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フィア─帰りたい者達の異世界旅─  作者: ミリオン
始まりの世界(デューベ)編
15/18

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「良い加減私を無視するのをやめないかー!!」


一向に進展しない状況に痺れを切らしたアリステアが激昂しながら大技を放つ。

流石にゼト一人では防ぎ切れないソレはニナーナが手を翳す事で弾き返され、全く見当違いな方向へと流されていった。


「何をそんなに焦ってんだ?さっきまでの余裕は何処に行ったのやら」

「っ黙れ!」

「そういやお前、さっきこの俺に向かって拍子抜けだとか、王として有るまじき~とか言っていたな?手を抜いてやっていたのに中々調子に乗っていて愉快だったんだが、今でも同じ気持ちなのか?」

「黙れと言っている!」


ゼトの側まで歩み寄って来るニナーナに吠えると、今度は権能を発動させて地中や街中から、一気にとんでもない数の虫達を呼び集め始めた。

アリステアの本来の権能、蟲使い(インセクター)

多種の虫達を無数に操る事ができ、身柄の拘束、毒を利用した攻撃などの他、あちらこちらに転がっている魔蟲の死骸に寄生虫を侵入させれば、歪ながらも再びその者達を意のままに操作する事が可能となる。

だが、所詮は虫に操作させているだけなので、生前程活発には動かせないし魔法も使えない。

所謂ゾンビを簡単な命令でけしかけているだけの様なものであるその稚拙なコントロールに、ニナーナは敵でありながらも少し頭を悩ませてしまった。


「ふーむ。使い勝手の良さそうな力なのに、発想が今一つだな。死体を動かすのはあの鈴虫妖精の方が得意そうだ」

「っ!……ふ、フフフ…。その減らず口もいつまで続くのか見物だな!」


正論を言われ、まるで負け惜しみの様なセリフを吐き捨てながら、アリステアはその死骸集団と眷属である虫の大軍を同時にニナーナにけしかけていった。

それらが此方に辿り着く前にゼトが前進して咆哮し、雷魔術を伴うその衝撃波だけで目前の虫達を一掃すれば、今度はアリステア自身が地を蹴って振り回してきた二本の剣を、ニナーナが闇の魔剣一本で軽々と凌いでいく。

目にも止まらぬ速さで繰り広げられる、剣の応酬。

たった一秒の合間に打ち合い、受け流し、斬り込んでは斬り返す…を十も二十も行なわれれば、今度は剣技だけでは埒が明かないと踏んだアリステアが先に神術を放ち始め、ニナーナもそれに合わせて笑みを携えたまま魔術で相殺していく。

神力による斬撃や砲撃、権能による虫達の特攻、今出来るあらゆる術をふんだんに使っていっても、まるで先の行動を読んでいるかの様に薙ぎ払い、躱し、剣技で中和させれば更に反撃をしかけてくる。

そんな忌々しい男の存在が気に入らなくて、アリステアは冗談では無い、と歯軋りをしたい思いになった。


「貴様!先程剣を交えた時はこれ程では無かっただろう!まさか本当に手を抜いていたというのか!?」

「だからそう言ったじゃねえか」

「何故だ!何故そんなまどろっこしい真似をした!よもや私をコケにする為ではあるまいな!?」

「それも一理あるが、教えてやらねえよ」


ニナーナが手を抜いていた理由。

それは封印解除のきっかけを作る為、というのが正解である。

今迄のクゥフィアでは呪法の鎖にヒビを入れる事すら出来ず、かといって、のんびり気長にその時を待っていられる程猶予がある訳でもない。

だからこの魔蟲大進軍を利用してクゥフィアをとことん追い込み、何か吹っ切れる程に強いショックを与えればもしかして……と思い、あえて自分を含む全員がピンチに陥る様な状況を作り出してクゥフィアが力を行使せざるを得ない様に仕向けていったのだ。

気がかりだった事も幾つかありはしたが、この機会を逃せば恐らく取り返しのつかない事になる。

そう判断したニナーナは誰に相談するでもなく、完全なる独断で、勿論誰にも悟らせずに今回の事に踏み切った。

その結果として起きたのが、アリステア達によるゼトとヒュードラードの惨殺。

クゥフィア達が捕まってしまった時は流石に肝が冷えたが、クゥフィアにとって特に大切な二人が目の前で絶命し、惨たらしい姿にされた事で異神の軍団にとっては図らずも、神の子の力を更に引き出す取っ掛りを生み出してしまった。

そしてそれは、ニナーナの思惑通りとなって解放され、その相乗効果としてニナーナ自身も遂に、クゥフィアを唆して鎖の一欠片を壊す事に成功する。

未だ鎖自体は己を雁字搦めにしてはいるが、僅かにでも切る事が出来れば、後は自分自身でゆっくり解いていくだけで十分だ。


その事を今この場で説明しても良いのだが、あえて敵に言う事でもあるまいと返答を疎かにしてみれば、勝手にそれを挑発だと受け取ったアリステアの額に青筋が浮かぶ。

更に攻撃の手数が激しくなっていき地面を抉りながら猛攻してくるものだから、ニナーナは回避に切り替えて飄々とした足取りで、その場から徐々にアリステアを移動させていった。


「ゼト!来い!」


頃合を見てそう叫べば、結界の傍で死骸集団を薙ぎ払い続けていたゼトが、魔力を込めた超高熱度のブレスを吐いてある程度の虫を一掃し、その後すぐに巨大な翼を広げて飛び上がった。

地面を滑空してアリステアを轢き飛ばさん勢いで特攻すれば、それに気付いて飛び退いた隙にニナーナがゼトの背中に飛び乗り、そのまま空高く舞い上がっていく。

一拍遅れてアリステアも眷属を伴いながら空へと飛び上がると、その隙を見たロドルフォが急いでボンドの傍へと駆け出して行った。


「ボンド!大丈夫か!?」


倒れている巨躯の目の前で膝を着いて覗き込めば、閉じていた複眼が僅かに開かれる。


「エ…英雄、剣豪…サマ……」

「本当に有難う!お前のおかげで何とかなりそうだ!今結界まで運んでやるから!」

「フフフ……貴方サマの体では、私は重すぎるデショウ?このまま捨て置いて頂いて、構いまセンよ…」


辺りにはまだ、絶命した後すらも操られている哀れな同族達が、朧な足取りで結界を取り囲もうとしている。

このままではロドルフォの身が再び危険に晒されるし、何より既に彼等の役に立てた事が誇りだと感じていたボンドは、このまま死んでしまっても構わないという気持ちでそう伝えると、意識を手放しかけた。

だが、そんな暴挙を許すロドルフォではない。

何が何でも友人を助け出すつもりでいるし、この大怪我も絶対に治してやりたいと強い意志を持っていた。

だから、新たに手にしたその大剣で、新たな可能性を掴もうと決意する。


「安心しろボンド。お前一人ぐらい軽々と運んでやるさ」


根拠がある訳でもないのにニイッと笑うと、ロドルフォは大剣に向けてイメージを流していった。

それは、ニナーナがいつも攻撃魔法を応用して発動していた、風魔法による移動手段。

あまりに緻密な理論と計算術式が必要な為に、ニナーナ以外の者には出来ないと考えられていた魔法の可能性。

だが今なら、この世界の魔力よりも濃密で高性能な大剣の魔力を利用すれば、何となく出来そうな気がするとロドルフォは直感していた。

そして彼のそういう勘は、昔からあまり外れた事がなかった。

大剣が宿している魔力が、徐々に風の形を模していく。

それをそ…っとボンドの真下に流し入れ、優しく抱き上げるイメージで掬い上げようとすれば、僅かながらにボンドが宙から浮いてロドルフォの意のままに移動を開始する。

今迄ロドルフォは攻撃魔法しか使えなかったのだが、此処に来てとても画期的な補助魔法の可能性を編み出した。

その光景に触発されたのはカミュロンだ。


「補助魔法の知識も無いのにあんな事が出来るなんて……やっぱりロドルフォは規格外だよ」


彼には負けるなぁ、と苦笑を漏らしながら、無防備な状態になってしまっている二人に襲いかかろうとしている虫を捉えて、自分も試みてみようと決断する。

イメージするのは、攻撃魔法の応用型。

槍を構えて結界の中からロドルフォ達に向かって水魔法を放てば、結界を壊さずにすり抜けて飛び交う虫達を攻撃しつつ、目的地付近で大きく広がり二人を中へ閉じ込めてしまう。

これはさながら、鳥籠を模した移動式の要塞だった。

強力な水圧を伴う水の脈動を網状に張ってロドルフォとボンドの周囲を覆う事で、外からは蟻一匹すら侵入出来ない高レベルな防御力となっている。


「うっ…!形は出来たが、動かすのが意外と難しいぞ?!」

「ナイスカミュロンー!そのままそっちに戻るまでふんばってくれー!ファイトー!いっぱーつ!」

「変な声援を送るな!集中したいんだ!」


慣れない作業でもたつきながらも懸命に仲間の為だと踏ん張っていく。

だがその時、既に息がないにも関わらず損傷の少ない魔蟲の数体に変化が起きた。

明らかに他のゾンビ達よりも動きが潤滑になり、まるで生きているかの様に魔法まで撃ち出して来る個体が現れ出したのだ。

思い当たる節があって急いで周りを見渡せば、空中でいっそうキラキラと輝く光の玉を直ぐに発見する。

カミュロンに叩かれてつい先程まで目を回し、呑気に伸びていたラララだ。

意識が戻り、現状を把握して今更ながらにアリステアに貢献しようと健気な振る舞いをしているが、妖精の行使している権能については全くと言って良いほど可愛くない。

何せラララが権能を行使すれば、死体が生前と同じ様に立ち上がって、俊敏に、意思があるかの様に立ち回るのだ。

同時に操れる数はざっと二十~三十程といったところだろうか。

今でも結界と、ロドルフォ達がいる水の鳥籠を破壊せんと複数体の魔蟲を操作しているのを視認したリカルドは、結界の中からライフルを構えて縦横無尽に飛び交っているラララを狙う。


「動かれるとやりにくいが……邪魔をしないでもらいたい!」


そう言いながら、絶対当ててやるという強い意志を持ってトリガーを引いた。

銃声と共に魔力の塊が銃口から飛び出す。

するとそれに気づいていたラララがあっさりと避ける……のだが、銃弾にあるまじき軌道の変え方をして二度、三度と屈折しながら再びラララを襲わんと牙を剥いた。

それも避ければまた軌道を変え、流石に慌てた風に鈴の音を立てて逃げ惑おうものなら猛スピードでその後を追いかけて行き、最終的には命中する直前にラララが神力を捻出する事で空中で爆発してしまうのだが、その余波をまともに食らって妖精は怪我を負い死骸の山へと落ちて行った。

絶対に当たってやるという強い思いが、結果として、リカルドの予期せぬ形ではあったものの追尾型の特殊な魔法として撃ち出されていたのだ。

その光景にリカルド自身もかなり驚いたのだが、先程ロドルフォとカミュロンも特殊な技を発動させたところを目の当たりにしていたので、自分の手の中にあるライフルを興味津々に見つめて魔法の固定概念を改めていく。


「魔力そのものの武器…。成程。弾すらも魔力だから、物理的法則を無視する事も可能なのか」


ならば、と今度は銃口を空へと向けて一発放つ。

数瞬のうちに魔弾が結界を抜けた数十メートル上空に到達すると、そのたった一発の魔弾が弾け、其処を起点として、無数のビームに似た小弾が発現した。

それはまるで光のシャワーの様に結界の周りに居るゾンビ達に降り注ぐ。

普段なら表皮や外殻に防がれる事も多い銃火器系の攻撃だというのに、命中した全てのゾンビに貫通し、体内に寄生している虫すらも正確に撃ち抜く神技となった。

当たれば良し、ぐらいには思っていたのだが、今まで火力重視ならサブマシンガン、早撃ちが必要なら拳銃と、用途に合わせて銃を使い分けるしかなかったスナイパーにとって、これは嬉しい誤算となる。

彼等のその新たなイメージは、異世界の知識と力を目の当たりにしたからこその発想であり、更なる進化でもあった。


人間の特権は、知識と文明。

それらを発展させてこそ未来は成長していくと考えているキキュルーにとって、三人のそれぞれの行動は、絶望の底に居た彼女の想いをも奮い立たせてくれた。


「発想の転換……今まで出来なかった、次の可能性……」


ヒュードラードと毎日の様に語り明かしたあの日々を思い出す。

この世界とは違う世界、違う概念を持つ魔法。

火や水を操り、物を浮かせ、人の認識すらも逸らせる、この世界では有り得ない魔法の多様性を示唆されて、まるで幾千万もの宝石をめいいっぱい詰め込んだ宝箱を目の前に差し出された様な、満たされた気持ちになった。

軟禁生活と言えば聞こえは悪いが、キキュルーにとってあの数日間は、本当に貴重で大切で、とても充実していたのだ。


「ヒュー……」


顔色も戻ってきている彼を見つめて、確認の為に傷の塞がった左胸に耳を当ててみる。

トクンッ…トクンッ……と、規則正しいリズムを刻んでいる、その心臓。

一度はもう駄目だと絶望したのに、再び鼓動を開始しているこの奇跡も、未来への新たな可能性と言って良いだろう。

そしていよいよキキュルーも、意を決して立ち上がる。

持たされたラクリマを両手で支え、其処にイメージを注ぎ、力が発動した感覚を捉えて結界の外に撃ち出した。


ラクリマから飛び出ていったのは、ヒュードラードに見せてもらった火の鳥と水の鳥。

それらが何度も交差し、正面から衝突すると蒸発する事なく一体化し、互いの性質を持つ巨大な人型を模した魔法を顕現させる。

それはさながら、火と水の魔人とも呼べる姿であった。


「もうこれ以上!私の大切なものを傷つけさせないんだから!」


強く念じた瞬間、その魔人が一気に二十メートルものに膨張して、結界外で手間取っているロドルフォとボンドを、その大きい掌で地面ごと纏めて掬い上げてしまった。

流石の規格外に全員の悲鳴が上がり、驚愕したカミュロンが思わず魔法を解除すれば、そのまま魔人は掌にあるモノをポイッ!と結界の中に放り投げてしまう。


「キキュルーてめえ助ける気あんのかーッ!!」

「ごっごめーん!加減がわからないのー!!」


本気で顔を青くさせているところを見ると、故意では無さそうだった。

他の者よりも知識が膨大であるが故にイメージも大きすぎて、抽出量を見誤ってしまっただけである。

其処を咄嗟の機転を利かせて、ソフィアが結界に穴を空けてロドルフォ達だけを中に通し、カミュロンとリカルドが二人がかりでロドルフォを受け止めることで事なきを得る。

ボンドはまだロドルフォの魔法が発動していたおかげで柔らかく地面に着地できたので、直ぐさまソフィアが駆け寄り治療に専念していったのだった。




そんな彼等の様子を上空で気にかけていたニナーナは、一旦意識をアリステアに戻して瞬速の剣技を薙ぎ払う。

既に空中でも幾度も刃を交わし、互いに一瞬の隙を狙いながらも決定打の欠ける魔術と神術を撃ち合い、黒と白の閃光となって何度も弾き合いながら縦横無尽にバルデュユースの空を飛び回っている。

王宮や大聖堂にまで響き渡る程の、絶え間ない爆音と、剣同士のぶつかる金属音。

更には二人の凄絶な攻防に加え、ゼトが雷系統魔術を放ってニナーナの援護を行ない、眷属の虫達がアリステアの意志に従い集団となって、まるで黒い大蛇の如く応戦して行く。

それを地上から見上げてしまった王都中の者達は、人間、魔蟲問わずにあまりに受け入れ難い光景だと、皆騒然として釘付けになっていった。


「アレは何だ!」

「まさか……精鋭騎士団のアリステア団長?」

「何で空なんか飛んでんだ?あ、新しいマジックアイテムでも使ってんのか?!」

「何なのあの虫の数!?イヤーッ!!」

「なあ…アレって……ドラゴン、だよなあ…?」

「背中に誰か乗ってるぞ!アリステアと戦ってる奴!誰なんだアイツは!?」

「ニナ様よ!」


目ざとく捉えた女性の一人がそう叫んだ。

多少身なりが変わってもファンの勘は鋭い。

その声が上がった瞬間、近場に居た他の女性達も口々に「ニナ様!」「本当よニナ様だわ!」と波紋の様に賛同をし始め、先程まで生きた心地もせずに逃げ回り隠れ通していたのが嘘の様に瞳を輝かせ始めた。

そして相手がアリステアである事などお構い無しに、混沌としたこの状況もそっちのけで、一斉に手を組み願掛けをしながら事情も知らずに黄色い声援を送ったのだ。


「「「ニナ様あー!!頑張ってー!!」」」


「貴方様、一体この世界で何をやられていたんですか?新たな宗教でも創設されるおつもりで?」

「ハッハッハ!八方美人を極めすぎたな!」


声を拾ったゼトの冷静なツッコミに、反省の色なく笑い飛ばした。

その余裕綽々な態度がアリステアにとっては癪に触り、眷属をニナーナ達に突撃させ、継続的な総攻撃をしかけていく。


何とか奴の鼻っ柱をへし折りたい。


変な意地まで思考の奥から浮上してきている事には気付かずに、黒のカーテンに包まれるが如くニナーナ達の姿が完全に見えなくなっている間にと、右耳のピアスに手を当てて仲間との通信を試みた。


「グスタグノフ。まだ奴等の傍に居るか?もし居るのなら───」


そう言って相手の返答を聞く事もなく、さっさと通信を切ってしまった。

すると、次の瞬間にはニナーナが魔術で虫のカーテンを大きく切り裂き、再びアリステアの前に姿を現した。

両者、正面から互いを睨み合う。


片や、王国一の騎士とも言われ、多くの国民の憧れとして尊敬されてきた精鋭騎士団団長。

片や、世界を救ったエスポアの一人で、国宝とも称され絶大な人気を誇る英雄国宝。


そんなデューベでの肩書きなど今の二人にとってはどうでも良い。

計画が悉く崩壊して、たった一人の悪魔にすら手こずっている自身の体たらくに吐き気を催しているアリステアとは対照的に、ニナーナは笑みを絶やさぬままにふてぶてしく、ゼトの上で胡座をかいてみる。

その行動一つをとってもアリステアには不快でしかなかった。


「なあ?此処らでちょっとばかり交渉をしないか?」

「……何?」


脈絡のない提案にアリステアは訝しむ。


「正直に言おう。俺はこの世界がどうなろうがさして興味は無い。ただ元の世界に戻りたいだけなんだ。本当だぞ?」

「…………」

「だが俺には残念ながら、異世界を転移する力なんてものは持ち合わせていない。だからクゥフィアを利用して、デュアル・ファン・エディネスへ帰還するつもりでいるんだ」


眼光鋭くしていくも間を遮らずに清聴する素振りが見られ、ニナーナは尚、人当たりの良い笑みを深めていった。


「そこで提案なんだが、俺達を見逃した上で、デュアル・ファン・エディネスの【座標】をリークしてもらいたい。お前ならあそこの座標ぐらい知っているだろう?それさえ分かれば帰るのは容易い筈だ」

「……貴殿達を生かす気は毛頭無いのだが?」

「まあそう急くなよ。代わりに、お前の権能覚醒とやらを手伝ってやる」


不可思議な提案に一瞬眉根が動く。

ニナーナは、自分の下で何か言いたげにしているゼトを完全無視して話を続けた。


「さっきの戦闘で思ったんだが、お前、内心は虫なんて嫌いだろう?本気でコイツ等をこき使いたいのならダニぐらい小さな虫だって扱えるだろうし、生きている奴への寄生は勿論、感染症だって幾らでも蔓延させられる。虫は万能なんだ。だのにそれをせずに、単調に監視や特攻ばかり。完全に宝の持ち腐れじゃないか」


痛い所を突かれて苦虫を噛み潰した思いを味わう。

ニナーナの指摘は完全に図星だった。

アリステアが神の涙(ヘブンスフィア)を偶然にも入手し、蟲使い(インセクター)という権能を引き出した所まではまあ良かったのだが、そもそも貴族出身であるアリステアには虫なんて疎遠な生き物だった上に、子供の頃は蟻の行列ですら見つければ悲鳴を上げて逃げ出してしまっていたぐらいには、虫が大大大の苦手であったのだ。

そんな彼に数多の虫を統率し操作する力が備わったのは、幸運中の不幸というものである。

一匹ずつならまだしも、集団で操るとなるとまともに直視する事すら憚られていて、そんな時はアリステア自身の視野に入らない所でコントロールするか、今の様に周りを飛び交っている場合は薄目になって、ぼやけている視野のまま追っている程であり、そうする事によって何とか生理的嫌悪を抑えていたりする。

正に本末転倒の能力なのだ。


「魔蟲を操る、という発想は中々良かったんだがな。アイツらは人類だが虫要素も多い。今回のこの魔蟲大進軍は、アリステア、お前が考えついて全部お前の采配で動かしていたんだろう?」

「……そうだ。先程も言ったが、全て私が綿密に、それこそ十年前の魔王蟲の代替わりから計画を進めていた。現魔王蟲がまだタダの魔蟲であった頃から我が傀儡として唆し、戦争後も貴様等が斬り落としたその首を有効活用するという、長期的な時間を見込んだ実験計画だ。途中迄は万事上手く事が進んでいたし、手応えも感じていた。……なのに、貴様等エスポアがその魔王蟲の首を破壊してしまったのだ!おまけに神の涙(ヘブンスフィア)まで…っ!この落とし前、一体どう付けてくれるつもりだ!」

「かなりご立腹だな。首が無いと本当にもう魔蟲達を洗脳出来ないのか?」

「ああ、そうだ!非常に残念で仕方が無いよ!もう少しで完全に自我を消失させて、全魔蟲族を我が手足となるべく仕立て上げられそうだったものを!」

「……この事は、この国の国王は知らないんだな?」

「知る訳がないだろう!国王などたかが人間の代表者の肩書きでしかないんだ!計画外であんな連中にへりくだる必要などあるまい!私は王より更に上へ、神の領域へと辿り着いてみせる!私は神となる存在だ!」


本性を晒し、更に強い聖のオーラを発散させる。

感情のままに叫んだアリステアは、その神気を全力でニナーナにへとぶつけるつもりでいた。


「私はアリステア・ディーノ!我が体内に宿る、我が主から与えられしこの権能を駆使して、必ず神の頂へと昇りつめてみせる!その為には貴様等がとかく邪魔なのだ!命乞いなど一切応じない!とっとと消え失せろ!悪魔共!!」


激昂の様子を見せながら、二本の煌々たる剣をニナーナとゼトに向けて、力を練り上げ特大神術をもって二人を斬り刻もうとした。

だが、その術が完成する間際で、下から何か巨大で黒い物体が飛び上がってくる。

それはアリステアの目前まで飛んで来ると、その独自の言語で……だが、自動翻訳が適用されているアリステアにとっては普通の人語で、こう言い放った。


『消えるのはお前だ。アリステア・ディーノ』


その正体は、全長二メートル半程の魔蟲だった。

大進軍の中に居た何の面識もない一匹だが、唐突な事に目を剥いているアリステア目掛けて、身を大きく捩って頭上に振り上げた拳をお見舞いしてみせる。

単純ながら渾身の物理攻撃。

不意を付かれたアリステアはもろにその一撃を食らい、真っ逆さまに地面に叩きつけられたのだった。

何が起こったのか分からず唖然としていれば、無数の気配が周りを囲んできている事を察知して直ぐに身を起こし、辺りを見てみる。


其処に居たのは、戦闘を中断していた王国騎士団や一般市民、観光客……そして、無意識下に戦争に駆り出されていた数多の魔蟲。

アリステアが墜落した場所に偶然居合わせた、王都中の人々であった。

全員がこぞって地に膝を着く王国騎士・精鋭騎士団団長を見ており、疑念、憤怒、混乱、そして失望といった感情を注いでくる。

そして先程アリステアを殴り落とした魔蟲も目の前に降り立つと、静かながらも激怒して詰め寄ってきた。


『先程の話、全て聞かせてもらったぞ。……よくも、我々をこき使ってくれたな!?』


その一言である程度の事を悟った。

空中でのあの会話。

普通に考えると地上までは声も届かないというのに、此処に居る連中は何らかの方法で、あのアリステアの自白を全て聞いていたのだ。

勢い良く空を見上げれば、未だゼトが先程と変わらない場所で羽を動かし続け、ニナーナが胡座をかいて、深く笑みを携えて此方を見下ろしている姿を捉える。

その嘲笑には、策謀の色が含まれていた。


「~~っ!ニナーナああ!!貴様、一体何をした!!」

「特にこれと言った事はしてねえぞ?バルデュユース中に居る魔蟲族や人間全員に、さっきの会話を生放送していただけだ」


"通信伝達魔術コネクション"。

一つの世界を丸々統率していたニナーナは、己の魔力が届く領域内であれば不特定多数に向けて、半強制的に自分と、自分の周辺人物との発言や会話を特殊な魔力電磁波によって聞かせる事が出来る。

分かりやすく例えるなら、脳内に直接届くラジオの様なものだ。

この魔術を発動させる為にニナーナはあえて王都中の空を飛び回り、手っ取り早く自分の魔力を降り注いで、屋内外関係なく、今このバルデュユースという戦場にいる全ての者達に声が届くよう浸透させていた。

そうやってあらかじめ下準備をしておき、アリステアの無意識下の自白が始まった瞬間に中継を始めて、今生きている者全員が漏れなく証人となる様に仕向けていったのだ。


そしてもう一つ、"意思統一魔術コンサート"。

これも、荒くれ者揃いの多種多様な悪魔を何億何万年も従えてきた、ニナーナならではの魔術だ。

傍聴している者がニナーナが指定した事柄に僅かにでも賛同すれば、それが全てにおける決定事項として統一され、まるで自分の意思で同調したかの様に錯覚させる。

その場が会議場であれば万丈一致で議決されるし、その場が演説会場であれば参加者全員を唯一つの目的の為に扇動する事も出来る、かなりの優れ物であるのだ。

そして今回の指定は、「アリステアは悪」。

この一点のみでありながら効果は絶大で、全ての罪をアリステア一人に擦り付け、この王都に要る六百万人以上もの人間と魔蟲を、彼に向かってけしかける事が可能となった。

因みにこの術、一度賛同してしまうと、反対意見等の不満は一切噴出しないのが末恐ろしいところである。


屈辱的に歪むアリステアの表情が堪らなく愉快で、ニナーナは目を細め、更にアリステアを言葉でなじる。


「やっぱり交渉は無しだ。ところでアリステア君。神ってのは、そう簡単に地に叩き落とされる様な軽い存在だったっけかな?」


その煽り文句は、アリステアの矜持を完全に踏みにじった。

空を仰ぎ見たまま急に微動だにしなくなったところを、周りを囲んでいた者達が「裏切り者!」「この外道が!」等と罵倒を浴びせ、魔法を使える者は種族関係無く、明らかな敵意を持って攻撃魔法を発射する。

幾ら相手が長年王国の為に献身してきた実績のある騎士団長であろうとも、ニナーナの術中に嵌ってしまえば、アリステアに好意を持っていた者ですらも暴徒の一員と化してしまう。

こうなると後暫くは手持ち無沙汰になる……とニナーナは思っていたのだが、残念ながら、そう簡単には事は運ばなかった。



その耳が地鳴りの音を捉える。

それは徐々に大きくなり、上空からでもわかる程に大地が震え始め、地上のあちこちからまた悲鳴が上がり、再び恐怖と混乱が蔓延する。


「陛下、奴を煽りすぎで御座います!更に面倒な事になってきましたよ!」

「……伊達に神だのと豪語している訳じゃあなかったって事か。ヒューが辛酸を舐め続けていた理由が漸くわかってきた」


これは確かに面倒だ。

そう呟いた時には既に遅く、王宮近くの区画の地面が、火山の噴火の如くせり上がった。

その中心から直径数百メートルにも及ぶドームの様な巨大な球体が現れて、程なくしてその球体が盛大に割れると、中から巨大な昆虫が多数噴出して王都中に飛び出して行った。

数こそは百匹前後、とそれ程多くは無いものの、虫の大きさは建物すらも抜く巨大さで、家や建造物を地面ごとひっくり返しながら、悲鳴を上げて逃げ惑う者達を一斉に襲撃する。

蜂に百足、蛾に蟷螂……その虫の種類も多岐に及んでいた。

そしてニナーナが何より厄介と思ったのは、その虫達全員から、アリステアと同じ神力を感じたのである。

恐らく僅かながらにも飼い主から力を付与されているのだろう。

それは一種の鎧の役割を担っていて、物理攻撃のダメージ軽減と魔法等の特殊攻撃をレジストする効力でもあるのか、虫達が出現した現場の一番近くに居た精鋭騎士達が瞬時に対応しようと動いているのだが、一切の攻撃がまるで通じておらず為す術もなく薙ぎ払われている有り様であった。

そして巨虫達は、人の気配が一段と多い避難場所を的確に狙って散らばっている。


「ゼト。クゥフィア達の元に戻れ。このままじゃアイツらも危険だ」

「ですが、陛下はどうされるおつもりですか?」

「んなの決まってるだろ」


ニナーナは再び立ち上がると、躊躇無くゼトの上から飛び降りて地に降り立つ。

周辺に居た人々がニナーナに声援を送ろうとするのだが、それより前に巨虫が数匹屋根の上から現れて、一瞬で阿鼻叫喚の様相となる。

非力な者達は耳を劈く程の悲鳴を上げて、なりふり構わずその場から四方に散らばっていった。

戦える者達も巨虫達に気を取られた瞬間、宙を舞う二本の剣に無差別に斬り捨てられあっさりと事切れてしまう。

その光景を無感情のまま眺めていると、ずっと魔法を撃たれていたにも関わらず蹲ったままであったアリステアが、ゆっくりと立ち上がって、ぐりん!と首を大きくニナーナの方へと傾けた。


「殺す」


次の瞬間、巨虫が一斉にニナーナへと襲いかかって来た。


「"ヴァルハン"」


剣を素早く二回振ると、魔力で発生した雷がニナーナを保護して、外側へ向けて激しい雷撃を飛ばした。

鉄をも砕く高威力の稲妻だったが、ダメージが浅いのか、少しばかり痙攣しながらも攻撃の手を止めない。

そんな虫達に感心すると、ニナーナは己の剣で無数の剣撃を虫達に浴びせていく。

出来うる限りの急所を狙うも、そちらも効力が薄く、纏っているオーラに邪魔されて殆ど弾かれてしまった。


「どうした?先程迄の威勢は何処へやったのだ?」


そう言ってゆっくりと歩きながら二本の剣をニナーナに飛ばしてくるアリステア。

巨虫だけでなくその刃の猛攻も同時に相手する状態となり、一気に旗色が悪くなってきた。

別にアリステアを舐めていた訳ではない。

だが相手の手の内を知らぬままだと後々危険となる為、今出来うる限りその実力を知っておきたいと思って此処迄追い込んではみたのだが、思った以上にアリステアの性格が厄介そうでニナーナは少し、「失敗したか?」と顎に手を添えて唸った。


コイツ、キレると見境が無くなるタイプだ。


恐らく先の見通し等一切無く、切り札として用意していたであろう地中の……噂で聞いた事のある王族管理の地下遺跡に潜ませていたのだろう異世界の巨虫達を引っ張り出して、ニナーナ一人を仕留める為にこのデューベに解き放ったのだ。

神の涙(ヘブンスフィア)が目覚めてヒュードラードの手に渡ってしまった以上、もう生贄の魂を集める必要が無いにも関わらずこの様な強硬手段に出たのだから、損得関係なしに感情的に動いている可能性が高い。

温和な優等生によくあるタイプだとも言えよう。

さあどうしたものか。

彼を此処で仕留めるべきか、それとも泳がすべきかを考えあぐねながら、ニナーナは力ずくで巨大な蟷螂の首を切り落とすと一旦広い場所へへと思って建物の屋根に飛び上がる。

その瞬間、目に見えない何かがニナーナに向かって飛んできた。


───ガキィンッ!!


咄嗟に勘で剣を降れば刃を叩き落とす音と手応えがした。

何が飛んできたのかは全く視認出来ないが、恐らく短剣の類であったのだろうと察したと同時に、グスタグノフの声を拾う。


「なあんで防げちゃうワケ?やっぱお前って規格外すぎ」


風船の割れる音、そしてニナーナの目の前に現れるグスタグノフ。

彼が潜んでいる事自体は常に考慮していたのでさして驚きはしないのだが、ダガーを投げたのだろう手とは反対の方に持っているものを見て、ニナーナは僅かながらに息を飲んでしまった。


「二度目が通用するかはわかんないけどさー。アリステアがコイツを捕まえて来いって言うから、神の子をほっぽって連れて来てみたんだけどさー。……意外と効果アリっぽい?」


王女の時とは違う反応に口角を上げながら、グスタグノフは手に持っていたもの……者の顔が見える様に、強引に立たせて、その首に新たに取り出したダガーを当てがった。


「済まない、ニナ…!」


それは、両腕を無惨に切り刻まれて動かす事すら出来なくなってしまっている、リカルドだった。

つい先程迄ソフィアの治癒魔法を受けて傷一つ無くなっていたというのに、少し目を離した隙に何とも痛々しい姿となってしまっている事に、ニナーナは一瞬で腸が煮えくり返る思いを味わう。


「……グスタグノフ、だったか?ソイツを離せ」

「嫌だね。オレっちも出来るならさ、可愛い女の子を人質にしたいワケよ。何を好き好んでこんなオッサンとくっつかなきゃならんワケ?」

「その好き者が目の前に居るのだから文句を言うな」


唐突に別の声が聞こえてきて、建物の下から巨大な蝶が羽ばたきながら浮上してきた。

その上に乗ってグスタグノフを窘めるアリステア。

前後を二人に阻まれる形となったニナーナは両者を睨みつつも、切創による激痛で苦悶しているリカルドが気がかりで一歩も動けずにいる。

明らかに今迄とは違う焦燥の色が垣間見えた。


「貴様、さっきこう言っていたな?リカルド殿の為なら死ねる、と」

「…………そうだったか?」

「間違い無くこの耳で聞いた。だからその男の為に、此処で自ら命を絶て。今すぐにだ」

「ッ、やめろ!俺の事なんて切り捨てれば良い!お前なら出来る筈だろう!?」


とんでもない脅迫に慌ててリカルドが叫ぶも、「黙れよ」と更に喉元へとダガーを食い込ませられ、それ以上の発言が出来なくなる。

薄皮が切れてしまったのか鮮血が滴り始めるのを見たニナーナは、瞬間的に総毛立つ様な怒りと、リカルドの強烈な血の匂いに理性が激しく掻き乱されそうになった。

今すぐ破壊衝動に任せてグスタグノフを殺したい。

だが下手に動くとリカルドが更に傷付いてしまう可能性がある。

ニナーナは冷静さを手放しかけるのを歯を食いしばって必死に堪え、代わりに目を瞑って一つ、大きな深呼吸をする。

そして、手に持っていた剣の柄と刃部分を握ると、簡単にその切っ先を自らの胴体へと向けた。

その予想外の行動に驚愕したのは、グスタグノフだ。


「マジで?王女の時は全然動じなかったクセに、こんなオッサンの為にマジで死ねんの?悪趣味だなお前!」

「何とでも言え。他の物なら全部捨てられるが、ソイツだけは別だ。この刃が俺を刺したら、ちゃんとリカを解放しろよ?」

「やめろ…っやめてくれ!ニナ!」


絞り出される懇願に軽く笑みを浮かべると、ニナーナは躊躇い無く、力の限りその剣で、自身の体を貫いてみせたのだった。






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