第17話 王に謁見する
聖女の断罪から三日。
王都は静かだった。静かすぎた。
神殿の前に集まっていた民衆は散り、祈りの声は途絶えた。
代わりに、王宮の廊下には囁きが満ちている。
「監査官が、また動くらしい」
「次は誰が狙われるのか」
「恐ろしい女だ」
私は廊下を歩きながら、その囁きを聞いていた。
貴族たちは私を見ると、露骨に顔を逸らす。
令嬢たちは距離を取る。
エーヴァルトが私の隣を歩いている。
彼の存在だけが、この冷たい空気の中で唯一の温度だ。
「気にするな」
エーヴァルトが低く言う。
「気にしてません」
私は即答した。
「嘘だ」
彼は短く言った。「お前の足取りが重い」
私は足を止めた。
確かに、少しだけ疲れている。
「……少しだけ、重いです」
私は小さく認めた。
エーヴァルトが私の肩に手を置く。
「無理するな」
「無理しないと、潰されます」
「なら、俺が支える」
その手は、温かい。
私は小さく頷いた。
「……ありがとう」
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王の謁見室は、王宮の中枢にある。
厳重な警備。二重の扉。そして――王太子の妨害。
謁見室の前で、王太子の側近が立ち塞がった。
「監査官殿。陛下は体調を崩されている。謁見は延期だ」
「昨日も同じことを言われました」
私は静かに言った。「一昨日も」
「陛下の体調は――」
「嘘です」
私は【契約監査】を起動し、側近の周囲の契約糸を読む。
糸は薄く、短い。使い捨ての口封じ契約。
(口封じ契約あり、対価は金貨五枚、契約者は王太子側近)
「あなた、口止めされてますね」
私が言うと、側近の顔が引き攣る。
「な、何を――」
「契約記録に残ってます。王太子殿下から金貨をもらって、陛下への取り次ぎを妨害している」
側近が後ずさる。
エーヴァルトが一歩前に出た。
「邪魔をするなら、拘束する」
氷の声。
側近は震えながら、扉を開けた。
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謁見室に入ると、王が玉座に座っていた。
白髪。深い皺。疲れた目。
だが――目は鋭い。
この人は、まだ衰えていない。
「監査官リディア・アルベール。参上しました」
私は深く一礼した。
王は私を見下ろし、静かに言った。
「……よく来た。息子の妨害を、よく突破したね」
「陛下もご存知だったのですか」
「当然だ」
王は椅子に深く座り直した。
「私は老いたが、盲目ではない。息子が何をしているか、全て見ている」
私は息を呑んだ。
「なら、なぜ――」
「止めなかったのか、と聞きたいのだろう」
王は悲しげに微笑んだ。「止められなかったのだ」
王は立ち上がり、窓へ向かった。
「息子は愚かだが、悪人ではない。ただ――利用されやすい」
「誰に利用されているのですか」
「それを、お前に暴いてほしい」
王は私を振り返った。
「王太子府への立ち入り調査を許可する」
私の胸が高鳴った。
ついに、王太子府へ踏み込める。
王が机の引き出しから、一枚の紙を取り出した。
王の印が押された令状だ。
「これで、王太子府に入れる。ただし――」
王の声が低くなる。「息子を、できれば救ってやってほしい」
私は王を見た。
老いた王。疲れた父。
「……真相を明らかにします」
私は頷いた。「王太子殿下が本当に黒幕なのか、それとも利用されているのか。全て、証拠で示します」
王が令状を渡す。
私は両手で受け取った。
「頼んだ」
王の声が震えた。「この国を――頼む」
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謁見室を出ると、廊下に王太子が立っていた。
側近を数人従え、私を睨んでいる。
「監査官。父上に何を吹き込んだ」
王太子の声は冷たい。
「何も」
私は即答した。「陛下が、私に命じられました」
「命じた? 何を」
「王太子府への立ち入り調査です」
私は令状を掲げた。
王太子の顔が歪む。
「……そんなものは無効だ!」
「王命です。無効にはできません」
王太子が一歩近づく。
エーヴァルトが私の前に立った。
「これ以上近づくな」
氷の声。
王太子が睨む。
「団長、お前は王太子に剣を向けるのか」
「監査官の護衛は、王命だ」
エーヴァルトは淡々と言った。「王命に従う」
王太子の手が震える。
そして――諦めたように、肩を落とした。
「……好きにしろ」
王太子は背を向ける。「だが、何も出てこないぞ」
「出てこなければ、それでいい」
私は静かに言った。「真実が知りたいだけです」
王太子が立ち止まる。
振り返らずに、呟いた。
「……お前は、本当に容赦がないな」
そして、去っていった。
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廊下を歩きながら、エーヴァルトが言った。
「王太子は、何かを隠している」
「ええ」
私は頷いた。「でも、隠しているのは"不正"とは限りません」
「どういう意味だ」
「もしかしたら――弱みかもしれない」
エーヴァルトが眉をひそめる。
「弱み?」
「誰かに握られている弱み」
私は令状を見つめた。「それを隠すために、必死に抵抗しているのかもしれません」
エーヴァルトが黙る。
そして、低く言った。
「……お前は、優しいな」
「優しくありません」
私は首を振った。「ただ、真実が知りたいだけです」
エーヴァルトが私の手を取った。
「なら、俺も真実を見る」
その手は、離さない。
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その夜、私の部屋にエーヴァルトが来た。
いつもより早い時間。
「明日から、王太子府に入る」
エーヴァルトが言った。
「はい」
「危険だ」
「分かってます」
私は頷いた。「でも、やらないと終わりません」
エーヴァルトが私の肩に手を置く。
「……お前は、三十日で終わらせると言った」
「はい」
「残りは?」
私は指折り数えた。
「……十五日」
「半分か」
エーヴァルトが小さく笑った。「本当に、手早く片付けるつもりだな」
「当たり前です」
私は微笑んだ。「無駄な時間はかけたくないので」
エーヴァルトの目が、少しだけ揺れた。
そして、静かに言った。
「……終わったら、どうする」
「え?」
「三十日が終わったら。お前は、どこへ行く」
私は一瞬だけ、言葉に詰まった。
考えていなかった。
終わった後のことを。
「……分かりません」
私は正直に答えた。「まだ、考えてません」
エーヴァルトが私の手を取る。
「なら、俺と一緒にいろ」
私の胸が、どくんと跳ねた。
顔が熱くなる。
「……それは」
「職務じゃない」
エーヴァルトは私の目を見た。
「俺の、個人的な願いだ」
私は息を止めた。
初めて、彼が本音を言った。
「エーヴァルト……」
「答えは、三十日後でいい」
彼は私の頭にそっと手を置いた。
「今は、生き延びることだけ考えろ」
私は頷いた。
言葉が出ない。
エーヴァルトは立ち上がり、扉へ向かう。
そして振り返らずに、言った。
「……お前を失うのが、怖い」
その声は、いつもより低く――そして、温かかった。
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翌朝、私は王太子府の正門に立っていた。
エーヴァルトが隣にいる。
宰相府の書記官も同行している。
正門の守衛が、令状を確認する。
「……確かに、王命ですね」
守衛は渋々、門を開けた。
王太子府の中は、静まり返っていた。
側近たちが廊下に立ち並び、私を睨んでいる。
だが、誰も妨害しない。
できない。王命があるから。
私は執務室へ向かった。
扉を開けると、書類が山積みになっている。
私は【契約監査】を起動し、書類に染みついた契約糸を読む。
糸は複雑に絡み合い、一部は黒く歪んでいる。
(……ここに、真実が眠っている)
私は机に向かい、一枚ずつ書類を開いた。
エーヴァルトが扉の前に立ち、誰も入れないように見張っている。
最初の一時間で、十数枚の契約書を調べた。
どれも表向きは正常。だが――
私は一枚の契約書で、手を止めた。
表題は「神殿への寄付金」。
だが契約糸が、妙に太い。
私は【契約監査】で要点を読む。
胸の奥に、冷たい情報が流れ込んだ。
(寄付金契約、表向きは神殿へ、実際の受領者は――宰相補佐ギルベルト)
背筋が凍る。
王太子府の寄付金が、ギルベルトに流れている。
「……見つけた」
私は呟いた。
エーヴァルトが振り返る。
「何を」
「王太子府と宰相府を繋ぐ糸です」
私は契約書を掲げた。「これで、王太子が"利用されていた"証拠が出せるかもしれません」
エーヴァルトの目が鋭くなる。
「……本当の黒幕は」
「宰相補佐ギルベルト」
私は静かに言った。「全ての糸が、彼に繋がっています」
その瞬間、執務室の扉が開いた。
入ってきたのは――ギルベルト本人だった。
「やあ、監査官殿」
ギルベルトは笑っている。「面白いものを見つけたようだね」
私は契約書を握りしめた。
エーヴァルトが剣に手を置く。
ギルベルトは両手を上げた。
「落ち着きたまえ。私は敵じゃない」
「嘘です」
私は即答した。「あなたが、全ての黒幕です」
ギルベルトの笑みが、少しだけ深くなった。
「……賢いね。だが、証拠はあるかい?」
「あります」
私は契約書を見せた。「これが証拠です」
ギルベルトは契約書を一瞥し、肩をすくめた。
「それだけでは足りない」
「なら、もっと探します」
「無駄だよ」
ギルベルトは窓辺へ歩いた。
「私は、全ての痕跡を消している」
「契約は消せません」
「消せないが――隠せる」
ギルベルトが振り返る。
「監査官殿。君は優秀だ。だが――まだ甘い」
私は黙って彼を見た。
ギルベルトは続ける。
「君が持っている契約書。それは"餌"だ」
「……餌?」
「そう。君を引き寄せるための」
ギルベルトは微笑んだ。「本当の契約は、別の場所にある」
私の胸が冷える。
罠だ。
「では――」
「ここに来たことが、君の失策だ」
ギルベルトが手を上げた。
次の瞬間、執務室の扉が閉まり、鍵がかかる音がした。
エーヴァルトが剣を抜く。
「……罠か」
「ご名答」
ギルベルトは笑った。「監査官殿。君を、ここで消す」
私は【契約監査】を起動し、室内の契約糸を読んだ。
糸は複雑に絡み合い、全て――ギルベルトに繋がっている。
(結界契約あり、目的は監査官の拘束、契約者は宰相補佐ギルベルト)
私は静かに言った。
「……あなた、最初から私を殺すつもりでしたね」
「殺す? いや、違う」
ギルベルトは首を振った。「君を"無力化"するだけだ」
彼が指を鳴らした。
室内の空気が、急に重くなる。
結界が起動したのだ。
私は息が苦しくなるのを感じた。
エーヴァルトが私を庇うように前に立つ。
「……逃げるぞ」
「逃げられません」
「なら、戦う」
エーヴァルトが剣を構える。
ギルベルトは笑った。
「団長、君も巻き込まれたくないだろう?」
「巻き込まれる」
エーヴァルトは即答した。「それが俺の選択だ」
ギルベルトの笑みが消えた。
「……愚かだな」
「愚かでも、守る」
エーヴァルトは私を見た。「お前を失うくらいなら、何でも捨てる」
私の胸が、どくんと跳ねた。
この人は――本気だ。
「エーヴァルト……」
「黙っていろ」
彼は剣を振り上げ、扉に斬りかかった。
だが結界が剣を弾く。
ギルベルトが嘆息する。
「無駄だよ。この結界は、王宮最強の魔法で作られている」
「なら、壊すまでだ」
エーヴァルトは再び斬りかかる。
私は【契約監査】で結界契約を読んだ。
契約には、必ず弱点がある。
(結界契約、維持条件は契約者の意思、解除条件は――契約者の署名抹消)
私は息を呑んだ。
契約者の署名を消せば、結界は消える。
「ギルベルト様」
私は静かに言った。「あなたの署名、消させてもらいます」
「どうやって?」
ギルベルトは笑う。
私は懐から、聖女の断罪で使った契約札を取り出した。
この札には、契約抹消の条項が残っている。
「これで」
私は札を掲げた。「契約抹消を発動します」
ギルベルトの顔色が変わる。
「ま、待て! それは――」
「遅い」
私は札を床に叩きつけた。
札が光り、結界契約の糸が一斉に震えた。
そして――消えた。
結界が解ける。
空気が戻る。
エーヴァルトが扉を蹴破った。
「逃げるぞ!」
私は彼の手を取り、執務室を飛び出した。
廊下を走る。
背後で、ギルベルトの怒号が響く。
「逃がすな! 監査官を捕まえろ!」
王太子府の兵が廊下に溢れてくる。
エーヴァルトが剣を振るい、道を開く。
私たちは正門まで走り、外へ飛び出した。
そこには――宰相府の兵が待ち構えていた。
「……囲まれた」
私が呟くと、エーヴァルトが私を背後に庇った。
「全員、相手にする」
彼の声は、いつもより低い。
そのとき。
宰相府の兵の後ろから、馬車が現れた。
馬車の扉が開き、中から声がした。
「監査官殿、お乗りなさい!」
声の主は――王だった。
私とエーヴァルトは顔を見合わせ、馬車に飛び乗った。
馬車は走り出す。
王が私を見た。
「……無事か」
「はい」
私は息を整えた。「陛下、どうして――」
「ギルベルトが動くと予想していた」
王は静かに言った。「だから、見張っていた」
私は王を見た。
この人は――全てを知っていた。
「陛下……」
「監査官殿。真の黒幕は、ギルベルトだ」
王の声が震える。
「彼を、止めてくれ」
私は頷いた。
「必ず」
馬車は王宮へ向かって走り続けた。
そして私は、静かに決意した。




