3
花々の匂いが香る草原の先を見つめながら、大きな瞳を哀しげに揺らしている子供がいた。
「ヒューさん、やっぱり帰ってこないよ」
「……やはりあの後、何かあったのかもしれませんね」
俯いてしまう子供を慰める様に肩を支えるのは、その子供よりも頭一つ分背が高い少年だ。
あまり幼さを感じさせない雰囲気を纏わせながらも、隣にいる子供の不安を払拭させられない自分の非力さを歯がゆく感じて、同じ様に眉尻を下げてしまっている。
彼らの待ち人と離れ離れになってから、既に三日が経過していた。
これ以上は此処に留まっていても仕方がない。
ならばと少年は、一枚の紙を取り出して二言唱え、今の待ち人の状況とその行方を紙の上に映し出すと、傍にいる子供に見せて、そして伝える。
「ヒュードラード様は今、かなり遠い所へ行かれている様子です。方角からして恐らく隣の王国でしょう」
「無事だったらこの町で会おうって約束なのに、何でそんなところにいるの?」
「分かり兼ねますが、不測の事態に巻き込まれたのは間違いないかと。何日も歩く事になりますが、一緒にお迎えに上がりましょう」
「うん!」
こうして二人は身支度を整え、拠点としていた花畑の町マガル・ドルチェを離れた。
「ねえ、ゼト」
「はい、何でしょう坊ちゃん」
「歩いてる時に、ニナーナさんってひとも一緒に見つかればいいのにね」
「そうですね。良く似た人物が王国側に居るらしい事はわかりましたので、もしかしたらお会い出来るやもしれませんね」
……これはニナが王都で、ヒュードラードと邂逅する一週間前の会話である。
あの騒動があってから既に四日が経った。
ニナは今現在、リカルドとロドルフォを連れて王都から離れた林道を、馬に跨って移動している最中だ。
最初はニナ一人で隣国へ向かうつもりだったのだが、移動手段を問われて馬で行くと答えた時、その場にいた全員から全力で止められた。
「いやお前馬に乗れねえじゃん」
「というか動物全般に嫌われる体質だったわよね」
「跨がれたとしても1メートルも進んでもらえんくせに何を言ってやがる」
「…………」
そして案の定、馬を買いに行ったもののどの馬にも拒否されてしまう結果になり、仕方なくリカルドが同乗、ロドルフォが不測の事態用の引率として同行する事になったのだ。
彼らにとっては慣れたものではあるのだが、ニナは何故か人間以外の動物に極度に嫌われる…というよりも、恐がられて逃げられる体質であった。
そのせいか途中何度か馬が脱走しそうになって、予定よりもあまり距離が稼げておらず目的地まではまだ遠い。
ちなみに、今此処にはいないキキュルーには、彼女だけ王都に残ると言ったのでいくつか頼み事をしてきており、その際に一つ交換条件を出されてから三人は出立したのだ。
「何度見てもやっぱ信じらんねーよ。その紙、もしかして魔晶石を磨り潰してできてんじゃねえの?」
道中何度か取り出している魔法陣の描かれた紙を見て、ロドルフォが率直な感想を零す。
ニナが『見せろ』と唱えれば映像が映されて、また『指し示せ』と別の言葉を唱えれば、陣の中心から一筋の光が伸びて方位磁石の様にとある方向のみを指し示し、体の向きを変えてもズレる事なく行くべき場所を教えてくれている。
距離や高低までは求められない様だが、恐らく光の先には映像に映った子供達が居るのだろう。
こんな高性能な紙切れなど存在自体が前代未聞であり、これが魔法オタクのキキュルーの好奇心を刺激したのだ。
「その厄介なお願いを訊く代わりに、その魔法の仕組みを私に教えなさい!」
言葉にするのが難しいとはぐらかせば、「じゃあさっさと行って戻ってきてから時間をかけて教えなさいよ!」と詰め寄られ、仕方なしに了承する事で交渉成立となったのだ。
そんな事を思い出しながら本日二度目の光の筋を飛ばしてみたニナは、いつもと違う違和感を感じて二人に声をかける。
「マガル・ドルチェのむきと、ひかりのむき、すこしちがう」
「確かに花畑の町の方角と少しずれている……というよりも、動いているのか?」
腰に手を回していたリカルドに見える様に紙を差し出すと、地理にも精通している相棒がすぐにニナの言いたい事を汲み取ってくれる。
今までの道筋の光なら全くぶれることも無く同一方向を指していたというのに、今見ている物は若干ながらもその先が左右に揺れ動いて見えるのだ。
「えーっと、つまり?」
「ガキたち、うごいてる。もしかしたらちかいかも」
暗黙の中にある言葉の真意を読み取れず、疑問符を浮かべるロドルフォの為に結局ニナが言葉にして伝えた。
そして直ぐさま馬の進行方向を変えて、林道から外れた光の先を辿っていく。
暫く歩けば徐々に光のブレが激しくなっていき、目的地が近いながらもきっと激しく走り回っているのだろうと推測できた。
激しく走るという事は、つまり。
「これ……ナニか、から、にげてる?」
ニナが呟いた数秒後、遠方で樹木が次々になぎ倒されていく音が全員の耳に入ってきた。
それは次第に三人のいる方へと向かってきている様で、興奮し始める馬を宥めながらそれぞれ武器に手をかける。
緊迫して身構える中、徐々に騒音は大きくなって、やがて三人の目の前にある木々が大きく揺れ動いた後で、ソレらはやってきた。
「うわああー!!」
悲鳴と共に木の影から飛び出してきたのは、紫銀髪の少年とその背に背負われた黒髪の子供だ。
その直後に6メートルはある巨大で珍しいタイプの魔蟲が、木々を盛大に押し潰しながらその子供達を追いかけてきた。
想像以上の大きさに思わず馬を横に走らせてその子供と魔蟲を素早く避けるが、体勢を立て直すと三人は急いで子供達を追いかける。
「おいニナ!今の見たな!」
「ああ!エイゾーのガキたちだ!」
「何でこんなとこに居んのかわかんねーけど急いで助けるぞ!」
そう言ってロドルフォが強く馬の腹を蹴ると、一人先に速度を上げて木々の合間を抜けながら魔蟲に接近する。
器用に手綱から手を離し、大剣を構えて叫んだ。
「“風剣・疾風”!!」
振り抜いた瞬間に刃から強烈な風が吹き出され、魔蟲は斬られた衝撃と共に風の勢いに押されて横倒しになる。
その隙に直ぐさま手綱を握り直して子供達の足に追いつくと、「大丈夫か!?」と安否を確認しながら手を伸ばした。
「あ、貴方様は…!?」
「自己紹介は後だ!早く乗れ!」
「は、はい!」
急いでお互いの手を取り合うとそのままの勢いで馬へ飛び乗らせ、子供二人を抱きかかえる形で再び馬を走らせた。
斬られた事に怒り叫びながら、魔蟲も直ぐに起き上がってロドルフォ達を追いかけていく。
そこへ追いついたニナがクロスボウを魔蟲の後翅に打ち込むと、「“ビリビリ”!」と叫んで電撃魔法を発動させ、電気ショックで魔蟲の動きを鈍らせた。
そのままロドルフォ達と並走する為に横並びになって、リカルドが叫ぶ。
「東へ走れ!確か開けた場所があった筈だ!そこでアレを仕留めるぞ!」
「オーケー!キミ達、舌を噛まない様に歯を食いしばってろよ!」
ロドルフォの呼び声に強く頷いて口と目をぎゅっと結ぶ黒髪の子供とは真逆に、並走してきた馬の後ろに座っているニナの姿を見つけた紫銀髪の少年は、これでもかと言う程大きく目を見開いて思わず叫んだ。
「あ……に、ニナーナ様!?ニナーナ様ですよね!?」
「よっ!ゼト!ひさしぶりー!」
「ひさしぶりー!って…お会いしたかったですけど、何故こんな所に居られるのですか!?」
「ソレ、オレのセリフ!」
「ですよねー!!」
若干コントみたくなりながら、馬に乗った彼らは何とか戦えるぐらいの広さが確保出来る草地にまで辿り着いた。
その後、馬と子供達を素早く隠したタイミングで魔蟲も騒音を上げながら到着し、英雄部隊エスポアの三人と正面から睨み合う。
低く唸り続ける魔蟲の様子に、ロドルフォが視線を逸らさないまま二人に呼びかけた。
「なーんかさ、最近この手の魔蟲が増えてきた気がすんだよな。理性がないっつーか、本能的っつーか」
「やはりお前も気付いたか。しかも体が大きいタイプ程温厚で、いざこざから離れる為に滅多に俺達人間の前に姿を現さないというのに、一体何が起こっているのやら」
「もしかして、まおーちゅーたおしたから?」
「止めろよ。そしたら俺らが悪い事したみたいになっちゃうじゃねえか、よ!」
最後の一音に合わせて、飛んできた右前肢をロドルフォが大剣で叩き落とす。
それがゴングとなって、リカルドがサブマシンガンで魔蟲の複眼を狙い、嫌がって身を捩っている間にニナが急所を狙った剣撃を次々と繰り出していく。
戦い慣れている彼等の見事な連携に、物陰に隠れていた黒髪の子供は「ほわー…すごい…」と感嘆の声を漏らした。
「ねえゼト。どのひとがニナーナさんなの?」
「あのサングラスをかけた、パーシアンレッドの髪のお方です。相変わらずあの素晴らしい剣さばきは健在のご様子で」
「あのひとが…ニナーナさん…」
接近戦と中距離戦を使い分けながら、まるでダンスのステップを踏むかのように優雅に戦うニナの姿を、その大きな瞳でしっかり捉え続ける。
暫くの間一進一退の攻防は続き、ニナとロドルフォでメインアタッカーを務めて魔蟲の体力を削り、リカルドは後方で援護射撃と束縛系魔法を駆使しながら指揮を執る。
必要に応じて二人に防御魔法がかけられる事もあるが、それをやる度に「リカ!あいしてるゼ!」という言葉を投げ返しているので、まるで母親の様に「良いから真面目に戦え!」と叱咤されていた。
成程、あれがニナーナさんなのか。
「ゼトやヒューさんの言ってたとおりだね」
「……いや、あの、はあ、まあ……あの様なお方ではありますが……」
「すごく強くてカッコイイ!」
「あ、そちらしか見ておられませんでしたか」
それは良かったですとゼトが付け加えた瞬間、ロドルフォの一撃で魔蟲の片前肢が空を飛び、耳を劈く程の悲鳴が上がった。
すると今度は空気をめいいっぱい吸い込んで、胴体を大きく膨らました数秒後に魔力を込めて咆哮する。
それは衝撃破壊が目的の対集団魔法であり、木を折り岩を削り、音の届く範囲にある全ての物に音波によるダメージを与えた。
事前に防御魔法がかけられていたのでその場にいた者達は無傷で助かったのだが、衝撃が強かったのか魔蟲が咆哮し終わるのと同じタイミングで、全員の魔法がガラスの様に音を立てて壊れてしまう。
それを狙ったかの様に、魔蟲は一気に子供達の方へ突進した。
「まずい!逃げろ!」
魔法の張り直しが間に合わずリカルドが声を張り上げる。
ロドルフォが全力で地面を蹴って間合いを詰めようとするが、僅かに間に合いそうにない。
万事休すかと思われた子供達の運命。
だが、意外にもそのピンチを覆したのは、全く戦力としてカウントしていなかったその子供達本人であった。
ゼトが素早く二歩程前に出て、魔蟲と同じ様に空気を胸いっぱいに膨らますと一秒も経たないうちに咆哮する。
的を絞っている為に他への影響はなく、魔蟲だけがその衝撃で血肉の付いた外殻を飛ばし、仰向けに吹っ飛んでいく。
すると今度は黒髪の子供が両手を出して、白にも金にも見える不思議なオーラを纏って叫んだ。
「落ち着いて!」
光が強く輝いて魔蟲を包み込む。
眩しくて一同目を細める中、唯一サングラスをしているニナは、衝撃的だとでも言う様な表情でその子供の様子を凝視した。
光が弱まると、先程の騒音と戦闘音が一切無くなって周囲は静まり返り、ひっくり返っていた魔蟲も、まるで呆然としているかの様に固まったまま何度か複眼を動かす。
その後、ゆっくりと身を起こして、子供達とロドルフォ達を交互に見やる。
一応は身構えるが、その姿にはもう先程の荒々しい殺意は感じられなかった。
「……ギ……ワタシは何を……?」
「わ!?お前デューラス語喋れんの!?」
急に発せられた知性のある言葉に、ロドルフォが思わず聞き返した。
「ハイ。勉強しまシタ。使うノは初メテですが。ワタシ、皆サンにもしかシテご迷惑を?」
「覚えていないのか?」
「申シ訳ありまセン。あまり。ずっと誰カに頭の中で『子供を襲エ』と言ワレていたホカは……」
額辺りを前肢でぽりぽり掻きながら本当に申し訳なさそうにしている魔蟲の姿に、疑問が絶えず飛び交うものの、もう交戦する必要はないと判断して武器を収めていく。
今までずっとロドルフォ達は魔蟲達と戦い続けてはいたが、実は魔蟲族側も人間と同じで、いわば民間人に当てはめられる非戦闘員が大半なのである。
魔蟲族独特の言語ではなく人間側の世界共通語であるデューラス語を話す者は少ないが、こうやって会話で交流する事も可能であり、言葉が通じない場合は身振り手振りで意思疎通を図って、そのまま交渉に持ち込む事もしばしばあった。
何故理性を取り戻したのかはわからないが今回も話し合いの余地ありと改められ、把握している範囲でことの成り行きを説明する。
すると、目の前の魔蟲は汗の様なものを大量に流して、全員に向かって勢い良く土下座した。
6メートル程の巨体が綺麗に体を折りたたむ姿は、さながら圧巻の域である。
「本当に申シ訳ありまセンデシた!どうオ詫ビをすれバ良イのか…!」
「いやいや、こっちもお前の片腕斬り飛ばしちまったし」
「コレはモウ自業自得、自縄自縛、因果応報ナノでアリます!全くオ気になサラず!」
「お前、ニナよりデューラス語が達者だな」
勢いが良すぎて若干引き気味になりながら、泣き出しそうな程懸命に謝罪する魔蟲をこれ以上責める者は誰も居なかった。
抗戦はしたものの、互いに無事で被害もそれほど大きくはないのだ。
子供達も謝罪を受け入れているし、何より本人の意思ではないというのならば、この場は水に流すべきだろう。
そう結論付けられるとロドルフォは改めて子供達に歩み寄り、怖がらせないように笑いかける。
「お前らすげえな!こんなデカブツ相手によくあんなすごい技をぶちかましたよ!」
「いえ、大した事はしておりません」
「小さいのに礼儀正しいし謙遜も上手いな!ところでどうやってあんな変わった魔法を使ったんだ?パッと見武器とかは無さそうだから、マジックアイテムでも隠してたのか?」
「まあ、そんな所です」
二人は少し戸惑いながらも、ゼトが軽く咳払いをする事で気を引き締め直し、礼儀良くお辞儀をした。
「助けて頂いて有難うございます。私の名前はゼンティウヌス。ゼトとお呼び下さい。そしてこちらに居られます方が…」
「クゥフィアです。はじめまして」
「私達はとある事情で旅をしておりまして、お二人と共に居られます其方のニナーナ様をずっと探しておりました。ですが約半月前に、私達と共に居たもう一人の仲間の行方が分からなくなってしまいまして…そのお人が恐らくこの先の王都に居られるのではと思い、坊ちゃんと峠越えをしてこちらの王国へと出向いた次第です」
「峠越え!?」
え?と驚愕するロドルフォとリカルドに、ゼトとクゥフィアは首を傾げる。
まずいことを言った自覚がまるでない。
「…もしかしてお前達、国境関門を通らずに、隣国からこちら側へ来たのか?」
「はい。通行手続きは大人が同伴していないと無理だと言われてしまいまして、時間はかかりましたが致し方なく……」
「という事は、不法入国だよな?」
「やっぱりダメだった?」
当たり前だろうと怒鳴りたい気持ちを抑えて、代わりに気を紛らわす為に深く長い溜息を吐いた。
国々への行き来は陸路・海路関係なく、国境関門と呼ばれる決められた場所を経由するのがこのデューベの常識である。
それを無視して国境を越えた場合、基本はそのラインに設置されている防犯ラクリマの監視網に引っかかって、国境警備に当たっている騎士やその地域毎の監視部隊等に取り押さえられ、ペナルティを設けた上で元の国に強制送還されるか、犯罪者扱いとして監獄に放り込まれる。
それにかなり最近まで戦時中でもあった為、難民等の流出入を防ぐ為にここ数年は取締りが相当厳しくなっていた筈で、不法入国は今では重罪扱いになっていた。
だがこの子供達は国境ラインを自力で越えて、子供の足ではあるものの境界線からかなり離れたこの林まで、人間に追われる事なく辿り着いているのだ。
偶然か必然か、恐らく国境騎士団の監視網の抜け穴を通ってきたのだろう。
しかし、幼さ故の無知と無謀だと言って片付けるには、罪が重すぎる。
「どおーするリカちゃーん!俺ら聞いちゃダメなこと聞いちゃったよー!」
「リカちゃん言うな!俺だって頭が痛い…よりによって探していたガキ共がそんな重罪を犯しているだなんて…」
「僕たちを探していたの?」
嘆き、頭を抱える大人達の挙動に萎縮して、ゼトの後ろに隠れていたクゥフィアが少しだけ顔を出して問いかける。
すると二人は片手で顔を覆ったまま、その後ろで一言も発さず立ち尽くしているニナを親指で指し示した。
視線をそのままニナに移すと、無言のままではあるがクゥフィア達に良く見える様に、道中ずっと使っていた魔法の紙をピッと取り出す。
それを見て、今度は子供達が驚愕する番だった。
「それ、ヒューさんに渡してた僕たちの所在情報魔法紙?なんでニナーナさんが?」
「ヒュー、からあずかった。マガル・ドルチェにいけって。おまえらさがして、ココきた」
「だから此処に貴方様が居られたのですか。とすると、ヒュードラード様は今どちらへ?」
「バルデュユース。ヒュー、いまつかまってる」
「ええ!?」
更に驚き焦る姿に、お前達はまず自分の心配と反省をしろと言いたくなるロドルフォ達だった。
反応から見るに、行方知れずの仲間というのはやはり、先日王都で大暴れしたあの巨漢なのだろう。
確か彼も逮捕連行の理由に不法入国罪があった。
その野蛮な暴漢とこの育ちが良さそうな子供達が連れであるとは、この数日間彼らと出会う前まではとても信じられなかったのだが、やらかしている事が殆ど同じなので妙に納得をしてしまった。
「あー…まあ、そのヒューって奴の事は、俺らの知り合いにそこそこ偉い立場の騎士が一人いるから、ソイツにちょっと動いてもらってるとこだ。安心しろとまでは言えねーけど、もう暫くは判決も先延ばしにされるんじゃね?」
「という事は、無事ではあるのですね」
「だがアイツは相当罪を重ねたから、情状酌量とはいかないだろう。それにお前達も、不法入国は監獄行きの強制労働が基本だぞ。自分達のした事がわかっているんだろうな?」
二人の前に進んで怒気を含んだ威圧をかけるリカルドに、クゥフィアは怒られると悟ってまたゼトの後ろに隠れてしまう。
小さい壁となったゼトは眉を寄せてリカルドを睨むが、不意に筋の通ってきている鼻がヒクリと動いて何かに反応した様子を見せ、急いで口と鼻を塞ぎながらクゥフィアごと数歩後ずさった。
そのよく分からない反応にリカルドは怪訝な顔をする。
「何をしている?」
「いえ、その……貴方様の匂い……」
「匂い?」
「加齢臭がするってか?」
緊張感を壊すロドルフォの一言に、リカルドは青筋を浮かばせて振り向きざまに全力のラリアットをかました。
そのまま大人気なく絞め技まで仕掛けられ、「ギブ!ギブ!」と涙目で訴えて地面を何度も叩く姿に唖然としていると、その間にニナがゼト達の方へ近寄ってくる。
二人の前で仁王立ち、サングラス越しに鋭く射殺さん勢いで睨んでくるその視線に、ゼトは何かを察して直ぐに姿勢を正した。
『ゼト、言わなくてもわかるな?』
「はい。ニナーナ様」
「オレ、おまえたちをまもる。ききたいこといっぱい。それに、ヒューのとこもつれてく。いっしょにこい」
「おいニナ!勝手に決めるな!」
片羽絞の状態で怒鳴ってくるリカルドを背に、ニナはしゃがみ込んで片膝を地に付けると、今度はクゥフィアの方へ視線を向ける。
見られている恥ずかしさからかゼトの後ろに隠れたまま、その服を握る手に少し力が入った。
「クゥフィア。はじめまして。おまえ、クラのこどもか?」
「クラ?」
「坊ちゃんのお父様で、私のご主人様でもあります、クラウディス様の事で御座います」
「やっぱりあってた。クラににてる」
優しく微笑むその様子は何処か懐かしさを感じている風で、クゥフィアは少し照れくさくなった。
ニナの行動と言動一つ一つが、初対面である筈なのに何故だか凄く惹かれてしまう。
彼の良い面も悪い面も、旅の途中で沢山聞いていたからだろうか。
「クラ、いっしょにいないのか?ハハオヤは?」
「……父上も母上もいないよ。僕、二人に会ったことないんだ」
その瞬間、場の空気が凍った。
後ろで未だ組み合っているロドルフォとリカルドも、立ち去るタイミングがわからずずっと正座をして成り行きを見守っていた魔蟲も、時間が止まったかの様に固まって、クゥフィアを凝視する。
見た目からしてこの子供はまだ6、7歳ぐらいの年齢だろうに、付き人は居ても両親と会った事がないというのは一体どんな事情があるのか、あまり想像したくない。
ただ、相当な訳アリである事は瞬時に全員が理解した。
「僕、家に帰りたいの。父上と母上に会いたい。だからゼトとヒューさんと旅してるんだ。でもなかなか帰れなくって、ヒューさんもしょっちゅう僕たちを庇って大怪我するし、どうしようってみんなで悩んでね……」
「…………」
「そしたらさ、ヒューさんがニナーナさんを探そうって言い出したんだ。ニナーナさんなら強いし、ヒューさんとも相棒だったんでしょ?僕、いっぱいニナーナさんの話を聞いたよ」
「だったら、オレ、ココにいるりゆう、それもきいただろ?」
「うん……。でも、ニナーナさんしかもう頼れないんだ。お願い!僕たちといっしょに来て?いっしょにおうちに帰ろう?」
「……はなし、ながくなる。ばしょをかえる」
そう言うとニナは膝の砂を払いながら立ち上がり、言葉を失っている連れの二人を見やる。
変な格好で固まってしまっているロドルフォとリカルドは、気まずそうに互いに視線を送った後、何も言わずに距離を取って拠れてしまった衣服を整えた。
「リカ。ロディ。いい?」
「………良くは無いが、今の話を聞いてしまった以上、もう何も言えなくなっちまっただろうが」
「まだ小さいのに苦労してんだなー。俺らに出来る事があるなら手伝ってやりたくなっちまったよ」
「あ……ありがとう!えっと……」
「お、そういやまだ名乗ってなかったな」
わざとらしく咳払いをして、ロドルフォはニカッと白い歯を見せながら持ち前の決めポーズを取る。
「俺はかの魔王蟲を討ち取った、英雄部隊エスポアの頼れるリーダー!お前らも一度は聞いた事があるだろう!人々は俺を英雄剣豪と讃えている!みんなの憧れ!その名も、ロドルフォだ!!」
「誰がリーダーだ」
「ダレもあこがれてない」
「英雄剣豪デスとー!?」
突然上がった大きな叫び声に思いっきり肩を跳ねさせて慌てて振り返る。
巨体にも関わらず完全に存在を忘れていた先程の魔蟲がそこでわなわなと震えていて、「あ、やべ」と顔面を蒼白させた。
そう、魔蟲にとって彼等エスポアは、同族達を虐殺しただけでなく自分達の王までも謀殺した張本人であり、恨みを買っていてもなんら可笑しくないのだ。
折角円満に解決しそうだったのに、また戦わなければならないのか?と思わず身構えると、その魔蟲は食い入る様にロドルフォの前へと身を乗り出した。
「と、言ウコトは!あの暴君を倒シて我ラを苦シイ労役からオ救いクダさった、あの英雄剣豪サマでオ間違いないノデスね!?」
「ん?暴君?」
「ハイ!我々魔蟲族は、今代の魔王蟲サマが王にナラれた時からとっても、とーーっても重イ徴税と、軍への強制労役を強イラレていたのです!ワタシも戦ウのは好キではないのデスが、徴兵令が出サレて二年ダケ軍に居タこともアリました!とーーっても苦シクて、誰かに助けてホシいとずっと思ッテいたんデス!」
今になって知る魔蟲族側の新事実。
終いにはとうとう泣き出しながら、何度も礼を言ってくる魔蟲のその姿に、よほど辛くて大変だったのだなと同情してしまっていた。
しかし討伐の旅をしていた時にはそんな話は一度も聞いた事がないと伝えれば、「悪口を言エないヨウに王から箝口令が出テいました。ワレワレ魔蟲族は本能的に王の命令に逆ラエないヨウにできてイマスので」と説明される。
何はともあれ、敵側であった筈の者から恨まれるどころか心の底から感謝されて敬われ、ロドルフォは次第に鼻高々になっていった。
調子に乗らせると後が面倒なので一度区切りをつけさせる。
「脱線したが、俺の名前はリカルドだ。ニナの……今の相棒、と言うべきかな」
「今の相棒さん?じゃあヒューさんは?」
「その辺りはニナ本人に聞け。俺も、コイツの事情はあまり把握していないんでな」
少し棘の含んだ言葉にニナが「ウッ!」とわざとらしく呻き、明後日の方向へと顔を向ける。
それをジト目で睨むが、今更な話でもあるので溜息を吐くだけに留めると、子供達を怖がらせないように出来る限りの優しい笑顔を見せた。
「先程はすまなかった。本当ならお前達を国境騎士団に引き渡すべきなんだが、ニナがああ言うなら俺も目を瞑る事にする。お前達を王都まで送ろう」
「ありがとう。リカルドさん」
「感謝致します、リカルド様。この流れで申し訳ないのですが、私は貴方様と一定距離を取らせて頂きます。別に嫌っているという訳ではありませんので、お気を悪くなさらないで下さい」
「あ、ああ…わかった」
胸に手を当てて軽く会釈しながらも、素早くリカルドから5メートル程離れてしまうゼトに思わず動揺する。
そんなに臭いだろうかと自分の腕に鼻を埋めて嗅いでみるが、如何せん自分の匂いなので分かりづらい。
「……香水でも使うか?」
「リカのにおい、オレすき。そのままでいい」
「お前が良くても周りが駄目なら駄目だろうが」
間髪入れずにフォローしてもらえるのは嬉しいものの、ニナの好みに合わせても意味が無いので、時間が出来たら近いうちに香水店に行こうと決心したリカルドだった。
だいぶ話がまとまってきたので、そろそろ移動しようかと魔蟲以外の全員が王都の方へ向かおうとする。
予定よりも早く子供達と巡り会えたので、上手く行けばまた四日前後でバルデュユースに戻れるだろうし、今の調子なら招待されている結婚式にも十分間に合いそうだ。
数々の疑問は残りながらも最大の目的を達成出来た事に一同は安堵しながら、魔蟲と軽く別れの挨拶を済ませてすぐに帰路の準備を整えようとしたのだが、ここで新たな問題が発生してしまう。
「繋いでた馬、どこに行った?」
草地での戦闘前にクゥフィア達と共に隠していた筈の、大事な移動手段が無くなっていたのだ。
いつから居なくなっていたのかはわからないが、かなりしっかりとした樹木に括り付けていたにも関わらず荷物だけ散らばっていて姿形もないのだから、恐らく魔蟲が咆哮した時に縄が切れでもして、何処かに逃げ出してしまったのだろう。
という事は、馬達が居なくなってから相当な時間が経っていると推測できる上に、もうかなり遠くの方まで走り去っている可能性が高い。
「……近くに村などはあるのでしょうか?」
「……あるにはある、が、徒歩だと半日は確実にかかる」
「その村で馬とか買えねーかな……」
「無理だろうな。農村だがそれ程裕福ではないから、馬も労働馬ぐらいで、人に買い与えられる程は飼っていないだろう」
「ならその村に乗合馬車などはありませんか?」
「観光地ではないから高確率で無いな」
「ちなみに、バルデュユース、あるくとどのくらい?」
「……大人の足で恐らく一週間……子供連れだと、倍の二週間……」
詰んだ。
────────