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死に物狂いでなんとか王宮へと辿り着いた国王達は、その足で急いで緊急避難通路へと向かった。
王宮の中庭にあたる広い花園にその入口を隠していて、花壇に見立てた扉をずらす事でその通路が利用出来る仕様となっており、長く入り組んだ通路を進んで行けばその先は王家の歴史ある地下遺跡と、その傍に用意された避難用邸宅へと繋がっていた。
過去を遡るとその場所を使うのは凡そ250年ぶりらしいが、月に数度は邸宅の清掃と保守管理をさせているので、使用する分には何ら問題はない筈だ。
そう考えてわざわざ魔蟲の群がる街中を突っ切ってでも王宮へ戻ってきた国王達だが、大臣や騎士達に王宮の中でも護衛されながら中庭へと向かっていると、丁度進行方向から男性の悲鳴が聞こえてきたのをその耳で聞き取ってしまった。
急いでそちらへ向かえば、その通路の入口で顔を青ざめている二人の息子の姿を発見した。
「どうしたのだ我が息子達よ!」
「あ……ち、父上」
滅多に走らない国王が走りながら声をかければ、第一王子が引き攣った表情で花壇を指差す。
急いで駆け寄って見てみると、そのとんでもない光景に国王も同じく顔を青ざめて、王妃と王女は思わず甲高い悲鳴を上げて互いに手を握り締めた。
花壇の扉は既に開かれていたのだが、その通路の入口に、尋常じゃない量の虫が湧いていたのだ。
芋虫から羽虫、毒虫まで、土に潜り込んでいく種類の物が無数に蔓延っていて、急な光に驚いて激しく蠢きあっている。
コレは、精神的に来るものがあった。
「何でこんな有り様になっているんだ!しっかり管理させていたのではなかったのか!?」
「さ、させておりましたよ!?丁度この前もディーノ団長閣下の立会いの下で定期メンテナンスを行いに向かいました!その時もそれ以前もこんな事は予兆すらありませんでしたのに!」
第二王子の怒号にたまたまその場に付き従っていた管理監督担当の大臣が慌てて弁明するが、今現状がコレだと説得力の欠片もない。
これでは中に入る事も出来ず、更に責任追及をしようと大臣に食って掛かろうとした時、虫達が外へ這い出てくる動きを見せた事に気付いて全員が急いで後退る。
それとは別方向から今度は羽音も聞こえ、見回してみれば花壇のあちこちから、いつの間にそんなに潜んでいたのかという程の大量の蜂が姿を現して、中庭にいる人間全てに襲いかかってきた。
異常すぎる緊急事態に、身分も性別も関係なく悲鳴を上げて四方八方へと逃げ惑い、中庭は一瞬で阿鼻叫喚となる。
各々が急いで複数ある扉や窓から建物の中に戻って施錠をする事で虫との分断には何とか成功するが、何人かは蜂に刺されて顔や腕が既に膨れ上がっていた。
そしてこの扉に逃げ込んで来たのは国王とメイジャス王女、そして側近が一人と騎士が数人だけである。
王妃や王子その他の大臣達の姿は見当たらず、どうやら全く違う方向の王宮内へ逃げ込んだ様だ。
「ど、どうしましょうお父様、これでは、地下遺跡への通路が使えませんわ…!」
「仕方が無い。人数を割いて虫の駆除をさせねばならんから、それが終わる迄は王宮魔法士達に防御結界を張らせて暫く籠城する事にしよう。魔法士室長は何処におる!?」
「既に結界の準備をする為に西塔へ向かわれました」
留守番をしていた側近が直ぐにそう報告すると仰々しく頷く。
「では、結界はもう間もなく作動するのだな?」
「はい。国王様がお戻りになられ次第それを行うと申し上げておりましたので、伝令が届きましたら恐らく直ぐにでも…」
だが、事はそう上手くはいかなかった。
皆が背を向けていた扉の奥から、何やら大きな物が落ちてきたような地響きが聞こえ、続けざまに魔蟲の鳴き声が数匹分聞こえてきたのだ。
途端に全員がまた顔面蒼白し、騎士達が国王達を庇いながら恐る恐る扉から離れていき、中庭の方から建造物が破壊される音と誰の声かもわからない悲鳴が聞こえた瞬間、国王は愛娘を抱き抱えて脱兎の如く、出来る限りの速さでその場から逃げ出した。
慌てて後を追って来る側近達に、体裁も無く叫び散らす。
「誰か西塔へ行って早く結界を張るよう伝えるのだ!」
「で、ですが!既に侵入を許してしまった後では手遅れでは!?」
「ええい!これ以上侵入させん為だと言うのがわからんのか!魔蟲の一匹や二匹、貴様等騎士なら容易く討伐できよう!」
「せ、精鋭騎士ならともかく、私共の様な王宮騎士ではちょっと……!」
情けない声を出す騎士の顔をよく見ると、彼等は大聖堂から先程まで自分達を護衛していたような精鋭騎士の鎧は着ておらず、王宮常駐の一般騎士で、しかも若い顔触ればかりだった。
中庭でのパニック騒動で、国王がなりふり構わずに王女が逃げ込んだ一番近い扉に続けて飛び込み、自らソレを閉ざしてしまったが為に、貴重な戦力をも自らの手で完全に分断してしまったのだ。
やってしまったという顔をしても、もう手遅れである。
「……し、仕方が無い!儂が自ら西塔へ向かって叱咤するとしよう!メイジャス、お前は何処かへ隠れておるのだ!」
「は、はい、お父さ……」
王女が最後まで言い切る前に、またもや轟音が響いた。
今度は塔一つ分は倒れたのではないかという物凄い音で、しかもそれが西側から聞こえてきたものだから、まさか…と嫌な予感が過ぎってしまう。
急いで階段を数階分駆け上がり、西塔の見える窓辺から外を見た時……国王はその光景を見てしまった事を、後悔した。
西塔に群がる数多の魔蟲達。
塔の天辺が完全に破壊されていて、其処の最上階にあった大部屋が野外に晒されてしまっており、多くの魔法士達が魔蟲に囲まれていた。
結界を張る為に塔に居た魔法士達は、恐らく応戦はしたのだろうが為す術なくそのまま捕まり、喰われ、或いは建物と共に投げ捨てられ、己の役目を果たせず無惨にもその命を儚く散らせていた。
それを直に目撃してしまい、そして更に塔の後ろには、美しかった筈のバルデュユースのあちらこちらで煙や火、人々の悲鳴、奇怪な鳴き声が上がっている。
魔蟲が群がり、空を飛び、人種や国籍関係なく、今日の大結婚式典の為にこの王都へと集まっていた人間達を無差別に襲っている。
まるで、地獄の様な景色が広がっていた。
王都を見下ろしていた空も式前までは雲一つない晴天だった筈なのに、いつの間にか不吉な曇天へと様変わりしている。
何故こうなってしまったのだろうか。
そもそもの原因を考えてみるが、国王には思い当たる節がない。
ただ一つ言える事は……恐らく我々が神の逆鱗に触れる様な行いを犯してしまい、それに憤怒した神が、我々人間を見放したもうたのだろうという事だった。
もはや王宮は安全とは言えなくなり、生気が抜け落ちてしまった国王の横で同じ光景を見ていたメイジャス王女も、恐怖で愕然と震えていた。
だが、ふと遠方の空に気がかりなモノが見え、王女は窓にへばりついて目を凝らしてみる。
凡そ西側の方角、その空に漂う飛行型魔蟲の群れが、一つの小さな黒点に向かって襲いかかっている風に動いているのが辛うじて見て取れる。
そしてその黒点は……どうやら人の形をしている様なのだ。
信じられない!と魔蟲に乗っていた男は思った。
何が信じられないのかと言うと、先日知り合った女性が馬に跨って王都を駆けているのをたまたま見かけて、自分が欲しい情報を手に入れられたのか確認する為に接近したところ、その後ろに乗っていたサングラスの男が突然此方へ飛んで来て有無も言わさずに攻撃を仕掛けてきたのだ。
余りにも突然過ぎて浮かべていた笑みを思わず引き攣らせ、咄嗟に回避行動を取るもののサングラス男の猛攻は凄まじく、空中にも関わらず無数の剣撃を浴びせられる。
それを驚愕しながらもすんでの所で全て躱すと、流石に頭に来たので自分が命令権を委託されている飛行型魔蟲、約千六百匹を集団で差し向けたところ、男はまるで地上でダンスステップを踏むのと同じぐらいに優雅に、そして軽やかに、魔蟲達を薙ぎ払いその体を蹴り落として、二度三度と此方にまで迫ってきてはこの首を狙いに剣を振るってきた。
「うっそーん!?」
思わず情けない声を上げながらそれも辛うじて躱し続けるが、三度目の攻撃で首の薄皮が切れてしまってヒリヒリとした痛覚を覚える。
痛みに耐性のない魔蟲乗りの男は、それをきっかけにいよいよ本気で焦り始めて、直ぐに己の[権能]を使う事に決めた。
「"視覚遮断"!!」
掌をパンッ!と合わせてそう叫ばれた瞬間、サングラス男───ニナの視界は急に暗黒色に染まった。
夜になるよりも更に暗く、黒く、色どころか物の輪郭すらも捉えられない闇の中へと放り込まれる。
どうやら奴の能力か何かで失明させられてしまった様だ。
……だが、視覚以外の感覚は全て生きている。
「どうだい?全く見えないだろー?オレっちの事を甘く見てるからあアアーッ!?」
得意顔でまた笑おうとしていたのに、間髪入れず魔矢が一直線に顔面まで飛んで来て決め台詞が悲鳴に変わってしまった。
ギリギリで頬に掠りながら避ければ呆気に取られる暇もなく魔矢から風魔法が発動し、男を魔蟲ごとスライスする勢いで鋭利な風の刃が八方に爆ぜ飛んでくる。
間近でそれを食らってしまった男は、ブロック切りされた乗り物用の魔蟲と共に体中から血飛沫を上げて、その余りにもの激痛に意識が飛びそうになった。
「あまくみてる、ソッチだろ?」
「ッ!……"痛覚遮断"!!」
意地で掌をまた合わせて今度は自分に権能を行使する。
すると痛みが見る見る引いていき、見た目は重傷でありながらもまた普通に体を動かせられるようになって、新しい魔蟲の背中に着地しながら忌々しげにニナを睨みつけた。
「なら、これならどうだ!」
魔蟲をニナに接近させるのはやめて周囲と頭上に配置させ、彼の足場を無くしてしまう。
未だ失明しているニナは、それでも平然と魔矢を真下に発射する事で風魔法を駆使して空中に留まると、空気の流れや音等で魔蟲達が一斉に攻撃魔法を使ってくる気配を察知する。
「さあ食らっちゃえ!食らっちゃいな!」
男の号令に合わせてニナに、そして地上に向けて凄まじい威力の破壊魔法が放たれた。
本来ならば一瞬で死滅するだろうその無差別攻撃に……しかしニナは動じない。
「"バリバリドーム"」
魔法が降ってくる空と周囲に向かって二回剣を振ると、一瞬で雷魔法がレンズ型の囲いを作ってニナを保護する様に展開され、真反対側は破壊魔法を打ち消しながら逆に何十筋もの雷を打ち上げて、魔蟲達の体を貫き焦がしその命を狩っていった。
つい先程まで千六百匹程いた魔蟲は、このたった一人のニナによる猛攻のせいで、一気に三分の一近くまでその数を減らしてしまった。
男は驚愕と危機感と頭の中にある疑問が拭えず、冷や汗を流し続ける。
聞いてきた情報では、このニナという男は異世界の魔王みたいな存在ではあるが、その力は完全に封印されていて今はただの人間同然であるとあった。
確かに他よりも優れた戦闘技術や知識はあるが、大した力もない人間に紛れてギルドとかいう組織に入らないといけない程に弱っているので、制圧する事は恐らく容易いだろう。
今のニナの実力は、高く見積っても恐らくヒュードラード並みであると思われる。
だから"彼等"の援護として自分が行けば、幾つか与えられたミッションを達成する事も容易であろう、と……。
「何だよ、何だよなんだよ!聞いてた話と違うじゃん!ヒュードラードと同等!?コレが!?こんなのオレっちの手に負えねーよ!せめて【J】か【A】ランクの出番だって!だってこんなの……こんな奴、生身でも化け物じゃーん!!」
自分では到底手に負えないと悟り、魔蟲乗りの男は頭を抱えながらそう叫ぶと、生き残った魔蟲を連れて一目散に逃げ出した。
その瞬間に風船が割れる様な音が聞こえてニナの視界が唐突に戻り、男の逃げた方角を見てニヤリと笑う。
「ヴァレに、アス…ねえ……?」
貴重な情報を入手は出来たが、まだ圧倒的に不足している。
このままあの男を締め上げればどうやら簡単に口を割ってくれそうだと考えたニナは、男を殺すではなく捕らえるの方向へと目的を変更する事にして、風魔法を駆使して男と魔蟲達を直ぐに追いかけた。
その一部始終を、声までは聞こえないながらも地上で見届けていたギスターツは、その姿が数秒で遠い空へと飛んで行くのを呆然と見送っていた。
「……ニナの奴、あんなに強かったっけ?」
いつも防御魔法や援護はリカルドに甘んじて、何をするにしてもベッタリくっついて彼を頼っていたくせに、たった一人でも空飛ぶ魔蟲達を蹂躙していったあの圧倒的な力は、もしかしたら今まで誰にも見せた事がなかったのではないだろうか。
ギルドマスターにも、エスポアにも、そしてそれこそ、ニナが一番懐いて懇意にしているリカルドにすらも。
そう思い至ったギスターツは、先程一時、本当に一時だけ感じたあの温かい気持ちが、急激に冷めていくのを感じた。
「アタイ、やっぱりアイツ、嫌いだわ」
恐らく周りを立てる為に自分の実力を隠していたのだろうが、秘密の多い奴は好きじゃないギスターツの無意識の独り言に、彼女を乗せていた愛馬だけが強く首を振って嘶く事で同意したのだった。
そんな評価を受けているとは知らないニナは、執拗に男を追いかけ回して空中鬼ごっこを楽しんでいた。
「なあーんで飛んで来ちゃうわけえ!?この世界の魔法で空って飛べたっけ!?聞いてないんですけどー!?あっ!ヤダ!ヤダ!来んな!頼むから来んなー!!」
旋回しようが建物の隙間を縫おうが、魔蟲を盾にしようが全く速度を落とさずにニナが真後ろにピタッとくっ付いてくる。
その口元には笑みが張り付いていて余裕綽々といった雰囲気に、男は頭に来るものの打開策が思い浮かばず、情けなく逃げ惑うだけであった。
戦力を大きく削られただけでなく、ちょっとやそっとの権能では恐らくコイツを止められない。
かといって、コイツの感覚をもう幾つか遮断させて行動不能状態にさせる事は出来るものの、感覚系の権能は隠蔽系よりも操るのが面倒なのである。
それをするには今自分にかけている痛覚遮断を一度解除して集中しなければならず、見るからに出血多量で痛々しい自分の有り様を見てみると、解除してしまえば余りにもの激痛と貧血であっさりと気絶する自信しかない。
他に思い当たる方法は何かないかと辺りを見回してみて、空中を縦横無尽に飛び回っている自分達の様子を街の人間達が驚愕の表情で見上げているのを確認した時、男は僅かな可能性を一つ思いついた。
人質。
だが、効果はあるのだろうか?
後ろに迫っている相手は、異世界で悪魔を統率していた存在だ。
彼と関わりのない世界の、更に関わりのない人間を人質に取ったところで、この魔王が止まるとは思えない。
ならばせめて接点のある人間を使って一か八かを狙わねば……と考えて、男は自分が唯一知っているギスターツを拾ってこれなかった事を後悔した。
「他!誰か他の奴!アイツと接点がありそうでちょっとでも動きを鈍らせられそうな……!」
事前に貰っていた情報では他にも何人か仲間が居るらしいが、ただでさえ人口密度が高くなっている王都の中から一桁程度の人数だけを探し当てるなんて、正直不可能な話である。
それでも諦めきれずに飛び回りながら、そういった人物が居ないかを探し求めていた時、僅かに、だが確かに声が聞こえてそちらを振り向いてみた。
知らぬ内に王宮の近くまで飛んで来ていたのだが、その王宮内の窓の一つから、今にも飛び降りそうなぐらいに身を乗り出して、此方に向かって大声で叫んでいる女性の姿を捉えた。
「ニナ様ー!!お空も飛べるなんて素敵ですー!!」
「お、王女様!王女様!?落ちますって!」
「危ないですから早く窓をお締めください!」
こんな事態であるというのにニナの姿を確認した瞬間、周りが見えなくなって大興奮しながら声援を送ってきているメイジャス王女であった。
そういや王宮も襲えって言われてたなーと他人事の様に思い出した男は、その王女の尋常ではない熱意に口角を上げ、急遽旋回して行き先を変える。
すると魔蟲の大群が真っ直ぐ此方に向かってきていると気付いた王女や騎士達は、一気に顔色を変えて慌てて建物の中に避難しようとした。
だが残念ながら間に合わず、男が魔蟲に魔法を撃たせて王女達が居るすぐ側の壁を破壊させると、その勢いで怯んだお付きの者は完全に捨て置いて、窓際スレスレでメイジャス王女だけを掴んで空へと飛び去った。
突然の事に誰も反応が出来ず、国王が娘の名前を叫んでいるが勿論そんなのは無視をして、男は顔を青ざめている王女を抱きかかえ直すと、元来た方向へと戻って行く。
そして異変に気付いて宮外の建物の屋根に降りていたニナを直ぐに見つけ出し、少し離れた宙に留まる事でやっと逃げる事をやめたのだった。
「なあなあ、アンタってこの王女さまと面識ってあるわけー?やけに熱狂的だったから思わず連れてきちゃったんだけどー」
「あ……ニナ、様……っ!」
「…………」
「無言は肯定と思っても良いよねー?ならオレっちの言いたい事もわかるかなー?わかるよねー?……いい加減調子に乗ってんじゃねーよ」
背中に隠し持っていたダガーを取り出してその先をメイジャス王女の喉元にぴたりとくっ付ける。
「ヒ!?」と小さく悲鳴を上げる王女を見て何かを思っているのか、サングラスで表情が読み取れないながらもニナは無言でその場から動かないでいた。
想像以上に手応えを感じて、男はやっと余裕を取り戻していく。
「よーしよしよし。そのまま動くなよー?オレっちの質問に答えてくれたら王女さまは離してやる。アンタなら知ってる筈だろ?さー、神の子の居場所をオレっちに教えな」
「ヤダ」
「……は?」
「こたえた。だからはなせ」
数秒で終わった交渉に名残りなど無く、そう言い放ったニナは剣先を男とメイジャス王女に向けると、一瞬で電撃の玉を先端に生み出して何の躊躇いも無くさらっと撃ってきた。
王女をどうこうするとしっかり決めてはいなかった男は、予想外の急な事に判断よりも条件反射が勝ってしまい、あっさり王女を捨てて魔蟲ごと横に飛んで回避する。
するとまるでそれを予見していたかの様に、メイジャス王女の直前で電撃は進路を変え、豪速で男の側まで迫って行った。
「!?反則だろぉぉお!!」
本気で死を覚悟した男は、咄嗟に乗っていた魔蟲の背中を蹴って前に跳んだ。
それが偶然にも功を奏して、電撃は魔蟲に直撃して空中で激しいスパークを伴った爆発を引き起こし、その爆風の勢いで男は更に吹き飛ばされて何処かの倉庫へと叩きつけられる。
対して、男に放り投げられたメイジャス王女は悲鳴を上げながら頭から地面へ落下しようとしていたが、電撃と数瞬の差で屋根を蹴っていたニナが空中で王女を回収し、そしてそのまま地上に着地した事で、その玉の肌は傷一つ付かずに済んだのだった。
しかもまるで夢の中の王子様のように、ふわりと自分の後頭部を手で支えて流れる様に自然なお姫様抱っこを披露してみせ、着地の仕方もこれまた羽が生えているかの様に軽やかで理想的な姿だったものだから、王女だけでなく偶々その場に居合わせていた騎士や市民、観光客達は、今だけは皆逃げるのを忘れてニナの一挙一動に見惚れていた。
「おうじょさま、ケガない?」
「あ……は…はい……貴方様のおかげで御座います…」
「よかった。きょうのドレス、にあってるね。とってもキレー」
「!!」
喋り方は拙く気さくだが、とても丁寧な心遣い。
そして何よりメイジャスが求めていた最高の褒め言葉を貰う事が出来て、更に更に、憧れの男性が自分をお姫様抱っこして目の前で優しく微笑んでくれているものだから、メイジャスは途端に赤面して今迄の人生にないぐらい挙動不審に陥った。
これはもしや、本当に夢ではないだろうか。
「あ……ああぁあ貴方様のっききっき着られるおめっおっお召し物にっああわせてっっかっかか勝手に準備させっせてもらっもっもらいましたあぁ!!」
「え、そーなの?オレ、まだきがえてない。ごめん」
「いえいえいえいえめっっっそうもございませんんん!!いつもの貴方様もたいへん麗しゅうございますううう!!」
「んー。でももったいない。またきるときあったら、そのときオレと、またあわせて?」
片膝を付いたまま未だ腕の中にいる王女の手を取り、恭しくレースグローブの上からキスを落とす。
ここまでやればもうメイジャスは許容範囲を超えて全身を赤く染めてしまい、ボンッ!と頭上から勢い良く湯気を出すとそのままニナの腕の中で気絶してしまった。
その顔は恍惚とした表情をしており、「もう悔いはありませんん…」と幸せいっぱいの様子であった。
そんな王女の体たらくを、ニナは微笑を崩さないながらも、サングラス越しに冷めた目で見つめる。
この男、他者に興味は無いくせにサービス精神だけは旺盛であった。
これもひとえに自分の評判を落とさない為であり、人心掌握を目的とした策略の一つである。
興味は無くとも、何処でその者との縁が必要になるかはわからない。
ならば出来うる限りのコネやツテ、そして相手が一番求めている言葉や行動を選ぶ事で信頼を勝ち取ってこそ、将来的に己が有利になる場面がきっと来る筈だというのが、人間界で人間の様に生活していた事もあるニナの考え方だった。
そのおかげでこの世界ではニナの味方をする者が非常に多く、特に女性からの人気度は絶大で、今この場でも王女を救った上に、その後のやり取りを目の当たりにしてしまったが為に心臓を鷲掴みにされ、地面に突っ伏している女性の数の何と多い事か…。
「さ、さすが英雄国宝……」
「俺達じゃ到底真似できねえ…」
「正しく国宝級のイケメンだ……」
まさかの騎士を含んだ男性陣からもその様な評価を受け、ニナは目をハートにしたまま意識を飛ばしている王女を抱いた状態で立ち上がると、サングラスを掛けているのを逆手に取って遠方の空の様子を確認するフリをしながら、とても虚ろな目をして内心こう思った。
流石に英雄国宝という名は、不愉快だからやめてほしい。
一方、倉庫の屋根を破壊して中に保管されていた資材の山に突っ込んで行った男は、仰向けで呼吸を整えながらも先程までの自分の情けない姿を振り返り、柄にもなく盛大な歯軋りをして衝動的に吠え叫んだ。
「クソがああーー!!あんっっのサングラス野郎お!!ぜったいぜったい、ぜええったい!!ブッッッ殺してやるー!!」
今迄これ程までの屈辱を味わった事がなかった。
男にとってニナのあの壮絶な強さはとんでもないイレギュラーであり、己の地位と安寧だけでなく、組織そのものを揺るがしかねない存在であると認識せざるを得ない。
神の子がこの世界に来ているという情報が無ければ鉢合わせする事はなかったのだろうが、アレがこれから神の子の護衛を務めてしまえば、これ迄以上にその捕縛に苦労してしまう事は想像に難くなかった。
只でさえヒュードラード一人に手こずっていて上から圧をかけられているというのに、本気で勘弁して欲しいと思う。
「うう…っ!まだ[生贄の儀式]も完了してねーし、"アイツ"の権能もまだ覚醒できてねーだろうし、もう散々だよー……オレっちもう帰りてー。帰りてーよお……。せめて、せめてだな?神の子だけでも捕まえねーと……。っ!?」
駄々をこねる様に唸っていた丁度その時、男は何かを感じ取ってボロボロになっている体を勢い良く起こした。
急いで飛び上がって自分が落ちてきた穴から倉庫の屋根へ、そして煙突へと登り、反応があった方向を向いて目を凝らす。
大聖堂が建っている方向。
その近辺で、小さくも淡く光る、眩い聖光をしっかりと捉えた。
神聖力が行使された時の光である。
体内に神の涙を宿している者は、同じ神由来であるからか、ある程度まで近付ければ神聖力の反応を感知する事が出来る。
確信を持った男は先程の不機嫌さとは打って変わって、血塗れになっているその顔に狂気の笑顔を貼り付けた。
そして、着けていたピアスの右耳側を触りながら、大声で叫ぶ。
「見つけたぞー!!大聖堂だ!その近くにいる!"アンタ"も感じただろ!?神の子は大聖堂の近くにいる!」
『────』
「ああ!?オレっちはもうボロボロだっつーの!"アンタ"の誤情報のお陰でな!今から回復に専念すっから捕獲はそっちでやってくれー!」
『──!?────!』
「違うってーの!サボりたいわけじゃなくってほんっとーにボロボロなんだよ!先に所定の場所に行っとくっから後よろしくー!」
半分は本当だがもう半分はニナに見つからない様に隠れていたい気持ちもある男は、一方的に通信を切った後直ぐに生き残っている飛行型魔蟲を全員集めて群れを作らせ、そのまま王都の空へと適当に飛ばせるよう仕向けた。
地上から空を見上げていたニナはそれを捉えると、王女を偶々近くにいた精鋭騎士の一人に預け、消耗した魔晶石を新しく補充し、再び空へと舞い上がる。
声援が上がる中で先程と同じ様に魔蟲の群れを追いかけ、迎撃しながら一気に十、二十と確実に数を減らしていくのだが……途中で違和感を感じて手を止めた。
「しまった。オトリか」
どの魔蟲の上にも男の姿はなく、ニナが此方に気を取られている隙にどうやら別の方法で行方をくらましてしまったらしい。
思ったよりも頭が回転する男だと感心しつつも、情報源を取り逃してしまった事に関して、未だに捨て身の特攻を繰り返してくる魔蟲を切り捨てながら追いかけるべきか否かを思案する。
そして、一旦あの男は捨て置く事にして当初の目的に戻る事にすると、ある程度殲滅して残る魔蟲が散り散りになっていくのを見届けた後再び地上に降り立って、大歓声を受ける中で先程王女を預けた精鋭騎士に問いかけた。
「アリステア、いまどこ?」
「団長ですか?何故団長をお探しに?」
「あー、チカラかしてほしい。どこ?」
「国王陛下達の護衛として王宮に向かわれた迄はわかりますが……おっと、失礼します」
鎧の内側が震えているのに気付いて騎士がそう言うと、今迄不調で使えなかった筈の通信ラクリマが正常に作動していた。
トランシーバーの様な役割で使用しているそれを取り出すと、『伝令!伝令!』という別の騎士の声がニナにも聞こえる音量で響く。
『現在、王都の南方面と東方面区画で被害が拡大しているもよう!近くに居る者はいるか!?』
『此方第三部隊隊長デンタマン。通信ラクリマが使える様になって良かった。現在公爵方を被害の少ない西方面へ避難させた。第三部隊を連れて至急南方面へと向かう』
『此方第四部隊隊長ロック。王宮の近くに居る。恐らく精鋭騎士部隊では我々が一番東に近いだろう。このまま向かうとする』
「此方第五部隊隊長ハクタグ。今私の部隊は住民の避難と魔蟲の迎撃で手が離せない。魔王蟲討伐部隊エスポアの英雄国宝殿と共に居るが、彼がディーノ団長を探している。誰か、団長の行方を知る者は居ないか?」
『此方ロック。団長なら獰猛な魔蟲と現在交戦中だ。恐らく中央区画へ向かったと思われる。団長ご本人とはまだ連絡が取れない状況だ』
それを聞いてニナの口元に笑みが浮かんだ。
通信はまだ続く。
『此方第二部隊隊長シャーディ!王宮から緊急連絡が入った!王女様が魔蟲に乗った何者かに拐かされたらしい!』
『何!?』
「此方ハクタグ。王女様ならご無事だ。今意識は無いが、ニナ殿が悪漢から救出して下さった」
『本当か!?良かった…』
『此方第一部隊隊長カミュロン!反応が遅くなって済まない!私の部隊は大聖堂前で多数の魔蟲と交戦中だ!ハクタグ隊長!ニナが近くに居るなら彼にエスポア用のラクリマを使うようすぐ伝えてくれ!』
ラクリマ越しに聞き慣れた声が響き、懐を確認すると、自分の通信ラクリマも震えていた事にやっと気付いた。
反応は、相棒のリカルドからである。
『ニナ!ニナ!今何処にいる!?』
「えーと……ここドコ?」
縦横無尽に飛び回っていたので細かい位置まではわからないニナに、ハクタグが「南西の住宅区画です」と親切に教える。
「あー、ナンセー、のジュータククカク」
『はあ!?大聖堂の方向とズレてるじゃないか!……いや、今の状況では寧ろ好都合か!?』
「ナニかあった?」
『ああ!大問題が起きた!すまない!完全に俺達の落ち度だ!』
移動している最中なのかかなり声を張り上げていて、そのただならぬ様子に嫌な予感が過ぎる。
そして大抵、そういう予感は外れないものである。
『クゥフィアが、変な光に連れて行かれた!』
「!?」
『本当にすまない!今ゼトが全力で追いかけていて、俺達も大聖堂前は王国騎士達に任せて、エスポア全員でボンドに運んでもらっているところだ!ニナ!お前も追えるか!?』
最後まで聞く前に地面を強く蹴った。
急いで建物の屋根に登って辺りを見渡すが、何処も魔蟲が蠢いて破壊音と戦闘音、そして悲鳴が響いており、流石に目視ではその変な光とやらは確認出来なかった。
やはり、クゥフィアがバルデュユースに来ていた事は、敵側に気付かれていたらしい。
「どっちいった!?」
『所在情報魔法紙は王都の中心を指している!恐らく中央区画だ!』
「わかった!チューオーむかう!から、リカたちもたのむ!」
『ああ!』
雑に通信を切ると、ニナはまた空を飛んだ。
魔晶石の消耗を考えると只の移動目的で魔法を多用するのは控えたいのだが、今はそんな事など言っていられない。
王都の入口でクゥフィア達に置いて行かれた時点で、こうなる可能性があるという懸念は持っていたのだ。
変な光の正体はわからないが、恐らくクゥフィアは、アリステアの下へと連れて行かれようとしている。
だとするなら、クゥフィアを探すよりも、現在交戦中だというアリステアを探し当てた方が都合が良いだろうと思い至り、ニナは一段と激しい戦火が上がっている場所を虱潰しに当たろうかと、魔蟲を切り捨てながら王都の空を飛び回る羽目になっていった。
「離して!離してってばー!」
地面から数メートル浮いた足をバタつかせながら、クゥフィアは自分の意思とは関係なくバルデュユースの街並みを猛スピードで縫う様に運ばれていた。
クゥフィアを運んでいるのは、その襟首の辺りでキラキラと光る粉を振り撒いている、ビーチボール程の大きさの光の玉。
正確に言うと、蝶の様な大きな羽をはためかせて光り輝いている小さな人───妖精だった。
時間を少しだけ遡る。
大聖堂の前で魔蟲達と対峙していた時、クゥフィアは何度も神聖力を行使していた。
大剣使いのロドルフォや銃器使いのリカルドの様に武器を扱う事は出来ないので、ゼトやヒュードラードから護身用として仕込まれている体術を駆使しながらその力を使っていくのが、まだ子供であるクゥフィアなりの戦闘スタイルだった。
とても軽い身のこなしで魔蟲の攻撃を避け、一瞬の隙を狙って一匹一匹に光を伴ったそれを浴びせていって鎮静化させていく。
するとクゥフィアの力を浴びたその魔蟲達は洗脳が解けて、皆共通して此処が何処なのか、自分は何をしていたのかと混乱しながら辺りを見渡し、魔蟲と人間の壮絶な死闘を目の当たりにして悲鳴を上げながら縮こまっていった。
そんな同族達にボンドが掻い摘んで説明を行うと、中には戸惑いながらも人間側に寝返っていく者達がちらほらと出始め、少しずつ、だが着実に戦力を増やしていっていたのだった。
「うおお!すっげえ!味方が増えていく!」
一人で既に十一匹も再起不能にさせたロドルフォが感動して声を上げる。
それを聞いて、槍と水魔法を操りながら背中合わせに戦っていたカミュロンも、驚きを隠さずクゥフィアの動向を見ていた。
「魔蟲を味方につけるだなんて、一体どんな魔法を使えばそんな神業が出来るんだ?」
「坊ちゃんだからこその成せる御業ですよ」
クゥフィア以上に軽快で無駄の無い動きをしながら、ゼトがそう言いつつ繰り出された魔蟲の魔法をジャンプで回避すると、その傍に降り立って人差し指を魔蟲の頭部に向ける。
するとその指先から強烈な雷電が発生して魔蟲の全身を走り抜け、命までは取らないものの完全に麻痺状態へと至らしめる。
それを跳ねるように駆けながら何度も繰り返していく様を、魔法専門家であるキキュルーが瞳を輝かせて見ていた。
「そうゆうアンタも神業なんだけど!?良いなあ…私もラクリマ無しでいつかあんな魔法使ってみたい!」
「全く……こんな時に呑気なものだ!」
呆れた様に言いつつ一番得意なライフル銃を空に向けたリカルドは、空中から接近してきていた魔蟲達に発砲すると風魔法を発動させて、その羽を重点的に狙っていく。
飛ぶ機能を失って墜落してきた者達はキキュルーが様々な種類の魔法を駆使して制圧し、それでも襲いかかってくる者は近接型タイプのメンバーが切り倒し、突き倒し、ボンドを含む正気に戻った魔蟲達も防波堤の様に立ち塞がりながら共に戦って、その場を死守していった。
順調そうに見えるこの場の戦局。
しかし、時間が経つにつれて戦況は良くなるどころか、魔蟲の数が増える一方で徐々にエスポアメンバーでも手が回らなくなってきていた。
魔晶石もラクリマも既に何度か取り替えてストックが減りつつあるし、何よりクゥフィアとゼトが激しく息切れし始めて、動きのキレが明らかに鈍くなっていった。
ゼトは最小限の動きと出力で粘っていたのだが、今の魔力量が少ないせいで既に魔力切れが近づいてきている。
対するクゥフィアは神聖力自体は有り余っているものの、如何せん本人の力の捻出方法が稚拙である為にその量を活かしきれておらず、単純にスタミナ切れを起こしていた。
分かり易く表現するなら、クゥフィアの神聖力を水に置き換えると、ダムの満水域までその水が十分溜まっているにも関わらず、ダム穴のサイズが浴槽の水栓並みの大きさしかない為に、ごく微量しか出せなくて一気に放水する事が出来ないという状態である。
体力も気力も人間の子供の域を出ないクゥフィアは、これを自分の意思で操作する事が出来ない。
そんな未熟な自分自身に、いつも悔しい思いをさせられているのだ。
本当なら一気に力を放出して、この場に居る全ての魔蟲を一気に正気に戻せたならば、どれだけみんなの役に立てるだろうか。
そんなクゥフィアの心境を察してか、リカルドがもはや満身創痍になりつつある子供二人を庇う様に立ちながら指示を出した。
「お前達はもう良い。後ろに向かって真っ直ぐ走れ!大聖堂に一旦逃げ込んで、体力を回復するんだ」
「まだ……まだいけるよ!僕まだがんばれる!」
「これ以上頑張られても困る!お前にもしもの事があれば、俺達がニナに顔向けできんだろうが!」
厳しい口調にビクッ!と肩が跳ねる。
事実ではあるが、ショックを受けた様な表情をされてリカルドは少し良心が痛んだものの、厳格にいかねばならないと思い留まって更に続けた。
「元々そのつもりだったんだ。お前達の限界が来る前に大聖堂へ避難させて、他の避難民達に紛れ込ませれば敵もお前達を探しにくくなるだろう?だが余りに人手が足りてなかったもので、お前達の力が必要だったのも本当なんだ」
「リカルドさん……」
「クゥフィアのおかげで魔蟲の何人かは手を貸してくれる様になった。本当に助かったよ。もうすぐニナも到着するだろうし、此処からは俺達が請け負うから、ゼトと一緒に一旦下がっていてくれ。……頼む」
火力重視のサブマシンガンに切り替えながらしっかりと説明すれば、聡いクゥフィアは落ち込みながらも直ぐに納得して、ゼトと共に後方へ下がろうとしてくれた。
それを傍目で見届け、同時にこのタイミングで、大聖堂側から一人の女性が走って来てくるのも確認する。
「カミュ!キキ!……あっ、ロディにリカルドさんも!」
「!ソフィア!」
顔の化粧とヘアスタイルはそのままだが、ドレスだけはあまりに動きにくかったので普段着にへと早着替えしたソフィアが、大きく手を振って戦場に駆け付けてくれた。
本来の魔法士なら、大聖堂程の大きな建物と土地を覆う規模の防御結界を張るとなると、それを維持し続ける為に何度も魔法を張り直さなければいけないのでその場から動けない状態が続いてしまう。
だがソフィアならば、その結界を形を崩す事なく何時間も留めておきながらも、自分は結界の外にすら出て自由に他の補助魔法を使用出来るという、この世界デューベでは最強を誇る後方サポーターなのであった。
それに何より世界で数少ない回復魔法の使い手であるので、彼女が居るのと居ないのとでは心理面でも戦局面でも大きく変わるものがある。
現に、ソフィアの姿を見た瞬間、危機を感じていたエスポア全員の表情が見るからに和らいだのだ。
そして彼女の後ろには、結界が安定した事で持ち場に余裕が出来た王国騎士達が、多数此方へ駆け付けて来るのも視認できた。
これなら持ち堪えられる。
四人がそう安堵した、次の瞬間。
「うわ!?」
クゥフィアの驚いた声が上がった。
全員がそちらを向けば、今まで見た事もない直径40センチ程の光の玉が何やら不思議な光の粉を零しながら、クゥフィアの服の襟を掴んで宙に引っ張り上げている最中だった。
いつ、何処からその玉が出現したのか誰も分からない。
そしてすぐ横に居たゼトが顔色を変えてクゥフィアを捕まえようとしたが、一瞬遅く、光の玉がサッ!とクゥフィアごとゼトの腕をすり抜けて、そのまま凄い勢いで街の方へと飛んで行ってしまった。
「坊ちゃああん!!」
ゼトが叫びながら、周りの目も気にせず瞬時に竜型へと姿を変えて後を追った。
突然の事に他の者達は訳が分からず困惑しているが、ロドルフォとリカルドだけはすぐさま状況を悟って顔を青くし、急いでボンドに後を追うよう伝えると、自分達もボンドの腕に掴まる。
そして、状況が呑み込めていないカミュロン、キキュルー、ソフィアに向けて手を差し伸べた。
「お前らもしがみつけ!後を追うぞ!」
そして、先程の状況に至る…。
何度も「離して!」と叫ぶが聞く耳を持たず、妖精はクゥフィアを抱えたまま人々と魔蟲の頭上を飛び交い、何度も建物の隙間を抜けて行った。
その後を追うのは小竜。
必死で今出せる最高速度を叩き出しているものの、先程の戦闘の影響もあって中々思う様に距離が縮まらず、ゼトは歯を食いしばりながらももぎ取れんばかりの勢いで、精一杯羽を動かし続けた。
それを嘲笑う様に妖精は更に速度を上げようとする……が、それに勘付いたクゥフィアが先に妖精に向かって掌を向け、神聖力を放出する。
「離してって、言ってるだろ!!」
熱が込められた力を向けられて一気に体が熱くなり、妖精は思わず手を離してしまった。
飛んでいた時と同じ勢いで数十メートル程を飛んだクゥフィアは、その後重力に従いながら落下をしていき、地面にぶつかるスレスレでゼトが追い付きクッションになったものの、勢い余って二人して小ぶりの魔蟲を二~三匹撥ね飛ばしてから漸く止まる事に成功する。
衝撃で軽く目を回すが直ぐに正気を取り戻すと、真下に居るゼトの安否を急いで確認する。
体を激しく打ち付けてはいたが、ゼトは問題ないと人型の姿に戻りながらクゥフィアに微笑みかけ、それを見てほっと安堵した後にきつく妖精を睨み付けた。
「もう!急にビックリするじゃんか!いきなり服を掴んで飛び回らないでよ、ラララ!」
拳を振り上げながらそう言えば、ラララと呼ばれた妖精は宙に浮いたまま鈴の様な音を立てた。
その音がどうやら妖精の声らしい。
「僕をどこに運ぼうとしてたの?」
"シャン…シャン…"
「むー、何だよその言い方!でもどうせアリステアのところでしょ?アイツ今、どこにいるの?」
"シャンシャン…シャン…"
「本当に何なのさー!そんな感じなら僕だって本気で怒っちゃうよ!」
ゼトの耳には本当に鈴の音にしか聞こえないのだが、それが意味のある言葉である限りクゥフィアには全ての声がちゃんと理解出来ているようで、ラララと二人して小さい拳と足をバタバタと動かしながら何某らで喧嘩をし始めた。
小さくて可愛い者同士がプンプン怒り合っても、ただ可愛いだけである。
そんなやり取りを少し繰り広げた後、ラララの方が痺れを切らしたのか一度後ろに下がりながら、クゥフィア達に何かをしようとその身を反らせるので二人は思わず身構える。
だが、妖精がその何かをする前に、更にその後ろから大きな手が伸びてきて小さな体をガシッ!と掴んだ。
「やっと追いついたぜ…コレは何だあ?さっきの光の玉はこの虫みたいな小人の仕業か?」
呼吸を軽く乱しながらも何とかこの場に辿り着いたロドルフォであった。
その後ろにはボンド初乗りの三人が死人の様な表情で地面に座り込んでおり、二度目のリカルドもまた乗り物酔いしたのか、物陰に隠れるように四つん這いになっている。
……よくそんな状態で、移動しながら通信ラクリマを使えていたものだ。
そんな彼等の様子など関心のないラララは、乱暴に掴まれた事に激しく怒っていて、ロドルフォの手の中で鈴の音を立てながらジタバタと大暴れしている。
「こんな生き物初めて見たぞ。コレも異世界から来たヤツか?」
「はい。妖精のラララです。普通なら人前に姿を現さない類の種族なのですが……」
「ロドルフォさん、ラララが『変なとこ触らないでよ!エッチ!』って言ってるよ」
「へあ!?ご、ごめん!!」
そんな気は毛頭無かったので、途端に慌てて掴んでいた手を離してしまう。
するとラララはロドルフォの手を抜け、そのまま空高く飛び上がってあっかんべーと言いたげに舌を出すと、何処かへ行ってしまった。
一体何だったのかと拍子抜けを食らうが、とりあえずはクゥフィア達が無事だったのでそれで良しとすると、一旦全員で集まって今後の方針を立て直す事にする。
「僕達は余りにも情報共有が出来てなさすぎる。今のうちにやれる範囲でやっておこう」
そう仕切り出したのはカミュロンだ。
全員がその意見に賛成して、遠征組と王都組で今まであった出来事を、出来うる限り意見交換していく。
遠征組は、二週間前に王都を出てからクゥフィア達と出会い、此処へ戻って来るまでにあった経緯の事を。
王都組は、主にキキュルーの身に起こった謎の虫集団事件からヒュードラードに接触したくだりと、別行動を取る形になっていたカミュロンによるアリステアの今日までの動向を。
互いに短い時間で重要事項を出し合った後、悩ましげに発言しだしたのはソフィアからだった。
「ではこの子達は、本当に異世界からやって来て、今でもさっきのような変わった者達に狙われているのですね?」
「俄かには信じられないが、あの妖精を見てしまった上に、さっき君が竜みたいなものに変身するのも見てしまったからなあ」
カミュロンも、ゼトの方を見ながら悩ましげにそう続ける。
この二人が一番今の状況についての情報が少ない為に、理解が及ぶまで少し時間がかかっている様だ。
それに比べるとキキュルーはこの数日のうちに仕入れた経験や知識のおかげで、二人よりも断然飲み込みが早い。
「じゃあ、この魔蟲大進軍による大虐殺も、魔蟲達の意思ではなくて、本当にアリステアが仕組んだ事だと断言しても良いのね?」
「恐らく」
「だが何故団長はこんな事を?よりにもよって今王都の人口は普段の倍近く、約六百万人程にも膨れ上がっているんだ。他国の王族だって居るのに何で今……」
「彼等はこの大虐殺を、[生贄の儀式]と表現しております」
とんでもない言葉が出てきて、場の空気が一気に凍った。
カミュロン、ソフィア、キキュルーは思わず口を押さえて顔色を悪くし、ロドルフォとリカルド、そしてこの場に居ないニナは一度ギルドでこの話を簡単にだけ聞かされていたが、深い話は出来ていないので固唾を呑んで話に耳を傾ける。
そんな面々を冷静な表情で見つめながら、ゼトはクゥフィアにある物を出すように、と声をかける。
一つ頷いてからクゥフィアがポケットから取り出したのは、ニナから預かりっぱなしになっていた神の涙だった。
「これは[神の涙]という代物です。ただの宝石の様に見えますが、目覚めると特殊な力を解放し、多種多様な変化をもたらしたり、それこそ神の様な超常現象を引き起こす事も可能になります。……ですが、今此処にあるフィアの様に、眠ったまま何の力も解放しようとしない、所謂"怠け者"と呼ばれている物も存在します」
「たぶん、アリステアは今僕が持っているこのフィアを、起こしたいんだと思う」
「な……何故……?」
カミュロンが疑問を絞り出すと、それにはクゥフィアが答えた。
「この子、持っている力が強すぎるんだ。起きて、覚醒させる事ができたら、きっと"世界を創り替えられる"力が手に入るよ」
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