2.寒村
今でも時々思い出す。
その日は数年に一度の寒波の日、外には数年ぶりの雪が舞っていて、長袖の衣類を身に纏っても、とてもじゃないが寒さを凌げる様子は皆無だった。
『カイル、それじゃあ父さん、仕事に行ってくるな』
そんな寒空の中、父は仕事のために家を出た。
本来であれば、仕事に出かけるべきではない悪天候の中だったが、それでも父は、構わず仕事に出かけた。
父は、冒険者を生業としていた。
冒険者という仕事は、遠方に出向き、屈強な魔族の討伐を試みたり。ダンジョンに潜って、金銀財宝を探してみたり。時には、緊張状態の続く街の自警団として活動したり……言ってしまえば、街の万事屋、みたいな側面を持っている。
だから、例え火の中、水の中。身も縮こまるような寒空の下でだって仕事に出かけなければならない、過酷な仕事だった。
しかし、そんなことも知らなかった当時の俺は、色んな人を助けて、色んな人に慕われる父を見て……父に、そして冒険者に、強い憧れを抱くようになったのだ。
『出たな魔物めっ!』
当時の俺の遊び場は、街の外れにある枯れ木の林。
林の中で見つけた枯れ木の棒は、この世で唯一の俺の剣。
そして、今にも倒れそうなやせ細った不健康な枯れ木は、冒険者を幾人も屠った憎むべき魔物。
俺は、枯れ木に向かって、木の棒を振るっては、憧れの冒険者になりきっていた。
しばらくそうして木の棒を振るっていると、枯れ木にぶつけた拍子に、木の棒がボキッと音を立てて折れた。
『もうこんな時間か』
冒険者ごっこに熱中して気付かなかったが、外は既に真っ暗だった。
途端、猛烈な寒さがこの身を襲って、俺はくしゃみをした。
『そろそろ父さんが帰ってくるかもしれない』
俺は慌てて、帰路についた。
家に到着すると、幸い父は、まだ家に帰ってきてはいなかった。
『夕飯の支度をしないと』
この家で、家事全般は俺の仕事になっていた。
父はいつも遅くまで仕事に出かけているし、母は……俺が三歳の頃に、この世を去っていたから。
寒空の日、仕事から帰ってきた父が、温まれるものを作ろうと思った。
調理を終えた頃、俺は幾ばくかの違和感を覚えた。
外は既に真っ暗。寒波の影響で、外では強風が吹き荒れていて、家の窓には時折、風が打ち付けていた。
しかし、いくら待っても父が帰ってこないのだ。
まあ正直、父の帰りが遅いことは珍しいことではなかった。この街のたくさんの住人に慕われる父は、遅くまで仕事に精を出すことは珍しくなかったし、大衆居酒屋に行ってくることもままあった。
しかし、その日は子供ながらに妙な胸騒ぎを覚えたのだ。
『早く帰ってこないかな』
その日は結局、父は家に帰ってこなかった。
翌日。
また翌日。
父は一向に帰ってこなかった。
遠征に出向くなんてこと、出かける直前に父は一言も言っていなかった。
ならば、どうして父の帰宅はこんなに遅いのか。
それから二日後、家の扉が開かれた。
ようやく父が帰ってきた。
父が帰宅してこなかった四日間、心配のあまり、林に出かけたことは一度もなかった。
でも、それも今日で終わりだ。
少しばかし、父に文句を言ってやろう。あんまり息子をないがしろにすると、とんでもない反抗期がやってくるぞ、と念を押してやろう。
家の扉の前に立っていたのは、黒装束を纏った人間が三人。
『……カイル・ドゥランか』
自分よりも大きく、異質な格好をする男の無機質な声は、胸の内の恐怖心を駆り立てた。
『はい』
しかし、冒険者を目指す手前、これくらいの恐怖に打ち負かされてどうする。
そう思って、震える足を悟られないように、俺は返事をした。
『……お前の父は、ナイル・ドゥランで合っているな』
『……はい』
『ナイル・ドゥランが戦死した』
……この時の気持ちは、言葉では上手く表現できなかった。
気持ちの整理がつかないまま。理解が追い付かないまま。
父のこれまでの努力を労うでもなく、父のこれまでの戦果を称えるでもなく、父の死を弔うでもなく……黒装束の連中は、父の冒険者認識票を手渡して、家を後にした。
その日以降、俺は冒険者に志すことを辞めた。
そこからの人生は、怒涛の展開の連続だった。
稼ぎ頭を失い、家を追い出され、露頭を迷い、食べるものにも困り果て……犯罪まがいの行為にも何度か手を染めた。
そして、幾多の紆余曲折を経て、俺は今の住処があるタロー村にたどり着いた。
王都から二週間は歩き続けないとたどり着けないこの村の主な収入源は農作。
父の死から、まもなく五年。俺は今、この地で農家として生活をしている。
「カイル、今年は不作だね」
彼女の名前はセレスティア。
この地で身よりのない俺を匿ってくれて、独り立ちさせてくれた一家の一人娘だ。
自分の畑を手に入れたのは、二年前のこと。セレスティアの父の高齢化に伴って、畑の一部を手放すことになった際、どうせなら、とその地を譲り受けた。
「そっちの畑も駄目か。セレスティア」
「うん。今年の寒波は、去年以上に凄かったものね」
「夏もそうだ。異常気象で、作物の成長に大打撃だった」
それから俺は、農作業に勤しむ傍らで、こうしてセレスティアと畑談義に花を咲かせている。
「まったく。嫌になっちゃうね。最近の気候には」
「仕方ないだろう。さすがの人間も、気候には勝つことは出来ないさ」
俺は笑った。こうしてセレスティアと会話をしている時間が好きだったのだ。
「……最近は魔物も活発に行動しているし、不安だね」
「そうだな」
ただ、魔物の話をしている時間は、嫌いだ。
父のことを思い出すし、何より……。
「相変わらず、腑抜けた面ァしているじゃねえか。カイル」
セレスティアとの会話を楽しんでいる最中、邪魔者が現れた。
「ゴードン。何しに来たの?」
屈強な体格をしている彼の名前は、ゴードン。この村一番の力自慢だ。
そんなゴードンに向けて、セレスティアはわかりやすい敵意の視線を向けていた。
「そんな顔するなよ、セレスティア。別に、昔みたいにこいつを虐めに来たわけじゃない」
この村での俺の立ち位置は、正直良くない。
王都から遠く離れ、独自のコミュニティを形成していたこの村は排他的な空気感があり、よそ者の俺を受け入れてくれた人間は、それこそセレスティアと彼女の家族くらいのものだった。
故にかつては、このゴードンの言う通り、俺はこの村の住人に陰険な嫌がらせを度々されてきた。
陰口は当たり前で、実力行使されることも度々。一番酷い時には、魔物のいる森に一人取り残されるなんてこともあった。
「昔、あなたがカイルにした仕打ちを忘れたことなんて一度もない」
「ふん。そうかいそうかい」
「……そして、あなたが一度たりとも、カイルに謝ったことがないことだって、わかってるんだから」
「ちっ。うるせえ女だ」
ゴードンは鬱陶しそうに頭を掻いた。
「そんなことより、カイル。お前に朗報だ」
「……朗報?」
「ああ。今度、王都から冒険者ギルドの視察団がこの村に来るそうだ」
「……視察団が?」
魔物の襲来が絶えないこの国で、冒険者ギルドが発足されたのは、かれこれ半世紀以上前のことらしい。
発足以降、冒険者たちの度重なる英雄的行動の数々で、今や件のギルドの栄光は盤石のものになっている。
そんな冒険者ギルドの視察団が、わざわざこんな辺鄙な地に訪れる。
一体、どうして……?
「理由はわからないが、これは願ったり叶ったりのチャンスだ」
「ゴードン、どういうこと?」
「わからねえか」
ゴードンは農作業で汚れた薄汚い顔をセレスティアに寄せた。
「視察団に向けて、俺の実力を見せつけるんだよ」
セレスティアは身じろぎしていた。
「どんな理由であれ、こんな場所にまで視察団が来るんだぜ。こりゃあきっと、冒険者ギルドへのヘッドハンティングのために違いねえ。ついに夢だった冒険者になるチャンスが舞い込んできたんだ!」
「……ゴードン、君は冒険者になりたかったのかい?」
「ああ。当然だろ、カイル!」
俺の質問に答えるや否や、ゴードンは、今度は俺に、顔を寄せた。
「だから、カイル。お前に命令だ」
「……命令?」
「お前、サクラになれ」
「サクラ?」
「わからねえ奴だな。俺にわざと半殺しにされろって言ってんだよ!」
……なるほどね。
「お前を半殺しにすることで、俺の実力は、視察団の目に留まるに違いない! そうなりゃあ、冒険者になれるこ、間違いなしってわけだ!」
「ゴードン、あなた、何を言っているの……?」
暴論振りかざすゴードンに、セレスティアは少し引いているようだった。
「……ゴードン」
俺は一人で盛り上がるゴードンに話しかけた。
「冒険者が相対するべき相手は、人間じゃない。魔物だ。俺を半殺しにしたところで、冒険者ギルドの連中が、君をヘッドハンティングするとは限らない」
「うるせえ! よそ者の分際で俺に指図するな!」
ゴードンは醜い顔つきで、俺を罵った。
「とにかくっ! これは命令だ! 視察団が来たら模擬戦の場の一つくらいは設けられるはず! そこでお前を半殺しにしてやる!」
ゴードンは下衆な笑みを浮かべた。
「骨の一本や二本はへし折ってやる。覚悟しておけよぉ……」
「……そうか」
「ああ。じゃあな。面洗って待っておけよ」
満足したのか、ゴードンは俺達の前から去って行った。
「……カイル、あんな挑発に乗ったら駄目よ?」
「……どうだろうね」
「え?」
「トータルで見て、彼が冒険者としてこの村を去った方が……俺の立ち位置は良くなるのではないかな、と思ったんだ」
この村で俺に陰湿な虐めを行ってきた連中の主犯格は、ゴードンとその家族だ。ゴードンのあの太々しい態度も、いじめっ子たる所以だが、彼の父はこの村の村長。つまりは権力者だった。
長男であるゴードンがこの村を去れば、俺への虐めも少しは緩和されるのではないか、と思ったのだ。
「……でも、あなたが半殺しにされる必要なんてない」
「安いものだよ、骨の一本や二本くらい」
「……嫌」
「……セレスティア?」
「あたしが、嫌なの……」
気付いたら、セレスティアは暗い顔で俯いていた。
彼女の脳裏には今頃……俺がゴードンに蹂躙される光景が浮かんでいるのかもしれない。
「……ごめん」
「ううん。……でも、出来れば今後は、そんな悲しいことは言わないでほしい」
「ごめん……」
思えば、昔からずっとこうだった。
この村に来て、色んなことがある度……俺は、セレスティアを悲しませてばかりだった。
今、俺の中にある気持ちは、純粋な罪悪感。それだけだった。
「……それにしても、少し意外だった」
話を変えたくて、俺は言った。
「何が?」
「ゴードンが冒険者になりたいってことさ」
「……ああ」
「彼はこの村の村長の家系だろ。この村にいる限り、彼は安泰だ。なのに……まさか、冒険者とはね」
「……カイルはわからないか」
「え?」
「正直、あたしはゴードンの気持ち、少しわかる」
セレスティアは……畑の遠く向こうを眺めていた。
「ずっとこんな田舎で過ごしているとさ。……王都での生活に憧れちゃうよ」
「……」
「王都の人は、毎日をどんな感じで過ごしているんだろう。きっと、あたし達が知らないようなきらびやかな生活をしているんだろうな。きっと、あたし達が体験したことがないような……濃密な生活を送っているんだろうな。農村暮らしで、畑を耕して、野菜を作るしか能がないあたし達では一生かけても送れないような生活を送っているんだろうな。……だから、あたしも王都での生活には憧れちゃうの」
「……そっか」
「……カイルはないの? 王都への憧れ」
「ない」
即答すると、セレスティアはつまらなさそうに頬を膨らませた。
「じゃあ、一生をこの村で過ごすの?」
「そのつもりさ」
「……つまんない」
「それはごめん……」
「どうして?」
「え?」
「どうして……言い方は悪いけど、辛いことも多いこの村で一生を過ごしたいと思ったの?」
「言い方は別に悪くないよ。事実だし」
「……ねえ、どうして?」
上目遣いで俺の答えを見守るセレスティアを見て、俺は考えた。
どうして、この村で一生涯を終わらせたいと思ったのか。
……彼女の言う通り、ゴードンを初め、この村で俺に辛く当たる人間はたくさんいる。
そんな人間に囲まれながら、辛いと思ったことは数知れない。
にも関わらず……それでもなお、どうして俺がこの地で生きたいと思ったのか。
……真っ先に思い付くのは、村の人間の虐めが思ったよりも辛くないから、だ。
父を亡くして、今以上に辛い日々を過ごした身として……正直、こんな地獄は地獄の内にも入らない。
でも、きっとこれは、この地で生きたいと思った、一番の理由ではない。
「……君がいるからだよ、セレスティア」
一番の理由がそれであるとわかった途端、声に出すか否か、悩む間もなく言葉になっていた。
言った後、少しの後悔を挟み、俺はゆっくりとセレスティアを見た。
「……ほえ」
セレスティアは目を丸くしていた。当然だ。
彼女の顔を見ている内に、俺も羞恥の気持ちが芽生え始めて……彼女の顔を見ることが出来なくなっていった。
「……カイル。えぇと、その」
「仕事に戻ろうか、セレスティア」
「え!? ……ちょっ、カイル!?」
「さ、今日も忙しくなるぞ」
「もーっ! 待ってよー、カイル!」
……仕事に戻りながら、俺は思っていた。
この時間が、一生続けばいいのに、と。




