13
アリステアの中にある神の涙は、起きてはいるもののまだ未覚醒の状態である。
どの様な覚醒をするかは実際にその時にならないとわからない為、ならばどうすれば覚醒するのかを何年も試行錯誤していたのだが、なかなか道筋が見えて来なくて困ってしまい、途方に暮れていた事があった。
そんな時、異神の軍隊・司令官の一人であり、アリステアが所属する軍部の上司にあたる男が、ある日、アリステアに向かってこう言い捨てた。
「貴様も俺様と同じ洗脳系だろうがよ。だったら貴様んとこのでっかい蟲ぐらい操ってみせろや」
とても投げやりなアドバイス。
だがその雑な言葉は、アリステアにとって大きな光となった。
虫と魔蟲の元々の祖先は同じであり、昔、偶然知恵の実を食べたその虫が人間の様に進化していったのが魔蟲だと言われている。
今まで一つの人種だと思って考えた事もなかったのだが、元の構造が近しいものであるというのなら、何がしらの工夫をすればもしかすると自分の権能で魔蟲族もコントロールする事が出来るかもしれない、という可能性にやっと行き着く。
アリステアは上司のその言葉を受け取るとすぐさま自分の生まれ故郷に戻って、魔蟲達の洗脳方法を模索する事にした。
すると調べていくうちに、魔蟲には魔王蟲からの命令信号を受け取ってそれを強制的に行使させられる【王位種命令回路】という器官が備わっている事を突き止め、その命令権の継承方法として、今の魔王蟲の頭部を食す事でソレが次の王の頭部へと移っていくというところまで突き止めることが出来た。
流石に魔蟲の頭を食べるのは気が引けるアリステアは、ならばその頭部を使える環境を作ってしまおうという考えに至る。
それと同時に、軍部司令官補佐から任されていたもう一つの任務も開始する事にした。
その任務こそ、この世界の[怠け者]を起こす生贄の儀式を執り行う事であった。
権能の覚醒か、怠け者を目覚めさせる。
このどちらか一方でも達成出来れば昇進を約束すると、胡散臭い笑顔を携えながら司令官補佐は言ったのだ。
ならばこれを機にと、魔王蟲になりたがっている野心家の魔蟲を唆し、眠っている神の涙を渡して「これを使って人間を皆殺しにすれば神にもなれる」と言い含んで駆り出せば、後は歴史通りの素晴らしい戦果を挙げてくれる結果となってアリステアは大いに喜んでいた。
更に、戦争が佳境に入ったタイミングで、大義を擦り付けられた魔王蟲討伐部隊とやらが結成され、何の事情も知らないままに本当に魔王蟲の首を切り落とし、わざわざ王都にまで持ち帰って国王にへと献上してくれた。
一度晒し首にされたソレはその後、王族の権威の象徴である地下遺跡にへと供えられ、定期管理の立会人という名目で遺跡への立ち入りが許可されているアリステアは、早々にソレを偽物とすり替えていた。
魔蟲達の命令権はまだこの頭部に残っているので、これによりアリステアは、自らが苦労する事なく権能覚醒への実験が出来る環境を手に入れたのだった。
此処まではかなり順調だったのだが、計画終盤にまで来たところで幾つか問題が発生しだした。
一つは、魔王蟲の頭部以外にも数多の戦利品が国王宛てに献上されたのだが、その中にまさかの神の涙が入っていなかった事だ。
どういう事かと、適当に大義名分を作って魔王蟲の居城へと捜査に向かったのだが、城の何処にもフィアどころか宝石一つすら残っていなかった為に、アリステアは少しばかり焦燥に駆られる。
だが、このデューベにある以上は例え世界の裏側だろうと生贄の儀式は決行出来るので、目覚めた時に回収をすれば良いと気持ちを切り替えてその件に関しては深入りしない事にする。
二つ目は、戦死者の数が相当数に上ったにも関わらず、そのフィアが未だに惰眠を貪っているという事。
「億か!?億まで到達せねば腹も膨らまんのか!?全くもって面倒な石っころめ!」
戦死者の数だけではまだ目覚める兆しが見えなかったので、ならば手っ取り早く残りの数字を稼げる方法はないかと検討を立てた時、この王都バルデュユースの人口と、討伐任務の旅のおかげで世界中に知名度がある、英雄聖騎士と英雄聖女の結婚式を利用する方法を思いついた。
それと合わせて魔王蟲の頭部を利用した自身の権能操作の最終実験にも丁度良いと思い至り、今日の為にその準備を着々と進めていく事になったのだった……。
「そして三つ目の懸念事項が、神の子がこのデューベへと来てしまった事だ」
徐々に高くなっていく魔蟲の玉座に座ったまま、アリステアは魔王蟲の頭部を膝において肘掛替わりに使いつつ、クゥフィアにへと笑いかけた。
「その子にもしも、魔王蟲に貸し出していた神の涙を回収されて別の世界に渡られようものなら、私がこのデューベでしてきた事が全て水泡に帰してしまう。それだけは阻止せねばと思って魔蟲達を使い、その子達を捕縛出来る状況へと追い込もうとしたのだ。結果はまあ、貴殿らも存じての通りだったが、仲間想いの良い子達だ。さして問題はあるまいと信じていたよ」
それに、神の子の捕獲は軍隊全体に行き渡っている最重要任務だ。
クゥフィア達が来ているという情報を仕入れた瞬間にアリステアは軍隊へ人員の派遣要請を出し、そしてやって来たもう一人の男と共に更に計画を練って、今日此処までの段取りを整えていったのだった。
蟲使いの権能による、虫達を利用した王都の監視。
死体となって朽ちかけていた魔王蟲の側近の回収。
大量の魔蟲の洗脳と大移動。
その存在を悟られぬ様にする為の、王都と外界との接触を遮断する"黒い箱庭"の発動。
本当ならもう少し外部から人間を呼び寄せた後に発動させようと思っていたのだが、リカルドとソフィアが連絡を取り合っているのを権能により盗聴した結果、恐らくそろそろ勘づかれるだろうと思い至ったが為に、計画を早める事にしたという。
アリステアがそこまでの事を包み隠さず話してざっと下の様子を見下ろしてみれば、顔色を悪くしながらも意地でこちらを見上げ睨み付けてくるデューベの英雄達と、神の子達、そして、全く顔色が伺えない無表情のニナが目に映る。
恐らく痩せ我慢だろうとは思いたいが、彼だけは前々から食えない男だと警戒し続けてはいた。
「これが大まかなあらすじだが、他に何か聞きたい事はあるかね?冥土の土産に出来る限りは答えてやろう。私は慈悲深いのだ」
「じゃあ、なんでサルシバイ、ずっとしてた?」
さらっと挙手をしながら発言するニナに鼻で笑い飛ばす。
「別にいつ本性を出しても良かったのだがね。強いて言うなら、一番の障害と成りうるだろうニナ殿、貴殿を油断させて楽に仕留めたかったからだよ。結局は不発に終わってしまったがね」
「ふーん?じゃあリカたちさらった。なんで?」
「嗚呼、それはだね。目覚めさせるフィアの適合者候補を集めていたのだ」
その言葉に一同は身の毛のよだつ思いを味わう。
自分達の家族、友人、仲間……数多の生命を吸って起きてくる石の媒体にされてしまうだなんて考えただけでもおぞましいというのに、何故こんなにもさらっと当然の事の様に言ってのける事が出来るのだろうか。
彼の中には、人間の血など一滴も流れていないのではないのだろうか…?
「私の中での最有力候補はソフィア嬢だ。ニナ殿の次に魔法の扱いに長けている。フィアとの相性も良さそうだとは思わないか?」
「んー。それはちょっと、わからない」
唐突に名前が出て身構えるソフィアと、慌てて彼女を庇うようにアリステアとの延長線上に立つカミュロンを傍目に見ながら、ニナは大袈裟に腕を組みながら軽く返答した。
「他には何かあるかね?」
「よくばっていい?」
「答えられる範囲なら」
「なら、おまえたち、そしきのなまえ、あとこーせい?おしえてほしいな」
「………本当に欲張ってきたな。もう死ぬ身なのだから其処まで知る必要はあるまい?」
「だったら、クゥフィアねらうりゆうは?」
「それも黙秘しておこう」
ちえーっと唇を尖らせる大の男に「とんでもない胆力だな…」と誰かが小さい声量で呟いたが、ちゃんとニナの耳には届いていた。
だがそれは一旦置いておくとして、大体の事は聞き終えたニナは周りにいる仲間達をざっと見渡す。
「ほか、だれかききたいこと、あるー?」
まるで「購買にパン買いに行くけど一緒に行く奴ー?」みたいな軽いノリで声をかけられ、誰しもがその緊張感の無さに呆れてものが言えないでいる。
するとそれをプラスに捉えたニナは、腕を組んだ状態でまた正面に向き直って、アリステアをサングラス越しに見上げた。
「とくにないってー」
「では、そろそろ貴殿達には新たな生贄となってもらおうか。神の子含め、何人かは生け捕りにさせてもらうぞ」
「あ。まって。ひとりききそびれてた」
命令回路を操作しようとしたアリステアは、ニナの不意な制止に疑問を持つ。
その訝しげな顔を見て口角を上げたニナは、高みに居る筈のアリステアの後ろに向かって、楽しげに声をかけた。
「おまえ、なにかきくことある?ヒュー」
「ンなもんねえよ。とっとと死ね」
背後からの声、その直前に強い殺気が迫っている事に気付いたアリステアは、咄嗟に魔蟲達に玉座を崩させた。
落下する瞬間に己の頭上を凶悪な巨刀が薙ぎ払われるように掠めていき、次の瞬間には綺麗な舌打ちがその耳に届く。
「相変わらず察しだけは良いな。性悪野郎」
「ヒューさん!!」
「ヒュー!!」
クゥフィアとキキュルーが魔蟲の影から飛び出して来たその大きな姿を見て、同時に嬉しそうな声を上げた。
アリステアは落下しながらも尚余裕の表情を崩さず、たった数瞬で自分の剣を掲げて、宙を漂うヒュードラードに向ける。
「"ケラノ・スラスト"」
突きの構え無しで放射された衝撃波をヒュードラードは刀の腹を盾代わりに使って防ぎきり、その反動で軽く吹き飛ばされながらも空中で体勢を立て直すと、何匹か魔蟲を蹴り落として衝撃を緩和させつつ、ニナのすぐ側に金属音を立てて降り立つ。
腕組みをしたまま、仁王立ちで笑っている不敵なニナの視線を感じて、同じように笑ってみせた。
「よお。クソ相棒。クゥフィアとゼトが世話になったな」
「やあ。もとアイボー。おまえよりかわいい、だからダイジョーブ」
「ハッ!テメエの片言喋りなんざ気持ち悪くて耳が痒くならあ」
「えーひどーい。オレ、けっこーベンキョー、がんばったのにー」
そう言いながら改めて剣とクロスボウを構え、攻撃態勢に入り出した魔蟲に備えておく。
他の皆もいよいよ本気で始まる気配を感じて辺りを警戒しつつ、身構え、今のうちにとリカルドがソフィアに向かって指示を飛ばした。
「補助を頼む!」
「はい!"身体能力強化"!!"防御補助"!!」
ソフィアが祈りの構えを取って両腕に着けている魔晶石付きの装飾具を起動させ、ヒュードラードを含む味方全員に補助魔法を二種類纏わせる。
これにより身体能力が通常の二倍近く向上して、耐久力も上がるおかげで格段に戦いやすくなった。
彼等エスポアが英雄と呼ばれるようになったのは、ひとえにソフィアのこの補助魔法があったおかげである。
「やはり厄介だな。英雄聖女。だから捕らえておきたかったのだが」
何事も無かったかの様に魔蟲をクッション代わりにしていたアリステアは、魔王蟲の首を小脇に抱えながらもソフィア達を意味深に見つめる。
するとその時、何処かに行方をくらましていた光の玉───ラララが不意に空から降りて来て、当たり前のようにアリステアの肩に腰掛けて来た。
それだけでなく場も弁えずに頬擦りまでし始める彼女を、アリステアは特に咎める事もせず話しかける。
「ラララ。私にも君の力を貸してくれないか?」
嬉しいお願い事にラララは鈴の音を立てながら何度も首を縦に振って、再び飛び上がり、アリステアに自身の光の粉を振り掛ける。
すると体に着いた粉は溶けるようにアリステアに染み込んでいき、恐らく補助魔法と同じような、身体能力向上の効果をもたらしていった。
これで結局はイーブンとなる。
「おいニナーナ。テメエ魔力は使えんのか?」
「いやーサッパリ。いまのオレ、ただのニンゲン。ヒューがオレ、うらぎったからー」
「馬鹿言え。最初に殺そうとしてきたのはテメエだろうが。……あー、いや、そこまで掘り返しちまうとキリがねえ。今は味方が多いだけ良しとしよう」
「うわーチョーうえからー。チョーえらそー」
「テメエにだけは言われたくねえなっ!」
軽口を叩き合っていると思った次の瞬間、アリステアに一番近い位置に居たニナとヒュードラードが、同時に走り出した。
それを皮切りに全員が戦闘を開始する。
襲いかかってくる魔蟲達の牽制をロドルフォとキキュルーが、ソフィア達を守る様にカミュロンが、皆の掩護としてリカルドがそれぞれの役割を果たしていく。
クゥフィアとゼトは戦う力が残っていないせいで、ソフィアに抱かれたまま防御魔法の中で大人しくするしかない。
刃が、弾丸が、魔法が、広場の中心で激しく飛び交い始めた。
壁となろうとする魔蟲達を切り捨ててアリステアに一気に接近したニナとヒュードラードは、剣と巨刀を同時に叩き込み、ラララに魔王蟲の頭部を預けたアリステアがそれを受け止める。
だが想像以上の重さに「む?」と唸って、辛うじて弾き返す様な動作をとる。
逆にいつもよりも手応えを感じたヒュードラードは、数度二人で剣撃を加えた後にニナが後方に下がったタイミングで、続けざまに巨刀を振りかぶって叫んだ。
「"蛮衝猩刃"!!」
地面すら叩き斬る衝撃斬が噴水広場を一刀両断にした。
余りにもの勢いで大地が揺れ、谷間が出来上がり、何十匹もの魔蟲がその技に巻き込まれて一斉に命を散らす。
それも辛うじて避けていたアリステアは、いつもとは違うヒュードラードの攻撃の威力に少しばかり顔を歪めた。
「補助魔法の効果か…!」
「みてえだな。何だか今なら、テメエと良い勝負が出来そうだ!」
普段ならアリステアにだけラララのサポートがあり、ヒュードラードは自力でその猛攻に耐えていた節がある。
それが今は、面識は無かったがヒュードラードにもソフィアの補助が入ったおかげでいつも以上に体が軽く、漸くアリステアと同じ土俵に立てている手応えがあった。
逆にアリステアは少々手こずる未来が見えて剣撃の手数でヒュードラードを圧倒しようとするが、今度はヒュードラードが後方に下がり、それと入れ違いで広い肩を支えにしてニナが選手交代とばかりに彼を飛び越え、アリステアと剣を交わす。
秒も経たない間に十も二十も繰り広げられる激しい剣撃の嵐。
二人の戦闘スタイルはかなり似通っていて、お互いの力量がその勝敗を分ける形となる。
「くっ……!」
打ち勝ったのはニナだった。
アリステア以上に修羅場を潜って来た経験則が物を言い、魔力を纏っていない生身の体でも凄まじい戦闘力を誇るその男の猛攻に思わず唸ると、アリステアは迫り続けてくる剣を力ずくで弾いて思わず数歩後退る。
すると突然地面が光り、一瞬のうちにアリステアの足下に魔法陣が浮かんだ。
「"地獄隆起衝"!!」
ニナの後ろ、刀を肩に担ぎ、法力を練って罠を張っていたヒュードラードが魔法を発動する。
するとアリステアの立っている地面から鋭利な岩が何本も突き上げられ、最小限の動きで躱すもののまるで岩の牢獄の様にアリステアを閉じ込めてしまう。
身動きが取れなくなったその隙を狙って、ニナは大きく横に飛び跳ねて剣の魔力で雷魔法を、ヒュードラードは再度刀を構えて己の法力で風魔法を練り上げる。
「行くぜ、ニナーナ!」
「おーけー、ヒュー!」
「『"インドラ・バニッシャー"!!』」
同時に放たれた魔法がアリステアに襲いかかった。
その場一帯を抉り取らんばかりの合体技は、激しい雷鳴を轟かせて嵐を巻き起こし、周囲の魔蟲や積み上げられた死体すらも空高く巻き上げていく。
流石に威力が強くて、魔蟲と交戦していた残るエスポアのメンバーも、武器を地面に突き刺したり物にしがみつくなりして巻き込まれない様に踏ん張っており、一番離れた場所に居たクゥフィアとゼトはソフィアに庇われる様にして抱き込まれていた。
「な、何て凄い魔法なんですか…!」
「いや……弱いです」
「ええ!?」
ゼトの呟きにソフィアは驚愕する。
それと同じ感想をヒュードラードも抱いたようで、技が発動し終わると不満げに首を回す。
土煙が立ち込める中、少し離れた所で手早く魔晶石を取り替えているニナに一瞥もせず言い捨てた。
「ニナーナ。テメエ本当に、魔力が使えねえんだな」
「ありあまってる。けどだせない。このままでかてる?」
「かなり厳しいな…。アイツの実力はまだまだこんなモンじゃねえぞ」
「やっぱり?」
どうしようかと相談する暇もなく、土煙が収まらない魔法の被爆地から無数の斬撃が二人に襲いかかってきた。
隙間無く迫ってくる為に避けようがなく、負傷覚悟で身構えるが、咄嗟にリカルドとキキュルーが防御魔法を二人に掛ける事で周囲の物だけが切り刻まれて、何とか難を逃れた。
「サンキューリカ!あいしてるゼ!」
「ブハッ!?……はあッ!?」
毎度同じみの、愛の告白。
間髪入れず駆け出そうとしていたヒュードラードが、ニナのその突拍子も無い言葉に不意打ちを食らって、思わず吹き出しながらズッコケてしまった。
「おま…お前っ!この期に及んで…っ!」
対するリカルドも、いつもの事ながら流石に場の空気を読めと言わんばかりにわなわなと震えており、土埃をかぶっていたロドルフォやカミュロンも「はいはいいつもの事」と呆れている。
離れた場所にいるソフィアは「まあっ!」と言って純粋に頬を染めているし、ゼトはクゥフィアに向けて「真似してはいけませんからね?」と何故か教育を施していた。
そんな中、キキュルーだけはいつもならロドルフォ達と同じ心境でいる筈なのだが、今日は何故か違った反応を見せていて、リカルドとニナを順に見た後にチラッと、尻餅をついているヒュードラードに視線を向けた。
「「あ」」
ばっちり目が合ってしまった。
互いにまた会いたかった気持ちはあれど、もう二度と会えないと思ってあんな別れ方をした手前、かなり気恥ずかしい。
微妙な空気になってしまって二人揃ってバッ!と目を逸らしたのだが、それを目撃してしまった者の殆どが二人の空気を読み取って瞬時にそのただならぬ関係性を悟り、戦場の緊迫感とは違う衝撃が走り抜けた。
「キ、キキュルー…?」
「キキ、もしかして貴女…!」
「ヒュードラード…さま……?」
「ヒュー、おまえ、ウソ……!?」
「どうやら貴殿達は随分と私を甘く見ている様だな?」
土煙の中からその声が聞こえた瞬間、魔法に巻き込まれずに済んだ魔蟲達が一斉に、空気が震える程の雄叫びを上げた。
全員がすぐに我に返って防御の姿勢に入るが、全ての魔蟲が魔法を練り上げ、同族すらも巻き込む一点集中砲火が始まる。
まるで光の洪水。
一気に大量の爆弾を投下されたかのような何百という数の暴力。
それによって、離れた場所までもその爆音と地鳴りが響き、噴水広場の美しかった景色は見る影も無くなり無惨な焦土と化してしまう。
防御魔法も打ち破られ、防ぐ事が出来なくなってモロにその攻撃を浴びてしまっているエスポア達とヒュードラードは、激しい爆撃により為す術なく血を吐き、身体中に火傷や怪我を負い…………数分後、攻撃が止む頃には息はあるものの、誰一人として例外無く地に突っ伏してしまっていた。
ソフィアの防御補助の魔法が無ければ、恐らく全滅していたであろう。
「やれやれ。些か拍子抜けだよ。補助魔法を受けたヒュードラードの能力向上には目を見張るものがあるが、ニナ殿、貴殿は剣術の腕前と身体能力の高さ以外に特筆すべき点がないのだな。封印されているとはいえ、本当に魔皇帝と呼ばれていたのか甚だ疑問を持つよ」
土煙の中から軽く鎧をはたきつつ歩いてきたアリステアは、逆に擦り傷一つすら付いていなかった。
手にはいつの間にか再度魔王蟲の首を持っており、ラララがそれに腰掛けた状態でざまあみろとでも言いたげに鈴の音を立てて笑っている。
意識はあるがかなりの重傷で中々起き上がれない仲間達に、クゥフィアとゼトを庇って同じく負傷したソフィアが、体を叱咤させながら回復魔法を使おうとする。
だが、その気配に気付いたアリステアが魔王蟲の首に己の権能を注いでソフィア達のすぐ側にいた魔蟲二匹に命令を下し、彼女が何かをする前にソフィアとクゥフィアを捕捉させた。
「坊ちゃん!」
「ソフィア!」
魔力が尽きかけているゼトは咄嗟には動けない。
魔蟲に力いっぱい蹴り飛ばされ、強引に体を動かしてソフィア達の下に行こうとしたカミュロンを巻き込んで地面に倒れてしまう。
リカルドが咄嗟に銃口を向けて発砲するが、それよりも早く魔蟲は二人を連れてもはや瓦礫となりつつある記念館へと登っていき、その天辺で空に向かって二人を差し出した。
「グスタグノフ。その者達を捕らえておけ」
何も無い空間に向かってアリステアは命令する。
すると風船が破裂するような音がして、二人が差し出されている空の先に、一人の男が胡座をかいた格好で姿を現した。
「オレっちが此処に居るってなんでわかったー?」
「高い所が好きな貴殿の行動パターンを予測するなど容易いものだ」
「……あっそー。でもまあ良いや!まさかの神の子を捕まえちゃったもんねー!アリステアさまさまじゃーん!」
どんな手段を使ったのか怪我が完全に回復している、浮いているように見えるその男───グスタグノフは嬉しげにそう言って懐から不思議な玉を取り出すと、何やらスイッチを押して二人に向かってそれを放り投げる。
するとその玉は一瞬歪な形になった後に大きく肥大し、機械仕掛けの球体の牢獄となってその蓋を開け、中からコードの様な物を伸ばしてソフィアとクゥフィアを一瞬のうちに縛り上げると、二人の悲鳴を置き去りに、そのまま中へと引きずりこんでしまった。
それを目の当たりにしたカミュロンは頭に血が上って、槍を杖代わりにして意地で立ち上がるとグスタグノフに向かって飛びかかって行った。
「貴様!ソフィア達を離せー!!」
「やめろカミュロン!!」
ロドルフォの叫びは残念ながら間に合わなかった。
再度牢獄の蓋が開いてコードが飛び出し、カミュロンすらも雁字搦めにしてあっさりとその中に飲み込んでしまったのだ。
球体の側面の一部は特殊なガラスとなっていて、バタン!と蓋が閉まった後全員の見える向きにまで回転すると、中で手足を拘束されもがいている三人の姿が映される。
それを見て、残った者達は苦虫を噛み潰した様な思いをする羽目になった。
「グスタグノフ…奴も居たのか…!」
「まーねー。久しぶりーヒュー。このまま神の子は貰ってくよー。良い?良いよね?」
「良いわけねぇだろ!クゥフィアを返せ!」
ふざけた喋り方の気に食わない男に向けて魔法を撃とうとするが、それよりも早く背後からアリステアによる斬撃が飛んできて、咄嗟に転がり避ける。
続けてニナがアリステアとグスタグノフの双方に向けて魔矢を発射するも、これもアリステアは目にも止まらぬ早さで叩き落とし、グスタグノフは二度も同じ手は通じないとばかりにパンッ!と掌を合わせると、権能か何かの力で空中で魔矢の威力を殺しきってしまい、魔法の発動を阻止した。
まともに動けず、魔法も使わせなければニナなど全く怖くは無い。
それがわかったグスタグノフはだいぶ気が大きくなっているようだった。
「なーなーアリステアー?オレっち、このまま神の子を連れて帰るのもアリかと思うんだけどどお?どお?」
「そう言ってまたサボる気だろう?一緒に適合者候補も連れ帰ってしまったら実験が出来んではないか」
「えー?んなの【♢】の研究オタク共にやらせとけば良いじゃん。オレっち早く帰りてー。帰りてーのよー」
グダーと空中でダラける素振りを見せる男に、アリステアは呆れの溜息を一つ零す。
彼のだらけ癖は毎度の事であった。
「……その【機械牢獄】はもう一人か二人収監できる筈だ。私は[怠け者]を起こしてから戻るので、先に連れ帰るというのなら満員にしてから行け」
「……へ?マジ?めずらし……ゲフンゲフン!よおーし!じゃあ後は誰を連れてっちゃおっかなー?」
予想外の了承があったので俄然やる気が出てきたグスタグノフは、倒れている面々を品定めし始めた。
ゼトとヒュードラードは論外。
ニナもつい先程あれだけ痛い目に合わされたので、絶対此処で死んでもらいたいと考えている。
となると、残る三人……。
「キキュルー!逃げろ!!」
「ロドルフォ様!お逃げ下さい!!」
「リカーッ!!」
最初に狙われたのは、近場に居たキキュルーだった。
目に見えない"何か"に乗ったグスタグノフがあっという間に目前まで迫ってくると、ラクリマも壊れ動く事すら出来ないキキュルーは固く目を瞑ってしまう。
それを寸でのところでヒュードラードが間に合わせ、スライディングで彼女を抱き抱えてグスタグノフの手に空を握らせると、所々欠けている左義手で巨刀を振って叫んだ。
「"風獄塵"!!」
「"消去"」
同時にグスタグノフが手を叩くとヒュードラードの魔法が彼に直撃する前に霧散し、そこから間髪入れずダガーを両手に握り締めて、執拗に破損しかけている無機物の部分を狙っていく。
戦闘において相手の弱点を狙うのは常套にして必勝手段だ。
先程の一斉魔法でヒュードラードの義手義足は今にも折れそうなぐらいに壊れており、キキュルーを抱えたまま歯を食いしばって耐えているものの、立つ事すら出来なくなるのは時間の問題だった。
それでも長年殆ど一人で、軍隊を相手に子供二人を抱えて戦い続けていた男なだけはある。
グスタグノフの攻撃パターンはほぼ熟知しており、ギリギリではあるものの狙ってくる箇所を瞬時に読んで上手く狙いを外させ、逆に長期戦闘は苦手なグスタグノフを次第にじわりじわりと押し始めたのだ。
他二箇所でも戦闘は始まっていた。
ロドルフォの名を叫び、残り少ない力を振り絞って竜型に戻って彼に突進したゼトは、その直後にラララの操る魔蟲の死骸に一斉に襲いかかられた。
「ゼトー!!」
勢い余って地を転がった後に元居た場所を見やれば、羽をもぎ取られ、首を食いちぎられて、見るも無惨な姿となっていくゼトが其処に居る。
次第に虚ろになっていく目と視線が合い、「私は大丈夫」と口だけ動かしたのを確認すると、ロドルフォはあまりに辛くて、悔しくて…………居ても立っても居られず雄叫びを上げながら根性で立ち上がった。
震える手で大剣を握り直すさなか、機械牢獄に捕まったクゥフィアが、大粒の涙を零しながら大声で叫んでいる姿も目に入った。
「てめえら……ただ家に帰りたくって、必死に頑張ってる子供によお……笑いながら寄って集って、こんな惨い仕打ちをするなんて!っどんな神経をしてんだ!!クズ共があアァ!!」
目から零れる涙を振り払って、ロドルフォは大剣に取り付けてある魔晶石の全魔力をその刃に纏わせ、灼熱の烈火を生み出していく。
熱いのが苦手なラララはそれを見て悲鳴だろう鈴の音を上げ、慌てて遠くへ逃げようと空へ向かって飛んで行った。
「逃がすかあ!!"火剣極意・爆龍翔"!!」
ロドルフォが小さい的目掛けて、特大の火炎魔法を放つ。
それは天に昇る龍の如く、マグマの様に苛烈な熱を纏って、必至に逃げるラララを丸呑みしようと襲い掛かる。
あわや焼却される……という寸前。
泣きながら大きい鈴の音を上げるラララの盾になる為に飛行型魔蟲が多数飛んできて、代わりにロドルフォの大業の餌食となって消し炭にされていった。
「全く。あの愛らしいラララに危害を加えようとするとは、一体どの様な神経をしているのだか」
自身が操った魔蟲の功績によって己の可愛いパートナーが無事である事を確かに確認したアリステアは、脇に抱える首を利用して更にロドルフォに向かって魔蟲をけしかけながらも、右腕を突き出している正面へと視線を戻していった。
彼の目の前には……割れたサングラスをかけたまま、左腕と腹からアリステアの持つ剣を生やし、胃から逆流してくる血を吐き出しているニナの姿がある。
「本当に貴殿は唯の人間と同じだな。この程度の攻撃で血を流すだけでなく……他者を庇って死にかけるなどと、王として有るまじき姿だとは思わんのか?」
ニナの背後には身を起こしてはいるものの未だ立ち上がれず、この現状を作ってしまった事に愕然としているリカルドがいる。
あえて彼を突き刺そうとアリステアが動いた所を、風魔法を使って飛んで来たニナが咄嗟にクロスボウで受け止めようとしたまでは良かったものの、貫通し、そのまま自分自身が盾となってリカルドを庇った事でこの様な有り様となった。
それ自体は喜ばしいのだが、アリステアは些か物足りなさを感じ、肩透かしを食らった気分を味わっている。
[魔皇帝]。
出来る事なら味方にしたかった、異世界での最大権力者の一人。
多世界で圧倒的な力を持つ、魔神と呼ばれる存在に愛された一人の魔界の皇帝。
そんな高潔な悪魔が、まさかの何の取り柄もない普通の人間を庇ってこの様な醜態を晒しているという事実が、アリステアにとっては目も当てられない恥ずべき行為に思えたのだ。
「噂には聞いていたが、リカルド殿がまさかの貴殿の弱点だとは……。これでは私が猿芝居を打っていた意味が無いではないか」
「じゃくてん?ちがう。リカは、オレのアイボーだ」
「たかが相棒の為にその命を捨てても構わないと?」
「……そーだな。リカのためなら、しねるかも」
自分を失笑するような物言いに、アリステアは訝しげに眉を顰める。
何が其処まで彼を駆り立てているのか……それはニナ本人にも納得し難い、反吐が出そうな程のみっともない感情であった。
失いたくないと思ってしまった。
悪魔としての本能では無く、人間臭い感情がまさかの自分の中に芽生えていた事に、いつからか気付いてしまったのだ。
最初はただ魔香の匂いに惹かれ、誰にも横取りされたくなくてずっとくっついていただけだった筈なのに、いつの間にこうなっていたのやら……。
「だけどオレ、これぐらいなら、しなないぞ?」
「ほう?ならば試させてもらおうか」
未だ不敵に笑うのを止めないニナの挑発に乗ったアリステアは、握っていた剣を一気に引き抜いた。
その勢いでニナの腹と腕から血肉が吹き出し、視界が一瞬ブレるが意地で持ち直して、素早く剣を振ろうとする。
「遅い」
あえての一瞬だけ早いタイミングを狙って、アリステアが剣を瞬速で振り上げ、ニナの剣に取り付けられた魔晶石をホルダーごと破壊してしまった。
目の前に舞う石の破片。
驚愕の表情を浮かべるも更なる追撃に怯んでいる暇はなく、魔法と左腕は使えずとも尚アリステアと競り合っていかんと、ニナは必死で踏ん張っていった。
「ニナ!」
リカルドが援護しようと銃を構えた……が、立ち入れる隙がなく、下手に引き金を引こうものならニナに当たってしまう。
爆撃に刺傷のダメージ、大量の血を流した弊害で、明らかにニナの動きが遅い。
これではどう転んだとしても勝てる訳がなく、リカルドが援護したところで却って彼の足を引っ張りかねないと判断して、何か他に出来る事はないかと懸命に頭を回転させた。
そしてふと目に止まったのは、自分の傍でまだ原型を留めている愛用のライフルと、片手で剣を巧みに扱いニナを悠然とあしらっているアリステアが、もう片側の小脇に大事に抱えている、魔王蟲の首だった……。
「アリ、アリアリアリ、アリステアー!!ヘルプ!ヘルプミー!!」
情けない声が飛んで来てうんざりしながら、名前を呼ばれた方向へ視線を動かした。
折角有利な立場に持ち込んでやったというのに、完全に力負けし始めているグスタグノフが慌てた様相で、ヒュードラードの巨刀を両手のダガーで受け止めている。
暗殺・奇襲そして今回の様な暗躍の類であれば非常に使い勝手の良い男なのだが、白兵戦となると途端にダメになってしまう。
ヒットアンドアウェイでキキュルーを攫えなかった洗礼を諸に浴びてしまった様だ。
「何をやっている。貴殿の権能を使えば良かろう」
「ムリムリムリムリ!ムリだってー!オレっちが両手を合わせて集中しないと権能を発動出来ないの知ってっだろー!」
「全く。普段から向上心もなくサボっているからこんな目に合うのだ」
致し方ないと呟いて剣を交えていたニナを蹴り飛ばしたアリステアは、素早く地中型魔蟲を呼び寄せニナの相手をさせている間に踵を返して、ヒュードラードにへと突進して行った。
横から鋭い突きが飛んで来たヒュードラードはキキュルーを庇いながら強引に身を捻り、そのまま今度はアリステアの相手をする羽目になっていく。
「貴殿はニナ殿の相手をしろ。だいぶお膳立てはしてやったぞ」
グスタグノフの比にならない洗練された剣の威力。
相手があのサボり魔だったから持ち堪えられていた様なものなので、武術の達人であるアリステアにバトンタッチされると何処まで耐えられるか、流石のヒュードラードも自信が無い。
そして両手がやっと空いたグスタグノフはとびっきり嬉しそうな表情を浮かべ、ダガーを仕舞うと意気揚々と、魔蟲を相手にしているニナの方へと飛んで行ってしまう。
「やったぜ!お前だけは絶対痛めつけて殺してやるって決めてたんだー!このサングラス野郎ー!」
そう叫びながら魔法も使えず苦戦しているニナの顔面を鷲掴みにすると、勢いでサングラスが外れ、そのまま加速し続けながら地面に強く擦り付けて行って広場を縦断していき、街中まで一気に進んで行った。
土を抉り、レンガを舞い上げ、建物や街灯、目に映る色んな物にその体を激しくぶつけさせ、最初こそ呻き声が聞こえてきたが、いつの間にやら剣まで何処かに落としてしまった程に力が入らなくなっているニナをとにかく引き摺り回す。
大襲撃が始まってから今の時点で、王都の街中にははもう何万体もの死体が転がり、家の中までも侵入されて虐殺されている者すらも出始めており、魔蟲達がそれらを弄びながら更に人の気配がある方向へと進行を続けている。
そんな中を好きなだけ飛び回って、とことん気が済むまで痛め付けた後にまた噴水広場の上空にまで戻ってきたグスタグノフは、数十メートルもの高さから手に持っているその顔を宙吊り状態にしてみた。
全身血まみれで元々抉れていた左腕があらぬ方向に曲がってしまっており、流石に既に意識を手放して力無く四肢を垂らしているニナのその姿を見れば、憂さがすっきり晴れてとても爽快な気分だった。
「こーなるとちょっと呆気ないかなー?でもいーよ。オレっちメンドーなの嫌いだし。ねーねー今の気分はどーですかー?」
「………」
「やっぱ聞こえてないかー。聞こえてないよねー。そんじゃあそのまま、おやすみなさーい」
ニッコニコの笑顔でそのまま手を離す。
ニナは重力に従ってそのまま広場へ向かって落ちていき、数秒後に落下の衝撃音と土煙を立てて完全に地面に倒れた後は、もう指一本も動かす気配がなかった。
素顔が晒され、目を閉じて気絶しているその頬には、封印紋が血の色と混ざって更にどす黒く浮かび上がっている。
ヒュードラードにも遂に限界が来た。
義手の隙間に刃が入り、肘の部分から切り落とされる形で完全に破壊され、刀を落としてしまう。
そのまま容赦無く続く猛攻に、片腕でキキュルーを守りながら一旦飛びずさろうとしたのだがそれすらも間に合わず、左脚をも一刀で切断された。
バランスが崩れ地面に倒れるさなか、その勢いでキキュルーを出来る限り遠くへ投げ飛ばす。
「ヒュー!」
「お前は這ってでも逃げろ!」
「嫌よ!アンタも一緒じゃなきゃ嫌!」
駄々を捏ねてもどうしようもないのはキキュルーも分かっていた。
だが頭では理解していても感情の制御が出来ず、投げ捨てられた後でもヒュードラードの傍に戻ろうと無理矢理地を這ってくるその様子を見たアリステアは、「ふむ」と思案する。
「よもやたった数日で其処まで親睦を深めていたのだな。いやはや、美しくも愚かしい…。貴殿に他人を愛する心があったとは心底驚いたよ」
「ッ!…"爆風裂破"!!」
嫌な予感がして刹那に魔法を撃ったが、アリステアが瞬間的に不思議なオーラを身に纏ってヒュードラードの魔法を完全に無効化させ、そのまま右肩に容赦無く剣を突き刺した。
痛みに呻き苦悶の表情を浮かべるその姿は、アリステアの加虐心を刺激していく。
「貴殿には散々苦労をかけさせられたが、ある意味では長年のよしみだ。神の子とキキュルー嬢の事は私に任せて、そろそろ永久に休んだらどうだ?」
「…っざ……けんな……!」
「そう言うと思ったよ」
剣を一思いに引き抜くと、アリステアはヒュードラードの顔面に足裏を置いて思いっきり踏みつけた。
そのまま地に放り出された胴体の上でまた剣を構え、躊躇なく今度は脇腹を、臍を、胸を、あえて致命傷を避けながら何度も執拗に串刺しにしていく。
余りにもの生き地獄。
その激痛は、アリステアの足首を掴んで退かそうとしているヒュードラードでも流石に耐える事が出来ず、思わず苦痛から伴う叫び声を上げてしまった。
「が!!ああ"あ"ぁ"!!」
「いやあぁ!!やめてええ!!」
惨すぎる仕打ちにキキュルーも泣きながら悲鳴を上げ、もつれる足など気にせずに無我夢中で立ち上がろうとする。
が、急にドレスを引っ張られて驚き見上げれば、光る粉を振り撒くラララがキキュルーの直ぐ背後にまで飛んで来ており、彼女を牢獄まで連れて行く為に引っ張り上げようとしていた。
そして更に視線をずらせば、必死になって他の魔蟲達や動く死骸を蹴散らそうと暴れるボンドの腕の中に、折れた大剣を握ったまま意識が朦朧としているロドルフォの姿を捉える。
今この時点で戦える者は、もう誰一人として居なかった…。
「は…離して!!イヤ!!ヒュー!!死なないで!!お願い死なないでえ!!ヒュー!!」
腕を後ろに伸ばして藻掻いてみるも意味は無く、十六度目の串刺しにして遂に力が入らなくなり、アリステアの足から手が外れていくヒュードラードへと、必死に懇願する様に泣き叫んだ。
だが、キキュルーの悲鳴どころか、周りの騒音も、アリステアの別れの言葉ですら…………死を間近にして意識が混濁しているヒュードラードにはもう、届いていない。
「さらばだ、ヒュードラード・ヴィ・オラージュ。"不死身"と呼ばれた、異世界の殺戮傭兵よ」
そして十七度目でアリステアは、鼓動の弱くなった心臓を強く、真っ直ぐ、貫通する程に突き刺した。
身体に剣の十字架を立てたヒュードラードは、大量に流れる己の血の海の中で、赤く霞んだ視界が暗転していくのを何処か他人事の様に感じながら、次第に"モノ"になろうとしていく…。
「イヤあああああぁぁぁ!!!」
キキュルーが必死で彼に手を伸ばすも、その距離はあっさりと離されてしまった。
ラララの手により牢獄の前まで連行される、このデューベ屈指の大魔法使い。
世界一とも評される絶世の美女、英雄魔女も、こうなってしまえば現実を受け入れられず気が動転して泣き叫ぶだけの、唯の女でしかなかった。
ようやっと宿敵を打ち倒した高揚感を味わっている最中のアリステアは、もう動かなくなった男から足を下ろしつつそんなキキュルーを見て、無慈悲にも更なる加虐的思考を巡らせていく。
ヒュードラードが手に入れ損ねたこの女を、自分が手篭めにしてしまうのも一興かもしれない…と。
「すげーよアリステアー!大手柄だよー!一番ジャマだったヒュードラードを遂に仕留めやがったー!」
「……貴殿の方は終わったのか?」
「んーや。虫の息だけどまだ生きてるからさ、今からとどめを刺しちゃうとこ。捕まえるつもりだった奴が一人いつの間にか居なくなってたからさー。先に報告しとこうと思って」
「…………何?」
気になる言葉があって聞き返すもグスタグノフは我関せずで、胡座をかいたまま宙を飛ぶと更地で倒れたままであるニナの目の前まで移動し、狂気の宿る笑みを浮かべた。
刺殺、撲殺、毒殺、焼殺……魔蟲に食い殺させるのも面白いかもしれない。
「さあさあさあー?ど・お・しよ・っかなー?」
楽しみすぎて決め切れず、少しばかり悩んでしまう。
……そしてグスタグノフは後程、このタイミングで、こんなどうでも良い内容で悩んでしまった自分を責める事となるのだった。
何故なら、キキュルーすらも取り込もうと機械牢獄が今一度蓋を開いた瞬間、中から神聖かつ強烈な激しい光が吹き出して、この広場全域を覆い尽くさんばかりに眩しく光り輝いたからだ。
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