第13話 死者は語らない――でも契約は残る
聖女侍従長が牢で死んだ。
報告を持ってきたのは宰相府の書記官だった。朝の光が差し込む監査局の部屋で、彼は淡々と紙を読み上げる。
「昨夜、聖女侍従長マリアンヌ・ド・ラヴェールが牢内で急死。死因は契約魔法の反動による心停止。検視済み」
私はペンを置いた。
「……反動?」
「ええ。彼女は尋問で虚偽の証言をしたため、契約魔法の反動を受けたと」
書記官は眼鏡を押し上げる。「よくあることです」
よくあることではない。
私は【契約監査】を起動したまま、書記官の背後の契約糸を見た。
糸は薄い。だが、わずかに震えている。
彼は嘘をついていないが――誰かの嘘を"伝えている"。
「検視記録を見せてください」
「それは宰相府の――」
「私は宰相府の監視下で監査してます。見せない理由がありますか?」
書記官が一瞬黙る。
そしてため息をつき、記録を机に置いた。
「……どうぞ」
記録を開く。
検視官の署名。死因の記載。時刻。
全て整っている。整いすぎている。
私は【契約監査】で記録に染みついた契約糸を読む。
胸の奥に、冷たい要点が流れ込んだ。
(検視契約あり、署名者は検視官、立会人は宰相補佐ギルベルト、死因確定の"指示"あり)
――指示。
検視は"調査"であって、"指示"ではない。
「この検視、おかしい」
私は記録を書記官に返した。「死因が"事前に決まってた"」
書記官の顔が強張る。
「……それは言いがかりです」
「言いがかりなら、もう一度検視してください。私が立ち会います」
「遺体はすでに――」
「火葬された?」
書記官が頷く。
私は小さく笑った。
「早いですね。普通、貴族の遺体は三日は安置します」
「……聖女侍従長は特別です」
「特別なのは、口封じが必要だったからでは?」
書記官が息を呑む。
私は立ち上がり、扉へ向かった。
「牢へ行きます。遺体が消えても、契約は残る」
---
王宮の牢は地下にある。
湿った空気。錆びた鉄格子。灯りは薄暗く、足音だけが響く。
エーヴァルトが私の前を歩いている。
彼は今朝から一言も発していない。
だが、背中が語っている。――警戒している、と。
「団長」
私が声をかけると、彼は振り返らずに答えた。
「何だ」
「侍従長の死、おかしいと思いません?」
「思う」
即答。
「なら――」
「だから俺がついてきた」
エーヴァルトは立ち止まり、私を見下ろした。
「お前が死因を調べれば、次に狙われるのはお前だ」
心臓が一拍、跳ねる。
この人は本当に、私を守ることしか考えていない。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない」
彼は短く言い、再び歩き出した。「俺の責任だ」
牢の奥、侍従長が収容されていた房の前で、看守が頭を下げた。
「監査官殿。ここです」
房の中は空だった。
寝台には血痕もなく、争った跡もない。
ただ――床に、わずかな白い粉が残っている。
私は床に膝をつき、粉に指を触れた。
そして【契約監査】を起動する。
粉に染みついた契約糸が、ほんの僅かに見えた。
糸は細い。短い。使い捨ての契約。
(毒物使用契約あり、対象は侍従長、実行者は――看守、指示者は聖女)
私は息を呑んだ。
聖女が、直接指示している。
「……これ、毒ですね」
私が言うと、看守の顔が蒼白になった。
「な、何を――」
「契約記録に残ってます。あなた、毒を盛りましたね」
看守が後ずさる。
エーヴァルトが一歩前に出た。
「逃げるな」
氷の声。
看守は床に膝をついた。
「……す、すみません! 命じられて――」
「誰に?」
私が問う。
「せ、聖女様の……使いの者が……」
看守は震えながら言った。「金貨を渡されて……契約を……」
「契約書を見せてください」
看守が懐から、小さな契約札を取り出した。
私は札を受け取り、要点を読む。
(毒物使用契約、対価は金貨十枚、秘密保持条項あり、契約者は聖女の使者――名前は"白衣の侍女")
白衣の侍女。
聖女の側近だ。
「看守、あなたは自白しました。なら刑は軽くなります」
私は札を握りしめた。「でも、この契約は証拠です。渡します」
看守が泣き崩れる。
私は立ち上がり、エーヴァルトに言った。
「聖女の使者を捕まえないと」
「分かっている」
エーヴァルトは看守を近衛に引き渡し、私の手を取った。
「今夜は、俺がお前の部屋の前にいる」
「……前?」
「壁の向こうじゃ足りない」
彼の目は真剣だった。
「侍従長が口封じされた。次はお前だ」
私は小さく笑った。
「死なないように気をつけます」
「気をつけても足りない」
エーヴァルトは私の手を離さない。「だから、俺が見張る」
---
その夜。
私の部屋の扉の前に、エーヴァルトが立っていた。
外套を羽織り、剣を腰に差したまま。
壁に背を預け、目を閉じている。
だが眠っていない。気配で分かる。
私は扉を少しだけ開け、声をかけた。
「……団長、中に入りませんか?」
「入らない」
即答。
「でも、廊下は寒いです」
「慣れている」
私はため息をついた。
「せめて椅子を――」
「いらない」
頑固だ。
だが、その頑固さが――少しだけ、嬉しい。
私は部屋に戻り、机に向かった。
今日手に入れた契約札を並べる。
侍従長の横領契約。
看守の毒物契約。
そして――聖女の使者の名。
糸は全て、聖女本人へ繋がっている。
あとは、聖女本人の契約記録を手に入れるだけ。
だが聖女は神殿にいる。
神殿は王宮の管轄外。
踏み込むには、正当な理由が要る。
(……明日、宰相に直談判しよう)
私はペンを置き、窓の外を見た。
月が細い。夜は深い。
扉の向こうで、微かに気配が動いた。
エーヴァルトが立ち位置を変えたのだ。
私は小さく呟いた。
「……ありがとう」
返事はない。
だが、気配がほんの少しだけ、柔らかくなった気がした。
---
翌朝、私は宰相府へ向かった。
エーヴァルトは無言で後ろを歩く。
昨夜から一睡もしていないはずなのに、歩幅は乱れない。
宰相補佐ギルベルトが、執務室で私を待っていた。
「監査官殿。死因調査の報告は?」
「契約の反動ではありません。毒殺です」
私は即答し、契約札を机に置いた。「聖女の使者が看守に命じました」
ギルベルトの目が細くなる。
「……証拠は?」
「この札です。契約記録に残ってます」
私は要点を読み上げた。
ギルベルトは長い沈黙の後、ため息をついた。
「……面倒なことになったね」
「面倒なのは、聖女が口封じをしたからです」
私は一歩前へ出た。「神殿への立ち入り許可をください」
「神殿は王宮の管轄外だ」
「なら、評議会を開いてください。聖女本人を呼び出します」
ギルベルトが笑った。
「……お前は本当に、容赦がないね」
「容赦する理由がありません」
私は微笑んだ。「不正は不正です」
ギルベルトは指を組み、私を見据えた。
「分かった。評議会を開く。
ただし――お前が聖女を断罪できなければ、お前が罰を受ける」
「受けます」
私は即答した。「証拠はあります」
ギルベルトの笑みが消えた。
「……本気か」
「本気です」
私は頷いた。「手早く片付けたいので」
ギルベルトは書類に署名し、私に渡した。
「三日後。評議会で聖女と対峙しろ」
私は書類を受け取り、一礼した。
そして扉を出た瞬間――背後でエーヴァルトが低く言った。
「……無茶だ」
「でも、勝てます」
「勝てても、お前が傷つく」
彼の声が、いつもより低い。
私は振り返り、彼を見上げた。
「傷ついても、あなたがいれば大丈夫です」
エーヴァルトの目が揺れた。
そして、静かに言った。
「……なら、今夜も見張る」
「今夜も?」
「ああ。お前が眠るまで」
心臓が、また跳ねた。
氷の騎士団長は、本当に――離してくれない。
そして私は、もう逃げたくない。
---
三日後の評議会。
聖女との対決が、始まる。




