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フィア─帰りたい者達の異世界旅─  作者: ミリオン
始まりの世界(デューベ)編
16/18

16

リカルドは認めたくないその現実に、声にならない悲鳴を上げた。

黒剣はニナーナの身体を貫通し、背中から血塗れの刀身を生やして、切っ先から大量の血を垂れ流す。

柄が腹の近くに来るまで自分の体を深く刺したニナーナは、胃に溜まってきた血液を勢い良く口から吐き出すと、震え出す手に力を込めて、今度は豪快に剣を引き抜いてみせた。

噴水の如く背腹から吹き出す赤黒い血は、離れた所に立っていたグスタグノフの靴にも僅かにだが飛び散る勢いで、余りにもの肝の座ったその行動には流石のアリステアも唖然とした。


「その男一人の為に其処迄やるとは……頭のネジが外れているにも程がある」

「お、ほめに預かり、光栄だな……がはっ!」


ゴプッ!とまた吐血して屋根の上で膝を着く。

絶命まではいかないものの、完全に致命傷を追い、こうなれば後はアリステア自らの手で、その首を落としてしまえば良い。

想像以上の成果に愉悦が込み上げてきて、アリステアだけでなくグスタグノフも、そのニナーナのみっともない姿に思わず声を上げて、笑ってしまった。


「さ、あ…リカを、はな、せ…」

「いーんや。まだだ。お前が死ぬまでこのまま見届けさせてもらうよ。それが約束だったよな?うん、そういう約束だった」

「きさま…」


息も絶え絶えに、視界が揺れ始める。

一気に血を流しすぎた。

巨大な蝶から下りてきたアリステアが剣の一本を手に取り、血溜まりの中を歩いて傍に立つのも音と気配でしか把握出来なくなる。


「そのままでは辛かろう?今すぐ楽にしてやる」

「ハッ…やさしい、な」


だが、それで十分だった。

ニナーナが狙ったのは、グスタグノフとアリステア両方が、ニナーナの血に触れる事だ。

過激な牙を剥く魔術を発動させる為の条件が、揃った。



「じゃあ俺は代わりに、貴様らに苦痛を、与えてやろう…」

「何をこの期に及、んで……っ!?ぐわああ!!」


ニナーナの首の上から剣を振ろうとしたアリステアが、なんの前触れも無く突如叫んで急に悶え苦しみだした。

その目をかっぴらいて呼吸を乱し、何も無い場所へと向かってその剣を無闇矢鱈に振り回す。

同様にグスタグノフも、握っていたダガーを持つ手に力が入らなくなり、そのまま悲鳴を上げて武器とリカルドを捨てるとつんのめる様にして身を丸め、ガタガタと泡を吹きながら震え出した。

二人共痛みを感じて何かに恐怖している様子だ。


ニナーナはこの魔術を、"恐怖の記憶(ショック・コラプス)"と名付けている。

ニナーナが怪我を負い、その時に流した血に触れた者は、過去のトラウマに基づいた幻影の波に強制的に呑み込まれてしまう。

どのレベルのトラウマなのかはニナーナの負傷具合によって大きく左右されるので、血が少し流れる程の軽い怪我であれば羞恥を感じる程度のトラウマや黒歴史で終わる事もある。

だが、今回の様な致命傷であれば、自身の根幹にも関わる過去の恐怖そのものに一瞬にして呑まれ、更に凶悪に改変された形で自身に襲いかかって来るのだ。

過去に経験した恐怖の記憶が悲惨であればある程、その術から脱する事は不可能となり、場合によってはそのまま幻影に殺されてショック死してしまう者すらも居る。

だからニナーナは、諸刃の剣であるこの魔術を発動させる為にあえて瀕死になる程の大怪我を負って、アリステアとグスタグノフを再起不能にしようと心算した。

だが、そうとは知らずに事態を飲み込めていないのは、リカルドだ。

突如様子が急変した敵の有り様に呆気にとられていたが、呆けている場合ではないと我に返ると、自分の怪我など二の次で蹲っているニナーナへと駆け寄ろうとしてきたのだ。


「ニナ!」

「!?来るなリカ!!」


慌てて叫んだが遅かった。

リカルドがニナーナの作った血溜まりに入った瞬間、ザアァ…ッと視界が乱れ景色が一変した。




それは忘れたくても忘れられない風景。

まだ戦争が始まったばかりの頃、リカルドの帰りが遅くて不用心にも街近くの林にまで迎えに出て来ていた妻子が、四肢や胴体の殆どを切断され見せしめの様に散らかされていた。

これは、リカルドの記憶だ。

地面に染み込んだ強烈な血の香り。

恐怖一色に染まった表情のまま事切れている我が子の頭部が、リカルドと視線を合わせている。

この光景は、二人が死んでから七年もの歳月が経っている今でも決して忘れる事は出来ず、夢で見る程に鮮明なトラウマとして脳裏に焼き付いてしまっている。

リカルドは一瞬にして恐怖と絶望に呑まれた。

そして今目の前には、改変点として当時は居なかった筈の魔蟲が二人を弄ぶ様にして立っており、リカルドを見つけるや否や勢い良く襲いかかって来たのだ。




「!?あ、ああァァ!!」

「チッ!」


幻覚に囚われて体がすくんでしまったリカルドの様子に、ニナーナは舌打ちを零すと直ぐに魔術を解除した。

すると全員の意識が元の場所へと瞬時に戻される。

"恐怖の記憶(ショック・コラプス)"の後遺症で動けなくなっている寸分のうちに、ニナーナは力の入らない体を強引に動かしてリカルドを抱き締めて、思いっきり屋根を蹴って地上へと落下する。

すると地面にぶつかるスレスレの所で巨大な紫銀が二人の下へ潜り込み、その背で回収した後は再び空へと舞い上がっていった。


「ニナーナさん!」

「リカルド!」


ゼトの背には、クゥフィアと英雄部隊エスポアのメンバーが全員乗っていた。

ヒュードラードはカミュロンとキキュルーが落ちない様に抱えているが、流石にボンドは乗れなかったのかこの場には居なかった。

ゼトは二人の容態を見て瞬時に緊急事態だと察し、急いで降りられる所を探し、巨虫の群がりが少ない王宮の庭園に目を付けて一気に急降下する。

魔蟲と王宮騎士達を掻き分けながら慎重に地に足を付ければ、全員が直ぐ様背中から下りて意識が混濁しているニナーナとリカルドを取り囲んだ。


「ニナーナさん!しっかり!」

「"恐怖の記憶ショック・コラプス"を発動させる為とはいえ、無茶をしすぎで御座います!」

「今すぐ治療しますからどうか死なないで!」


ソフィアが手をかざして治癒魔法を発動させようとするが、今日だけでも何度も結界や補助魔法を連発してきている。

その上、今息をしているのが信じられない程にニナーナの負傷が大きすぎる。

その為に魔力が足りず、ソフィアの腕輪に付いている魔晶石がここに来て遂に、魔力切れを起こしてしまった。

それを急いでカミュロンが周りの王宮騎士達に呼び掛けて手持ちの魔晶石を譲るよう指示を飛ばすのだが、その数秒のやり取りの間に、巨大な蝶に乗ったアリステアがグスタグノフと、自分も怪我をしているにも関わらず妖精の力で二人を正気に戻したラララを伴って追いついて来てしまった。


「ニナーナあああぁぁ!!」


ブチ切れである。

他にも空から地上から巨大な虫達を引き連れて、津波の如く王宮へと押し寄せようとしてくる有り様に、全員の顔から血の気が引いていった。

魔法で対処しようにも全く効かない連中に、デューベの住民では誰も為す術が無い……。


「どうしよう…!」

「クゥフィア、リカを正気に、戻せるか?」


狼狽えるクゥフィアにニナーナが意地で身を起こしながら尋ねれば、先程見た幻影の影響でまだ不安定な精神のまま座り込んでいるリカルドにハッと気付く。

急遽神聖力を彼に注いで、一瞬で正気に戻した。

浅い呼吸ながらも漸く現実へと戻って来れたリカルドを確認するや否や、今度はニナーナが身体を引き摺りながら傍にまで行くと、その頬に手を添えて自分の方へと優しく向かせる。


「済まん、リカ。先に摘まませろ…」

「え……」




気の抜けた声は、その口に塞がれて出せなくなった。

何の脈絡もない唐突なキス。

理解が及ばず目を丸くするも、ニナーナはお構い無しに半開きになっている唇の間に舌を滑り込ませ……、何の構えも出来ていないリカルドの舌を絡めとってみせる。


「!ンッ…ん"ん"ん"!?!?」


事態を何とか理解してパニックになり慌てて押しのけようとするのだが、如何せん今リカルドの両腕は殆ど動かせない程にズタボロである。

されるがままになっているところを他の者達もばっちりと見せつけられてしまい、全員が現状をほっぽり出して呆気にとられ、二人の様子を凝視してしまった。

勿論クゥフィアも目の前の光景を見てしまっているのだが、何故か少しばかりの既視感と、言葉にしづらい懐かしさを感じていた。


……あれ?僕も前に、誰かと何処かで……。


そう思うものの、咄嗟に動いた巨竜ゼトの大きな手でクゥフィアの視界は遮られてしまった。


そしてニナーナがリカルドの唾液を舌で回収し嚥下した次の瞬間、ニナーナの頬に残っていた封印紋がバキッ!と音を立てて一気に五センチ程割れ落ち、続けざまにその背中から邪悪な黒翼の形をした靄が吹き出す。

更に腹に開いた刺傷も黒い魔力で自己再生を行ない、ニナーナは再び、自力で立ち上がる力を取り戻した。


「ッ……は……もっと食いてえが、今はこれだけで我慢だな」

「は……え……?」

「約束守れよ、リカ?」


そう言って妖艶に笑ってみせたその顔を、リカルドは忙しなく顔色を変えながら呆然と眺めるしか出来なかった。

名残惜しそうに頬に指先を滑らせながら離れると、ニナーナは再び剣を生成して今度は自らの力で宙へと飛び上がっていく。


リカルドの魔香を利用した強引な封印術の解除と、リミット付きの覚醒。

傷を塞いだとはいえ身体への負荷が大きすぎる手段を取った為に、もはやこれ以上時間をかけてはいられないと判断して勝負に出た。

アリステア達の前まで飛ぶとそのまま急上昇をして敵全ての気を引き付け、遙か上空にて留まると、ニナーナを追いかけて浮上してくる彼等を見下ろす。

そして剣先を下方に向け、数秒もしない間にその先端に、稲妻を纏った黒い球体を形成していく。


「!?ちょっと待てあの技は!?」

「ウソ!?王都ごと吹き飛ばす気!?」


見覚えのある構えにロドルフォとキキュルーがぎょっとしながら思わず叫ぶ。

リカルド以外のエスポア四人はたった一度しか見た事が無いが、核兵器並みの威力を誇るあの、“グルグル、バリバリ、ギュギュッとどっかーん”というふざけた名前の殺戮魔法で恐らく間違い無い。

それをこの場で撃ってしまえばアリステア達どころか、王都の半分以上はほぼ跡形も無く消し飛ばしてしまう恐れがある。

そんな予感がして流石に慌て出す一同を他所に、ゼトは。


「心配いりません。この技はニナーナ様の十八番で御座います」


そう言って人型にへと変身し、凛とした佇まいでクゥフィアの横に控えた。

それを聞いた全員は不安を抱えながらも、固唾を呑んで見守る。

対して、アリステアはニナーナが形成しているその球体から凄まじい魔力量を感知して、激しい警鐘を脳内で鳴り響かせた。

直ぐさま二本の剣を構え、巨虫達にも神力を溜めに溜めさせて最大の必殺技を練り上げる。


「終わりにするぞ、アリステア」

「終わるのは貴様だ!去ね、ニナーナ!!」


そしてアリステアが先にその技を放った。


「"トラロック・バスター"!!」


二本の剣と、空中、地上から、幾筋もの凄まじい神力の光線がうねりを上げながら一点へ目掛け、その全てでニナーナを呑み込もうとする。

それはとても神々しく、触れたもの全てを細胞一つ残さずに消滅させる、絶望の破壊光線の雨だった。

だがニナーナは動じない。




「"皇帝審判"」




光に呑まれる前に、練り終えた球体を解き放った。

それはブラックホールの如く全ての光線を吸引し、轟音を唸らせながらアリステア達の目前でスパークして、一瞬で肥大する。

目前迄迫るソレを見て死を直感したグスタグノフが咄嗟にアリステアとラララを掴んでジャンプすると、その球体は巨大な蝶だけを呑み込んでしまった。

更に、王都中にばら蒔いていたニナーナの魔力が球体に呼応して魔術を発動させ、外壁よりも大きな外周円を描いて、超特大の魔方陣を展開した。

その魔方陣は風呂敷の様にその身をもたげ、王都の空まで包み込むと徐々に包囲網を狭めていく。

突然目前まで迫る幾何学模様の壁に王都中の人間や魔蟲が悲鳴を上げてパニックを起こしながら身構えるが、壁は彼等には何の危害も加えずに素通りしていく。

絡め取るのはニナーナが敵と認知した者のみ。

今のこの場では、アリステアの眷属である虫達だけが壁にぶつかり、大小問わず逃げようも無いまま球体の側迄追い込まれ、圧縮されていくのだ。

そしてその中心に居たアリステア達も……。


「まずいまずいマズイって!コレは食らっちゃダメなヤツ!逃げるぞアリステア!」


グスタグノフが叫び、ラララが全力で首肯してそれぞれの右耳に手を宛てた。

手段が思い浮かばず敗走を余儀無くされたアリステアも、断腸の思いで同じ様に右耳───♤のピアスに触れながらそれに神力を注ぐ。

そして最後に、苦し紛れにニナーナを睨み付けた。


「この雪辱はいつか必ず果たしてみせる……また相見えようぞ!ニナーナ・ガルディン・アルヴァイン!」


そして三人は包囲網に捕まる前に一筋の閃光となって、虫達を取り残したままこの世界から離脱して行った…。




一番の獲物を取り逃してしまったが、一度発動させた"皇帝審判"は解除不可能な段階に迄来てしまっている。

致し方なくニナーナはそのまま包囲を狭め、限定空間の中で虫達の身を黒い稲妻により何万回も撃ち焼き、体毛一本すら残さず灰にして、更に小さく圧縮すると剣を頭上へと振り上げる。

すると包囲網に包まれた球体は勢い良く、暗雲を突き抜けて大気圏をも越え、真空空間まで浮上した瞬間に黒い閃光を放って、苛烈な衝撃波を伴う大爆発を起こした。


爆風により一瞬で暗雲が消し飛ぶ。

空から地上のものを圧砕するかの様な突風が押し寄せてきて脆くなった建物を軽く崩壊させ、全員が頭を覆い大切な者の上に被さりながら、自分達の身を守った。

かと思えば、今度は成層圏付近で小規模の雷電を伴ったブラックホールが発生し、超強力な引力を生み出す事で地上にあるもの全てを吸い込まんとその口を大きく開けるのだが、ニナーナは更に魔術を展開して闇のベールを広げ、何かを吸い込ませる前に自身が作ったそのブラックホールを包み込んでいく。


「後始末だ」


そう呟いて一瞬で食い尽くし、そのまま空一面に空けてしまった大気の穴を魔術で修復してしまった。

闇は跡形も無く消滅して、先程までの天変地異が嘘の様に騒音が去り、雲一つ無くなった空からは、まるで勝利を祝うかの様に太陽の光が降り注がれる。

誰もが非現実的な光景を目の当たりにした事で微動だに出来ないまま、空にある唯一の黒点───黒い翼を生やしたニナーナを見上げ続けていた。

すると翼は完全に靄となって霧散し、飛ぶ力を失ったニナーナはそのまま頭から、王宮庭園へと一直線に落下していく……。


「ニナー!!」


仲間達の叫びが聞こえた。

自分でも思った以上に、無理をしてしまった様だ。

昔はこれぐらいの事なら造作も無かったというのに、封印が僅かに解かれた状態ではこの程度が限界なのかと思わず自嘲しながら、重くなってきた瞼に抗う事無くそのまま目を瞑る事にする。

流石のニナーナでも今回の騒動は骨が折れた。

だが相当な収穫もあったので損得を考えると儲けた方か?と他人事の様に思いつつ、誰かの魔法によるクッションで地面への強打は免れながらも、完全に力尽きてそこで意識を手放したのだった。






────それから数日が経った。

魔蟲を扇動した王国騎士・アリステア精鋭騎士団長によるデューベ最大の大謀反は、アリステア一人に全ての罪を被らせるという大胆な結論で、各国代表者会議により早々に決定された。

本来ならば有り得ない判決である。

普通に考えるならば、洗脳されていたとはいえ魔蟲達にも重い罰は下されるし、更にアリステアを野放しにした形となる王国側にも責任追及として他国から責め立てられても何ら不思議では無い状況だ。

だが、当時戦場に居た他国の王族、貴族、有権者達がみな口を揃えて「アリステアが悪い」と言い張っており、王国や魔蟲等に対する追及を一切しないどころか庇護する言葉を並べ立てれば、自国で留守を任され現場に居なかった者達は不審がりながらも、当事者達の意見と面目を立てて情状酌量をするしかなかった。

なので、賠償金や懲罰等もアリステア一人に帰結され、彼はこの世界での地位、名誉、財産全てを、本人の知らない間に一つ残らず没収される事となったのだった。




「こんな事ってある?何万人も死んじゃった大襲撃だったのに、たった一人に全責任を取らせるだなんて…」

「有り得ないとは思うんだが、実際のところアリステアが全部悪いっていうのは本当だし、僕には何とも……」

「俺的にはボンドが無実の罪を背負う必要がなくってホッとしてるぞ。魔蟲達も言っちまえば被害者なんだからよ」

「そうですね。これを機に魔蟲族の方達とも対談の席が設けられる様ですし、もしかしたら人間と魔蟲が手を取り合えるきっかけとなるかもしれません」


王都バルデュユースにある王立総合病院。

先の戦争によりキャパオーバーの患者が次々に運ばれてきたその建物の中を、花や果物を持ったキキュルー、カミュロン、ロドルフォ、ソフィアの四人が、忙しなく走り回る医療従事者達を上手いこと避けながらとある一室へと足を向けている最中の会話だ。

ドアを数回ノックして中に入れば、特別待遇で個室となっている病室の窓際に置かれたベッドと、その傍に椅子を運んで座っている二人の子供が直ぐに目に入る。


「よっ!クゥフィア、ゼト、お前らは元気か?」

「はい。ロドルフォ様方もお変わり無く」

「ソフィアお姉ちゃんのおかげで僕達は怪我一つ無いよ。本当にありがとう」

「ふふ、どう致しまして」


ソフィアは可憐に微笑みながら、持っていた花束をゼトに渡した。

「お心遣い痛み入ります」と一礼すると、ゼトは早速花瓶に生けて、ベッドの隣にある机の上に飾り立てる。


「しっかしお前、急にデカくなったよな。死んじまったと思ったら俺らと同じぐらいのデカさになって生まれ変わるし、本当にどうなってんだ?」

「生まれ変わったのでは無く、私本来の姿に近付いたのです。それに我々悪魔はいわば魔力の塊そのもの。核さえ無事であれば、魔力を補填する事で何度も復活する事が可能であります。充電出来る魔晶石みたいなものだと思って頂ければわかりやすいのでは?」

「……それって、ニナもそうなのかい?」

「あの御方は特殊ですが……説明すると大変長くなりますので、少し違うとだけお伝えしておきます」


意味深ながらもそれ以上続けるつもりはないという物言いに、誰も追求はしなかった。

そして今度はキキュルーがベッド脇に立って、布団を被って横たわっている人物を見下ろすと眉を八の字にしてしまう。

其処には未だに目覚める様子がなく、静かに横たわっているヒュードラードが居る。

義手と義足は治療の邪魔になる為出来うる限り取り外されており、右腕には栄養剤入りの点滴を固定された状態で、数日前からこの病室で寝かされている。


「やっぱりまだ起きないの?」

「フィアがまだ馴染めていないんだと思う。いつ起きるのかは、僕達にもわかんない」

「そう……」


何とか一命は取り留めたものの、医者や治癒士でも手が打てない状況にキキュルーとクゥフィアは肩を落とすしかない。

今のままではヒュードラードが目覚めるのは明日なのか、一ヶ月後なのか、はたまた数年後なのか……。

だがこればかりは神の涙(ヘブンスフィア)との相性で決まる為に、他の者達には何一つとして出来る事は無いのだ。

完全に死んでいた状態から蘇生された事自体奇跡ではあるが、いつまでも一箇所に留まってはいられないクゥフィア達にとって、この状況はとても芳しくない。


「一週間。その間にヒュードラード様がお目覚めになられればそれで良し。目覚めなければ、我々はこの方を置いて次の世界へと飛ぶ予定です」


事務連絡の要領で発するゼトの言葉に室内は静まり返った。

一週間という猶予は、クゥフィアに気持ちの整理を付けさせる為の期間でもある。

まだ幼い子供にとって、心の支えでもある育て親と生き別れ状態にさせてしまうのはかなり酷な話ではあるが、眠っている彼を運搬する方法が思いつかない現状では、置いて行くしか選択肢が無いのも事実だ。


「置いて行ったとして、お前らはまたココに戻って来れるのか?」

「【座標】さえ分かれば不可能ではありません」

「座標?座標って何のですか?」


ソフィアの率直な質問にもゼトは丁寧に答える。


「各世界はそれぞれ特定の空間、特定の場所に固定されているものがほぼでして、その位置を把握する指標の様なものを座標と呼んでおります。まあ、所在地みたいなものですね」

「じゃあ、彼を此処に残してもまた迎えに来れるんだね?だったらヒュードラードさんの事は、僕達に任せてくれれば良いよ」

「貴方がたならそう仰って下さると思っていました」


淡く微笑むその顔にカミュロンは頷き返したが、その後ろに控えていたロドルフォは少しドキッとした。

元々中性的な顔立ちだったゼトだが、成長するとなお一層色白で儚さがあり、目鼻が整い、唇は薄く、紫銀の髪と睫毛が動けばかなり艶っぽく見えてしまう。

ニナーナとはまた違った系統の色男で、男女共に好意を持たれるタイプの美人だと本能的に感じてからは、ロドルフォはゼトをあまり直視する事が出来なくなって、思わず視線を何も無い空間へとずらした。

そんな彼の心境の変化に気づく者は無く、皆してもう一度ヒュードラードを見つめる。

クゥフィアが悲しそうにヒュードラードの右手を掴むと、その上から更に綺麗な手がス……と添え置かれた。

横を見れば、キキュルーが優しい眼差しでクゥフィアと視線を合わせてくる。


「大丈夫。今すぐは無理かもしれないけれど、ヒューならいつか絶対起きてきて、すぐ元気になってアンタを追いかけて行くわ。だからアンタも、心置き無く自分の為に行動しなさい」

「キキュルーお姉ちゃん…」

「何かあっても、アンタにはこれからニナが付いている。ヒューは私達エスポアが責任を持って看病するから。ね?何も心配要らないでしょう?」


幼い子供を安心させる為に笑いかければ、他の三人も力強く頷いてみせた。

頼もしい大人達にクゥフィアは少しだけ泣きそうになりながらも、素早く目元を腕で拭いて決心した面持ちで皆を見つめ返す。


「ヒューさんが起きたら、僕が迎えに来るって伝えといてくれる?それまで無理はしないでよって」

「ええ、伝えておくわ」

「それと…大好きだよ、お父さん…ってのも、一緒に……」

「分かった」


それ以上喋ると折角我慢した涙がまた直ぐに込み上げてきそうになって、急いで目を瞑り顔を上げて踏ん張る子供の姿に笑い声が零れた。


そんな折、病室のドアがノックされてゼトが返事をすれば、「失礼致します」という声と共に突然見知らぬ女性が入ってくる。

病院のナースとかでは無く庶民の服を纏っているのだが、この場の殆どの者はその女性と面識が無い。

誰?病室を間違えて入ってきた?という疑問を顔に書いたまま凝視していれば、唯一カミュロンが女性の顔を見るなりぎょっとして、途端に狼狽えだした。


「め、メメ、メイジャス王女殿下!?」

「シーッ!声が大きいですわよカミュロン!わたくしは今日お忍びなんですの!」


人差し指を口元に持ってきて慌て出す女性に、カミュロン以外の全員が一瞬虚をつかれた後、クゥフィアとゼトはそのままきょとん顔で、残りの三人は驚愕で叫びそうになるのを必死で耐えたのだった。

よくよく見ると確かにこの王国唯一の王女であるメイジャス本人で、その後ろには同じく庶民服を来た若い侍女らしき人も、籠いっぱいの見舞いの品を抱えて控えていた。


「な、何故殿下がこの様な場所へ?!」

「あー、えーっと……み、皆様が此方に良くお越しになると伺って!先日の戦争での功労者達に、労いと感謝の言葉をお伝えしたくって参りましたの!」


最初こそ慌てながらも、それっぽい言い訳を見つけると途中から体裁を見繕って深々とお辞儀をする。


「近く、陛下から謝礼の為の徴集がかかるかとは思いますが、先にどうしてもわたくしの口からお礼を申し上げたかったのです。皆様のおかげでこの王都バルデュユースは守られ、大切な民達の命が救われました。本当に、感謝してもしきれません。我々を救って下さり、本当に有難うございました」


そんなメイジャスの態度に一同は余計パニックになってしまう。

幾ら恩義を感じているとはいえ、こんな事をする為に王女が己の足で、身分を隠して、従者連れとはいえ殆ど一人の状態で市井へと赴くなんて前代未聞だ。

そう訴えればメイジャスは上品に口元を隠しながら笑って、「表にも騎士を控えさせておりますから大丈夫ですわよ?」とフォローすると、続けてカミュロンとソフィアの顔を見やった。


「お二人にはとても残念な日になってしまいましたわね。王都中から祝される素敵な結婚式になる筈でしたのに、まさかあの様な事態になってしまうだなんて…」

「お、お心遣い感謝いたします。私達なら大丈夫です」

「大丈夫では無い筈でしょう?人生最大の最高の日を台無しにされたのに、平気でいられる女性なんて居ませんわ!」


ソフィアの謙虚な返答に声を荒げると、メイジャスはソフィアに詰め寄って両手を取り、強く握り締めた。


「ソフィアさん!王都の復旧が終わりましたら、今回よりももっともっと盛大で、素敵な結婚式を挙げましょう!わたくしからお父様にそう進言しておきますので、どうかご安心なさって下さい!」

「で、ですが、わざわざ王女様が其処までなさらなくても…」

「何を仰るのですか!カミュロンと結婚すれば、わたくし達は言わば親戚関係になるのですよ!?身内も同然です!可愛い義姉妹の為にわたくしが一肌脱いでも何も問題は無い筈でしょう!」


そう熱弁を振るうメイジャスに嬉しいながらもたじろいでいるソフィアと、王女を宥めようと四苦八苦しているカミュロンと侍女。

そんな変わった光景に付いていけていないクゥフィアとゼトはロドルフォとキキュルーに視線を投げかけたが、二人に肩を竦められて益々混乱していった。

暫く不毛な押し問答が繰り広げられた後、やっと落ち着いてきたメイジャスは唐突に病室の中を見渡して、何かを探す素振りを見せる。


「と、ところであの、今此方に、ニナ様は居られないのでしょうか?」


その一言で大体全員が合点がいった。

間髪入れずにカミュロンが答える。


「ニナならもう王都には居ません。また後日此処に来ると言って、彼のギルド本部のある街に帰って行きました」


すると途端に分かりやすく肩を落とすメイジャス。

やはり建前では労をねぎらうと言ってはいても、その心境は憧れのニナに一目会いたい一心だったのだろう。

邪な動機に「やはりこれこそが人間ですよね」とゼトは何故か一人納得しており、エスポアの全員は内心で王女に少し同情をしてしまった。

メイジャスは、ニナの色々なアレ・・を目撃していないから、まだニナに対するキラキラとした夢を持っていられるのだ。

そのうち噂は広まるかもしれないが、彼女の耳にそれらの噂が届く迄は、まだ夢を見させてあげておいた方がこの国の、そして彼女の作ったファンクラブの為なのかもしれない…。


「ニナーナさんって、やっぱりモテるんだね」


変な空気が流れる中、何の屈託も無い、純粋なクゥフィアの言葉に、エスポアの四人は場を誤魔化す様にから笑いをするしかなかった。






その噂のニナーナはと言うと、バルデュユースから遠く離れたギルド本部で少しばかり荒れている最中であった。

ギルド連合の方にも少なからず被害は出ており、ニナーナが本部に着くや否や仕事を押し付けられて慌ただしく働き通し、その合間を盗んで相棒と何とか話をつけようとしているのだが、何故か、ここ数日ずっとリカルドに避けられ続けているのだ。



リカルドを命懸けで守った後に力尽き、翌日見知らぬ病室で目が覚めた時には、相棒は初めて出会った時の様にニナーナの隣に居て、献身的に看病をしてくれていた。

にも関わらず、ニナーナが思った以上に元気そうだと分かった途端にリカルドは、「仕事が溜まっている」と冷たく言い放って、マスター達の下へとそそくさと向かって行ってしまい、ニナーナはその数日後に退院すると、一人寂しくギルド本部のある街へと戻る事を余儀無くされた。

今の彼にとっては王都と本部との距離等、空を飛べば数時間程度で辿り着けるぐらいの近さにはなったのだが、それでも片時も離れたくない相棒に置いていかれて数日も離れてしまった事は、かなりのストレスとなり、不満であった。

だからゼトに王都を一度離れる旨を伝えた時、身辺整理という名目でギルドに戻るついでに。


「攫って来る」


と犯罪予告をしたのだが、そこでまさかのゼトに全力で止められ、病院の廊下にまで響く程の大喧嘩をしてしまう。


「リカルド様を旅に同行させる事は出来ません!お考え直し下さい!」


自分の言う事は大体イエスと答える優秀な部下なのに、珍しく声を荒げて険しい顔をしてみせた事にもニナーナは不満を見せた。


「たかがゼンティウヌスのくせに、この俺に意見するのか?」

「今回ばかりは意地でも貫かせて頂きます!彼を連れて行く事はお止め下さい!」

「………お前がそこまで言う理由は?」

「リカルド様の魔香は……あまりにも強すぎます!共に来てしまえば私めの理性がもう半日も持ちそうにありません!今でも追いかけてあの甘美な香りのする唇と首筋に食らいつき、骨の髄まで蕩けさせて堪能したいぐらいなのに……ニナーナ様は、このゼンティウヌスめと穴兄弟になりたいと申すのですか!?」

「絶対に嫌だし絶対に許さん!!貴様、俺のリカをそんな目で…!!リカは、俺だけのモンだァ!!」


まさかながらも切実な理由であり、とんでもない爆弾を抱え込んでいた事をニナーナは改めて痛感する羽目になった。

そして勝手に組み立てていたリカルド拉致計画は、実行される前に仕方無くお蔵入りとなったのだった。



そんな会話を王都を旅立つ前に内密に済ませた後、ならばせめて別れる前にやるべき禊をこなしておきたいと思ってずっとリカルドと話をする機会を伺っているのだが……何故か一向に彼が捕まらない。

副ギルドマスターという肩書きを盾にして業務に忙殺されている体を見せつけられ、いつものサングラスと服装で本部に戻って来たニナーナともまともに会話をする事無く、彼方此方へと走り回り続けている。

ニナーナもニナーナで手持ち無沙汰という訳にもいかずに、仲間に色んな仕事を押し付けられて別行動を余儀無くされ、時折王都での出来事を根掘り葉掘り質問され、「急に流暢に喋る様になったな?」「今までのは演技だったのか?」「顔の刺青無くなってんぞ?」「お前空飛んでなかった?」等と、兎に角茶化され続け……。

そのせいで珍しく、サングラス越しでも分かるぐらいにイライラしているのだ。

それが暫く続いた今日も、リカルドが色んな書類を抱えてギルドマスター・ヴァランの居る執務室へと足早に向かって行くのを、ニナーナは一階の喧騒の中から目敏く捉える。


何で避けられているのか分からんが、そっちがその気なら逃げられない状況を作ってやる。


そう決めると周りなど無視して急いで後を追い、リカルドが執務室へと入っていったタイミングを狙って、ニナーナも適当なノックをし強引にその部屋の中に入っていった。


「お前はいっつも返事を待たずに入ってくるよな」


呆れたヴァランの小言も何処吹く風で、急なニナーナの来室に驚きたじろいでいるリカルドを少しばかりサングラス越しに睨んだ後、唐突に切り出した。


「マスター。俺、ギルドをやめる」

「おう。もう処理は殆ど済ませてある。お前を手放すのは惜しいが、今迄良く働いてくれたな。旅立つのはいつ頃になるんだ?」

「……え?ええー…?」


驚くでも名残惜しくするでもなく、さらっと聞いてくるヴァランに逆に脱力してしまった。

どういう事なのかと言いたげな態度にヴァランの方も疑問を持つ。


「ん?あのガキ共と旅に出るんだろ?違うのか?」

「いや、そうなんだけど…何でマスターが知ってんの?」

「此奴から聞いたに決まってんだろ。まだ数日動けないだろうお前の為に、膨大な業務と並行して大至急で色々と動いてたんだ。意外と早くお前が戻って来て、二人して驚いていたんだがな」


それを聞いて思わず目を丸くし、数回瞬きをしてからもう一度リカルドを見た。

ヴァランの横に立っている相棒は気まずげに目線を逸らしてはいるが、特に否定するでもなくモゴモゴと何かを言っている。


「……リカ、俺を避けていた訳じゃなかったのか?」

「うっ……半分は、そうだが、もう半分は本当に忙しかったんだ。本部を離れていた期間が余りに長かったから仕事が溜まりに溜まっていたし、お前が抜ける穴を埋めるのも中々大変で、な……。その……話せずにいて済まない」

「ああ?テメェらそんな感じで擦れ違ってたのか?三年近くコンビを組んでたんだからちゃんと後腐れ無くしとけってんだ。リカルド、ニナ、二人共今日はもうこのまま帰れ」

「は!?いえいえマスター!」

「ナイスだマスター!」


真逆の反応が返ってきてヴァランは思わず吹き出し、豪快な笑い声を上げた。


「戦争の前後から全員缶詰状態で仕事してんだ!一日ぐらいは副マスターが居なくたって何とか回していけんだろ!」

「で、ですが、他ギルドとのやり取りもまだ膨大ですし…」


言い淀むリカルドの言葉を遮って、素早く二人の側迄来たニナーナが完治しているその腕を掴んだ。

驚き狼狽える視線を向けられればニヤリと笑ってみせ、軽く引き寄せ、腰を抱き、意味の無い言葉で抵抗するリカルドをそのまま力ずくで歩かせて執務室を後にしていく。


「マスター・ヴァラン。今まで世話になった。この恩は忘れないよ」

「……おう、達者でな」


立ち去る間際でそれだけ言い残すと、ニナーナは本気でリカルドをお持ち帰りしていったのだった。


……二人が去った後に静かになった執務室では、ヴァランが腕を組みながら深く椅子に持たれかかって大きな溜息を零し、二人の先行きを案じる。


「やあっぱり、ニナの方は本気だよなあ?リカルドの奴もそれなりにモテるっちゃあモテるが、あんな奴にとことん惚れ込まれるたぁ……。彼奴ら一体、どういう立ち位置に落ち着くつもりなんだ?」


気になりはするがこれ以上は藪蛇だな、と独りごちて、ヴァランはリカルドが自分の目の前に置いていった書類の束に一目向けると、適当な引き出しを開けて無造作にそれ等を放り込み、音を立ててさっさと閉まってしまった。





─────────

ニナリカの後日談はR指定の為、Xに置きます。


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