第9話 倉庫の中の“もう遅い"
扉が閉まる音は、妙に静かだった。
絨毯の上で鍵が落ちても、ほとんど響かない。
王太子府は“音”すら管理している。
「出られないようですね」
私が言うと、エーヴァルトが剣を抜いた。
抜いた瞬間、空気が変わる。
氷が剥き出しになる。
倉庫の奥から、足音が三つ。
黒装束。顔は覆面。
だが契約糸が見える。王太子府の“入室許可”に繋がっている。
「監査官を殺せ」
声は低い。命令だけ。
私は息を吐いた。
「殺す前に、せめて“契約”を読ませてください。あなたたち、約束守れないと反動きますよ」
「黙れ」
黒装束が飛びかかる。
エーヴァルトが前に出た。
剣は最短で振られ、相手の武器を弾く。
私はその隙に、床に散らばる木箱のラベルを読んだ。
『聖油』
『聖油』
『聖油』
全部、聖油。
だが箱から漂う匂いが違う。
油じゃない。甘い。――香料だ。
(香料を聖油と偽装してる。値段は十倍で請求できる)
私は【契約監査】で箱の契約糸を読む。
糸は太い。しかも二重三重。
……そして、最も太い糸が“白紙契約”へ繋がっている。
(昨夜の白紙署名……ここで使うつもりだったのね)
私は叫んだ。
「エーヴァルト! 箱を守って! こいつらの狙いは私じゃない、箱の中身――いや、契約札!」
「分かっている!」
エーヴァルトが黒装束の一人を床に押さえつけた。
私はその腕に絡む契約の気配を読み、要点を口にする。
(事故処理契約あり、証拠隠滅あり、対価は金貨二十枚、契約者は王太子側近)
黒装束が目を見開く。
「なぜ――」
「監査官ですから」
私は床に膝をつき、箱の契約札を抜いた。
その瞬間、倉庫の壁が淡く光る。
“結界”が起動したのだ。外に声が漏れない。
「……やっぱり」
私は笑った。「最初から事故にする気だった」
倉庫の天井から、白い粉が降り始める。
目が痛い。喉が焼ける。
――催涙の魔法粉。これも聖油名目で買える。
エーヴァルトが私を抱き寄せ、外套で口元を覆った。
「息を止めろ」
「……近い」
「喋るな」
私は咳を堪えながら、札に染みついた要点を読み上げる。
(納品先は神殿ではない、納品証明は偽造、受領者は聖女侍従長)
この一文があれば、聖女側は逃げられない。
だが――
同時に、もっと大きな糸が見えた。
倉庫の結界契約、その“最終署名者”。
王太子本人。
(……もう遅い、って言うのは、こっちだ)
私は札を握りしめ、エーヴァルトの耳元で囁いた。
「結界の署名者、王太子です」
エーヴァルトの目が一瞬だけ凍る。
「……証拠になるか」
「なる。契約記録は嘘をつかない」
扉が外から叩かれた。
誰かが来た。
助けか、追加の刺客か――。
扉が開き、入ってきたのは……宰相補佐ギルベルトだった。
彼は笑っている。
「いやあ、危ないところだったね。
“監査官殿”を守るために駆けつけた」
(嘘。助けじゃない。回収だ)




