2
リカルドに拾われた当時のニナは、デューラス語が話せなかった。
記憶喪失というわけではなく、全く言語の違う遠い所からやってきたのだという。
そんな彼にリカルドが言葉を教え、献身的に接したおかげなのか、ニナも意外と早くリカルドと打ち解けていき、二人は今や世界中に名を馳せる程の名コンビとなっている。
また、魔王蟲討伐特別部隊エスポアとして旅に出た時には、その任務とは別にリカルドは単独でニナの故郷を探してみたりもしたのだが、残念ながら発見するには至らなかった。
しかしニナ本人はあまり気にしていない。
一度故郷に帰りたいかと問いかけた時に「いつかかえる」と返してきたにも関わらず、旅中は探す素振りすら見せなかった。
それどころか着々と蟲退治をこなし、街から街、村から村へと移動する度に黄色い声で歓迎され、民間人の前で戦闘する羽目になればその優雅かつ迫力のある立ち振る舞いに見惚れてしまう者が数多く、挙句の果てには老若男女問わず、国を跨いでファンクラブまで作られてしまう始末。
「俺がモテたいのに何でいっつもニナばっかりなんだよ!」とは、一緒に旅をした剣士の心からの叫びである。
そして魔王蟲を討伐して王都に凱旋した時、エスポアのメンバーは人々から知らぬ間に称号の様な通り名を付けられており、ニナはその勇姿と美貌を讃えられて、本人の与り知らぬところで自然とこう呼ばれるようになっていた。
【英雄国宝】。
「正直なところ、この通り名の事どう思ってるんだ?」
「ビミョー」
久しぶりにやってきたこの王都【バルデュユース】を少し歩くだけで、目ざとく自分達を見つけた通行人達が口々にその渾名とも言える言葉を発してくるのが嫌でも耳に入ってくるから、何の気なしに隣の男に問いかけてみれば即答で返ってきた。
「リカたちみたいなナマエ、オレもそっちいい」
「そうか?【英雄スナイパー】なんてそのまんま過ぎて面白味がないぞ」
「でもそっちいい」
恐らくもっと流暢に喋る事ができればありったけの文句を続けていただろう。
しかしまだ語彙がそれほど豊富でないニナは端的にそれだけを述べると、後は外野に好きな様に言わせる事にしたらしく、それ以上は不満を吐露しなかった。
それとは真逆に、いま二人が足早に向かっている王都の噴水広場では、ギャラリーにサインや握手をねだられ、【英雄剣豪】と持て囃されて有頂天になりつつある男もいた。
大剣をこれ見よがしにベンチに立てかけて、動く度に銀髪が陽の光でキラキラと輝くのが印象的な、快活な青年だ。
「相変わらずだな。ロドルフォ」
「おお!そこに居るのは我が戦友の英雄スナイパー・リカルド殿と、英雄国宝・ニナ殿ではないか!」
「ロディ、はずかしー。やめろ」
わざとらしい呼びかけに声色で不快感を示しながら人だかりの方へ向かうと、ロドルフォを囲って先程まで楽しそうに笑っていた女性陣が一斉にニナ達の方を見た。
途端、『キャー!!』と甲高い悲鳴が沸き起こって全員の耳を劈く。
「ニナ様よ!」「本物だわ!」「英雄国宝様ぁ!」「正しく国宝級のルックス!」「まさか生でお会いできるなんて!」「サングラスをかけてても素敵ぃ!」
「あれ?俺は?君らさっきまで俺にキャーキャー言ってくれてたよね?」
清々しい程の手のひら返しにぽつねんと呟くロドルフォを袖にして、女性達はニナの姿に夢中になって叫び続けるのを一向にやめない。
例えるなら、好きな有名アイドルグループのメンバーを囲んでいたら大本命がいきなり目の前に現れた様なものなのだろう。
完全に舞い上がっている女性達を見て、この光景久しぶりに見たなとリカルドは懐かしく感じてしまった。
彼女達がもしニナの全身にあるあの模様を見たら、果たして同じ様に舞い上がっていられるのだろうか…。
片やニナ本人は暫く無言で何事かを思案すると、わざとらしくサングラスをずらし、目元を僅かに見せた状態で彼女達に向かって微笑みながらウインクを飛ばす。
瞬間、それを直視したほぼ全員が声にならない悲鳴を上げてその場で崩れこんだ。
地面に突っ伏す者から座り込んで感動泣きする者まで、その反応は様々ではあるが、恐らく暫くはそこから動くことが出来ないであろう。
これぞ一撃必殺。
ニナは自分がとんでもなくモテて、どのようにすれば手っ取り早く場を収められるのかを熟知していた。
「ああ、またかよ!旅してた時と何も変わらねえ!テメェ俺からファンを奪って楽しいかこのヤロー!」
「うるせー。クソガキ」
直ぐにサングラスを直しながら幼稚に地団駄を踏むロドルフォを鼻で笑う。
悔しいなら俺よりモテてみろと言いたげなその態度に腹が立つものの、しかし現時点ではどう頑張っても自分が完敗するだけなので低く唸る事しかできない。
そのやりとりを呆れながら見届けた後、キリのいい所で仲裁に入って指揮を執るのはいつもリカルドの役目だった。
「ふざけるのもその位にして、全員集まってんならさっさと行くぞ。礼装のフィッティングには時間がかかるもんなんだ」
「ちょっと待てよ。キキュルーがまだ来てねえ」
「キキュルーなら俺達が来た時からずっとあそこに居る」
指を指された方向を見てみれば、広場のシンボルとなっている噴水の縁に一人腰掛けている美女がいた。
ロドルフォが都の女性に囲まれて浮かれ始めていた頃にはこの場所に到着していたキキュルーだが、彼が全く自分に気づかないものだから、面白半分で近くのお洒落な屋台に売られていたスムージーを購入して、今まで見世物として楽しんでいたらしい。
空になったカップを握り潰しそうになりながらずっと大笑いを続けていて、しまいには笑いすぎて涙を流しながら痙攣まで起こしていた。
これには流石のロドルフォも赤面するしかない。
「あーさいっこう!暫くこのネタでずっと笑ってられるわ!」
「やめてくれ。もう反省したから。だから頼むもう弄らないでくれ」
「何言ってんのよ。どーせまたすぐに調子に乗るんだし、あの程度の恥晒しなんて今更じゃない」
「恥晒しって言うな!」
「大体、剣の腕以外見た目も中身も平の凡であるアンタがさ、国宝級だーって言われるこのイケメンに勝てるわけないじゃん」
四人で目的地へ向かう道すがら、容赦のない事実という酷評に更なる精神ダメージを食らう。
「あ、剣でもニナに勝てた事なかったっけ?」と付け加えられて、もう当分は本当に自重しておこうと固く誓う羽目になった。
「だー!ンな事よりも!今日は服選びの為に俺達を呼んだんだろ?結婚式の為とはいえ、なんでこの面子で仲良く買い物に行こうってなるんだよ」
居たたまれなくなったのか、強引に話を別の方向へ持っていく。
今日彼等が王都で待ち合わせをしていたのは、すでに二週間後に迫っている、此処には居ない残り二人の結婚式に向けて準備をする為であった。
キキュルーがきっと必要だろうと機転を効かせて事前に三人へ手紙を送っておき、ここに呼び集めたのである。
「この結婚式、国で大々的に執り行うつもりで、披露宴もとんでもない規模になるってのは知ってるわよね?」
「まあ俺ら英雄だし?」
「それもあるが、あの二人の身分もかなり影響してるだろうな。恐らく世界中にこの結婚を認知させて、今後の国同士の交渉なんかで優位性を持たせる為の布石にしたいんだろう」
「え?結婚でなんで国の話が絡んでくんの?ワーオメデトー!英雄様ステキー!ってどんちゃん騒ぎをする為のお披露目じゃねえの?」
考えの浅い発言にキキュルーとリカルドは溜息を吐くが、これ以上深掘りする様な事では無いと気持ちを切替える。
「とにかく。かなりしっかりしたドレスコードで執り行われるから、参列者である私達も上等な衣装を用意する必要があるのよ。そこで聞くけど、貴方達、式に着ていく礼装服なんかは持ってるの?」
「「ない」」
「レーソーフクってナニ?」
即答の返事と、そもそもの言葉の意味を問うニナの質問に、キキュルーは自分の読みが当たって先手を打っておいて良かったと安心する。
彼女が声をかけなかったら、恐らくこの男達は普段とそう変わらない格好で当日式場に足を運んでいた事だろう。
いくら英雄部隊エスポアだと持ち上げられていても、とんでもなく浮いてしまうのは間違いない。
巷の結婚式ぐらいならそれでも良いかもしれないが、今回は国家規模のものだ。
王家や国の重鎮、更に他国からも多くの王侯貴族達が参列するであろう重要な式典で、もしそんな事をしてしまえば、自分達を招待した新郎新婦の面目を潰しかねないのだ。
それだけはできるだけ避けたい。
「そんな事だろうと思って国の財務官と交渉しておいたのよ。私達が参列する為に必要な服やアクセサリー一式を、国の経費で賄ってもらう事になったわ。良いお店も紹介してもらってて、今向かってるのがそのお店よ」
「って事は、何を選んでも実質タダ?」
「ええそうよ。その代わり今日中に選び切りなさいよ。全員集まれる機会なんてそんなにないし、式までもう時間がないもの」
「…やはりこういう段取りは女の方が気が利くもんだな」
「でも、ゼーキンのムダツカイ」
「必要経費よ!」
物は言いようだと言うが、所詮英雄でも一般階級の身分でしかない自分達には、高級な服を買うための持ち合わせなどないのも事実である。
安くても馬十頭、高い物なら庭付きの邸宅でも買えそうなぐらいの値が付けられている最高級服飾店の敷居を跨いだ瞬間、男達はその事を痛感し己の立ち位置を理解して、キキュルーに深々と謝辞の土下座をしていた。
こんな貴族御用達の店、本当なら一生に一度も入る機会なんて来ないだろう。
それからは店員に促されるまま衣装選びとフィッティングを進めていったのだが、何を着せても着こなしてしまうニナと、これまたどんなドレスを着ても絶世の美女と化してしまうキキュルーの選別にどうしても時間がかかってしまう。
また、二人の美貌に魅了されたデザイナーの発想力が激しく刺激されてしまった事で、結婚式とは関係ない衣装まで奥から引っ張り出して着せ替え人形の如く何度も試着する事になり、結局四人が何とか一式を選び切ってその店を出た頃には、半日近くも時間が経過していた。
退店する最中に輝かしい笑顔で「またのお越しをお待ちしております!」と言い切ったデザイナーの腕の中には、二人のおかげで降ってきた何種類ものデザイン案を描きこんだスケッチブックが大事に抱きしめられていた…。
「招待されてももう二度と行かない…」
げっそりと疲れきったキキュルーの呟きにニナだけが力強く頷く。
対してロドルフォとリカルドは、フィッティング自体は二人よりも圧倒的に早く終わっていた為、その後は高級料理にマッサージスパ等といった最上級の持て成しを受けていて大満足の気持ちで終わっている。
まるで天国と地獄の様な落差であった。
「いやー見た目が平の凡で生まれてきて良かったよ!」
「アンタ、さっきの事根に持ってるわね…」
「つかれた…リカ、いやしてほしい…」
「こんなおっさんに癒しを求めるんじゃない」
珍しく本気で抱きついてこようとするニナの顔面を掴んでリカルドが拒否を示す。
旅の時にはしょっちゅう見かけていたそのやりとりを久しぶりに間近で見て、「なんでこんな残念な奴が滅茶苦茶モテんだよ」とロドルフォが小声で毒づいた時、四人がいるメイン通りから逸れた小道の方で、何やら騒がしく走り回っている複数の甲冑姿が全員の目に留まった。
この王都で甲冑を着ている者といえば、王国騎士団所属の騎士と騎士見習い、あるいは何処かのギルド所属の者か、冒険者ぐらいしかいない。
今見かけた者は皆同じ甲冑で統一されていたので、騎士で間違いないだろう。
「何かあったのか?」
気になってメイン通りから逸れて行き、一番近くにいた騎士達に問いかけてみると、その騎士達はロドルフォ達の姿を見た瞬間目を丸くして、慌てて姿勢を正す。
「こ、これは、エスポアの皆様方!」
「忙しそうに走り回ってたけど何か事件でもあったのか?」
「それが……実は、王都の留置場に収監予定の犯罪者が、護送中に脱走したという情報が入りまして、市街に配属中の騎士総出で捜索に当たっているところなのです」
「はあ?何やってんのよ」
怒りが混じっているキキュルーを宥めてさらに話を聞く。
「その犯罪者は何の罪で?」
「不法入国罪と器物損壊、それに強盗未遂です。十日ほど前に国境近くで現行犯逮捕されて、身元がはっきりしないのでつい先程王都まで護送されてきたのですが…」
「結構な罪を犯してんなー。俺らも手伝おっか?」
「本当ですか!……あ、いや、協力志願感謝致します!」
騎士達は素を出しそうになったのをすぐに改めて、背筋を伸ばして仰々しく四人に敬礼する。
本来なら、一般人に自分達の失態になりうる情報など漏らさないのだが、相手がエスポアともなれば話は別だ。
今まで何度も助けられた経験もあるので、この助力は願ったり叶ったりである。
「脱走犯の特徴ですが、浅葱色の髪をした大男で、両目に隈取りの様なメイクをしており、左腕と両脚に鉄の鎧を纏っているとの情報です。自身の背の丈と同じぐらいの大剣を所持しているらしいので一目でわかるかと……」
それを言い終わらないうちに、騎士の後方、ロドルフォ達から見れば数十メートル先の正面の路地から、物凄い破壊音が響いて土煙と騎士数人が宙へと舞い上がった。
何処からか悲鳴があがり、先程までいたメイン通りからも動揺の声が聞こえてくる。
ロドルフォ達は直感で直ぐさま武器を構えると、突然の事で呆気にとられている騎士達の前に出て、臨戦態勢に入った。
程なくして、土煙の中から誰かの走る影が見えてくる。
それは真っ直ぐロドルフォ達の方へ向かってきており、地面を蹴るように土煙から飛び出してくると、巨大な包丁の様な巨刀を躊躇なく振り下ろしてきたので、最前列に居た大剣使いのロドルフォが自身の刃で咄嗟に受け止めた。
「うぐぉ!?お、重い…!」
一目でわかる体格差と腕力差に思わず呻いてしまい、相手の力が緩んだ瞬間に僅かにふらついた隙を狙われて、左脇腹に強烈な蹴りを食らってしまう。
受け身が取れなくて激しく壁にぶつかるロドルフォには目もくれず、巨漢は次に、ラクリマを構えていたキキュルーの喉元を鷲掴んで逆方向の壁へ叩きつける。
そうして二人を排除した末にできた逃げ道を駆け抜けようと下半身に力を入れたのだが、ニナがその道を瞬時に塞いで何筋もの剣撃を加え、激しい攻防の末に鍔迫り合いに持ち込む事で、巨漢の逃走を阻止した。
「……!?」
「あ…!?」
間近で顔を突合せて、ニナとその巨漢は同時に目を大きく見開いた。
巨漢の方が先に何かを言おうとしたのだが、間髪入れずにリカルドの援護射撃が飛んできて、咄嗟に後方へと飛び跳ねる。
地面に着地する瞬間、ガシャン!という金属音が大きく鳴り響いた。
そのまま喧騒の中で暫し睨み合い、その間にロドルフォとキキュルーが体勢を立て直して、再び相見えるよう構えを取る。
だが、巨漢は目を丸くしたままニナを凝視していて、先程までの闘牛の様な勢いをすっかり無くして立ち尽くしてしまっていた。
そしてニナもまた、信じられないとでも言いたげな顔で、口を半開きにして巨漢を見つめ返していた。
その異様な空気に、周りの者たちも一時混乱する。
「何だ?急に固まってどうしたんだ?」
「…………ニナーナ、なのか?」
ぽつりと呟かれた言葉は、小声ながらも確かに全員の耳に届いた。
対するニナも、「ヒュー?」と相手の呼びかけに応える。
「なんで……ヒュー、ここいる……?どうやってきた?」
「ーーーっしゃああぁ!!やあっと見つけたぜえ!!」
質問には反応せずに、感情のまま空に向かって雄叫びの様な大声を上げると巨漢は力強くガッツポーズを取った。
良く分からない展開にその場に居る者は皆状況についていけず、事態の中心人物であるヒューと呼ばれた男だけが、一人高笑いを上げて嬉々とこちらを睨みつける。
両の目尻に引かれた朱色の隈取りが更に上を向いて、完全に猟奇的な極悪犯の人相をしていた。
「おいニナーナ!ずっとテメェを探してたんだ!細かい事は後で話すから今すぐ俺と一緒に来い!そんでク」
言葉はそこで強制的に遮られた。
建物の屋根から飛び降りてきた一人の騎士が、重力を利用した重い剣撃を男へ向かって叩き込んできたため、それを瞬時に察知して、歯を食いしばりながら巨刀で受け身を取らざるを得なかったのだ。
ザッと地面に着地したその騎士を、凶悪な目付きでギロリと睨む。
「テメェ…!」
「これ以上犯罪者を好きにさせる訳にはいかん。怪我をする前に大人しく投降する事を勧める」
ひと際目立つ鎧を身に纏いマントを靡かせた騎士は、背筋を伸ばすと顔の前に剣を立てて、涼しい音色で呼びかける。
その騎士の出現に合わせて四方の路地から多くの甲冑を纏った騎士達が現れると、剣や槍、銃器を構えて男を完全に包囲した。
ほんの数刻の足止め。
ニナに気を取られてこの場に留まったがために、男は脱走の好機を失ってしまったのだ。
ならばとまた巨刀を構えるが、その時、右足側の膝継手辺りに違和感を感じ、直感的にこれ以上の戦闘続行は厳しいと判断して思わず歯軋りをする。
「観念したようだな。この調子で残りの仲間の居場所も吐いてもらえれば、此方も悪い様にはしない」
「誰が吐くかよ」
余裕がなくなったにも関わらず鼻で笑い飛ばすと、その手にある巨刀を上へと掲げて持ち方を替える。
その構えを見てすぐに反応したのは、ニナだけだった。
「リカ!キキ!ぜんぶまもれ!」
「“地極砕”!!」
男が叫んだと同時、特殊な模様が足下に広がって不気味に光り輝くと、そこに巨刀を突き刺して激しい地割れを引き起こした。
ニナの叫びに咄嗟に反応したリカルドとキキュルーが防御魔法を発動するが、あまりに突然だったせいで未完成の魔法しかかけられず、建物が崩れて何人か怪我人が出てしまう。
ニナ、ロドルフォ、そしてマントの騎士は、自力で防御態勢を取っていて無事ではあったが、その地面が割れた衝撃を利用して男が強く前へと飛び跳ね、巨刀をマントの騎士に向かって投げ捨てると、そのままニナの方へと飛びかかってきた。
殴られると思って強引に身を捩ったニナの耳元に、男が口を近付ける。
「【マガル・ドルチェ】へ行け」
辛うじて聞き取れる音量でそれだけ伝え、そのまま男は勢い余ってバランスを崩し、盛大に体を地に打ち付けた。
振り返ってよく見ると、右足側が歪に欠けている。
騎士達からの情報では、左腕と両脚に鎧を纏っているという事だったが、それは間違いであり、そもそも男の脚自体が鉄の義足だったようだ。
という事は、左腕も義手の可能性があり、その体の約半分程が欠損していたという事実を悟る。
ニナの記憶の中の男は、まだ全身がちゃんとした生身であった筈なのに。
「ヒュー、いったい」
「確保ー!!」
一番近くにいた若い騎士が声を張り上げながら男に覆い被さると他にも何人か続き、男は遂にその身柄を取り押さえられた。
それ以降はろくな抵抗もせず、縄で縛り上げられて騎士三人程に支えられながら連行されて行くその背中を、ニナはただ黙って見届ける。
少し姿が小さくなったぐらいで男を支えていた騎士の一人が「な、何かお前異様に重いな?」と弱音を吐いているのが聞こえたが、それはニナには関係の無い話だった。
「さて、エスポアの諸君。挨拶が遅れて申し訳ない。この度は脱走犯の捜索、ならびに身柄拘束の為の我ら騎士団への助力、大変感謝している」
「…大した事はしておりません。しかし、アリステア精鋭騎士団長様おん自らが現場へ駆けつけられるとは、想像だにしていませんでしたわ」
地割れと建物が崩壊した事件現場を取り仕切りつつ、合間を見て歩み寄ってきたマントの騎士アリステア騎士団長は、「たまたま近くに居たのでな」と付け加えて再び四人に礼を述べる。
精鋭騎士とは文字通り、この王都に駐在する王国騎士団の中でも、剣術や武術、馬術、術計等が特に優れた者達の事で、王族の近衛兵も掛け持つエリート達の事を言う。
その中でもこのアリステアは全てにおいてずば抜けた才能を持ち合わせている為に、もう何年も騎士団を纏める団長という肩書きを背負ってきた。
実は魔王蟲討伐の計画が立てられた時には、彼の名前もエスポアメンバーの候補として挙げられていたのだが、その立場上旅に同行する事が不可能だった為に候補から除外されていた。
両耳にデザインの異なるピアスをいつも付けていて、右耳にスペード、左耳に数字の9をぶら下げているのが彼の特徴だ。
そんなアリステアは、サングラスと体の模様のおかげであまり顔色が読み取れないニナの方に向き直ると、歯に衣着せずに問い詰める。
「単刀直入に聞こう。ニナ殿。貴殿は先程の犯罪者と顔見知りの様だったが、一体どういう関係なのかね。場合によっては貴殿の身柄もこちらで預からせてもらう事になるのだが」
その言葉で一気に緊張が走る。
ロドルフォとキキュルーが落ち着きなく目を合わせるが、残念ながら二人には先程の巨漢に全く見覚えがない。
もしかすると、リカルドも知らないのではないだろうか。
もし相棒の彼が把握していないとするならば、ニナとあの巨漢は、三年前にニナが森でリカルドに拾われる前から知り合いだった可能性がある。
…そこで問題になるのは、ニナも実は不法入国者である可能性があるという事と、あれ程の騒ぎを起こした男と何らかの手段で連絡を取り合い、この王国へ来る様に手引きしたかもしれないという二つの仮定だ。
後者は恐らくないと思いたいが、前者に関しては何も言えない。
だって二人は、ニナの過去を全く知らないのだから。
「さかばでいっしょ、おさけのんだ。だいぶまえだ」
「それはどれぐらい前かね?」
「えーと、たびのとき。いつかは、ちょっとわすれた」
「それだけにしては随分親しげだった様に感じたが」
「そのときおさけいっぱいのんで、なんかたたかれた。いたかったからオレもなぐった。けんかしてなかよしなった」
「……ニナーナというのは、貴殿の本名か?」
「リカもしってる」
名を出されて視線がリカルドの方へ集まると、ふう、と一つ息を吐いて肩を軽く揺らす様な仕草をとる。
「そうだな。そういえばいつも愛称で呼んでいたから、周りでニナの本名を知ってる奴は居らんかもしれん。今頃気づいたよ。あと、あの男は確かに俺も旅の途中で見た事がある。珍しくニナが宿に帰って来なくて酒場まで迎えに行った事があったんだ。そこで顔面ボコボコにさせながらべらぼうに酔って倒れ込んでたよ。だがそれ以外の接点は特にない。あれだけ目立つ大男、他所で見かけたらすぐに気付くだろう?」
「……成程、私の早とちりだった様だ。大変失礼した」
そう謝罪すると後は当たり障りのない会話をして、アリステアは四人を解放した。
激しく損傷した現場はそのまま騎士団に任せておく事にして、ひとまず宿への帰路に着くのだが、その間、何とも気まずい空気が漂う。
「なあ、今の話は本当なのか?」
場の空気に耐えられなくなったロドルフォが、人通りの少ない道を選んで先導しながら頃合いを見て訊ねてみた。
「本当に旅の途中であんなイカレ野郎と友達になったのか?」
「………」
「言いにくいのはわかる。でもどう考えたって一晩酒を飲んだだけの間柄には思えなくってよ。しかもアイツ、お前を何処かに連れて行こうとしてたじゃん。リカルドだってさ、さっきのあの場だったからニナと口裏を合わせたんじゃねえの?」
「……まあ、あんな無難な言い訳じゃあそうなるよな」
目に見える範囲で何処にも騎士の姿がないのを確認した後、沈黙するニナの代わりにリカルドが口を開く。
「まず俺から弁明する。さっき俺がした話はほぼ全部ウソだ。唯一、ニナの本名を知っていた、という所だけ合っている」
「私達は初耳よ」
ビックリしたわと相槌をするキキュルーに「すまん」と述べる。
本当を言うとリカルドも、最初は彼の扱う言語が難しすぎたが為にちゃんと聞き取れなくて【ニナ】が本名だと思っていたのだが、暫くしてだいぶデューラス語の喋りが出来てきたニナに、本当は【ニナーナ】だと後ほど伝えられていた。
だがその時にはもう既に【ニナ】で周知されていた上に本人も気にしないと言ったので、訂正せずそのままにしておいたのだ。
それを今話すと話が脱線しそうなので、あえて伏せておく事にする。
「あそこで俺が弁護しておかないと、確実にコイツが連れて行かれると思ったんでな。コイツはうちのギルドの預かりだし、何より俺の相棒だ。困っている時は助けてやるのが筋ってもんだ」
「……リカ」
「ん?」
「ありがとー」
重い口をやっと開いたニナは、サングラス越しからでもわかる優しい眼差しでリカルドを見つめた。
慈しむ様なその目を向けられてむず痒い気分になりながら、「アレぐらい大した事ないさ」と付け加えておく。
「リカ、あいしてる」
「だからそう言うのはやめろって」
「ロディもキキもだいじ。ナカマだから……だからオレもちゃんという」
一人だけ歩みを止めたニナを三人は振り返る。
いつになく真剣で、少しばかり躊躇いの色を見せながらも、彼は不自由な言葉を紡いでいく。
「オレのハナシ、ぜんぶほんとだ。でもちがうとこある」
「違うとこ?」
「たびのときってとこ。アレ、まおーちゅータオすたびのとちがう。リカとあうまえのときで……そのケンカしたあと、オレ、ヒューとアイボーしてた」
予想だにしていなかったカミングアウト。
やはり何かしらの関係であるだろうとは思っていたが、あの誰も制御できそうにないと思わせられる極悪顔の男が、ここにいるニナの元相棒だとはとても信じられない。
だが同時に、そういう間柄なら「ずっと探していた」という先程の巨漢の発言も、まあ納得はできる。
そんな風にそれぞれ驚きと動揺を隠せない三人を見てから、ニナは不意にコートの中に手を入れると、巨漢が他の者にはバレないよう倒れ際に滑り込ませてきた一枚の紙を取り出した。
「ヒューがいった。マガル・ドルチェにいけって。オレ、いますぐいく」
「マガル・ドルチェだと?」
「ちょっと、その町って国境を越えた隣国の辺境地よね?馬でも五日はかかるし、国境を越える通行手続きも必要よ?結婚式までにこっちに戻って来れるか微妙じゃない」
「でもいく。いってたしかめたい。たぶんソコに、あるとおもうんだ」
「あるって、何がだよ」
「かえりかた」
え?と疑問の声があがる。
そんな彼らを置いてニナは手にしている紙を開くと、簡易ながらも不思議な円形模様が描かれている面を上へ向けて、一言こう唱えた。
『見せろ』
それはデューラス語ではなく彼の故郷の言葉で発せられ、模様の中心が淡く発光したかと思うととても立体的な映像を浮かび上がらせた。
見た事もない魔法にロドルフォはビックリして変な声を出し、リカルドとキキュルーも思わず絶句する。
この世界デューベでは、人間は魔晶石がないと魔法が使えない。
そして魔晶石があったとしても、ラクリマに加工するか、武器やアクセサリー等の媒体がなければただの宝石でしかなく、さながらホルダーに嵌め込まないと機能しない乾電池のようなものなのだ。
ただの紙切れに描いた魔法陣だけでは魔法が発動する事など絶対に有り得ないし、ましてや誰かの姿を投影して立体的に浮かび上がらせるなど、大型の通信ラクリマでも現時点ではまだ夢物語だと言われるぐらいだ。
だというのに、どういう原理なのか理解が及ばない。
だがニナはそれを平然と見下ろしており、そこに映し出された映像を見て何事かを思案すると、少しばかり目を細める。
映し出されたのは二人の子供の姿だった。
一人はライラック色が混ざった銀髪の、儚げに見える少年。
もう一人は暗黒色の短髪と鮮紅色の瞳が印象的な、十歳にも満たない可愛らしい子供だ。
その二人を伏しがちに見つめるニナの目には妖しい光が宿っていたが、サングラスのおかげで誰も気付くことは無い。
また、ニナが一体何を考え何をまだ隠しているのか、三年もの間ほぼずっと一緒に居たにも関わらずリカルドには皆目見当もつかなくて、何故か酷い焦燥感に駆られた。
この時、彼らは初めて痛感する。
旅をして、共に闘って、笑って泣いて怒って支え合って、あんなに濃い時間を共に過ごしたというのに……。
自分達はこの男の事を、今までずっと何も知らないでいたのだと。
────────