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第19話 断罪の後に残るもの――そして"契約の番人"

ギルベルト断罪から一夜が明けた。

 王宮は静まり返り、貴族たちは息を潜めている。


 私は窓の外を見ながら、昨日の評議会を思い返していた。

 ギルベルトは、あっさりと罪を認めた。

 抵抗もせず、言い逃れもせず。


(……何かがおかしい)


 私は机の上の証言記録を見た。

 ギルベルトの最後の言葉が、頭から離れない。


『国のためです。この国は腐っている。誰かが正さねばならなかった』


 国のため。

 その言葉は、嘘ではなかった。

 【契約監査】で読んだ限り、彼は本気でそう信じていた。


 だが――それだけでは説明がつかない。


「……あの男は、賢すぎる」

 私は呟いた。


 ギルベルトは宰相補佐として、何年も不正を隠し通してきた。

 証拠を消し、代理人を使い、痕跡を残さず。

 それほどの男が、なぜ最後にあっさり認めた?


 扉が開き、エーヴァルトが入ってきた。

「起きていたか」


「眠れませんでした」

 私は正直に答えた。


 エーヴァルトが私の隣に立つ。

「……何を考えている」


「ギルベルトのことです」

 私は彼を見上げた。「何かがおかしい」


「おかしい?」

「あっさりしすぎました」


 エーヴァルトが眉をひそめる。

「証拠を突きつけられて、観念しただけだろう」


「それにしても――」

 私は首を振った。「ギルベルトなら、もっと抵抗できたはずです」


 私は立ち上がり、窓辺へ歩いた。

「彼は最後に『国のため』と言いました。でも、それが本当なら――」


「何だ」

「なぜ、最後まで戦わなかったのか」


 エーヴァルトが黙る。

 私は続けた。


「もし本当に国のためなら、もっと足掻くはずです。自分の正しさを主張するはず」

 私は振り返った。「でも彼は、まるで――」


「まるで?」

「諦めていたように見えました」


 エーヴァルトの目が鋭くなる。

「……何かに、諦めていた?」


「分かりません」

 私は拳を握った。「だから、確かめに行きます」


「どこへ」

「地下牢です」


---


 王宮の地下牢は、冷たく湿っていた。

 松明の灯りが揺れ、石壁に影を落とす。


 看守が私たちを案内し、奥の独房の前で止まった。

「ここです。ギルベルト様は――」


 看守が言葉を切る。

 私は鉄格子の向こうを見た。


 ギルベルトが、壁にもたれて座っている。

 昨日の豪奢な服ではなく、囚人服。

 だが、目だけは変わらない。冷たく、鋭い。


「やあ、監査官殿」

 ギルベルトは笑った。「わざわざ来てくれるとは」


「聞きたいことがあります」

 私は鉄格子の前に立った。


「何でも聞きたまえ」

 ギルベルトは肩をすくめた。「もう隠すものはない」


「なぜ、あっさり認めたんですか」


 ギルベルトの笑みが、一瞬だけ止まった。

 そしてすぐに、また笑う。


「証拠があったからだよ」

「嘘です」


 私は即答した。

「あなたほどの人が、あの程度の証拠で諦めるはずがない」


 ギルベルトが私を見つめる。

 長い沈黙。


「……君は、本当に賢いね」

 ギルベルトの声が、少しだけ低くなった。


「答えてください」

「答えたところで、君に何ができる」


「それは私が決めます」


 ギルベルトが立ち上がり、鉄格子に近づいた。

 彼の目が、妙に真剣だ。


「監査官殿。君は、契約魔法がどこから来たか知っているか」


 私は眉をひそめた。

「……どこから?」


「契約魔法は、この国の根幹だ。取引、婚姻、任命、誓約。全てが契約で成り立っている」

 ギルベルトは静かに言った。「だが、その契約を"管理"している者がいる」


「管理?」


「契約は、ただ結ばれるわけじゃない」

 ギルベルトが鉄格子を握る。「記録され、保管され、必要なら――書き換えられる」


 私の背筋が凍った。

「書き換える……?」


「契約魔法は万能じゃない。改竄できないと言われているが――」

 ギルベルトの声が囁きになる。「それを可能にする者がいる」


 私は息を呑んだ。

 契約魔法の改竄。

 それが可能なら――全ての証拠が意味をなさなくなる。


「誰ですか」

 私は問うた。「その"管理者"は」


 ギルベルトが薄く笑う。

「魔法院」


「魔法院……?」


「この国の契約魔法を統括する機関だ」

 ギルベルトは壁にもたれた。「表向きは、契約の記録と保管を行う学術機関。だが実際は――」


「実際は?」


「契約魔法の"原本"を握っている」

 ギルベルトの目が光る。「全ての契約は、魔法院に写しが送られる。そして、魔法院の長老だけが――原本に触れられる」


 私は拳を握りしめた。

 原本。

 契約の原本を握っている者がいるなら、それこそが真の権力者だ。


「あなたは、その長老に操られていたんですか」


 ギルベルトが笑った。

 だが今度の笑みは、苦い。


「操られていた? 違うな」

 彼は首を振った。「私は、利用されていただけだ」


「利用?」


「私が不正を働けば、長老にとって都合がいい」

 ギルベルトは淡々と言った。「私が断罪されれば、王宮は混乱する。混乱すれば――」


「魔法院の権力が増す」

 私は理解した。


「その通り」

 ギルベルトが頷く。「私は、最初から捨て駒だった」


 私はギルベルトを見つめた。

 この男は、自分が利用されていたことに気づいていた。

 それでも、抵抗しなかった。


「なぜ、戦わなかったんですか」


「戦っても無駄だからだ」

 ギルベルトの声が疲れている。「長老は、契約の原本を握っている。私がどんな証拠を出しても、書き換えられる」


「でも――」


「監査官殿」

 ギルベルトが私を見た。「君の【契約監査】は、改竄を見抜けるか」


 私は黙った。

 分からない。

 原本を書き換えられたら、私の能力で見抜けるのか。


「君なら、できるかもしれない」

 ギルベルトが静かに言った。「私には無理だった。だが、君は――違う」


「どういう意味ですか」


「君の能力は、契約の"真実"を読む」

 ギルベルトの目が真剣だ。「改竄された契約でも、元の真実は残っている。それを読めるのは――君だけだ」


 私は息を吐いた。

 ギルベルトは、私に希望を託している。

 自分を断罪した相手に。


「……長老の名前は」


「知らない」

 ギルベルトは首を振った。「私も、直接会ったことはない。全て、代理人を通じてだ」


「代理人は」


「もう消されている」

 ギルベルトの声が冷たい。「私が断罪された時点で、証拠は全て消えた」


 私は拳を握りしめた。

 また、振り出しか。


「ただ」

 ギルベルトが続けた。「一つだけ、手がかりがある」


「何ですか」


「聖女の契約記録だ」

 ギルベルトは鉄格子を指差した。「聖女は、魔法院から"祝福"を受けている。その契約に――長老の署名があるはずだ」


 私の胸が高鳴った。

 聖女の契約記録。

 それは、幽閉された聖女から直接聞くしかない。


「……ありがとうございます」

 私は頭を下げた。


「礼を言うな」

 ギルベルトは苦笑した。「私は、君に利用されているだけだ」


「利用じゃありません」

 私は真っ直ぐ彼を見た。「協力です」


 ギルベルトの目が、わずかに揺れた。

 そして、静かに言った。


「……君は、本当に面白いな」


---


 地下牢を出ると、エーヴァルトが私を待っていた。

「聞いていたか」


「ああ」

 エーヴァルトは頷いた。「魔法院の長老。契約の原本を握る者」


「信じますか」


 エーヴァルトは少し黙り――そして、言った。

「ギルベルトの言葉に、嘘はなかった」


「分かるんですか」


「長年、人を見てきた」

 エーヴァルトは私を見下ろした。「あの男は、諦めていた。本当に」


 私は頷いた。

「次は、聖女に会いに行きます」


「危険だ」

「分かってます」


「だが、行くんだろう」

「はい」


 エーヴァルトが私の手を取った。

 その手は、温かい。


「……俺も行く」


「当然です」

 私は微笑んだ。「あなたがいないと、困ります」


 エーヴァルトの目が、少しだけ柔らかくなる。

 そして、静かに言った。


「困る、か」


「はい」

 私は彼を見上げた。「あなたがいないと、私は――」


 言葉が詰まる。

 何を言おうとしたのか、自分でも分からない。


 エーヴァルトが私の頭に手を置いた。

「……無理するな」


「無理してません」


「嘘だ」

 エーヴァルトの声が、いつもより優しい。「お前は、いつも無理をする」


「無理しないと――」


「俺がいる」

 エーヴァルトが遮った。「お前が無理をしなくていいように、俺がいる」


 私は息を止めた。

 彼の言葉が、胸の奥に染みる。


「エーヴァルト……」


「俺は、お前の護衛だ」

 エーヴァルトは私の目を見た。「だが――それだけじゃない」


 私の心臓が、どくんと跳ねた。

「それだけじゃない、とは……」


 エーヴァルトが黙る。

 長い沈黙。


 そして――彼は手を離した。


「……今は、言わない」


「え?」


「お前が全てを終わらせた後に、言う」

 エーヴァルトは背を向けた。「だから――生き延びろ」


 私は彼の背中を見つめた。

 大きな背中。

 いつも私を守ってくれる背中。


「……分かりました」

 私は小さく言った。「必ず、終わらせます」


 エーヴァルトは振り返らずに、頷いた。


---


 その夜、私は自室で考えていた。

 魔法院。契約の原本。長老。


 全ての糸が、そこに繋がっている。

 聖女も、ギルベルトも、王太子も――全員が、その糸に操られていた可能性がある。


(聖女の契約記録を見れば、手がかりが掴める)


 私は明日の計画を立てた。

 聖女は今、神殿の奥で幽閉されている。

 会うには、神殿長の許可が必要だ。


 扉がノックされた。

「入っていいか」


 エーヴァルトの声。

「どうぞ」


 扉が開き、エーヴァルトが入ってきた。

 その手に、書類の束を持っている。


「これは」

「神殿長からの許可証だ」


 私は目を見開いた。

「……もう取ってくれたんですか」


「明日、動くつもりだろう」

 エーヴァルトは書類を机に置いた。「先に手配した」


 私は彼を見上げた。

 いつも、私の一歩先を読んでくれる。


「……ありがとうございます」


「礼はいらない」

 エーヴァルトは椅子に座った。「俺の仕事だ」


「仕事……」

 私は小さく笑った。「そうですね」


 エーヴァルトが私を見る。

「何がおかしい」


「いえ」

 私は首を振った。「あなたは、いつも『仕事だ』と言いますね」


「事実だ」


「でも」

 私は彼を見つめた。「仕事以上のことを、してくれている気がします」


 エーヴァルトが黙る。

 その目が、わずかに揺れた。


「……勘違いするな」


「勘違いですか」


「俺は、護衛だ」

 エーヴァルトは立ち上がった。「それ以上でも、以下でもない」


「そうですか」

 私は微笑んだ。「なら、護衛として聞きます」


「何だ」


「三十日が終わったら、あなたはどうするんですか」


 エーヴァルトが足を止めた。

 振り返らない。


「……お前次第だ」


「私次第?」


「お前が、どこへ行くか」

 エーヴァルトの声が低い。「俺は、ついていく」


 私の胸が、熱くなった。

「ついていく……?」


「護衛だからな」

 エーヴァルトは扉を開けた。「それだけだ」


 そして、出ていった。


 私は閉まった扉を見つめた。

 彼の言葉が、頭の中で繰り返される。


『俺は、ついていく』

『お前次第だ』


 それは、護衛の言葉じゃない。

 私には、分かる。


(……エーヴァルト)


 私は小さく息を吐いた。

 今は、考えている場合じゃない。

 まず、全てを終わらせなければ。


 でも――終わった後は。

 彼に、ちゃんと答えを出そう。


---


 翌朝、私は神殿へ向かった。

 エーヴァルトが隣にいる。いつも通り、黙って。


 神殿の門は重く、冷たい。

 聖女が断罪されてから、参拝者は激減している。


 神殿長が私たちを出迎えた。

「監査官殿。許可証は確認しました」


「聖女に会わせてください」


「……分かりました」

 神殿長は案内を始めた。「ただし、長くは話せません」


「構いません」


 神殿の奥、幽閉室。

 扉が開くと、聖女が座っていた。


 以前の白い衣ではない。質素な灰色の服。

 だが、目だけは変わらない。憎悪に満ちている。


「……また来たの」

 聖女が私を睨んだ。「今度は何を暴きに来たの」


「聞きたいことがあります」

 私は彼女の前に立った。「魔法院について」


 聖女の目が、一瞬だけ揺れた。

 すぐに、元の憎悪に戻る。


「知らないわ」


「嘘です」

 私は静かに言った。「あなたは、魔法院から"祝福"を受けている」


 聖女の顔が強張る。


「その契約に、長老の署名があるはずです」

 私は続けた。「教えてください。長老は、誰ですか」


 聖女が笑った。

 乾いた、虚ろな笑い。


「……知ってどうするの」

「断罪します」


「無駄よ」

 聖女は首を振った。「あの人には、誰も勝てない」


「なぜ」


「契約の原本を握っているから」

 聖女の声が震える。「全ての契約。全ての秘密。全てが、あの人の手の中にある」


 私は拳を握りしめた。

「それでも、聞かせてください」


 聖女が私を見る。

 長い沈黙。


 そして――彼女は口を開いた。


「……名前は知らない。でも、一度だけ会ったことがある」


「どんな人でしたか」


「老人よ。白い髭。穏やかな顔」

 聖女の声が小さくなる。「でも、目だけは――」


「目は?」


「冷たかった」

 聖女が震えた。「全てを見透かすような、冷たい目」


 私は胸の奥に、その情報を刻んだ。

 白い髭の老人。穏やかな顔。冷たい目。


「もう一つ」

 私は聞いた。「長老は、何を望んでいるんですか」


 聖女が笑った。

 今度は、悲しげな笑い。


「支配よ」

「支配?」


「契約魔法を使って、この国を支配すること」

 聖女は囁いた。「王も、貴族も、民も――全てを、契約で縛る」


 私の背筋が凍った。

 契約魔法による、完全な支配。

 それが、真の黒幕の目的。


「……ありがとうございます」

 私は頭を下げた。


「感謝しないで」

 聖女は視線を逸らした。「私は、あなたに利用されているだけ」


「利用じゃありません」

 私は言った。「協力です」


 聖女が私を見る。

 その目に、わずかな驚きがあった。


「……あなた、本当に変わってるわね」


 私は微笑んだ。

「よく言われます」


---


 神殿を出ると、空は曇っていた。

 エーヴァルトが私の隣を歩く。


「魔法院の長老」

 エーヴァルトが言った。「次の標的か」


「はい」

 私は頷いた。「でも、まだ情報が足りません」


「どうする」


「魔法院に行きます」

 私は静かに言った。「直接、調べに」


 エーヴァルトが私を見る。

「……危険だ」


「分かってます」


「聖女やギルベルトとは、次元が違う」

 エーヴァルトの声が低い。「契約の原本を握っている相手だ」


「それでも、やります」

 私は彼を見上げた。「残り九日。全てを終わらせます」


 エーヴァルトが私の手を取った。

 強く、握りしめる。


「……俺も行く」


「当然です」


「だが、約束しろ」

 エーヴァルトは私の目を見た。「死ぬな」


 私は頷いた。

「約束します」


 エーヴァルトの手が、少しだけ震えた。

 そして、静かに言った。


「お前がいないと、俺は――」


 彼は言葉を切った。

 言えないのか、言いたくないのか。


 私は彼の手を握り返した。

「分かってます」


 エーヴァルトが私を見る。

「……分かっているのか」


「はい」

 私は微笑んだ。「だから、死にません」


 エーヴァルトの目が、わずかに柔らかくなった。

 そして――初めて、彼が笑った。

 小さく、静かに。


「……お前には敵わない」


 その笑顔が、私の胸に刻まれた。


---


 王宮に戻ると、私の机に新しい封筒が置かれていた。

 黒い蝋。見覚えのない印。


 私は封筒を開けた。

 中には、一枚の紙。


『監査官リディア・アルベール殿。

 あなたの働きぶりを、興味深く拝見しております。

 近日中に、お会いしたいと存じます。

 ――魔法院より』


 私は紙を握りしめた。

 向こうから、接触してきた。


 エーヴァルトが紙を覗き込む。

「……罠か」


「分かりません」

 私は静かに言った。「でも――好都合です」


「好都合?」


「こちらから行くつもりでした」

 私は微笑んだ。「向こうが招いてくれるなら、手間が省けます」


 エーヴァルトが私を見る。

 その目に、複雑な光がある。


「……お前は、本当に怖いもの知らずだな」


「怖くないわけじゃありません」

 私は彼を見上げた。「でも、あなたがいますから」


 エーヴァルトの手が、私の肩に置かれた。

「……分かった。行こう」


「はい」


 私は窓の外を見た。

 曇り空の向こうに、魔法院の塔が見える。


 真の黒幕が、そこにいる。

 全ての糸を握る者が。


(必ず、暴いてみせる)


 私は静かに決意した。

 そして――エーヴァルトの手の温もりを、感じていた。


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