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フィア─帰りたい者達の異世界旅─  作者: ミリオン
始まりの世界(デューベ)編
4/18

4

時を同じくして。

王都バルデュユースにある王国騎士団管轄の留置場では、独居房の一つからカチャ、カチャ…と金属質の音が不定期に響いていた。

何かを組み立てる様なその音に別の独房に入っていた罪人が視線を向けると、そこには留置場の監視員から工具を借用し、自分の右脚を器用に弄っている巨漢───ヒュードラードの姿があった。


「……うっし、こんなもんだろ」


ネジの締め上げが終わって何度か動作確認を行うと、まずまずと言いたげに独りごちる。

先日の逃走劇で破損したその右脚には無数の傷が付いており、部品が手に入りにくい為に所々欠けてしまっていたが、現状ではここまで直せただけでも上々と取るべきであるのだろう。


「アンタ、その図体の割にずいぶんと器用なんだな」

「まあな。色んな所を旅してるもんで、これぐらいのメンテナンスは自分で出来る様にならねえと埒があかねえんだよ」


気さくに話しかけてくる罪人にヒュードラードも普通に受け答えをする。

窃盗の罪で二日程前にこの留置場に連れてこられた彼とは既に何度も会話を交わしていて、短い時間ながらも拘束理由やお互いの境遇など、差し障りのない程度には情報交換を済ませている。

騎士達が自分達の取り調べを終わらせるまでは互いに暇な為、今では軽く談笑しあえる間柄になっていた。


「しっかし両脚と片腕が義体だなんて、一体どんな目に合えばそこまで悲惨な事になるんだい?魔蟲にでも喰われたか?」

「ハッ!あんな虫っころに群がられたってくすぐってえだけだろ」

「虫っころって……」


正気?と言いたげな呆れ顔で独房越しのヒュードラードを見る。

今でこそ戦争が終わり、魔蟲からの被害が激減して平和だと言えるぐらいにはなってきたものの、未だ集落の外に出れば凶暴化した魔蟲に出くわす事もあるのだ。

しかも魔蟲は体が小さければ小さい程群れで動く習性があり、そのせいなのかやたら攻撃的なタイプが多くて手が付けにくい。

逆に体が大きい個体は穏やかな傾向が多いのだが、こちらも一度暴れ出すと頑丈かつ馬鹿力なので一般人じゃとても歯が立たない。

そんな生物にもし群がられればくすぐったいどころじゃない筈なのに、一体あの魔蟲達のどこを見てそんな発言が出てくるのか不思議である。


「じゃあ事故とか?その体格からして生まれつきってワケじゃあねえでしょ」

「あー、めんどくせえから言いたくねえ。どうせ言ったって信じられねえだろうしな」

「何ソレ意味深ー。逆に言ってみないと信じるかどうかわかんねえじゃん。めっちゃ気になってきた」

「うるっせえな。それ以上掘り下げようとしてきたらぶっ飛ばすぞ」

「おーこわ。へいへいわかりましたよ」


機嫌が損なわれてきたので潔く引き下がると、独房の罪人はそのまま昼寝の体勢に入ろうとする。

だが程なくして、巡回時間ではないにも関わらず監視員がこちらの部屋側へ歩いてきて、ヒュードラードの独房の前で立ち止まった。

気になったのでその様子を横目で伺う。


「よお。工具貸してくれてサンキュー」

「直りましたか?」

「自力で動ける程度にはな」

「それは良かったです。ところですみませんが、もう一度取り調べ室まで来てもらえますか?」

「アァ?またかよ!これで一体何度目だ?」


不満気に吐き捨てるヒュードラードに物怖じせず「すみません」とだけ言うと、持っていた鍵束を取り出して目の前の独房の施錠を外す。

それを見ると面倒臭そうにしつつも、少しかがみながら開かれた扉をくぐって自分の足で廊下に出てきた。


2メートルはあろうかというその巨体に、鉄の手足。

四肢の中で唯一の生身である右腕も、大木と見紛う程の太さがある。

それに視線だけで人を殺せそうな程の凶悪な目付きとメイクまで加われば、誰がどう見てもザ・極悪人のレッテルを貼り付けるだろうというのが、ヒュードラードの印象だった。

実際、相当罪を重ねた上でこの豚箱にぶち込まれているのだから極悪人である事は変わらないのだが、本人曰く全部の罪が誤解、もしくは不可抗力だったと言い張っているものだから、その神経の図太さには見習うべきものがある。

……と、自分ももう窃盗罪等で逮捕されるのがこれで七回目である常習犯───ジールは、自分がいる独房の前を横切って行くヒュードラードを見て思った。


歩く度に普通の足音とは違う金属質の音を立てながら、ヒュードラードはもう慣れてしまった取り調べ室までの廊下を、監視員の後ろに着いて行く形で進んでいく。

部屋に着いてその扉をまた潜ると、いつもなら取り調べ担当の騎士が三人程仰々しくふんぞり返っているのだが、今回はそこにいる人物がいつもと違っていて「ん?」と素直に疑問を口にした。


「初めまして。貴方がヒューさんですね?」

「間違っちゃいねえが……テメエは誰だ?いつもの騎士共とは随分毛色が違う」

「私は王国騎士・精鋭騎士団所属のカミュロン・ダイナル。本日は貴方とお話がしたくて此方へ伺いました」


礼儀正しく背筋を伸ばして自己紹介をするカミュロンは、気品と清涼感のある騎士だった。

先にヒュードラードを席へ促すと、後から自分も設置されている椅子へと腰掛けて真っ直ぐヒュードラードを見つめてくる。


「話っつってもな。いつもの連中に何度も言ってんだが、まず俺は不法入国をしたくてしたんじゃねえ。大量の魔蟲と交戦してたら知らねえうちに越えちまってたんだよ」

「それに関しては報告書にて確認済みです。その後、勢い余って国境付近を通行中のキャラバンの列に突っ込んでしまい、馬車一台を荷物ごと大破させた。監視網が作動して現場に駆けつけた国境騎士団に弁明しようとしたものの、結果的に強盗未遂の汚名まで着せられてしまい今日に至る、と」

「ならわかるだろ?俺は罪を犯したくて犯したんじゃねえ」

「ですが王都でのあの大騒動は頂けない。あの一件のせいで、貴方の余罪に傷害罪まで加わっています」

「テメエらが堅物なのがいけねえんだろ」


反省する素振りすら見せず、不満気に腕組みをして鼻を鳴らすヒュードラードを、カミュロンは顔色一つ変えずに見つめ返す。

まだ若いくせに随分と肝が据わっている、と少し感心した。


「残念ですが、まだ暫くは貴方を釈放する事はできません。捜査が少々難航していますし、その余罪のせいで情状酌量の余地が殆どなくなってしまっているのです。今の流れでは恐らく、執行猶予付きの懲役命令が出されるかと思われます」

「ご丁寧にどうも。わざわざそれを言いに俺に会いに来たってのか?」


それならいつもの連中に言伝れば良いだろうと思うのだが、どうやらそう言った様子ではないらしい。

何か他にあるのではという意味を含んで問いかけると、予想通りカミュロンは首を横に振って、静かな口調で会話を続けていった。


「実は私の知り合いから、貴方の件に関して幾つか頼まれ事をされているのです。そのうちの一つに貴方宛の伝言がありましたので、直接お伝えに来ました」

「伝言?」

「本当なら職権乱用にあたる行為なのですが、他でもない……ニナの頼みですから」


その名前を聞いて、ヒュードラードは少しばかり目を見開いた。

ニナ、という名前は旅の途中にしょっちゅう耳にしていたが、それがニナーナ本人であるという確証を得たのは、比較的最近の話である。

目の前にいるこの騎士はそのニナーナと知り合いであり、しかもわざわざ己の立場を利用してまであの男の為に動こうと思える程、親しい間柄の様だ。

そこでヒュードラードは思い出す。

他国で聞き込みをしている時によく話題になっていた、魔王蟲を倒したという英雄部隊エスポアという名の集団。

そのメンバーに確か、目の前の騎士と同じ名前の人物が一人居たのだ。


「あー、じゃあテメエが、あの【英雄聖騎士】カミュロンっつー奴なのか」

「………あの、その呼び名は恥ずかしいので、やめてもらえないでしょうか……」

「ぶあーはっはっは!確かに自称でもしてねえ限り恥ずいわな!しかも聖騎士だってよ!」

「そ、そんな大声で笑わないで下さいよ!」


天井を見上げながら廊下にまで響く大笑いをされて、流石のカミュロンも耳まで赤く染めながら思わず反論してしまう。

やっと年相応の顔が見られた事にヒュードラードは少し気分が良くなり、そして長年の勘で、ほんの数分会話をしただけだがこの男なら、少なくとも他の騎士よりも信用できると確信した。

そこからは咳払いをして気を引き締め直すカミュロンの言葉に、真剣に耳を傾ける。


「ニナからはこう言伝っています。『ガキたち、あいにいく』と。その一言だけですが、その後すぐに彼はこの王都を出立したと聞き及んでいます。貴方が大暴れした直後なので四日前ですね」

「………そうか」


直ぐに気付いて動いてくれたのかという嬉しさと、無事にクゥフィア達と合流してくれればあの子達の安全が保証されるという安堵が重なり、ヒュードラードは心の憂いが少しばかり晴れていく手応えを感じた。

ニナーナとは色々あったが、非常に優秀な頭を持つ彼の事だ、あの短い邂逅でこちらの真意を読み取ってくれると信じていた。

ならば自分はもう暫くこの王都でのんびりして、彼らが到着するのを待っていれば良いだろう。

そう思い、無意識ながら僅かに微笑むヒュードラードからは今までの凶悪な雰囲気が少し消えて、温かな温もりを感じられた。

それを見たカミュロンは、少し呆気に取られながらもつい、胸の内に秘めていた疑問を口にしてしまう。


「ニナの事、教えてもらえませんか?」

「ん?何だ突然」

「いえ、その……貴方はニナの元相棒だと聞きましたので、昔の彼の事を良くご存知だろうと思いまして」


聞くつもりはなかった質問に少し罰が悪くなり、視線を俯かせてしまうカミュロンを静かに見つめる。

その様子を見るに、あの眉目秀麗の八方美人男は、自分の本性を一切周りに開示していないと見た。

もし僅かにでも悟られているなら、この正義感の強そうな青年はむしろ食いつく様にニナーナの事を尋ねてくるはずだ。

そう考えたヒュードラードは、何処までカミュロンに話すかを少し検討した後、逆に聞き返すことにした。


「先に答えろ。お前にとってニナーナ……いや、ニナは、どんな存在なんだ」


一瞬きょとんとした後、カミュロンは真面目な顔付きに戻って再度姿勢を正す。

誠実さを示す為に。

彼にとってのニナの気持ちが本物であると、誠意で伝える為に。


「ニナは、苦楽を共にしたかけがえのない仲間です。そして私の槍術の師範でもあり、心の底から尊敬している男性であります」

「そうか…………。なら、そのまま夢を見続けてろ」

「……え?」


予想外の返答に思考が追いつかなかった。

完全に理解できていないカミュロンをそのままにして、ヒュードラードはもうこれ以上言う事は無いとでもいう風に、先に椅子から立ち上がって勝手に取り調べ室から出ていこうとする。

だが、ドアノブに手をかけようとした時にある事を思い出し、もう一度だけ後ろで固まっているカミュロンの方を見た。


「お前にだから伝えておく。あの男……──────」

「え?……あ、待ってください!それはどういう」


続けられた言葉に更に理解が及ばず、椅子を蹴り上げる様に前のめりで立ち上がるものの、ヒュードラードは今度こそ本当に取り調べ室から退出していった。

廊下に出て自分の独房に戻ろうと向きを変えた拍子に、その場で待機していた先程の監視員に思いっきりぶつかってしまう。


「おっと。悪いぼーっとしてた」


驚いた声を出して倒れそうになる監視員を、咄嗟に右腕で支える。


「いえ、お気になさらず。お話は終わりましたか?」

「まあ、俺から話す事はもうねえかな」


そう伝えるとまた監視員に連れられて廊下を歩く。

この四日間、このそれ程広くない留置場の決められた場所にしか行き来していないヒュードラードは、不意に今思い至ったとでもいう風を装って口を開く。


「そういやあよ、俺の刀や荷物なんかはこの建物に置いてんのか?」

「ご安心を。しっかり此方で管理しています」


それを聞いて「ふーん」とだけ相槌をして、その後は無言で大人しく独房まで戻る。

工具を返却した後に監視員の手で改めて複数の鍵が施錠され、ヒュードラードはその体格からしてみれば少し窮屈に感じる部屋の床にドカリと座って、腕組みをした状態で胡座をかく。

その様子を昼寝をしていた姿勢で盗み見していた盗人ジールは、監視員が靴音を響かせて声の届かない場所まで戻って行った頃合いを見て、神妙な雰囲気のヒュードラードに話しかけた。


「よお旦那。今回の取り調べは早かったな。前は1時間以上かかってたってーのに」

「まあな。……ところでテメエよお」

「んー?」


間の抜けた返事をするジールにだけ見える様に、腕組みをした状態で左義手の隠しポケットから取り出した大粒のダイヤモンドと、先程の監視員からくすねた独房の鍵束をチラつかせる。

此処の独房の鍵は南京錠式。

複数掛けられてはいるが施錠の際には鍵が不要な為、先程監視員とぶつかった時にこっそり盗っておいたのだ。


「此処よりも良い寝床、知らねえか?できれば虫が湧いてこねえ所が良いんだが」


それを聞いて、飛ばしてくる視線の意味を読み取って、ジールはニヤリと卑しく笑うとすぐに答えた。


「まいどありー」






一人取り調べ室に残されたカミュロンは、暫く放心した後に我に返って仕方なく部屋を後にする。

すれ違いざまに敬礼や頭を下げてくる施設の者達に簡単な挨拶だけ済ませると、自身の愛馬に跨ってそのまま留置場を立ち去り、己の席がある精鋭騎士団の特別駐屯基地方面へと向かっていく。

駐屯基地までは本来そこそこ距離があるのだが、先程ヒュードラードから伝えられたたった二つの言葉がどうしても頭から離れなくて、心ここに在らずのまま無意識に行動してしまっていた。

その為、誰かの呼び声でハッと現実に戻された時には、既に駐屯基地の入り口にまで辿り着いていた後であった。


「ダイナル隊長。どうかされましたか?」

「あ……ああ、すまない。少し考え事をしていた。何かあったのか?」


軽く頭を振って思考を切り替え、自分に話しかけている精鋭騎士の部下に尋ねる。


「いえ。つい先刻【英雄聖女】様と【英雄魔女】様が隊長を尋ねて来られまして、今応接室にお通ししていますのでそのご報告を、と」

「!」


好都合なタイミングに感謝しつつ、カミュロンは愛馬を馬小屋へ預けると行き先を応接室に変えて足早に向かった。

部屋の前まで来ると、少し急ぎ気味にノックをして室内に入る。

するとそこには報告通り、二人の美女がソファに腰掛けて肩を寄せ合い、給仕に出されたのだろう甘いお菓子と紅茶を嗜みながら和気藹々と談笑している姿があった。

それを見て、無意識に緊張していたのだろう体と心が少し解れる感触がした。


「あ、カミュ!お仕事ご苦労様です!」

「悪いわね、急に連絡もなしに訪問しちゃって」

「いや、構わない。ソフィア、キキュルー、来てくれて有難う。入れ違いにならなくて良かったよ」


自分の姿を見るなり花が咲く様な笑顔を見せてくれる婚約者のソフィアに、心が締め付けられて思わず口元が緩みかける。

それを意地で引き締め、何とか冷静を保ちながら二人の前へ座ると、人払いを済ませてからすぐに本題へと移った。


「本当に好都合だった。ソフィア、君も念の為話を聞いておいてほしい」

「はい」

「キキュルー、君から頼まれていた件の男についてだが、つい先程会いに行ってみたんだ」

「私じゃなくてニナから、だけどね。で、どんな奴だった?」

「話で聞いていたよりもまともな人だったよ。怒鳴ってくる事もなかったし、良く見る手の付けられない暴漢って感じではなかった。それに彼の罪状も恐らく殆ど濡れ衣だ。先日の大騒動以外はね」

「えー?ウッソー?アンタ別の犯罪者と会ってきたんじゃないの?」


信じらんない!と続けるキキュルーの脳内には、自分の喉元を躊躇無く鷲掴んできたあの凶悪凶暴な闘牛男の姿がこびり付いている。

あの時のイメージと全く違うカミュロンの報告に納得がいかない様子だが、それが事実なのだから致し方ない。


「だがどうにも腑に落ちない事があってね。まず、彼が本当に潔白の身であるのなら、何故今回の捜査の内容がこんなにも錯綜しているのかが理解できない」

「と言うと?」


促されてカミュロンはそのまま言葉を続ける。


「最初に、不法入国の件。彼は魔蟲の群れに襲撃されて仕方なく国境を越えたらしい。その発言はきっと嘘ではないし、現に彼が通ったであろうライン上には、大量の魔蟲の死骸と戦闘の痕跡が残されていたと、報告書に書かれていた」

「それなら仕方の無い理由ですから、その人の元いた国に送還されるのが普通なのではないですか?」


あまり事情に関わってないながらも理にかなっているソフィアの発言に、強く頷く。


「それと次に、器物損壊罪。これも魔蟲との戦闘による不可抗力で起きた事故らしい。近くに人道を利用している荷馬車がいるとは気付かずに、魔法で吹き飛ばされて勢い余ってぶつかりに行ってしまったと。これも現場に居合わせたキャラバンの商人達に聞き取り調査をして、その内容と照らし合わせた上での確信だ」

「……そう言われると、まあ、確かにアイツは悪くないって思えてきちゃうわね」


唸りながら顎に手を添えるキキュルーと、人差し指を口元に付けて考える仕草をするソフィアを交互に見つめる。


四日前の夕方に突然キキュルーが自分の下へ訪問してきてから、カミュロンはヒュードラードの件についてそれまで全く関与していなかったにも関わらず、出来うる限り捜査内容の確認に時間を割いていた。

そのおかげか、聞き取りや事実確認などで揃えた証拠と捜査報告書を確認した時、そのほぼ全てが彼の無実を証明しているではないかと気付いたのは案外早い段階であった。

だが、公式の報告書であるにも関わらず、どの紙にもその文末には何故か、ヒュードラードを貶める様な内容が書かれていた。

それがカミュロンが不信感を募らせる原因となる。


「それなのに何故か、彼の罪状に強盗未遂が含まれているんだよ。彼が吹き飛ばされた後に魔蟲が人を襲わず去って行ったからかもしれないが、誰がどう見てもこれは事故だろう。彼が故意に荷馬車を襲った訳ではない事は、商人達も理解していただろうに、だ」

「それに魔蟲の死骸も見つかってるんでしょ?ちゃんとした証拠があるのに、なんで結果的にこの王都へ強制連行されてるのよ」

「そう、そこも腑に落ちない。だから伝言を伝えるついでに、直接本人に会ってみようと思ったんだ」


何かしら見落としている部分があるかもしれないと思い、あまり取れない時間を絞り取って今日やっと留置場に出向く事ができた。

本人に悟られる事なくこの目で粗を見抜こうと身構えて行ったのだが、待たされていた取り調べ室に入ってきた男は、確かに第一印象こそ極悪そうとは思ったものの、会話をしてみると案外話の通じる人間味のある人物だったのだ。

恐らく今までも数々の修羅場をくぐって来たのだろうと思わせられる風貌で、不意に見せた誰かを想う優しいあの表情が未だに脳裏に残っている。

ヒュードラードのあの僅かな笑みを見て、この人にもきっと大切に想う人が居るのだろうと感じた時、カミュロンはある一つの可能性を見出していた。


「これは僕の憶測だが、ヒューさん……本名はヒュードラードさんらしいが、彼は恐らく誰かの謀略によって投獄されようとしている」

「謀略って……一体誰がそんな事を?」

「状況を鑑みるに、今回の報告書の作成と騎士団への指示に影響を与えられる人物。つまり、僕や団長の様な騎士団内における上層部の人間。あるいは我々に影響を与えられる程の力を持つ貴族・政治家達だ」


それを聞いてキキュルーとソフィアは言葉を失う。

膝の上に両肘を付いて手を組みながら、カミュロンはこの流れで、真剣な表情で、立ち去り際に言われたヒュードラードのあの一言を二人に伝え、そのまま言葉を続ける。


「……にわかに信じ難いが、この謀略の仮説を立てた時、あの人なら十分それを成し遂げられると思ってしまったんだ。出来ることなら僕の勘が外れて欲しいと思うし、もし合っていたとしても一体どんな目的があるのかさっぱりわからないが…こうなった以上、注意するに越したことはない」

「その勘、あながち外れてないかも」


カミュロンの言葉を遮ってキキュルーが気難しげに口を挟む。


「私も、ニナからそれに近い事を言われたわ」

「何だって!?」

「だからアイツらが帰ってくるまでの間、その近辺の動向と監視を頼まれたのよ。監視ラクリマだけじゃなくて盗聴・追跡系のマジックアイテムもフル稼働よ。完全に大赤字だし、あの闘牛男がどうなろうと正直知ったこっちゃないけど、アンタもニナも同じ考えならやっぱり仕方ないわね」

「……それ、は、そうかもしれないが。流石に盗聴は個人の自由に反するのでは……」

「何よ。ちょっと極端な話をするけど、アンタ達の結婚式の時に、その裏で大きな陰謀が渦巻いてる可能性だってあるのよ。そこは素直にありがとうって言うべきじゃないの?」


些か理不尽じゃないかと思いつつ、その圧に気圧されて「助かります…」と言わされてしまった。

だが現状、この仮説に基づいて動くとなれば、動かせる人員は非常に少ない。

それを考えると愚痴愚痴と言いながらも、こちらの要望に応えてくれている目の前の彼女には確かに感謝すべきなのである。

つい遠い目をしつつそう納得してカラ笑いをするカミュロン。

そんな彼を睨みながら、またキキュルーが口を開いた。


「まあそれはこれぐらいで良いとしてね。アンタ、他に気付いた事ってないの?」

「気付いた事?」


はて、と首を傾げる。


「あのヒューっていう闘牛男、普通にデューラス語を喋ってたわよ」

「?それが何か?」

「あのねえ、アイツはニナの元相棒なのよ?それなのになんでアイツはデューラス語がペラッペラで、三年もこの国にいたニナは未だに片言なのよ。アイツら、デューラス語圏外の同郷者じゃないの?一体何者なのか私すっごい気になってたんだけど」


核心を突く様な物言いだが、それでもカミュロンは首を傾げたままでいる。

一応デューラス語が世界共通語として認知されているのだから、ヒュードラードがその圏内国の出身か二ヶ国語を習得する環境にいたのなら、特別不思議な話ではない。

それを言うとむしろニナの方が、近隣国は全てデューラス語で統一されているというのにこの国に来てから言葉を勉強したと言っていたのだから、其方の方が不思議なぐらいである。

そう意見を返すとキキュルーは不満げに目を細めて、「じゃあ」と続ける。


「こっちの目線ならどう?あの男、魔晶石なしで魔法を発動させたわよ」

「……は?いやいや、それこそ何を言っているんだい?」

「本当よ。魔女と言われるぐらい魔法に精通している私が見間違える訳ないわ。普通、戦闘で使う攻撃魔法や補助魔法は、武器やアクセサリーに取り付けてある魔晶石か、戦闘用のラクリマから魔力を抽出して、弾や槍に篭めるなり物に纏わせるなりして、できる限り凝縮させ、それから魔法を発動させるもの。そして魔法の規模によっては、魔力を凝縮した複数の物を繋いで魔法陣を展開させる技もある。しかしその抽出から発動の過程で、どうしてもその魔法への知識と理解力、そして各個の技量が大きく左右される。アンタの場合なら槍の訓練にプラス、水魔法と地魔法の勉強をいっぱいして理解を深めた筈よ」

「まあそうだね。ロドルフォの様にセンスだけで発動させる例外パターンもあるけれど」

「だけどもあの闘牛男の場合は、まず最初に足下に魔法陣を展開してから、そこに剣を突き刺す形で発動させていた。最初の抽出の時点で工程が明らかに違っていたのよ。それにアイツが一度剣を投げ捨てたから、その時にこそっと調べてみたんだけど、何処にも魔晶石が付いてなかったわ。要するに剣はただのトリガーで、本当なら何も持たずに魔法を使えた筈なのよ」

「武器なしで発動できるなんて、なんだか魔蟲の使う魔法に似てますね」


傍で聞いていたソフィアのとんでもない一言に、場の空気が完全に凍った。


何度も言うが、この世界デューベに居る人間は、魔晶石がないと魔法を使えない。

魔蟲は体内に魔力を備えているから発動可能ではあるが、それは人間以上の強靭な身体を持ち合わせているからこそのなせる技だ。

もし人間が魔力内包を目的として魔晶石を呑もうものなら、劇物を瓶ごと丸呑みして胃の中で消化しようとしている状況に等しいだろう。

要するに、道具なしで魔法を使う事など完全に不可能である。

不可能な筈なのだ…。


「ね?すっごく気になってきたでしょう?」


背中に嫌な汗が流れ始めるカミュロンにキキュルーはそう呼びかける。


魔蟲の様に魔法を行使する謎の男・ヒュードラード。

彼を貶めようとする正体不明の権力者。

そしてヒュードラードと接点のある、過去について謎の多いニナ……。


一体どういう事だ?

わからない事が一気に増えて脳が混乱する。

ただ仲間の頼みを聞いて、仲間の昔の知り合いに着せられた罪状に不可解な点があったから調査していただけなのに、何だか嫌な気配が蠢き始めている気がする。

それこそキキュルーの言う通り、何か大きな秘密を孕んだ陰謀の様な何かが……。


そのまま物思いにふけりかけたカミュロンだったが、バン!と強く机を叩かれて肩を跳ねさせながら我に返る。


「それともう一つ!アンタ、もっとちゃんとソフィアの顔を見なさい!」


キキュルーに命令されて条件反射でソフィアの方へ首を動かす。

いきなり話題に出された彼女も肩を跳ねさせて少し身を引いており、カミュロンと視線が合うとその途端に頬を薄く染めつつ、そわそわと落ち着かない素振りを見せた。


うん、可愛い。


ではなくて、顔を見ろという事は、きっと女性特有のアレがあるに違いない。

そう思い至ってカミュロンは数秒の間、ソフィアにとっては凄く長く感じる間、穴が空くぐらいじっくりと凝視して、居たたまれなくなったソフィアが唇を軽く尖らせた事でようやく答に辿り着く。


「口紅を付けてきてたんだね。なんて色なんだい?」

「ちぇ、チェリーピンク、です」

「気付かなくてごめん。とても可愛らしくて君にとても似合っているよ。もしかして僕に見せに来てくれたの?」

「うぅ……ごめんなさい。大変な事になっているなんて知らずにお仕事の邪魔をして……。でも、少しだけでもお顔が見たくって、キキの付き添いという口実で来てしまいました……」


罪悪感で項垂れながらも、完全に頬を朱で染めて素直に白状するそのいじらしいソフィアの姿に、カミュロンはもうポーカーフェイスを保つ事が不可能になってしまった。

椅子の上で身悶える精鋭騎士団第一部隊隊長、兼、英雄聖騎士様に、「はいはいはい貴方のお嫁さん超可愛いですよってか一番に気付きなさいよこれだから男ってのは」とマシンガンの勢いで毒づきながら、キキュルーは目の前に置いていたクッキーを貪り食っていった。

此処に彼女が居なければ、きっとカミュロンは衝動に耐え切れずソフィアを激しく掻き抱いていた事だろう。

こんなに愛しすぎる女性とあと十日後には夫婦になれるのだと思うと更に感慨深くなって、先程頭を悩ませていたあらゆる事が途端に瑣末事に感じてしまう。


仕事、頑張ろう。

絶対ソフィアを幸せにしよう。


そう胸の内で決意したカミュロンだったが、唐突に応接室の扉がノックされた事ですぐに現実に引き戻される。


「応接中に失礼します。ダイナル隊長。至急お耳に入れたい事があります」

「入ってくれ」


人払いをしていたにも関わらずノックしてきたという事は緊急性が高いものだろうと思い、すぐに平静を取り戻して入室許可を出すと、カミュロンの指揮する第一部隊の隊長補佐官が中へと入ってきて全員に一礼した。

そして直ぐ様カミュロンの傍へ来て、口を隠しながら耳元でひそひそと話をし始める。

するとそれを聞いたカミュロンの表情が、驚愕を見せた後に一瞬にして険しいものになった。


「……それは本当なのか?」

「はい、先程通信ラクリマで。自分が直接応対したので間違いありません」

「そうか……」


暫し考え込んだ後に、正面に腰掛けているキキュルーとソフィアを見やる。

そして二人にも伝えるべきだと判断し、補佐官に同じ話を彼女達にもするよう促した。

何せその内容が、先程まで話題にしていたヒュードラードの件についてだったのだ。


「つい先刻、王都内の留置場より当基地へ、通信ラクリマによる一報が入りました。その内容が、先程まで隊長がお会いになられていたヒュードラードという被疑者が、留置場を脱走したというものであります」

「また逃げたの!?」


驚きと呆れと防犯の甘さに対する怒りを含んだ声が上がる。


その報告によると、ヒュードラードは別件で拘束されていたジールという窃盗常習犯と共謀して、監視員から鍵を盗み独居房を脱走。

留置場を熟知しているジールが監視の目を盗んで両者の所持品を回収した後、警備用に設置していたラクリマの破壊と、非常事態にようやく気付いて駆けつけた監視員数名を暴力により気絶させて、留置場から離脱し完全に行方をくらましてしまったらしい。

本来なら精鋭騎士団とは違う管轄の為にそういった内容で留置場から連絡が来る事はないのだが、今回はヒュードラードが脱走する直前に面会していたのがカミュロンであった為、念の為の事情聴取をさせてほしいという事のようだ。


「すまないが、僕はもう一度出かけなくちゃならない。今日は一旦解散にして、また何か進展があれば互いに連絡を取ろう」

「そうね。しかし結婚式が近いってのに、なんか大変な頼まれ事を任せちゃったわね」

「構わないよ。今の僕の地位と功績は、エスポアの皆のおかげで手に入れたものばかりだ。少しでもそれに報いる事ができるならこれぐらい大した事ないさ。……式の段取りをソフィアに任せっきりにしてしまっているのは、申し訳ないと思ってるけれど」

「お気になさらないで下さい。必要な事はちゃんと確認させて頂いてますし、カミュはこのままお仕事に集中していて下さい」

「ありがとう」


微笑みながらそう言って席を立つと、ソフィアの傍まで歩いて片膝を付き、右手を取ってその甲へ恭しくキスを落とす。

唇が触れる感触に一瞬フリーズをした後、湯気が出る程勢い良く赤面するソフィアに気を良くすると、カミュロンは補佐官に後の対応を任せて一足先に応接室を後にした。


「……式の準備も大変そうだけど、来てよかったでしょ?」

「…………はいぃ」


こう見えて、十日後に控える結婚式・結婚披露宴への準備や確認事項が膨大すぎて、大変な思いをしていたソフィア。

今にも倒れそうな程に疲労困憊していた彼女を見かねて、自分の要件ではないとはいえカミュロンの仕事を増やしてしまった罪悪感もあったキキュルーが機転を利かせ、気分が上がるよう買い物に連れ出して口紅をプレゼントした後、付き添いという名目を立ててここまで連れて来たのだった。

今のソフィアの様子からして、少しでも活力が戻ってきた様で良かったと安堵する。

それと同時に、人生に一度っきりであろう華やかしい日を目前に、こういった厄介事が降り掛かってきてしまう彼女達の不運を憐れんだ。


キキュルーは漠然と、今回の件に関して嫌な予感を抱えている。

せめて結婚式の日には何事も無ければ良いのだけれど…と、とうに冷めてしまった飲みかけの紅茶を見下ろしながら、静かに、だが切実に願った。


「ニナ達が帰ってきたら、いよいよちゃんと問い詰めないとね」


皆が皆、誰しも打ち明けにくい過去ぐらいある。

そう思って有耶無耶にしてきた部分も、こうなった以上ははっきりさせなければならないだろう。

キキュルーはそう決心すると、ティーカップを一気に傾け中身を全て飲み干して、ソフィアと共に案内されながら駐屯基地を後にしたのだった。


この部屋に入ってから出るまでの一部始終を、窓際に張り付いていた一匹の蝶に監視されていたとは夢にも思わず。




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