第22話 原本保管庫の"歪み"
「令状を確認しました。ですが――」
魔法院の受付官が、震える声で言った。「長老のご許可なく、保管庫への立ち入りは……」
「王命です」
私は令状を差し出した。「これは王の印章が押された正式な調査令状です。魔法院であっても、拒否することはできません」
受付官が令状を見る。その手が、わずかに震えている。
私は【契約監査】を起動し、彼の周囲の糸を読んだ。
胸の奥に、要点が流れ込む。
(雇用契約あり、追加条項として「保管庫への無許可立ち入りを阻止せよ」、契約者はアルノー・ヴェルデ)
口止め契約だ。しかも最近、付け足されたもの。
「あなた、新しい条項を契約させられましたね」
私は静かに言った。「いつですか。昨日?」
受付官の顔が青ざめる。
「私たちが訪問した日の夜でしょうか」
私は続けた。「長老は、私たちがまた来ることを予測していた」
「……っ」
「怖がらなくていいです」
私は声のトーンを落とした。「あなたを責めているわけじゃない。ただ、通してください」
受付官は迷った。長い沈黙。
エーヴァルトが一歩前へ出る。その動きだけで、空気が変わった。
「……こちらへ」
受付官は震えながら、鍵を取り出した。
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地下への階段は、石造りで薄暗かった。
魔法の灯りが壁に等間隔で並んでいるが、光は弱い。まるで、明るくすることを恐れているように。
「何人いる」
エーヴァルトが低く囁いた。
「保管庫の周囲に、三人」
私も囁き返した。「契約糸が見えます。警備ではなく――監視です。私たちを見張るための」
「増やせる人数は?」
「長老が声をかければ、すぐに」
エーヴァルトが頷く。剣には手をかけていないが、その体は戦闘準備ができていた。
扉は重い鉄製だった。
鍵を差し込むと、複数の契約魔法が解除される感覚があった。
扉が開く。
私は息を呑んだ。
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保管庫は広い。
予想より、はるかに広い。
天井まで届く棚が、何列も並んでいた。
それぞれの棚に、契約書が収められた筒が整然と並んでいる。
数えきれない。百年以上分の、この国の契約の原本。
「……多いですね」
私は呟いた。
「当たり前だ」
エーヴァルトが周囲を見回す。「百年以上の記録だ。どこから調べる」
「最近のものから」
私は奥へ歩いた。「ギルベルトが動き始めたのは十年前ほど。そこから」
棚には年代の刻印がある。私は十年前の区画へ向かった。
該当の筒を引き出す。中に、羊皮紙が丸められている。
私は【契約監査】を全力で起動し、原本を読んだ。
胸の奥に、一気に要点が流れ込む。
量が多い。圧倒的な量。でも、一つ一つが明確だ。
(神殿への寄付金契約、原本あり、対価は正当……歪みなし)
(聖油調達契約、原本あり――対価の記載が改竄されている)
私は手を止めた。
もう一度、念を入れて読む。
確かだ。
原本の対価欄が、後から書き換えられている。
元の記載は「神殿への納品」だったはずが――「宰相補佐ギルベルト・ルシャへの資金提供」に変わっていた。
「……見つけた」
私は呟いた。
「何だ」
エーヴァルトが近づく。
「改竄です」
私は筒を手に取った。「この原本、後から書き換えられています。聖油の対価が、ギルベルトへの資金提供に変えられている」
「原本を、書き換えた?」
「契約の原本は、通常書き換えられません。書き換えれば契約が無効になるはずです。でも――」
私は歪みを感じながら言った。「長老には、それができる。原本保管庫の管理者として、書き換えの魔法を知っている」
エーヴァルトの目が鋭くなる。
「証拠になるか」
「なります」
私は断言した。「原本の歪みは、私が読み取れます。改竄前の記録も、うっすら残っている。評議会に持ち込めば、専門家に鑑定させることも可能です」
私は筒を抱えて、次の棚へ向かった。
一つ見つかれば、他にもある。
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三十分ほど調べて、七件の改竄契約を見つけた。
ギルベルトへの資金提供。
聖女侍従長への口止め料。
宰相補佐の権限拡大。
そして――
「これは……」
私は手を止めた。
一枚の羊皮紙。二十年前の日付。
(魔法院と王家の協定契約。条項:魔法院は王家の承認なく自律的に契約を管理できる。対価:王家は魔法院の独立性を保障する)
私は契約の歪みを読んだ。
(元の条項「魔法院は王家の監督下において」が削除されている。改竄後の版のみが公式記録として流通している)
「エーヴァルト」
私の声が変わった。
彼がすぐ来る。
「これが、本命です」
私は羊皮紙を彼に見せた。「長老は、二十年前から動いていた。王家と魔法院の協定から、王家の監督権限を削除した。これで、魔法院は誰の管轄も受けない独立した機関になった」
「……それが、土台だったのか」
「はい」
私は頷いた。「その上に、ギルベルトへの資金援助、聖女への保護。全部、魔法院を動かすための駒だった。汚職を支援することで、汚職側から魔法院の独立を守ってもらう。持ちつ持たれつ」
エーヴァルトが低く唸る。
「長老は、不正を黙認していたのではなく――不正を利用していた」
「そうです」
私は続けた。「彼の目的は、秩序でも正義でもない。魔法院の、そして自分の権力を守ることです」
その時。
背後で、石の扉が静かに閉まった。
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「随分と、熱心に読んでくださっている」
声は穏やかだった。
老人の、疲れを知った声。
私は振り返った。
アルノー・ヴェルデが扉の前に立っている。その後ろに、六人の院生が続いていた。
「長老」
私は静かに言った。「令状を持って参りました。これは正当な調査です」
「令状は拝見しました」
アルノーは微笑んだ。穏やかな、老人の笑み。「王の印章も確かに本物です」
「なら――」
「ですが」
アルノーは言葉を遮った。「王命の令状であっても、保管庫内での原本の"持ち出し"は許可されておりません。魔法院の規則により」
私の手が、筒を握りしめる。
「その書類を、置いて帰っていただけますか」
アルノーは穏やかに言った。「調査は認めます。しかし、原本を持ち出すことは」
「持ち出しではありません」
私は言った。「証拠として保全します。改竄が行われた以上、このまま保管庫に置いておけば、また書き換えられる可能性があります」
アルノーの目が、わずかに細くなった。
「改竄、ですか」
彼の声は変わらなかった。「それは、大変な言いがかりですね」
「言いがかりではありません」
私は一歩前へ出た。「私は読めます。原本に刻まれた歪みを。改竄前の記録の痕跡を。全部、見えます」
保管庫の空気が変わった。
院生たちが、一斉にこちらへ向き直る。
「……それは」
アルノーの声から、穏やかさが消えた。「困りますね」
エーヴァルトが私の隣に立った。剣に手をかけている。
「六人か」
エーヴァルトが静かに言った。「加えてお前で七人。院生相手なら、突破できる」
「お待ちください」
アルノーは両手を上げた。「争いを望んでいるわけではない。ただ――」
彼は私を見た。
老人の目。疲れた目。しかし、その奥に灯る何かは――諦めではなかった。
「リディア監査官」
アルノーは静かに言った。「あなたは賢い。それは認めます。ですが、あなたが今掴んでいるものが何か、本当に分かっていますか」
「長老が二十年かけて作り上げた支配の仕組みです」
「違います」
アルノーは首を振った。「それは、この国を守るための"防波堤"です」
私は彼を見た。
「あなたは若い。契約戦争を知らない」
アルノーは続けた。「あの時代に、どれだけの人が死んだか。契約が武器になれば、貴族も平民も区別なく滅ぶ。私は見ました。目の前で、人が契約に縛られて死んでいくのを」
その声に、嘘はなかった。
私は【契約監査】を微かに起動したが、アルノーの言葉の糸は揺れていない。
「だから、管理しなければならない」
アルノーは私を見た。「誰かが、契約を握っていなければ。でなければ、また同じことが起きる」
「それは、分かります」
私は言った。「でも」
「でも?」
「その管理が、あなた自身の権力になった時点で――それは守護ではなく支配です」
アルノーが黙る。
私は筒を胸に抱えたまま、続けた。
「あなたはギルベルトを支援した。聖女を黙認した。それで何人が傷つきましたか。あなたの『正しさ』が守ったのは、この国ではなく、魔法院の独立性だけです」
保管庫に静寂が満ちた。
アルノーはゆっくりと息を吐いた。
「……返していただけませんか」
その声は静かだった。「今ならまだ、穏便に済む」
「できません」
アルノーが手を上げた。
院生たちが動く。
エーヴァルトが剣を抜いた。
金属の音が、石の部屋に響いた。
「下がれ」
エーヴァルトの声は低く、静かだった。それだけで、院生たちの足が止まる。
「騎士団長」
アルノーが言った。「あなたは、証拠を持ち出した者を守る気ですか」
「守る気じゃない」
エーヴァルトは即答した。「俺は監査官の護衛だ。それが任務だ」
「任務」
アルノーは苦く笑った。「では、任務のために命を張りますか」
「当然だ」
迷いがない。
その声の確かさが、私の胸に刺さった。
「エーヴァルト」
私は彼に言った。「出口は一つです。あの扉を突破できますか」
「時間をくれ」
エーヴァルトは静かに言った。「二分でいい」
「分かりました」
私は彼の背に続いた。
証拠は、絶対に離さない。
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エーヴァルトが先頭に立ち、院生の壁へ向かった。
剣を抜いてはいるが、斬ろうとしているのではない。圧で、押し退けようとしている。
院生たちが怯んだ隙に、私は脇を抜けた。
扉に手をかける。鍵はかかっていない。
「行けますか!」
「行きます!」
エーヴァルトが私の手を掴んだ。
そのまま走る。石の階段を、二段飛ばしで。
後ろからアルノーの声が聞こえた。
穏やかな、疲れた声。
「……逃がしてしまいましたね」
誰かに言っているのではなく、独り言のようだった。
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魔法院の正門を出て、私たちは馬車に飛び込んだ。
「走らせろ!」
エーヴァルトが御者に叫ぶ。
馬車が動き出す。石畳の振動が、体に伝わってくる。
私は筒を膝の上に置き、息を整えた。
「……無事です」
私は言った。誰にともなく。
「ああ」
エーヴァルトが頷く。
「証拠は取れました」
私は筒を見た。「七件の改竄。そして、王家との協定原本」
「評議会に持ち込めるか」
「できます。でも――」
私は息を吐いた。「長老も動くはずです。今頃、魔法院から使者が出ている」
「評議会への根回しか」
「はい」
私は顔を上げた。「時間がありません。今日中に、王に報告しなければ」
エーヴァルトが私を見た。
「お前は、怖くないのか」
「怖いです」
私は素直に答えた。「さっき、少しだけ足が震えました」
「……そうか」
「でも」
私は証拠の筒を握りしめた。「これがあれば、戦えます」
エーヴァルトが短く息を吐く。それは、苦笑に近い音だった。
「頼もしいような、心配なような」
「心配しないでください。あなたが隣にいますから」
エーヴァルトが黙る。
窓の外を見る横顔が、わずかに赤い。――馬の速度で頬に風が当たっているせいだと、私は思うことにした。
「……王宮へ急ぐ」
彼は前を向いたまま言った。「話はそれからだ」
「はい」
馬車は王都の石畳を駆けていく。
私の膝の上に、この国の不正の証拠がある。
残り六日。
長老との戦いは、始まったばかりだ。




