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フィア─帰りたい者達の異世界旅─  作者: ミリオン
始まりの世界(デューベ)編
17/18

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─────とある時空の、とある世界。

星の概念がまだ存在しないその宇宙空間には、神秘的で不可思議な青基調の建造物が構築されていた。

この空間にある唯一の物体ではあるが、建造物の大きさは島国一つ分程もあり、ある意味ではこの世界唯一の"星"とも言える。

幾つかのコミュニティが形成されて多くの生物が生活している、そんな建造物の中のとある場所では、その芸術的とも言えるだろう建物の壁を殴り壊さん勢いで拳を叩きつけて、大層荒れているアリステアが居た。

耳を塞ぎたくなる程の罵詈雑言も絶え間無く叫んでいて、実際に耳を塞いで成り行きを見守っていたグスタグノフは、アリステアが呼吸を整えるタイミングで面倒臭そうにしつつも口を挟む事にする。


「もうそれぐらいにしろってー。アンタが今更どう言ったって、こうゆう結果になっちゃったんだから仕方ないだろ?仕方ないじゃん?」

「黙れ!貴殿に、今迄の苦労が全て水泡に帰した私のこの気持ちが、わかってたまるか!」

「あーはいはい。全然わかりませんよー。はいわかりませんともー。すみませんー」


こりゃダメだわ、と肩を竦めてみせるグスタグノフの態度が癇に障り、アリステアはその場の衝動で切り捨てようかと剣に手を伸ばす。

だが、自分の目の前に飛んで来て綺麗な鈴の音を鳴らす妖精の姿を瞳に映すと、ハッと我に返った。


「嗚呼、ラララ。済まない、君にとても見苦しい姿を見せてしまった」

"シャーン、シャーン…"

「本当に済まない。折角君の力も貸してもらったというのに、あんな結果となってしまったばかりでなく、君に怪我まで負わせてしまって……。私は、これ程自分の無力さを痛感した事は無いよ」

"シャンシャン、シャーン…"

「君は本当に優しいな。こんな失敗ばかりの私を慰めてくれるだなんて……。私には君の存在が何よりも欠かせないよ。ラララ」


互いに頬擦りさえしだす勢いのお熱い二人に、目の前で見せつけられているグスタグノフは「ぐえーー」とワザとらしく砂を吐く素振りをする。

戦闘時はラララの方からのラブアクションばかりでアリステアはクールに立っている事が殆どなのだが、常時ではこの二人は自他共に認める程の、おしどり夫婦なのだ。

そして本来ならばラララはその特殊な生態上、アリステアやグスタグノフとは別の部隊でそれなりの地位を得られる立場に居るのだが、どうしてもアリステアと一緒にいたいが為にその打診を蹴って、今、此処にこうして存在している。

そのおかげで飛んできそうだったとばっちりを回避できはしたのだが、代わりに他人のイチャコラを見せつけられるという苦行を味わわされて、グスタグノフは自分の棲家に帰りたいとさえ思い始めていた。

そんな彼の心境など意にも介さず、二人の世界は続く。


「権能の覚醒に失敗し、【Q(ダーム)】から託されていた神の涙も失った。恐らく私は何らかの処分を受ける事になるだろう」

"!シャンシャーン…!"

「安心し給え。君は何も関与していない事にする。私とグスタグノフの二人で落とし前を付けるから、君はどうか素知らぬ振りをしていてほしい。良いね?」

「ちょっと待てちっとも良くねーよ。オレっちも素知らぬ振りしてーんだけど」


聞き捨てならない発案にそのままブーブーと反論すると、「五月蝿い!」だの「貴殿がもっと積極的に動いていれば!」だのとこれまで溜まっていたのだろう鬱憤が爆発して、それから暫くは意味の無い罵り合いが続いていった。



そんな騒がしい三人を発見して、わざわざ接近してくる者が一人……。



「おやまあ、思ったよりも落ち込んでおられない様で安心しましたよ」


穏やかながらも良く耳に届く声を聞いた途端、先程まで騒がしくしていた三人は一気に肝を冷やして、慌てて声のした方を振り返った。

其処に立っていたのは長身の、ニコニコと胡散臭い笑みを貼り付けた、耳の尖った男性だ。

右耳にはアリステア達と同じスペードのピアスを。

左耳には、数字では無く記号のQを模したピアスを付けている。


「だ、Q(ダーム)……ファールス、様……」


アリステアに怠け者の神の涙を手渡して任務を与えた、司令官補佐である。

ファールスと呼ばれたその補佐は笑みを絶やす事無く、礼儀正しく三人に会釈をする。


「先ずは御三方共、遠征任務ご苦労様でした。特にアリステアさんは長期任務でしたから、大変お疲れでしょう?」

「い、いえ…。今から報告に上がる所でしたのに、わざわざ御足労をおかけし申し訳ありません」


急いで敬礼をしながら最前に立ったアリステアがそう弁を述べると、ファールスは特に気にしている様子も無く更に近付いてきた。


「私の方が居ても立ってもいられませんでしたのでお気になさらず。アリステアさん、貴方に今直ぐお伝えしたい事があってお迎えに参りました」


その言葉に顔から血の気が引いていく。

後ろでも戦慄した気配があり、グスタグノフとラララが、アリステアの最悪の事態を想定してしまったのだろう事がその雰囲気だけで振り向かずともわかってしまった。

恐らくは、今回の失態による責任追及だろう。


「つい先程、緊急で会議が開かれましてねえ。我等が主の使徒殿から直々に主のお言葉を賜りました。とても急ではあるのですが、貴方の今後の処遇についても含まれておりましたので、こうして参った次第です。御覚悟は出来ておりますか?」

「っ!……我が主の導きとなれば、喜んで、どんな啓示にも従う所存です」

「ン〜〜エクセレンツ!素晴らしい回答ですね!」


大きな音を立てて拍手するファールスから視線を落として、アリステアはそのまま目を瞑った。

自分が唯一無二の主君と崇めている存在の直属の使徒が、わざわざ会議の席にまで赴いて自分の処断を述べたのだろう。

であれば、アリステア自身に反論する意思は無く、それがたとえ死罪や力の剥奪だったとしても、どんな判決であろうと甘んじて受ける覚悟は常に出来ている。

後ろでオロオロと羽をはためかせているラララには申し訳無いが、己の命運も此処までか…と、勝手に早計して人知れず腹を括った。


……だが、そんなアリステアの消極的な考えとは裏腹に、ファールスは掌大の銀箱を取り出すと、見せつける様にアリステアの目の前に突き出したのだった。


「昇進、おめでとう御座いまあ〜〜す!」

「………………はい?」


予想外の言葉に呆気にとられて思わず顔を上げると、目の前にある銀箱の蓋が丁重に開かれた。

其処に入っていたのは、アリステアの今いる地位から二階級も上にあたる、師団長相当の地位を証明する【J(ヴァレ)】のピアスだ。

どういう事かと目をしばたたかせれば、ファールスはおどけた様にウィンクをしながら説明を加えてくれた。


「実は〜〜、前任の♤J(ピックヴァレ)・クリュプトンさんが裏切りました!」

「……はい!?」

「しかも逃げられました!いや〜〜まさかあんな逃げ方をするなんて、私予想外♪ドジっ子ちゃん♪なので急遽空いたこのJ(ヴァレ)の席に、アリステアさんをご招待〜〜!あ、これもう決定事項です」


そう言い切った瞬間、箱の中のピアスとアリステアの左耳に付いていたピアスが同時に光り輝き、一瞬にして入れ替わった。

アリステア本人だけでなく、グスタグノフとラララも唖然とする中で、ファールスだけが何が可笑しいのか分からないのに一人ケタケタと笑い続けている。


「もしかして死罪でも言い渡されると思いました?まっさか〜〜!フィアの適合者自体数が少ない上に、アリステアさんの様なとても優秀な信奉者、そうそう切り捨てるワケないでしょう?」

「で、ですが!自分は権能の覚醒も出来ずじまいですし、Q(ダーム)から承った任務も失敗した上、神の涙を神の子達に奪われるという大失態も犯しましたのに…!」

「ンン〜〜?権能云々はともかく、任務は成功しておりますよ?」


「え?」と珍しく間抜けな声を出すアリステアに、ファールスは続ける。


「私、言いましたよね?権能の覚醒か怠け者を起こすか、そのどちらかが出来れば昇進をお約束すると。そしてそんな我々の要望通りに怠け者を目覚めさせて、しかも新しい適合者に宿らせる事に成功した。期待以上の働きですよ。死亡以外での二階級特進でも全然納得できる成果です」

「そ、それは……結果的にそうはなりましたが、自分の成果と言うにはとても……」

「つべこべ言わず受け取りなさい。これは、我等が主もお認めになった正当な褒美。大出世ですよ」


面倒になったのか段々投げやりになってきた気紛れな上司に、アリステアはチラリと後ろに控える二人を無意識に見遣る。

するとグスタグノフも口をパクパクさせながら「良いから!受け取れ!」とサインを出してきており、ラララなどそれが当然とばかりに瞳をキラキラとさせて、綺麗な粉をハート型に振り撒いている。

誰もが是と捉えている状況であるならば、アリステアにはもう、矜持がどうこうと言える状況では無いなと悟る事が出来た。


「謹んで、拝命を賜ります」


慇懃にそう伝えると、上司であるファールスは満足気に頷くのであった。


「そうやって素直に受け取れば良いのです。貴方も欲しかったのでしょう?この幹部席を」

「……やはりお見通しでしたか」

「当然です。【K(ロワ)】もそれを見越して貴方に期待していたのですからね。では、参りましょうか」

「?どちらへ?」


唐突な催促に素直な疑問をぶつける。

するとファールスはニッコリと意味深な笑顔を見せて、あからさまに三人に見せつけるように、手を上げた。


「三塔の最初のお仕事、【御前会議】です」


パチンッ、と響き渡る程に大きく指を鳴らすと、ファールスとアリステアの姿だけが一瞬でぶれて、別の場所へとワープした。

驚き戸惑うアリステアの視界には、今迄一度も訪れた事の無い広大な空間が広がり、まるで亜空間に放り出されたかの様な錯覚に陥る。

その中央には白く発光した人らしきモノが片膝を抱えたような姿勢で項垂れており、それを囲うように複数人の影が、幾つかの集団の塊を形成して三方を固めている。

そしてアリステア達の一番近くには、己が(ピック)部隊の司令官であるK(ロワ)が、二人に背を向けた状態で一人佇んでいた。


「来たか」


後ろを振り向く事無くK(ロワ)が呟く。

その発言が合図となり、中央にいた白いモノが、口らしき部分を動かした。


「じゃあ、再開しようか。今回はどれも重要度が高いから、みんなしっかり聞いていてね?」


事前準備など一切無しに御前会議初出席となったアリステアは、魂にまで染み渡る美しいその声を耳にして、瞬時に悟った。

そのモノの発言は、主神の御言そのものである、と……。






「お呼びでしょうか。陛下」


遠方の空がうっすらと朝焼けの色を模してきた時間。

ゼトはニナーナに急な呼び出しをくらって、魔術により王都バルデュユースから召喚された。

ニナーナの系譜に連なる悪魔であり、魔力を補填して以前よりも遥かに活発に動ける様になった美青年は、ニナーナの一方的なテレパシーを送受信出来る唯一の存在となっている。

そして召喚されるや否や、誰のものだか分からない墓標の前で佇みながら何かをしている主君の姿を目にすると、流れるようにその場で片膝を付き頭を垂れた。

そんなゼトをニナーナは全く視野に入れる事無く、作業を続けている。


「少し話がある。お前、俺の知らない間に随分と口が軽くなった様だな」


思い当たる節があってギクリとした。

別段重要度が高い内容を漏らした訳では無い筈なのだが、リカルド相手に話したニナーナ関連の事をつついて来ているのだろう。

ニナーナが不快と捉えてしまったのなら、それは完全にゼトの失態となってしまうので、此処は素直に謝罪しておいた方が良いと判断する。


「申し訳ございません。以後、慎みます」

「別に怒っちゃいない。むしろお前が上手く言い含んでくれたんだろうお陰で、良い思いが出来ている。コレを見てみろ」


そう言って一度手を止めたニナーナは、ゼトの方を向きながら魔力で形作っていた服を上半身だけ肌けさせた。

その身体に色濃く浮き上がっている封印紋が、ゼトが目を離していたたった数晩のうちに枝を伸ばす範囲をだいぶ縮めている。

目の下まで伸びていたものが今では鎖骨よりも下辺りにまで縮小されており、本来ならば通常の方法でその範囲にまで解除していくには、最短でも数年単位の年月が必要であると計算していた。

その脅威すぎる解除の早さに、ゼトは思わず目を丸くして驚愕した。


「まさか…それ程迄にでしたか」

「ああ。アイツは全世界で唯一の逸材だ。俺達悪魔にとって何ものにも変え難い、世界の真理よりも大切な、至宝の存在だよ。本人にその自覚が無いところもまた…好いよなあ」


つい先程迄の濃厚な情交を思い出して、恍惚とした表情で熱い溜息を零す。

それだけでゼトはニナーナ達の間に何が起こっていたのかを瞬時に悟り、胸の内で、今は恐らくベッドの中で気絶しているのだろう彼へと深く同情すると共に、どちらに対してかわからない静かな嫉妬の念も抱く。


「だがな、アイツを利用するのは此処までにしようと思っている」

「?何故でしょうか?今の調子で行けば、出立する直前迄でも相当解呪が出来る見込みかと愚考しますが?」


現在の解除率は、全体の約0.5~1%といったところだろう。

紋様自体は顔や手足の先迄あったものが相当消えているのだが、この呪法は表面だけでなく、ニナーナの五臓六腑、そして魔力の源である核にまで深く浸透している。

なので普通に解呪していくならば無尽蔵ともいえる時間と労力が必要になるのだが、リカルドを利用する事でこのまま昼夜問わず解除に勤しめば、客観的な見解でも残り1%程、ニナーナの全魔力量の凡そ五十分の一ぐらいまでならば何とか可能なのではないだろうか。

と、そうゼトは考えた。

そうすれば帰還の旅も一層楽になり、生半可な敵では決して太刀打ち出来ない程の圧倒的な力が戻ってくるというのに、何故それを拒むのかが理解出来ない。

だから素直に意見したのだが、ニナーナは珍しく清々しい笑顔を向けてくるだけで、ゼトの疑問に対する答えを返そうとはしない。


「ゼンティウヌス。旅立つまでの残り日数分、クゥフィアの護衛の傍ら、分身体でリカの代わりに働け」

「はい?」


それどころか可否の確認も無しに、その様な無茶ぶりを命じてきた。

流石に理解が及ばず声が裏返りかける。

だがその返事をニナーナは勝手にYESと捉え、服を素早く着直すと再びゼトを視界の外に追いやって、魔力で生み出している円型の闇に手を突っ込んだ。

そして先程ゼトが訪れた時と同じ様に、中から色んな物を一つずつ取り出して、闇炎で塵一つ残さず燃やし尽くすという、変わった作業を再開した。


「へ、陛下…?流石にご命令の意図が、理解しかねます」

「理解する必要はない。俺がやれと言っているんだ。やれ」


そんな理不尽な、等という反論は決して許されない。

まだ機嫌は良さそうなので、深く突っ込んでは駄目だとゼトは早々に疑問払拭を諦め、今度こそYESの意味を含む返事をするとその場から立ち上がった。


少し念じると、ゼトの身体が一瞬ブレる。

そしてその場で二人になってみせると、分身体として出現した側のゼトが仄かに光って別の輪郭を形作り、リカルドそっくりの姿へと変貌させた。

力が少しばかり戻ってきたからこそ出来る様になったその分身術は、ゼト本体よりも能力は劣るが、クローンと言っても騙せる程に精巧な性能を宿している。

そして変身術は、ゼトが竜型から人型へと変身する時の術を僅かに応用しただけのもので、変身する際に模した人物の性格や能力等をコピーしている、という訳では無い。

だが、ゼト本人のスペック・洞察力・知能が優秀である為に、まるで本人であるかの様に真似をして振る舞えば周りにバレる事はほぼ無いのだ。

一週間以上も寝食を共にした人間のフリをする事等、この悪魔にとっては児戯にも等しい行為である。

朝日が上り始める時間となり、遠方の山から朝焼けが見えてきた頃合でリカルドを模したゼトの分身体はニナーナに向かって一礼すると、電気の走る音を響かせてその場から一瞬で姿を消し、ギルド本部へと向かった。


「俺達が立つまでに、連中が襲撃してくる確率は?」


その場に残ったゼト本体に向かって、ニナーナが唐突に切り出す。


「ゼロとは言い切れませんが、かなり低いかと思われます。組織として動いている連中ですので、次の出陣に向けてそれなりの準備をするのであれば、時間をかなり要するでしょう」

「異神の軍隊か……ピックだとかまだ聞き慣れない単語が幾つか出て来ていた。後で改めて情報確認が必要だな。それに、またこの世界を狙ってくる可能性は十分に有り得るだろう」


ニナーナはふむ…、と呟くと何事かを思案し始める。

だが、その考えをゼトに伝える事はせずに、「もう行って良いぞ」と一瞥する事無く雑に手を振るだけである。

今に始まった扱いではないので、ゼトももう起き始めるかもしれないクゥフィアの傍に戻ろうとニナーナに挨拶をする為に口を開きかけるのだが、ふと、何の気なしにニナーナが向かい合っている石造りの墓標が目に留まった。

そこに掘られている幾つかの文字、特に、大きく掘られている二行の名前らしき箇所。

わざわざニナーナが此処に立って不可思議な物品処分をしている理由が少しばかり気になって、機嫌が良さげな今なら応えてくれるやもと、僅かに浮上した好奇心に従ってみる事にした。


「陛下」

「此処は魔界ではない。名前で呼べ」

「……ニナーナ様。失礼ながら、其方の墓は誰のものなのでしょうか?それに、今処分されている物も…」

「ああ、これか?……フフ。気にするな」


意味深に笑いながらもまた返答をはぐらかされた。

そのまま上機嫌に鼻歌まで歌い出す始末なので、気にするなという方が無理な話ではあるのだが、恐らくゼトでは答えを引き出す事など不可能だ。

所詮ニナーナにとってのゼンティウヌスとは、少しばかり使える程度の小さな手駒でしか無いのだ。

それを良く理解しているゼトは自らの好奇心をあっさり捨てると、その駒に徹する為、恭しく一礼をして今度こそクゥフィアの下へと帰って行った。


一人その場に残されたニナーナは、鼻歌を歌いながら作業を続ける。

朝日がニナーナと墓場の墓標達の影を大きく伸ばしていく中で、闇の渦穴からもう残り少なくなってきた物を取り出しては、魔力で練った闇炎でそれらを入念に燃やしていく。

ペアの食器、結婚記念の置物、妻からのプレゼント、子供の手垢がついた沢山の玩具……。

そして自分の子が描いたものだと言ってずっと飾っていた、家族三人の似顔絵。

それらは全て、リカルドが今日まで大切に家に保管していた、今は亡き妻子との、思い出が詰まった宝物達だ。

特にこの似顔絵は握り締めたような皺と何かで濡れた跡すらも残っており、恐らく二人が居なくなった直後、悲壮感に苛まれ絶望に打ちひしがれていたリカルドががむしゃらに胸に抱いて、何日も泣いていたのであろう情景がありありと目に浮かぶ。

そんな過去を推察しながらその紙を手に取ったニナーナは、空に翳す様に眺めてみながら、一層笑みを深めていく。



最初は魔香の匂いに惹かれた。

甘美で、極上な香りが常に立ち込めている、最上級のご馳走。

いつか自分の手にかかり、儚く消えるだろう一夜の晩餐。

命の恩人という理由だけで素性の分からない者を傍に置き、健気にこの世界の言葉や出来事、身の回りに起こった小さな世間話等、いろんな話を根気よく聞かせ続け、なおかつ献身的に世話を焼いてくれていた愚直者。

それが、リカルドという男だった。

なので最初はニナーナも、「都合の良い男」と捉えて仮面を被り、偽りの笑顔で接していたのだが……彼と毎日のように行動を共にする様になって、いつの日からかその認識は、大きく様変わりした。


あれは、この世界に来ていつ頃の事だったか。

酒場に誘われて共に飲んでいた時、リカルドが酒の勢いで不意に身の内話をし始めた。

それを、まだあまり言葉が通じないにも関わらず一方的に聞かされていたニナーナは、「ああ、コイツ、寂しいんだな」と直ぐに感付いて、表情を曇らせた事があった。

彼には既に他界した、愛する妻と、愛する子供が居たんだと、僅かに聞き取れた単語を繋ぎ合わせて理解する。

そして、そんな存在が居たという事実を知った当時のニナーナは、自分は彼にとっては気休めの存在でしかないのだと悟ってしまった。

その瞬間、何故か非常に不愉快になり、悔しくて悔しくて、酒の味もわからなくなる程に内心穏やかでは居られなくなってしまう。

胸に鉛がつかえて、腹の底では靄が渦巻く様な、居心地の悪い感覚。

そしてその時から徐々に、彼を独占したい……自分無しじゃ生きていけない体にしてやりたい、というドス黒い執着心が芽生える様になっていく。

それは果たして、食欲の延長線にある醜い独占欲なのか、それとも色欲の中にある黒い征服欲なのか、当時はその確証を持てないでいたのだが。

……それから数年経った今となっては、そのような葛藤など瑣末事であると断言できる。


彼を手に入れる為ならば、どんな悪業にだって手を染めてみせる。

恨まれないよう、心が離れないよう、幾らでも歴史や事実を改竄してやろう。

封印されていた時ならば兎も角、ほんの僅かでも力が戻ってきた今のニナーナならば、それぐらいの事は容易く出来てしまうのだ。

だから昨晩、彼と心を通わせ、熱の篭った情事に勤しんでいる間に、至る所にある[家族の思い出]を、独断で全て回収してきた。

リカルドにとって唯一無二の存在となる、ただそれだけの為に…。


「死んでいてくれて有難う。お前達を手にかけずに済んで、本当に良かったよ」


最早魂すら残っていない存在にそう謝礼を送ると、何の躊躇もなく似顔絵に闇炎を着け、時間をかけて燃やしていく。

この紙切れ一枚が、彼等が家族であった最後の証明だ。

それが今、魔皇帝の手で、完全に"抹消"された。



朝日に眩く照らされたニナーナは、清爽な空気を肺いっぱいに吸い込んで満ち足りた気分になった。

先日の戦勝よりも今の方が、達成感と充実感に溢れている。

胸の憂いが晴れた気がしてとても爽快であった。

そしてニナーナは二人の墓からあっさり背を向けると、意気揚々とリカルドが眠っている彼の家へと戻って行ったのだった。







そしてまた幾日かが過ぎ去り、約束の日。

ニナーナ達異世界人は、眠ったままであるヒュードラードを残して、この世界から旅立つ事にした。

王都の外れ、人目のつかない場所にて彼等を見送るのは、この日の為に再び集結した英雄部隊エスポアのメンバーだ。

仲間であるニナーナから預かっていた武器をそのまま餞別として貰い受け、神聖力と相性の良いソフィアにはクゥフィアから、異世界で偶然手に入れたという宝石の散りばめられたアンクレットに加護を加えたものを、結婚祝いと称してプレゼントされた。


「王都の復興作業が一段落着いたら、祝勝パレードをやるって噂だぞ?」

「じゃあ俺は欠席するって言っといてくれ」

「おう。代わりに俺が目立ってモテといてやるから安心しろ!」


いつも通りのお調子者の体で、ロドルフォがニカッと笑う。


「パレードよりも、お前達の結婚式に出席出来そうにない事の方が心残りではあるな」

「僕達も残念だけど、仕方がないね」

「二人とも、どうかお幸せに!」

「有難うございます。クゥフィアちゃんやニナさん達も、幸多からん旅になる事をお祈りしています」


肩を抱き身を寄せ合いながら、カミュロンとソフィアは柔らかく微笑んだ。


「ヒュードラード様の事、どうか宜しくお願い致します」

「ええ。任せて。アンタ達もちゃんと無事に戻って来なさいよ」


心無しか、今迄以上に洗練されたキキュルーが力強く答える。

そうして各々と会話を交わすと、最後にニナーナは、一歩身を引いて成り行きを見守っているリカルドに近寄った。

つい今朝方まで名残惜しいばかりにずっと一緒に居たのだが、二人共そんな雰囲気はおくびにも出さず、いつも通りの相棒として視線を交わす。


「いつか絶対迎えに来るから、それまで待っていてくれ」

「……ああ」

「俺以外の奴とコンビを組んだら怒るからな?」

「それは保証出来ん。何せ命に関わる仕事も多いんだ。チームプレーはどうしても必要だろう」

「おいおい。そこは嘘でも「わかった」と言うところだろうが。悲しくて俺泣いちまうぞ?」

「泣かされたくなかったらさっさと行って、さっさと戻って来い。俺だってそう長くは待ちたくないんでな」

「ハハ、確かにそうだな。……愛してるよ、リカ」

「……フ…。知っている」


お決まりの口説き文句に思わず口角が緩んで、リカルドは拳を突き出す。

ニナーナも笑みを浮かべながら同じ様に拳を作り、軽くぶつけ合った後、異世界への時空移動の為に神聖力を練り上げているクゥフィアの元へと戻って行った。



逆巻く光の帯が、時空の境目に扉を形作る。

厳かに開かれたその先は、未知の空間が広がっている。

その時空の狭間ではぐれないように同じ光を纏ったニナーナ、クゥフィア、ゼトの三人は、もう一度だけ五人の方を振り返った後に、躊躇う事無くその扉をくぐり抜けて行った。


「では皆様、お元気で」

「いっぱいお世話になりました!本当に、本当にありがとうね!」

「じゃあな」


そんな感じの、陽気で軽い挨拶を投げかけながら……。








その数日後の昼下がり。

ギルドのある街に戻って来たリカルドは、ニナーナが居ない日常を忙しなく送っていた。

何故かニナーナにお持ち帰りされた後から彼等が旅立つまでの間、仕事だの用事だのの事が一切頭から抜け落ちて家に篭もりっきりになっていた。

王都からの帰り際に急遽ソレを思い出しては顔面蒼白で大至急ギルドに向かって行ったのだが、不思議な事にその数日間、リカルドはちゃんと業務をこなしていたと本部常駐の者達は口を揃えて言う。

それどころかちゃっかりとニナーナを見送る為の休暇迄申請しており、受付嬢に申請受理された証明書を見せられた時は盛大に混乱していたのだが、どういったトリックなのかを突き止める事などリカルドには到底不可能であった。

だって、これらは全て悪魔達の仕業で、何の痕跡も証拠も残してすらいないのだから…。



そうした出来事があった中、忙しい業務の合間を縫って僅かに見つけた隙間時間、リカルドは花を握って、通い慣れた墓地を訪れて来ていた。

彼のすぐ横には、濡れ羽色の毛艶を持つ見慣れない大型犬が付き従い、知らない場所であるにも関わらず従順に墓地の中を歩いていく。

そして一人と一匹が立ち止まったのは……ギルドの任務中に魔蟲の手にかかって殉職した、身寄りの無かった仲間達の名が掘られている大きな石碑の前であった。

数多く手向けられている花々の一つとして、持ってきたソレを立てかける。


「此処には結構定期的に訪れているんだ。これからはニナの代わりに、お前が一緒に来てくれるか?」


人間の言葉を理解しているのか黒犬が一声吠えれば、リカルドは片膝を着いてその頭と顎を撫で回した。

触り心地の良い毛並みの感触を堪能しつつ、ふと、自分の左手薬指にあるブラックリングが目に入って、そのまま感傷に浸る…。


『お守りとして受け取ってくれ』


そう言って恭しく左手を握って来たニナーナは、薬指に自分の魔力を豊富に練り込んだというその指輪を、勝手にはめてきた。

装飾品は好まない、と返品しようとしたのだが、どんな小細工をしたのか外そうにも外せなくなってしまい、致し方無く今もつけっぱなしの状態となっている。

そしてこの濡れ羽色の犬は、驚く事にその指輪から溢れ出てきた魔力が具現化した特殊な魔犬で、ニナーナ曰く、自分の分身体のようなもので何かと都合が良い為、自分の代わりにその魔犬をリカルドの傍に置いていく、との事。

それで彼の身の安全を確保するつもりでいるみたいだったが、たった一瞬で予想以上に魔犬がリカルドの事を気に入ったようで、尻尾を盛大に振り回しながら勢い良く飛びかかってきたのが、もう二週間ほど前となる話だ。


「お前を寄越したあの馬鹿は、本当に変わった男だったな」


長期的に離れる事が殆ど無く、居なくなった今だからこそふつふつと実感する。

ニナは、唯一無二の存在だった。

身寄りが無く、言葉も通じず、目を逸らしたくなる程の模様を身体に巻き付けていた、いかにも怪しい未知の男。

警戒しつつも放置するわけにはいかず、組員達の苦言を背中で受け止めながら何度も彼の居る部屋に訪れては、監視という名目で世話を焼いていたのが、まるで昨日の事の様に感じる。

多少言葉がわかるようになってからは一緒に仕事をしたいと言われ、簡単な任務から場馴れさせるつもりだったのに、猛スピードで高難易度の任務までこなしてしまってベテラン勢を大いに泣かせていた事もあった。

彼の評価と人気が爆上がりしたのも、確か此処からである。


「王宮から魔王蟲討伐の勅令が届いたのは、確か奴が来てから半年程だったか?」


最初は「リカとはなれる、ヤダ」とか言ってあっさり一蹴していたのだが、その一言のせいでリカルドにも勅令が届けられてしまい、二人して日常を一旦置き去り、王都へと足を運んだ。

そしてそこで、ロドルフォ、カミュロン、ソフィア、キキュルーと初対面を果たし、紆余曲折を経て現在の強い関係へと繋がっている。

今思えば彼等若者達との縁は、ニナが居なければ得られなかったものである。

討伐任務の旅はかなり過酷ではあったものの、かけがえの無い経験と、かけがえの無い仲間をリカルドにもたらしてくれた。

とても大切な、宝物だとも言えるだろう。


「俺は、運が良かったんだな。アイツと出会えて。……アイツと、一緒に居られて……」


色々な出来事を思い出しては感慨にふけっていき、そして徐々に喪失感が押し寄せて来る。

そんなリカルドの気持ちを敏感に感じ取ったのか、魔犬が小さく鳴きながらリカルドに頬擦りすると、その擽ったさに弱々しく笑ってみせた。


「済まない。今はお前が居るから大丈夫だ。まだ、耐えられる」


ニナーナとの三年の苦楽。

そして此処数日の刺激的で甘さを感じた時間。

それが徐々に過去となって、色褪せていってしまうかもしれないのが口惜しく、そして哀しい。

それでも形として残る物を幾つか置いて行ってくれた事が、思った以上にリカルドの心の支えとなりつつある様だ。

そして何より、迎えに来てくれると約束してくれた。

その一言がどれ程の救いになる事か……。


「良し。行こう」


女々しい感情に自嘲しつつも、少しばかり元気を取り戻してリカルドがそう言うと、魔犬も一声吠えて尻尾を振った。

そして立ち上がり、来た道を戻るように墓地を歩く、その最中。

横切っていく数ある墓標のうちの一つが、リカルドの目に止まった。

何の変哲も無い、他に並べられている物達と特に大差の無い筈の墓標なのだが、視線が外せなくなって目の前で足を止める。



其処に掘られているのは、二人分の故人の名前。

今リカルドが立っているのは、いつも必ず墓参りをしていた家族の墓標の前で、ニナーナが闇炎で物品処分をしていたあの場所だ。


何も知らない魔犬が不思議そうに見上げてきている中で、リカルドは静かに、だが何処か虚ろ気な様子で、その二つの名前を見つめる。

そして、ぽつり。





「誰の墓だ?」









──【始まりの世界(デューベ)編・終】──








次回からサブタイの数字リセットです。

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