表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
日陰の本棚  作者: invitro
【推理】
17/23

佐久良夢路の危ない春休み

 ―あらすじ―


 女子大生の夢路が父親の探偵事務所を掃除しているところに、かつての悪友・榊原薫子が訪れる。彼女の依頼は「兄が殺された。病死扱いにされそうになっているから助けて欲しい」というもの。探偵の仕事を超えた依頼から逃げようとする夢路だったが、薫子に高校時代の問題行動で脅され泣く泣く事件に巻き込まれる事となり――


 全文約24000字


 かなり前に書いた作品なので出てくる法律や規制が今と違うかもしれません。



「やることないし帰ってきた意味なかったかな~」


 佐久良夢路さくらゆめじはからからに乾いたぞうきんを片手に、父・昌親まさちかの佐久良探偵事務所の窓から川沿いに並ぶ早咲きの桜を眺めていた。もう雪が舞うこともなく、寒さに強い小学生は外で元気に駆け回っている。

 季節は春、これまでのんびり遊んできた大学四年生の夢路もあと二週間もすれば社会人だ。今は就職が決まっている化粧品会社の近くに借りたマンションへ引っ越すまでに空いた僅かな期間の里帰り。学生生活最後の春休みをだらだらとひとり怠惰に過ごしていた。やる事もないので家でごろごろ寝て時間を潰し、最近依頼が絶えないのか忙しくしている父親に頼まれると事務所の掃除だけする毎日だった。



「ゆーめじちゃーん! あーそーぼー!」

「あ~平和だなぁ」


 10分ほど前からドアを叩く女の声が耳に入っているが、夢路は聞こえないフリを続けていた。掃除道具を片付け、今度はお茶と和菓子の用意をする。もちろん自分の分だけだ。


「羊羹んめ、んめ」

「おい夢路ぃ! いるのはわかってんだ! 開けろぉー!」


 外の声はどんどんと大きく乱暴になる。ノックも優しいものではなく、ガシャガシャとガラスが振動し、徐々にドアが破壊されそうな大きな音へと変わっていく。目をやれば、ドアのすりガラスの影にはアホそうな派手な服装に金髪の頭が透けていた。

 夢路がドアの前の人物に気づいてからすでに20分。まるで借金取りにきたヤクザのようなしつこさだ。それでも無視し続けるが、このままだとご近所から苦情が来るかもしれない。とうとう観念して鍵を開ける。


「やっと開けたなー。夢路ってば久しぶりの友達に冷たいんだー」

「アンタが会いに来るの四年ぶり? 絶対めんどうな話じゃん」


 招待されるより早くドアを開けて入ってきたのは、よく手入れされた艶のある金髪に、夢路の記憶にあるままのギャルメイクをした女。悪友であり幼馴染の榊原薫子さかきばらかおるこだった。

 二人は幼稚園から中学校まで同じ学校で育った。学力の違いから高校は別れたものの、それでも付き合いは途切れずよくつるんで遊ぶ仲だった。中学高校と非常に素行が悪く、様々なイケない遊びにまで一緒に手を出す悪友と呼べる仲だ。


 だが薫子は大学に進学しなかった。高校卒業後の進路を聞こうにも夢路からの連絡に返事は一度もなく、ずっと音信不通だった。

 そんな悪さを良く知る幼馴染が社会人になる直前の大事な時期に突然顔を出したとあれば、夢路も警戒して逃げたくもなるだろう。しかもわざわざ父親の探偵事務所の方を狙って訪ねてきているのだから、厄介事を持ち込もうとしているのは間違いない。



「おしごとの依頼に来たぞー。よろこべー、お客様は神様だー」

「彼氏の浮気調査ならおすすめの通話録音アプリでも位置通知アプリでも教えてあげるから、自分でやりな」

「ちゃんと現場で調べてもらいたいの! 事件なのぉ!」

「あいにく父さんは忙しいので、正式な依頼でも受けられるかわかりませーん」

「そーなの? じゃあ夢路ちゃんでもいいよ。ってゆうか夢路ちゃんに助けてもらいにきたんだし」


 薫子がニコリと含みのある笑顔を浮かべた。

 古風な名前とは裏腹に頭の悪そうな金色頭、22歳になってもまだギャルだった頃の雰囲気が抜けない薫子を見て、夢路は猛烈に嫌な予感に襲われる。

 薫子のこの顔を見た時は、間違いなく警察沙汰になるような事件に巻き込まれるのだ。数年ぶりでも長い付き合いでソレを知っていた夢路は、どうにか薫子を追い払おうとする。

 しかし、同じ女とは思えないくらい力の強さでぐいぐいと部屋の中まで入ってくる。そして夢路を押しのけて事務所のソファーに座り、勝手に食べかけの羊羹をつまみはじめた。


「いいとこの羊羹だね。おじさんのお客さん用?」


 もう話を聞くまで帰る気はないんだろうな、と諦めた夢路は仕方なく新しいお茶を淹れてやる。


「ごっつぉさんでした」

「いいから依頼はなんなのよ」


 口いっぱいに頬張った羊羹を緑茶でのどに流し込んだ薫子は、深く息を吐いてソファーに腰を沈めて自分の家のようにリラックスする。そしてだらけた姿勢のまま、夢路を訪ねてきた目的を再会の挨拶と同様に軽いノリで告げてきた。


「実はお兄ちゃんが殺されちゃってさ。犯人に復讐したいから協力ちて♪」

「いきなり重い話もってくんな」


 夢路は何とも言えない顔になった。



「ねぇー最後まで聞いてよー」

「無理だって。現実の探偵なんてせいぜい浮気調査とか、子供の結婚相手の素行調査とか、行方不明者の人探しとか、調べ物しかしないの」


 今日も浮気調査で張り込みを続けている父親を思い出して溜め息をつく。


「てことで、帰った帰ったぁ」

「友達でしょおおお! 中学の時、ずっ友って言ったじゃーん! たーすーけーてー、夢路たすけてよォーーー」


 夢路は強引に事務所の出入り口まで引きずろうとする。対して薫子は意地でも依頼を最後まで聞いてもらおうと駄々をこねる子供のように抵抗していた。


「聞いてくれないと、この写真を就職先に送るぞ」

「きたなっ! 女の友情どこ行った!?」


 強情な夢路を納得させようと取り出されたのは薫子のスマホだ。画面には二人が高校に入学したばかり写真が映っている。派手な化粧に露出の高い服装、カラオケボックスにお酒を持ち込んで乱痴気騒ぎをしている写真が。

 写真を見て夢路の顔から血の気が引く。だがそれは一瞬だった。写真が脅迫に意味をなさない物だと気づくと、夢路は再び薫子を引きずりはじめる。


「その化粧じゃ私ってわからないし、写真ともう顔も違うし勝手にすればぁ?」

「なにそのよゆー……アッ! 夢路のエロほくろがなくなってる!?」

「ふふんっ」


 夢路は元々口の左下に小さな黒子があった。そう、高校までは。大学に進学して薫子と会わなくってから美容整形で取り除いてしまったのだ。

 化粧の仕方もギャル系から清楚系に変えている。夢路にとって高校一年生の自分などもはや赤の他人だった。昔の写真を持ち出されたところで、写っているのが夢路だとは誰にも証明できない。


「たのむよー、本番ナシで年収500万を叩き出した天才パパ活クイーンの知恵袋を貸しておくれよー。夢路より頭いい詐欺s――友達わたしにはいないんだよぉ」

「おい、その話はマジでやめろ! 就職に関係しなくても、職場の男から変な目で見られるでしょバカ子!!」


 さっきまでと違い、パパ活の話題を露骨に嫌がる夢路。

 その様子に何かを気づいた薫子がほくそ笑む。


「そうだ夢路ちゃぁん、あの頃ってちゃんと確定申告してたぁ? 夢路ちゃん銀行に貯金してたよねぇ? 税務署にチクったら履歴からバレちゃうのかなぁ? 脱税とか未成年飲酒よりはるかに悪いと思うけどだいじょーぶぅ? 追徴課税もあるんだっけぇ、払えるぅ?」

「てめっ」


 悪友の悪魔的な笑みに、本気で殴り倒したい衝動に駆られる。

 しかし手は出せない。

 パパ活でお金を貰っていたのは夢路にとって一番の弱みだからだ。


 巨乳黒髪ロングのやや陰のある清楚系ビッチ。

 それが高校の時に夢路の演じていたキャラクターだった。

 メンヘラではなく、押せばヤレそうな絶妙な乙女加減。高校デビューしたいけど気持ちでも金銭面でも友達について行けなくて困っている、世間知らずでお淑やかな女の子。そんなキャラを使って夢路は男から金を巻き上げていた。


 しかも薫子が指摘する通り脱税していた事実もある。所得としても贈与としても申告などしていない。追徴課税を受けても、大学時代は遊び呆けていたから支払えるものがない。


「でででも当時のSNSアカウントは消してあるし」

「わたし、夢路ちゃんの上げた画像は全部保存してるしぃ、おもろいネタは全部スクショ撮ってあるよぉ?」


 薫子がスマホに画像を出して見せつける。


「あるよぉ、じゃないだろ! よこせこらっ!」

「大丈夫! クラウドに保存した青春は絶対消えないよっ」

「いや消せよ消してくださいお願いしますッ」

「じゃあ依頼、聞いてくれりゅ?」


 ついに夢路と薫子の立場が逆転した。学力は夢路の方が高くても、腹黒さと世渡りの知識は薫子の方が遥か高みに立っていた。観念して大人しく薫子の話に耳を傾ける。



「あのクソ豚……じゃなくて恭太郎お兄ちゃん、心臓麻痺で死んじゃったんだけど、絶対あのクソ嫁が未知の毒とかなんかで殺したと思うの。ううん、思うっていうか絶対そう。わたしには確信がある」

「アンタそんなお兄ちゃん想いだっけ? めちゃくちゃ仲悪くないっけ?」

「んなこたぁないぜ?」


 夢路は薫子の兄に良い印象を持っていない。薫子の家に泊まりに行った時に、入浴するところを盗撮された過去を思い出すと今でも苦い顔になる。

 兄から小遣いをもらい盗撮を手引きしていた薫子も夢路の感情を理解しているが、そこは気にさせないようにか話を早く進めていく。


「とにかくお兄ちゃんの嫁が財産狙いのクソ女でね。過去にも結婚した相手が死んでるし怪しいの。あんなヤツにお兄ちゃんの遺産を渡したくないの」


 年の離れた薫子の兄、恭太郎は所謂IT長者。

 スマホのゲームアプリを売った小銭から始め、仮想通貨と株式でひと財産築いた人物である。

 糖尿病、ロリコン、趣味盗撮という三重苦にさえ目を瞑れるなら、財産目当ての女が山ほど寄ってくる。そんな男だった。


 兄恭太郎が人間のクズだと知っている薫子は、兄嫁も兄に釣り合いの取れたクズだと考える。そして、恭太郎が結婚する前にした身辺調査でも兄嫁・明日香には不審な点がいくつかあった。

 元々肥満だった兄に、結婚前から極度の筋トレを推奨し、恭太郎をプロテイン漬けで血液透析に追い込んだのも明日香だ。

 いくら不健康な兄だからと、結婚してすぐに死ぬなんて兄嫁にとって都合が良すぎるとも疑って不思議はない。



「クソ嫁が病理解剖拒否するし、どうにかしたいの」

「でも心臓麻痺で事件性もないって警察が言ってんでしょ」

「だから大学で生物と化学専攻してた夢路ちゃんに助けにもらいに来たんじゃん。せめて、お兄ちゃんがどうして死んだのか真実を知りたい」

「軽く言ってくれるねー」


 話を受けざるを得ない状況だとしても、警察が一度結論つけた案件を単なる学生である夢路にどうこうできるはずがない。

 何やら兄嫁への偏見もやたら強いし、動機はどうあれ薫子の満足するまで付き合ってあげればいいか、と夢路も形だけやる気を見せる。ややヤケクソ感も漂っているが、身から出た錆として受け止めるしかなかった。



 ◇



「ね? ね? クソ女の臭いがぷんぷんしたでしょ」

「わからんでもないけど……」

「でしょ? あんなロリ巨乳あり得ないっつうの! 絶対サイボーグ手術受けてるよ!」

「美容整形をサイボーグ手術って言うな」


 夢路と胸元がややさびしい薫子が病院から出てきた。


「まぁ猫かぶってる感はあったけど、あれくらいの胸は探せばいるって」

「だまれ巨乳ビッチ! 胸のデカい女はみんな嘘つきなんだ! そうに決まってる!」

「ひがむなひがむな」


 病院へ来た理由は、恭太郎の遺体を見るためだ。だがそれは単純に薫子の勘違いで、恭太郎の遺体は薫子の父母によって既に民間業者の霊安室に移されていたため、目的自体は無駄足になった。

 ただ二人が訪れた病院には、兄嫁である榊原明日香が入院していたので、夢路に顔を見せようとお見舞いという名の偵察を行ってきたのだ。


「ところでなんで義姉さん入院してんの? 第一発見者ってことは恭太郎が家で死んだ時は怪我してなかったんだよね」


 両足に真新しいギブスをして寝たきりになっていた女性を思い出して聞く。

 薫子はクソ女と憎んでいる風に言うが、見舞いの最中、明日香の足ばかりチラチラと気遣うように見ていたから気になっていた。


「あの怪我ねー、実はわたしがやったんだよねー」

「は? 余計わけわからん」


 病室で談笑していた様子を思い出し、夢路の頭に疑問が重なっていく。

 いくら猫を被るのが上手な女でも、両足を折られるような殴り合いの後でニコやかに会話をするのは無理がある。あまりにも不可解な人間関係に問わずにはいられなかった。


「だってお兄ちゃんの家調べるのにアイツいたら邪魔っしょ? だから連絡来たその日の夜にちょっとね」

「いや、それでもどうやって……」

「アイツ車の免許持ってないからさー、買い物用の自転車のブレーキワイヤーに酸性洗剤をチョチョっとしたらサビサビで赤信号にどーんっすよ。だから原因はわたしだけど犯人とはバレてない」


 てひひっ♪と舌を出してかわいらしく言う薫子。

 続けて、証拠は出ないように自転車も処分したから大丈夫とも。

 あまりに悪辣な笑顔、そして間違いなく犯行の自供だった。



「えっと、私人逮捕って現行犯以外はダメなんだっけ」

「やめて夢路ちゃん! 正義執行のためには仕方なかったの!」

「ヘタしたらアンタが殺人未遂なんだけど……ってか中学卒業する時にイタズラでブレーキサビさせるのと剥離剤でナンバープレート消すのはやめるように警察署で約束させられたでしょ。前科あるんだから調べられるよ」

「わたしそんなの知らなーい」


 記憶にございません、と薫子は素の顔で言い返してきた。

 中学生の頃は共に様々なイタズラをしてきた。中でも化学的な手法は夢路の発案が多いため、突っ込むだけ薮蛇でもある。薫子への注意は無駄だと諦めて次の目的地へと移動する。


 薫子の運転する車で向かったのは、兄恭太郎と嫁明日香の新居だ。

 夢路と薫子の実家からそう離れていない住宅街にある綺麗な新築の建物。駐車場には車を二台止め、自転車とバイクを並べてもまだ余裕がある。外からも見える庭は緑と色鮮やかな花で溢れ、いかにもハイソサエティな人種の住む家だと感心させられる。

 全体では一体何坪あるのか、土地と家だけで何億円かかっているのか、いつの間にこんな豪邸が建っていたのかと夢路は呆然とその外壁を見つめていた。合鍵を使って家のドアを開けた薫子は、そんな夢路に気づき自慢げな顔で振り返った。



「お兄ちゃんの家すごいでしょ」

「あの盗撮豚野郎がこんな金持ちになってたなんて……えっと盗撮の時効は、一年でムリか……あ、でも児ポは放棄から三年か、こっちで脅しておけば金になったのに……。くそっ、何勝手に殺されてんだよ恭太郎。死ぬなら私に慰謝料払ってから死ね」

「お兄ちゃんを死体蹴りすんなし!」


 スマホでかつて自分が遭った被害の示談金の相場を調べて後悔する夢路に、薫子の鉄槌が飛んだ。


「死ぬ前は筋トレしてブタからブタゴリラに進化してたもん」

「やっぱりアンタただの相続争いじゃん。嫁排除したいだけじゃん」


 どう聞いても敬意の欠片もない。

 兄を慕って今回の調査を持ちかけたとは思えない発言だった。


「ふへへ相続欠格じゃ済まさんぞクソ嫁~。きさまにはビタ一文やらん。わたしの邪魔になるヤツは地獄に落ちるのだぁ」

「ところでさー薫子、成功報酬はアンタに入る遺産の20%でいいから」

「それはボッタクリすぎじゃないかな夢路たん」


 二人はついに恭太郎の死亡現場へ足を踏み入れる。



 ◇



「やっぱりでかいなぁ、いいなぁ」


 広々としたリビングに、ゴム手袋をつけながら夢路は羨望の声を上げる。

 まず目についたのは100インチ以上ある大型テレビだ。それも最新の解像度を誇る200万円を超えるもの。ド迫力の重低音を出してくれそうなホームシアター用の巨大スピーカーに囲まれて存在感を放っている。

 部屋を見渡せば、掃除機も炊飯器もどこかで見覚えがある。夢路が就職で引っ越すマンション用に新しい物を買おうと家電量販店をうろついている時に見たものだ。値段は全て20万円を超えている。

 壁にはよく分からない絵画が飾られており、家具も温かみのある木製でありながらスタイリッシュなデザインで有名な北欧の有名ブランドのものだった。



「なあ薫子、兄嫁がいない間にいくつか売っちまおうぜ」

「そんなのよりこっちこっち、ここにお兄ちゃんが倒れてたって」


 部屋は警察の現場検証を終えて、全て片付けが終わっていた。

 薫子が疑うように明日香が恭太郎を殺害したというのなら、犯行に使われた物も処分されているか余程見つかりにくい様に隠されているはずだ。


「再検証する意味あんのかなぁ」

「だから事件の後すぐに入院させたんじゃん。きっと何か残ってるよ」


 薫子が新築には相応しくない深い傷跡のついた床の位置まで案内する。場所は大きく重厚な作りの棚を置いた壁の前。隣のテーブルには割れた置き時計と電池が置かれていた。

 恭一郎は電池を交換した時計を自分の背よりも高い棚の上に置こうとして、足場にした椅子からバランスを崩して床に落ちた。その時、体重100kg超の巨漢である恭太郎が棚を掴んで引っ張ってしまったため、棚が倒れて下敷きにされた――というのが警察の見解らしい。


「あれ? 死因は心臓麻痺って言わなかった?」

「うん、床で頭を打ちつけてしばらく気を失って、棚の下から這い出る時に力んだら負荷がかかったみたい。脳挫傷ではないってさ」


 警察の調べでは――


 恭太郎は腎臓を患い食事制限を勧められていたが、嫁明日香が甘やかしていたこともあり真剣に守っていなかった。そのため心臓に悪影響を及ぼす因子を多く持っていた。

 床には長時間恭太郎が倒れていた形跡があった。腕と脚は長時間棚に押しつぶされて変色した鬱血と切り傷による小さな出血も見られた。

 また、服装や部屋には誰かに襲われた形跡や争った形跡が一切なかった。誰かが訪れたという目撃情報もない。

 遺体は、虚血性心疾患の特徴である胸部の痛みを示すように胸を押さえていた。頭部に小さなこぶはできていたが出血もなく死に至る程の外傷ではない。毒物により嘔吐や口から細かい泡を吐いた形跡はなかった。


 ――という情報が分かっているため、持病の悪化による心不全で事件性はないとされた。


 さらに、現在薫子の策略によって入院中である明日香は、恭太郎の死亡推定時刻には外で友人と遊んでいたことが証明されている。

 恭太郎が死んだのは午後の1時から3時頃。第一発見者の明日香が家を出たのは朝の8時で、帰宅は午後6時過ぎ、その直後に警察に連絡している。

 唯一恭太郎に何かできた人物である明日香にアリバイが証明されたため、それ以上調査の必要はないと判断された。


「心不全か……クッキーシンドローム?みたいな事故で処理されるのは間違いないって」

「そんな名前の症候群あったっけ?」

「えーと何だっけ、大きな地震とかでたくさん死者が出たやつって言ってた」


 薫子のうろ覚えの情報をスマホで検索しメモに残しながら、夢路は会話を続ける。


「どうやってそこまで詳しく調べたの」

「おまわりさん、めっちゃ問い詰めた。剣崎のオッサンはムリだったけど、新人クンの童貞食べてあげたし」

「んげっ、剣崎ってあのスケベ親父かよ」


 それは夢路と薫子が中学から高校時代に何度かお世話になった警官だ。

 子供に取り調べと称してセクハラを働くスケベ親父として、二人が住む地区では特に嫌われ者の警察官だった。


「そう、薫子がしっかり調べてくれたおかげで、病気が重なった事故死だってもう分かったね。お疲れさまでしたお悔やみ申し上げます。それじゃ」


 唇をぺろりと舐める薫子のビッチ発言は無視して夢路は帰ろうとする。

 しかし、足をかけられてすっ転んだ。


「おうおう、おじょうちゃん。わたしはそんな答えを聞きたくてここまで連れてきたんじゃないんだよ。アンタはどうしてお兄ちゃんが死んだのか解明するんだ」


 唇がくっつくかと思う距離に詰め寄った薫子のドスを利かせた声に夢路が逃げる。

 薫子の手には昔の夢路の悪行を示す画像を映したスマホが握られていた。夢路の脳裏に入院していた痛々しい姿の明日香が思い浮かぶ。薫子はやると言ったことは必ず実行する危険な女だと唾を飲む。夢路が薫子から目を逸らすと、手入れされた庭の花壇が見えた。



「でも、こんな素敵な庭を造れる人が殺人なんてするかな」

「あのドケチロリサイボーグに花を愛でる趣味なんかあるわけないじゃん。近所のママさんにマウント取りたいだけに決まってんだよ。そういうナイーブな考えは捨てろ!」

「薫子の偏見が強すぎる……」

「わたしには分かるもん。ほら、証拠にアレ見て」


 薫子が庭のガーデンフェンスを指さした。長く伸びたネイルの先を目で追ってみれば、家の外から見た時と違い、何か透明なチューブのようなものが裏から表に飾られたプランターへと伸びている。

 近づいて一体何なのかを確認すると、透明のチューブはガーデンフェンスの上部に隠すように設置させたボトルと繋がっていた。毎日水をやらなくていいように落差で水を供給するシステムだ。


「ほら、ツマミがついてて水が落ちる速度調整できるの。これでいちいち毎日手入れしなくていいんだよ。近くで見るとボトルの中にコケ生えてるし」

「いろいろ考えるのねぇ……ん? これどっかで見たような……」


 チューブにつけられたプラスチック製のクランプを見て夢路は首を傾げた。その道具に既視感を覚えたからだ。

 夢路にガーデニングの趣味はない。夢路の家族にも。しかし、どこかで見た記憶がある。それもごく最近、数日以内、もしくは今日のこと。

 必死に思い出そうとして、夢路は庭に置かれたガーデニング道具を見ていく。同時にリビングの様子、薫子が警察から聞いた話も思い出し、


「あっ……お義姉さん、もしかして元看護師だったりする?」

「うんにゃ、そゆう経歴はないね。お友達にはいるみたいだけど……なに? それはわたしらみたいな素人にはマネできない方法ってこと?」


 薫子が義姉の情報が入っているスマホで確認して答えた。


「いや、でも必ずそうとは……あ、恭太郎に筋トレさせてたのはマッチョが好きだからじゃなくて……そういう理由でか……」

「どうした名探偵」

「アンタの義姉さん、本当に怪しいかもしれない……」


 記憶を辿り終えた夢路は、そんなことを口にした。




「ねー分かったなら教えてよー」

「全部答えが出たら話すから、まずはこの家にゴミが残ってないか探して」

「ぶぅ~」


 唇を尖らせる薫子の尻を叩いて家の中に戻す。

 その間、夢路は大学で学んだ知識と探偵である父親から教えられた知識を組み合わせ、先ほど思いついたトリックを使って明日香のアリバイを崩すために必要な物が何か考える。

 まだ完全なトリックにはなっていない。欠けているパーツを集めて完璧にパズルの穴を埋めなくてならない。


「あったあった、ゴミ袋残ってた」


 思索に耽っていた夢路に、大きなゴミ袋を回収してきた薫子が話かけた。


「わたしファインプレーじゃね」

「今やってるの違法捜査だって忘れるなよ小姑」


 ゴミ袋が捨てられず家に残っていたのは、薫子が兄嫁明日香の自転車に細工をしてケガをさせたせいだろう。

 ふてくされる薫子は放置して夢路はごみ袋を開けた。日を置いた生ゴミの悪臭が鼻腔を刺す。顔をしかめながらひとつひとつ捨てられた物を調べていく。

 料理で出る生ゴミやティッシュ、破かれた広告などだけで、特に事件に繋がるようなものは出てこなかった。


「考えてたようなものは出てこないか……」

「夢路ちゃん、これは心理トラップだよ! 証拠隠滅を謀っていないというクソ女の罠なんだよ! このゴミ袋はあえて残されてたんだ!」

「そこまでする?」

「だってあいつ、前の旦那もその前の旦那も病死してるんだよ! 手口も巧妙になるよ!」


 最初から明日香を殺人犯だと断定している薫子の発言は、もはや疑心暗鬼に囚われている狂人以外の何物でもなかった。

 しかし、夢路の頭の中に描かれた殺人計画書には、早急に処分しなければいけないものはない。薫子の妄執は別にしても、まだ恭太郎の家には調べなければならない場所がたくさんある。


「まだ疑うなら薫子は近所の人から話でも聞いてきてよ」

「夢路ちゃんは?」

「私は他の部屋を調べる」

「宝石とか高級腕時計とかあるけど盗っちゃダメだぞ」

「はよ行け傷害犯」


 役に立つのかどうか分からないが、とりあえず邪魔にしかならなそうな薫子を外に追い出して夢路は恭太郎の家を探索する。

 キッチン、浴室、洗面所、客室、倉庫、明日香・恭太郎の私室と順番に回り、犯罪に利用できるアイテムを見つけてはリビングに回収していく。


 テーブルの上には、

 ガーデニング用具と肥料、

 水垢掃除用具、

 古紙を縛るための丈夫な紐、

 医薬品のようなパッケージの化粧品ローション、

 不眠症の薬や低血圧な女性が飲む血圧の薬の入った明日香のピルケース、さらに同じ形の物、腎臓を患う恭太郎のピルケースが並べられた。



「まだ少し足りないか……他に隠せそうな場所は……」

「地下室も見た?」


 ご近所から当日の様子と普段の兄夫婦の様子を聞いてきた薫子が帰ってきた。


「地下?」

「お兄ちゃんのミリオタ部屋があるよ。よく徹夜してたからそっちの方が生活感あるぐらい」

「だから先に言えってば」


 夢路は薫子に案内されて、地下に隔離された恭太郎のプライベートルームへと足を運ぶ。


「そっちはなにか聞けた?」

「んとねぇ、ロリサイボーグはやっぱり評判悪かった。でもアリバイの話は本当みたい。あとは……なんか大きな音が昼と夜で二回したって」


 薫子の報告を聞いている内に地下室に着いた。

 恭太郎はミリタリーオタクでもあった。エアガンや本物の軍隊で使われるナイフや軍服などの装備の収集から、フィギュアやジオラマの作成までやる。そのための地下には広い専用ルームまで作られていた。

 恭太郎の趣味部屋は、蒐集品よりもジオラマが特に本格的で目を引いた。戦争映画に出てくる一瞬の映像を閉じ込めたようなリアリティのある生きた人間の動きと自然の環境が再現されている。


「あーまたお兄ちゃん変な道具ごみ増やしてるなー」


 しかし薫子には何の興味もなかった。どうせ捨てるのに、と散らばっていた道具を片付けていく。

 様々な刃物やヤスリといった工具だけでなく、有機溶剤を細かいところに入れるための注射器や大型の研磨機など、知識のない夢路からすれば、こんな物をどう使うんだと疑問に思う道具がいくつも転がっていた。自作された工具なんかもある。

 その中から、不自然に加工された工具と最近取り外された角材や木板を回収して二人はリビングに戻る。




「あれ、これもしかして、揃っちゃった?」


 夢路が眉をひそめて呟いた。

 いくら悪友に頼まれたからといって、本当に殺人に使われた道具など見つけたくはなかった。恭太郎の家に入った時には、毒殺でもなく故意に心臓麻痺で人を殺す方法なんてあるわけがないとも思っていた。

 しかし、ふと思いついたトリックを辿って行ったら、それを実現させるに足りるだけの道具を全て見つけてしまった。あとは細かい部分まで詰めていけば、夢路が思い描いた犯行の様子を完全に再現できるはずだった。

 ここまで予想通りに来ると面倒事は避けたい夢路も開き直ってしまう。


「薫子、謎は全て解けた!」

「夢路がジャニオタなのは知ってるから、ものまねしてないで早く説明しろよ」

「また金田一と銀狼リメイクしないかな」

「どうでもいいからはよ説明しろって! わたしが理解しないとお兄ちゃんが浮かばれないだろおおおお!!」

「アンタらそんな仲良くなかっ――誰だッ!?」


 外から音がした。不審者対策で家の周りに敷かれた砂利の擦れる音だ。どんなに足音を消そうと優しく踏んでも、大きな音がなるように軽くて空気の入ったガラスやセラミックの上を無音で歩くことはできない。

 窓を開けて外を見る。二人は一瞬だけ視界にその姿を捉えた。地味な服装に、男と思われる屈強な大きな背中、数秒追いかけるのを躊躇うとすぐに外を走る足音は聞こえなくなった。


「協力者がいたんだ。どうしよ、顔見られたかな?」

「ロリサイボーグの仲間?」

「不安になって確かめに来たんだよ。薫子が義姉さん入院させたから」

「わたし悪くないもんっ」

「かわい子ぶってんじゃねぇよ22歳が! 私に何かあったら一生恨むからな!」


 夢路が頬を膨らめた薫子にビンタをかました。

 年収の高い職業につくのが難しい生物科の夢路は、奇跡的に大手化粧品の開発部に就職が決まっていた。こんなところで殺人犯のような危険人物と関わっていられない。もし顔を見られていたら自分も狙われるかもしれない。夢路の顔が青ざめる。

 頬を赤くした薫子は、そんな頭を抱える夢路の肩を笑いながら叩く。


「じゃあ次は共犯者も調べに行こっか♪」

「こいつヤダもお~」



 ◇



 久しぶりに薫子が夢路の実家に泊まった翌日、二人は朝一で再び明日香のお見舞いに来ていた。


「どうぞアスカさん、お母さんの代わりにお着換え持ってきました」

(やっぱりコイツ整形してるよな、つか身長150でHカップっておかしいだろ。触った感じ冷たくはないし脂肪注入か?)

「ありがとう薫子ちゃん」

(なんで義母さんじゃなくてオメーがくんだよ、ウゼェな)


 笑顔と作られた声で挨拶をする嫁小姑に挟まれた夢路は、その裏で交わされる副音声の幻聴を聞いていた。

 昨日から続く薫子の愚痴に洗脳されて明日香の印象が悪くなったわけではなく、長年悪さをしてきた女の勘が明日香には裏の顔があると告げていた。

 夢路自身も男を欺いて援助という態の大金をせしめていた人間だ。あながち脳が勝手に作り出した妄想とは言えないリアリティを感じる。


「ところでアスカさん、顔色が悪いみたいだけど」

「え、ああ……そうね。まだ、恭太郎さんが亡くなったなんて、信じられなくて……ううっ」


 少し世間話をした後、薫子は余計な話もしたくなかったのか、急に明日香を気遣うように話題を変える。

 明日香も明日香で、薫子に話題を切り替えて早く帰ってもらいたいのか、恭太郎の名前を出して涙ぐんでしまう。


「ダメだよ。栄養摂らなきゃアスカさんまで倒れちゃうよ。わたしがプリン食べさせてあげる」


 薫子はベッドに備えつけられた冷蔵庫を開けると、昨日の内に入れていたプリンを取り出し、事故の傷で両手を上手く使えない明日香に食べさせようとする。

 明日香も最初は遠慮しようとしていたが、おやつは毎日食べないと気が済まない極度の甘党の明日香は、薫子の好意に甘えようとして口を開く。


「あーーーん、ってアッ! ごめんこぼしちゃったァ」

「ナニしやがッ……大丈夫、薫子ちゃん?」


 イスの足につまずいたフリをして、薫子がプリンを床に落とした。

 床を掃除しようと薫子が顔を伏せると、夢路がいるのを忘れて明日香が一瞬だけ素の表情を見せる。それを見て、夢路は薫子の抱く疑いの信憑性が増していくのを感じていた。


「ごめんねアスカさん。病院のコンビニで新しいの買ってくるよ」

「いいよ、そこまで気を遣わないで」

「へいきへいき、アスカさんが大の甘党なの知ってるから」

「手もこんなだし、買ってきてもらっても一人じゃ食べるのも大変だし……」

「そお? じゃあ、今持ってるのアメしかないけど食べる?」


 バッグから飴の袋を開けて差し出すと、明日香はひとつ取り出して口に入れる。

 甘味を取れて満足したのか、やや笑顔になってゆっくりと飴を舐める様子を確認した薫子は、また来ると別れの挨拶をして席を立った。手を振る明日香からは、薫子がいなくなって安心するような空気が流れていた。



 この日は自分が明日香から情報を引き出すから任せろと言われ、夢路は何の詳細も聞かされていない。訳も分からず病室から押し出されてしまったが、当たり障りのない会話のどこに事件と関係する要素があるのかさっぱり分からなかった。

 薫子は部屋を出た後、外に出ずにエレベーターで入院病棟よりも上に向かう。早く話を聞きたいところだが騒ぐわけにもいかない。朝からやっている病院内の喫茶店に入り、そこでやっと薫子の真意を問い質そうとするが、


「夢路もアメちゃん食べりゅ?」


 聞くよりも先に、のん気に飴玉を差し出された。

 朝食は済ませてある。昼食にはまだ時間が早い。しかし、これからのことを話すのに、喫茶店にいる時間は長くなりそうだ。そう思い、夢路は薫子から飴をもらう。


「んん……なんか変な味だね」

「クソ嫁に食わせるためにわたしが作ったんだけど」


 明らかに不審な呟きだった。

 飴を転がしていた舌が止まる。


「オウこらてめぇ、私にナニ食わせた」

「やだなぁ何マジな顔してるの? ただのCBDキャンディだよ」

「ペッ!!」


 反射的に紙ナプキンへ飴を吐き出した。

 夢路は薫子に言われたものが何か知らなかった。

 しかし、飴を修飾する単語にCBDなどというアルファベットが使われているのを聞いたことがなかった。薫子も同じ飴を舐めているのだから、それほど危険なものではないはずだが、最後まで舐めようとは到底思えない。


 薫子の持っている飴は、夢路も知るコンビニで普通に売っている日本の商品だ。恐らく中身だけを入れ替えている。

 答えを求めてもニヤニヤしているだけの薫子には期待せず、夢路は自分のスマホで検索をかける。すると意外と有名な物だったか検索結果はたくさん出てきた。


 CBDキャンディ。

 別名を大麻マリファナキャンディ。


「いたぁっ!?!?」


 反射的に、今度は薫子の頭を叩いていた。

 夢路に叩かれた薫子が唸りつつ涙目でテーブルにうずくまる。


「なんでぇ? 大麻で違法なのはTHCで、CBDは合法なんだよ」

「知るかバカ!」

「やーだなぁ無知な人の暴力ってー。眠剤より安全なのに」


 薫子が頬を膨らめて夢路に抗議し返す。

 CBDカンナビジオールは大麻に含まれる化学物質のひとつ。同じく大麻に含まれ、精神に依存性を与え興奮剤となるTHCテトラヒドロカンナビノールと違い、日本でも合法である。

 CBDには精神をリラックスさせる作用があり、海外では薬に利用されるだけでなく健康食品としても売られている。日本でも個人輸入は自由であり、取り扱っている企業も増えている。

 ただし、まだまだ日本では信用できない会社や個人でネット販売している者が多い。値段が本来の数倍と高くなっていたり、違法であるTHCが含まれる場合もある。薫子には、いきなり食べさせられて怒る夢路に反論する資格はなかった。


「病院で患者にそんなもん食わせるとか、マジ無敵だな薫子」

「まあね」

「ホメてない。そもそもアンタは――」


 人のいない喫茶店で、恭太郎の死から薫子がしでかした犯罪行為も含めて夢路のお説教が始まった。しかし薫子はどこ吹く風。夢路と薫子は互いに悪友という認識である。昔から共に悪さをしてきた相棒に叱られる筋合いなどないと開き直っていた。挙句の果てに、最後はパパ活脱税のことで夢路が黙らされる羽目になった。

 二人が喫茶店に移ってから30分ほど立つと、時計を見た薫子が病室に戻ろうと言い出した。

 明日香の病室に戻る。ベッドの周りにはカーテンが引かれ、中から看護師が出てくるところだった。



「明日香さんなら眠っちゃったところですけど」

「そうですかぁ、起こさないように待ってるので大丈夫でーす」


 仲の良い義妹を演じて、看護師とすれ違いにカーテンの内側に入った。


「んーぐっすり。……でもリラックス効果が効き過ぎてるような……つまりこれは反動かな。過度の緊張を隠してたってことだよ夢路ちゃん。犯行の確証を得たと言えないかい」

「言えねえよ。旦那が死んだら誰でも心労溜まるだろ」

「さぁてスマホはどこかにゃー」


 夢路の意見は無視して薫子は明日香のバッグを漁りはじめた。

 かわいらしいピンク色のスマホケースを取り出す。電源を入れて指紋認証を求められると熟睡している明日香の左手を取って解除した。


「なんでそんな手慣れてんの?」

「ふむふむ、使ってるのは電話にブラウザ、カメラ、SNSとチャットアプリだけかぁ」


 まずは設定の電源メニューから、電池の消費量・使用頻度の高いアプリを確認していた。すごい早さで通話履歴、ブラウザの閲覧履歴、SNSの更新内容、チェックしているお気に入りの相手と調べていく。無音カメラアプリで開いた画像を撮影するのも忘れない。

 女子大生として普段からスマホを駆使している夢路でも驚くほどの手際だ。こういう調査の時に何をしたらいいのか熟知している、そんな動きだった。


「アンタ、この四年ほんとに何してたのよ……」

「ぬふふ~わたしも探偵事務所ひらけちゃうかな~」


 しかし、インターネットの履歴やSNSからは特に目ぼしい情報は得られなかった。最後に薫子の指がチャットアプリに伸びる。そしてグループの中のひとつに、思いもせぬ名前を見つけ出した。


「夢路ちゃん、これ」

「……剣崎?」


 それは恭太郎の死後、捜査に来た警官の一人だった。



 ◇



「あのオッサン、まだあくどい事やってるみたいね」


 ひっきりなしに夢路のスマホから通知音が鳴っている。

 夢路は昔の後輩に連絡して剣崎刑事の評判を調べていた。パパ活から一線を退いた後も、夢路は後輩にアドバイザーとして慕われていたため、すぐに情報は集まった。


 剣崎刑事はどうしようもない女好きで有名な刑事だった。

 補導された不良少女には、警察という立場を利用して剣崎からセクハラを受けた子も少なくない。夢路の後輩の中にはパパ活に剣崎が現れて逃げたと報告する子もいた。

 夢路が知るひどい噂では、ロリコンのセックス依存症だとか押収した児童ポルノの横流しもやっているという話すら出ていた。もっとも色々な場所で恨みを買っていた警官だったので真偽は確かではないが。



「でもこれで納得できた」

「なにがさ?」

「恭太郎を殺した方法は分かったけど、明日香さん独りだとたぶん確実な完全犯罪は出来なかったって話」

「犯罪者が繋がった?」

「そう、たぶん昨日覗いてたヤツが剣崎だよ」


 しかし、それが分かったところで相手は警察官だ。明日香のスマホを勝手に覗いて名前を見つけただけで殺人事件に関与しているとは言えない。言っても夢路と薫子の行っている違法捜査が問題になるだけだ。


「もしかしたら、もう一度恭太郎の家に侵入してくるかもしれない」

「張り込みしますかい?」

「むしろ尾行? 警察署から行動を追った方がいいかも」


 剣崎に何か後ろ暗いことがあるなら、どうにか証拠を押さえたい。できれば誰かの手を借りたいが、薫子の妄想程度に考えていた事件が想像を超えて大きくなってしまった。下手に誰かを巻き込めない。自分たちでどうにかするしかない――そう考えての夢路の案だ。


 夢路の意見に異論を挟まない薫子は、準備をすると言って一旦帰っていった。夢路は自分も目立たない動きやすい服装に着替え、本物の探偵である父親から貰った防犯グッズを装備して待ち合わせ場所に向かう。

 夕方、夢路は警察署が見える駐車場に車を止めて、入り口に通じる二つの道をそれぞれ監視していた。



「こちらブラボー、目標を確認」


 剣崎を見つけた薫子から連絡が入る。


「ところでブラボーでいいのかな、女ってブラバーじゃね」

「フォネティックコード使ってるのにわざわざ性別教える意味ある?」


 徒歩で移動する剣崎に合わせ、二人は距離を取りながら尾行をはじめた。だが服装に特徴がなく帽子を被った剣崎は人込みに紛れると見失う可能性が高い。緊張しながら後をつける。駅前まで行くと、剣崎は誰かと待ち合わせをしているようで壁に寄りかかってスマホをいじり出した。


「すごいな剣崎、仕事帰りに援交かよ」

「不良警官の鏡だね」


 やって来たのは女だった。

 大人ぶった服装と化粧だが、パパ活上級者の二人の眼は誤魔化されない。剣崎に会いにきた女はまだ未成年、それも恐らく高校生だろう。しかも剣崎と女の二人は、軽く食事を済ませてすぐに人通りの少ないホテル街の方角へ歩き出した。案の定、そのままラブホテルへ入っていく。


「わたし達も入る?」

「なんでだよ」

「あのホテルの受付けなら知り合いだし、話つけて隣の部屋入れるよ。壁薄いから会話も盗み聞ぎできるかも」


 薫子の提案にしばし考える。

 援交相手の小娘に重要な情報を漏らすだろうか。

 それにいくら壁が薄い安ホテルでも、喘ぎ声が響くぐらいで会話の内容まで正確に聞き取るのはムリがある。


「クソ嫁がお兄ちゃんの遺産から協力に対する報酬を出すなら、金銭面で何か言うかもしれないじゃん。もうすぐ大金が入る~とか」

「んーでも……私の見立てだとさっきの女はちょい高いよ。ゴム有りオプションなしでも最低ホ別4は取ってるね。何度も会ってる相手みたいに見えたし、警官の給料では無理な相手だと思う。この時点で剣崎は給料以外の金を持ってるよ」

「……パパ活玄人の洞察力やべぇな」

「玄人言うな! あと私は売春はやってない!」


 夢路の容赦ない肘が薫子の脇腹を襲う。


「出てきたとこ写真撮って児ポで通報してやれば、アイツを事件から外した上で警察に陳情できるんじゃない?」

「了解っす」


 夢路とお腹を押さえた薫子はラブホテルの入り口を見張る。



「……なげーよ。恋人じゃないんだから一発ヤッたらすぐ出てこいや」

「探偵の基本は張り込みだけど」

「確かにぼったくり料金取るわけだ、頭おかしくなりそー」

「人の父親の仕事にぼったくりとか言わないでくれる?」


 男女がホテルに入ってから二時間が経過しようとしていた。

 徐々に薫子の言葉に愚痴が増えてきている。

 探偵といえば尾行、聞き込み、張り込み、浮気現場の盗撮だが――どれも普通の人間なら精神に異常が出るような行為だ。ずっと同じ場所を見張る忍耐力はもちろん、誰かを疑い続けること、人間の裏の顔を見てしまうこと、薫子が言うように適性がない人間には耐えられない。

 夢路は明らかに不機嫌になっていく薫子の方を見ないでいた。すると、それまで腕を組んで足で地面を叩いていた薫子が急に静かになった。


「……夢路ぃ」

「なに」

「出てきた」

「よし撮れ」


 薫子の視線の先には、一服してすっきりした顔の剣崎と援交女がいた。

 夢路は急いで薫子に指示を出す。

 パシャ――と大きなシャッター音。

 そして眩しいフラッシュが焚かれた。

 薫子の手にあるのは、スマホでもデジタルカメラでもなく使い捨てのフィルムカメラだ。


「おいなんでフラッシュ焚いた!? つかなんで使い捨てカメラ!?」

「だって暗いと画質悪くなるし、フィルムの方が証拠能力高いし?」

「アアアァ! このバカ使えねえええぇ!!」


 写真を撮られたと気づいた女は走って逃げた。

 剣崎の方は憤怒の形相を浮かべ、自分を尾行していた夢路と薫子を詰問しようと近づいてくる。


「今取ったカメラを渡ッ――お前は昨日の!?」


 夢路はその言葉を聞いて、剣崎は恭太郎の検視後に会った薫子だけでなく自分も知っている、つまり恭太郎の家を調べにきた男であると確信した。


「どうする相棒、パパはたぶん一戦終えて疲れてるぞ。逃げるか」

「いいえ、ここで恭太郎殺害のトリックを暴いて共犯を自首させる」

「ほんとにトリック解けてんの?」

「任せなさいって」


 見つかってしまえば逃げられないと腹をくくる。

 疲れていると言っても、セックスした後ってだけじゃたかが知れてる。

 よく足を使う刑事から運動不足の女子大生が逃げられるはずもない。



「それ以上近づかないで!!」


 夢路は110番の発信画面で止めていたスマホを剣崎に突きつけた。

 分が悪いと感じた様子の剣崎は足を止める。


「お前ら、オレに一体何の用だ」

「剣崎刑事、自首してくださいっ!! あなたが榊原恭太郎殺害の共犯であることはわかっています!」


 人の少ないホテル街といっても誰もいないわけではない。

 周囲の注目を引こうと夢路は声を張り上げる。


「身内が亡くなったのには同情するけどなぁ、あれは事故で――」

「明日香さんのアリバイを崩すトリックはもう分かっています! 薫子タブレット!」

「どうぞ名探偵」


 太鼓持ちと化した薫子から自分のデータを転送してあるタブレットPCを受け取った。

 画像フォルダから取り出されたのは、昨日恭太郎の家で集めた心臓麻痺殺害トリックに使われた道具だ。


「これを見れば、私の言いたいことは分かるでしょ」

「分からんな。ただの粉とペットボトルだろう、それがどうしたっていうんだ」

「シラを切っても無駄よ。お前らのやったことは丸っと全部お見通しだ!」

「夢路ちゃんトリックも好きだよね」

「うるさいよ」


 タブレットの画面に映っているものは、

 ガーデニングの肥料に使われる粉末、

 ガーデニングに使われていた水やり用の透明の管、

 水垢清掃用のクエン酸粉末、

 口を加工されたペットボトル、

 ジオラマ用で有機溶剤を扱う注射器だ。


「これは明日香さんのアリバイを崩す――簡易安楽死キットだ」

「安楽死だと?」


 共犯であることを認めない剣崎に、夢路は画面に映っている物の正体をひとつひとつ解説し、自分の推理を聞かせる。


「当たってるでしょ。今回の事件、毒物として使われたのは植物の肥料用カリウム粉末。これが恭太郎の心臓を止めた犯人だ」


 これらの道具の使い道を考えるには、薫子がくれた病名がヒントになっていた。

 それを知らずに答えには辿り着けなかっただろう。


 薫子が若手警官から聞き出した情報――長時間棚に押しつぶされていた恭太郎の死の原因として挙げられる名称の一つが挫滅症候群だった。またの名をクラッシュシンドロームという。

 体が潰された場合などで大量失血を防ぐため強く止血した後、止血帯をほどき止まっていた血流を再開させることで起こる臓器不全。その初期の死因とされるのが、圧迫により破壊された細胞内のカリウムが血液中に一気に漏出して起こる高カリウム血症である。


 カリウムもナトリウムやカルシウムと同じく誰の体内にも当たり前に存在する電解質だ。決して特別な毒物などではない。

 しかし、血中のカリウム濃度が上がりすぎると心臓の筋肉を収縮させるための電気信号となる物質、ナトリウムイオンの移動を妨害してしまう。その結果、心臓が止まり死に至る。

 経口摂取しただけでは、汗や尿、嘔吐で体外へ排出されてしまうが、飽和水溶液を血管へ直接投与された場合、カリウムは死をもたらす毒となるのだ。


「明日香さんはこれらの材料でカリウムの点滴キットを自作した」

「ガキがッ、点滴など素人が家で作れるはずないだろ! 薬機法も知らんのか」

「そうね、私もそう思ってた」


 画面に映されたプランターの水やり用に使われていた透明のチューブを指さす。


「これ、病院で使われてる輸液回路よね。明日香さんの点滴に使われているのと同じものだった」


 薬機法――医薬品や医療機器、器具に対する法律である。これにより本来、医療器具の売買は禁止され資格のない一般人は購入できなくなっている。

 しかし、滅菌期限が切れたらただのプラスチックごみと化す点滴用の回路など、それだけは悪用のしようがない物は、ガーデニングや工作用などと名前を偽ってインターネットのオークションサイトで平然と売られているのが現状だ。



「一番の問題は注射の針。これは画像でも何かすぐ分かるし、オークションサイトの運営も扱いが厳しいみたいで流石に見つからなかった……だから恭太郎に筋トレさせてたのよね?」


 簡単に手に入る工作用の針と医療用の針で違うのは、鋭さ・細さ・生体適合性の三つである。

 血管に針を刺すという行為は殊の外難しい。最大の理由は、皮膚の上から見えている以上に血管が細いからだ。だが、それならば針を刺す相手の腕を太くすれば解決する。

 トレーニングにより筋肉量が増えれば自然と流れる血液が増える。それに合わせて血管は太く発達する。痩せれば脂肪に埋もれていた血管が浮かび上がる。素人でも切れ味の悪い加工した工作用の針を刺せる血管になる。

 そして最後に、人体にとって異物である針が血液に触れれば、血液が凝固して針穴がふさがってしまうという生体適合性の問題。これは水垢掃除用のクエン酸が血液の凝固を防いでくれる。


「そう言えば、明日香さんの化粧品の中にヘパリン類似物質ローションもあったっけ。インターネットがあると、どれだけ規制しても完全犯罪に必要な物って結構簡単に揃っちゃうんだよね」


 ヘパリンはクエン酸とは別の作用で血液の凝固を防ぐ薬剤の名称だ。

 似た効果を持つ化粧液が薬局で普通に売られている。


「まずは薬局で買ったクエン酸と濃縮させたローションを溶かしたものをペットボトルから体に繋がるチューブと針先まで充填する。そしてチューブの一部分だけ凍らせておけば、凍っていた部分が溶けた後にボトルからカリウム溶液が体内へ流れ高カリウム血症を起こす――特殊な毒物の一切出ない、時間差トリックを可能にする殺人点滴キットが完成するのよ」


 夢路の推理が進む度に、怒りで真っ赤に染まっていた剣崎の顔色が青く染まっていった。

 理屈は成り立っていても、夢路に本当にそのトリックが使用されたかは判断がつかなかった。剣崎の様子を見てようやく自分が真相に近づいていると確信を得る。


「でも注射なんてしたら医者にバレない?」

「それを隠すために棚を倒したんでしょ。恭太郎は死ぬ前に棚に潰されてなんていないの」

「……そうなん?」

「本当は棚の板に合わせた太さの角材と木板で、血が止まるくらい強く縛っていただけでしょうね。棚の重さで起きたうっ血による細胞壊死でクラッシュシンドロームが起こったと錯覚させるのと、注射痕を消すための擦り傷を作る理由に、後から棚を倒して偽装したのよ」


 すでに呆然として、聞いているのかいないのか分からない剣崎の代わりに薫子が目を丸くする。


「でもでも、そんなことされてお兄ちゃん起きなかったの?」

「明日香さんのピルケースに不眠症の薬があったじゃん」


 明日香の部屋で見つけたピルケースには、かなり強力な睡眠薬が入っていた。薬で眠らされたら多少殴られようが針を刺されようが起きることは無い。

 後は救急車を呼ぶ前に、点滴キットを庭のプランターの水やり道具に戻す。事故に見せかけるために死後硬直して欲しい体勢で体を縛っておいた紐を片づけて食事の跡を細工すれば、ブランチの後で事故に遭い意識を取り戻してから死んだように見せかけられる。


「あと明日香さん、内科で低血圧用に昇圧剤……強心薬も処方してもらってた。それを同じピルケースを使う恭太郎が間違えて飲んでいたことにできれば、さらに事故死の理由は増える。元々、透析やってる人はおしっこでないから血中カリウム濃度が高いし、水が体内に溜まってる分ふだんから心臓に負荷がかかってる。点滴で水を入れるだけで死んでもおかしくない。いつ事故が起きても不思議じゃない状況を時間をかけて作ってたのよ」

「夢路すげぇな! 人殺しの才能あるよ!」

「薫子の体で今のトリック検証してやろうか?」


 今回の事件、殺害方法はカリウム注入による毒殺と言える。

 だがその背景には、日頃の不摂生による虚血性心疾患、腎不全と血液透析の薬物による慢性的な血液の異常、クラッシュシンドロームと『この条件・この状態ならば事故死と判断しておかしくない』という何重にも張られた思考誘導が潜んでいた。

 ひとつひとつが否定できない正当性を持ち、自ら抱いた疑問に答えを出すことで人間は満足し思考を停止させる心理的トラップも含まれた殺意の高い事件だ。


 複雑に仕組まれた殺人方法と、長い時間をかけて確実に病死・事故死の状況を作ろうとした明日香の計画に、薫子が場違いな感嘆の声を上げる。

 しかし、夢路はまだ大事なことを言っていなかった。

 一見、毒物は出ない。時間差のトリックにより第一発見者でも疑われることのないこの殺人方法だが――それでもやはり現代の司法解剖からは逃れられない。

 全身複数ヵ所で採血した場合にでる不自然なカリウム濃度の差。それに僅かでも穿刺を失敗していれば、その後から解剖医は異常を見抜いてくる。

 だからこの完全犯罪は最後の一押しが必要になる。


「この方法は、検案に当たった医師がどうにか違和感に気づけたとしても、アリバイのない犯人像はなく、分かりやすい毒物反応もない。だから遺族に解剖を提案しても配偶者であり犯人でもある明日香さんが病理解剖を拒否すれば全て闇に葬れてしまう」


 薫子ではなく、自分に言われていると感じた剣崎の顔が少し揺れた。


「そう、たぶん誰も気づかない殺人方法。でもそれはたぶんでしかない。完全犯罪を確実に成立させるには、現場で発言力のある捜査官が最後の一押しをすることが大切なのよ。……と言っても、一言『これは事故だ』って言うだけだけど」


 これが一人で殺人を行ったはずの明日香に仲間がいた理由だ。

 殺人事件を起こすのに警官の味方ほど心強いものはない。彼らはトリックやアリバイに手を出さすとも、上手く練られた方法ならたった一言で事件を事故に変えてしまえるのだから。


 夢路は剣崎の反応を見て、自分が間違っていないと確信を得た。そして、自分は正しいと調子に乗ってしまった。それがいけなかった。

 追い詰められた剣崎がどういう行動に出るのか。今、視線を逸らし地面に向けられた表情がどういうものになっているのか、全く想像もできていなかった。


「明日香さんとは結構前から知り合いだったんでしょ? こんなことを頼むくらいだから、あんたも弱みを握られて……あっ、明日香さんとも昔援助交際してたとか?」

「……オレは事情聴取で話した以外にその女と面識はない」

「ウソよ。もう明日香さんは自分の罪を認めてる。アナタも観念なさい」


 さらに追い打ちをかけるように、夢路は薫子のタブレットから新しく画面を見せる。

 開かれたのはチャットアプリ。夢路は自分が作った偽物の明日香のアカウントで、推理に対して自供するメッセージを返した画面を用意していたのだ。現状のように犯人と直接やりあう場合になってしまったら自首を促せるように。



「そうかよ……何もかもお見通しだってか……」

「もう分かったでしょう、自――」

「きさまが、きさまがいなければああああアアアああアぁぁ!」


 発狂した剣崎が夢路めがけて襲い掛かる。


「え、こういう時って大人しく捕まるもんじゃないの!?」


 どれだけ華麗に殺人事件のトリックを暴こうと、所詮夢路は単なる私立探偵の娘でしかない。危険な相手と渡り合った経験など一度もない小娘だ。鍛えられた男が恐ろしい形相で迫ってきても、恐怖し慄いて動けなくなってしまう。


「まったく夢路たんはツメが甘いなー」


 そんな夢路の危機を救ったのは、後ろで影に徹していた薫子だった。

 夢路の首襟を掴んで後ろに引っ張る。剣崎の伸ばしてきた手を強引に避けさせ、いつの間に手に用意していたのか金属性の棒で剣崎の首を殴りつけた。しかも、金属棒と剣崎の接触する瞬間、バチッ!と青白い光と共に電気の走る音が路地裏に響く。


「……かおる、こ?」

「ふふふ、スタンガンは乙女の嗜みだぜー」


 そう言って、薫子は二度三度と剣崎に向けてスタンバトンを押し当てた。その度に数万ボルトの電流が流れ、大の男が陸に打ち上げられた魚のように跳ねる。やがて指一本動かせなくなった剣崎を見て、夢路は腰を抜かしその場に崩れ落ちた。


「いやー名推理だったね、夢路ちゃん♪」

「まじで殺されるかと思ったぁ……」

「名推理だったけど、名探偵になるには鍛え方が足りないかな」

「探偵なんて絶対ならないし! もうアンタにどう脅されようと絶対こんなマネしないから!! 私はこれから普通の会社員として生きてくの!」

「もったいない」

「うるさいバカ」


 何度か深呼吸をしてから警察へと電話をする。

 殺人の実行犯である明日香はまだ入院中だが、剣崎が明日香の犯行を知り協力していたことは間違いない。今回起こったことも合わせて説明すれば、少なくとも恭太郎の家族である薫子と父母の意思で、その死因は特定されるだろう。


 たった二日間のことだったが、夢路は殺人事件を追いかけるという人生に一度あるだけでもおかしいイベントを見事に乗り越えた。

 倒れた剣崎の姿に全身の力が抜けると、その安堵に腹から大きく息を吐く。一体なぜこんなバカなことをしていたのかと、薫子と互いの顔を見て笑い合う。

 二人は通報を受けたパトカーが迎えに来るまで、薄暗いホテル街の路地裏で大声を上げて笑い続けた。



 ◇



 パトカーで警察署に着いた後だが――

 二人は自分たちがした違法な情報は隠して都合の良い部分だけを説明しようとした。しかし、打ち合わせをする時間が少なかったせいもあって、夢路と薫子でところどころ証言が食い違い、取り調べは朝まで行われる羽目になった。

 最後は警察にいろいろと目をつけられる結果になったが、話を聞いた警部が事件性があれば必ず最後まで責任を持って全ての謎を暴くと約束してくれたので、明日香のことは任せていいと安心できた。



「佐久良夢路さん、真崎薫子さん、もう帰って頂いていいですよ」

「はーい」

「はい。……はい? まさきかおるこ? え、だれ」

「あーやっと帰れるぅーー」


 待合室で待たされていた二人にようやく帰宅の許可が下りた。

 ただ、呼ばれた名前に違和感を覚えた夢路は、警察官の言葉を頭の中で何度か反芻して確かめる。


 真崎薫子。

 薫子は夢路が知る『榊原薫子』と違う名前で呼ばれていた。

 薫子の両親が離婚したとは聞いていない、となれば考えられる答えはひとつだ。警察署を出てから夢路は薫子に問いかける。


「アンタ、結婚してたの?」

「はいほい」


 スマホに保存された旦那とのツーショット写真を見せてくれる。

 雰囲気のいい優しそうな……非常にふくよかな男性だ。

 殺された恭太郎と同じく、腎臓が悪いのか顔がややむくんでいる。

 そして夢路はもうひとつ気がついた。

 薫子の表情。

 明日香を前にしていた時と同じ、作られた乾いた笑顔だった。


「ところで夢路ちゃん、すごい大活躍だったけど、夢路ちゃんは探偵になるの?」

「はぁ? だからこんな危ないマネ、もうこりごりだって」

「そっかぁ。それはよかった」


 薫子がいつものように明るい声で笑う。

 しかし、その笑顔はただの作り笑顔じゃない。

 暗いものを宿した笑顔だった。

 長いことつるんでいた親友だったから気づける闇。

 突然、自分の知らない顔を見せてきた薫子に夢路は呆然と見送ってしまう。その間に薫子はタクシーを捕まえて乗り込んでいた。窓から顔だけ出して夢路に語りかける。


「夢路ちゃん、今回はいろいろになった。ありがとね」

「……べん、きょう?」

「いやーこれでお兄ちゃんの遺産はわたしの物だし、邪魔な同業者もひとり減るし、ほんと夢路のおかげで薫子ちゃん大勝利だったよ」

「ちょっと、同業者ってもしかして――」

「そいじゃ報酬は口座に振り込んどくから。またネタに困ったら遊びに来るよ。それまで元気でな相棒♪」

「アンタまさかっ……待て薫子ぉーーー!!」


 夢路の静止する声では薫子の背中を掴むことはできず、タクシーは薫子を乗せて発進した。すぐに連絡を取ろうとするも、薫子が高校を卒業した時と同じで、電話もメールもチャットアプリも通じなくなっていた。


 薫子の最後の言葉――“勉強”に“同業者”。

 そして薫子のスマホにあった幸せそうに見えない結婚写真。

 それだけではない、薫子が殺人事件だと確信していた点、トリックに対する執着、明日香に対する敵意と思い返せば引っかかる点は多かった。

 四年間、一度も連絡の取れらなかった薫子が何をしていたのか、その真実が見えて夢路はその場で動けなくなってしまった。


 しかし、今更気づいたところでどうしようもない。

 数分立ち尽くして夢路が出した答えはそれだった。

 結局、夢路は今回の事件の全てを忘れることにして帰路についた。




 五年後、警察の未解決事件を紹介するテレビ番組で、夢路の解いたトリックを改良した結婚相続殺人が全国のお茶の間を賑わすことになる。その番組を見た夢路は、薫子を追うべく父親の探偵事務所への転職を決意するのだった。



 <佐久良夢路の危ない春休み・終>


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ