ベランダの少女
―あらすじ―
俺が留守にしてる時、うちのベランダから手を振る女の子がいるらしい。
もちろん俺は一人暮らしで子供なんていない。
知り合いの見間違いだと思うのだが、絶対見たと言い張っている。
知り合いは一体なにを見たのだろう……
全文約5000字
「タチバナさーん、今日も蒸し暑いっすねー」
「だなー」
長い赤信号に引っかかった時だった。引越し会社のトラックのハンドルを握りながら後輩のツバキが口を開いた。ツバキは夜も何やら怪しい仕事をしているらしく、運転中、眠気覚ましにとよくしゃべる。もともと人懐っこい性格もあるのか、俺がまともに返事をしなくても勝手にしゃべる。
「そういやこの前の連休、ダチと殺人事件があったっつー田舎の民家に肝試し行ったんすよね。柵は低いんすけどケッコーな豪邸でーめっちゃ広くてー」
夏だからだろう、始めたのは怪談話。
もう盆は過ぎてるんだけどな。
もっとも、どうせ大したオチではないだろうと適当な返事で聞き流す。
「その家ってのが事件後のまま放置されてたのか荒れ放題で。でもやっぱ血痕とか幽霊なんてぇのは見つからなくて。しばらく探検したらみんな飽きちゃって、もう帰ろうかって話になったんだけど……したら急に人の足音が聞こえて来て」
へー、と適当に相槌を打つ。
「山ン中で誰もいないはずなのに、みんな静まり返ったところで、いきなり「誰だァ!!」って男の怒鳴り声が聞こえたもんで、オレってば一瞬ビビッてちょいチビっちまったんすけど」
そら俺もビビるわ。
「センサーに引っかかったらしくて警備会社が慌てて飛んできたって話でしたわ」
「ホラーでも何でもないじゃねえか」
「ハハハ、そっすねー」
再び車内が静かになる。
一家心中とか殺人事件とか、そういう事故物件はヤクザ絡みの所有物になっていることも多いから、ある意味ではホラーよりも怖いかもしれない。とりあえず注意で済んだのならよかった。
予想通りどうでもいいオチだったのは残念だったけどな。
「タチバナさんは何かそゆ話持ってないんすか? できれば合コンとかで女の子が適度に喜びそうなやつ」
「そーなー……怪談なー」
信号が変わり車が走り出しても、まだ怪談話を続けるらしい。
しゃべりは得意だが重いネタは苦手なツバキがそんなことを聞いてきた。
「あっ……俺さー、先々週引っ越ししたじゃん」
「なんかあったんすか」
「いや、前のアパートでの話なんだけど、結構前から問題あってさぁ」
女が微妙に怖がりそうで、ちょいアホっぽいオチがつく話か……まあ教えたところで喜ぶのはツバキなのでそんな縛りはどうでもいいが、ちょうど最近まで俺が遭っていた怪奇現象を話してやろうと思った。
「途中から水道代がなんか微妙に上がってて、どっか水漏れしてんのかなって思ったわけよ。でも自分じゃいくら調べてもなにも出なくてよ」
「あのボロアパート、意味わかんねってキレてたっすよね」
「そこは話したことあったか……」
長話が得意じゃない俺は、一旦ペットボトルを手に取り、大して冷たくもない冷房の風で乾いたノドを潤す。
「ほら、前にサトルがしつこく意味わかんねぇこと言うから俺が殴ったことあったろ。あの話に続くんだけどさー」
「サトルがDVD返しに行ったら、先輩ン家のベランダから女の子が手を振ってたとかいう話っすか?」
「そうそれ」
その頃付き合っていた女は、もちろん子供はいないし離婚歴もなかった。純情で真面目な性格の女だったせいもあって、家でやった飲み会の席で絶対俺んちのベランダで女の子を見たと言い張るサトルのせいで浮気を誤解された俺は、そのまま別れるハメになった。
今思い出してもムカつく話だ。
「あの後、不動産会社がちゃんと調べてくれないから大家に電話して直接交渉しようとしたんだ」
水道に関しては、料金は向こう持ちですぐに別の業者を手配すると言ってくれた。大家はなかなか話しやすい人で、いろいろと他の問題も相談する内に話が脱線して、気づけばサトルが言っていたベランダの少女のことなんかも話していたのだが……
「そしたら、それまですげー明るい声でしゃべってた大家が急に黙りこんじゃってさ……俺の部屋って事故物件で、前の前に住んでた家族が一家心中してて、サトルが見たのと同じくらいの小さな女の子がいたって言うんだよ」
一度別の人間が借りると事故物件だと告知しなくなる不動産会社は多い。俺が部屋を借りていたのはそういう場所だった。
そこの大家はいくつもの不動産を持っている県外の人で、管理は不動産会社に丸投げだったので、俺が冗談半分に女の子のオバケが出ると言うまで忘れていたらしい。
もともと幽霊なんて信じていなかったし、家賃も月二万で格安だったから仕方のない話かな、とそこは別段イラつきもしなかったが……
「まさかホンモンの幽霊だったとか? サトルは普段から霊感あるとか不思議ちゃんキャラしてますけど……」
「実はそれからしばらくして、俺もその少女に会ってんだよ」
「はい?」
俺は再びペットボトルを手に取った。
「あの日はそう……朝食ったエビサンドがアタって早退したんだわ」
「下痢のくだりはどうでもいいっす」
これまでの人生で一番緊張した日を思い出して、ぬるくなった緑茶でノドを濡らしながらゆっくりと語る。
ある日の仕事中、差し入れに貰ったエビのサンドイッチ。冷蔵庫に入れておけば一日くらい大丈夫だろうと思ったら、案の定俺は腹を下した。
社長に「自己管理がなっていない」としこたま怒られたが、仕事の代打を確保できた俺は薬局で胃薬を買って家に帰った。真っ先に便所に駆け込んで、落ち着いてから洗面台で薬を飲む。
すると何だろう、音が聞こえる。
一体何の音だ?
俺は耳を澄ます。
音は外のベランダからだとすぐにわかった。
彼女とも別れ、一人暮らしの部屋。
誰かがいるはずもない。
さらに音の正体は何か考えれば、ベランダの洗濯機が思い当たった。
野良猫が洗濯機のフタの上を通りかかったのだろう。
と思ったけど、猫の足音とは違った。
音はしつこくガタガタと続く。
やはりこれは人間の動く音だ。
まさか空き巣?
数日前、空き巣被害と放火が増えていると警官が訪ねてきた事があった。
犯人と偶然出くわして刃物で斬りつけられた人もいたとか。
姿もわからない犯罪の常習者が俺の部屋に?
そう考えて緊張が走った。
初夏の部屋はじめじめと蒸し暑いのに、背中に冷たいものが流れた。
顔にねっとりとした脂汗が噴き出し、わずかに手も震えている。
しかし、エビサンドにアタったこと、社長に殴られたことで俺は気が立っていたんだろう。軽くパニクっていた俺は自分で空き巣を捕まえてやろうと思い立った。
空き巣に気づかれないよう足音を立てずに窓に近づき、勢いよくカーテンを開ける。すると――
ベランダにいたんだ。
真っ白いワンピースを着た女の子が。
年は6才くらいだろうか。
ワンピースと同じく色白の肌、夏なのに髪は長く、痩せ細った……今にも消えてしまいそうな雰囲気の女の子だった。
そこで大家から聞いた話が頭をよぎる。
その子は一家心中したという、夜中に寝たまま母親に胸を刺されて死んだという女の子にそっくりで――
「マジ幽霊ッ!?」
「まあ最後まで聞けって」
予想外の事態に俺は固まって動けなくなった。
子供といえど幽霊に常識は通用しない。
呪いの強さは外見ではわからない。
むしろ映画なんかだと子供の幽霊はかなり恐ろしいものが多い。
硬直したまま少女と無言で見つめ合う。
だがよーく見てみると、少女は顔に汗を浮かべ、手には雑巾があった。
眉間に力を込めて睨むように見つめ直す。
少女の目が泳いだ。
少女がチラリと視線を向けた先では、ベランダの仕切り板が外れていた。
俺は窓を開けて話しかけてみる。
聞くと――女の子は隣の部屋の子だという。
親の命令で俺がいなくなってから洗濯機を勝手に使っていたらしい。
どうしようもない毒親だという呆れ、幽霊などいなかったという安堵に、肺に溜まっていた重い空気を全て吐き出す。
そして女の子は無断で洗濯機を使わせてもらったお礼にと、洗濯機を掃除していたのだった。
「……あの、それホラーっすか? 女の子がホントにいたならサトル殴られ損……」
「ほら、あいつは空気読まねーから。それとまだ続きがある」
少女は言う。
小学校にはいつも遅刻して行っている。
でも家にいるより、学校にいるより、ここで洗濯をしている方がいい。俺が使っていた洗濯機は蓋が色のない透明なタイプで、がたがた揺れる洗濯機を覗いているのが楽しいと。
少女は洗濯機を回すのがすごく好きなようだった。洗濯機がオモチャ代わりになるなんて子供の感性は理解できんが、とにかくまぁ悪い親がいるもんだと。
とりあえず通報してやろうとしたら、女の子が「お父さんもお母さんもお仕事探してがんばってるからやめてほしい」と小さな頭を懸命に下げてくる。お隣の家計は、リストラか散財かは分からないが火の車らしい。
仕方がないから親の仕事が見つかるまでの短い間だったら洗濯機を使ってかまわない。そう言ってやると、少女は嬉しそうに「おじちゃんありがとう」と言った。
「……おじさん呼びされたのは何気にショックだったな。先月25になったばかりなのに。俺、そんな老けて見えるか?」
「いや、だからそれホラーっすか?」
「お前がオチつきの怪談が欲しいっつったんだろうが」
「つかナニ良い話風に満足げに語ってんすか。虐待は通報っしょ」
「まあな、つってもいきなり警察沙汰にするのも女の子に被害がいくかもと思ってな。一応俺が隣の夫婦にガツンと言ってやろうとしたんだよ……でも一向に会えなくて」
そう、俺は隣の住人と一度話をしなければならないと思った。
しかし何度ドアを叩いても、いつ訪ねても、隣の部屋から誰かが出てくることはなかった。少女と出会えたのも偶然仕事を早退したその日だけだった。
「あーはいはい、オチ読めました! 実は逆側のベランダの仕切りも壊れてて、そっちの家の子だったんでしょ!」
「俺ン家、角部屋だったろ。隣は一つだ」
「……でしたね」
「でな、大家に電話したらすごい不思議そうに言うんだよ。隣は空き部屋だって。あと勘違いしてたんだけど、一家心中したのは隣の部屋の方だったって……で、この話したら大家が気味悪がってアパート取り壊すって決めたせいで引っ越しすることになったんだよ」
急な話だからって大家の持つ別物件に良い条件で移れたから不満はないけどな、と話が終ったところで仕事先の家についた。ツバキは車を止め、サイドブレーキを上げるが、右手はハンドルを握ったまま放さない。
「そうそう、それと引っ越した後なんだけど『いままでありがとう』ってクレヨンで書かれた紙がポストに入ってたっけ」
手紙には、明るい色のクレヨンで、感謝の言葉の他に動物やら花やらの子供らしい絵がたくさん描かれていた。
「いやいやタチバナさんソレマジ怪談じゃないすか!? つか引っ越し先にまで幽霊の子ついてきてんじゃないすか!」
「感謝されてんだから別にいいだろ」
べつに霊障とか金縛りとか被害がでてるわけでもない。
かわいそうな子供の霊なら洗濯機くらい好きに回させてやるべきだろう。
それに心配しなくても手紙は別れの言葉のようだったし、もう成仏しただろ。
「フツーもっと気にしません?」
「うるせーな、とっとと仕事行くぞ」
「うへぇー、合コンで使えない話聞かされちゃったよ」
書類でツバキの頭を引っ叩いてトラックを下りる。
結局、あの時の女の子は幽霊だったのか。
それとも近所の子がいたずらしていただけなのか。
未だに分かっていない。
大家は「冷静になってみれば、いたずらに決まってるよね」と笑っていたが、俺が会った女の子から聞いた家族の話を詳細に説明すると、心中事件の時に聞かされた話と同じだと声を震わせていた。
大家のビビリ様にそれ以上の追求はしなかった。
しかし、俺の記憶にある女の子は、とても不幸な家庭の子には見えない楽しそうな笑顔だった。
俺が会った子がもし本物の幽霊であったとしても……貧しくても親が非常識な家庭の子であったとしても、女の子は最後の死ぬ瞬間まで幸せだったのだろうと、そう思うことにした。
後日、何度使っても全く汚れのたまらない新しい洗濯機と、新しい部屋の最初の水道代を見て、俺は再び震えることになった。




