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フィア─帰りたい者達の異世界旅─  作者: ミリオン
始まりの世界(デューベ)編
14/18

14

物心が着き始めた頃には、既に太くて逞しい腕の中に居たのをクゥフィアは覚えている。


「まさかこの俺がよお。一から赤ん坊を育てなきゃならん羽目になるとは……」

「中々大変でしょう?人間の赤ん坊って」

「お前が居なきゃ途方に暮れてたよ。どんなに知識や体力があっても予測不可能で、子育てがこんなに大変だとは思ってもみなかった。俺にはやっぱ向いてねえわ」

「その言葉はおよしなさい。親になる事に向きも不向きもありませんもの」

「…………親、なあ」


この時のヒュードラードはまだ両腕両足が生身だった。

珍しく気が済むまで思い切って遊ぶ事が出来て、体力の限界まで二人を振り回しながら遊び呆けたクゥフィアは、何処かへ帰る途中でもう歩く事も出来ないぐらいの眠気が押し寄せてきて、温もりを感じる大きな腕の中でうとうととしていた。

そんなさなかに聞こえてきた言葉。

この時はまだ言葉の意味が難しくて全く理解出来ていなかったが、ヒュードラードのその一言が、何故か未だに鮮明な記憶として残っている。


「他人のガキだが……こんな俺でも、父親代わりにはなってやれんのかねえ?」





機械牢獄の中で縛り上げられながらも、外で起こっている一部始終をクゥフィア達はちゃんと見ていた。

見てはいたが……見ていられなかった。

最初にゼトが千切り殺された。

旅に出た時からずっとクゥフィアに付き従っていた、頼れる兄の様な存在。

それだけでもう悲痛すぎて涙が溢れ出し、我慢も出来ずに思わず泣き叫んだというのに、次にニナが何処かへ連れて行かれたと思えば見るも無惨な姿に変わり果てて空から降ってきて、ピクリとも動かなくなってしまった。


「嫌あ…っ!」


隣に居るソフィアが思わず叫んで目を背けてしまう。

そのタイミングで魔晶石が尽きたのだろうロドルフォが硬度のある魔蟲に大剣を真っ二つに折られて、そのまま嬲られていき、一斉砲撃から辛うじて逃れていたのだろうボンドが急いでロドルフォを庇って盾にならんとしているのだが、多勢に無勢で完全に押し負けていた。

その状況に唇を噛みちぎる程に怒り心頭のカミュロンが、皮膚や血管が切れてもお構い無しに力任せに絡み付いているコードを引きちぎろうとずっと悪足掻きをしているものの、全く効果は無い。

早々に捕まってしまった三人には、外で死を目前にしている仲間達の為に出来る事など、何一つとして残されていないのだ。


どうしよう……どうしよう……どうしよう……!


クゥフィアは泣きながらも纏まらない思考で必死になって考える。

自分には力がある筈だ。

神の生まれ変わりだと皆が言うのだから、それこそ奇跡を起こす事だって出来る筈なのだ。

何が足りない?

子供だから、という言い訳は通用しない。

今すぐ自分の力を解放して、このピンチを何とか抜け出さなければ皆の命はないのだ。

考えろ…考えて考えて……今すぐ皆を助けなければ!


「ヒュードラードさん!!」

「キキ!逃げてえ!!」


カミュロンとソフィアの悲鳴に急いで顔を上げると、踏み倒されたヒュードラードにアリステアが剣を突き刺す光景を、目の当たりにしてしまった。


「!!やだ!やめてえ!やめてよ!やっとまた会えたのに!お願いだからヒューさんを殺さないでー!!」


まだ再会してから一言も言葉を交わせていない。

話したい事は山程あるのだ。

ゼトと二人で峠越えを頑張った事。

偶然通った滝壺の中に凄く綺麗な魚達が泳いでいた事。

魔蟲に追い掛けられて、逃げている時にニナ達に助けられた事。

大人達との旅の途中で鹿や兎を狩って捌いてみた事。

久しぶりに熱を出した事。

ギルドに寄った時に美味しいシュークリームをご馳走になった事。

他にもまだまだいっぱいある。

約一ヶ月、ヒュードラードと離れ離れになっていて、その間に起こった全ての事を話したくてクゥフィアはずっとウズウズしていたのだ。

そうすればきっと彼は、真剣に最後まで自分の話を聞いてくれて、最後には「良く頑張ったな」とか「良かったな」とか言って、不器用に頭を描き撫でてくれる筈なのだ。

クゥフィアはあのゴツゴツした大きな右手が大好きだ。

いつも自分を守ってくれている、あの強くて優しい右手が……。


「やだ……やめてえ……もう僕、逃げないから……お、おとなしく、言うこと、きくからあ…!だから…こ、ころさないでえ……!」


何度も、何度も、執拗なまでに鋭利な刃が、大好きなヒュードラードを突き刺す。

まるで無力なクゥフィアを嘲笑う様に。

泣いて懇願するしか出来ない子供に、世界の理不尽さを教え込ませるかの様に。


「おねがい…!おねがいっ!!やめてえぇ!!」




……そしてそのクゥフィアの懇願は、当然叶えられる事はなかった。


最後の一突きでヒュードラードが完全に動かなくなる。

胸から生える煌びやかな剣の墓標。

力無く地に放り出された、大好きだったあの右手。

赤黒い血の海の上でやけに映える、浅葱色の髪。

そして、完全に生気が無くなり空虚を見つめるだけの、青白い顔………。






それを見た瞬間、クゥフィアの中で何かが決壊する音がした。







「う……うあ……ぁあああ、あ"あ"あ"あ"あ"あ"ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」



押し寄せて来る感情の津波がクゥフィアを襲う。

痛哭し、哀惜よりも強すぎる憤怒に飲み込まれていく。

それと同時にクゥフィアの身体から発生する聖の光が牢獄内を白一色に染め上げて、あまりに強大すぎる力に機械が一斉にショートを起こし始め、まるでそれに呼応する様に……クゥフィアがポケットに入れていた[怠け者]も、光を灯しだした。


その光景を、カミュロンとソフィアは眩しすぎて確認する事が出来なかった。

だが二人が次に気付いたのは、牢獄の蓋が開かれた瞬間にあまりにもの聖の圧力に自分達を拘束していたコードが焼き切れ、そのまま吸い出される様にして外へと押し出されていた事。

目の前に偶然ラララが飛んで来ていたので、それに気付いた瞬間にカミュロンが反射的にラララを叩き落とし、ソフィアがキキュルーを抱き抱えて外に転がり出たのだった。

そしてまた次の瞬間には、カミュロン達の背後で機械牢獄が大爆発を起こし、中に取り残されていたクゥフィアの神聖力によって広場中が眩い光に包まれる。


突然の事態に、異神の軍隊は誰も対処が出来なかった。


その隙を付いて、直ぐに立ち上がったソフィアは急いで祈りの構えを取った後、頭上に向けて両手を掲げた。

瞬間に装飾具から魔力が放出されて、空に広がる、大きな治癒の魔法陣。


「"領域治癒エリアヒール"!!」


叫んだと同時に魔法陣からオーロラが降り注いで、負傷していた仲間達を全員、擦り傷一つない健康的な体へと回復させていった。

疲労困憊だったロドルフォも、血をだいぶ流していたニナも、ソフィアの回復魔法によって重くなっていた瞼を再び開けて、宙に浮いたままの、アリステアとはまた違うオーラを纏っているクゥフィアをすぐに見留める。


『……やっとか。いつ見ても忌々しい光だ』


そうニナが静かに呟いたが、その言葉は誰の耳にも届かなかった。


その全く予期していなかった事態に、アリステアとグスタグノフは眩しさに目がくらみながらも激しく驚愕する。


「な、な、なあ!?」

「これは…!これが、神の子の本来の力か!?」


光に包まれた者達は、命令を受けていた者ですら動く事を忘れて、光の中心にいる人物へと向き直る。

全員の注目を浴びているクゥフィアは涙を蓄え、慷慨した様子のまま静かに瓦礫の大地へと降り立つと、アリステアに両手を向けて力を圧縮させ、虹色に輝く玉を練り上げる。


「よくも……よくも、よくもよくもよくも!ヒューさんを!!ゼトを!!…僕の大切な人たちをっ!!ぜったいに、ゆるさないんだからああアアァ!!」


慟哭した勢いで、空間すら歪むエネルギー弾が発射された。

それはまるで高威力のビームの様に熱を帯びて、咄嗟に剣を引き抜き不思議な力を纏って防ぎ切ろうとしたアリステアを数十メートル吹き飛ばしてしまう。

常人であれば魂すらも消滅させるエネルギー弾だ。

内心焦りを見せながらも片腕で何とか凌いだアリステアは、痺れる腕の感触に流石に危機感を持ったようで、力を放出した後に急いでヒュードラードに走り寄っているクゥフィアから視線を外せない。


「素晴らしい力だな。我々の持つ力の上位互換である神聖力...これでもまだほんの片鱗であろう?いやはや、あのまま牢獄で大人しくしておいてもらえれば此方も苦労せずに済んだものを……」


表面ではまだ余裕だという雰囲気を取り繕ってみるのだが、ある事に気付いて言葉を途中で途切れさせた。

そんな男など意にも介さず、クゥフィアはヒュードラードの傍まで行くと恐る恐る名前を呼ぶ。


「ヒュー……さん……?」


間近で見るとより一層、凄惨な姿となってしまっているのが良くわかる。

壊れて部品が散乱してしまった左の手脚。

身体中から流せるだけ流しきった大量の血液。

瞬きもせず一点のみを見つめ続けている、完全に瞳孔が開ききっているその目……。

流石のソフィアも、怪我は治せども死人となったモノを生き返らせる事など出来もしない。

認めたくなかった現実が目の前に転がっていて、クゥフィアは思わず血の海の中に座り込んでしまった。


「……ねえ、ヒューさん。僕だよ。クゥフィアだよ?起きて…起きてよ……!ねえっ!死んじゃやだ!みんなで帰ろうって約束してたのに!……ほらっニナーナさん見つけたよ!?嫌がっても引き摺って行くって言ってたじゃん!みんなで、四人で……次の世界にっ……!」


枯れる事のない涙が止めどなく溢れ出て、ヒュードラードの青白さを通り越し土気色になった顔の上へと降り注ぐ。

何を言ってももう動く事はない、かけがえの無い人。

もう、その右手で頭を撫でて、その声でクゥフィアを褒めてくれる事はないのだ……。


「いや、だあ…!いやだァ!ヒューさんっ……おとうさん!おとうさあァんっ!!ああッ、いやだあアアァ!!」


感情に任せて嗚咽を零し、ひたすらに叫んだ。

するとそのクゥフィアの感情に応えるかの様に、再びポケットの中の神の涙(ヘブンスフィア)が光りだして反応を示す。

それに目を疑ったのは、アリステアとグスタグノフの二人だった。


「まさか……クッ…!やはり神の涙(ヘブンスフィア)は神の子の手に渡っていたのか!」

「おいおいおい。てゆーかよ、まだ生贄の儀式は完了してねーぞ?まだまだ生贄の数が足りてねーのに何で?何で起きかけてんの?」

「私が知る訳ないだろう!?……!おい、待て!何をする気だ!?」


アリステアは途端に慌てだす。

クゥフィアが泣きながらその神の涙(ヘブンスフィア)を取り出して、横たわる死体に向けて何かをしようとしているのだ。

フィアの特性を良く理解している者なら咄嗟に浮かぶ方法……それが脳裏を過ぎって、直ぐに阻止せねばと焦燥感に駆られた。


「させぬぞ!私が時間をかけて心血を注いだフィアなのだ!勝手に使わせてたまるか!」


そう叫んで魔王蟲の首を前に掲げ、力勝負とばかりに権能を注ごうとした、瞬間。



一発の銃声が聞こえて、魔王蟲の脳天を撃ち抜いた。




「な、…?」


頭部が銃弾の威力で半分吹き飛ぶ。

目の前で飛び散る脳、眼球、様々な臓物を、アリステアは状況が飲み込めずに見つめるだけしか出来ず、手から滑り落ちてベチャッ!と地面に落ちた後も、ただただ凝視するだけだった。

この瞬間……王都の戦局は大きく覆る事になる。




急速に行なわれていく洗脳の解除。

知能を奪われ、自由を奪われ、暴徒と化していた九十万弱の魔蟲達は、次々と自我を取り戻していく。

そして、自分はなぜ此処に居るのか、一体何をしていたのかと、人間を襲っている途中だった者も全員例外無く動きを止めて、瞼の無い種ですらその目をパチクリとする様な仕草を見せた。

交戦していたギルド連合、王国騎士団、他国の護衛兵達なども、何の前触れも無く変わった魔蟲達の雰囲気に戸惑いを隠せない。


ギスターツはギルドの仲間達と合流して魔蟲に応戦していたのだが、自分が斬りかかった一匹が急に焦りながら怖気付いて、一目散に逃げていく様を見て唖然としていた。


盗人ジールはヒュードラードに「邪魔だ」と言われて避難場所に投げ捨てられてからは、他の避難民に混ざってひたすらに己の無事と、ヒュードラードが上手く事を運べる様にと祈っていた。


意識を取り戻していたメイジャス王女は、精鋭騎士と共に再び王宮へ戻ろうとしていた最中で、無情なまでに王都に響き続けている騒音と奇声、悲鳴が、途端に止んだ事に疑問を感じていた。


今このバルデュユースで、この状況を瞬時に読み取って正解を推測できたのは、ギルドマスター・ヴァランだけである。


「まさか命令ってのが解除されたのか?…って事は、アイツらが上手くやってのけたって事で良いんだろうな!?」






認めない。

認めない認めない。

認めない認めない認めない認めない認めない認めない。


「こんな、こんな事……私が、今まで積み上げてきた…努力が……」


未だ、アリステアの権能が覚醒する手応えはない。

あともう少しで何か兆しが見えてきそうだったというのに、肝心の糸口が無惨にも破壊されてしまっては、もう手の打ちようがない。

おまけに広場に集まっていた魔蟲達さえも正気に戻ってしまい、そのタイミングでグスタグノフが"隠蔽(クリプシス)"をかけて乗り物代わりにしていた魔蟲も、洗脳が解けて混乱しながらも慌てて逃げて行く姿が傍目に映った。

みっともなく地面に振り落とされ尻餅を着く男目がけて、生身のニナが瞬時に起き上がると間髪入れずに猛攻をしかけ始める。


「のひょわあ!?おまっ、なんで!?」

「けーせーぎゃくてん。ごしゅーしょーさま」


美麗な顔でしたり顔をされて頭に来るものの、元来暗殺術を得意とするグスタグノフは、それに則った体術も一応は習得しているので応戦姿勢に入る。

だが、何故か剣士である筈のニナの格闘センスが凄まじく、まるで仙人級の武闘家を相手にしている様な感覚に陥って、先程までの威勢など嘘の様に一気に弱気になってしまった。


「ヒイィィ!!さ、さっさととどめを刺しとくんだったー!!」


半泣き状態でそう叫ぶグスタグノフの声は、愕然として身動きが取れず、理性を欠き始めているアリステアには届いていない。

何とか冷静を保とうとしてはいるのだが、魔王蟲の頭部、引いては権能覚醒の引き金と成りうる唯一の道具を失ってしまって、余りにものショックに沸々と怒りが込み上げてきているのだ。

更にはクゥフィアが涙を流しながらもヒュードラードの上に、徐々に灯火を強くしていきつつある神の涙(ヘブンスフィア)を掲げて、無断でソレを使用しようとしている。



全ての神の涙(ヘブンスフィア)共通の特徴───【神々の奇跡】を、今、此処で利用しようとしているのだ。




「お前!世界すら創り直せる力があるんだろ!?だったら人一人ぐらい生き返らせてみろ!僕のために!ヒューさんを!!今すぐ生き返らせるんだあ!!」


「やめろおおおォォ!!」




アリステアは絶叫し、魔晶石すらも蒸発させてしまう程に濃厚な自身のフィアの力を剣に纏わせ、一撃必殺の殲滅奥義を発動させようとする。

……が、またしても何処かから銃弾が飛んで来て、咄嗟に防御を張る事で気を逸らされてしまった。

これが決定打となり、アリステアの技は宙へと霧散して不発に終わり、クゥフィアはその瞬間にフィアを掌から零してしまった。



クゥフィアの手からこぼれ落ちたフィアはヒュードラードの上へと落下すると、力強い光を発してその体内へと溶け込んでいく。




───ドクンッ……!





全員の耳に届く、鼓動。

静かだが力強い、再起の音。

そのまま間もなく、屍となっていたヒュードラードから、先程のフィアと同じ光が静かに放射されだした。



此処までくるともう手遅れである。

そう悟ったアリステアは遂に堪忍袋の緒が切れて、銃弾の出処を特定して魔蟲と人間の死体が積み重なっている山々の一角を、血走った目でギロリ!と睨み付けた。


「貴様の所為だ、英雄スナイパー!よくも……よくも……この私の、長年の野望をっ水泡に帰してくれたなあぁ……!!死んでこの私に!!その大罪を償うが良い!!」


先程繰り出し損ねた技を瞬時に組み上げ直し、睨んだ方向───リカルドが隠れ潜んでいた場所目掛けて、全力でソレを放つ。


「"テスラ・トール"!!」


地表すら消し飛ばす高威力・広範囲の奥義は、一瞬で死体の山ごとリカルドを呑み込んでしまった。

逃げる余地は皆無。

そのまま遙か後方で爆発した瞬間、広場の一画が盛大に吹き飛ばされて、空から雷をも呼び寄せて怒りの鉄槌が続けざまに降り注がれる。

咄嗟の事に反応出来なかったニナは、その光景を見て珍しく、激しい狼狽を見せた。


「隙ありー!!」


今が攻め時とダガーを振りかぶってきたグスタグノフを一瞥もせず、その腹に拳をめり込ませて殴り飛ばせば、そのまま急いで被爆地へと飛ぶ様に走り出す。


「リカ!リカー!!」

「ハア…ハア…無駄だ。唯の人間ごとぎが、この技を食らって、髪一本すら残せる筈が……」


興奮した勢いで乱れた呼吸を整えながらそう言うアリステアだったが、未だ熱とスパークを伴っている土煙の中へと躊躇い無く走っていったニナが人影を抱き起こすのを目撃して、信じられないと口を半開きにした。

他一帯は、頑丈な魔蟲の死骸ですら消滅して跡形も無いというのに、ニナの腕の中に居る男は衣服が多少燃え弾けた程度で、指一本すらも欠けてはいない様である。

流石に理解が及ばず、わなわなと震えた。


「リカ!だいじょーぶか!?」

「…あ、ああ……。死ぬかと思った…。身代わり人形を大事に取っておいて本当に良かった…」



"魔法の身代わり人形"。

魔王蟲討伐の際にキキュルーから全員に各一個ずつ配付されていた、即死攻撃無効のマジックアイテムである。

一度きりの使い切りである上に性能が良すぎるが為に、刻む紋様と術式が複雑すぎてキキュルーにしか作れない代物であり、また、その術式に耐えられるだけの強度を持つ魔晶石が世界に二十個前後程しか採掘されていないので、量産は絶対に不可能だというのは当時のキキュルー本人の言葉である。

魔蟲軍との決戦の前に何とかエスポア全員分の身代わり人形の制作には成功したのだが、ニナとリカルド以外は全員、その決戦の時に人形を使い切ってしまっていた。

そしてニナもまた、数ヶ月前に自爆防止策としてそのアイテムを使用・消失している。

リカルドが所持していたのがこのデューベ最後の一体であり、もし先程の殲滅奥義を向けられたのがリカルドでなかったら、その者は命どころか魂すら塵にされていただろう。

その事を知らないアリステアは、本気で何が起こったのか分かっておらずに完全に怒り狂っていた。


「何奴も此奴も、私をコケにしてくれおってぇ…!一度で死ねぬのなら二度三度と地獄を見せるまでだ!」


そう言って再び同じ奥義を繰り出そうとして剣を構える。

だが。



「キィエエエエエエェェ!!」


突然、魔蟲の奇声がけたたましく響いて、またもや攻撃の手を止めさせられた。

勢い良く振り向けば、クゥフィアの傍に集まったエスポアの若者達と共にボンドが其処に立っており、正気に戻って呆然と立ち尽くしていた魔蟲達に向かってその奇声を発している。

まるで、大声で、これ迄の真実を暴露しているかの様に…。

それを自動翻訳で聞き取った瞬間、アリステアは、そして腹を押さえて蹲っていたグスタグノフは、顔や手足から熱が引いていくのを体感して、一斉に此方へと視線を向けてくる数多の魔蟲達の次の行動を悟るのだった。



無断で意識を乗っ取られた。

皆の意思を蔑ろにして人間との戦争をさせられた。

それだけに留まらず、もはや数万にも及ぶ同族達が、今日、此処で、この者達の所為によりその命を散らせていった。


その罪は、例え王でも神でも許す訳にはいかない。



「あわわわ……お、オレっち知らないもんねー!アリステアのミスだから自分で何とかしてくれよな!頼むから何とかして!ね!?それじゃっ!」


危機を察したグスタグノフは迷い無く掌をパンッ!と叩くと、瞬時に姿を消してしまった。

薄情すぎる男の態度に、アリステアの額にある血管が怒りの余りに鮮血を吹き出す。

おまけに改めて自分が窮地に追い込まれている原因のリカルドを見れば、ニナがさっさと彼を抱き上げて、肩に担がれながら仲間達の居る場所へと避難を開始している。

それと入れ違いで、威圧するかの様にゆっくりと距離を縮めてくる、未だ広場で生き残っていた数百数千もの魔蟲達。

とことん気に入らない事ばかりで、窮地に追い込まれ怒りで我を忘れても仕方がない状況ではあるのだが……逆にプツッ...と何かが切れた様な、吹っ切れる手応えを覚えた。


急に高笑いを始めるアリステア。

場に相応しくないその奇妙な男の態度に、全員がまた悪い予感を覚える。


「此処迄来て、これ程迄に私の計画が悉く破綻する等とは思ってもみなかった。いやはや貴殿達を甘くみすぎていた様だ。今更だが謝罪しておこう。……その上で、貴殿達をもう誰一人として生かす気も無くなってしまった。これ以上私に歯向かうのなら何びとたりとも切り捨てるつもりなのだが、どうだ?誰か私の手を取って生き残りたいと思う者はいまいか?」


この状況下だからこそ今一度冷静さを取り戻した様で、今迄通りの高貴な騎士の風格を醸しながら丁寧に手を差し伸べてみる。

しかし、当然ながらその手を取る者は居ない。

一箇所に集まって防御結界を張りながら、全員が例外無くアリステアを睨み付けていた。


「ここまでやっておいて、誰がそっち側に付くかよ」


片翼が欠け、身体中を乱暴に食いちぎられたゼトを運んで来ていたロドルフォが、その身体をヒュードラードの傍に寝かせてから威嚇する様に唸る。


「貴方は……いや、お前などもはや騎士ではない。これ以上の蛮行は絶対に許さないぞ」


唯一武器が残っているカミュロンは、槍を構えて己の元上司にその矛先を向けた。


「中々辛辣な事を言うではないかダイナル隊長。私と君は同じ釜の飯を食ってきた仲だろう?せめて結婚式を台無しにしてしまった償いとして、君とソフィア嬢だけでもと思っていたというのに」

「黙れ!今更上司面しないでもらいたい!僕達や民達、王国騎士団、そして国王陛下まで!全てを裏切ったこの大悪党が!」

「貴方はとても素晴らしい団長閣下で、陛下に忠誠を誓われていたのではなかったのですか?一体何が貴方をそんな風にしてしまったのですか!?」


来たる大混戦に向けて結界を張り終わったソフィアも、とても辛そうにアリステアを見つめた。

たった数日前に、ソフィアとカミュロンを叱咤激励してくれた王国騎士・精鋭騎士団団長。

騎士の鏡だと誰もが思っていたあの時の男と同じ存在、同じ風格である筈なのに、何故今迄自分が守ってきた筈のものを全て壊そうとしているのか、彼女には理解出来なかった。

そんな苦悩を読み取ってかアリステアは優しげに微笑んでみせるが、それすらも恐怖を感じる材料にしかならない。


「王など所詮唯の人間であり、私が忠誠を誓っているのは神である。その神から使命を賜り、今、私は此処に居る。……つまり、今迄の国への貢献は全てまやかしなのだよ」

「そん、な…」

「アンタみたいな史上最悪の外道、見た事ないわ」


光が収まりはしたものの未だ身動きすらしないヒュードラードの傍に駆け付けていたキキュルーの言葉に、アリステアはまたもや笑ってみせる。


「随分とユニークなジョークだな。私が史上最悪?キキュルー嬢が今惚れ込んでいるそのヒュードラードや、嬢の仲間であるニナ殿の数々の悪行を知れば、その感想もあっさり覆るのだろうに」

「この期に及んで何を……」

「さあ、お喋りは此処迄にしよう。いい加減に全員、死んでくれ給え」


最後にニコリ…と、とても穏やかな笑顔を見せて、アリステアは纏う雰囲気を一変させた。

周囲の空気が張り詰め、結界の中に居ても密度が濃くなったかの様な凄まじい圧力が徐々に加わっていって、呼吸がしづらくなっていく。

肌がひりつく程に強く、目に見える程に濃厚なオーラを螺旋状に形成して、その中心に立つ謀反者は手に持っていた剣を顔の前に掲げ、その手を離す。


「冥土の土産に見せてやろう。神の涙(ヘブンスフィア)に魅入られ、神になれる資格を与えられた選ばれし人間───アリステア・ディーノの、今引き出せる最強の姿を」


そう宣言して、螺旋を己の身に絡み付かせた瞬間、その足元から凄絶なエネルギーが空へと向かって吹き出した。

その風圧だけで吹き飛ばされそうになりながらも何とか踏ん張って耐え、魔蟲達のうち勇敢な数匹が奇声を上げながら魔法を放つものの、呆気なく飲み込まれる。

それを見て更に危機感を募らせたカミュロンが、先陣を切らんと下半身に力を入れて駆け出そうとした。


「待てカミュロン!お前ではアリステアには勝てないぞ!」


…が、咄嗟に叫んだリカルドの言葉に足を止められ、地団駄を踏む形になった。


「ですが、このままだと不味い事になってしまう気がします!この中で今魔法を使えるのは僕とソフィアだけだ!僕が出るしかないでしょう!?」

「私も行きマス!同族達も皆、このままでは腹の虫が収まらないと言っていマス!」

「だが…!」


魔蟲達が味方になってくれるのならこれ以上ない戦力だが、それを考慮してもリカルドには勝てる未来が見えてこない。

それ程迄に今、目の前でたった一人の男が引き起こしているこの超常現象は、完全に人の域を超越したものだったのだ。

本来ならば触れるどころか拝覧するのも烏滸がましい。

そう言われている様な気がして、そんな存在にカミュロンやボンドを突撃させるのは彼等の指揮官を担うリカルドにはどうしても躊躇われてしまう。

だが、ならどうすれば良い?

他に良い案等持ち合わせておらず、言葉を詰まらせてしまう相棒の様子を見て、ニナはその不安を感じ取り軽く肩を叩いた。


「?ニナ…?」


思った通り不安そうな目を向けてくる彼に、素顔のまま安心させる為に微笑むと、キキュルーと共にヒュードラードに覆い被さっていたクゥフィアの方を見やる。

そしてニナは、今一度、試してみようと思った。


『クゥフィア。今ならいけるんじゃないか?俺の封印を解け』


数日前の野宿の時と同じ命令。

あの時はまだ未熟すぎる程の出力だったが、先程の激怒で吹っ切れ、更に神の涙(ヘブンスフィア)すらも叩き起こす程の神聖力を放出出来るようになった今のクゥフィアなら、この封印を解呪するのも恐らく可能である。

そう踏んで切り出したニナに、クゥフィアは少し目を丸くしたものの、直ぐに真剣な顔付きに変わる。


「やってみる。やれないと多分、みんなココで終わりでしょ?」

『確実にな。裏を返せば、俺の封印さえ解ければ幾らでも逆転出来ると約束しよう。それでも足りないなら、この先ずっとお前を裏切らないとも此処で誓う』

「それって、悪魔族が好きな契約?」

『……そうだな。俺達は契約が大好きだ。どうだ?お前に、この魔皇帝の手を取る覚悟はあるか?』


やり口としてはアリステアと同じだが、まだ希望が見える方法だと即決してクゥフィアは立ち上がった。

その顔には、目には、一変の迷いも感じられない。


『へえ、良い顔すんじゃねえか』


それを真正面から見たニナは堪らず口角を上げる。

あっさりと蜘蛛の糸を掴む決意をするその愚直さも、どうやら父親譲りだった様だ。


「ボンド!2分だけ時間を稼いで!他の虫人さん達にもそうお願いしてほしいの!君にしか頼めないんだ!お願い!」

「!わ、分かりまシタ!」


突然の事にも関わらず状況を読んだボンドは、再び魔蟲族の言語で広場一帯に響き渡る大声を出すと、それを聞いた魔蟲達は怯んでいた己の体を叱咤して同じ様に雄叫びを上げ、一斉にエネルギーが収束しつつある一箇所へと攻撃を仕掛けていった。

その間にクゥフィアとニナは皆から少し離れた所に直ぐさま移動して、見つめ合う様に立ち、クゥフィアが静かに両手をかざして念じ始める。

足下からそよ風が吹き出し、前よりも強くて神々しい光を徐々に広げて、皆が固唾を呑んで見守る中、ニナの体に絡み付いている封印紋へと纏わせていく。

その神秘的な子供の姿を真正面から見つめていたニナは、不意に、クゥフィアがとある女性の姿と重なって見えた。


まさか、コイツの母親は……。


言いかけるが、子供の集中力を欠く恐れがあるので直ぐに思い止まって口を噤む。

その間にも魔蟲達の猛攻は続いているが、魔法は全てエネルギーの膜に呑まれて微塵も効果は無い。

ならばと、屈強な体躯と百千を誇るその物量を利用して特攻を仕掛ければ、今度はその光り輝くエネルギーの中から無数の斬撃が飛んで来て、あっさりと最前列にいた魔蟲は細切れにされてしまった。

一瞬辺りが怯んだ内にと、光が霧散して中から出てきたアリステア。

その姿は、先程とはかなり異なる部分があった。



背中にはマントと見間違える程とても大きな翅が生え、煌びやかな鎧は更に神聖な力を宿してアリステアの防御力をより高めており、その周りにはいつも手にしていた物と似た形状の剣が二本、左右に付き従う様に浮上している。

アリステア本人も若干地上から浮いていて、髪がふわりと浮き上がっているおかげで、今迄髪に隠れる事が多かった左右の特徴的なピアスが良く視認出来るようになっていた。



「待たせたな。【(ピック)部隊No.9】、アリステア・ディーノ。我が主の導きにより、此処に降臨する」



そう言って片腕をサッと振るうと、二本の剣が目にも止まらぬ速さで何十もの剣筋を描き出した。

すると其処から斬撃が発生して、まるで豆腐を切るかの様な力加減で一度に何十もの魔蟲を真っ二つに切り裂いていく。

耐久力が高い種ですら腹を切られ、口から血を吐き、それでもアリステアに一矢報いようと動いた者は強すぎるオーラに焼かれて消し炭にされてしまう。

そして束になろうものなら、魔法とは異なる術を瞬時に撃たれて狙い撃ちにされていき、無惨に散る羽目となっている。

正に無双。

デューベで最も力のある種族とまで言われる魔蟲族ですら、たった一人の人間である筈の男に手も足も出ないでいるのだ。


「無駄だ。無様に操られるしか脳の無い虫共よ。あのままずっと私の手足となり続けられていれば、この様な苦痛を味わわずにいられたものを。何と非運で憐れな者達よ」


そう言いつつも攻撃の手を止めないアリステアは一歩、また一歩と歩き始め、結界の中から出てくる気配のないエスポア達の方へと距離を詰めて行く。

自分が変身している間に何かをやり始めているニナとクゥフィアの姿を捉えると、訝しげに眉根を寄せてまた腕を軽く振るい、魔蟲達を意にも介さず一掃しながら結界に向かって攻撃を仕掛け始めた。

破られそうになった瞬間にソフィアが直ぐさま修復して、ふむ…と意味深に唸る。


「何をするつもりなのか分からんが、先ずは貴女から仕留めるべきだな。ソフィア嬢」

「させるか!」


瞬時にロドルフォとリカルドが立ち塞がる中、カミュロンが最前に躍り出て結界内から槍だけを突き出して魔法を放つも、魔蟲達の時と同じでアリステアのオーラに打ち負けて呆気なく霧散してしまい、逆にそのオーラによる強烈な圧を放たれて内臓が損傷したのか、何が起こったのか分からないままに吐血をしてしまう。

結界の中から出ていないのに、膝を付きかけるカミュロンのその姿に皆が動揺を見せた。


「カミュ!」

「カミュロン!」

「一体何が起きた!?防御結界を無視する魔法なんて聞いた事が……!」

「魔法ではない。私が行使するは神の涙(ヘブンスフィア)が持つ【神力】を利用した【神術】。本来ならば神のみが所有し、神のみが自由自在に操作する、神の証とも言える力である。たかが人間如きが扱う魔法なんぞを遥かに凌駕する、圧倒的な力だよ。……尤も、ダイナル隊長に放ったのは本当に唯の神力のオーラだけなのだが」


脆いな、と呟いて指で弾く仕草を取れば、透明な鉄の壁が正面からぶつかってきたかの様な衝撃が来て、カミュロンは槍を手放し皆を飛び越えて遥か後方へと弾き飛ばされた。

ソフィアの悲鳴が上がり、誰も動けない中で更にアリステアは結界の膜をノックする要領で軽く小突くと、其処からヒビが入って結界の半分があっさりと簡単に破壊される。

張り直す間すら無く、クゥフィアが封印解除に専念しだしてから僅か一分足らずで、アリステアに結界内への侵入を許してしまった。


「魔法すらも通用しなければ貴殿達に勝ち目は無かろう。さらばだ」


神力を纏った二本の剣がアリステアの頭上で交差し、全員を巻き込む程の巨大な斬撃を二閃放つ。

もう武器すらも持っていないロドルフォとリカルドが何とかして後ろに居る仲間達の盾になろうと身構える……が、そんな二人よりもさらに前に巨躯がめり込んで来て、魔力を込めた激しい咆哮で応戦した。

ボンドだ。

だが斬撃の威力は落ちる事はなく、呆気なく咆哮すらも斬り裂いて、この場に居る全員の防御壁となったボンドの体を刻んでしまう。

ロドルフォが叫んで咄嗟に動こうとするものの、ソフィアの補助魔法のおかげなのか何とか真っ二つは免れたボンドは、血を吹き出しながらも何とか脚を地面にめり込ませて倒れないようにと踏ん張っていた。

それを見て驚いたのはアリステアだ。


「何故魔蟲如きが今の攻撃に耐えられた?まぐれや奇跡等では絶対に有り得んぞ?」

「ギッ……知りまセンよ。私はただ、子供サマに任せて頂いた事を全うするだけデス!」


そう言って飛びかかってきたボンドを今度は確実に仕留めようと、その首を狙って目にも止まらぬ速さで剣を飛ばすと、今度はあろう事か素手で刃を鷲掴んでそのまま金棒の如く振り回して迫って来る。

意表を突かれたアリステアは単調な攻撃ながらも数歩後退する羽目になり、煩わしいと言わんばかりに睨み返すと両手を掲げて剣に向かって念じた。


「"ラスオ・ゴッド"!!」


叫んだ瞬間に二本の剣は光の粒子となり、光速でボンドの周りを飛び交うと摂氏1000℃を越える超熱波がその内側に向けて発せられた。

轟音と共に発生する熱エネルギーが一瞬でボンドを焼き払う……筈だったのだが、ダメージを食らってはいるもののまだその巨体を保ったままで、更にアリステアをその身に纏っているオーラごと乱暴に捕まえると、目の前で対集団魔法である二度目の咆哮をする。

魔法の効かないアリステアにとってそれは唯五月蝿いだけの絶叫ではあるのだが、本来なら有り得ない筈のボンドの頑丈さにかなり狼狽しており、そのまま防御結界の外へと投げ飛ばされてしまって群れていた魔蟲達のど真ん中に着地する羽目となった。


「どうなっている!?神術に耐性がある個体か!?そんな魔蟲なんぞ今迄見た事もないぞ!」

「ボンドすげえ!お前やっぱ強かったんだな!」

「………ボンド?」


此処に至る迄気付かなかった魔蟲の名前に引っかかりを覚える。

本来なら個体名を持たない種族だというのに、ロドルフォ達から「ボンド」と呼ばれている、あの特殊な魔蟲。

よくよく目を凝らして見てみれば、ほんの僅かながらもその身体から、魔力とは違う力のオーラが出ている事をやっと見抜く事が出来た。


アレは……神の子の神聖力に近いモノ……?


そう勘づいた時、アリステアは一つの仮定に辿り着いて悔しい様な、新たな可能性を見いだせて嬉しい様な、複雑な感情に苛まれた。


「成程、名を与えられた事で神の子から祝福を受けたのか…。ならば貴殿は唯の魔蟲に非ず。聖力を分け与えられた特別な個体、天使に近い存在という訳か」


厄介な、と呟いて再び剣を生成し距離を詰めようとすれば、ボンドもまた雄叫びを上げて同族達を鼓舞して焚き付け、己も結界の外へと飛び出すと勇猛果敢に立ち向かっていく。

魔蟲達が肉壁となりながらアリステアの進軍を防ぎ、薙ぎ払われ滅せられ、危うくなればボンドが肉弾戦に持ち込んで数秒だけでもと懸命に時間を稼ぐ。

そんな肝が冷える戦いを、もう唯の無力な人間と化した英雄部隊エスポアは見守る事しか出来なかった。


「ボンド、済まない…!」

「頑張れボンドー!お前ならやれる!でも絶対死ぬなー!」


ソフィアに抱き起こされたカミュロンが歯噛みしながら謝罪し、ロドルフォは腹の底から声を張り上げて力いっぱい声援を送る。

キキュルーは、傷が塞がれ再び心臓も鼓動を刻み始めているものの、目を瞑ったまま横たわり続けているヒュードラードを見つめながら、無力過ぎる自分への怒りを感じていた。


「何が英雄魔女よ……大切な人達を守るどころか、守られてばっかりの魔法士なんて……」


更なる奇跡を祈るしかない自分が本当に情けないと、悔しすぎて消えてしまいたい思いだった。

そして同じ思いを抱えていたリカルドは、銃を全て無くした自身の手を一瞥した後それを強く握り締めて、その視線を改めてニナの方へと向ける。

クゥフィアから漂う眩しくも綺麗で純粋な光が、ニナの全身を覆い、じわりじわりとその紋様へと浸透していっている様に見える。


刺青だと思い込んでいたあの呪法の鎖。

それが剥がされた後、果たしてあの相棒は、今迄と同じ相棒で居てくれるのだろうか。


……俺はこれからも、お前の横に立っていて良いのだろうか……。


「ニナ……」


一抹の不安を覚えながら、乞う事しか出来ない虚しさに苛まれた。

それを知ってか知らずか、短くも長い2分間が漸く過ぎていき、そして……。




────パキンッ…。



何かが砕けた音がして、遂にニナの頬にあった封印紋の先端が、僅かながらにも欠けたのだった。




その瞬間、ニナから放出されるおぞましい力。

禍々しく。

鉛の様な重量で。

卑しくドス黒く。

渦を描きながら。

底無し沼の如く沈み込みそうな深い、深い──闇が拡がる。

そんな背筋の凍るオーラが、すぐ近くにいたエスポア達だけでなく、魔蟲達、そしてボンドとアリステア。

今広場に居る生きとし生けるもの全てを呑み込まんと、その身を持たげていったのだった。





「ふ…フフ……フハハハハ……ハハハハハ!ハアァーッハハハハハハハハアーッ!!」



狂喜を含んだ地の底から這い上がってくる嗤い声が、全ての音を掻き消して広場全体に響き渡る。

目元を手で覆い、体を逸らし、天を仰いで、腹の底から込み上げてくる愉悦がニナの全てを支配していき、久しぶりに放出した己の膨大な力に遠慮無く浸っていく。

他の者達は、ほんの僅かに漏れ出ただけのその禍々しい魔力に体がすくんでしまって指一本動かせない。

ニナから視線を逸らせず、瞬く間に表現し難い恐怖が伝染して、中には泡を吹いて気絶する者まで出ていた。

先程迄完全に優勢であったアリステアですら、その力の波動を肌で感じた瞬間に悪寒が走り、己の足がすくんだのを実感していた。


「たった三年……短い余暇だったが、こんなに早く綻びが出来るとは僥倖だな。やはり抑え付けられるのは俺の性に合わねえ」

「に……ニナ……?」

「ニナーナさん…?」


慣れない呪解に疲労が溜まったのかへたり込んでしまったクゥフィアを見下ろすと、ニナのその表情に艶美さと残虐さが宿る。


「良くやったぞクゥフィア。契約通り、これからは決してお前を裏切らないと誓おう。そしてお前の望む通りに、この戦局を幾らでも覆してやるさ。俺なら出来る。この、【ニナーナ・ガルディン・アルヴァイン】ならな!」


そう言って両腕を広げれば、ニナ───改め、ニナーナは、闇をその身体に絡み付かせて、身に纏う装いを大きく変化させていった。




戦闘でボロボロになった旅向きの服装は、黒と赤を基調とした軍服風の宮廷服に。

泥や血で汚れた長コートは、髑髏を模した肩章付きの、左肩から垂らす高貴なペリース調に。

グローブやブーツすらもその恰好に見合った黒光沢の物へと新調して、そのまま髪を固め上げれば両耳に自分好みの、少々悪趣味なピアスを飾り付ける。

極めつけは腰に闇から形成した漆黒の片手剣を携えて、威厳と畏怖を併せ持つ、崇高な権力者であると感じられる装束を纏っていった。

その風格は、皇帝と呼ぶに相応しい佇まいと化していく。


「まだ封印紋が顔まで残っているのは趣味に合わねえが、まあ仕方がないな。…………おいゼンティウヌス。いつまで寝ていやがる。さっさと起きて俺とクゥフィアの役に立て」


アリステアの時とはまた違った恐怖を抱えている面々を差し置いて、ニナーナは食い殺されている小竜の亡骸にそう吐き捨てる様に命令すると、人差し指をクイッと捻った。

すると周囲を漂っていたニナーナの魔力の一部が小竜を一瞬で呑み込み、とぐろを巻きながら空へと向かって大きく伸びて、その後一箇所に収縮し、徐々に人の形を模していく。


魔力が吸収され、其処に膝を付き頭を垂れる姿勢で現れたのは、銀の中にライラックが混ざっている紫銀髪の青年───本来の姿に近い体格となったゼトであった。


「ゼト……ゼトなのか…!?」


あれだけ無惨な姿になって息も止まっていたというのに、生き返っただけに留まらず何の前触れも無く成長した姿で現れたものだから、状況整理が追い付かない一同は混乱する。

そんな人間達を気に留める事も無く、青年は顔を上げ、長い睫毛に伏せられていた瞳をニナーナへと向けると、次の瞬間には感無量だとばかりに今にも泣きそうな表情を浮かべてしまった。


「魔皇帝陛下…御復活、心よりお慶び申し上げます。重ねまして、このゼンティウヌスめへの陛下の寛大なご慈悲、大変感謝致します」

「御託は良い。さっさと働け」

「御意!」


あっさり一蹴された事にすら喜びを感じながら力いっぱい返事をすれば、ゼトは直ぐに立ち上がって空高く飛び跳ね、宙で光り輝くとその身体を更に肥大させていった。

その光が剥がれた後に出現したのは、大きな両翼、大きな尻尾を生やした、全長七メートル超えの巨大なドラゴン。

それを目撃してしまった者が絶句する中で一声空へと咆哮すると、暗雲から雷を呼び起こし、ニナーナ復活を祝福せんと王都中に稲妻を落としてみせた。


「おい五月蝿いぞ」

「失礼しましたっ!!」

「アレ、ゼトなの…?あんなに大きい姿、はじめて見たよ」

「なら驚くのも無理はねえが、アレでもまだ小ぶりな方だ。ゼトの真の姿はまだまだこんなもんじゃねえ」


それでも今この場で役立てる程度にはなっただろう、と付け加えながら辺りを見回したニナーナはやっと、顔面蒼白して恐怖で身体を震わせ、身動きが取れず此方を見つめ続けている仲間達に気付いた。

「おっと。」と呟いた後に周囲に漏れ出ていた己の魔力をしまい込めば、ようやっと詰まっていた息を吐き出したエスポアの面々はその反動で膝をつき、大量の汗を流しながら呼吸を整えていく。


「悪ぃ。つい嬉しくて垂れ流しにしちまっていた。魔力も法力もないお前らには酷だったな」

「に……ニナ……。本当にお前は、ニナなのか…?」


恐る恐る問うてきたリカルドに優しく微笑む。

いつもならサングラス越しで分かりづらい、ニナーナのその目元。

今は慈悲深く下がっていて、先程の底知れぬ威圧感など嘘の様に普段と同じ雰囲気を取り繕っている。


「俺以外の誰かに見えるのか?」


そういう訳ではないのだが、つい今しがた目撃してしまった彼の姿が余りにも、この世のものとは思えない程に形容し難い、恐怖の権化とも言うべき化物に見えてしまったものだから、心臓が未だに激しく脈打ってパニックを起こしていた。

それは他の者達も同じで、何かを言いたくても声がまともに出せなくなっているその有り様を確認しながらも、ニナーナは特に何も言わないし思わない。

何せこの光景は、ニナーナにとって当たり前のものであったのだから、今更思うところなど何も無いのだ。


そして次の瞬間、結界が完全に崩壊して急所だらけになっている此方に向かって神術が飛んで来るのだが、咄嗟にゼトが雷でバリアを張る事でこれを阻止し、その爆音と衝撃の反動で全員が我に返った。

慌てて振り返れば、かなり狼狽した様子のアリステアが更なる技を連投してきており、 その後ろには広場中の殆どの魔蟲が死骸の山となって地面も見えない程に積み重なっている。

その中には、力負けして地に伏してしまっているボンドの姿もあった。


「クゥフィア、まだ動けるか?」

「うん。なんとか」

「俺とゼトでアリステアを抑える。お前はリカ達と一緒に居ろ。自分の力で自分の身も保護しておけ。それぐらいなら維持出来るだろう?」


言われて一つ頷くとクゥフィアは軽く念じて、神聖力の膜を作って自身を覆った。

次にニナーナは仲間達に向き直る。


「ソフィ、防御結界を張り直せ。今から更に激闘になるぞ」

「は、はい!」

「カミュはソフィを、キキはヒューをそのまま守れ。ロディ、俺がアリステアを連れて移動するから、その後にボンドを結界内に運んで治療してやれ」

「お、お、おう」

「リカ、クゥフィアを頼む。コイツが一番敵に狙われやすい。お前が見ていてくれると俺も安心して戦える」

「それは構わないが、俺達にはもう、武器が…」


戸惑いながら立ち上がるリカルドにまた笑いかけると、ニナーナは全員の目の前に闇の渦を出現させ、其処から各々の得意とする武器の形を作り出した。

ライフル、長槍、ラクリマ、そして大剣。

色は闇色一色で統一されているが、武器そのものに魔力すらも宿っていた。


「それを使え。俺の魔力を、お前達の魔法のイメージで制御出来る様に組み替えた状態で宿らせてある。魔晶石要らずだから使い勝手は悪くない筈だ」

「これ…もしかして魔力そのものの武器なの!?」

「な、何でも出来すぎじゃないか…?急に喋り方も流暢になったし、武器を作り出すなんて……ニナ、貴方は一体……」

「んー?俺は俺だぞ?結構何でもソツなくこなす、万能ニナ様だ」


ピースしながら茶化す様な物言いにジト目を向けられるが何処吹く風とあしらって、最後にリカルドをまた見やる。


「リカ。もう一つ頼みがある」

「な、何だ?」

「俺さ、この騒動が終わったら腹いっぱい食いたいモノがあるんだ。次にお前の家に行った時にでも用意してくれないか?」

「……は?」


真剣な表情でまるで見当違いなお願い事をされて、リカルドは頭に疑問符を浮かばせた。

ニナーナ自身は至って真面目な様子ではあるのだが、何故今それを言う?


「お、俺が用意出来るモノなんだろうな?」

「むしろお前にしか用意出来ねえな。俺のモチベーションアップの為にも、今約束してもらえると嬉しい」

「わかった。何が食いたいのか知らんが、必ず用意してやるから後で教えろ」


その言葉を聞いてニナーナは俄然やる気が出てきた。

大袈裟にガッツポーズを取る仕草が傍目に映り、アリステアの猛攻を防ぎ続けているゼトは「嗚呼、ご愁傷様でございます…」と思わず呟いたが、瞬時にニナーナに睨まれてサッ!と視線を正面に戻しやり過ごす。


この時のリカルドは、自分がとんでもない約束をしてしまった事に気付かなかったし、気付く事など不可能であった。



───────


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