第16話 勝利の代償
王太子からの警告状が届いてから、三日が経った。
私は王太子府への調査を開始したが――壁は、想像以上に厚かった。
「王太子殿下の側近、全員が口を割りません」
宰相府の書記官が報告する。「聖女が名前を挙げた者たちも、沈黙を貫いています」
「契約記録は?」
「側近たちは、全て"代理人"を使って契約を結んでいます。本人の署名が見つかりません」
私は机を叩いた。
代理人契約。便利な逃げ道だ。
契約魔法は署名者を縛るが、代理人が署名すれば本人は自由になる。
「では、代理人を調べます」
「すでに逃亡しています」
私は息を吐いた。
王太子府は、聖女が落ちる前に証拠を消していた。
「……やるわね」
私は呟く。
エーヴァルトが壁際から言った。
「王太子府は、聖女より賢い」
「賢いというより、狡猾です」
私は立ち上がる。「なら、別の角度から攻めます」
「どうする」
「王太子本人の契約記録を見ます」
書記官が顔を上げた。
「それは――王命がなければ」
「だから、王に会いに行きます」
私は即答した。「今日、今すぐ」
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王の私室は、王宮の最奥にある。
私とエーヴァルトは、長い廊下を歩いた。
途中、貴族たちとすれ違う。
彼らは私を見ると、露骨に顔をしかめる。
「……聖女様を断罪した女だ」
「恐ろしい。次は誰が狙われるのか」
「追放されるべきは、あの女のほうだ」
囁き声は、わざと聞こえるように言われている。
私は足を止めなかった。
エーヴァルトが低く言った。
「気にするな」
「気にしてません」
私は即答した。
「嘘だ」
エーヴァルトは短く言った。「お前の手が震えてる」
私は自分の手を見た。
確かに、わずかに震えている。
「……少しだけ、疲れました」
私は小さく言った。
エーヴァルトが私の手を取った。
その手は温かい。
「無理するな」
「無理しないと、潰されます」
「なら、俺が支える」
エーヴァルトの声が、いつもより優しい。
私は彼を見上げた。
「……ありがとう」
エーヴァルトは何も言わず、ただ私の手を握ったまま歩いた。
その手は、離さない。
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王の私室の前で、侍従が立ち塞がった。
「王太子殿下が、お待ちです」
私は眉をひそめた。
「王ではなく?」
「はい。王太子殿下が、監査官殿との面会を希望されています」
罠だ。
王に会わせず、王太子が先に潰しに来た。
私はエーヴァルトを見た。
彼は短く頷く。
「……分かりました。会います」
扉が開き、私たちは中に入った。
王太子が窓際に立っている。
「よく来たね、監査官」
王太子は振り返った。「君と、少し話がしたい」
「私もです」
私は即答した。「殿下の側近について」
「ああ、彼らのことか」
王太子は肩をすくめた。「残念だが、私は何も知らない」
「知らないはずがありません」
私は一歩前へ出た。「聖女が名前を挙げました」
「聖女は嘘をついた」
王太子は冷たく言った。「彼女は追い詰められて、デタラメを口にしただけだ」
「契約記録があります」
「ない」
王太子は即答した。
「私は調べさせた。側近たちに不正の痕跡はない」
「代理人を使えば、痕跡は消せます」
「それは憶測だ」
王太子が一歩近づく。
「監査官。君は聖女を落とした。それは認めよう。
だが――君は調子に乗りすぎた」
私は動じなかった。
「調子に乗っているのは、殿下です」
王太子の目が鋭くなる。
「……何?」
「殿下は、聖女の不正を知っていました」
私は静かに言った。「そして見逃した。なぜなら――殿下も利益を得ていたから」
「証拠は?」
「これから探します」
王太子が笑った。
「探しても無駄だ。私は何もしていない」
「なら、契約魔法で誓ってください」
私は即座に言った。「『私は聖女の不正に関与していない』と」
王太子の笑みが消えた。
沈黙が落ちる。
エーヴァルトが一歩前に出た。
「……誓えないのか」
「黙れ、団長」
王太子が睨む。「これは王家の問題だ」
「王家の問題なら、王に判断を仰ぐべきです」
私は言った。「私は王に会いに来ました」
王太子が机を叩いた。
「父上には会わせない!」
「なぜ?」
「……」
王太子が黙る。
黙った時点で、答えは出ている。
「殿下は、王に知られたくないことがあるんですね」
私は微笑んだ。「なら、私が王に伝えます」
王太子が私の腕を掴んだ。
次の瞬間、エーヴァルトの剣が鞘から抜かれる音がした。
「……手を離せ」
氷の声。
王太子が私の腕を離す。
エーヴァルトが私の前に立ち、王太子を睨んだ。
「監査官に触れるな」
「団長、お前は王太子に剣を向けるのか」
「監査官の護衛は、王命だ」
エーヴァルトは淡々と言った。「王命に従う」
王太子の顔が歪む。
そのとき、奥の扉が開いた。
白髪の老人が現れる。
王だった。
「……息子よ。もう、やめなさい」
王の声は悲しげだった。
王太子が振り返る。
「父上!」
「お前の不正は、全て知っている」
王は静かに言った。「監査官を、通しなさい」
王太子の顔が蒼白になる。
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王の執務室で、私は一礼した。
「陛下。お目にかかれて光栄です」
「監査官殿。よく来てくれた」
王は疲れた顔で微笑んだ。「息子が、迷惑をかけたようだね」
「いいえ。職務ですから」
私は即答した。
王は椅子に座り、長くため息をついた。
「実は――私も、息子の不正を疑っていた」
私は息を呑む。
「だが、証拠がなかった。王太子府は私の管轄外だ。
踏み込めば、王家が割れる」
王は私を見た。
「だから、君に任せたい」
「……私に?」
「ああ」
王は頷いた。「王太子府への立ち入り調査を、許可する」
私の胸が高鳴った。
これで、王太子を落とせる。
「ただし」
王が続けた。「条件がある」
「何でしょう」
「息子を――できれば、救ってやってほしい」
王の声が震えた。「彼は愚かだが、悪人ではない。利用されただけかもしれない」
私は王を見た。
老いた王。疲れた父。
「……分かりました」
私は頷いた。「真相を、必ず明らかにします」
王が立ち上がり、私に令状を渡した。
「これで、王太子府に入れる。頼んだよ」
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執務室を出ると、エーヴァルトが待っていた。
「取れたか」
「はい」
私は令状を掲げた。「王太子府への立ち入り許可」
エーヴァルトが小さく笑った。
「……やるな」
「やるしかありません」
私は歩き出す。
廊下を歩いていると、また貴族たちとすれ違う。
今度は、誰も囁かない。
ただ――恐れた目で、私を見る。
私は気づいた。
私は勝っている。
でも――孤立している。
エーヴァルトが私の手を取った。
「……疲れたか」
「はい」
私は正直に答えた。
「なら、今日は休め」
「でも――」
「明日から、王太子府に入る」
エーヴァルトは静かに言った。「今日くらい、休め」
私は彼を見上げた。
氷の騎士団長。
でも今、彼は――優しい。
「……分かりました」
私は小さく笑った。「今日は、休みます」
エーヴァルトの手が、わずかに強くなる。
そして、静かに言った。
「お前は、一人じゃない」
その言葉が、胸の奥に染みた。
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その夜、私はエーヴァルトの部屋で休んだ。
彼は扉の前に座り、一睡もせずに見張っている。
私はベッドの端に座り、窓の外を見た。
月が細い。夜は深い。
「……エーヴァルト」
「何だ」
「私、本当に正しいことをしているんでしょうか」
私は呟いた。
エーヴァルトが振り返る。
「お前らしくない」
「少し、弱気になってます」
私は苦笑した。「聖女を落としたら、みんなが私を恐れるようになりました」
エーヴァルトが立ち上がり、私の隣に座った。
「恐れられても、正しいことは正しい」
「でも、孤立してます」
「俺がいる」
エーヴァルトは即答した。
「お前が孤立しても、俺は離れない」
私は彼を見た。
氷の騎士団長。
でも今、彼の目は――熱い。
「……どうして、そこまで?」
私が聞くと、エーヴァルトは少しだけ黙った。
そして、静かに言った。
「お前を失うのが、怖いからだ」
私の胸が、どくんと跳ねた。
顔が熱くなる。
「……それは」
「職務じゃない」
エーヴァルトは私の目を見た。
「俺の、個人的な気持ちだ」
私は息を止めた。
初めて、彼が本音を吐いた。
「エーヴァルト……」
「答えはいらない」
彼は私の頭にそっと手を置いた。
「今は、休め」
私は頷いた。
言葉が出ない。
エーヴァルトは立ち上がり、また扉の前に座る。
私は彼の背中を見ながら、静かに思った。
(この人は、もう職務で守ってない)
(私を、個人として――)
胸の奥が、温かくなった。
翌朝、私は少しだけ元気になっていた。
エーヴァルトの言葉が、支えになっていた。
私が起きると、エーヴァルトはもう扉の前に座っていた。
一睡もしていない。
「……寝てないんですか」
「寝た」
「嘘です」
エーヴァルトが小さく笑った。
「……バレたか」
私は彼の隣に座った。
「今夜は、交代で寝ましょう」
「お前は寝ろ」
「嫌です」
「命令だ」
「却下します」
エーヴァルトがため息をついた。
「……頑固だな」
「監査官ですから」
私は微笑んだ。「それに、あなたが倒れたら困ります」
「俺は倒れない」
「倒れます。人間ですから」
エーヴァルトが黙った。
そして、静かに言った。
「……分かった。交代で寝る」
私は嬉しくなった。
氷の騎士団長が、また折れた。
そのとき、扉がノックされた。
宰相府の書記官が入ってくる。
「監査官殿。王太子府から、正式な抗議文が届きました」
書記官が紙を渡す。
私は読んだ。
『監査官リディア・アルベールの王太子府への立ち入りは、王家の尊厳を傷つける行為である。
即刻、調査を中止せよ』
私は紙を破った。
「返答は不要です」
書記官が目を見開く。
「で、ですが――」
「王命があります」
私は令状を見せた。「これより上の命令はありません」
書記官が頷き、去っていった。
エーヴァルトが立ち上がった。
「行くぞ」
「どこへ?」
「王太子府だ」
エーヴァルトは剣を帯びた。
「今日から、本格的に戦いが始まる」
私は頷いた。
そして、静かに決意した。
王太子を落とす。
真相を明らかにする。
そして――三十日で、全てを終わらせる。
ここまで読んでいただいた方、長くお付き合いいただきありがとうございます。完結まで走りきるので、ブクマで追ってもらえると励みになります!




