第26話 長老、断罪される
残り二日。
評議会の大広間は、朝から人で溢れていた。
評議員たち。貴族たち。神殿の代表。宰相府の書記官たち。
そして――魔法院からの使者が、隅に控えている。
私は証人席に立ち、机の上に証拠の束を置いた。
改竄された原本の写し。評議員たちの証言書。ギルベルトの誓約証言。
全てが、ここにある。
隣には、王太子が立っていた。
彼は私に小さく頷く。準備はできている、という合図だ。
エーヴァルトの姿は、ない。
医務室で待っているはずだ。右腕の傷は、まだ完全には癒えていない。
(でも、大丈夫)
私は胸の中で呟いた。
彼のハンカチが、懐にある。それだけで、十分だ。
議長が立ち上がった。
「これより、魔法院長老アルノー・ヴェルデに対する緊急審問を開始する」
大広間が静まり返る。
正面の扉が開いた。
アルノー・ヴェルデが、二人の近衛に挟まれて入ってくる。
白い髭。穏やかな顔。
だが目は、いつもと違う。疲れている。諦めている。
それでも、どこか――静かな決意がある。
「長老」
議長が言った。「席へ」
アルノーは頷き、被告席に座った。
その視線が、私を捉える。
私は彼を真っ直ぐ見返した。
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「では、監査官リディア・アルベール。告発内容を述べよ」
私は立ち上がった。
「魔法院長老アルノー・ヴェルデを、以下の罪で告発します」
大広間に、私の声が響く。
「第一に、契約原本の改竄。過去二十年にわたり、少なくとも七件の契約原本を不正に書き換えた罪」
評議員たちがざわめく。
「第二に、王家との協定契約の改竄。二十年前、魔法院と王家の協定から『王家の監督権限』を削除し、魔法院を不当に独立させた罪」
ざわめきが大きくなる。
「第三に、不正への加担。宰相補佐ギルベルト・ルシャ、聖女、およびその関係者の不正行為を黙認し、資金援助を行った罪」
私は証拠の束を手に取った。
「証拠は、ここにあります」
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議長が証拠を受け取り、評議員たちに回した。
羊皮紙が手から手へ渡っていく。
私は【契約監査】を起動し、大広間の空気を読んだ。
契約糸が、至る所で揺れている。
評議員たちの動揺。長老への疑念。そして――怒り。
「これは……」
老齢の評議員が、羊皮紙を見て呟いた。「本物か」
「私が原本保管庫で直接確認しました」
私は答えた。「改竄前の記録の痕跡が、原本に残っています。専門の鑑定人でも確認可能です」
「しかし、監査官の能力だけでは――」
別の評議員が言いかける。
「証人がいます」
私は遮った。「ギルベルト・ルシャ。彼は誓約契約の下で証言することに同意しています」
大広間がざわめく。
ギルベルトの名前は、まだ記憶に新しい。
議長が頷いた。
「証人を呼べ」
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ギルベルトは、鎖をつけたまま連れてこられた。
以前の傲慢な笑みはない。顔色は悪く、目の下に影がある。
だが、その目には――奇妙な決意があった。
「ギルベルト・ルシャ」
議長が言った。「誓約契約の下で証言せよ。虚偽があれば、契約の反動を受ける」
ギルベルトは頷いた。
そして、私を見た。
「……始めろ」
彼は短く言った。
私は一歩前へ出た。
「ギルベルト。あなたは、魔法院から資金援助を受けていましたか」
「受けていた」
即答。
「その資金は、どのような名目で提供されましたか」
「『秩序維持のための協力金』だ」
ギルベルトは淡々と言った。「魔法院は、俺が王太子府で権力を握ることを望んでいた。そのための資金だった」
評議員たちがざわめく。
「なぜ、魔法院はあなたに協力したのですか」
「俺が権力を握れば、魔法院への監査が入らなくなる」
ギルベルトは続けた。「俺は汚職をする。魔法院はそれを黙認する。代わりに、俺は魔法院の独立を守る。持ちつ持たれつだ」
「その取り決めは、誰との間で結ばれましたか」
ギルベルトが、アルノーを見た。
「長老だ」
彼は言った。「アルノー・ヴェルデ。直接会ったことはないが、代理人を通じて全ての指示を受けた」
大広間が騒然となる。
評議員たちが立ち上がり、互いに囁き合う。
議長が槌を打った。
「静粛に」
私はギルベルトを見た。
「最後に一つ。あなたは、自分が『駒』だったと認識していますか」
ギルベルトが長く息を吐いた。
「……ああ」
彼は言った。「俺は、最初から捨て駒だった。長老にとって、俺が断罪されることすら計算のうちだったんだろう」
その声には、怒りと諦めが混じっていた。
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ギルベルトが連れ出された後、議長がアルノーに向き直った。
「長老。反論はあるか」
アルノーは静かに立ち上がった。
大広間の視線が、彼に集まる。
「反論は、ありません」
評議員たちが息を呑む。
「監査官の告発は、全て事実です」
アルノーは淡々と言った。「私は契約原本を改竄しました。王家との協定を書き換えました。ギルベルトに資金を提供しました」
大広間が凍りついた。
誰も、声を出せない。
「ただし」
アルノーは続けた。「一つだけ、言わせてください」
議長が頷く。
「私がやったことは、全てこの国のためでした」
私は彼を見た。
その目は、嘘をついていない。
「四十年前、魔法院で火災がありました」
アルノーは語り始めた。「契約魔法の暴走で、三十七人が死にました。私の師も、同僚も、友人も――全員、目の前で死にました」
大広間が静まり返る。
「あの日、私は誓いました。二度と、契約魔法で人を殺させない、と」
アルノーの声が、わずかに震える。「そのためには、契約を管理しなければならない。誰かが、全ての契約を見守らなければならない」
「だから、改竄したのですか」
私は静かに聞いた。
「改竄ではない」
アルノーは首を振った。「補正だ。契約が悪用されないように、私が調整していた」
「その調整で、何人が傷つきましたか」
アルノーが黙る。
「聖女は、民の寄付金を横領しました」
私は続けた。「ギルベルトは、王太子を操り人形にしました。私は、無実の罪で断罪されました」
私は一歩、アルノーに近づいた。
「全て、あなたの『補正』の結果です」
アルノーの目が、揺れた。
「私は……」
「あなたは、契約魔法を守ろうとした」
私は静かに言った。「でも、守り方を間違えた」
アルノーが私を見る。
老人の、疲れた目。
「契約魔法は、道具です」
私は続けた。「正しく使えば有用。悪用すれば害になる。それは、あなたが誰よりも知っているはずです」
「だからこそ、管理が――」
「管理ではなく、支配です」
私は遮った。「あなたは契約を管理したのではなく、契約を使って人を支配した」
アルノーが言葉を失う。
「契約の番人は、契約を守る者です」
私は言った。「契約を歪める者では、ない」
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長い沈黙が落ちた。
アルノーは目を閉じた。
そして、静かに言った。
「……その通りだ」
評議員たちがざわめく。
「私は、守り方を間違えた」
アルノーは続けた。「契約を守るために、契約を歪めた。本末転倒だった」
彼は私を見た。
「監査官殿。あなたは正しかった」
アルノーの声が、静かに響く。「私のやり方では、誰も救えなかった。あなたのやり方だけが、人を救える」
私は彼を見つめた。
この老人は、本当にこの国のためを思っていた。
ただ、方法が間違っていただけだ。
「長老」
私は言った。「あなたの罪は、評議会が裁きます。でも、あなたの想いは――否定しません」
アルノーの目が、わずかに潤んだ。
「……ありがとう」
彼は小さく言った。
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議長が立ち上がった。
「採決を行う」
彼は宣言した。「魔法院長老アルノー・ヴェルデを、契約原本改竄、協定違反、不正加担の罪で有罪とする者は、挙手を」
評議員たちの手が、次々と上がる。
全員一致だった。
「有罪」
議長が槌を打った。「アルノー・ヴェルデを、魔法院長老の職から解任し、王宮の牢に拘束する」
近衛がアルノーの両脇に立つ。
彼は抵抗しなかった。
連れ出される前、アルノーは私を振り返った。
「監査官殿」
彼は言った。「魔法院を、頼む」
私は頷いた。
「契約の番人は、必要です」
私は答えた。「ただし、正しいやり方で」
アルノーが小さく笑った。
そして、大広間を出ていった。
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長老が連行された後、議長が私に向き直った。
「監査官リディア・アルベール」
「はい」
「本件により、あなたに対する全ての告発は無効となる」
議長は宣言した。「婚約破棄の際の断罪は、聖女の虚偽に基づくものであった。よって、あなたの名誉は完全に回復される」
大広間がざわめく。
だが今度は、敵意ではない。
驚きと、敬意と、そして――安堵。
「また、王より伝言がある」
議長は続けた。「『臨時監査官リディア・アルベールの功績を称え、正式な王宮監査官の地位を授与する』」
私は息を呑んだ。
正式な監査官。
もう『臨時』ではない。
「……光栄です」
私は頭を下げた。
評議員たちが拍手を始めた。
最初は一人、二人。やがて、大広間全体に広がる。
私は顔を上げた。
貴族たちが、私を見ている。
かつて私を断罪した者たち。私を恐れた者たち。私を避けた者たち。
今、彼らは拍手している。
不思議な気持ちだった。
嬉しいのか、悲しいのか、分からない。
ただ一つ、確かなことがある。
(終わった)
三十日の期限より、早く終わった。
全ての不正を暴いた。全ての黒幕を断罪した。
そして、私の冤罪は晴れた。
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評議会が終わり、私は廊下に出た。
足が、少しだけ震えていた。
緊張が解けたのだろう。
王太子が近づいてきた。
「……よくやった」
「殿下のおかげです」
私は頭を下げた。「協力、ありがとうございました」
「俺は、借りを返しただけだ」
王太子は肩をすくめた。「これで、少しは楽になれるか」
「はい」
王太子が頷き、去っていく。
私は廊下の窓から、外を見た。
午後の光が、石畳に落ちている。
穏やかな日だ。
ふと、足音が聞こえた。
不規則な、少し重い足音。
私は振り返った。
エーヴァルトが、廊下の向こうから歩いてくる。
右腕に包帯を巻いたまま。顔色は悪い。
でも、歩いている。
「エーヴァルト」
私は駆け寄った。「なぜここに。まだ安静に――」
「終わったと聞いた」
エーヴァルトは私を見た。「だから来た」
「でも、腕が――」
「腕は関係ない」
エーヴァルトが、私の前で立ち止まる。
彼の目が、真っ直ぐ私を見ている。
「よくやった」
その一言が、胸に染みた。
「……ありがとうございます」
私の声が、震える。
エーヴァルトは何も言わず、左手を伸ばした。
そして、私の頭に手を置いた。
「お前は、強い」
彼は静かに言った。「一人で、全部やり遂げた」
「一人じゃありません」
私は首を振った。「あなたがいたから、できました」
エーヴァルトの手が、わずかに震える。
「俺は、何もしていない」
「いいえ」
私は彼を見上げた。「あなたは、私の隣にいてくれました。それだけで、十分でした」
エーヴァルトが黙る。
その目が、揺れている。
「……リディア」
「はい」
「俺は」
エーヴァルトは言葉を切った。「俺は――」
私は彼の言葉を待った。
だが、彼は首を振った。
「……まだ、終わっていない」
「え?」
「三十日目まで、あと一日ある」
エーヴァルトは静かに言った。「全部終わってから、言う」
私は小さく笑った。
「律儀ですね」
「そういう性格だ」
「知ってます」
私たちは廊下に立ったまま、互いを見ていた。
午後の光が、窓から差し込んでいる。
エーヴァルトの左手が、私の手を取った。
温かい。
「帰るぞ」
彼は言った。「お前も、休め」
「あなたこそ」
「俺は大丈夫だ」
「嘘です」
エーヴァルトが小さく笑った。
珍しい、柔らかい笑み。
「……バレたか」
「最初から分かってました」
私たちは並んで歩き出した。
エーヴァルトの手は、私の手を離さない。
残り一日。
三十日目の朝が、もうすぐ来る。
そして、その時に――彼は、何かを言うのだろう。
私は、何かを答えるのだろう。
今はまだ、言葉にしない。
でも、分かっている。
この手の温もりが、全てを語っている。
---
夕暮れの王宮。
私は自室に戻り、机の前に座った。
窓の外で、鐘が鳴っている。
長老は断罪された。
私の冤罪は晴れた。
正式な監査官の地位も得た。
全てが、終わった。
私は懐からハンカチを取り出した。
エーヴァルトのハンカチ。白い布に、小さな刺繍。
あの日、泣いた私に彼がくれたもの。
ずっと、持っていた。
(明日、返そう)
いや、違う。
(明日、答えを言おう)
私は窓の外を見た。
夕焼けが、空を染めている。
オレンジと紫が混じり合う、美しい空。
明日で、三十日目。
期限が来る。
でも、それは終わりではない。
始まりだ。
私は小さく笑い、ハンカチを胸に当てた。
(終わったら、答えを聞かせろ)
彼の言葉を、思い出す。
答えは、決まっている。
ずっと、決まっていた。
明日、ちゃんと言おう。
この人と、これからも一緒にいたい、と。
---
夜の王宮は静かだった。
私は窓辺に立ち、星を見ていた。
月が細い。空気が冷たい。
扉がノックされた。
「入っていいか」
エーヴァルトの声。
「どうぞ」
扉が開き、彼が入ってきた。
右腕の包帯は、そのまま。だが、顔色は少し良くなっている。
「眠れないのか」
彼が聞いた。
「少し、興奮してます」
私は正直に答えた。「今日、いろいろありましたから」
「そうか」
エーヴァルトは窓辺に来て、私の隣に立った。
二人で、夜空を見上げる。
「明日で、三十日目だ」
彼が言った。
「はい」
「長かったか」
「……長かったです」
私は呟いた。「でも、あっという間でもありました」
エーヴァルトが私を見た。
「お前は、変わった」
「変わりましたか」
「ああ」
彼は頷いた。「最初に会った時より、強くなった」
「あなたのおかげです」
「違う」
エーヴァルトは首を振った。「お前自身の力だ」
私は彼を見上げた。
月明かりが、彼の横顔を照らしている。
「……エーヴァルト」
「何だ」
「明日、ちゃんと話しましょう」
エーヴァルトが黙る。
そして、静かに頷いた。
「ああ」
「約束です」
「分かっている」
彼の左手が、私の手を取った。
指と指が絡む。
月が、雲に隠れる。
夜が、深くなっていく。
明日、三十日目の朝が来る。
そして、私たちの物語は――ここから始まる。
契約は、嘘をつかない。
だから、私の想いも嘘じゃない。
この人と一緒にいたい。
この人の隣で、生きていきたい。
それが、私の答えだ。




