悪役令嬢に堕ちそうな幼馴染を救いたい商人はあまあまな日々を送る
―あらすじ―
貴族の家に出入りする商人の息子であるジラルト。
彼は大貴族のお嬢様に恋心を抱いていた。
身分違いにより一度は諦めた恋だったが、お嬢様の婚約が流れた事でジラルトの気持ちは再び動き出す。
全文約16000字。
「ミリア、君との婚約を破棄させてもらいたい。君といると苦しいのだ。このままではきっと私は壊れてしまうだろうし、互いに不幸しか生まないだろう」
あの日言われた王子の心無い言葉が、ミリアお嬢様の全てを狂わせた――
* * * プロローグ
私、ジラルト・ホーキンスは国有数の大商家に生まれた。
幼い頃から父の仕事を教わりながら貴族の屋敷を訪れることも多く、高貴な身分の知り合いも少なくない。
今は昔と違い、人類の敵と言われた魔族のほとんどが姿を消し平和な時代となっている。剣と魔法の腕が買われて王侯貴族が持て囃されたのも過去の時代。身も蓋もない話をしてしまえば、爵位も金で買える時代になった。
現在、世界を支配しているのは軍事よりも金と流通だ。平和になった貴族たちは、新しい財源を求めて産業の発展と他領他国との貿易に力を入れ始めた。
実家が繁盛しているおかげもあり、私の血に『尊さ』はないが、そうした付き合いの相手ともほとんど対等な交友を結べている。
そして、その高貴な友好関係の中に、私が想いを寄せる御方――レイストン公爵家のミリア様がいた。
ミリア様はレイストン公爵家の長女である。
家督を継ぐことはないが、どこの家に嫁ぐにしろレイストン家と同格の相手と結ばれることになるだろう。ミリア様の兄君に『もしも』があれば彼女の未来の息子がレイストン家を継ぐ可能性もある。彼女にかかる公爵家の期待と責任は過大なものだった。
また、ミリア様は優しく強く美しかった。
誰に縋ることも弱みを見せることもなく、公爵様の期待に応え優秀で完璧な貴族令嬢であり続けた。
私もミリア様と同じ学園に通っているが、少なくとも女性で彼女より優れた人間はいないと断言できる。視力を落とすまで毎夜勉学に励み、眼鏡守銭奴と呼ばれる私でも彼女には一歩劣る。
そして、商会の仕事でミリア様が私人として望む物を届ける私は、麗人である彼女が花のように可憐な年相応の少女の笑顔を持つことも知っていた。
私は一目惚れだったが、ミリア様を知れば知るほど、彼女の存在が心の中で大きくなっていった。
公爵家相手では身分違いとはいえ、私が彼女に懸想してしまうのも当然だろう。これは仕方がないし後悔もしていない。
例え、ミリア様の婚約者が我が国の第二王子、アルド様だったとしても。
幼い頃の私の恋心は、子供ながらに自分の中で完結していた。
なぜならアルド様も王族の名に恥じない勤勉で優秀な方だったからだ。
だから、そんな彼ならば、ミリア様に相応しい。
きっと彼女を幸せにしてくれるだろう。
そう、思っていた。
単なる横恋慕のまま諦めがついていたのだ。
彼にミリア様を支えるだけの心の強さが無いと知るまでは……
* * * お嬢様とチョコレートケーキ
「ねえあの子、今アルド様に色目使わなかった?」
テーブルに頬杖をついて憂いた表情を見せるミリア様が言うと、お茶会をしていたテラスにざわめきが起こった。いや、緊張が走ったと表現した方が的確だろうか。
三階テラスの端の席から見下ろせるのは、正門から学園の校舎へ続くイチョウ並木。新入生で一番かわいいと評判のレイア嬢がアルド王子に挨拶を交わして通り過ぎたところだった。
本当に軽く会釈をして横を通っただけ。
しかし、ミリア様の言葉の意味を解釈するなら『目障りな一年をシメろ』だ。正しくその言葉を理解したミリア様の取り巻きがオロオロして私を見てくる。
一体どうしてこうなってしまったのか。
あの日、王子の謝罪によって打診された婚約破棄――詳しい話し合いは聞かされていないが、最終的にミリア様が納得することで成立してしまった。
ただ国王陛下のアルド様への失望と同じく、公爵様のミリア様への失望は大きかった。その日から公爵様はミリア様を見なくなった。まだ若く二人の関係が希薄だとしても、公爵様は未来の夫を支えることもミリア様の仕事だと考えていたからだ。
今はもうミリア様は以前より気楽そうに毎日を過ごしているし、アルド様への想いは欠片も残っていないように見える。
なのに、彼女はこうなってしまった。特に興味もなさそうなのに、アルド様に近づく女を許さない。
でも仕方のない話か。
本当のミリア様は寂しがりで、父親からの期待という圧力に追い詰められていて……きっと優秀なアルド王子なら互いに苦楽を分かち合い支え合って生きていけると考えていた。恋愛感情があったかは不明だが、少なくとも信頼はしていたはずだ。
それが情けなくも裏切られ、心が切れてしまったのだ。女の嫉妬ではなく、自分を捨てて逃げたアルド様の幸せをまだ許せないのだろう。
「あのぉ、ジラルトさまぁ」
「はぁ」
助けを求めてミリア様の取り巻きに袖を引っ張られる。
うるうると潤んだ瞳で囲まれれば、もう私が出ざるを得ない。
彼女たちはもともと高潔なミリア様を慕い、庇護を求めて集まった淑女だ。他貴族派閥の女子がするような陰湿なイジメとは縁遠い人種。貴族令嬢にしては気が弱くてあまり頼りにならない。しかし、いつかミリア様が立ち直ってくれると信じてそばにいてくれるだけ有難い存在でもある。
まあ、そのほうが私も色々とやりやすいか。
「レイア様は仲睦まじい婚約者がおりますのでそれはありませんよ。文通の内容まで相談されている私が保証いたします」
顧客の情報を漏らすのはルール違反だが、この場合は多少許されるだろう。
「あらそう……」
一言呟いてまた違う方角に顔を向ける。
だがそれだけでは安心できないのか、取り巻きの令嬢たちはまだ目を泳がせていた。
もうひと肌脱ぐか。私が近くに潜んでいた部下に合図をすると、話題を逸らすための小道具が運ばれてくる。
「ミリア様が好みそうな新しい茶葉とお菓子を用意していたのですが、やっと届いたようですね。申し訳ございませんがドロシー様、私の代わり淹れて頂けますか? 実は乗馬の授業で手首を怪我していまして」
「は、はいっ、お任せくださいっ!」
厳重に包まれた荷を受け取った令嬢たちは、小さく「ありがとうございます」と頭を下げ、ミリア様の怒りに触れまいと厨房に小走りで駆けて行った。
「執事でもないくせに、眼鏡なんてして」
「なんで眼鏡してるだけで怒られるんですか……それに、今日はミリア様が前に気に入っていたお砂糖たっぷりのチョコレートケーキがありますよ」
「チョコレートケーキ……」
「材料を取り寄せるのには苦労しました」
「ふ、ふんっ、今日のところは褒めてあげるわ」
人がいなくなって気が抜けたようだ。そっぽを向いたままだが、赤くなった耳を隠しきれていないのが可愛い。
私が気づいたのを悟ったミリア様は、わざとらしい機嫌の悪さでトントンとテーブルを叩きはじめる。よく中年貴族がやる『苛立ちアピール』をマネしているのだろうが、しばらくすると陽気で軽快リズムの曲を演奏してしまっているのがまた愛らしくて仕方がない。余程ケーキが楽しみなのだな。
「ケーキ……まだかしら……」
「私の分も食べますか?」
「……たべる」
私も取り巻きの彼女たちと同じ、悪役になりきれないミリア様が立ち直る日を待っている。
だから、これ以上ミリア様の心労が増えないように、今日も精一杯彼女を甘やかすのだ。
* * * お嬢様と試験勉強
「ジラルト、あなた最近生意気じゃない?」
…………なん……だと?
「アアッ!? ジラルト様が真顔でお茶を吐いたまま動きませんわ!?」
「誰かぁ! お医者を連れてきてぇ!!」
「なんでそこまで動揺してるのよ」
その言葉のあまりの衝撃に笑顔を崩してしまった。
それまで私だけは責めることのなかったミリア様に突然「生意気」などと言われて呆然としてしまったのだ。商人としてあるまじき失態である。
だが常にミリア様を一番に考えて行動してきた私の一体どこに不備があったというのか。
それを本人に確認するようでは商人として三流、答えは自分で見つけ出さなければならない。しかし、あまりに強い言葉を頂いてしまったショックで頭が働かない。
「一体、何が、なぜ……」
「ジラルト様ジラルト様、これですわ」
テーブルの下でドロシー嬢が小さく畳んだ紙切れを渡してきた。
さりげなく目線を落とし内容を確認する。
ドロシー嬢が少しでも動くと、ご立派な縦ロールがふわふわ揺れるため、実際はバレバレなのだが、そこに触れるのはミリア派閥のタブーだ。ご愛嬌というやつだな。
渡されたメモには『二年生前期中間考査』の文字。
今回の筆記試験の結果だった。
ジラルト・ホーキンス。私の名が一番上にある。
「入学以来全科目で首位を独走してきたミリア様がついに陥落、ですか」
「むっ!」
「ジラルト様、そんな直接的な言い方は……」
ミリア様の視線が鋭いものに変わった。
この背筋が凍るような冷たい眼差しもまた堪らない。
――という私の趣味はここではどうでもいい。
これはどの道、誰かが言わなくてはならないことだ。
「一人の人間が全てにおいて一番優れるなど不可能なのですよ。二年になって授業もより専門的になっていますから」
過去、ミリア様が誰かを頼れなかった理由の一つは、隣に立てるだけの能力を持つ者が一人もいなかったせいだ。他人を見下しているわけではなくとも、絶対的な才能と努力に費やしてきた時間がミリア様の心の中に他者との壁を作ってしまった。
だから誰かが実力で証明しなければならなかった、ミリア様は一人で頑張り続ける必要などないのだと。
それに、ミリア様は公爵様の呪縛が解けてから、少し私生活における自制が緩るんでいる。一度真剣に自分を見つめなおす必要があるだろう。
これは学業の話だけではない。公爵家専属の仕立て屋が金貨で口を滑らせた僅かな情報から推測したのだが、最近お腹周りが少し怪しいようだ。
時には心を鬼にして叱咤激励も行うことも、人との支え合いには必要な行為となる。
「今後は勉学に詰まったら、私が教えて差し上げますよ」
下を向いてズレた眼鏡の位置を直してミリア様を見つめる。
毎日夜中まで勉強して試験後は二日ほど倒れたが、その価値はあった。
やはり男は女から頼られる存在でなくてはならない。
「ジラルトの……ジラルトのくせにぃ……」
「ミリア様に勝つのは子供の頃の木登りで私が不戦勝した以来ですかな」
「私は、誰にも負けないからミリア・ミラ・レイストンなのよ! ドロシー! その男を教育しておきなさいっ!」
テーブルに手を叩きつけると、怒ってテラスから出て行ってしまった。
これから自室に戻って勉強に励むのだろうか。今回の目論見は完全に上手くいったのかまだ分からない。
だが、使命感に駆られて脅迫されるように無心で机にかじりつくよりは、こういった形で努力と向き合う方がいいだろう。
……あと出来れば二人きりで勉強したい。
頼って欲しいのは本当だ。
ミリア様と密室で静かに時を共有したい。
「ダメですわジラルト様! あのようなっ!」
ミリア様の背中が見えなくなれば、命じられたドロシー嬢を筆頭に、周囲の淑女たちからお叱りの言葉が次々と飛んできた。一瞬、心の奥の欲望を読まれたかと驚きに背筋が伸びる。
「最後の『手の平で眼鏡くいっ』はいただけません!」
「それではただの陰険眼鏡ですわ!」
「せめて一度レンズを拭いてから、かけ直してくださいまし!」
彼女たちの精一杯の罵倒に思わず笑ってしまいそうになる。
蝶よ花よと大切に育てられ陰湿な世界など知らない彼女たちに、幼い頃から商業という社会の闇を覗く私の教育など不可能なのだ。
まあ、かと言って彼女たちを黙らせる方法も私にはないのだが。
困っていると廊下から足音が戻ってきた。
「ジラルト! あなた実技は全然じゃない! このお茶会に参加するなら私に恥をかかせないでよ!」
実技試験の方の結果はまだ見ていなかったようだ。
筆記試験に全力を傾けたせいで剣と魔法実技はボロボロだった。
結果を見なくとも赤点すれすれだったのは理解している。
わざわざ罵倒しに戻ってくるなんて、頼れる男作戦失敗か……二つを同時に取るのは難しいな。
すると萎れる私を見て、息を荒げたミリア様が胸に手を当てて言った。
「魔法の練習をする時は声をかけなさい! 私が直々に教えて上げるわ!」
計算外の僥倖に、私は満面の笑みで頷いた。
「ぶるぶるぶる……その笑顔もいただけませんわぁ……」
「眼鏡に反射する光に邪悪な作為を感じますぅ……」
貴族の令嬢は眼鏡に何か苦手意識でもあるのだろうか。
* * * 救いの手と忠実なしもべ
「ミリア様、先日お渡しした、我が商会で新しく扱い始めたクッキーの評価をお聞きしたいのですが」
「ねぇジラルト……そんなことより――」
「そんなことっ!?」
「そんなことより、最近ドロシーの元気がないと思わない?」
授業の合間、同じ教室で机を並べるドロシー嬢を見てミリア様が呟いた。
確かにここ数日、ドロシー嬢自慢の縦ロールに変化が出ている。僅かにカールが緩かったりと些細な変化だが、これがまた滅多にない話なので気になるのも分かる。
「ご自分で確認されては?」
「えぇ、私から?」
嫌そうな顔をされるが、面倒だとか自分より家柄が劣る者のために動きたくないとか、そう言った傲慢な考えがあるわけではない。ミリア様はほんの少しドロシー嬢が苦手なだけだ。
ミリア様の派閥にいる令嬢は、過去に他の派閥で居場所を失っていた――というかイジメられていたところをミリア様に救われた者が多い。言わずもがな、ドロシー嬢もその内の一人である。
去年、二つ上の学年にいたワイト家という伯爵家の長男に言い寄られていたドロシー嬢は、その男の恋人であった先輩女生徒に逆恨みをされていた。
その女生徒と付き合いのあった家の娘に、進学してすぐに年上の男に色目をつかう売女と噂を立てられ孤立しそうになっていたところをミリア様が拾い上げた過去がある。
まあそれで終わればただの美談で済んだのだが、その後ドロシー嬢が過剰にミリア様に入れ込んでしまった時期が続いたため、自分からかまうことに苦手意識が残っているのだ。
「私とドロシー様の格付けは済んでいますので構いませんが」
「……格付け?」
「なんでもございません、お気になさらず」
去年の夏前になるか、私は一度ドロシー嬢と腰を据えて話し合っている。
無論、議題はどちらがミリア様へより深い愛を持ち、彼女の世話をする資格があるかである。
言うなれば彼女は私のライバルだった。
女性だけのお茶会などに私は参加できないのだから、彼女にはもう少し譲り合いの精神を持ってもらいたいものだ
「ミリア様が私しか頼れない、どうしても私のジラルトに助けて欲しい、とおっしゃるのならば、このジラルト一命を賭して解決してみせましょう」
「そこまで言ってないわよ」
「今日も臨時のお茶会を開くということで、それでは」
「ねぇ聞いて、聞いてってば」
いつものメンバーを揃えて、テラスでドロシー嬢を囲む。
「ミリア様へは、その、言いづらくて」
彼女は、どうやら以前から友人関係にある令嬢が学園の貴族に言い寄られて困っていたようだ。去年の自分を見ているようで放ってはおけないのだと。
しかし気弱なドロシー嬢一人ではなかなか難しい。
このお茶会で何度か相談をしようかと思ったが、その件の令嬢が以前ミリア様が目を付けたレイア嬢らしく話題にしづらかったということだ。
ミリア様が婚約破棄をされてからそれなりに時間が経ったとはいえ、私が以前言った「レイア嬢は婚約者と仲睦まじい」という話が、ドロシー嬢に気を遣わせてしまったようだ。
「私と王子はああいう事になってしまったけど、綺麗な恋愛をしている子を見ると……なんていうのかしらね、応援してあげたくなるわ。だから私に余計な気を遣わなくていいのよ」
「ミリア様……」
婚約破棄の話をされると未だに私はアルド王子への怒りがふつふつと湧いてくるのだが、令嬢たちは違うらしい。同情とよく分からない感情が入り混じっているようだ。ミリア様の言葉に涙を流している。
「婚約者が学内にいない令嬢ならチャンスがあると思い込むバカな男は毎年後を絶ちませんね」
「じゃあジラルト、これからそのレイアもお茶会に参加させてあげましょう」
「承知致しました」
「今日からよ?」
「ミリア様……ありがとうございます……」
ドロシー嬢がミリア様に頭を下げる。
動くのは全ては私なのだが。ミリア様の評判が上がるのなら気にするところではないか。
「このジラルト! ミリア様の名代としてレイア様を救出して参ります!」
「大袈裟に言ってないで、早く行きなさい」
早速、レイア嬢を探して一年生の校舎をうろつくと男子生徒と一緒にいるのを見つけた。仕事上、付き合いのある相手の行動範囲は把握している。
「レイア様、こちらにいらっしゃいましたか」
「え、ジラルト様? お手紙を預かって頂くのは月末のはずでは?」
「今日は別件でして」
「おいおい、今取り込んでるのが見て分からないのか。一般学生が貴族の話に口を挟むなよ」
一年男子生徒の話に割り込むと、私が二年生だと一瞬警戒を見せたが、すぐに横柄な態度で押しのけてきた。
ネクタイに金刺繍のラインが入っているのが貴族の証。
学園の生徒であれば、私のタイで貴族でないとすぐに分かる。
だがしかし――
「どうも後輩君。貴族よりもお金持ちのホーキンスですが、何か?」
「ホーキンス商会の眼鏡守銭奴!? お前が!?」
この学園に通う一般生徒は家こそ爵位を持った貴族ではないものの、それなり以上に金や力を持った者が大半だと理解していないようだ。
態度のなっていない後輩を物陰に連行して説教――という名の脅迫をかまそうとすると、生意気にも貴族の男子生徒は私に殴りかかってきた。
やれやれ、私は暴力は得意でないのだが。
しかし、男子生徒の拳は私に届かなかった。
どこからか飛んできた水の魔法に吹き飛ばされた男子生徒が泥だらけになって地面に転がる。
窓を閉める音に校舎を見上げると、すでに背を向けた女生徒の影を追いかける縦ロールの髪が見えた。
「ありがとうございます、ミリア様」
何事もなかったかのようにレイア嬢の下へ戻る。
「レイア様にお茶会のお誘いです」
「ミリア様がわたしに? どうして……」
「申し訳ございません。レイア様が婚約者と仲睦まじいと漏らしてしまったところ、ぜひ話を聞いてみたいとのことで……」
お茶会と聞いた時は喜んだが……やはりミリア様の婚約破棄は有名でレイア嬢も気が引けてしまうようだ。目を伏せられてしまう。
「でも、私たちの関係は熱々すぎて、先輩と言ってもここの学生の方には刺激が強いかもしれません……」
違った。
のろけ過ぎてしまう自分を止められるか不安だったようだ。
「いえいえ、レイア様の話はきっとみなさん喜んで聞きたがると思いますよ」
「ミリア様とも、お友達になれるでしょうか」
「ええ、でもやはり多少手加減していただけると」
レイア様の婚約者は年下、まだ十二歳ですからね。
それで熱々とは、お嬢様方にはショックが大きいでしょう。
「ふふふ、わかりました」
こうしてミリア様の信奉者がまた一人追加された。
ミリア様の周りを女性ばかりで囲めば悪い虫も近づけまい。
女生徒なら人助けも大歓迎だ。
ミリア様と親しくする男は私だけでいい。
* * * 一人だけいなかった夏
夏季休暇明け、悲劇は起こった――
「お久しぶりです、ミリア様」
「……ふん」
二月ぶりに再会したミリア様が私を無視する。
なんてことだ、ストレスで吐きそうだ。
原因はなんだろうか。思い当たる節は一つしかない。
ミリア様はさみしかったのだ。
夏の間、家の取引で国外に出ていた私に会えなかったことが。
私の長年の愛と努力がついに実を結んだか。
嬉しい反面どうしたらいいのか、喜びで頬が緩むと同時に憂苦の溜め息が出てしまう。
「どうしました? またひどく悪い顔をして」
「いえなに、ミリア様の機嫌が朝からよろしくない様なので、あまり夏休みを楽しめなかったのでは、と……」
「えっ? ミリア様は夏の間、わたくしの領地の湖でみんなと楽しく過ごされましたよ?」
珍しく胸を張って答えるドロシー嬢の顔に嘘はなく自信で溢れていた。
ドロシー嬢は根が気弱な分、人の心の機微を読むのに長けている――ということはミリア様は夏休みを楽しまれた? 私のいない夏休みを?
予想が外れた可能性に再び悪寒がする。
もう一度よくミリア様を観察しなくては。
機嫌が悪い様子はない。
他の生徒とは親しげに話している。
視野が広いミリア様はこっそり見ていた私に気づいていたのか、たまに恨みがましい顔で私の方を睨みつけていた。
どうやら本気でお怒りになっている時のミリア様のようだ。私に対して怒っているのは間違いない。
先日、国外から戻りミリア様の屋敷を訪ねた際に、直接挨拶をできなかったからだろうか。あの時はミリア様は屋敷にいないと返事をもらっている。先の話と統合して考えるなら、まだドロシー嬢の別荘で避暑していたことになる。
私に非はないはず。しかし、ミリア様の怒りは完全に私一人に向いている。なぜだ……
「ミリア様の新しい御召し物、とてもかわいらしかったですわ」
「ええ、学園ではみな同じ制服ですのに、隠れたところにもおしゃれを忘れないミリア様は流石です」
「貰い物なのだけど、気に入ったなら今度紹介してあげるわ」
私がまだ考えていると、魔法授業で実技服に着替えた女子たちが黄色い声で騒ぎながら出てきた。学校で魔法を使う際には伝統的なローブ姿と決まっている。
そして女子たちの話題はミリア様の新しい下着についてらしい。彼女たちの視線が着替えられた厚手のローブの上から、たまにミリア様の身体へ向いていることから間違いないないだろう。
だとすると、ミリア様への個人的土産が気に食わなかった線も消えた?
今回取引先として会った貿易商は、裁縫や細工などの高度な技術を国だった。我が国にはない技術と素材で織られたペチコートなるものをミリア様にはプレゼントしたのだが、しっかり愛用してくれているようだ。
艶やかで肌触りが好く、吸湿性が高く、機能性を保持しながら高度な染色と刺繍の入った下着。間違いなくミリア様の好みだと思ったが正解だった。
だが何故だろう。ミリア様の歩き方がぎこちない様に見える。教室でもミリア様が私を睨むタイミングは席を立ち、椅子に座る瞬間だった。まだ慣れない下着に違和感、もしくは若干の嫌悪感があるのだろうか。
公爵家の令嬢として、流行は一早く取り入れなければならない。そして流行は使い熟せなければ意味がない。逆に見苦しくみっともないものになってしまう。
私は失敗を悟った。夏休み終了直前ではなくもっと早くに荷物だけ配送させるべきだったのだ。ミリア様に手ずからプレゼントをお渡ししたく、それを怠った。屋敷を訪ねた時のすれ違いといい、私としたことが凡ミスを繰り返してしまった。
授業が終わり、午後のお茶会で私は謝罪の機会を窺っていた。
「ミリア様、ご挨拶にお伺いする機会が遅れてしまい、申し訳ございませんでした」
謝罪を述べるがミリア様から返事はない。
こうなれば平身低頭、徹底的に謝り倒すしかない。
周りにミリア様を慕う子女がたくさんいることから、ミリア様も誠意の籠った謝罪を無碍にし続けるわけにはいくまい。
「……あなたの眼は確かよ……今回の物も……あなたがくれる物にはいつも感謝しかないわ」
事情が分からず、事態を収拾しようとする令嬢たちを前に、ミリア様がようやく口を開いた。
「つまり、土産が問題ではない?」
「問題はあったわよ」
「それはどのような?」
商人として厚顔無恥は承知だが、未だにミリア様が何をお怒りになられているのか想像もつかない。今回ばかりは恥を忍んで確認しなくては。
私が叱られる姿は珍しいのか、周囲から奇異のやりとりに関心が集まる。
「言いたくない」
「しかし、それでは私はいつまでも謝罪ができませぬ」
「いやよ」
「ミリア様っ!」
「……………たいのよ」
「え?」
小声で言われたので聞き取れなかった。
「………………いたいの」
「ミリア様なんと?」
「あなたのお土産を使った料理を食べてから、おしりがいたいのっ!!」
令嬢たちの視線がミリア様の臀部に集中する。
「あ……いやあああぁ! ジラルトのばかあああ!」
顔を真っ赤にしたミリア様は、やけにたっぷり砂糖を入れていた紅茶のカップを倒してテラスから走り去っていった。
「土産に料理……はて?」
そう言えば、公爵家の屋敷にも南方で人気という、この国にない毒々しい赤紫の唐辛子を届けたな。『向こうでは料理に使うが、こちらの調理技術では利用は難しいだろうから少量を入浴剤に使うと健康に良い』というメモを一緒に渡したはずだが、それが公爵家の料理人魂に火をつけてしまったか。
三階のテラスから下を見れば、もうミリア様が女子寮の手前まで走っている。でもたまに躓きそうになり、ひょこっと小さなスキップが入る。
麗しきミリア様らしからぬ幼女のような走り方、おしりが痛いのに頑張って走っているようだ。
「ふっ、やはりミリア様ほどかわいらしい女性はこの世にいないな」
「この眼鏡、絶対わざとですわ……」
「なんて悪質な眼鏡でしょう」
「ドロシー様、この男やってしまいましょう!」
「そうですわねレイア!」
この後、取り巻きの令嬢たちに袋叩きにされた。
気弱な淑女たちも、ミリア様が本気で傷ついた時には暴力さえ厭わない。
* * * お嬢様決起集会
季節は秋を過ぎ、木枯らしが吹くと衣替えをした制服でも肌寒くなってきた。領地が遠い貴族生徒は雪が街道を塞ぐ前にと帰省の支度を進めている。
週明け、私もそろそろミリア様に冬の入用を再確認しなければ、と朝から準備をして待っていたら、血相を変えたドロシー嬢たちが教室まで走ってきた。
「たたた大変です。ミリア様が連れていかれてしまいました!」
「何ッ、ついに私設部隊を動かすときが来たか」
事件とは本当に突然起こるものだ。
私が密かに雇っている傭兵を使うため部下に合図を送る。
戦争がなくても事件がなくなるわけではないと備えていてよかった。
それにしても学園の警備は何をやっているのか。
「違います! 公爵様が来てっ、ミリア様はもう卒業まで学園には来ないと!」
「ばかなっ、レイストン様が!?」
公爵様が直々に学園まで来るなど初めてだ。
それに公爵様はアルド王子との婚約破棄以降、ミリア様とはほとんど会話もしていない。
そんな状況でミリア様を連れていくなど、誰が考えても嫌な予感しかしない。
公爵様が動く段階だとすれば、もっと詳しい情報を持っている人物も学園にはいるはず。確認しなくては――
「皆様は学園の先生方に確認をお願いします」
「ジラルト様は!?」
「私は行くところがありますので」
怪訝な顔をされたが訪ねる相手の名前を出せば、ミリア様を慕う令嬢たちは一目散に職員の下へ駆けて行った。こちらは私に任せてくれるらしい。急ぎ三年生の教室まで行き、無礼を承知で目当ての人物を呼び出した。
「ミリアならドグマの国王と結婚するらし――ぐはっ」
用件を聞き出すや否や殴り倒してしまった。
かつてのミリア様の婚約者、アルド王子を。
「こんなことをしてただで済むと思っているのか!」
「あんな三流国家にミリア様をやるだと!? ふざけるな!! ただで済むかなどとこちらのセリフだ!!」
頭が沸騰するのではないかと思うほどに激昂する。それほどの衝撃だった。
ドグマ王国はここ数十年で経済大国になりつつある国だ。だがそれは連続で金山銀山が見つかり、一時的に稀少資源で溢れているからだ。
貿易で一時富を稼いでも国の本質は変わらない。所詮ドグマは蛮族。元傭兵元山賊からの成り上がり。国も乱暴な手で簒奪したものだ。
「王族との婚約を無効にされた女に国内で幸せになる道などなかろう」
「元はと言えばアルド王子のせいでっ」
「それはっ、ミリアがいつも僕を見下していたから……自分より優れた女をあてがわれる不幸が君に分かるのか! ただでさえ兄上のスペアとしてしか見られないのに! 私の立場はどうなる!」
「それが王族の言う言葉か!!」
アルド王子が血を吐いて倒れた。
いかん、また殴ってしまった。
流石に騒ぎを聞きつけた王子の護衛をしている三年生に取り押さえられる。
ここで捕まるのはマズい。咄嗟に王子対策の切り札を使う。
「私に手を出すと母君が困ることになりますよ」
「……なにを言っている?」
「知りませんか、王妃が国庫に手をつけている噂を」
ライバル商会にスパイを送り込むなどどこもやっているのに、田舎貴族から国王に見初められた若き王妃にくっついてきた商会は管理が杜撰だった。簡単に買収して手駒を送り込めた。
「我が商会以外にも気づいている者はおりましょう。早めにご相談くだされば、我が商会は力になれます」
「チッ、その男を放してやれ」
思い当たる事があったか、王子の一派から解放されるとすぐにミリア派閥の令嬢を集めた。ミリア様の置かれた状況と、恐らく他国へ嫁ぐ前に与えられる猶予から、私はもう学園に来る気がないと伝える。準備が必要だ。
「ジラルト様、ついに想いを告げる日が来たのですね」
想いを隠す気もなかったが、私がミリア様を好いていたことはバレバレだったようだ。令嬢たちが興奮した眼で私を見る。
「そう簡単に済む問題ではありませんが」
「そんなことはありませんっ。わたくし達はジラルト様ならミリア様を幸せにしてくださると信じております!」
「それにわれわれも力になりますわ!」
「一体どれだけの問題を越えなければならないかも分かりませんが、協力してくれるというのですか。それに王家やドグラ王国も絡んでくると思いますが」
ありがたい申し出だが信じ切れず確認を取ってしまう。
彼女たちの人となりやミリア様への想いを知っていながら……こういう時、商人として根付いた損得勘定を優先してしまう思考がなさけない。
「ミリア様のためならば!」
「我が家はあの国にひいおじい様を殺された恨みがありますし」
「わたくしも。お父様やお兄様の秘密をたくさん知っています。脅してでもミリア様に力を貸して頂きますわ」
おお、なんと心強いことか。
ミリア様を連れ戻す――私一人ではどれだけ非道な行為を重ねなければ分からなかったが、彼女たちの家の支援も取り付けられるなら、道筋も見えてくるというもの。
「ミリア様は必ず私がお救いします」
「今日ほどジラルト様がたくましく見えた日はありません」
「あと申し訳ありませんが一応先程のご協力の話、こちらの血判状にサインを頂けると」
「……そんな呪物をいつも持ち歩いているんですの?」
「台無しですわね、この眼鏡守銭奴」
* * * 誓い
「どうかお引き取り下さい」
レイストン公爵家の対応は冷たかった。
商会の部下は御用聞きで屋敷に入ることが許されているのに、私だけが門前払い。これまで親しくしてきた公爵家の家令に追い払われた。
明らかな妨害行為……隠していない私のミリア様への想いが公爵様にも伝わっていたようだ。一度ミリア様と直接話をしなければならないのに。
警戒しているであろう数日置いて様子を見てから、衛兵の一人を金で買収し屋敷に侵入した。夜中にミリア様の部屋のベランダに降り立つ。
部屋の明かりは消えているが、まだ起きているだろうか。大きな音を立てないように軽く窓をノックする。
「だ、だれっ!?」
「私です」
鍵の開く音がすると、そのまま部屋の中に引っ張られた。
声だけで誰か判別してもらえたのは嬉しいが、少々不用心だろう。まずはお小言を言わねばなるまい――と思いきや、ミリア様が私の胸に飛び込んできた。
「冷たい……雪で真っ白じゃない……」
「しかし雪は音を消してくれますから、おかげで楽にここまで来れましたよ」
「……相変わらずバカで無茶するわね」
「私に馬鹿と言えるのはミリア様くらいです」
私のローブで涙を拭ったのか、胸に強く顔を押しつけてミリア様が離れる。
「それで、何をしに来たの?」
すでにいつもの気丈なミリア様に戻っていた。
こういう状況でくらい、もっと甘えて欲しかったのに。
「もちろん、ミリア様と蛮族との婚約を破談させに」
「口を慎みなさい、ジラルト」
強い口調で否定される。
言うタイミングが遅かったか、さきほど抱きしめている時に言えばよかった。ミリア様の感触に頭が回らなかったせいだ仕方ない。
「ドグラはきっと戦争を視野に入れているわ。私が嫁ぐことで同盟が長引くのは国にとって良い事になるはずよ」
「魔族を大陸から追い出した時点で、いつか人間同士の戦争が起こるのは予想できたはず。ミリア様が犠牲になる必要はありません」
「人間同士の戦争は略奪を含めたものになる。死者の数は減っても魔族との戦争より凄惨なものになるわ。確実に回避できる方法を取るべきよ」
ミリア様に私の言葉は聞き入れてもらえない。
いつかこうなると、ミリア様が利用されるというのは予想していた。
ミリア様が私の話に耳を傾けるよう、いろいろと努力してきたつもりだったが足りなかったか。
これでは家を捨て駆け落ちに誘っても無駄だろう。
もっとも、それでこそ私の惚れた女性だ。
「ですがミリア様、国のために御身体を捧げるというのなら」
「なによ」
「政略結婚よりも私と結ばれた方が国益になるとしたら、どうなされますか」
やはりミリア様には感情論より理詰めで言い負かさなければならないらしい。
父の商会を譲ってもらうところから始めるとして、私自身の爵位の獲得、ドグラ王国への経済的妨害、レイストン公爵の説得……思い浮かぶ限りのプランをミリア様に説明する――
「……出来ると思うの?」
「ミリア様のためならやり遂げます。必ず私が迎えに来ます」
頭の中で計算しているのだろう、ミリア様の動きが止まった。
「ねぇ、どうして?」
「何がでしょう」
「どうして昔から私に尽くしてくれるの? ジラルトはいつも私を助けてくれたけど……ここまで大きな問題になると、動機をはっきりしてくれないと信じられないわ」
今更そんなことを言われるとは。
いや、直接この言葉を口にしたことは一度もなかったか。不敬になってしまうしな。
「ミリア様を、愛していますから」
「やっと言ってく……言ったわね。知っていたけど」
意を決して口に出した告白をあっさりと流された。
でもミリア様は首から耳まで真っ赤に染まり感情を隠しきれていない。それにいつ掴まれたのか、私のローブの端を指先で握っている。
ミリア様は頑固者だからな、今はまだこれでいいとしよう。
「ちなみに、時間はどれくらいありますか?」
「三年……そしたら……」
「それだけあれば大丈夫でしょう」
ドグラの言葉を覚え、文化を学び、国王に嫁ぐ準備期間が三年……ミリア様の優秀さを理解した上で言うなら非常に長い。
つまり、これは公爵様が私に課した最後の期間でもあるということか。公爵様も本心では蛮族との婚姻を望んでいないのであれば、遠慮なく全ての手段と計画を実行できる。
実際、時間は足りないなんてものじゃないが、ミリア様には一片の不安も感じさせてはならない。何も問題はないと強く断言する。
「ミリア様」
「な、なに?」
肩を掴んで見つめ合う。
いつもなら、敗けず嫌いでも恥ずかしそうにすぐ私から眼を逸らしてしまうミリア様が私の視線を正面から受け止めてくれる。
「一つだけ、前払いを頂きます」
「待って、ん――」
返事は待たずミリア様の唇を奪う。
しばらくミリア様に会うことは叶わないだろう。
柔らかく甘い唇……強引に、されど押しつぶして歯で切ってしまわないように、長く幸福な時間を味わうように、優しく唇を重ねる。
どれくらいの時間が経っただろうか。
緊張で時を忘れるなど、私も初めての経験だった。
瞼を開き、長いまつ毛に隠れた潤んだ瞳を記憶に焼きつけてから、ミリア様から一歩離れる。
「あ、あ、待って! 待ちなさいジラルト!」
固まったミリア様の髪を一撫でし、窓を出ると雪の積もる庭園に飛び降りた。
* * * エピローグ
「正直に言うと、本当に迎えに来てくれるなんて思ってなかったわ」
私の妻となったミリアが出産を控えたお腹を撫でながらそう言った。
学園を辞めてドグラへ嫁ごうとしていた頃……あの頃は本当に色々あった。大変だった。だからミリアがこの話題を出すのは珍しい。
ミリアとドグラの婚約を破談させるための猶予期間はたった三年。
まずは公爵様と国王陛下にその期間を考えさせる作戦から始まった。
と言っても簡単な話ではない。私は多くの違法行為に手を染めていた。
最初に犯罪組織に金のメッキ技術を渡した。さらにドグラ金貨の重量を正確に割り出し、銅と鉛を過剰に混ぜた偽金貨の製造方法も流し、質の悪い金貨を大量に流通させた。貿易で外貨を稼ぐドグラ王国の金貨の評判を落としたのだ。信用を失わせるのに、小国相手にはなかなか有効な手段だった。
そして手に入れた金をドグラに恨みを持つ近隣諸国に密かにバラ撒いた。もちろんドグラを挟んで我が国の脅威とはなり得ない小国だけに。軍備を強化した小国がドグラへの敵視を隠さなくなったことで、ミリア様の婚約も国上層部で悩まれはじめた。
その後も、もはや自国内で犯罪だと証明できないことなら何でもやった。私が穴を突いたせいで改正されることになった法も数多く出た。
ドロシー様や他の令嬢の繋がりから、影で私の人柄を王家の後押ししれくれたのも大きかった。噂に聞くジラルト何某はほとんど私と別人になっていたが。
商会を極限まで大きくし、ドグラの武力を裏で潰した功績と、国王に貢ぎ物を重ねることで、子爵の位と小さな領地まで得た。
ミリアにとっては不安だけが募るツラい日々だっただろう。しかし、ミリアのために働く毎日は私にとって幸福だった。そこだけは理解してもらいたい、と伝えても頑固者なところは変わらないミリアは分かってくれない。楽しい思い出を語れないのは少し寂しくもある。
「おとうと? おとうと?」
次女のグロリアがミリアのお腹を眺めながら、毎日同じ質問をする。
先月会った時に、ドロシー様とレイア様の息子をいじめて味をしめたのか、妹はあまり要らないらしい。ずっと弟が生まれるように要求している。
「こらグロリア! 母様のおなかをらんぼうにさわっちゃいけません!」
しつこく膨らんだお腹をつつくグロリアを長女のミラが叱る。
すると、タイミング悪くミリアの陣痛が始まった。声を押し殺して低い呻きを響かせる母親の姿に娘たちが狼狽してしまう。
「グロリアのせいだからっ!」
「ふえっ、ふえええぇ! リアわるくないもん! ミラのばかあああ!」
泣き叫ぶ二人を使用人に任せ、屋敷で待機している産婆を大声で呼ぶ。
「あ……あなた……大丈夫?」
「三人目だ、今回こそ最後まで隣にいるよ」
「ふふ、ジラルトが格好良かったのは、あの日だけね……ううっ」
痛みの波は引いていないだろうに、笑ってみせるミリアに力強く答えると、さらに深く笑わせてしまうことになった。
あれから十年、私は格好良い父親ではなかったのだろうか。少し不安になる言葉だよ。二回の出産時に失神してしまったのが印象が悪すぎたかな。
ミラとグロリアを取り上げた産婆が着くと、ミリアの手をより強く握り、呼吸を合わせる――
「おぎゃああぁ! おぎゃあああああぁ!」
生まれた子は待望の男の子だった。
泣き声を聞いて部屋に飛び込んできたミラとグロリアが、ミリアの腕の中の弟を優しく指でつつこうとする。
「だめよ、二人とも。まずはお父様に」
ミリアから、タオルにくるまれて僅かに腕と脚がぴくぴくと反応を返す息子を受け取る。
小さくて柔らかくて壊してしまいそうだ。生まれたばかりの赤子を抱くのは何度経験しても慣れない、恐怖と興奮が体を支配してくる。
「どうしたの?」
「……困ったな、この子は私に似て目つきが悪い」
「生まれたばかりはみんなそうじゃわい。若様はもうボケとるのか」
産婆が呆れた声で溜め息を吐いた。
おぼろげだが、ミラとグロリアの時も同じやり取りをした記憶がある。私はいつからこんな成長しない人間になってしまったのだろう。それとも父親とはこういうものなのだろうか。
だが、娘二人は今ではどちらもミリアに似てくれた。花が咲くように可憐な笑顔を持っている。将来は国宝級の宝石すら輝きをかすませる美人になるだろう。この子もきっとミリアに似た美男子になるに決まっている。
父親として、それはそれで空しいような気もするが楽しみでもある。
表情がころころ変わる私を見て、ミリアが微笑む。
「私はずっと、あなたに似た子を産みたかったわ」
ミリアの言葉で安堵する私の下で、弟を見せろとミラとグロリアのブーイングがうるさく耳を叩く。
泣き疲れて眠る息子をミリアの腕に戻し、静かにその様子を娘二人と見守る。
――ああ、幸福だ。
初めてミリアと会った子供の頃は、高嶺の花とすら呼べないほど離れた世界に感じた彼女と共に、こんな風に家庭を築けるなんて想像も出来なかった。
そして、手に入れた幸福は守り続けなければならない。
ミリアに一目惚れしたあの日から、これまでもこれからも、私は愛する者の幸せのためなら、あらゆる努力と手段を惜しまない。
~fin~




