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日陰の本棚  作者: invitro
【異世界恋愛】
5/23

箱入り令嬢は声のかけ方がわからない

 ―あらすじ―


 公爵家の第三女リリカ・プロミア。彼女には大きな悩みがあった。

 これは一人の内気な少女が、親バカ公爵と妹想いの姉が作り出してしまった理想の公爵令嬢という虚像に悩みながら貴族社会で奮闘する恋のはじまりの物語。


 全文約18000字


 彼女が社交界にデビューした時にはもう、致命的に手遅れだった――



 ◇



「あら、素敵なドレス。こんな鮮やかな紅、わたくし見たことがないわ。まるで女神が育てた天上の薔薇のよう……でも、蒸らし過ぎた紅茶のような貴女の髪だと、もう少し大人しい色にした方が似合うかしらね」


 かわいらしい栗毛を伸ばした少女が、目尻に光るものを溜めながら走り去る。

 真紅のドレスは少し背伸びしすぎかな、と本人も思っていたが、娘のために両親が無理をしてあつらえたものだった。

 少女についていた執事が、主を辱めた相手を静かに一睨みして後を追いかける。


「貴女、香水はどこのものを? なんて安らぐ香りなのかしら……だからアルヴ子爵はいつも快活でいらっしゃるのね。貴女のような女性が隣にいてくれたら、毎晩とてもぐっすり眠れそうだわ」


 今度は自信無さげな柔らかい瞳を携えた妙齢の女性が静かに会場から消える。

 遠くの席では、女性の夫であるアルヴ子爵が苛立たしげに唇を噛んでいる。夫婦は仲睦まじいものの、良縁を結びながらすでに5年、第一子すらも設けられず跡取りの心配をされていた。




 そんな刺のある視線を受けても平然と会場内を渡り歩く少女の名は、リリカ・プロミア。プロミア公爵家の三女である。絹のようにたなびく黄金の髪に、切れ長な鋭い目が強く印象を残す美しい少女だ。

 だが彼女――人格者でありどんなパーティーでも中心になってしまう姉の次女メアリに嫉妬の炎を燃やす陰険な女だと認識されている。

 彼女が口を開く度に、財を費やし意匠を凝らした衣裳に身を包んだ男女と、煌びやかな食器に盛られた高級料理が並ぶ豪邸のホールで一瞬のざわめきが起こる。

 しかしそう、ざわめきは一瞬だ。パーティーの参加者たちは、位の高い公爵家の令嬢を無視できない。ただリリカに絡まれないように、彼女の八つ当たりを受けないように心の中で祈りを捧げる。


 この日も、合計六人の貴族子女がリリカに泣かされたところでパーティーは幕を下ろした。



 ◇



 王族が住まう宮殿内のとある一室。


「アラミス、お姉様……わたし、またお友達できなかったぁぁ」

「あらあら」


 性格のキツイ悪女にしか見えないつり目の美少女が、ベッドに腰をかける女性に泣きついていた。姉のアラミスは膨らみかけのお腹に抱きつかれて少し苦しそうな顔を浮かべる。


「どうしたらメアリお姉さまみたいになれるのぉ」

「リリカったら、まだ泣き虫なのね」

「だってぇぇ」


 泣き言の似合わぬ少女相手でも、アラミスは慣れた手つきでリリカの頭を撫でる。

 王家に嫁いでからは血の繋がった妹とも会える機会がめっきり減ってしまった公爵家長女アラミス。

 内心では、数年ぶりに再会した妹の元気な姿を喜んでいいのか、最近の噂と違い相変わらず泣き虫な妹の姿を心配したらいいのか混乱していた。

 ちぐはぐな姉妹の様子に、同室にいた第二王子が紅茶を噴き出す。


「ミシェル、笑ったらかわいそうでしょ」

「くくっ、いやすまない。笑ったのは妹君ではなく君のことだよ。珍しく困った顔をしているから」

「私なら笑っていいわけじゃないわよ」


 さらに大きな笑い声が上がる。ようやく耳に男の声が入ったのか、それまで第二王子が部屋にいることすら気づいていなかったリリカはパッと顔を持ち上げた。

 涙を拭い第二王子ミシェルと向き合う。公爵家の令嬢らしく、まっすぐに伸びた背筋をしなりと曲げてお辞儀をする。


「大変失礼致しました、ミシェル王子」

「リリカ嬢、綺麗になったね。それと昔のようにお義兄(にい)ちゃんで構わないよ」

「あの、それは流石に恥ずかしいので遠慮させてください……」


 王子という相手の立場を理解していなかった幼い頃の話を持ち出され、リリカは頬を赤く染めた。からかった側のミシェルは再び大きな笑い声を上げる。かわいい妹をいじめられてアラミスが旦那様に怖い顔を向けると、ミシェルは両手を上げて軽く謝罪を示した。

 だが、ミシェルも意味もなくリリカをからかったわけではない。今回リリカが宮殿に呼び出された理由に関係している。



 リリカが宮殿に召喚された理由――それは社交界で毎回繰り返される暴言に、貴族令嬢たちの親から王妃に苦情が流れたことが発端である。

 いきなり王妃から公爵家の娘に話をすると大事になりすぎるため、姉であるアラミスが先に事情を聞く、という形で今回姉妹の再会がなされた。

 ただ、やはり妹の気弱な性格をよく知るアラミスは、強く言いにくいといった態度を見せたため、代わりにミシェルが理由を話す。


「僕としては、いつもぬいぐるみを抱えてアラミスの後ろに隠れていた君を知っているからね……人が簡単に豹変するとも思えなかったし、だから君の素の顔が見たかったんだ」

「……いいえ、その噂は間違いではありません」

「おや、そうなのかい?」


 度重なる失言に自覚のあるリリカが目を細めてうつむく。

 本来リリカは公爵家という大貴族には似つかわしくない優しい性格の少女である。人付き合いは大の苦手。華やかな貴族たちに囲まれては、すぐに緊張してしまう見知りでもあった。


 そこで彼女の将来を憂いて余計な手出しをしたのが、父プロミア公爵と姉メアリである。

 プロミア公爵は、家督を継ぐまで将軍職に就いていた。勝気で家柄を尊重する荒男であり、姉メアリもそんな父親の血を色濃く継いでいる。

 彼らは幼い頃の内気なリリカを見て、『このままではリリカの将来が不安だ』、『リリカは公爵家に相応しい強い女に育てなければならない』と人格矯正を試みたのだ。


 結果は、見ての通り。

 人付き合いの苦手な箱入り娘の出来上がり。



 リリカは二人の教育により、人の弱みを一目で見抜く能力は身につけられた。

 だが、肝心のアガリ症だけは治らなかった。

 おかげで友人を作ろうと誰かに声をかけては、テンパって気づいたこと、人が心の内に秘めた悩み弱みをそのまま声に出してしまう。本人が望まなくても反射的に人の心の傷をえぐる行為をやめられない困った性格になってしまった。

 失意や不安を感じ取り、悪意なく触れる。それも公爵や姉メアリが叩き込んだ各家の事情を汲んだ鋭い言葉の選択で。彼女の口から出る言葉は、全て嫌味か脅迫じみた言葉に変換されてしまうのだ。


 行動は恋の物語や貴族子女の噂に出てくるような悪女そのものだが、相手を傷つけたリリカ本人も傷ついている。家の付き合いに参加すれば、公爵家の令嬢として悪役を演じるしか出来ない哀れな少女だった。

 消沈した様子で自分の問題を語るリリカを見て、二人は頭を抱えた。



「ああもう、お父様もメアリも余計なことを」

「人の弱みに聡い……なるほどねぇ、確かに貴族には有用な能力だ」


 話を聞いたアラミスとミシェルは、記憶の中にいるプロミア公爵とメアリが、今のリリカを見て満足そうにしている姿を思い浮かべた。


 実際その二人は、社交界で悪名を轟かすリリカに、歴代公爵家で最も優れた淑女に育ったと評価している。

 言葉の刃で下位貴族の娘に互いの立ち位置を理解させる才能――素晴らしいの一言に尽きる。仮にもそれなりの教育を受けてきた貴族令嬢を冷笑だけで怯えさせるなど、これが自分達の教育の賜物かと感動に言葉を失うほどである。

 自領の貴族が他家貴族よりも強く不遜でなければ、民は安心して生活を委ねられない。弱者に貴族を名乗る資格はない。それがプロミア家の価値観だ。

 どこにも本物の悪女なんていない。ただ噛み合わない残念な家族愛と貴族の価値観が、心優しい少女を悪役へと狂わせてしまっただけの話……



「リリカ嬢は人見知りさえ克服できれば……その、なんだ、余計な発言と高圧的な態度は無くなるというわけか」

「たぶん、そうなれると思いますぅ……」


 幼少から義兄と慕った王子に問われ、リリカは弱気に答えた。

 だが問題を解決する方法はあまりないと言える。

 実家である公爵家の屋敷に戻ったとしても、すでにリリカが慣れ親しんだ家族と使用人しかおらず、新しい出会いなどそうありはしない。

 社交界で出会いを繰り返せば、近い内に取り返しのつかないところまで傷口は広がるだろう。

 公爵家の令嬢ともなれば、気軽にどこかの家に預けるわけにもいかない。

 他人には理解できない話でも、人見知りを克服するというのはとても難しい話だった。

 どうしたらいいのかとおろおろする妹の視線に、アラミスがポンッと手を叩いた。


「じゃあリリカ、しばらく宮殿(ここ)で暮らしなさい」

「待ってくれアラミス。いくら君の妹でも長期滞在させるには、それなりの理由が必要だ」

「あら? 二人目の出産だからって、私に不安がないとでもお思いなの? 家族を一人呼ぶくらい許されていいでしょう?」


 最愛の妻がお腹を優しく撫でながら頼んでくる姿に、ミシェルは腕を組んで考え込む。

 滞在の話が次女のメアリであれば、そう気にする必要はなかった。メアリは内情苛烈に激しくも、計算高く自制して行動できるしたたかな女だ。

 悩む理由は国王とリリカの関係にある。



 王家と公爵家、二代前までは距離がある――というより半ば敵対関係と言っていいほどに仲が悪かった。互いの派閥に属する貴族たちは権力を得るために旗頭を唆し、内戦を予感させる場面も数多くあったという。

 そんな一度は離れた両家の付き合いを強固にしようと、現国王も昔からプロミア家との関係を改善しようと画策しており、幼い頃からリリカとも面識がある。

 しかしそれが良くなかった。第二王子と公爵家長女の婚姻が決まった時点で、それ以上深い付き合いを求めるべきではなかったのだ。


 国王は身に纏う勢威凄まじく、筋骨隆々にして歴戦の勇士すらも震え上がらせる強面である。幼く内気なリリカの瞳に、王の姿は地獄から湧いた怪物の如く映った。

 当時、怪物を目の前にして命の危機と言わんばかりに泣き叫ぶリリカと、それを強引に抱っこしてあやそうと奮闘する国王の関係を勘違いしたプロミア公爵は、話も聞かず国王を殴り飛ばす。幼い娘を手籠めにしようというのかこの外道め、と。

 せっかく婚姻を結んだ両家の間に、またしても小さな亀裂が走った瞬間であった。


 互いの謝罪によって内戦の難は逃れたが、リリカは自分を責めた分、国王に対する苦手意識を強めた。

 国王は国王で、リリカは自分を心底嫌っていると警戒するようになった。存在そのものが相容れないのだと。

 今のリリカがもし社交界でしているように、何かしら国王の心の傷を抉ろうとすれば、よからぬ邪推が生まれるかもしれない。

 しばし考えた末、ミシェルがアラミスに頷く。


「そうだな、このまま放置して、僕の目の届かない場所で父上とリリカ嬢が直接話す機会が生まれるのも怖い。一度挨拶を済ませたら、出来る限りリリカ嬢は父上に近づかないと約束してもらえれば、僕が話を通してこよう」

「よかったわねリリカ。久しぶりに一緒に暮らせるわよ」

「うぅ~、ご迷惑おかけしてごめんなさいぃ」


 こうしてリリカは、姉アラミスが出産を終えるまでの間、宮殿で生活することになった。



 ◇



 細く白い指先が大輪のダリアに伸ばされる。


「やっぱり宮殿の庭園はいいわねぇ。どうしたらこんな風に綺麗な色の花が咲くのかしら。セオル様はどう思います?」


 姉アラミスと第二王子ミシェルの息子、第五位の王位継承権を持つセオルに質問をする――が、返事がない。小さな少年はリリカのドレスの裾を掴んだまま、庭園から建物を睨んでいた。

 何かあるのかと疑問に思いリリカはセオルの視線の先を探る。ちょうどこちらを見ていた宮殿のメイドが窓から姿を隠すところだった。


「アイツら、またおれのリリカの悪口を言ってた!」

「もう、ダメですよセオル様、聞こえてもいないのに」

「いいや、おれには分かる! リリカと散歩しているとひそひそ声が聞こえるし、最近イヤな視線を感じるんだ。仕える者が卑しいと王族の品位も下がるからな、ガツンと言ってきてやる!」

「待って待って、そんなことしちゃダメですって」


 セオルはまだ六歳にも満たないが、聡明でませた子供だった。

 宮殿で働く侍女は、それなりに身元が保証されている者でなければならない。中にはリリカが過去パーティーで泣かせてしまった貴族の血縁や縁故もいる。直接罵倒はできないものの、遠くから感じの悪い嫌がらせを続けていた。


 王の下で働く相手であれば、公爵家令嬢と言えど簡単に処分はできないという安易な思惑からはじまった嫌がらせだ。自業自得であり、自分は傷つけた貴族令嬢の恨みを受ける義務があると感じているリリカ。

 しかし、他人が代行する恨みの大半など単なる鬱憤晴らしに過ぎないと、セオルは気づいていた。


「王家の方が不満を言えば、彼女達はここに居られなくなってしまいます」

「だからそうしてやると言っている」

「よいのです。わたしが招いた恨みなのですから」

「むぅ……リリカはこんなに優しいのに」

「お心遣いありがとうございます、セオル様」


 陰湿な女同士の嫌がらせに憤慨するセオルだったが、リリカに頭を撫でられると子供らしく頬を緩ませる。

 セオルは大好きな姉の息子であり、まだ小さな子供。付き合いは少なく人見知りのリリカでも、ごく自然に話すことができた。


 また、自然体のリリカは、花や動物を愛し、人々の幸福を願う少女である。

 物心つく前から宮殿で穢れた人間関係を見聞きしてきたセオルにとって、彼女は誰よりも優しい人であり、大好きな女の人であった。子供だてらに男としてリリカを守ってあげたいとも考えていた。


「リリカ、その……本当に困ったら、おれがもらってやるからな。無理なんかしなくていいんだぞ!」


 セオルは小さな手でリリカの華奢な指先をきゅっと握る。

 目を逸らしながら言うところはまだまだ子供らしくてかわいいな、とリリカは思う。


「ふふっ、ありがとうございます。でもセオル様が大人になる頃には、わたしもいい歳ですし、こんな頼りない叔母をそこまで気遣う必要はありませんよ」

「う~また子供扱いしたな! 母上に言いつけてやる!」


 セオルにとっては一世一代の告白だったが、リリカにさらりとかわされ、顔を耳まで真っ赤に染めた。傷ついた幼心と照れを隠そうと母アラミスの下へ走って行く。

 そんなセオルの後ろ姿に微笑ましいものを感じながら、リリカもその場を立ち去る。セオルがいなくなれば自分の心を癒してくれる庭園も、すぐさま嫌味の密で溢れる毒花に変えられてしまう。幼くとも傍にいる間、セオルはしっかりとリリカを守っていた。


 人見知りを治すためにと宮殿で生活を始めたが、誰かと関わればその相手を傷つけてしまう。

 しかし、自分が何も抵抗しなければ嫌がらせは止まらない。

 心安らぐ場所を求めて、今日もリリカは宮殿をさまよう。



 ◇



「ここは昼寝をする所ではない」

「いたっ!?」


 突然頭蓋に走った衝撃と上から降って来た言葉に、机に突っ伏していたリリカが奇声を上げて飛び起きた。背中にかけていたストールが落ちる。痛みに頭を押さえながらも涙目で周囲を見渡す。

 窓から差し込む光は細く、古い紙とインクの匂いが充満する静謐な空間。誰もいないと思って本を開いたまま眠りに落ちていた。

 そんな中、深緑のローブを羽織った眼鏡の青年が無表情でリリカを見下ろしている。青年の肩には分厚い装丁の本が、とんとんっ、と不満を示すかのように何度もぶつけられていた。本の背で頭を打ったことが窺える。

 見知らぬ男性の登場。姉メアリ以外で頭をぶたれた経験などない箱入り娘は、即座に心の防衛スイッチを入れた。


「あっ貴方! このわたくしにそのような無礼な真似をして、タダで済むとは思っていないでしょうね!」


 咄嗟に出たのは高慢な貴族令嬢特有の脅し文句。

 勝手に入った図書館で居眠りをしてしまった自分の非を理解して、心の中では頭を抱えている。

 自分が強く言えば、相手はすぐ卑屈になって頭を下げるものと思っていたが、青年は悪びれもせず長い溜め息を吐くだけだった。

 それに青年からは他人の気持ちに敏いリリカでも何の不安も感じない。リリカが高位貴族だと分かっても脅威に感じていない証拠だ。


「淑女の頭を叩いておいて溜め息って、どれだけ失礼なのかしら」

「あーそうだな、謝っとかないとマズいか……すまなかった」


 女性にしては背の高いリリカよりさらに顔一つ分背の高い青年の、上から見下ろしたまま口だけの謝罪だった。


「誠意に欠けますわね。わたくしがプロミア家に連なる者だと存じた上でその態度ですの」

「知らんが……公爵様ご本人ならともかく、娘程度に下げる頭は持っていないな」


 相手の弱点が見えない時は家の名を利用しろ、という父と姉の教え通り家名を出してみるが、これにも反応がない。青年を必要以上に怖がらせなくて済んだ反面、自分にここまで強く出られる青年に疑問を抱く。

 リリカには、この王国の有力な血筋とは全員顔を合わせた程度の面識がある。一体この青年は何者なのか、と首を傾げた。


「貴方はだあれ?」


 人の心に敏感なリリカを前にして、怯えもなく、敵意もなく、下心も感じさせない青年。異性として惹かれたわけではなく、ただ不思議な感じが気になっただけだが、この時確かに、リリカは初めて異性に興味を示していた。

 そして、つい漏らしてしまった普段通りの幼さを残した態度に、青年もほんの一瞬だけ口元を緩めた。


「カイリ・クライスラー。爵位は男爵。形式だけ領地は小さいものを頂いているが管理は王族任せ。私自身は文官としてここで司書を務めている。他に何か質問は?」


 口早に説明された言葉には、リリカが状況を理解するための全てが含まれていた。

 青年、カイリ本人が貴族の子息ではなく爵位を持った貴族である。王国の歴史を集めた書庫の一室を一人で任されているからには国王の信頼も厚い。何より、これ以上話すことはないという拒絶の意が口調に現れていた。

 しかし、プロミア公爵とメアリから、上に立つべく強き貴族教育を受けているリリカは、不愛想に邪険にされた程度では揺るがない。


「わたくし、一人になれる場所を探していたの。それにわたくしの滞在許可は国王陛下から発せられているもの、ここを自由に使わせてもらいますわ」

「そうか、ならせめて仕事の邪魔はしないでくれ」

「邪魔って、子供じゃなくってよ!」

「はいはい、まず書庫で大声を出さない」


 内心では生意気言ってごめんなさいと謝りながら、ここに居ていいと言われて安堵の息を吐く。息を吐いて大きく深呼吸すれば、また紙とインクの匂いが鼻腔をくすぐった。リリカは内向的な性格であるが、一人で部屋に籠もるよりは外で動物や草花を愛でる方が好きなので、その匂いをとても新鮮に感じた。

 開いたままの本の続きも読まず、気分を落ち着かせる静かな空気に浸っていると、嗅いだ覚えのある匂いが混じってくる。匂いの元は、隣の机でせっせと紙を広げて作業をするカイリであった。机の上に置かれた革袋からは、庭園で見た花々が顔を覗かせている。対面の机に移動し、椅子に膝を立てて身を乗り出す。カイリの手元を確認してみれば、押し花を作っているのが分かった。


「暗い見た目に似合わず、可愛いことをするのね」


 父の教えに従い相手の感情を揺さぶる挑発的な単語が口から出る。


「ああ、最近手に入れた書物でこの花の香りが虫除けになると読んでな。押し花のしおりにしても効果があるのか試してみようかと」


 気にした様子もなく平坦な声で答えるカイリに、リリカはまたホッとする。

 気が抜けると同時に、自分がはしたない恰好で机の上に乗り出していたことに気がついた。別に胸元の開いたドレスを着ているわけでもないが、貴族令嬢らしからぬ真似をしてしまったと座り直す。

 だが、カイリは視界にリリカを納めていたはずなのに、彼女の体には一瞥すら向けなかった。

 リリカは公爵家の娘として恥ずかしくないよう、身だしなみや化粧にかなり気を遣っている。子供っぽさを消す大人の化粧。メアリに強制されている唇を鋭く強調する赤い口紅にだけはやや抵抗はあるが、決して容姿に自信がないわけではない。


「なぜ突っかかってきた君の方が頬を膨らめている?」


 カイリに問われ、不満が顔に出ていたことを慌てる。

 だがここでも公爵家の教えが生きた。

 姉メアリ曰く、貴族の女は男を立てても主導権を渡してはならない。物腰柔らかに笑顔のまま殿方を手の平で転がしてこその貴族子女だという。


「クライスラー男爵は無遠慮に花を摘みすぎだわ。虫が嫌いな花だけでなくて、虫が寄って来るものまで摘んでいるじゃない。わたくしの愛する庭園を不必要に荒らすのは感心しなくてよ」

「植物図鑑にはそこまで詳しく記載されていなくてな、仕方がないだろう」

「陰気臭い緑のローブと同じで、毎日椅子に座りっぱなしでおしりにカビでも生やしているのでしょう。だからその程度のことも知らないのよ」


 演技でも男に媚びるというのは、人見知りのリリカには難しかった。

 相手を責める余計な言葉まで付属して次から次へと口から漏れ出る。

 思い通りにいかない自分に後悔が募る。

 しかし、ついつい口から出てしまう悪態に自己嫌悪しているリリカのことなど知らぬ存ぜぬで、カイリは会話を続ける。


「つまり君は虫除けに有効な花が分かると?」

「え、ええもちろん。ラベンダーの季節はもう終わってしまったから、この中だと早咲きのゼラニウムね。でもゼラニウムは花より葉が虫に嫌われているようだし、しおりにするには大きくなってしまうかしら。花びらのない押し花のしおりなんて味気ないわ」

「…………ふむ、続けて」


 つらつらと得意げに語られるリリカの蘊蓄に、カイリはインク壺と羽ペンを手に取ってメモに残す。

 知識自慢に聞こえてしまいそうだが、普通の日常会話をするよりは悪口も出ないかな、と思いリリカは花好きの知識を披露していった。



「――だからね、花粉の多さでなく問題は密の量だと思うの。日光を浴びただけで倒れてしまいそうな園芸初心者には難しいでしょうけど、わたくしが教えた植物だけ素直に集めれば大丈夫よ」


 リリカが語り終えるのとほぼ同時に、速記していたカイリが指を止めた。


「話はためになったが……いまいち花を見ても名前など分からぬ自分には選別が難しいな」

「貴方って、外見は多少賢そうなのに駄目な人なのね」

「そこでだ」


 羽ペンに付いたインクが拭き取られる。カイリがゆっくりと、眼鏡の奥に隠れていた色素の薄い神秘的な瞳をリリカに向ける。すると初めて見る瞳の色、ライムグリーンの瞳に、胸がドキリと高鳴った。


「君の知識は中々使えるようだ。ここが気に入ったのであれば、しばらく私に協力してくれないか?」

「わたくしに雑務をさせようと言うの? 貴方、一体何様?」

「人間を面白いと思ったのは久しぶりで、良き友人になれるかもと思ったのだが……そうか、ダメか、残念だ」


 そう言うと、もはや用は無いといった態度で、リリカが分けた草花から水気を取り紙の束に挟み始めた。

 リリカはこれまで、男女の下心もなく単純に親しくなれたら、などと言ってくれる男性貴族に会ったことがない。もっとも同性の友人もいないわけだが。


「お待ちなさいっ! あっ、貴方がど~してもと言うのであればっ、と、特別に……と、く、べ、つ、に! わたくしが貴方の御友人として、手伝って差し上げなくもありませんことよ!」


 あっけなく引き下がってしまったカイリに焦り、良き友人という言葉に惹かれ、リリカはカイリを呼び止めた。


「そうか、ではこれからよろしく頼む。リリカ嬢」

「握手? 女性に対する挨拶ではないのではなくて?」

「いや、友人であればおかしくないはずだ」

「それもそう、なのかしら?」


 本音では不満にも思っていない疑問を軽く押し込めて、差し出された手を握る。

 それまでほとんど無表情だったカイリがほんのわずかに口角を上げて微笑んだが、頭の中を『はじめてのお友達』というワードで埋め尽くしたリリカは、その表情を見ていなかった。


「よろしくして差し上げますわね、クライスラー男爵」

「友人になったのだ、名で呼んでくれてかまわない」

「そう? ではよろしくカイリ」

「だが私は男爵だ。名で呼ぶなら“様”は忘れないでくれ」


 反射的に言い返そうとするも、優しく握っていた手に、急に強く力を込められ反論するタイミングを失った。

 そのまま自分で選んだ草花を押し付けられる形で、リリカも押し花にするために瑞々しさを残した花の茎や葉を、ちょうどいい大きさに切り落としていく。

 作業が始まれば二人の間に会話らしい会話はなく、リリカが使うハサミの音と、カイリが花を擦らせる紙の音だけが木霊する。


「…………あれ? わたし自分の名前言ったっけ?」


 しばらくした後、リリカの呟きが静寂な部屋に響いたが、仕事に集中し始めたカイリからの返事はなかった。



 ◇



 宮殿の最奥に王族のみが使用できるプライベートスペースが存在する。

 どの季節でも鮮やかな色を失わない花壇に、彫像付きの噴水、幾何学模様を刻まれた石畳と、その場に集う者達に飽きさせず圧迫感も与えない風雅な庭。

 そこに、国王と王位継承権の上位に名を連ねる全ての人間が集まっていた。国の方針において、家臣に相談するより先に話し合うべき議題が出た時にだけ招集される特別な集会である。

 慣れている者には、まったりした家族会議に見えなくもないが。


「二ヵ月ほど前より滞在を許しているリリカ嬢ですが、宮殿内でボーイフレンドを作ったようですね」

「ぶほぉっ!?」

「げはっ!?」


 噴き出したのは、国王アダンと第一王子エルネストだった。

 そして本日の議題は、人格矯正のために宮殿で預かっている公爵家令嬢リリカの異性関係についてだ。

 二人の反応をあらかじめ予想していた上で、不意打ち気味に義妹の報告をしたミシェルがわざとらしく溜め息をつく。


「驚いて茶を吹き出すとか、家臣の前では見せられませんね」

「この二人はそこがかわいいのよ?」

「男の僕には分かりかねる案件です、母上」


 小馬鹿にするようなミシェルの溜め息と王妃の失笑。

 すぐさま国王と第一王子が結託して言い訳をしようとするが――


「お前とアラミスの報告は聞いたが……ですよね父上」

「うむ、そうだなエルネスト」


 まったく出来ていなかった。何を言いたいのか分からない相槌を、強面の大男二人の間で繰り返すのみ。

 王国史上最も恐ろしい顔をした小心者の王と、王の若い頃にそっくりな第一王子……彼らは自分を見ては隠せないほど酷い表情をするリリカ・プロミアに、心の底から嫌われていると勘違いしており、いつ彼女を中心とした女性勢力に寝首をかかれるかと怯えていた。

 しかし、それを公言できる者は当人たちを含め誰もいない。国王が女の視線と結束に怯えているなどと口外することは許されない。


「ちちちちち父上ぇ? リリカに男が出来たというのは本当ですか!?」


 報告に動揺していたのは、強面二人だけではなかった。

 リリカに淡い恋心を寄せているセオルである。

 完全に眼が泳いでいたが、自分の気持ちをハッキリ口に出来るだけ我が息子は父と兄より勇敢だな――と満足そうに頷きながら、ミシェルはその隣に座るエルネストの息子シモンに視線で合図を送る。


「セオル、少し黙ろうか」

「でもシモン様っ! おれのリリカがっ!」

「王家とプロミア家の絆が強くなりすぎれば、他の貴族の不安を煽りかねない。年も離れていることだし諦めろ」

「リリカがぁ~~~!!」


 悲鳴を上げるセオルが遠くのテーブルへ連行されていく。

 シモンの年はセオルと変わらないのに、頼りになる甥っ子であった。



「それでアラミス、彼女の悪癖は改善されているのかしら」

「はい、書庫に通いはじめてからは徐々に……司書のクライスラー男爵が気の長い性格らしく、リリカと根気強く会話をしてくださっているようです。本人は強い言葉を使わずに考えてゆっくり話せるようになってきたと」

「そう。なら貴女も、もう少し肩の力を抜いた方がいいわよ」


 嬉しそうにお友達が出来たとはしゃぐ妹を思い出しながら、アラミスが王妃に笑顔で説明を――ただその笑みの裏にある、なぜ最初の友人が男なのか、という妹想いの姉のかわいい不満は、王妃にお見通しであった。

 第一王女に第一王子の妃も、「愛されてるわね」と小さく笑っている。


「む? 親しくなった司書というのは……」

「第三書庫を任せているクライスラーなのか?」


 アラミスの話に水を差したのは第一王子と国王の二人。

 また、これには議題に出したミシェルも苦い表情を浮かべていた。

 宮殿に代々務めている文官の家系でありながら、ほとんど名前の挙がることのないクライスラー家。社交界で噂にならない家のことには疎い王家の女達も、三人の反応でようやく拙い事態になりかかっていると気づく。


「なぜ男爵位の方が司書などなさっているのかしら? 書庫に第三なんて聞いた覚えもありませんし……」


 近日中に他家へ嫁ぐことが決まっている第一王女が、自分にはさほど関係ない話だと気軽に質問を飛ばす。


「第三書庫には、信用できる者しか知ることが許されぬ書物も残されておる。だから入り口も東の迷宮庭園の奥に隠してあるし、警備も腕の立つ者を配置していたはずだが……どうやって知り合った」


 国王がミシェルに向けて鋭い眼光を放つ。


「そこの警備ならリリカ嬢に何か言われたのか、兵士を辞めています。今は剣を置き、庭師や料理人に弟子入りしているそうで――最近は人事がごたついているのもあり、その隙を抜けてしまったのでしょう」

「何故それを先に報告せんっ」

「僕もアラミスからリリカと親しい司書がいると聞いて、一週間前に調査を走らせたばかりでして」


 陰口を言う人間がいない場所を求めて宮殿をくまなくさまよっていたリリカは、迷宮と呼ばれる大庭園を抜け、王国が誇る屈強な戦士を言葉の剣で切り伏せ、秘密の書庫にまで辿り着いていた。

 本来であれば案内されてきた者しか辿り着けない場所故に、カイリもリリカが許可を得て第三書庫に出入りしているものと勘違いしていた。



「それで、仮にリリカが知ってはいけない秘密を知ってしまった可能性があるとして、どうなさるおつもり?」


 王妃の質問に、国王と王子達は頭をひねる。

 問題はそこだ。

 存在を公にされていない第三書庫であるが、リリカがどの本に目を通したかは誰にも知れぬこと。王族の血縁が一度途絶えていることか。他国との秘密の取り引きのことか。一体何を知ってしまったのか。

 国王と第一王子からしてみれば、今回の滞在は初めから第三書庫への侵入が目的だったのではないかと疑心暗鬼に駆られる。だがそれは、第二王子とプロミア公爵家の反逆を疑うに等しく口には出せない。

 全てを円満に解決させるには……


「リリカにはクライスラーの下へ嫁いでもらうしかあるまい。そして、一生宮殿にいてもらう」

「奴も確か今年で二十三。そろそろ嫁の一人でも貰っておくべきでしょうな。……相手が小領地の男爵となれば、プロミア公爵を納得させるに骨が折れそうですが」


 クライスラー家は、王家に長年仕える信頼の厚い家である。そのクライスラー家と関係を結び、子でも成せばリリカが王家の敵になることはない、という国王と第一王子の打算だった。


「いっそ爵位を上げてやりましょうか」

「兄上、その方法では他家がクライスラーに不審を抱きますよ」

「クライスラーは王家にとって付き合いが長いだけの昼行燈でいてもらわないと困る、か……」


 これにはミシェルも第二王子として異論を持たない。ミシェルがアラミスから話を聞いて国内で最も警戒しているのは、公爵家次女メアリである。

 メアリは目的のためなら相手が誰であっても策謀で貶めることができる社交界の影の支配者だ。さらには彼女の入り婿となり、男子のいない公爵家を継げるのなら何でもするという貴族達の噂話は以前から耳に入っている。

 その上、何を考えて生きているのか血の繋がった姉アラミスでも読めていない部分が多く、謎の女だと常々思っていた。

 それでも、メアリの急所が妹リリカであることに関してだけは判明している。リリカを手中に収めることは、王族にとって益が高いであろう認識に間違はいない。国王も第一王子も第二王子も安心を得られる。



「リリカの悪名をさらに高めさせた上で、臣下から爵位の低いクライスラーへリリカを押し付けるよう進言させましょうか」

「お父様や他家を納得させる前に、話をしなくてはいけない相手がいるのではなくて?」


 男達の腹黒い算段に女の甲高い声が割り込む。

 当人を無視した縁談話にご立腹なのは第二王子が妃アラミスだった。

 人前では一度として声を荒げた姿を見せたことのないアラミスの怒声に、国王と第一王子は指先から紅茶のカップを滑らせた。

 いざとなればアラミスも公爵家の熱い血潮に支配されると知っているミシェルだけが、冷静に彼女をなだめようとする。


「父上……公爵家の女は恐ろしいですな」

「情けない顔を見せるなよエルネスト」

「プロミア三姉妹がプロミア三兄弟でなかっただけよかったではありませんか」


 愚痴をこぼす国王アダンと第一王子エルネストは六歳のシモンが諫めていた。

 王の庭は今日も平和である。



 ◇



 書物を抱えたリリカとカイリが談笑しながら第一書庫へ向かって歩いていた。


「――にしても、カイリ様が彫金まで出来るとは思いませんでしたわ」


 と、リリカが新しく繊細な彫刻を入れられた本の留め金を撫でながら。


「単に何でも自分の手で出来ないと満足できないだけさ」


 カイリは澄ました顔で、どうということはないと答える。


「人を使うには相手を理解しなければならないとお父様もよくおっしゃっていたもの。疑問を抱いて挑戦するのは立派だわ……でも何も出来ない三流貴族じゃないってくらいね! 褒めたわけじゃなくてよ! 勘違――」

「はいはい勘違いなど致しませんとも」

「失礼ね、淑女の言葉を遮るのは男性として三流だわ」


 まだリリカから放たれる威圧感が完全に消えたわけではないが、決して仲は悪くない友人程度には見える。

 第三書庫には資料を閲覧しに来る客も滅多にいないので、預かった本が劣化しないように管理するだけと非常に仕事が少ない。だが他の書庫はそうもいかない。幅広いジャンルに様々な来客、やるべきことはいくらでもある。そのため、傷んだ本の修復や新しく見つかった歴史本の解読といった仕事は第三書庫に振られる。

 かなり専門的な知識と技術を要求される仕事であったが、公爵家で高い教養を身に付けていたリリカは難なく仕事をこなし、色々な手伝いを続ける内、徐々にカイリと距離も近くなっていた。



「避けろっ!!」


 突如、叫び声が背中にかけられた。

 周囲に人がいないことを認識できていたカイリは、抱えていた本を空に放ると、地面に映る影を見て、リリカを抱きしめ建物から離れるように跳ぶ。


 ――ビシャアッ!!


 そのまま歩いていれば、リリカの頭上に落ちてきたであろう水の塊が地面に広がり、黒い染みを作った。


「誰が……」


 鋭い眼光ですぐに水をこぼした犯人を捜して上を睨むリリカ。

 しかし、カイリが抱き寄せた際に本を落としたリリカの指先は胸元で小さく震えていた。怒りに拳を握り締めるのではなく、冷え切った手を温めるように。


「――ッ!? カイリ様、ありがとうございました。ででも、少々近くってよ? いついついつまで抱いているつもりなのひゃしら!?」

「おっと、これは失礼したレディ」

「ふんっ」


 カイリが優しく肩を叩くと、リリカがいつもの口調で距離を取る。

 対して、強気な言葉でもリリカが自分に怒っているわけではないと悟っているカイリは、おどけた風にお辞儀をしてみせる。


「引きこもりのくせに衰えてなくて安心したぞ、捨て石のクライスラー」

「……先程の声は殿下でしたか」


 二人に警告の叫びを投げた人間が拍手をしながら近づいて来た。

 第一王子エルネストだ。

 リリカとカイリが感謝と挨拶の礼をするが、片手を上げて制する。連れていた侍女を呼び、散らばった本を拾わせ、カイリの許可も取らず第三書庫に運ぶように指示を出した。


「聞いていたより過激になっているようで焦ったが無事で良かった」


 首を水の降って来た上へ向けたエルネストに、カイリが眉をひそめる。


「珍しいですね、エルネスト様がわざわざ私を訪ねてくるなんて。軍を抜けて以来でしょうか」


 カイリは幼少からエルネストと交友があるが、旧友と呼んでいいかは微妙な間柄であった。


「お前のふざけた作戦で俺まで死にかけたあの時か……って違うだろ鬼畜眼鏡! お前が家督を継いだ時にも一度会っただろうが!」

「そうでしたか? ところで今の悪戯は貴方の仕業ですか」

「ハッ、まさか。宮殿内でリリカ嬢に大事あれば、プロミア公爵が騎士団を連れてくるぞ? 一瞬花瓶を持ったメイド服の袖が見えた、対応は俺がしておこう」


 今度は侍従の不徳を詫びるエルネストの謝罪。

 わざわざ第一王子が人前で頭を下げるほどの悪戯をするはずもないと判断し、やや緊張していたカイリの体から力が抜ける。ただ、エルネストが登場してから表情の強張ったままのリリカには、カイリとエルネストも苦笑いだ。

 リリカとは目を合わせないように振り返りながら、エルネストが二人について来るよう伝える。

 第一王子からの用事に思い当たる点はなくとも、そこはかとなく嫌な予感が過ぎった。



 エルネストに連れられたのは王家の庭園だった。

 有力貴族でも招待された人物の話はほとんど聞かない特別な庭園で、リリカだけはその華やかさに目を輝かせていた。

 この場所で話をすれば、リリカに会話の優位を取れると踏んでいた国王アダンとエルネスト。しかし上機嫌で同じテーブルに着いたリリカを前にし、その興奮した様子を胆力と勘違いして、たじろいでしまう。

 一つ咳払いを入れてから、国王が口を開く。


「早速で悪いのだが、クライスラー男爵」

「ハッ!」

「実の息子同然に思っている其方にこれを言うのは、儂としても心苦しいのだが……其方には罰を与えねばならぬ」


 いきなり罪人扱いされ、カイリとリリカは言葉を失う。

 ついでに、驚きに目を見開いた時のリリカの強いアイメイクは、完全に相手を睨みつけているようで、国王もしばし絶句する。その沈黙が余計に事態を重く演出する。


「クライスラーよ……何故確認しなかった」

「何を、でございましょうか?」

「リリカは宮殿での自由を与えておるが、第三書庫に入るまでの許可は与えておらぬ」

「え、陛下それはどういう……」

「第三書庫は公にしておらぬ秘密の場所なのだ。故に、迷宮庭園の奥に隠してある。あんな場所にあるのに不思議に思わなかったか?」


 眼鏡の奥で、一段と大きくライムグリーンの瞳が開かれた。

 リリカはまだ話を理解できず姉アラミスへ鋭い視線を向ける。一見睨んでいるようにも見えるが、アラミスだけはリリカが心の中で慌てふためき助けを求めている姿を正しく見据えていた。

 しかし、アラミスは王族会議以降も、これまでリリカに何も説明していない。すでにミシェルに説得されているからだ。

 体と顔だけ大きい国王と第一王子の小心者は治るものではないし、リリカを逃がせば、恐らく苛烈熾烈な父プロミア公爵と妹メアリが宮殿に乗り込んでくる。それにクライスラー男爵以外で、今のところリリカと上手く連れ添って行けそうな男の影はない――と半分諦めというか妥協混じりの納得だったが。

 姉の援護がないことを悟ったリリカは、自らの口で国王に噛みつく。


「入ってはいけない場所だったと知らなかったとは言え、無断で第三書庫へ立ち入ったのはわたくしの落ち度。罰を与えるのであれば、まずわたくしにお与えください」

「出来ぬな。リリカはアラミスの出産の手伝いで公爵家から預かっている客人。これは職務を怠ったクライスラーの過失である」

「ですが陛下っ」

「やめろリリカ、逆らっても君の立場が悪くなるだけだ」


 カイリの制止する声にリリカの口が閉じられた。

 それでもまだ何か言いたげに唇を震わせている。

 実際には、苦手な強面の大男。しかも国王に対して、流れとは言え意見してしまったリリカは、行き過ぎた緊張でそれ以上言葉を続けられなかっただけである。

 また平常心を失っているが故、「カイリのみの過失」と言いながら、その話だけならば自分が呼ばれた理由のないことに気づけない。


 リリカの性格を知り、その混乱、後悔、自責を計算してシナリオを書いたミシェルだけが、現状内心でほくそ笑んでいる。

 史上類を見ない悪女と称されるリリカの憤怒の表情(本人は必死に泣くのをこらえている)に話を早く進めたい国王は、ミシェルの合図が出るまでどうにか耐えてから――


「リリカの態度次第では情状酌量の余地がないこともないかもしれん」


 煮え切らない言い方だった。

 国王が歴史的な鬼面嚇人の人でなければ、見かけで脅す特技を磨いてきた達人でなければ、すぐさまその臆病な心を見破っていたであろう。


「陛下はわたくしに、どうしろとおっしゃいますの」

「此度の件で最も重要となるのは、リリカが第三書庫で王家の不利益になるような何かを知ってしまった疑いにある」

「わ、わたくし、国外の植物や動物の本しか読んでませんわっ」

「それを如何にして証明する?」


 リリカは本人が言うように、海外から伝わった挿絵つきの草花や、かわいい動物の話がある本しか手に取っていない。他国情報を無断で集めることも問題ではあるが。

 ともあれ、国王も問うたがそれを証明することは誰にも出来ない。

 再度アラミスを視線を交わしても小さく首を振るばかり。


「リリカは儂を嫌ろうておるようだが、儂はリリカも家族だと思うておる」

「陛下を嫌ってなど――」

「ん゛ん゛ッ! よい聞け、今回の件、話はそう単純ではない。息子嫁の妹にして友の愛娘と言えど、それだけでは繋がりが足りぬ。そこで、我が王家悠久の友であるクライスラー男爵家とリリカ・プロミアの祝言を以って、儂は其方を信用したいと考えておる……どうだ?」


 あまりにも突然湧いた自分の婚姻話に、リリカは言葉を詰まらせる。

 社交界に顔を出すようにはなっていたが「結婚まではまだ深く考えなくて良い」と父プロミア公爵から言われていた。リリカは新しい友人を望んでいただけなのだ。

 宮殿で仲良くなったカイリも、まだただの友人。何を言っても動じないし怒りもしない頼りがいのある男性の友人。とても貴重で、大切な友人だ。


 今ならばまだ婚姻を回避できる。しかしチクリと、理由のよく分からない心の棘が栓となって拒絶の言葉を押し止めていた。これは初めての友人と別れを危惧したものなのか、リリカの初恋が芽生えた証なのか、まだ本人も分かっていない。


「父上、公爵のおらぬところで明言できる話でもないでしょう。まずは縁談という形に致しませぬか。二人は互いに親しい異性もいない様子。親睦を深める内に本物の恋が芽生えれば、娘の幸せに公爵も喜びましょう」

「なるほど、年を食うとせっかちになっていかんな……で、どうだ二人共、まずは口約束でよい。形だけの婚約で一度儂を安心させてはくれぬか。リリカよ、其方も我が娘と思わせてはくれまいか」


 貴族間では珍しい恋愛結婚という美談に落としたい思惑がちらほらと見え隠れするものの、老国王はこういった弱者の演技も達者だった。鬼の形相から急にしなびれた老人の顔に変わる。


「その、お父様の許しが出るのであれば……」


 国王がかもし出す重苦しい雰囲気に押され、リリカはつい頷いてしまう。


「済まない。あの時、私がたった一言確認を取っていれば、君を巻き込むことはなかったのに」

「いいえ、全ての端はわたくしに。それから、誰かに守られるわたくしではなくてよ! あとっ、婚約したと言っても、わたくしの旦那様になるのであれば、カイリ様ももっと精進なさってくださいませっ!! でないと婚約なんて破棄しますからねっ」

「分かった。後悔はさせない」

「……~もうっ」


 リリカは首から耳まで真っ赤に染めた顔で、うつむき気味に口をつぐむ。

 テンパっているため口約束などという言葉に騙されてしまったが、国王自身に提案され、その眼前で約束された婚約が容易く破棄できるはずもなく……この夜、リリカは一人布団にくるまり悶えることとなる。

 そのリリカのためならクーデターも辞さないプロミア公爵とメアリの参戦により、今後頭を悩まされるのは王族も同じであるが……


「うむっ、めでたい!」

「今宵は宴だな!」

「ですから貴方、エルネストも、まだ公爵の耳に入っては不味いとミシェルが」

「うぬぅ……」


 自分達だけ悩みの種が消えて肩が軽くなったと喜びはしゃぐ強面の大男二人を王妃がなだめる。リリカは改めてアラミスに泣きつき、そして誰も見ていない陰では、ミシェルがカイリに気にかかっていた疑問をぶつけていた。



「ところで男爵、僕は君とリリカ嬢の出会いをアラミスから聞いているのだけど、本当はいつからリリカ嬢に気をかけていた? それに昨年、予算をはたいて高価な虫除け薬を購入しているだろう。何のために虫除けのしおりなんて作っていたんだ」

「はて、ミシェル王子の記憶違いでございましょう」


 貴族社会、それは魑魅魍魎達の権謀術数と欲望、愛憎が入り乱れる蜘蛛の巣。

 誰のものかも知れぬ糸に足を絡め捕られてしまったリリカ。その絡んだ糸が運命の赤い糸に変わるかどうかは、彼女次第である。


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