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移動手段の要である馬を失ったニナ達は、現在、王都バルデュユースを目指して徒歩で移動をしている。
始めは彼らと戦い、そして親しくなった魔蟲が困り果てている彼らを見かねて、近くの村のかなり側まで子供達を肩に乗せて運んでくれたのだが、やはり村では馬を購入どころか借りる事もできず、一泊と僅かな備蓄の補充だけさせてもらって翌朝にすぐ出立した。
馬が荷物を落として行ってくれた事が不幸中の幸いだったものの、とにかく時間が無い。
何とか残る日数でできる限り王都へ辿り着きたいと全員で話し合った結果、迂回ルートにはなるが此処から見れば王都の途中にある、ニナとリカルドのギルド本部がある街を目指そうという事で話をまとめると、速やかに行動に移したのだ。
問題は、街までの距離でも子供の体力では一週間程かかるかもしれないという事 。
そう計算した上で、ゼトはまだしもクゥフィアがバテてしまった時の対策として、大人三人が交代でおぶって行くと決めておいたのだが、移動を始めれば意外にもクゥフィアが自力で大人の足に殆ど着いて来ているので、今のところは予定より少し早く先へ進めている。
また、道中の狩りや野宿の準備も、子供二人は手慣れた様子で速やかにこなしていた。
「ゼトとクゥフィアって、見かけによらず結構旅慣れしてんだな」
二度目の野宿の準備が終わって、皆で焚き火を囲みながら偶然捕れた野鹿と白湯を口にしている時に、ロドルフォが素直な感想を投げかけた。
二人は身なりこそその辺りにいる民間の子供とあまり差がないが、立ち振る舞いと、ゼトがクゥフィアの事を坊ちゃん呼びしている点などで、かなりの良家の出身だという事は誰が見てもわかる事実であった。
だがそれとは反して想像以上の体力と忍耐を持っており、虫や蛇、野生動物にも全く物怖じせず淡々と歩き続けてきている。
捕まえた鹿を解体した時なんか、ゼトが自ら料理番を進み出て、歩いている途中に見つけた野生のハーブを活用して臭みを取り、とても美味しく調理をしたぐらいだ。
その腕前は店を構えるコック並みである。
「慣れているというよりも、もう何年も各地を転々としておりますので最早当然の事をしているだけです」
「野宿もよくやってるよ」
「へー。何年ぐらい?」
「んーと、僕が産まれてすぐだから、八年くらい?」
「なっが!」
自分が八歳の時は故郷の村で木の棒を振り回しながら騎士ごっこをしていたというのに、クゥフィアはこの歳になるまでずっと知らない土地を歩き回っていたのかと思うと、想像するだけで涙が出そうになるロドルフォだった。
そのタイミングで、リカルドが口を挟む。
「八年もの間、ずっとゼトとあのヒューという男と旅をしていたのか?」
「うん。ずっと三人だよ。ヒューさんが手足を無くしちゃった時は同じところに二年ぐらいいたけど、それ以外はずっといろんなところに行ってるんだ」
「………おいニナ」
「ンー?」
声をかけられるだろうと勘づいていたニナは、適当な返事をする。
「お前、あの男と最後に会ったのはいつなんだ?」
「んーと、リカとあうちょっとまえ。だから、たぶんよねんもたってない」
「ならクゥフィアとはその時に会っている筈じゃないのか?」
「いや、このまえがハジメテ」
「………」
「やっぱりヘン、わかった?」
眉を寄せて睨んでくるリカルドに、思わず苦笑を漏らす。
故郷に帰りたいニナと、同じく家に帰りたいと言っているクゥフィア達。
目的が一致しているなら、何故以前会った時に行動を共にしなかったのか。
そもそも年月を考えるとクゥフィア達の方が先に旅に出ているというのに、どうにも互いの話が噛み合っていない気がする。
それに、八年もこれだけ自由に旅しておきながら、なぜ家に辿り着けていないのかも疑問を感じる。
「リカ、オレもクゥフィアも、ウソついてないよ」
「……なら説明しろ。流石にもう、これ以上違和感を持つとお前を信頼できなくなりそうだ」
「それはイヤだー。こんなにあいしてるのに」
大袈裟に腕を組んで困ったと言いたげに星空を仰ぐ。
そのおかげで焚き火に照らされたニナの喉元がはっきり見えたが、襟から頬にかけて伸びる独特の模様が、まるで蠢く蛇の様に浮かび上がっているかのように見えた。
そこから、少しばかりの沈黙。
ニナは真面目な顔付きになると、腕を組んだままゼトの方へ視線を飛ばす。
「ゼト」
「はい、ニナーナ様」
「はなせるとこでいい。はなせ」
「………宜しいのですか?」
「ほんとーはイヤだ。でも、リカにきらわれる、もっとイヤだ。それと、なんでゼトたちココいる、それもおしえろ」
「畏まりました」
持っていた携帯用マグカップを地面に置くと、ゼトは起立して全員を見回した。
不安そうに見上げてくる横のクゥフィアには微笑を返して、いよいよ口を開く。
「まずお話をする前に、リカルド様とロドルフォ様にとってはとても信じられない内容だと我々も自覚しております。もしかすると馬鹿馬鹿しいとお怒りになるかもしれませんが、これから私がする話は全て事実になりますので、悪しからずご容赦ください」
そう前置きをすると、少年はできる限りこの場で伝えられる内容を語り出した。
「実は、私と坊ちゃんとヒュードラード様、そしてニナーナ様は、この世界デューベとは違う場所からやって参りました。我々の世界は【デュアル・ファン・エディネス】と呼ばれています。その世界から時空移動を繰り返し、此方のデューベへと旅をして参りました」
「……はい?」
「つまり、分かりやすく言い換えますと、我々は【異世界人】なのであります」
時は数刻遡り、王都バルデュユースでは既に夜の帳が下りて、家々の灯りが外に漏れ出ていた。
その灯りすら届かない、王都の中でも人があまり出入らない廃墟区域の中を、キキュルーが血相を変えて息を切らしながら走っている。
その背後には無数の気配と羽音が蠢いており、逃げるキキュルーを追いかけ続けてきた。
「何よ何よ何よ何よ、なんなのよー!!」
思わず叫びながらできる限り何度も曲がり角を屈折するが、上手く巻けるどころか数が増える一方である。
状況が悪くなっていくだけではなく、理解が及ばない現象と生理的な拒否反応で、流石のキキュルーもパニック状態に陥っているが、それも無理はない。
何せ彼女を追いかけてきているのは、何処から湧いて出てきたのかわからない、複数種類の虫の大群なのである。
地を這うものと羽根を広げて飛ぶものが混在して、サイズはせいぜい20cmもないぐらいのものばかりだが、少なくとも恐らく千匹以上は居るだろうその量を見てしまったら、どんな者でも思わず鳥肌が立って悲鳴を上げながら逃げ出してしまうだろう。
キキュルーもその例に漏れず、何度もなりふり構わずに魔法を飛ばしながら、半泣き状態でずっと逃げ惑い続けている。
この辺りに人の気配がないのが幸い、などと思う余裕すらなくしていた。
何故こんな事になったのか。
追尾機能を付与していた追跡用マジックアイテムの反応が変な所で途絶えてしまい、気にかかって夕刻にも関わらず宿泊していた宿から抜け出し、一人でのこのことこの廃墟地区にやってきたのが、彼女にとってそもそもの間違いであった。
反応が消えた場所がこの地区の一角だったので近辺を捜索していると、不意に一匹の蝶が目の前を横切り、その後にカサカサと物音が聞こえて、地面に目を落とす。
すると、このざまである。
「ヤダヤダヤダヤダ!!来ないで来ないでこないで!!誰かー!!」
魔蟲相手では冷静を保てるキキュルーでも、知性のない虫の大群が相手では、その辺にいる女性と何も変わらなかった。
そして流石に限界が来て、本気の涙を流しながら意識が遠のきそうになる感覚がした、その時。
「伏せろ!!」
突然声がして、条件反射で頭を抱えて地面に伏せた。
「"風極塵"!!」
すると、キキュルーの頭上を閃光の様に眩しく巨大な風刃が飛んでいき、後ろまで迫ってきていた最前列の虫達を一瞬で粉砕・攪拌した。
文字通り塵になってしまったその虫達の姿を見る暇もなく、伏せていたキキュルーは突拍子もなく、何かの液体を上からぶっかけられる。
「ちょあ!?」
「色気がねえな。悪ぃが勝手に運ぶぞ」
そう言うと助けに入ったその人物は、巨大な刀を背中の鞘に戻すとキキュルーの腰を掴んで無遠慮に担ぎ上げ、そのまま踵を返して勢いよく走り出した。
攻撃を免れた虫達は、しかし何かに悶えているようで、追いかけてこられるような様子ではない。
急な展開に肩の上で唖然としていたキキュルーは、ふと、自分の真横で浅葱色の髪が靡いている事にようやく気付いた。
「あ、アンタ!闘牛男!?」
「ぶはっ!言い得て妙だな!初めて言われたのに自分で納得しちまった!」
「ちょっと!逃走犯がなんでこんな所にいんのよ!?」
「今はそれどころじゃねえ。悪い事は言わねえから口を閉じてろ。舌噛みちぎっちまう、ぞっ!」
最後の一音に合わせて高くジャンプをすると、建物の壁をめり込ませて足跡を付けながら屋根の上へと駆け上がっていく。
屋上に来れば今度は屋根伝いで大疾走をし続け、いつしか廃墟区域を越え、王都内の森林公園を抜け、遂には街外れにある観光名所の一つ、時計塔へと辿り着いた。
もう日が落ちて辺りが暗いのを良い事に、まさかの壁をよじ登って高さ40メートル程の所にある部屋へと侵入すると、そこでやっとヒュードラードはキキュルーを床へ降ろして、彼女を解放した。
「ちょ、ちょっとちょっと旦那?急に得物担いで窓から飛び出して行ったと思ったら、何つーもん持って帰って来てんスか!?」
腰が抜けてその場で座り込んでしまうキキュルーだったが、声がした方を振り向くと、そこにはヒュードラードと共に留置場を脱走したジールが顔を真っ青にさせて立っていた。
そんな彼を気にした様子もなく、ヒュードラードは厳重に窓とカーテンを閉めて刀を壁に立て掛ける。
「やむを得ねえ事情だ。暫くコイツも此処に置いておく」
「か、勘弁してくれよ!そりゃあ此処はバレにくい所だけどよ、人数が増えりゃあその分リスクも高くなるのは言わなくてもわかるだろ!?」
「何だ?テメェが「此処なら気心知れた奴が管理してる場所だから滅多にバレませんぜ」とか言って俺を連れて来たんだろ。ありゃ嘘だってのか?」
「嘘じゃねえよ!俺が昔っから隠れ家の一つとして使ってんだ!今まで一度も騎士に悟られた事なんてねえし、定期的に掃除もしてっからゴキブリ1匹入ってこねえ快適な場所さ!」
「じゃあ良いだろ。文句言うなら宝石返せ」
「もう金に替えちまったよ!」
まるで自分が家主であるかの様に減らず口を叩くヒュードラードに、思わず頭を掻き毟る。
そんなやり取りを呆然と見ていたキキュルーは、ハッと我に返って、自分の置かれている状況を整理する為に二人に問い掛けた。
「説明して。何がどうなってるの。あの虫の大群は?何でアンタが私を助けたの?」
「……どうやらテメェは、首を突っ込みすぎた様だな」
「ハア?」
答えになっていない返事に怪訝さを露わにする。
それでもヒュードラードは平静なまま、部屋に置いてある机へ向かうと其処に置いてあった水をコップへと注ぎ、それをキキュルーへと差し出した。
「話せる範囲で話してやるから、とりあえず飲め。あんなトラウマレベルの仕打ちを受けたんだ。平常心じゃいられねえ筈だろ」
……そう言われてふと自分の手を見てみると、とんでもないぐらいに震えていた事に初めて気付いた。
喉の渇きも感じてきて、その両手で恐る恐るコップを取ろうとするものの、意識的に震えを止める事が出来ずに水を零しそうになる。
それを見かねたヒュードラードが、キキュルーの手の上から義手と剣ダコのできた硬い手を被せて、口元に運ぶのを手伝った。
喉が冷たい水で潤う。
想像以上に渇ききっていた様で、一度口にすると止められずに一気に音を立てて飲み干し、コップから口を離す時に思いっきり深く息を吐いた。
………あ、私、無事なんだ。
そう実感したと同時に、ぽろっと、緊張がほぐれて瞳から涙が零れる。
「…………こわかった」
「ああ」
「私、すごく怖かった…。気持ち悪いし、魔法も意味ないし、ずっと追いかけてくるし、パニックになるし……一人だから余計に怖かった……」
「よく頑張ったな。助けが間に合って良かったよ」
「!……ふ……うあぁ……」
思わぬ優しい言葉に耐えきれず、キキュルーはそのまま子供の様に声を上げて、泣き出してしまった。
美女の涙には事情の知らないジールも流石に狼狽えて、あたふたとタオルを差し出す。
ヒュードラードはもう一度水を注ぎ直して、嗚咽を零す合間に水分を摂らせ、落ち着かせる様に何度か右手で背中を優しくさする。
背中越しの温かな手は、時間が経つにつれてキキュルーに少しづつ安心感を抱かせていった。
暫くすると、鼻をすすってしゃくりあげながらも徐々に冷静さを取り戻してきた為、頃合いを見てヒュードラードが説明をし始める。
「あの虫共は恐らく警告だ。お前を害するつもりはないがこれ以上詮索するなという意味か、トラウマを植え付けてお前自身を再起不能にするつもりだったか……。どちらにせよ、あの性根の腐った野郎が思いつきそうな方法だ」
「…………と言うことは、やっぱりあの人はクロなのね」
何も証拠は掴めていないが、自分が監視をされている事に気付いただけでなくこちらの妨害をしてきたという事は、自白したのと同義と捉えて良いだろう。
どうやって虫を操ったのかはわからないが、あれだけの数の生き物がなんの意味もなく人を追いかけ回してくるなんて、とても考えられない。
ニナの読みは、正しかった。
「本当にたまたまだが、此処から下を見下ろしていた時にお前が歩いているのを見つけてな。これから夜になるってのに見当違いな方向に向かってやがったから、何か嫌な予感がして追いかけたんだ。すると案の定ってわけだ」
「いやー、此処めっちゃくちゃ高いってのに、いきなり窓から飛び降りてっちゃうもんだから、俺ぁてっきり自殺でもされたのかと思っちまったよ」
どんだけ目が良いんだよと付け加えるジールを、鼻を鳴らすだけであしらう。
もしヒュードラードが気付いてくれなかったら、気付いていたとしても追いかけてきてくれなかったら、と考えただけで、キキュルーはまた血の気の引く思いをする。
彼女にとってあの衝撃は、十分トラウマとして刷り込まれてしまった。
「……あの…助けてくれて、ありがとう」
ぽつり、と絞り出す様に呟くと、ヒュードラードは何でもないという風に軽く返事をするだけで留めた。
「でも、何でアンタはそんなに詳しいの?あの人はアンタを監獄に入れようとしてたみたいだけど、何でなの?」
「そりゃあ此処とは違う世界で何度も殺り合ったからな。アイツがこの世界の住人だってのは知らなかったが大体の手の内は把握してるし、俺を冤罪で首都まで引き摺って来たのはまあ、俺の連れのガキを誘き寄せる為の餌ってところか」
「……はい?」
「あ?ニナーナから聞いてねえのか?俺達は他所の世界から来た【異世界人】だぞ」
ゼトとヒュードラードは、殆ど同じタイミングで元いた世界の話、そしてそれぞれの経緯を説明していった。
此処とは似て非なる別の世界、デュアル・ファン・エディネス。
そこは天界と魔界と、その二つの境界の一部が重なり合ってできた人間界という、三つの世界で構成されていた。
それ自体は別の世界でもよくある話なのだが、天界・人間界が属する【創造神】陣営と、魔界を支配する【魔神】陣営とが三世界を跨ぐ大戦争を繰り広げ、最終的には神VS神、天界と人間界の【最終兵器】VS魔界の【魔皇帝】という二つの頂上決戦が勃発した。
これが原因で、神同士は互いに相殺されてしまう。
最終兵器と魔皇帝側の死闘は苛烈を極め、人間界と魔界を破壊し尽くさん勢いだったが、辛くも最終兵器が勝利を収めて魔皇帝を打ち倒し、異世界へと追放する事でデュアル・ファン・エディネスには一時の平和が訪れた。
しかし、その平和もたった一年しか続かなかった。
神が不在になったアンバランスな世界は、他の世界の神に目をつけられてしまったのだ。
ある日突然、異世界から異神を信仰する特殊な軍隊がデュアル・ファン・エディネスに進軍してきて、世界の再構築を計ってきた。
世界の再構築とは即ち、現存する世界を土台部分だけ残して一度完全に破壊し、自分達が望む理想郷へと再生させようという計画だ。
現存する物を全て排外するつもりであるその思想に決死の抵抗を試みるものの、こちらは大戦直後なのでまだ疲弊が抜け切れておらず、世界そのものも既に崩壊寸前まで来ていた為に、非常に不安定な状態であった。
それに加えて侵略してきた特殊な軍隊は、【神の権能】という特殊な力を行使してきて、非常に厄介な戦い方を仕掛けてきた。
ならば、神には神をと思い、天使・悪魔・人間のその時の代表者が話し合った結果として、形勢逆転を狙って創造神の復活を望んだ。
だが、時期が早すぎたのか、神に適合する人間の器に神の魂を入れたところ、完全に記憶を無くしてまるで人間の赤子と同じ様に成長する姿で復活してしまった。
それでも世界最大かつ最後の要である事に変わりはない。
魔神の復活も視野には入れたが、そちら側は復活の兆しどころか、魔皇帝に相当惚れ込んでいた為に恐らく異世界まで追いかけて行った様で、力の残滓すら見つからなかった。
なので、創造神の生まれ変わりである赤子───【神の子】を一旦異世界へ避難させ、デュアル・ファン・エディネスはこれ以上の軍隊の侵略と世界の崩壊を阻止する為に、創造神が天界に残した最後の力を使って異世界へ繋がる次元空間を全て遮断し、コールドスリープに入る事を決断した。
再びデュアル・ファン・エディネスへの道が開かれ、世界が深い眠りから覚めるのは、神の子が創造神へと成長して帰ってくる時だけである……。
「それから我々は一度、避難場所として定めた異世界へ身を潜めたのですが、すぐに軍隊に見つかり奇襲を受けた為、命からがら逃げおおせました。それからは、文化も時間の流れも異なる異世界各地を飛び回り、追っ手から逃げ、時に戦い、この八年間、いつか家に帰れる事を夢見ながら今日まで旅をして参った次第です」
ゼトが一旦そう締め括ると、途方もない沈黙が流れた。
焚き火の音と、そよ風、そして夜鳥の鳴き声、聞こえるのはそれだけ…。
ロドルフォは、開いた口が塞がらなくなっていた。
あまりに話が突拍子もなく複雑で、全く整理が出来ず完全に思考を放棄してしまったのだ。
リカルドも流石に理解が追いつかず、懸命に話の内容を噛み砕こうとしているもののかなり時間がかかっており、眉間を指で摘んで俯いてしまっている。
そしてニナは、サングラスに焚き火の灯りが揺らめいているせいで目元の様子が見えず、全く表情が読めないでいた。
「…………その話が本当だとすると、その神の子とやらは、クゥフィアの事なのか?」
「はい。デュアル・ファン・エディネスの全てを創生された全知全能のお方。世界だけでなく、天使、人間、そして私が属する悪魔、全ての生命の源を産み落とした創造神の生まれ変わりであります」
「あの……そう、らしいです」
完全に恐縮して小さい体を更に小さくしているクゥフィアを見て、この子はもしや騙されているのではと心配になった。
だが、前置きの時点で全て事実だと言われてしまっている為、今更話を否定する訳にもいかない。
謎が解けるどころか、想像の斜め上を更に突き抜けられて、脳の回路が焼き切れそうな気分だった。
「……やはり、信じてもらえませんか?」
「……信じたい気持ちはある。だが、あまりにあまりな内容だ。これをどうやって信じろと……」
「なら、みればいい」
苦渋に満ちたリカルドを見かねて、ニナがそう言った。
「ゼト、へんしんできる?」
「可能ですが……いえ、畏まりました」
少し言い淀んだがすぐに思い留まり、ゼトは目を瞑って僅かに集中する。
すると身体が淡く光輝き始め、全身を包み込んだと思うと形を変えて、クゥフィアよりも小さい、およそ70cm程のサイズにまで縮んでいった。
光が剥がれて中から出てきたのは、ゼトの髪と同じ色と毛艶をした、この世界では架空の存在とされている羽の生えたドラゴンだった。
それを目の前で披露されたロドルフォとリカルドは、今度こそ包み隠さず驚愕する。
「へ、へ、変身、した?」
「私、ゼンティウヌスは悪魔族です。私は契約者が持つ力の大きさによって己の力の規模も異なりまして、変身した時のサイズも、契約者の力を拝借しますのでその潜在力の大きさに左右されます。今は坊ちゃんと間接契約を結んでいます為にどうしても燃費が悪く、人型も竜型も今のサイズが限界なのであります」
「ゼト、本当はもっと大きいんだって。ドラゴンになった時は十人以上も乗せて空をどこまでも飛んで行けたんだって」
「……もう訳が分からん」
遂にリカルドまで考える事を放棄し、年甲斐もなく大の字になって倒れ込んでしまった。
それに便乗するように「俺もー」と言って、折角舌鼓を打っていた野鹿の肉も結局は残して、ロドルフォもその場で横になる。
「悪ぃけど続きはまた今度にしてくれ。もー俺らいっぱいいっぱいで、寝ながら整理しないとムリだわ」
「ニナ、一時間だけ寝るから火の番を頼む」
「リョーカイ」
軽い返事を聞いて、二人はそのまま本気で寝る体勢に入った。
取り残されたクゥフィアは悲しそうに眉尻を下げ、人型に戻ったゼトの服を控えめに掴む。
「坊ちゃん。あまりお気になさらず。むしろこれが普通の反応なのです」
「うん……わかってる」
わかってはいるが、やはり自分の複雑すぎる生い立ちに理由のない後ろめたさがあるのか、過敏な年頃の子供は大人達のあの反応にかなり傷付いてしまった様だ。
泣くまではいかないものの、悶々と何事かを考えている。
それを静かに見つめていたニナは、横になった二人がある程度寝付く頃合まで少し間を置くと、クゥフィアとゼトに話しかけた。
『お前ら、出来るなら自動翻訳の術を切れ。ここからは内緒話だ』
「!」
デューラス語とは違う、元いた世界の言語を使う。
すると二人の耳には例えどんな言語でも、それが意味のある人語である限り、自分達が理解出来る言語で脳へ伝達され、また、自分達が発する言葉も口から出た瞬間に勝手に翻訳されて、相手の理解出来る言語で投げかける事ができた。
そんな便利な常時発動型の機能を切れと言う事は、ロドルフォ達には聞かれたくない様な内容を、今から話し合いたいのだろう。
ゼトは、直ぐにニナの意思に沿った。
『やっと込み入った話が出来る。お前らの事情は大体理解した。俺が居なくなってからすぐにそんな事になっているなんてな。だが、何で従者がゼトとヒュードラードだけなんだ。他にも適任者がいた筈だ』
『本当ならもう何名かが付き従う予定でした。最終兵器であるフィリル様を始め、坊ちゃんのお父様である旦那様も。……ですが、出立直前に大きな妨害が入りまして、結局あの世界を脱出できたのは、我々三人だけでした』
『お前の本契約者はまだクラウディスなのか』
『はい。旦那様との繋がりが希薄になってしまった為、旦那様の血を継ぐ坊ちゃんと何とか間接契約を取り付けて、今に至ります』
『……面白くないな』
そう感想を漏らしたニナの表情は、僅かに怒りを含んでいるように見えた。
それを見たクゥフィアは、背中に悪寒が走るのを感じる。
言葉にはしにくいが、不思議な威圧感があった。
『クゥフィア』
「な、なに?」
『俺の封印を解け』
唐突な命令に理解が及ばず混乱する。
そんな様子などお構い無しに、ニナはサングラスを外し、襟元を緩めると、クゥフィア達に見える様に少しだけ肌をさらけ出す。
其処にあるのは、ニナの体に巻き付いた不可思議な模様だ。
『お前は知らんだろうが、フィリルに負けた後、俺はこの世界に追放されると同時に全魔力をこの封印術によって封じ込められた。何度か解除を試みたんだが、どうやらこの術は神でないと解けない仕様になっている様でな。コレのせいで今の俺は、ただの人間と同じだ』
「それ、僕なら解除できるの?」
『出来るはずだ。創造神の力で封印されたんだからな。せめて結び目だけでも解けたなら、後は俺自身で時間をかけて解除していく。そうすれば、お前を守ってやれるぞ』
救いが見えない旅の中で、これ以上ない程の嬉しい申し出だった。
仲間があまりにも少なくて、未だに力が開花しきれていない自分の未熟さを、いつも嘆いていた。
そのせいでいつもゼトとヒュードラードには負担をかけている、そんな罪悪感も常に抱えていた時に、唯一自分達の事情をすぐに把握して助けになってくれそうな人物として思い当たったのは、ニナだけだった。
正直賭けだ、とヒュードラードは言っていた。
だって彼は、戦争に敗れて追放された身なのだから、創造神の生まれ変わりであるクゥフィアを目の敵にする可能性だってあったのだ。
しかし頼るしかない、とゼトは言った。
魔神に愛され、絶大な力を与えられた彼ならきっと、利害性を考慮して力になってくれる確率の方が高いと踏んだのだ。
そして二人の読みは、どうやら正しかった様だ。
クゥフィアは意を決して立ち上がると、ニナの前まで進んで彼と見つめ合い、静かに両手をかざして念じる。
足下からそよ風が吹き出し、淡い光を徐々に広げて、ニナの体に付いている封印紋へと優しく纏わせていく。
その神秘的な子供の姿は、確かに神の子と言っても過言ではない程に神々しかった。
………しかし。
「………ごめんなさい。今の僕じゃできないみたい」
非常に複雑な縛り方をした紐の様に、解けそうで解けない封印の糸口。
可能な限り時間をかけたものの力の限界を感じてしまい、クゥフィアは悔しそうに光の帯をしまった。
そして腕を下ろしかけたのだが、急にニナに片腕を掴まれ、そこに何かを握り込まされる。
『この石、使えないか?』
見てみると、クゥフィアのまだ小さい手の中には、紺青色の雫型をした石の様な物が収まっていた。
これには遠目で見ていたゼトも驚いて、思わず身を乗り出してくる。
「これ、【神の涙】?」
『何故ニナーナ様がそれをお持ちに!?』
『数カ月前に凶暴化した魔蟲を退治したんだが、其奴の体内にソレがあったんだ。丸呑みにでもしていたんだろう。魔晶石とは違う不思議な力を纏っているから、念の為に取っておいた。この世界での俺の究極奥義を叩き込んでみても、うんともすんとも言わなかったぞ』
「このフィア、まだ眠ってるみたい。何かほかのきっかけがあれば起きると思うけど、今のままじゃ使えないよ」
『……そうか。残念だ』
そう言うとサングラスを掛け直して、『こうなってくると……やはり今からでも開発していくべきか…?』と、目線を別の方向へ向けて独り言を呟いた。
その意味がわからず、クゥフィアは首を傾げる。
「でも良かった」
『何がだ?』
「このフィアってね、眠ってる時は何ともないんだけど、起きちゃうと力が暴走したり、フィアが気に入った人にまとわりついたりするんだ。大人しい子もいるし、人を操るのが好きな子もいるし、いろんな性格の子がいるよ。持ってる力もフィアによって全然違うんだ」
『ほう。それで?』
続きを促すと、少し言いづらそうに視線を泳がせる。
「実はね、僕たちこの世界に来てからまだ三か月ちょっとしかいないんだけど、もう何回も虫人さん達に襲われてるんだ。向こうも人だから会話をしようと思っても、何だかみんな普通じゃないみたいで」
『なので仮説として、もしやフィアを所持している何者かが、坊ちゃんを狙って魔蟲を差し向けてきているのではと考えていたのです。フィアの中には洗脳系の【権能】を持ったものも多いので、可能性としては十分に有り得る話なのです』
「それにヒューさんと離れ離れになっちゃった時も、僕たち、虫人さん達に襲われたんだ。僕たちを守るためにヒューさんが囮になって、もし無事ならマガル・ドルチェで落ち合おうって話だったの」
『ですがご存知の通り、ヒュードラード様はマガル・ドルチェに来られませんでした。ですからお迎えに上がろうと思っていましたら、先日のあの騒動となったのであります』
「神の涙を持ってる人が一番怪しいって僕もゼトも思ってた。だからさっきニナーナさんがこのフィアを渡してきた時、ちょっとドキッとしちゃったんだ。でも、この感じだとニナーナさんが虫人さん達を操ってたわけじゃなさそうだよね。だから良かったって」
「その話は本当か?」
突然予期せぬ方向から声が上がって一斉に振り返る。
すると、既に寝入った筈のリカルドが渋い顔をしながら身を起こし、続けて狸寝入りを続けるつもりだったロドルフォも、頭を掻きつつ起き上がってきた。
二人から物言いたげに睨まれて、ニナとクゥフィアは目を合わせる。
「……クゥフィア、まほーきってなかった?」
「え?僕、もともと翻訳魔法つかってないよ?」
「……あー、かみのこだからか……」
確かに言語の壁なんて神には関係のない話だよな、と今更な事実に気付きながら、ニナは急いで緩めていた襟元を元に戻した。
だが、ニナとゼトの言葉までは理解されていない筈だ。
あまり聞かれたくない内容も話していたので、内心少しばかり冷や汗を流してしまった。
そんなニナの心情など知りもせず、リカルドが真剣に問いかけてくる。
「クゥフィア。お前の言葉だけしかわからなかったが、誰かが魔蟲を操っているというのは本当か?」
「たぶん。誰かまではわからないけど」
「ってえ事はさ、ここ最近の魔蟲の凶暴化って、もしかしてそいつの仕業なんじゃねえの?」
「ああ。そういえばあのデカい奴も、誰かに頭の中で命令されていたとか言っていた。だがその後の口ぶりだと魔王蟲が生きている可能性は極めて低い。だとすると……」
チラリ、とクゥフィアの手に収まっている、ヘブンスフィアと呼ばれた石を見る。
「ニナ、その石、いつ手に入れたんだ?」
「あー、このまえ、のトーバツにんむ。まおーちゅーのブカもってた」
「俺も現場に居たじゃねえか!何故その時に一言報告しなかった!」
食ってかかってきそうな勢いに、「だってー」とわざとらしく口を尖らす。
だがニナも実は、あの魔蟲の暴走はこのフィアが原因かもしれないという可能性を考えてはいた。
それ程までに強大で神秘的な力を纏っている事に気付いていたにも関わらず、このフィアを使えば自分の封印が解けるかもしれないという別の可能性を見出してしまったが為に、彼は相棒、ひいてはギルドへの報連相を怠っていたのだ。
怒られるのも当然である。
そんな反省の色もない態度でいるニナに、いよいよ本気でキレそうになっているリカルドを見かねて、ゼトが慌てて話に割って入った。
「あの、今此処にあるフィアが魔蟲達を洗脳した可能性はほぼ皆無かと思われます!神の涙はその透明度と光沢度によって権能の覚醒具合が目で見てわかるのですが、ニナーナ様がお持ちだったフィアはかなり濁っておりまして、ほぼ覚醒していない状態だと断言できます!」
「だがフィア自体は一つだけじゃないんだろう?」
「それは……はい」
「だったら別の誰かが、別のフィアを使って魔蟲達を洗脳している可能性がある。違うか?」
図星を突くリカルドの意見に、ゼトは首肯するしかなくなった。
そのやりとりを見て、今度はクゥフィアが少し目を見開く。
「僕たちの話、信じてくれるの?」
「……まだ全部消化出来た訳ではない。だが、さっきのお前達のやり取りを見させてもらっていたが、どう考えても演技をしている風には見えなかったんでな」
「それにさっきお前、なんかピカーッと光ってたじゃん。あんなのこの世界の人間じゃあ出来る奴いねえもん。マジックアイテム持っててもあんなのムリムリ。これはもう信じるしかねえよ」
難しい表情ながらも、観念した風に受け入れる姿勢を取るリカルドと、少し横になったおかげで頭がすっきりしたのか、歯を見せて笑いかけてくるロドルフォを見て、クゥフィアは胸から何かが込み上げてくる感覚がした。
そのまま大きな目から流れてくる、一筋の涙。
泣かれるとは思っていなかった二人はぎょっと身構えた。
「あ、ありがとう……ありがとう……」
「お、おう。その、すぐに信じてやれなくて、悪かったよ」
「ううん……ううん!いいの!すっごくうれしい!」
続けざまにポロポロと涙を流しつつも、本当に嬉しそうに笑うクゥフィアの姿に、大人達はもうこの子を疑う事はしないでおこうと静かに誓った。
ただ話を信じただけ。
子供達が嘘を言っていないと納得しただけなのに、ここまで喜ばれるのだ。
今までどれだけ否定されて、抑圧されて、いろんな事を諦めてきたのか……まだ八歳の子供にとって、それは相当な苦痛だったに違いない。
悪気のない悪意、無意識の壁を作って拒否してしまった自分達の行動に、かなり反省したのだった。
「あー……話を戻そう。もし魔蟲達が誰かに操られている、という過程で動くのなら、何か他に思い当たる事はないだろうか?例えば、そのヘブンスフィアとやらを別の場所で見た事があるとか」
リカルドが仕切り直して皆に問いかける。
すると僅かな沈黙の後に、ニナが右手を挙手した。
「カンケーあるか、わからない。けど、きになることある」
「言ってみろ」
「ヒューとあったとき、アイツ、へんなこといってた」
「ヒューさんが何か言ったの?」
「いや、ヒューとちがう。ヒューとはじめてあったはずなのに、アイツ、ヒューにいった」
『観念したようだな。この調子で残りの仲間の居場所も吐いてもらえれば、此方も悪い様にはしない』
「オレきになって、キキにアイツ、みはって、っていったんだ」
「ああ、アリステア精鋭騎士団長のこと?そういやキキュルーになんか頼んでたよな」
何の気なしにロドルフォが相槌を打つ。
途端、クゥフィアとゼトの顔が一瞬で蒼白して、非常に緊迫した様子になった。
その空気の変わり様に、大人達も瞬時に勘づく。
「どうした?二人共」
「……今、アリステアと、申しましたか?」
「ああ。言ったけど…」
「なんて事だ……ですが、奴なら十分に有り得る!虫だけでなく意思のある魔蟲すら操れる様になったのか!」
今までの礼儀正しい口調をかなぐり捨てて、ゼトは歯を食いしばりながら髪を握り締めた。
そしてクゥフィアも何かトラウマがあるのか、カタカタと体を震わし始めてしまい、ニナが急いで肩を抱きしめる。
子供達の尋常ではないこの様子は、一体どういう事なのだろうか。
「おちつけ。せつめいしろ」
ニナの片言ながらも強い命令に、ゼトがビクッと反応して表面だけでも冷静さを取り戻す。
「失礼。取り乱しました」
「……お前達、この王国最強とまで言われている、王国騎士・精鋭騎士団団長のアリステア・ディーノと面識があるのか?」
「はい。面識どころか、ヒュードラード様の片腕を斬り落とした張本人でございます」
瞬間、大人達にも衝撃が走った。
息を飲んで驚く一同を見回して、ゼトは続ける。
「先程、我々の世界を侵略してきた異神の軍隊の話をしましたね?アリステアはそのうちの一人なのです」
「なん、だって?」
「奴とはこれまで何度も我々の前に立ちはだかってきては、命のやり取りをして参りました。その時に一度、奴が他の仲間と共謀して攻撃をしかけてきた事がありまして、その時にヒュードラード様は片腕を消失されたのです」
「その後も、他の仲間に追いかけられて、僕たちが罠にはまっちゃったのを、ヒューさんが助けようとして……両脚も、つ、使えなく、なっちゃって……」
震えながら言葉を詰まらせ、先程とは別の涙を流すクゥフィアに、それ以上喋らなくて良いと宥める。
しかし、印象がかなり違う。
ロドルフォ達の知るアリステア・ディーノとは、騎士道精神そのものといって良い程に勇敢で、慇懃で、博愛主義に富んだ男であった。
剣を握れば国を助け、槍を握れば民を助け、盆を握れば貧しい者にすらパンを分け与える、とまで言われ賞賛されている、ニナに匹敵する程の王国の人気者。
そんな彼がクゥフィア達を執拗に狙っているなんてとても信じられないが、ロドルフォとリカルドは本当につい先程、クゥフィア達を信じると誓ったばかりなのだ。
それに、信頼しているニナですらアリステアを疑っている。
「……奴がクロである確証は?」
「アリステアは神の涙を体内に取り込んでいます。フィアを所持している者の中には、そうやってフィア自身を体内に取り込んでその権能を行使する、【適合者】という者達がいるのです」
「ケンノー、ってのは、どんな力なんだ?」
「フィアの能力そのものなので多岐に渡りますが、アリステアの権能は【蟲使い】といって、かなり特殊な洗脳系の能力です。文字通り、虫を使役する権能なのであります」
正に今回の謎にぴったりと当てはまる能力であった。
そして一連の騒動を、推察を交えて時系列ごとにまとめるとこうなっていく。
まず、元々この世界の住人であったアリステアは、己の権能の実験か何かで魔蟲を何匹か使役して理知を消失させ、各地で暴れさせていた。
そんな時に、クゥフィア達がこのデューベへと時空移動をしてきた事を何らかの方法で察知して、魔蟲を使役し、クゥフィア達を定期的に襲撃させてこの王国へと誘導した。
国境付近まで来たタイミングでヒュードラードに罪を被せて公式的に捕縛する事には成功したものの、恐らくその時にクゥフィアとゼトも捕まえる算段だっただろうに、罠にかかったのがヒュードラード一人だった為、予定を変更して彼を強引に王都へ連行する事にした。
そして引き続き魔蟲を使い、クゥフィア達を徐々に自分の下まで誘き出そうとしている。
……といった具合になる。
「坊ちゃんは、旅を始めた時からずっと異神の軍隊に狙われ続けています。何故こんな回りくどい事をしているのかは正直分かり兼ねますが、もし今我々が向かっているバルデュユースにアリステアが待ち構えているのなら、このままでは坊ちゃんの身が危険に晒されてしまうでしょう」
「だけど、ヒューもあぶない」
「このままじゃあアイツ、確実に監獄行きだろ?下手したら死刑にもなってかなりやばいんじゃねえの?」
「それに、けっこんしき」
「アー!!本当だ!こんな状態じゃあカミュロン達におめでとうなんて言ってやれねえ!でも式にはちゃんと出てぇ!」
問題がまた積み上がって大袈裟に悶えるロドルフォに、全員が同じ気持ちで賛同する。
だが、真っ先にリカルドがある可能性に気付いて、顔を青白くさせた。
「なあ、かなり不味い状況が立て続いてはいるんだが、今一番危険なのは、キキュルーの身なんじゃないのか?」
その一言に、ロドルフォだけでなくニナまでもが背筋を凍らせた。
流石にここまで危険な案件になるとは思ってもおらず、英雄魔女と呼ばれているとはいえたった一人の女性に、監視などという逆に目をつけられてしまう様な頼み事をするべきではなかったのだ。
全員の間にとてつもない緊張が走る。
だが、今この場では誰一人としてどうする事もできない。
とにかく一刻も早くギルドのある街まで辿り着いて、通信ラクリマで何としてでもキキュルーと連絡を取り合い、そして至急馬を調達して王都まで向かわなければならない。
やるべき事は最初と変わらないが緊急性が大きく高まった事で、その日の野宿は早々に切り上げられ、日が登り始める前から五人は焚き火を消して、急ぎ足で街へと向かったのだった。
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