
『カイル』
……そして、微笑みをくれたのだ。
『冒険者になる奴なんて、愚か者だけだ』
さっきセレスティアに吐いたあのセリフ。今、この状況においても……俺はあの言葉を撤回するつもりはない。
冒険者になる奴は馬鹿だ。
他人のために、自分の命を投げ出そうとする奴は……大馬鹿者だ。
……ただ、それならば。
あの日、自らの食い扶持すら満足にない中、俺に食を与えてくれたセレスティア達は……大馬鹿者だったのか?
……断言できる。
大馬鹿者だ。
馬鹿野郎だ。
だって、俺なら絶対にやらない。
自分がお腹いっぱいになるまでご飯を食べたい。
どうして他人のために、自分が犠牲にならないといけないんだ……っ! と、そう考える。
俺は自分が賢いとは思っていない。
でも、馬鹿だとも思っていない。
……だから、俺がしない行為をしたセレスティア達は、馬鹿だ。
「……エリスさん」
……愚か者だ。
「契約書をくれ」
「それじゃあ……」
「ああ、君の望む通り、冒険者になってやる」
「……いいんですか?」
エリスは続けた。
「冒険者のこと、くだらない職だと言っていたから」
今、一番聞いてほしくないことを、聞いてくれた。
「くだらない職に就いて、本当にいいんですか?」
「構わない」
「もう、くだらない職だとは思っていないということですか?」
「違う」
俺は首を横に振った。
「多分……一生かけても変わらないよ、その考えは」
「なら……」
「ただ……」
ただ……。
「大切な人のためなら、愚か者のレッテルくらい、甘んじて受け入れてやるよ」
あの日、俺を救ってくれた……セレスティア達と同じように。
エリスは苦笑して、どこからか契約書を取り出した。
俺は右手親指の皮を嚙みちぎり、血を滴らせ……血で名前を書いた。
「契約完了。カイル・ドゥランさん。冒険者ギルドへようこそ」
「……ああ」
俺はエリスの隣を横切った。
「ゴブリンの巣窟はどっちだ?」
「……え、方角だけでいいんですか?」
「ああ。大丈夫だ」
「……一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫だ」
「……あっちです」
「わかった」
俺は屈伸をして、雄叫びをあげた。
「すぐに終わらせて、戻ってくる!」
それから数時間後、俺はゴブリンを全滅させ、囚われていたセレスティアをはじめ、村の人間を全員救って、村に戻った。
「……これが、英雄の血ですか」
エリスは、少し呆気に取られた様子だった。




