耳をすませば聞こえてくる あの夏の声が
―あらすじ―
駅で一番怖いもの、知ってる?
全文約4000字
「出るらしいよ」
「えっ、またぁ~?」
バイクが壊れて久しぶりに乗ることになった田舎のローカル線。一時間に一本しかない帰り電車を待っていると、他の高校の子たちの話声が聞こえてきた。制服もまともに着ない不良なあたしとは違う、清楚なセーラー服に身を包んだ三人組のする噂。ちょうどヒマだったから耳を傾けてみる。
「ちがうよぉ、今度は、ホ・ン・モ・ノ」
「前も本物だったでしょ」
「それ痴漢で捕まったおじさんでしょ。幽霊の話だってば」
「ぷっ」
ちょっと噴き出しちゃった。
真面目な学生が幽霊なんてかわいいこと言うからつい笑っちゃったわ。
三人組がバッ、とこっちを見てきたので、手の中にあったスマホに集中しているフリをする。
「でね、その幽霊、探し物があって聞いてくるんだって」
「何を?」
「それはねぇ……おそろ――」
『まもなく、二番線に電車が到着いたします。白線の内側でお待ちください』
電車のアナウンスが聞こえてきた。
もぉいいとこだったのに、最後聞こえなかったじゃん。
でもどうせヒマつぶしだったし、べつにいいけど。
三人組はまだあたしを気にしてたっぽいから後ろの車両に乗る。
田舎の代わり映えのしない風景を見ながら、気づけばうとうとして――
「んごっ!?」
やばっ、寝過ごした!?
窓の外を見る。
だいじょーぶセーフ、まだ畑と山が続いている。
降りる駅はまだ先だ。
てかあたし、「んごっ」て。
やっべー、じょしこーせーにあるまじき失敗だわ。
学校だったら絶対動画上げられてたわ。あぶなかった。
席を立ってドアの前で降りる準備。
途中見た隣の車両には誰も乗っていなかった。
さっき見た彼女たちはもう降りたみたい。
電車通学していた頃を思い出す。
帰りの電車はいつも一人だった。
駅も無人駅だしちょっと寂しい。
バイク直すより、早く一人暮らししたいなー。
ドア前の手すりに肩を預けて、またスマホをいじる。
…………ん?
なんでだろ、電車が止まんない。
ドアの前に立ってからもう十分は経ったのに次の駅が来ない。
外の風景も見覚えが無い。
……ここは……どこ?
疑問が頭に浮かぶのと同時だった。
背中に誰かの息づかいを感じた。
えっ、なんで?
あたし以外誰も乗ってなかったのに。
電車の中は空調が利いてて生温かいのに、体の芯から冷えるような気持ち悪い風が首筋を撫でる。
これ、もしかして、さっきの子たちが言ってたゆうれ――
「ボク――の――持ってない――?」
かすれた声が聞こえた。
いつの間にかドアのガラスに人が映っている。
真夏なのにスーツとコートを着たおじさん。
え、だれ、いつから?
今のあたしに聞いたの?
なにを、いや、ゆうれい、こわい。
頭の中で言葉が次々に浮かびあがる。
でもノドが震えて声が出ない。
「答えなくてもいいよぉ、知ってるからぁ」
今度はもっとハッキリと聞こえた。
答えなくていいの?
答えたほうがいいの?
何を持ってないか聞いたの?
わからない。
あたしが口を開く前に、おじさんが次の言葉を言った。
「ほぉら、ボクを見て」
コートが床に落ちる音。
えっ、なにコレ、幽霊?
それとも痴漢? どっちなの?
あたしはますます混乱していく。
「―――――♪」
それまで霞がかかっていた、おじさんの顔もハッキリと映るようになる。
その顔を見て、あたしは半年前に遭ったの冬の事件を思い出した。
◇
まだ電車通学をしていたあの日の朝も、同じ言葉を聞いた。
高校のある駅で降りようとした時だった。
知らないおじさんが突然話しかけてきたのは。
「ほぉら、ボクを見てぇ。お・そ・ろ・い、だね♪」
おそろい。
何がお揃いかって?
それはおじさんが服を半脱ぎして見せつけているもの。
ブラジャーだ。
このブラジャーおじさんは秋頃から有名だった。
気に入った女子高生がいるとストーキングして下着を調べる。
下着のローテーションまで調べる。
後日、同じ下着をつけてわざと見せびらかしてくる。
話しかけるわけでもなく、白シャツの下に汗で透ける下着をニヤニヤと見せつけてくるだけの嫌がらせを繰り返すやべー変態だ。
キモイおっさんがおそろのブラをしているというクソ最悪な嫌悪感があるものの、直接的な被害がないせいで多くの女子高生が泣き寝入りしていた。
「あっ、でもボクのほうがサイズは大きいかな」
このブラジャーおじさんは誰にも話しかけないはず。
でもなぜか、あたしの時だけは違った。
「大きいサイズのブラも増えたけど、やっぱり値段が難しいよね。あっそうだ、君に似合いそうなの見つけたんだ。あげるよコレ」
新品のブラジャーらしき布が差し出された。
おじさんのバッグから同じ物が見えてるのが気になる。
突然の事態で動けないあたしにおじさんの手が触れた。
冬の厚着でモコモコに膨れ上がったコートの端に手の甲がかすっただけだったけど、今まで生きてきた中で最も気色悪い感触だった。
「ごめ、手、当たっちゃった」
「あ、あああぁ! きゃあああ! ちかぁぁん!」
あたしは叫んだ。
声帯が千切れるくらい絶叫した。
さも友人のごとくブラ談義をしようとしてくるおじさんが怖かった。
どうして見知らぬ女子高生の胸にブラを押し付けることができるんだ。
変態こわい、こわすぎる。
ブラジャーおじさんは『裏切られた』と言いたそうな憤怒の形相を浮かべると、ドアが開いた瞬間、ダッシュで駆けていった。
「君、大丈夫?」
「あっ、あの、はい、服、触られた、だけ、なんで……」
「絶対捕まえるから」
サラリーマンのお兄さんたちが声をかけてくれた。
ブラジャーおじさんを追いかけて走っていく。
気が動転していたあたしも、お兄さんたちを追いかけて電車を降りた。
でも、改札に向けて階段を下りるところで事態が変わった。
おじさんが足を滑らせて階段を転げ落ちた。
あたしは近づいておじさんを見る。
おじさんの手足はおかしな方向に曲がり、血だまりができていた。
あたしは恐くなって、その場から逃げ出した。
おじさんはあたしから逃げて階段から落ちたんだ。
その日は学校でもずっと倒れたおじさんの姿が頭から離れなかった。
帰りの電車、ホームで話している人の噂で痴漢が捕まったと聞いた。
おじさんは死んでなかった。
ほっとする反面、おじさんが恐怖の対象であることに変わりはない。
あたしは原付の免許を取って、バイク通学に切り替えた。
ガラスに映るおじさんの頭から血がたらりと流れた。
おじさんの顔が赤く染まっていく。
理解した。
ブラジャーおじさんは、あの日、死んだんだ。
死んでたんだ。
「あの日、君がボクに冤罪をかけたせいで、ボクは死んだ」
ふざけんな、冤罪じゃないだろ。
あれは完全に痴漢そのものだった。
でも声が出ない。
だってこわい。
こわいこわいこわいこわいこわいこわい。
おじさんの手があたしの肩に伸びる。
触れられる直前、以前あたしに触れたおじさんの手を思い出した。
あたしの体が反射的に取った行動は――拒絶。
目をつぶったままバッグを後ろにフルスイング。
そのまま連結ドアを開けて前の車両に飛び込んだ。
「助けて車掌さん! 変態に襲われ――えっ?」
二両編成の田舎のローカル線。
車掌さんがいない。
なぜかまだ連結ドアが続いている。
もう一度、次の車両に飛び込む。
でも同じ。
走る。
次の車両へ逃げる。
走る。
誰もいない車両が続いている。
どこまでも永遠に続いている。
あたしとおじさんだけの電車。
「あの後、事件性があると言われ、警察がボクの家を荒らしていった」
後ろを見る。
声は耳元でするのに、おじさんは前の車両にいる。
あたしはまた走る。
「おかげで妻と娘にもボクの趣味がバレてしまった」
なんだよ、このおっさん。
あんな変態趣味で妻子持ちかよ。
なんなんだよもお。
あたしは走り続ける。
「葬式もしてもらえず、妻と娘は家を出ていった――君のせいダ!」
おじさんがすごい速さで追ってくる。
もうだめだ。走れない。
「君のせいで自殺するしかなくなってしまった」
「あーもうふざけんなってぇ! おじさんの逆切れじゃんか!」
あたしは思いきり叫んだ。
走り続け、渇き切ったノドからがらがらの叫び声が響く。
だってそうじゃん。
おじさんが悪いんじゃん。
涙目でおじさんを睨みつける。
すると、おじさんが怯んだ。
急ブレーキがかかり電車が止まる。
駅だ。
やっと駅に着いた。
本当はお揃いのブラジャーを見せつけるしかできないおじさんだ。
抵抗されて怖気づいたんだろう。
あたしは力を振り絞って最後の戦力疾走、跨線橋の階段を駆け上った。
勢いはそのまま、無人の改札があるホームへ降りようとしたところで――
「――あっ」
足を踏み外した。
体のバランスが崩れる。
あたしの体はもう限界だったんだ。
あの日のおじさんと同じように、階段から転げ落ちる。
――でも、あたしは無事だった。
全身打撲で痛いけど動ける。
あたしは運動不足のおじさんとは違う。
駅の階段で転んだって受け身くらいとれる。
そして振り返ると後ろには、こっちはあの日と同じ光景。
あたしから逃げようとして階段を踏み外して転がり落ちるおじさんの姿。
幽霊はこんなところまで行動が変わらないらしい。
血まみれの青白い顔であたしを見上げてくる。
腕も脚もおかしな方向に曲がってるのに、まだあたしを同じ場所に引きずり込もうと手を伸ばしてくる。
怖い、キモイ、怖いキモイ、怖いコワいこわい恐い。
そんなおじさんに向かってあたしは――
「ひゃっぺん死んでから地獄に落ちろ痴漢ヤロー!!」
叫んでいた。
あの日、キモい痴漢のおっさんにビビッて叫んだ時よりも強く。
自分の意思で、力の限り叫んでいた。
息苦しさと痛みの中、恐怖を塗りつぶすだけの脳内麻薬がどばどば出てる。
驚くおっさんに中指を突き立ててやる。
あたしは血まみれで恨みがましい顔をするおじさんから眼を逸らさなかった。
おっさんは情けなく顔を伏せ、悔しそうに震えて消えていった。
きっと、あたしにはもう勝てないと思ったんだ。
こうして、あたしはブラジャーおじさんの幽霊から逃げ切った。
あれから高校を卒業してOLになった。
ブラジャーおじさん以降、一度も痴漢にも幽霊にも遭っていない。
でもやっぱり電車はこわい。
今でもあの夏のことが忘れられない。
幽霊になった変態の声が、今でもあたしを呼んでいるような気がする――




