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フィア─帰りたい者達の異世界旅─  作者: ミリオン
始まりの世界(デューベ)編
1/18

1

白い空間を男は歩いていた。

進む先には巨大な黒点が渦を巻き、歪に形を変えながら、来る者を飲み込もうと待ち受けている。

その中へ迷いのない足取りで進む最中、視線を感じて一度だけ後ろを振り返ると、男は言った。


「いつか、必ず戻ってくる。その時になれば俺は───」


言い終わった刹那、黒点が男に絡みつく様に肥大して、その全てを嚥下した。









この世界【デューベ】は、運命の岐路に立たされた。

人間と、【魔蟲族】と呼ばれる虫人類が、長年に渡って相互不可侵の関係を築いていたが、魔蟲族側の族主である【魔王蟲】が代替わりをしたタイミングで、ついに各人間国への大侵略を開始したのだ。

元々強大な魔力を内包している種族なだけあって魔法に長けた魔蟲達は、脆弱と罵る人間の村、町、そして国家を蹂躙せんと、世界各地で一斉に戦争を引き起こす。

対する人間側も魔力こそは持っていないが、【魔晶石】と呼んでいる魔力を帯びた天然石を、武器やブレスレット等の装飾品に埋め込む事で、魔蟲族と同じ様に魔法を駆使し、徹底抗戦をし続けた。

その結果、戦局は完全に拮抗状態となってしまい、両種族への被害は飢餓や略奪を含め、計数千万以上にも上ってしまった。


いつ終わるのかわからない世界的規模の戦争。

それが八年程続いた頃、人間の中から魔蟲達を圧倒する程の力を持つ者達が数名現れたという噂が回る。

世界にもはや数カ国しか残っていない各国家はそれを聞くや否や、取り急ぎ臨時会談を開いて話をまとめると、直ぐにその者達を招集して魔王蟲討伐の命を下す。


集められたのは計六人。

流浪の剣の達人。

癒しの術を行使する聖女。

王国騎士団所属の青年。

魔女と畏れられる美女。

大手冒険者ギルドの副マスター。

そしてもう一人……。


様々な場所からこの一箇所に招集された六人は互いの目的を胸に秘めつつも、大義を背負って、期間限定の魔王蟲討伐特別部隊【エスポア】として旅に出ることになった。


それから十ヶ月後には、死闘の末に辛くも魔王蟲を討ち取ることに成功して、六人は人々から【英雄】と呼ばれる様になったのだ───。





「もうあの旅から半年も経つのか」


喧騒に包まれているギルド本部内。

酒場も兼ねている其処のカウンター席に立った、このギルドの副ギルドマスターことリカルドは、手に持っていた手紙をカウンター席に座っている男へと手渡しながらそう言った。

パーシアンレッドの髪で、首から目の下まで伸びている様な刺青を持つカウンター席の男は、黒グローブをはめた手でその手紙を受け取ると、サングラス越しに表裏を確認する。


「…け、こ……リカ、けこんしたよってナニ?」

「結婚招待状、だ。その言い方だと事後報告だろ」

「うーん、【デューラスご】まだむずかしー」

「それは雰囲気重視の崩し文字で書いてるからな。むしろ良く読めている方さ」


口を結んで不服そうな顔をする男をフォローしつつ、「よんで」と強請られるがまま、また手紙を受け取って今度は開封する。

そこには形式通りの模範的な挨拶、結婚式・披露宴の日時、そして良く知る二人の名前が新郎新婦として連名されている招待状と、男やリカルドにあてた新婦直筆の手紙が入っていた。

リカルドはその両方を、男が聞き取りやすいようはっきり読み上げていく。

だが、近況報告と二人への感謝の言葉が綴られていた手紙の終わりに差し掛かったところで、徐々に語尾が小さくなる。


「…『私達が手を取り合い、夫婦として新しい門出を迎えるその瞬間に、仲睦まじい男女の様に愛し合っているお二人にも、是非立ち会って頂きたいです。』……って、あの嬢ちゃんまだ勘違いしてやがるのかっ!」

「あいしあってる。リカとオレ」

「違うだろうが!」


手紙を握り潰したい衝動を抑える代わりに、爆弾発言をする男に向かって怒り混じりにツッコミを入れた。

ギルド内の視線が集まる中、「お前が旅の間ずっとそんな調子だから、あの純粋な聖女様もずっと真に受けてんだぞ!」と強く訴えても、男は「デューラスごむずかしー」とはぐらかしてまともに聞き入れないでいる。

その態度に、更に血管が浮き上がって口を大きく開いたその瞬間、カウンター奥で緊急用に設置していた【通信ラクリマ】から救援を求める声がギルド中に響いた。


【ラクリマ】とは、この世界デューベでは特別加工を施した魔晶石のことを言い、様々な使用用途があるがどれもかなり貴重で高級になる。

その中でもこの通信ラクリマは、人の頭程の大きさもある魔晶石を加工した物に特別な紋様を刻み込んでおり、掌サイズの複数の通信ラクリマ(小)と連結処理をさせる事で、双方のラクリマの側にいる者同士の声を届ける事ができる、いわば電話の様な機能を果たしている。

その距離は隣国ほどまで届く優れモノなのだが、大型の魔晶石の確保が至難な上に紋様の刻み方も複雑で、更にその数はかなり希少の為、民間では極小数の力のあるギルドぐらいにしか設置されていない。

その通信ラクリマから聞こえてきたのは、魔蟲軍の残党討伐を指揮する為に国境付近まで出向いた筈の、このギルドから派遣した15人のうちの一人であり、ギルド内では序列四位の実力を持つ討伐隊リーダーの声だった。


重要任務の際には念の為の措置として、そのリーダー格に通信ラクリマ(小)と転送ラクリマを持たせているのだが、魔王蟲が討ち取られてからは一度も使用されていなかった。

それが今日、半年以上ぶりに使用された。

それもタダの残党処理だと思っていたクエストで、彼が居れば大丈夫だと殆どの組員が確信していた討伐隊リーダーの手によって。


『組員のほと...どがやられまし...!うち重傷者六名!おれだ...じゃ手に負え...せん!至急救援を!』

「すぐに二人飛ばす!それまで全員、テメエの命だけは死ぬ気で守り抜け!」


ラクリマの前に控えていた、このギルドのマスターである恰幅のいい初老が直ぐさま反応すると、既に己の得物を携えているリカルド達にも号令を送った。


「リカルド!ニナ!出れるな!?」

「勿論です。マスター」

「そのためにココいた。リカとオレがんばる」

「頼んだぞ。テメエらはあの英雄部隊エスポアなんだ。一人たりとも魔蟲なんかの餌にさせるんじゃねえぞ!」


その喝に頷く事で返答すれば、緊急事態で固唾をのみ静まり返っていた本部内が途端に沸き起こった。

「副マスターお気を付けて!」「ニナ様ー!頑張ってくださあい!」「英雄二人が出るならきっと何とかなる!」「害虫なんてさっさと倒しちまってください!」等、某々から声が上がる。

そんな激励の嵐の中で二人は向かい合って立ち、準備していた転送ラクリマを起動させて、掌から落とした。

音を立てて床に落下した瞬間、中に描かれていた紋様がリカルドとサングラスの男───ニナの周囲に、強い光をまといながら展開していく。

そして二人の目の前の景色は大きく様変わりした。




場所は国境近くに見張り台として置かれた砦、だっただろう廃墟の中。

SOSを呼んだリーダーが所持し、転送先として設定していたもう1つのラクリマを投げ捨てた瞬間にガラス音を立てて破裂、魔法陣を展開することで、二人は数秒もしないうちに現地に到着することができた。

そして間髪入れずに臨戦態勢を取り、今にも組員を食い殺そうとしている3m強の巨大な魔蟲に、剣撃と銃弾の雨を叩き込む。


「副マスター!ニナ!すんません、俺の力不足で...!」

「いや、むしろ良く持ち堪えた。死傷者は?」

「何とか全員踏ん張ってて死人はいません。ですが重傷者が四人、足をやられちまって歩けねぇ奴が二人、残りは軽傷だが毒にやられた奴もいます」

「敵の数は?」

「恐らくソイツで最後の一匹」

「上出来だ。後は俺達で食い止める。お前は全員を連れて離脱しろ」


魔晶石を埋め込んだサブマシンガンを連射しながらリカルドが指示を出すと、リーダーの男は直ぐさま他の仲間の所へ走り出した。

それを追いかけようとする魔蟲の進路をニナが遮る。

右手に片手剣、左手にクロスボウを付けた特殊な戦闘スタイルを取るニナは、両武器に仕込んだ魔晶石の力を利用して魔法を繰り出しながら、とても器用な立ち回りを見せていた。

それを後方からリカルドが援護するのが二人の常套手段であり、必勝法でもある。

その実力はギルド内でもトップに君臨しており、ニナはギルドマスターを抑えて序列一位、リカルドが序列三位の位置付けとされ、魔蟲退治であればこのコンビが出陣すれば負け無しだとも評価される程である。


だが、今回はそう上手くはいかないでいた。


「リカ、なにかへんだ」


時間にして五分足らず。何十回もの攻撃を叩き込んだにも関わらず魔蟲は怯む気配がない。

しかし動きはとても単調で力任せに暴れているだけ。

そのくせ力だけは有り余っているのか、前肢を振るだけで廃墟の壁や床が木っ端微塵に吹き飛び、口からは無作為に毒を吐き散らかしている。

長年魔蟲を相手にしてきたニナ達にとって、これは明らかに異常だと感じるには十分だった。


「......頑丈で怪力馬鹿は飽きるほど見てきたが、こんなに知性を感じられない魔蟲は珍しいな」

「それだけとちがう。コイツ、みたことある」

「そう言えば...魔王蟲の側近のタイプと同じか」


言われてみれば確かに、半年前に激戦を繰り広げた魔王蟲の傍らに、今目の前にいる魔蟲と同種の者が控えていたのを思い出す。

勿論そいつとも戦ったのだが、相当な知能戦を仕掛けられた上に凄腕の武闘家だったものだから、かなりの苦戦を強いられた事は絶対に忘れはしないだろう。

大きさは確か2mは越えていただろうか。


「だが蟲違いじゃないか?サイズも戦い方も全然違う」

「せなかはねのもよう、アイツとおなじだった」

「良く覚えてるなお前?」


魔蟲なんてどれも同じに見えるが?というリカルドの側まで駆け寄ると、ニナは一旦剣を鞘に戻してその空いた腕でリカルドの腰を掴み、何故か唐突に抱き上げた。

目を丸くするリカルドには気にも止めず、そのまま一目散に走り出す。


「おい!」

「リカ、オレ、アレつかう」

「アレ?アレって...アレか!?」

「そうそうアレアレ」

「この辺り一帯が吹き飛ぶぞ!?」

「ギューとがんばればだいじょうぶ。たぶん」

「多分って...それにアレを使えばお前まで...!」

「みんなまだちかくいる。でもアレをしないとたぶんアイツとめるはムリ。オレ、がんばるからつかう。つかっていい?」


全速力で駆けながらもそう断言するニナには、どうやら勝算があるらしい。

暴れながら追いかけてくる魔蟲の動きも読みつつ、大の男を抱えた状況で砦中を走り回り、器用にもクロスボウから魔矢を至る所に撃ち込んでいく。

その手際の良さと決断力の早さにはリカルドも一目置いている。

それに戦闘においてニナが判断を誤る事は、コンビを組んでから二年半、一度たりともなかった。

だから今さら許可を取る必要などないというのに、あえて聞いてくるのは恐らく、ニナなりの配慮なのだろう。


「...わかった。二次災害は俺の方で食い止める」

「ありがとー。リカ、あいしてるゼ」


サングラス越しにウインクを飛ばし、口説き文句を言えば一撃でハートを撃ち抜かれた女は数知れず。

しかしそんな色男の言葉は、残念ながらリカルドにとっては、鳥肌と胸焼けを起こす原因にしかならなかった。


「おま!そんな事を言ってやっちまうから誤解されてんだろうが!!」

「ハハハハ!デューラスごむずかしー!」

「嘘こけ!絶対わかって言ってやがるだろ!この確信犯が!」


叫びながら、ニナの肩越しに身を乗り出して装填し終わったサブマシンガンの引き金を引くと、すぐ真後ろまで迫っていた追撃を連射の嵐で相殺していく。

時に曲がり角で、時に瓦礫で、時に天井や床を魔法で撃ち抜いて足止めをするが、魔蟲は止まるどころか怯む素振りも見せず追い続けてくる。

その間もニナは、リカルドを担いだ状態で魔矢を四方に撃ち続け、足場の悪い中で出来る限りの時間をかけて走り続けた末に、砦の屋上へと登り出る。

遅れて数秒後に、魔蟲が階段を破壊しながら外へと出てきた頃合で、自分の足元にクロスボウを向けた。


「“ビューン”!」


今までと違う性質の魔矢を発射した瞬間、小規模ながらも勢いのある竜巻が下から発生して、二人は空高く舞い上がった。

数十メートル程飛んだところでニナだけ竜巻から抜け出して、取り残したリカルドを人影が見えた砦の門前側へと送る。

恐らく敷地内から脱出した組員達がそれ以上動けずにいて、仕方なく一箇所に固まっているのだろう。


「“プロテクション・ショット”!!」


その場に無事降り立ったリカルドがマシンガンを放り投げて、直ぐさま腰の両側に下げていた自動式拳銃を取り出すと、そこに埋め込まれた魔晶石の魔力をありったけ弾に溜め込んで、全弾を砦の上方へと撃ち尽くして可能な限りの巨大な結界防御魔法を空に広げる。

それは数百メートルもある砦の周囲をすっぽりと覆ってしまう程の守護膜で、帳の形を描いてニナと魔蟲が取り残されている砦全てを覆い尽くす。

それを目視で確認し、未だ空中で飛んでくる毒に応戦していたニナは体勢を立て直し、剣を構えた。


自分に向けられた剣先に、稲妻を纏った黒い球体が形成されていくのを見て、魔蟲は本能的に危険を察知する。

早く殺さないと殺されると。

刹那に魔蟲は思った。

王の夢を、もっと支えていきたかったと...。


「キィエエエエエエェェ!!」


より甲高い雄叫びを上げると、胸元を巨大な風船の様に大きく膨らませてありったけの融解毒を捻出し、一気に空へと吐出した。

全身で浴びれば数秒も立たないうちに、跡形もなく溶けて死滅してしまう程の毒だったのだが...残念な事に、一滴たりともそれがニナに届く事はなかった。


「“グルグル、バリバリ、ギュギュッとどっかーん”!!」


ふざけた様な技名を叫ぶと同時に球体をぶっぱなす。

それは融解毒を一瞬で蒸発させ、大口を開けていた魔蟲の目前で放電しながら肥大して、その巨体をあっさりと呑み込む。

更に、砦の至る所に撃てるだけ撃ち続けた千本程の魔矢が、球体に呼応するかの様に光り始めて各々の矢へとその筋を伸ばし、全てを繋げて複雑な魔法陣を形成すると、その中心に誘導されていた魔蟲を球体ごと包むように絡みとっていく。

包囲された者は黒い稲妻で何万回も体を焼かれ、ミキサーの様にかき混ぜられ、どんなに頑丈な体躯を誇っていても内臓ごと粉微塵にされてしまう。


時間にしてほんの数秒。

そのまま球体は小さく収縮していき、次の瞬間に黒い閃光を放って大爆発を起こした。


それは砦全てを吹き飛ばす絶大な破壊力。

下手をすれば砦だけでなく、周囲の森や10km近く離れた集落すらも巻き込んでしまうほどの規模なのだが、事前にリカルドが施した守護膜が辛うじて被害拡大を阻止していることで、その中だけがこの世の終わりとも表現出来る異常現象を引き起こしている。

瓦礫が空を舞い、稲妻が四方八方に飛び交い、激しい爆発音が心臓を破く勢いで鳴り続け、その中心にはまるでブラックホールの様な暗黒色の渦が出来てしまっている。

あまりにもの凄まじい威力に守護膜も耐えきれなくなるほどで、リカルドは何度も銃弾と拳銃に埋め込んだ魔晶石を補充して、死に物狂いで魔法を張り直した。


「ふ、副マスター!ニナは!?まさかあの中にまだいたんじゃ...!?」

「っ!」


背後からの切羽詰まった叫びに息を飲み込む。

正直なところ、ニナが放った魔法の規模が想像以上に大きすぎて、リカルドも内心ひどく狼狽していたのだ。

以前にも一度、「すごいワザかんがえた」という言葉に二言返事で許可を出し、魔蟲軍隊相手にこの魔法を撃たせてみた事はあった。

その時も、頑丈さに定評のある魔蟲達を一瞬にして数百単位で葬り去ってしまい、しかもその後の飛んできた瓦礫や雷による二次的災害が目を瞑りたくなるほど悲惨で、「あ、これは気軽にGOサインを出したらダメなやつだった」と反省して以来は封印させていたのだが、今回の威力はその五倍以上はあるんじゃないだろうか。

砦を走り回っている時、やけに念入りに矢を打ち込んでいるなと思ってはいたが、この規模はニナにとっては想定内だったのだろう。

どうりでわざわざ許可を取ってきたはずだ。


「...何が「ギューとがんばればだいじょうぶ」だ...。全然ギューと出来てねえだろうがー!!」


無事じゃなかったらただじゃおかんからな!と最後に叫びながら、リカルドはその場の組員からかき集めた魔晶石を全て使い切るまで魔法を撃ち続け、時間にして約十五分、だが途方もなく長く感じる間一人で持ち堪え、何とか砦近辺の安全を死守したのだった。




守護膜の中の天変地異が完全に収束した頃には、そこから更に一時間近くも経過していた。

今にも意識を手放しそうな疲労感と倦怠感を引き摺りながらも、小規模な砂漠と化した更地の上をリカルドと討伐隊のリーダー、自力で動ける組員数人で歩き回る。

残りの者は重傷者を連れて、拠点にしていた近場の村へと先に向かわせた。


「ニナ!どこだ!」

「ニナさーん!死んじまってたら無理だけど生きてたら返事してくれー!」

「バカ!縁起でもねえこと言うな!生きてるに決まってんだろうが!」

「でもよ...建物どころか小石すら原型を留めてないんだぞ?こんな中にいたんじゃ魔王ですら生きてる筈ねえじゃん」


真っ当な意見に言葉を詰まらせるものの、全員が英雄ニナの無事を願わずにはいられない。

ギルドの組員としてはまだ新参者のカテゴリーに入るにもかかわらず、ニナはその腕っぷしと友好的な人柄、駆け引きの上手さ、おまけに美丈夫と言える端麗な容姿のおかげで、僅か三年足らずでギルド内外から絶大な人望を得ていた。

そして人類を滅亡の危機にまで追い込んだ魔王蟲を討ち取る事に成功した、英雄部隊エスポアの一人でもある。

いくら残党の魔蟲がとてつもなく強かったといっても、この結末はあまりにも深酷じゃないだろうか。

正直に言うと...。


「やりすぎなんだよこの大馬鹿野郎。あんなデカいやつをぶち込むなんて聞いてないぞ。俺の防御魔法が押し負けてたら大惨事だっただろうが」


一層高い砂山に登ったリカルドが数歩前の地面に向かって呼びかけると、弱々しい声で「へへ、ごめん」という声が返ってきた。

それを聞いた周りの組員達が急いで駆け寄ると、体の一部を砂に埋めながらも五体満足で転がっていたニナの姿を発見した。

無事を確認して胸を撫で下ろす者が殆どだったが、その中の一人が突然「ひぃ!?」と歯の隙間から息を吸い込んで思わず後ずさる。


「に、ニナさん、か、体が......なんスかその体の模様!」

「何だお前。ニナの刺青を見るのは初めてか?」

「へ?え?これ刺青ッスか?体中に巻きついてる様なこの黒っぽいのが?」


指摘されてまじまじと観察する。


ふらつきながらも自力で立ち上がろうとするニナは、普段は顔以外の肌を露出する事がない。

寒暖関係なくタートルネックの上にコートまで羽織り、食事中もグローブを着け、辛うじて晒している顔部分ですらサングラスを常に掛けているという徹底ぶりで、ギルド組員の大半は首から頬にかけて伸びている不可思議な形の模様以外まともに見たことがなかったのだ。

だが今は、対軍用大規模魔法の反動で衣類の殆どが消し飛んでしまい、サングラスすらも付けていないニナのほぼ全身が晒されている。

息を飲むほど均等に鍛えられたその身体には、肌よりも模様の方が全体の殆どを占めていた。

肩甲骨から伸びる様に付けられたその模様はまるで全身に絡みついている蛇にも見えるが、見方を変えれば背中から生えている羽で全身を包んでいるようにも見える。

足元から手の指、果ては目の下までくまなく伸びているその全貌は、初見の者にとっては絶句するほどのインパクトだった。


とても刺青には見えないのだが、その存在を知っていた者達がそう言うのなら恐らくそうなんだろうと、強引に頭の中で納得をさせる。


「てっきりさっきの魔法の副作用かなんかかと思っちまいました...」

「まあそうよな。俺らもコイツと初めて会った時はビビっちまったもん。こんな全身刺青野郎そうそう居ねえよ」

「てゆーか服が消し飛んだだけで生身は無事って、どんな防ぎ方をしたらそうなるんだよ」

「キキからもらったニンギョーつかった」

「ああ、【英雄魔女】キキュルーが作ったってゆう魔法の身代わり人形?持ってきてたのか」

「こわれた。でもたすかった」

「あんな核兵器並みの魔法に巻き込まれて人形一つ壊れたぐらいで済むなんて、とんでもない【マジックアイテム】だな...」

「ニンギョーだけとちがう。ブキもなくなった」

「それは自業自得だろ!」


色んな事柄が終息しつつある安堵からか皆が談笑を始める。

思ったよりもニナが元気そうで良かった。

そんな空気が漂う中で、リカルドだけが神妙な面持ちでニナを見つめながら物思いにふける。


「どーした?リカ」

「いや......ふとな。お前と初めて会った時の事を思い出したんだ」




それは今から約三年前。

まだ当時は世界中が魔蟲軍の脅威に怯えており、その日もギルドに緊急討伐の依頼が舞い込んで、ギルドマスター率いる腕に覚えのある組員二十名がチームを組んでその依頼に当たっていた。

ベテランながらもまだいちギルド組員であったリカルドもその討伐チームに加わって、鬱蒼と生い茂る森の中で罠や策を練りながら前衛部隊の援護に回っていたのだが、当時の前衛達はたった五匹だけの魔蟲ですら、その連携の取れた攻撃と圧倒的な魔力・筋力そして防御力に太刀打ちできないでいた。

当時ギルド一の実力だったマスターがいるからこそやり合えていたようなもので、いくら援護の腕が良くても前衛が非力だと為す術もない。

それでも何とか罠に嵌める事で三匹までは仕留める事ができたのだが、こちら側にも死者が多数出てしまい、更には追い討ちをかけるように急なスコールに見舞われてしまった。


視界と足場が悪くなる。

銃火器系は湿ってしまって使えない。

副マスターが仲間を庇って食い殺された。

そのせいでこちら側の連携は完全に崩れてしまい、マスター達と分断される始末。

そして遂には複数張っていた罠も全て使い切ってしまった。


「ここまでか」


残った魔蟲のうちの一匹を目前に、気力が尽きかけていたリカルドは思わず独りごちた。

ならばせめて傷一つでもと、傍らに転がっていた仲間の剣を拾い上げて闇雲に振り上げたが、スナイパーとしての腕は一流でも剣の方はそれ程ではないため、力の限り斬りつけても強靭な外殻に弾かれてしまうだけ。

その反動で思わず剣を手放してしまいそのまま体勢を崩したところを、魔蟲が大口を開けて迫ってくる。

その時リカルドは生まれて初めて、走馬灯を見るという経験をした。

そしてもう五年近く前に魔蟲に殺された妻子の笑顔をとても鮮明に思い出して、「もうすぐ会えるな」と心中で話しかけた瞬間、リカルドが手放した事で未だに宙を舞っていた剣を、器用にも空中で掴んだ人影を視野に捉えたのだ。


そこからは一瞬の出来事だった。


よく聞き取れない言葉を叫びながら人影が魔蟲に剣撃を加え、あまりにもの威力に怯んた瞬間にはリカルドの傍まで駆けつけてその腰を掴み、数十メートル後方へ下がらせる。

唖然としていればまた次の瞬間には魔蟲に立ち向かって、無数の剣撃をその外郭や足節の急所に正確に振るい、魔法を使う暇もなく激痛で暴れ回る魔蟲が大きく身を捩った刹那に、一層大きく剣を振ってその巨躯から頭を斬り飛ばした。

彼が現れてから三十秒も経っていない。

一瞬と言っても良いぐらい本当にあっという間だったのだ。

多少は弱っていたかもしれないが、魔蟲を相手にその圧倒的な力を見せつけた半裸裸足の男をリカルドがただ見つめていると、男はゆっくりと横に体勢を崩し、そのまま雨水の溜まった湿地に倒れ込んでしまう。

慌てて駆け寄ってみればその男は完全に気を失っていて、その全身には痣とも刺青とも言えない不可思議な模様が、既に男の身体中に絡みついていた。


それがリカルドとニナの出会いである...。




「あの時と今と、状況が似ていると思ってな」

「そーか?あ、オレ、ハダカだから?」

「ブフッ!そう、だな」


言われてみれば確かに格好も同じだなと吹き出しながら、軽く肩を叩いて労いの言葉をかける。

ニナが来てからというもの、ギルド内で任務中に死者が出る事は数えられる程になった。

他の追随を許さないその完成された戦闘センスのおかげで危険な任務もこなしていき、また、今回みたいなSOSがあればニナが現地に飛べば、戦場をあっという間に独壇場に変えてしまう。

あの悲惨な討伐任務の戦利品みたいに拾った身寄りのない男が、まさか三年後には人類の【国宝】になるなんて夢にも思っていなかった。

リカルドにとってニナは最高の相棒であり、大恩人なのである。


「街に戻ったら今回はお前が奢れよ」

「わかった。そのあとリカ、おもちかえりしてもいい?」

「......だからそう言う冗談はやめろってーの」


途端にどっと疲れを感じ、感慨にふけっていた自分が馬鹿らしくなって悔しさ混じりに鳩尾をグーパンで殴る。

「ぐふ!?」と大袈裟に腹を抱えて膝を着くニナを無視して、リカルドは組員達に帰還の号令を出すとさっさと歩き出した。

寸劇を見せられた男達は「アレってどこまで本気なんだろうな」「いつもやってっから案外マジかもよ?」「やめろよ想像するだけで気色悪ぃ」等と言いつつ呆れながら副マスターの後に続いていく。

結局一人残されたニナは軋む体を強引に動かして、やっとの思いで身を起こす風を装いながら地面に手を着くと、皆に気付かれない様に砂に埋もれていた【物】を拾い上げて立ち上がった。

掌に収まったその【物】を一瞥する。


『……へえ。あれだけ叩き込んでも傷一つ付かないのか』


この国とは異なる言語で紡いだ言葉はあまりに小声で、誰の耳にも入る事はなかった。




その同時刻、遥か遠いとある場所では、とある三人組がニナの行方を捜索していたのだが、その事をニナはまだ知らない。




──────



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