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その言葉は、人間の領域から出る事のなかった者達にとって、あまりに突拍子もない話であった。
そんな大人達には構わず、クゥフィアとゼトは交互に説明を続けた。
「神の涙はいろんな世界に、いろんな形で散らばってるの。その力の大きさもバラバラだし、最初っから起きて世界そのものになっていたり、ちょっとした力だけ周りに与えて小さく活動している子もいる」
「異神の軍隊は、何かの目的があってこの神の涙、若しくはフィアを所持している者、適正のある者達を掻き集めている様です。そもそも軍隊自体がフィアの適合者達ばかりで構成されているぐらいですから、恐らく半分は仲間集めの為なのでしょう」
「それでね、フィアに気に入られた人は、それこそ神のような変わった力を使う事ができるんだ。アリステアの権能[蟲使い]も、アリステアが少し念じるだけで、その力が届く範囲の虫達を好きな数だけ好きなように操ってる。普通じゃできない事でしょ?」
「そして奴らの目的の一つに、世界を創り変える程の力を持っていながら、惰眠を貪っている"怠け者"を強制的に起こす、というものがあります。その起こし方として、効果的と考られているのだろう方法は二つ」
「その一つがね、沢山の人を殺して、魂や負のエネルギーを掻き集めてフィアの栄養分として注いじゃう方法。それが[生贄の儀式]なの」
「人口の多い世界では、億単位を犠牲にしてフィアを起こしていた事もありました。先程の話だと、今この王都には人間が約六百万人、そして魔蟲が恐らくですが、気配をざっと探った上で約百万程集結しているとすると、合計で七百万……むしろ全然足りないぐらいでしょう」
そう言われて一同は愕然と震えた。
自分達を含む、七百万の命が、この小さな石の為に犠牲を強いられている。
しかもそれで足りないとなると、それこそこの世界全ての生き物を、生贄として捧げなければならないのではないか?
……それ程までの価値が、本当にこの石にあるのだろうか?
その答えは、先程クゥフィア達が言った"世界を創り変える"という言葉にあった。
「何で、この場所で、それをやろうと……」
「……このフィアが、このデューベ由来の子、だからだね。きっとアリステアがたまたま見つけて、この子を起こそうといろんな手を使ったんだろうけど、全然起きないから」
「此度の大結婚式典を利用して強硬手段に移ったのでしょう。神の涙を起こす条件の一つとして、フィアと縁のある世界の力が必要な様ですから」
「でも、そこまでして何で起こしたがるのよ!?世界を創り替えるですって!?まるで、神にでもなるかの様な…!」
「なりたいのだと思いマス。神、そのものに」
突然そう発言したのは、まさかのボンドだった。
全員がその巨体を見上げると、ボンドは困ったような表情をしながら、頭をポリポリと掻いていた。
「今代魔王蟲サマが、即位演説の時にそう言っていたのデス。『私は神になる。魔蟲族の楽園を作る。その為に全ての人間を生贄に捧げよ』と。大半の者はあまり聞く耳を持っていませんデシタが、今の話を聞きまシタら、もしやその演説の時には魔王蟲サマの傍に、その石があったのやも……」
「……そういえば、今此処にあるフィアは、魔王蟲の部下が持っていたとニナが言っていた……」
青ざめた表情のまま、リカルドがそう付け足す。
するとゼトの表情もいよいよ曇り始め、思案しながら彼なりの憶測を立てていった。
「魔蟲族と人間の戦争は、確か九年程前から始まって、比較的最近、終戦したんですよね?」
「はい。細かい日数まで数えると、約九年半前に魔蟲軍の襲撃から戦争が勃発し、終戦まで八年十一ヶ月かかりました」
「その間の双方の犠牲者はどれ程にまで上りましょう?」
「正確にはわかりませんが、両種族合わせて、凡そ九千七百万程と言われております」
「……成程。今回の大虐殺は、最後の一押しという事か……」
ソフィアが提示してくれた数字を聞いたゼトは、遂に項垂れてしまった。
それは即ち、既に相当な犠牲によるエネルギーがこの石の中に蓄積されており、この王都での犠牲を上乗せする事で、フィアが目覚める可能性が十分にあるという事。
そして今こうしている間にも、沢山の人々や魔蟲達がその命を散らしており、それすらもフィアを目覚めさせる養分にされているという事……。
「なあ、その話を聞いて、一つ思う事が、あんだけど…」
余りに重い空気に誰も言葉を発せなくなっていたが、ロドルフォがどうしても耐え切れなくなって口を開いた。
「さっきの話が本当ならよ……戦争での犠牲者の魂も、その…フィアの中、に、入ってるんだよな?」
「……もう消化されて溶け込んでしまっているでしょうが、そうなりますね」
「!!じゃあ……俺の、父ちゃんと母ちゃんも…爺ちゃんも、婆ちゃんも兄ちゃんもっ!ダチもみんな!こんな小さな石っころを起こす為の養分にされちまってるのか!?ウソだろ!?そんな……そんな事って……っ!」
てっきり自分が魔王蟲を討ち取った事で、家族も村の皆も報われたと思っていた。
気休めだとはロドルフォ本人も分かってはいたが、そうでも思わないと前に進んでいけなかったからだ。
……だが、真実を聞かされ、成仏どころかその魂達はまるで食物の様に消化されてしまっていると急に言われても、はいそうですかと受け入れるには余りに事が深刻すぎる。
ロドルフォは、この現実を嘘だと信じたかった…。
それと同じ気持ちを、リカルドも抱えていた。
思わず口を押さえ、逆流しそうになっている胃を押さえつける事で耐えてはいるが、いつも冷静を保ちながら皆を指揮している男ですら、今にも吐きそうなぐらいに気が動転している。
だって、先程の話が本当なら、彼の大切だった妻子もそのフィアを目覚めさせる為の、養分にされているのだから…。
「……どうやら、今すべき話では無かった様ですね」
残る三人ですら余りにもの恐怖に慄いて、身を寄せ合い、受け入れ難い真実に絶句してしまっている様子であるのを見て、ゼトは静かに目を閉じてしまった。
仮初とはいえ、ニナが仲間だと認めている者達だからと包み隠さず全てを伝えたのだが、所詮は脆弱な人間。
彼等を買い被りすぎていた様だと認識を改めて、不安そうにしているクゥフィアの肩を抱くと、悪魔らしく見限る事に決めたようだ。
「もはや此処まで知ってしまった以上、忘れろとは言いません。ですが、このままでは戦闘続行も不可能でしょう。逃げ出すなら今の内ですよ」
「!…………いや、戦う…」
「ああ……団長を止める事が出来れば、少なくともこれ以上の犠牲は出ずに済むんだろう……?」
「その様な甘い考えでは無理でしょう。奴は一筋縄ではいきません」
「そんなの……百も承知よ!」
「だが、やらねばならん。やらねば……気が済まん」
「何とかして戦います。私達は、今までずっとそうしてきたんですもの!」
「…………では、お好きになさって下さい」
冷たくそう言い放つゼトの心境に気付く余裕もなく、五人は目を合わせて何とか頷き合う事で、互いの心を支え合った。
その光景はクゥフィアにとっては、小さくとも一つの確かな、希望として映る。
「……仲間って、いいなぁ」
「!坊ちゃん…」
「すみまセン。私からも一つ、良いデスか?」
場に水を差すようで悪いのデスが、と付け加えながらも、ボンドがおずおずと全員に声をかけた。
「先程から気に掛かっていたのデスが、我々、だいぶこの場に留まっちゃっていマスよね?」
「……まあ、ちょっと話し込んじゃったわね…」
「なにせ大事な話が多く重なっちゃってましたから…」
「でも何故か、先程から我々の目の届く範囲で、他の魔蟲達を全然見かけないんデスよ。人間も。奇襲されても可笑しくなかった筈デスのに何故なのデショウか?」
その言葉を聞いた瞬間、全員が嫌な予感を感じて一斉に背中を合わせ、武器を構えた。
すると物陰からカサ……カサ……と無数の物音が聞こえ始め、キキュルーが先日の光景をフラッシュバックさせてしまい、激しく背筋を震わせる。
「あ……やだ……ヤダ……っ!」
「キキ?大丈夫ですか!?」
「ヤダッ!来る!ヤダ、助けて…ヒュー……!」
いつも気丈なキキュルーが、歯をガチガチと震わせる程までに恐怖を感じてしまっている正体。
そう、無数の虫の大群だった。
四方の物陰からそれらが姿を現した時、キキュルーだけでなくその場に居た全員が、ゼトやボンドも含んで身の毛立つ思いを味わったのだった。
しかも、その虫達はまるで甚振る様に距離を縮めてきていて、徐々に彼等をとある一方へと追い込んで行く…。
「これ、アリステアがよく使う手だ……」
「相変わらず悪趣味な……!」
「な、なあボンド?お前、虫とも会話できねえの?」
「無茶を言わないで下サイ!英雄剣豪サマだって、猿と会話出来るんデスか!?」
「あー、ほんとに無茶だったわ。思いつきで言ってゴメン」
多分猿よりも会話が成り立たないよねー、と半ば現実逃避をしつつ、虫達が一斉に威嚇態勢を取ったタイミングで全員が悲鳴を上げながら、脱兎の如く駆け出した。
一番速いのはやはりボンド……と思いきや、まさかの火事場の馬鹿力を発揮するキキュルーである。
「やだやだやだやだヤダヤダヤダ!!ヤダアアァ!!」
「ちょ、キキュルー!?流石に独走はマズイぞ!」
「虫キライ虫キライムシキライいいぃ!!……きゃあああ!?!?」
カミュロンの叫びも聞こえず、先が見えていない状況で泣きながら暴走していたキキュルーが開けた場所へと出た瞬間、別の悲鳴を上げて宙へと浮いて行った。
それを見て慌ててブレーキを掛けていくも一足遅く、次にソフィア、クゥフィア、そしてゼトと順に、その場まで来た瞬間に同じく悲鳴を上げながら足が地に付かなくなる。
残る四人は何とか建物の影で留まれたものの、後ろからは虫達が隙間なく迫って来るものだから結局のところ逃げ場が無く、じりじりと影の外まで出されてしまったその瞬間に、ボンドが三人を庇う様に上から降ってきた何かを防いだ。
「ボンド!?」
「!?こ……この方達は……!」
その先の景色を見て、男性陣は目を疑う。
女性陣と子供達の四人を、六本あるうちの四本の手で鷲掴んでいる、巨大な魔蟲が一体。
そしてその周囲には、二~三メートル程の魔蟲が二体に、今ボンドを攻撃している者で更に一体。
計四体の屈強な魔蟲達───魔王蟲の側近達が、そこに居たのだ。
子供達以外は全員、言葉を失う程に驚いた。
魔王蟲の側近は全部で六匹居たのだが、そのうち取り逃していたのは廃墟の砦でニナとリカルド達が遭遇した、あの一匹だけであった筈だ。
残る五匹は戦争の際に各個撃破していった、なのにどうして……?
「どう、なってるんだ…。なんで死んだ奴が、こんな所に居るんだ!?」
リカルドの疑問に答える者は居なかった。
ボンドを攻撃した魔蟲が更にもう一撃を加えてきて、五メートル強もあるその巨体をあっさり殴り飛ばしてしまったからだ。
それを避ける為に三人がそれぞれ横へ飛び退くと、今度はクゥフィア達を捕まえている蜘蛛型魔蟲以外の各一体ずつが、ロドルフォ、カミュロン、リカルドに飛び掛かってきて、近接戦闘は苦手としているリカルドがあっさりと取り押さえられ、既に捕まってしまっている四人の下へ連行されてしまう。
「!?マズイぞ!ロドルフォ!」
「ああ!カミュロン!アレやるぞ!」
「わかった!」
大剣と槍で攻撃を凌いだ二人は直ぐに身を寄せ合い、再び迫って来る二体に向かって構えを取った。
「「"火水・剣槍・蛇突衝破"!!」」
同時に剣と槍を前に突き出すと、火魔法と水魔法がうねりを上げて打ち出され、一度混ざり合うとまるで二匹の大蛇の様に枝分かれしながら、二体の魔蟲に襲いかかる。
だが二体は互いに逃げる様に走り回ったかと思えば、正面衝突をする勢いで接近した瞬間に高く飛び跳ね、ロドルフォ達の攻撃を自滅させるように誘導して相殺させてしまった。
「あー!やっぱ一年前と同じだわ!コイツらマジでつっえー!」
「だが、前よりかは動きのキレが良くない気がする!勝機はあるぞ!」
そう鼓舞するカミュロンだったが、攻撃してくる二体に気を取られている間に捕まった仲間達が何処かに運ばれて行くのを見て、激しく動揺してしまう。
「……その勝機って、すぐに勝てるぐらい?」
「…………ノーコメント」
即答出来んのかーい!というロドルフォのツッコミは、声に出される事無く終わった。
その後も、今までの者とは桁違いの戦闘能力を誇る魔蟲達の猛攻は続き、ロドルフォとカミュロンは完全な足止めを食らってしまって、回避に専念するしか無くなってしまう。
時折迎撃してはみるが、元々が複数人で一匹を囲んで漸く倒せた相手なのだ。
二対二のほぼタイマンの状態では、流石にロドルフォ達には分が悪すぎて、どうする事もできず時間と体力、そして魔晶石のエネルギーだけが消耗されていった。
「どうするカミュロン!?このままじゃ俺達も捕まっちまうぞ!」
「僕に言われても!何か…何か無いのか!?」
「ボンド……は、無理だわな!コイツら強すぎるし!」
攻撃を受け流しながら、目の端で間に入ろうにも入れずオロオロしている友人を確認して、ロドルフォは彼を危険な目に合わせる訳にはいかないと気持ちを改めた。
自分達で何とかするしかない……!
そう腹を括ってカミュロンと再び身を寄せ合い、来たる攻撃に備えて受身を取る準備をした。
その時。
「"バリバリどっかーん"!!」
空から声が聞こえたと同時に雷鳴が轟き、二体の魔蟲に強烈な雷が降り注いで、一瞬でその身を焼き焦がした。
流石に急すぎて口から心臓が飛び出しそうなぐらいに驚くものの、雷系の魔法が得意な人物には、二人とも強い心当たりがある。
そしてその予想通りの人物は、丸焦げになった二つの山など眼中に無いかのように背を向けながら、ロドルフォ達の目の前に降り立ってきたのだ。
「ロディ。カミュ。みつけた」
「ニナ!やっと来たなーお前!」
「助かったよ。だがよく僕達を見つけられたね?」
「ボンドみえた。ボンド、うえからめだつ。ナイスめじるし」
「え?あ、有難う御座いマス?」
謎の褒め言葉に恐縮しながらも、親指を立ててくるニナに同じポーズを返してみた。
すると今度は、建物の影から様子を伺っていただけの大量の虫達が急に襲いかかってきたが、一番に気付いたニナが顔色一つ変えること無くあっさりと魔法で死滅させてしまう。
何とでもない作業風に事をこなされて、ロドルフォ達は「えー……」と声を出しながら、彼のバカ強い胆力と自分達の不甲斐なさに思わず脱力してしまった。
全員で逃げてきたのに、ニナ一人が居るだけでこうも違うとは……。
そんな彼等の心境など知る由もなく、ニナはそのまま周囲を見渡して、明らかに人数が足りていないこの状況に顔を顰める。
「リカは?」
「すまない。さっき別の魔蟲達に連れて行かれてしまった」
「!?」
「リカルドだけじゃねえよ!クゥフィアには何とか追い付いたんだけど、結局クゥフィアとゼトも、キキュルーもソフィアも捕まって、どっかに連れて行かれちまった!」
「さっき君が倒した奴等も、皆を連れて行った奴等も、旅の時に倒した筈の魔王蟲の側近達なんだ。あまりに強い上に不意打ちを食らった」
苦々しげにそういうカミュロンをサングラス越しに見つめると、ニナは自分が作った後方の焼死体を振り返ってみる。
ニナ的には、他の雑魚と同じであまりに手応えがなかったもので、まさか以前倒したあの強敵達だとは思ってもみなかった。
どうなっているのかと顎に手を添えていると、不意に鈴の音の様なものが耳に入ってきて上空に目を移し、球体の光を纏って何やら粉を振り撒いている、見慣れない妖精がゲラゲラとお腹を抱えて笑っているのを見つける。
「ああ!?テメエ!クゥフィアを拉致ろうとしてた奴!」
ロドルフォが強く指差しながら叫ぶと、ラララはおちょくるように舌を出して、その身を一度後ろに反らす。
すると、既に人の形ですら無くなりつつある二体の魔蟲の死体が突然に震え出して、まるで起き上がるかの様にその身をもたげようとし始めたのだ。
「まさか!?」「へ?ウソ……!?」と驚愕して狼狽えてしまう若い二人を後目に、ニナが瞬時に判断してクロスボウをラララに向け、一発発射する。
それを得意気に避けようとしたラララ。
だが、矢はそれよりも早く魔法を発動させ、ラララの退路を断つ様に風の鳥籠を形作ると、驚いている妖精をあっさりと捕えてそのままニナの手元にまで連れてきたのだった。
正に早業で神業。
魔法の知識が膨大であるニナでなければ出来ない、精密な芸当である。
「……攻撃魔法って、あんな使い方できたっけ?」
「いやいやいやいや、攻撃魔法は攻撃しか出来ないに決まってるだろう!?ニナがおかしいんだってば!」
「それより、コレ、なに?」
有り得ない魔法の使い方に別の意味で狼狽えだしているカミュロンを遮るように、わざとその目の前へ風の鳥籠を突き出す。
中に閉じ込められたラララは、風に触れると己の身が塵にまで粉砕されん勢いである事を見抜いて、その中央で羽すらも畳んでガタガタと震えながら縮こまっていた。
そしてラララが捕まった事で二体の死体はまた大人しくなり、もう二度と震え出す様な気配はなかった。
「えっと……ラララっていう、妖精らしい。クゥフィア君を最初に連れて行った、変な光の正体だよ」
「ふーん…」
そう返すと、ニナは鳥籠に手を入れられるだけの穴を開けて、無遠慮にラララを鷲掴んでそこから取り出してみる。
激しく鈴の音を立ててもがき出すその姿に、ロドルフォが「イヤン、エッチ!」と適当なアテレコをしているが、完全に無視をした。
『おい、鈴虫。俺の言葉は分かるな?』
明らかな罵倒にいつもなら怒るところだが、一気にのしかかってきた重圧に、ラララはビクッ!と暴れるのをやめる。
恐ろしい程の、威圧感。
次元が違うと直感で悟った様だ。
『随分と図に乗ったものだ。クゥフィアだけでなくリカ達にも危害を加えるとは……この落とし前、どう付けてくれるつもりだ?』
"シャン……シャン……"
『俺が貴様の言葉など理解出来る訳がないだろう。何か言い訳してるんだろうが、シャンシャンと五月蝿く鳴っているようにしか聞こえん。騒がれるのも面倒だから一旦この羽、むしり取っておこうか。そうすれば激痛で声も出せなくなるだろうよ』
"!!シャンシャンシャン…ッ!!"
愛嬌のある見た目の相手に微塵も慈悲などかけず、本気で蝶の様な綺麗な羽に手をかけるニナに、ラララは恐怖で震えながらポロポロと泣き始めた。
その姿を目の当たりにしたロドルフォとカミュロンが、言葉はわからないながらもニナがとんでもない脅迫をしているのだろうと勘付いて慌てて制止に入る。
「おおお落ち着けニナ!こんな可愛い奴を泣かすなんてお前、鬼か!?」
「ヨーセイ、イタズラすき。メーワクなのいっぱい。いたいメみるほうがいい」
「だからって羽は!羽はやめてあげてくれ!それにほら!皆が連れて行かれた所に案内させなければならないじゃないか!」
「……なんでコレかばう?テキだろ?」
「「庇うに決まってるだろ!!」」
こんな可愛い生き物を泣かせる方がどうかしていると、二人揃って叫ばれてしまった。
不服そうにしているニナには到底理解できない感性であったが、そんな二人のおかげで、ラララは命と同じぐらい大事な羽を失わずに済んだのだった。
金属同士がぶつかり合う、激しい戦闘音が響いていた。
片方はアリステアの剣が響かせる刃の音で、もう一方は鉄の様に硬い皮膚を持つ魔蟲の手脚から響く音だ。
一人と一体は、王宮の前で邂逅してから今までずっと交戦を続けていた。
途中何度も逃げ惑う人通りにまで飛び出しては、剣と拳を交え、時折投げられる助けを求める声にはアリステアが出来うる限りの範囲で答えていき、隙ありとでも言いたげに攻めてくる魔蟲の拳を受け流しながら攻撃の反動で場所を移す、をひたすら繰り返している。
好転も悪化もしないこの死合。
アリステアがそこまで手こずる程にこの魔蟲は強敵で、それに何より、街の状況が相当に緊迫しているが為に、気が気ではなかった。
「そろそろ進展が欲しいものだな」
そう独りごちながら何度目かもわからない魔法を発動し、魔蟲が建物を乗り越えて何処かへと跳ねて行ってしまうのを確認すると、魔晶石を取り替えながら地上から後を追いかける。
その間に、すれ違った王国騎士達が叫ぶ様にアリステアに声をかけてきた。
「ディーノ団長!この先は危険です!」
「噴水広場は今、魔蟲達が陣取っていて人の死体を積み上げています!今そこに飛び込んで行かれるのは自殺行為です!」
「それならむしろ私が行かねばならん!お前達は他に取り残されている生存者が居ないか確認した後、直ちに中央区画から避難しろ!」
「で、ですが……うわあ!?」
言い淀んだ騎士を空から飛んできた魔蟲が不意打ちで捕まえていき、そのまま噴水広場の方まで飛んで行くとその上空で騎士から手を離すのを、他の騎士達は目撃してしまった。
あの高さから落とされれば、常人なら確実に死ぬ。
途端にたじろいでしまう騎士達をアリステアは叱咤すると、再度避難命令を出して自分は中央区画の最中央地、普段は憩いの場として設けられ屋台等も立ち並んでいる、広い芝生が敷き詰められた噴水広場へと向かって、直ぐ様駆け出して行った。
此処までの道中でもそうだったが、この噴水広場周辺は特に被害が尋常ではなく、あちらこちらで人と魔蟲双方の死体が転がっている。
魔蟲達が襲撃してきてから、もうどれぐらいの時間が経過しただろうか。
鎧の隙間に仕舞っている通信ラクリマから何度か声が聞こえたような気がしていたが、応答する暇もない位に今まで戦闘に没頭していたアリステアは、戦況が今どのようになっているのかすら把握出来ていなかった。
そして大通りを抜け、広場まで出た瞬間、先程聞かされた通りに人の山があちこちに積み上げられている光景を見て、思わず口を押さえる。
それはまるで、地獄の入口だった。
「イヤー!下ろしてってばー!」
広場のシンボルとなっている、記念館と噴水が建っている王都の中央付近。
そこに、複数の魔蟲達と、その者達に捕らえられている複数の人間が居る事を、アリステアは確認した。
別の場所で側近達に捕まり、この場に連行されてきたクゥフィア達だ。
全員が巨大な蜘蛛の巣に括り付けられ磔状態にされており、小さな魔蟲達が彼等を食べたそうにその下を徘徊しているさまを見て直ぐにそちらに駆け寄ろうとしたのだが、先程までアリステアと交戦していたあの魔蟲がまたアリステアの前に立ちはだかり、その行く手を阻む。
「!閣下…!」
「ソフィア嬢!?何故貴女達が此処に……否。今お助けする!それ迄のご辛抱を!」
その言葉にソフィアだけでなく、キキュルーとリカルドも目を丸くした。
だがゼトは顔を歪ませて「白々しい…!」と吐き捨て、クゥフィアも顔を青くしたまま、アリステアの動向を追っている。
アリステアのその行動と、ゼト達のこの反応が、あまりに違いすぎる。
「ちょっと!アリステア!この魔蟲の大騒動、アンタが引き起こしたんでしょ!今すぐ止めさせなさいよ!」
単刀直入にキキュルーがそう叫ぶと、剣を構えて魔蟲と交戦しだしたアリステアがぎょっと驚いた風になる。
「私!?私が引き起こしたとは、一体何を言い出すんだ!」
「はあ!?しらばっくれてんじゃないわよ!」
「否、本当に知らない!そもそもこの襲撃は人間が仕組んだ事なのか!?こんな大それた事をやってのける者が存在するというのか!?」
あまりに必死で、血相を変えつつも本気で魔蟲と命のやり取りをしている光景を見て、一行は更に混乱してしまった。
知らないと言い張るのは、果たして責任逃れなのか?
それとも、何か他の策を張り巡らせているのか?
だが、今の様子を見る限り、大人達の目には只々濡れ衣を着せられて懸命に弁明している様にしか捉えられなくて、一体どういう事なのか判断が付けられない。
その原因は、アリステアが真犯人である証拠を誰も掴めずに、異世界から来た者達の話だけを信じて此処まで来てしまったから、という理由がある。
そんな彼等を、子供二人はあえて何も言わず、ただ祈る様に沈黙する事を選んでいた。
それから数分もしないうちに、ニナ達はボンドに乗ってやっと広場へと到達する。
腰に縄を括り付けられたラララが不満そうに彼等を此処まで誘導したのだが、このエリアまで来た瞬間、死体の山々に一行が目を奪われている隙を見てあっさりとその拘束からすり抜け、一目散に何処かへ飛び去ってしまった。
「ああ!?逃がしちまった!」
「ロディ、しばりあまい」
「だっ、だってよお……苦しそうに瞳をウルウルされたらよお……良心が痛むじゃんかよ」
「あまい」
ニナの端的で厳しい指摘に、ロドルフォは反論出来ない。
そんな二人を他所にカミュロンが青ざめながらも目を凝らすと、広い敷地の中、数ある死体の山、蠢き合う魔蟲達の先にある噴水広場のシンボル付近で、連れ去られた仲間達の姿を発見した。
「ソフィアーッ!!」
ボンドから飛び降りたカミュロンは、猛スピードで駆け出しながら槍を構えて、進路を阻んでいる魔蟲達に向かって魔法を放つ。
「邪魔だ!"地槍・覇者の道"!!」
一振り薙げば、槍から放出された魔力に引かれて芝生ごと大地が捲り上がり、直線上に居た魔蟲を吹き飛ばしながら新たな道を形成した。
そこを駆け抜けていくカミュロンに、ニナとロドルフォ、ボンドも続く。
そうして一気に噴水の近くまで接近すると、その広場で魔王蟲の側近の一体と激戦を繰り広げているアリステアをも発見して、想像していなかった状況に彼等も立ち止まって混乱するのだった。
「アリステア!?アリステアが何で魔蟲と戦ってんだよ!?」
「団長がこの大進軍をけしかけたのではなかったのか!?」
「………」
「ダイナル隊長!ロドルフォ殿とニナ殿も!丁度良かった!私はこの者の相手だけで手が一杯なのだ!貴殿達が捕らえられている者達を救出してくれ!」
そう叫びながら剣で拳を受け止め、攻撃に転じる姿は、正しく騎士の鏡そのものだった。
エスポアが束になって一匹ずつと対峙する事で、やっと五分五分の勝負ができる魔王蟲の側近と、この場でたった一人で張り合っていけているその強さ。
カミュロンにとってはやはり憧れの存在であり、再三敵であると言われても頭の片隅では無意識に否定し続けていた、頼れる上官である。
此処まで覚悟を決めて来ておきながら、そんな勇姿を目撃してしまえばあっさりとその覚悟がぐらついてしまって、カミュロンは早々にどうすれば良いのか分からなくなってしまった。
そんなカミュロンに代わって、ロドルフォがビシッ!とアリステアを指差しながら、怒鳴りにかかった。
「やいやいやいアリステア!俺らはテメエの悪巧みを全部知ってんだかんな!」
「先程キキュルー嬢にも同じ様な事を言われたがな!私には何の事なのかさっぱりなのだよ!」
「しらばっくれんな!テメエが生贄の儀式とやらをやる為に、カミュロン達の結婚式を利用したって情報は入手済みなんだよ!それに……それ以前に!戦争すら利用して神の涙を起こそうとしていたって事も!」
「全くもって訳が分からん事ばかり!生贄の儀式!?ヘブンスフィア!?聞いた事もない言葉ばかりだよ!いい加減にしてくれ!私がやったという証拠が何処かにあるとでも言うのか!?」
それを言われてロドルフォも、うっと言葉を詰まらせてしまう。
流石に付き合いきれん、と言い捨てられてしまえば、特に証拠を持っている訳でもない彼等はこれ以上の追求が出来ない。
蜘蛛の巣に捕まっている面々も、このやりとりを聞いて更に判断の迷いが生じてしまっており、どうするべきか分からずに誰も口を開けずにいた。
「みんな……」
そんな空気を読み取って、クゥフィアは悔しそうに目を瞑り、ゼトなんかはとっくに見切りを付けてしまっている。
その子供達と、エスポアメンバーの様子をざっと見回してみたニナは、一つ思案をすると、自分の剣を構えて不意に走り出した。
駆けつけた先は、アリステアと交戦している魔蟲の目の前。
アリステアを庇う様に立ち止まり、アリステアに迫っていた鉄の拳を、ニナが代わりに受け止めたのだった。
「!ニナーナ様!?」
『アリステア、てつだうよ。ロディもキキも、おまえにわるいこといった。ごめんね?』
「……否。私もついムキになってしまった。貴殿が助太刀してくれると何よりも心強いよ」
『オレつよい。しってたっけ?』
「そういえば間近で見るのは初めてだったかな?だが、風の噂やダイナル隊長の話でよく伺っていたよ。貴殿がエスポア最強なんだとね」
フ……と軽く笑いながら、ニナは拳を弾き返し、尚も繰り出される攻撃を淡々と捌いていく。
幾度かそれが続くと、魔蟲が後方に数メートル飛び跳ね、その隙にニナも大業を発動させる為に集中して構えを取った。
『サイキョーかどーか、わからない。それにたぶん、アリステアのほうがつよいよ。だからてつだって?』
「……貴殿に頼られるとは光栄だな。あいわかった。共に尽力して敵を討とう」
そう言ってアリステアも剣を顔の前に立てて、ニナの背後で構えを取る。
そしてそれを見た魔蟲が魔法を打ち出し、それがニナの目の前まで飛んで来た、瞬間。
「敵は貴殿の事だがな。ニナ殿」
そんな声が後ろから聞こえてきた。
だがニナは構わず、前方に向かって魔法を放つ。
その魔法は魔蟲が放った魔法を打ち消し、魔蟲本人すらも巻き込み消滅させ、蜘蛛の巣が張られている記念館の一部を破壊して、拘束されていたリカルド達を解放する。
「"キリング・ファイア"!!」
手が自由に動かせるようになった瞬間、サブマシンガンを地面に向けてリカルドも魔法を発動させた。
真下に蔓延っていた小型の魔蟲達を銃撃込みの火魔法で一層し、キキュルーがすぐに水のラクリマで消火活動に入って、全員無事に地面へと着地する。
すると、傍に控えていた残り二体の側近魔蟲が再び彼等を拘束しようと動き出すが、ソフィアが咄嗟に防御魔法を発動させて、二体の繰り出す攻撃を弾き返した。
「「"フリーズランサー"!!」」
そこへ畳み掛けとして、リカルドとキキュルーが水魔法と風魔法の応用合体技をぶち込めば、無数の氷柱が二体の強靱な体を蜂の巣にしていって、見事撃破する事に成功したのだった。
アイコンタクトすらも無かった素晴らしい連携に、クゥフィアだけでなくゼトすらも思わず感嘆する。
そして、顔付きが変わった三人は互いに頷き合うと、リカルドとキキュルーは武器を構えたままニナ達を取り囲み、ソフィアはクゥフィアとゼトを両手で抱き込んで、同じ方向をきつく睨み付ける。
「…………何故、私に刃を向けているのかね?」
首元に、大剣と槍の刃を当てられているアリステアは、それを見やると冷静にそう囁いた。
左右に立ったロドルフォとカミュロンは、完全に覚悟を決めた表情でアリステアの問いに答える。
「貴方がニナを殺そうとしたからですよ」
「誤解だ。私はニナ殿の助太刀をしようとしたまでだ」
「じゃあアンタの剣は何でソッチを向いてんだよ?もう下手な言い訳はよしとけや」
そう言われて、アリステアは己の剣先に目を移す。
我が愛剣とも言うべき煌びやかなソレの向く先には、ニナの背中がある。
そう、あの瞬間、アリステアは背後からニナを刺し殺そうとしたのだ。
だが、その剣ががら空きの背中にめり込む前に、ロドルフォとカミュロンが動いて、アリステアに武器を向けた事でその手は寸でのところで止まり、ニナは安心して先程の魔法を放つ事が出来た。
この緊迫した状況で、大きな戦力であるニナを殺害しようとしたこの事実。
エスポアの皆にとっては、アリステアを敵認定するには十分すぎる証拠であった。
「成程、もはや言い逃れは出来ん様だな。だが、何故貴殿達は動けたのだ?つい先程まであんなに動揺していたというのに、一体何が決定打になってしまったのだ?」
淡々とした口調を崩さないまま、アリステアは剣を下ろす。
すると、動けるようになったニナがアリステアの方へと向き直り、わざとらしく唇に指を置いた。
「ことば」
「言葉?」
「やっぱりきづかない?オレ、さっきデューラスごちがう、オレのせかいのことば、それでしゃべった」
「!」
『この世界の人間じゃ決して訳せない言語だ。さっきの妖精もそうだったが、神の涙の適合者とやらは、自動通訳が適用されている様だな。つまり、ロディ達には俺が何を喋っていたのかさっぱりなのに、お前は俺の言っている事をちゃんと理解していた。それが決定打さ』
サングラス越しからでも分かる、相手を嘲る様な視線。
欺瞞上等である悪魔だからこそ堂々と出来るこのカマかけは、見事に功を奏した。
暫し辺りに沈黙が漂う。
誰もが武器を下ろす事無くアリステアを睨み付け、更にその周辺を、魔蟲達が何かの指示を待っているかのように待機している、そんな異様な光景が広がっていた。
その沈黙を破ったのは、肩を震わせながら徐々に高笑いをし始め、完全に仮面を取り払う事にしたアリステアだった。
「まさかこの私が、こんな初歩的なミスに引っかかるとはな。どうやら貴殿とはもっと対話を重ねておくべきだった様だ、英雄国宝ニナ殿。……否。デュアル・ファン・エディネスの魔皇帝、【ニナーナ・ガルディン・アルヴァイン】殿」
今までの高潔な雰囲気とは異なる表情を向けられて、ニナも、懐かしい自分のフルネームに悪どい笑みを浮かべる。
「へー。オレのナマエ、しってた?すごいネ」
「ヒュードラードの捕縛劇の後に少々調べさせてもらった。想像以上の経歴をお持ちで心底驚いたよ」
「ハッ!ナマイキ、なクソガキ!」
そう鼻で笑った瞬間、ニナは素早く後方へとジャンプした。
ロドルフォとカミュロンも何かに気付いてすぐにアリステアから離れると、その直後、三人が立っていた地面から無数の魔蟲の手脚が生えてくる。
「この際だ。何故私がこのような手間を繰り返していたのか、一つずつ貴殿達に教えてやろう」
突然這い上がって来る地中型魔蟲に動揺していると、周囲に居た魔蟲達も一斉に動き始め、エスポア達を無視して、アリステアの傍に集まっていく。
自らが玉座になるようにその下や背へと潜り込み、アリステアはさも当然とでも言いたげに、横柄かつ無遠慮にそれ等に腰掛けると、その内の一匹が何やらボールサイズの物体を運んで、アリステアのすぐ脇にまで近寄ってきた。
それを見届けた時、ソレが何かを確認してしまったエスポアのメンバーとボンドは、思わず声にならない悲鳴を上げてしまう。
「神の涙をご存知なら、私の権能の事も聞かれているのではないかね?私の権能[蟲使い]は今のところ、どんなに大きくても知性のない虫を操る程度の力しか無くてね。これを覚醒させたくて、もうかれこれ一年近く実験と研鑽を重ねていたのだよ。……コイツを使ってね」
そう言って片手で持ち上げたソレは、エスポア全員が力を合わせて打ち倒し、ロドルフォが最後の止めとして切り落としたモノ。
魔王蟲の首そのものだった。
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