灯
大和の双子の兄、ゼロが主役の前日譚(2年前)。
ネタバレがあるので本編のtrack5読了後に読んで頂くことをお勧めします。
人生に起こる大半はどうでもいいことだ。可もなく不可もなし、当たり前のようにやって来て、いつの間にか忘れ去られていく日々の連続。
大して価値の無い人間として生まれて、無為な時間を過ごして、何を成す訳でもなく生涯を終える。そう思うと、全てがどうでもよくなってくる。
――いや、全てではない。パンドラの箱の底に希望が残っていたように、人は僅かな光があれば生きていける。その光を目指して進んでいけばいいのだから。辿り着いた其処に何があるかも分からないまま。
2年前 9月26日 アメリカ NY ブルックリン区
1
今まさに獲物を仕留めようとするオーガの背後に、鞘を払った軍刀を振り下ろした。生身の人間とは違い、オーガの体は硬質化した皮膚に守られてはいるものの、1キロの鉄の塊を叩きつけるので、上手く急所に当てれば今のように昏倒させることが出来る。なまくらだと衝撃で折れることもあるけど。鎧武者を相手にしている感覚だ。
倒れたオーガの前で腰を抜かして震えている年配の女性の元に歩み寄る。女性は
「ひっ!」
と短い悲鳴を上げた。オーガに襲われた事より、突然現れた抜き身の刀をぶら下げた奴への恐怖が上回るようだ。ぼくは彼女が武器を持っていないことを確認すると納刀した。側にしゃがみ込み、声を掛けた。
「突然お邪魔して申し訳ない。ぼくはオーガハントを請け負っている者です。怪我は無い?」
正規のハンターではないけれど、嘘を言っている訳でも無い。ぼくの問いかけに頷く女性に、続けて尋ねた。
「オーガは気絶しているだけだから安心して。この人はあなたの家族?」
「……主人よ。あなた、なんで彼の事に気付いたの?」
女性は怯えながらも答える。ぼくに殺意が無い事を感じとったのだろう。そう、確かに殺すつもりは無い。だけど生かされることが、この場での死より残酷な結果になるかもしれない。しかしその結末を決めるのはぼくではない。ぼくは繋ぎでしかないのだ。
「街中の集合住宅でオーガを匿っていたらすぐにバレるよ」
しかも彼女の言口から察するに、夫の異変に気付きながら正規の手続きをせず、最終段階になるまで放置していたということだ。オーガ化する場合初期症状があるので、本来は気付き次第すぐに公的機関へ連絡をしなければならない。もっとも、発症者が施設へ隔離されることや、周囲に知られることを嫌い、この老女のように黙っている者も多い。そして、完全に変化した者は他の人間を襲い、被害を拡大してしまう。
「ぼくの到着が間に合わなければ、あなた、旦那さんのディナーになっていたよ?それどころか、無関係な人まで巻き込むことになっていたかもしれない」
夫人は青い顔をしながら呟いた。
「彼を連れて行かないで……お願い……」
「今言ったでしょ?このままここに置いていっても、被害が出るだけだって。あなたに彼を管理出来る力は無いでしょう?」
ぼくの言葉に、老婦人は啜り泣いた。やれやれ、このまま無視をして獲物だけ連れ帰ってもいいけれど、騒がれると面倒だ。
ぼくはヒップバックから札束を取り出し、彼女の目の前に置いた。裏社会では足がつきにくい現金取引が基本なので、ぼくもそこそこの額は持ち歩いている。もちろん常に危険は伴うけれども。
目を見開く彼女に、ぼくは言った。
「これは保険金。意味分かるよね?」
低所得者向けのアパートに住んでいる彼女には見たことが無い金額の筈だ。それでもオーガを依頼人に引き渡せば、この5倍になって返ってくる。最終オーナーは一体いくら積むことになるのか。
戸惑っている彼女に再度告げる。
「あなたがご主人の発症を報告しなかった事は黙っていよう。その代わり、今日の事は他言無用だ。折角繋いだ命なんだ、大切にしなくてはね」
金と脅しをちらつかせるぼくをおずおずと見上げながら、
「主人はどうなるの?治療法は無いんでしょう?」
と問うてきた。不安そうにしてはいるが、つまりぼくの出した条件に承諾したということだ。愛だの信頼だのと綺麗事を並べたところで、結局は自分にとって都合の良い選択をするものだ。それを見越した上で取った行動ではあるが、目の当たりにすると伴侶を失う彼女への同情心も冷めてしまった。まったく、こんな因果な商売をしているのだから、初めから情けなどかけるべきではないのに。
「さあね。運が良ければ生き延びられるかもしれないよ。何にせよ、人の役に立つことは間違いないね」
現に、文字通り身を売って奥さんとぼくに金を与えてくれる。元々彼がどういう人柄だったかは分からないが、人生の最後に甲斐甲斐しい働きぶりを見せたのだからどんな罪も許されるだろう。
ぼくは気を失ったままのオーガの側へと戻り、同じ人間だったとは思えない鋼のような硬い皮膚にそっと触れた。オーガは人に危害を加える為害悪と言われているが――
「この中で一番純粋なのはあなただ」
理性を失ったが故に唯一打算の無い――と言うより持てなくなった――彼に憐憫と尊敬の気持ちを抱き呟いた。
ぼくもこんな汚れた体も魂も捨てて、下らない毎日を終わらせたい。それでもたった一人の存在に囚われて、生に執着している。「君」はぼくの希望であり、光であり、守るべきものであり、そして――誰よりも消し去りたい存在だ。君と言う光が無くならない限り、ぼくはいつまでも君の影として照らし続けられてしまうんだ。もちろんぼくの存在すら知らない君に罪は無い。尊い、遠い存在なのに、だれよりも近くにいる表裏一体の君。ぼくはいったい君をどうしたいのだろう?君の幸せを、自由を願う気持ちは本当だ。でもそれだけなのだろうか?本当は、罪を知って欲しいのではないだろうか。ぼくだけでは抱え切れない思いを、何も知らないまま生き続けて欲しいと請う君に。矛盾した気持ちを抱え続けている。自分でも分からないんだ。
ぼくは老婦人が視線を外した隙に、彼女の夫と共にその場を去った。再度目を向けた先にぼくたちの姿が無いのだから、ひどく驚くことだろう。
自分の首を絞めることになるので話す事は無いと思うが、万一ぼくのことを誰かに漏らしたとしても、突然日本刀を持った奴が現れて目を離した瞬間に消えただなんて非現実的な話をまともに相手にする人はまず居ない。
――いや、そういえばぼくが今の仕事を始めた同時期に、CAにオーガハントを専門に引き受ける組織が作られた。彼等に嗅ぎ付けられると厄介かもしれない。オーガの売買が禁止されているというのが大きいが、テレポーターのぼくの力は管理個体と誤解される可能性がある。東部への基盤は薄いようで今のところこちらを追う動きは見られないが、あと何件か依頼を終わらせたらニューヨークを離れた方がいいだろう。
捕獲したオーガを連れて引き渡し先の倉庫に移動したぼくは、そう決心すると、依頼人を携帯電話で呼び出した。
2
10分も待たないうちに到着した裏社会御用達の「運び屋」の三人連れは、ぼくの獲物を確認すると満足そうに頷き、乗り付けたトラックにオーガを入れたケージを積んだ。
「相変わらず仕事が早いね」
「お互いにな」
いつもやり取りをする「JAM」と名乗るリーダーが、透明のビニール袋に詰まった札束を手に近付いてきた。倉庫の中央の床に袋を置き、離れるよう指示を出すと、取引相手に攻撃の意思が無い事を確認した上で荷物に近付き、中身を検めた。袋が透明なのは、金以外の物を入れていないか確認する為だ。もしスーツケースを開けて爆発なんてしたらたまったものではない。
「報酬は確かに受け取った」
そう言って、また相手と距離を取り、通用口のドアの近くに立った。外に誰も潜んでいないのは確認済だ。いざとなればテレポートで逃げることも出来るが、アングラ組織に能力を知られるのは避けたいので、彼等の前では使わないようにしている。100キロ以上ある巨体のオーガをぼく一人でどうやって運んでいるのか、気にはなっているだろうけれど。
ぼくの様子を見て、ジャムは肩を竦めた。JAMなんてふざけた名前、まず本名ではないだろう。まあ「ゼロ」と名乗っているぼくが言えた義理ではないのだが。
「相変わらず警戒心の強い坊やだな」
「そうでなきゃこの世界で生きていけないよ」
ぼくは武術には自信があるけれど、無敵な訳ではない。例えば運び屋の連中が全員で銃口を向けてきたらあっという間に蜂の巣だ。元々小柄な東洋人というだけで狙われやすいのだから、用心深くもなる。
しかも、この男とは因縁がある。
「何もこんな体を張らなくたって、あんたなら他の方法で肉体労働することも出来るだろ?」
そう言ってニタニタと下卑た笑みを浮かべるジャムを、ぼくは冷ややかに見つめ返した。
「変態の相手をする方が苦労するよ」
彼はぼくを女性と思った故なのか、男娼にする気だったのか――もしくはぼくの身体の事に気付いていたのか――定かでは無いが、初めて引き受けた仕事が劣情を催した相手に付き合うことだった。騙された形だったのでうんざりして、素っ裸の客を引っ捕らえてジャムの元へ突き返すと、ぼくが伝えた通りに武術の心得があることを漸く納得し、希望通りオーガハントの仕事を紹介されるようになった。
「君みたいな華奢な子がオーガを狩れるなんて信じられなかったんだよ。まあ俺としてはその方が助かるけどな」
金になるからな、と続け、またニヤリと笑った。どちらにせよこいつはさもしい根性をしている。暗黒街で生きる奴に清廉潔白を求める方が無理があるのだが。それに瞞着されたぼくにも非がある。ぼくの認識がまだ甘かったことを教えられたきっかけになったのだから、感謝はしないが恨みもしない。
「と言っても、一連の取り引きを終わらせたら暫くオーガからは手を引くつもりだ」
意外な宣言に、ぼくは
「おや」
と驚きを口にした。
「ちょうど良かった。ぼくもそろそろ潮時だと思っていたんだ」
今度はジャムが驚いて声を上げた。
「ハンターを引退するのか?」
「そうじゃない、狩り場を変えるんだ」
「そうか。賢い判断だよ。あんたには良い取り引きをさせて貰っているから話すが――ここだけの話、捕獲したオーガを全て買い取りたいと言ってきた上客が現れてな。どうもコロシアムのような見せ物に使うらしい」
「へえ、それはまた酔狂なことだね」
コロシアムということは、オーガと人間を戦わせるのだろうか。オーガ同士はそもそも争わないし、獣も攻撃された場合反応するだけだから、ショーにするなら餌の人間をぶら下げるのが最も見応えがあるだろう。当然違法なので表沙汰にはならないが、そんな派手なイベントを開催するとなれば耳聡いアングラ連中の間で瞬く間に広まるだろう。そうなれば当然――
「4,5年前だったか、サンフランシスコにオーガハント専門の部隊が出来ただろ?奴ら当初は西海岸中心に活動していたが、近頃は海外の仕事も引き受けるようになったそうだ。今回みたいに目立つ動きがあれば、政府公認の組織が乗り出してくるかもしれない」
ジャムも同じ事を懸念していたようだ。
「なるほど、君も年貢の納め時って訳だ」
「そうなりたくないから報酬を手に入れたらほとぼりが冷めるまで大人しくする。あんたも気をつけろよ」
「ご心配どうも」
オーガハントの組織――「World Tree」と言ったか――は民間軍事会社だが、業務の特性上公的機関とのやり取りも多い。万一目を付けられれば叩けば埃が出るどころか埃を被っている様なぼくやジャムに待っているのは身の破滅だ。特にぼくは生きていられるかどうかも怪しい。
そんな下らない理由で命を捧げたくはない。吹き溜まりのゴミのようなぼくだって、一つしか持っていない魂は貴重なんだ。せめて、自分の信じるものの為に身命を賭したい。
何か彼等の弱点か、懐に入れるような条件が見つかればいいんだけど。難易度は高そうだが。
「あんたと仕事が出来なくなるのは残念だよ」
「おや?まさか売春をさせようとした奴にそんなことを言われる日が来るとは思わなかったよ」
「あんた意外と根に持つよな」
「貞操の危機だったからね」
本当はそんな事はどうでも良くて、ただ勝手に不向きな仕事をあてがわれるのが困るだけだ。そもそも繁殖したい訳でも無いのに交尾をする意味が分からない。ぼくには生殖能力自体無いんだけど。
「それより、まだ感傷に浸るのは早いんじゃない?お得意様に納める個体をもっと用意するんでしょ?」
「さすがゼロちゃん!分かってるね!そうだな、あと二匹は揃えたいところだな。また情報が入ったらすぐに連絡するよ」
ぼくもこの案件後は次の仕事場を探さなきゃいけない都合上、まとまった金額が欲しい。すぐに仕事が見つかるか分からないし、新天地で活動するならまずは情報屋や仲介屋に信頼を築かなくてはならない。どんな社会でも、正確に遂行出来る人間に仕事は回って来るのだ。ジャムとの初仕事の時のように、能力を疑われて妙な内容を押し付けられたのではたまったものではない。
「わかった。それじゃあまたね」
ぼくは勝手口から外に出て、停めてあるモーターサイクルへと向かう。YZF-R1――ぼくの愛車だ。リッタークラスが欲しかった訳ではないのだが、早くて丈夫で比較的安価で機動力のある乗り物を希望した結果やって来たのがこいつだった。ぼくの体格ならR3でも十分だと思うのだが、馬力がある分長距離移動が楽なのでこちらで正解だったのだろう。ちなみに、モーターサイクルも免許証も闇市で購入した。金を払えば何でも手に入るのが裏社会のすごい所だ。
ポケットから取り出したナップサックに得たばかりの収入を突っ込み背負う。少々荒っぽい扱いだが、ビニール袋をぶら下げたまま運転よりはマシだろう。
ヘルメットを装着し、シートに跨がるとエンジンをかけ、夜の街に滑り出す。夜風の涼しさに季節の深まりを感じる。体感気温の下がるモーターサイクルだとすこし寒いくらいだ。
倉庫群のこの辺りは、人気が無く真っ暗だ。排気音だけが響く闇の中を、深海魚のように泳いでいく。辿り着くのは、冷たい、何も無い仮住まいだ。こんな生活を、もう5年も続けている。――いや、ぼくは生まれた時から研究所で、両親にすら人間扱いをされなかった。寂しさや怒りを感じた事もあったが、それも過去の話だ。全てを無くした今、ぼくの心の灯は一つだけ。ぼくも研究所の職員たちと変わらない――元々人間だったオーガを自分の利益の為に利用する非道な奴が、まだ温もりが欲しいなどと欲を出しているのか。光の元に辿り着けると思っているのだろうか。
微かな希望は、何も与えられないより残酷だ。闇しか存在しなければ、君を追い求めることも無くただ静かに沈んでいけるのに。
「なんてご都合主義なんだろう」
ぼくの声は夜闇に流れ、溶けて消えた。
9月27日 アメリカ NY ブルックリン区
路地裏を走るターゲットを追って、夜の街を駆ける。図体は大きいのにすばしっこく動くので、見失わないようにするのは大変だ。普通の人間なら、追い掛けることも難しいだろう。
暗闇が落ち着くのはぼくと同じで気が合うのだが、出来ればお家の中に居て欲しかった。屋外は被害が増えるし、目撃される可能性が高くなるので体力のみならず神経も使う。オーガ自体と言うより、ぼくが捕獲しているところを見られることが拙い。それこそ今度はぼくが追われる側になってしまう。
それにしても、普通なら餌となるぼくを襲ってきそうなものを、逆に避けて逃げているのだから、まだ人間の頃の意識が残っているのか、或いは本能的に危機を感じているのか。
追いかけっこの末、高い壁と建物に囲まれた袋小路に彼を追い詰める。もうこれまでと観念してくれれば楽なのだがそうもいかず、逃亡を続けようと、邪魔なぼくに襲いかかってきた。
鉤爪を振り下ろしてくる――もちろんぼくの武器である刀で受けるなどという愚行はしない。日本刀は打ち合いには不向きだし、ぼく自身腕力に自信がある訳ではないから力技では押し切られてしまう。ぼくは咄嗟に左に躱し、すれ違いざまに一息に抜き放った刃でオーガの脇腹を斬りつけた。所謂抜き胴の要領だが、当然鎧に覆われたオーガにはかすり傷にしかならない。生捕が目的のぼくにとっては致命傷になってしまっては困るのだけれど。それでも痛覚はあるので、僅かにバランスを崩した隙を狙い、斜め後方に回ったぼくは彼の背を踏み台にして跳び上がると、後頭部に刀の棟を打ち付けた。ぐらりとよろめき、うつ伏せに倒れたオーガの背中から飛び降りると、刀を鞘に収め、周囲に人の気配が無いことを確かめてから、いつも通り引き渡し場所にターゲットと共に「移動」した。
2
取引場所に現れたジャムから今しがた仕入れたばかりと言う新たなオーガの情報を貰ったぼくは、休む間もなく次の目的地に向かった。今夜は大忙しだ。
しかしこれだけ短期間に集中して発生するとは、本当に只の偶然だろうか。まあ作為が有ろうと無かろうと、ぼくにはどうしようもないのだが。
押っ取り刀で駆けつけたのは、怪物騒ぎなど想像も出来ない閑静な住宅街にある一軒家だった。オーガは人間が変化した存在なのだから有り得ない訳ではないけれど、やはり場違いに感じてしまう。オーガも、それからぼく自身も、穏やかな日常に侵入したウイルスの様なものだ。
居心地の悪い場所からはさっさと用件を済ませて退散するに限る。闇夜に紛れて敷地内に侵入したぼくは、施錠されていないキッチンの窓から屋内に滑り込んだ。オーガを匿っているにしては――いなくてもだが――随分不用心だ。ぼくが凶悪犯だったらどうするつもりなのだろう。家族をさらって売り飛ばしに来たのだから悪逆無道であることに違いは無いが。
一戸建ての場合、大抵地下室に囲っている場合が多い。徐々に理性を失い凶暴化していく発症者を隔離する――若しくは自ら閉じ籠る――には打って付けだからだろう。とは言え完全に変化してしまえば餌となる人間を求めて怪力で暴れ出すので、餓死するまで抑え切れる保証は無いが。成体オーガは消化器官が無いのに食事を求めて、さらに食べないと1ヶ月ほどで消滅するという奇妙な存在だ。食された人間はオーガの体内で腐っていくのを待つのみ。狩る側も狩られた側も救いが無い。
ぼくが入り込んだキッチンの隣はリビングで、どちらも真っ暗で人の気配は無い。真夜中だからそれぞれ寝室で休んでいるのだろうが、それにしても夜行性のオーガが潜んでいる家にしては静か過ぎる。他所へ去ったか――家屋に忍び込む前に周囲も観察したが荒らされた様子は無いので、まだ住居内に居る可能性が高い――或いは「食事」に有り付いたのか。嫌な予感がする。
ぼくはリビングを突っ切ると、音を立てないようにそっと家の奥に通じるドアを開いた。左右にいくつかのドアが並ぶ廊下に続いている。地下室の入り口を探すなら一階だが、二階へ続く階段の先から気配を感じた。只の勘なのだが、他に当てがある訳でも無いので、二階から探索を始めることにした。
忍び足で階段を登り、二階の廊下に出る。気配を探ると、奥の部屋から微かに物音が聞こえた。ぼくは影の様に闇を縫って進む。痩せた体も、こういう時には役に立つ。部屋のドアに近付き、耳をそばだてる。
扉越しに水音の様な、咀嚼音の様なものが聞こえる。これは悪い予感が的中だ。
ぼくは息を深く吸い、鯉口を切った。息を吐き出すと同時にドアを押し開け、一気に部屋に踏み込む。
ムッとした臭気が鼻を突く。むせかえる様な血と汚物の臭い。ああ、やはり間に合わなかったか。犠牲者を出してしまった。
部屋の隅に窮屈そうに蹲り、自分の家族の血肉を啜っていたオーガと目が合う。彼の足元には女性の物らしき衣類が引きちぎられ、血の海に散乱していた。布は食べないんだな、等と一瞬場違いなことを考えてしまった。
オーガが動くその前に間合いを詰めて、額に刀の棟を食らわせた。普通の人間ならこれで動けなくなりそうなものだが――下手したら死ぬかもしれない――皮膚だけではなく骨も頑丈になったオーガには意識を失う程のダメージにはならない。ぼくは返す刀をこめかみに打ち込んだ。手応え有りだ。ターゲットの肩を蹴り距離を取ると、床に着地した。
不意に、背後の開きっ放しのドアから視線を感じた。刀を持ち直し、柄と鍔の代わりの十四年式拳銃の銃口を向けて振り返る。いつの間にかそこには小さな人影があった。人の形をしていることは間違いない。ぼくが通過した際には存在しなかった、綺麗なドレスを着たフランス人形がちょこんと立っていた。全長30センチくらいの、決して大きくはない人形だが、血腥い部屋の入り口に佇むその姿には不気味な存在感がある。
人形は昏倒したオーガとその被害者の遺体を見つめていたが、出し抜けに銃を構えたままのぼくに顔を向けた。思わずトリガーを引きそうになるが、壊したらそれはそれで何が起こるか分からないので様子を見ることにした。動かしている人物は見当たらない。人形にもラジオコントロール出来る物があるのだろうか。
「ママは亡くなったの?」
今度は喋った。正確には口は動いていないので、人形から声が聞こえたと言う方が正しい。幼い少女の声だ。本当にそこに少女が居るかの様な、機械を通していない声。これは技術がすごいのか、或いは――ぼくがかつて「看守」を務めていたサイキック達の同類か。
ママと言うのはオーガに食われた女性の事だろうか。だとしたら、内臓をぶち撒けられ、頭部を失った人間が生きているとは到底考えられない。
ぼくは無言で頷く。すると人形はまた亡骸の方を向いた。
「そうよね。でも仕方ないわ。だってママったら、私だけじゃなくてパパまで閉じ込めようとするんだもの」
「私だけではなく」だって?と言うことはやはりこの人形を操っているのは――
「ねえ。私とパパって、そんなに罪深い存在なの?」
人形の青いガラス玉の瞳が、ぼくをじっと見つめて問うた。
オーガは罪人だからなる訳では無い。原因も対策も、何も判明していないのだ。
「運が悪かっただけだ。君も、君のパパも」
痕跡をなるべく残したくないぼくとしては発声を躊躇ったが、「彼女」の問いには答えなくてはならない気がした。ぼくだって立場が違うだけで、彼女たちと近しい存在なのだ。多くの人々とは異なる見た目や力を持っているというだけで迫害されるのだからやり切れない気持ちは理解出来る。
「確かに私たちに幸運は無かったわ。今まではね」
そう言って人形が微笑んだ――様に見えた。実際にはセルロイド製の人形の表情が変化する事は無い。
「パパには感謝しているの。ママを殺して、私を自由にしてくれたんだから。それからあなたにも」
弾む様な声で語る少女に、ぼくは首を傾げた。
「何故ぼくに感謝をするんだ?」
今も君――の媒体だが――に銃を向け、更に君のパパを連れ去ろうとしている奴に一体何の御礼があると言うのだ。
そんなぼくの意図を読み取ったかの様に、彼女は続けた。
「あなたは私を見ても驚かなかった。たぶん私と同じ「魔法使い」なんでしょう?」
多様な能力のサイキック達を相手にしていたおかげで、変わった現象が起こっても動じにくくなったのは確かだ。それにしても――
「「魔法使い」か」
超能力も魔法の様な存在ではあるのかも知れないが、何せぼくが育ったのはオーガの研究施設で、研究員や医師に囲まれていたから、そう呼ばれたことも自ら呼称する人も居なかったので妙な気分だ。
「そうよ。だからね、仲間の証としてあなたにパパをあげる」
突拍子も無い事を、まるで友達に飴玉を分け与えるかの様に言ってのける少女。これは父親と引き換えに自分を見逃せと言う彼女なりの交渉なのだろうか。思案するぼくに構わず、お喋りを続ける。
「ほら、魔法使いに使い魔は必要でしょ?私にはお人形が居るけど、あなたはひとりぼっちなんですもの」
彼女の空想力には恐れ入った。お花畑どころか、空飛ぶ箒が飛び交っているようだ。感嘆と呆れが混じったぼくのため息に、彼女はフフッと笑った。人形は無表情のままなのでどうにも違和感がある。
「それにね――」
ふっと彼女の声のトーンが下がる。
「パパも変身するまでは、ママと一緒に私に意地悪をしていたの。だからね、きっとこれは罪滅ぼしなのよ。――ああ、じゃあやっぱり私たちは、ママの言うように罪深い人間なのね」
彼女はこの家の何処かに監禁されているのだろうか。しかしその割には助けを求める様子も無く、わざわざ侵入者のぼくに存在を伝える事から察するに、恐らく既に自由に動ける状態なのだろう。
15歳未満でオーガ化を発症した者は幼体と呼ばれ、成体より希少な存在だ。ジャムの元へ連れて行けば彼女の父親の数倍の値段で引き取って貰えるだろうが、成体と違い、見た目も人間のままで、性格も感情も記憶も全てが発症前と変わらない子どもを商品にしなくてはならない程、ぼくは落ちぶれてはいない。それに、彼女の能力がこの人形を操るというものだけだとしたら、アングラどころか一般社会でも少女一人で生計を立てるのは厳しいだろう。いっそ能力を隠して、普通の子どもとして児童養護施設に入った方が生きていける。果たして世間知らずな彼女がそこに思い至るだろうか。
――最も、これがかつて研究所に居た管理個体ならば話は変わってくるのだが。彼等は研究所での扱いに憤り、反乱を起こした。ぼくの存在を知れば、恨みを晴らさんと襲い掛かってくるだろう。ぼくは反抗的だったり、なかなか能力を使わない管理個体にのみ接触していたし、施設は特定の箇所を除き常にアンチサイの電波が流れていたから、監視役が居る事を知る者は殆ど居ない筈だが、反乱時にシステムが破壊されたことでサイキックが使えるようになった経緯を踏まえると、ぼくを認識した個体が現れた可能性はある。唯一の救いは、ぼくの命より大事な弟は日本に居るので巻き込まれる心配が無いという現状だ。それだけは神様と祖父母に感謝している。
「君に罪があるとしたら、父親の変化に気付きながら黙っていたところだね。まあ、君も外部に助けを求められる状態じゃなかったのかもしれないけど」
彼女の話を聞く限り、先にオーガ化したのは娘の方だ。それで、サイキックに気付いた両親に、保身の為か、娘の身を案じた故なのかは分からないが、自宅に閉じ込められていた。
「そういえば、君はどうやって逃げ出したの?協力者が居たのかい?」
ぼくの問いに、人形のガラスの眼がキラリと光った。
「魔法よ。菫色の瞳の、綺麗な妖精さんが助けてくれたの。……あっ!これは秘密にしなきゃいけないんだった」
彼女の不思議ちゃん発言にはついて行けないが、その言葉を信じるならば仲間が居るということだ。少女にどこまで協力的なのか不明だが、迂闊に手は出さない方がいいだろう。
「君の秘密は守るよ。その代わり、この家で起こったことも忘れるんだ。これは全て悪い夢だったんだ」
少女にとっての悪夢は発症したところからだから、全て忘れることは難しいと思う。それでも、ぶら下がっている重りは少ない方がいい。
ついでにぼくのことも忘れ去ってくれたら尚都合が良いのだが。ぼくの意図に気付いたのか定かではないが、人形はこくりと頷いた。
「そうね。その方が良いわ。それじゃあこれでお別れね。さようなら、お兄さん――いえ、お姉さん」
そう言って、スカートを摘んで挨拶をすると、闇に溶ける様に姿を消した。彼女は人形を遠隔操作するだけでは無く、どうやらアポートの能力者でもあったようだ。能力が似ているので、親近感を覚える。此処ではまだテレポートを使っていないので、彼女がぼくの力に気付いていた訳では無さそうだが、興味を持っていたのは間違いないだろう。ぼくの性別は最後まで判断しかねていたようだが。
人形の気配が消えた後、念の為家内の部屋を全て確認したが、人形師の姿は見当たらなかった。やはり接触してきたのは、家を離れた後だったのだろう。つまり彼女の力は屋外からでも及ぶ、そこそこ範囲の広い物のようだ。
そして一階の廊下の突き当たりに、外から施錠出来る部屋があった。鍵が空いていたので覗くと、恐らく本来は物置として使われていたらしい窓の無い狭い部屋だが、荷物どころか棚も無くがらんどうだった。ここに彼女は監禁されていたのだろう。更に地下室へ至る扉も解錠され、ここは床や壁に巨大な爪痕が刻まれていた。地下室はパパの部屋だったようだ。
家族で暮らしていた家の筈だが、少女の痕跡を示す物は何も無かった。子供部屋も無ければ、写真や私物すら見当たらない。これは本人とその協力者が始末したのか、それとも両親が処分したのか――恐らくその両方だろう。自らの存在を消さなければ生きられないなんて、まるでぼくそのものじゃないか。
少女が自由になった事は間違い無いが、だからと言って望む未来が手に入るとは限らない。両親からの解放はきっかけに過ぎないのだ。遥か彼方に見える光を目指して、闇の中を手探りで進んでいくような人生が、果たして幸福と言えるのだろうか。
それに、幼体のオーガは短命で、殆どが成人前に亡くなってしまう。そして力を使えば使う程より寿命を縮めることになる。知っていながらそれを伝えなかったぼくは狡い奴だ。勿論同情の気持ちもある。でも、ぼくを知る人間が減ればリスクも下がると考えたことも確かだ。
そう、ぼくはまだ生きていたいんだ。何も生み出さないどころか、世の中に交わることも出来ないのに。根っからの悪人にもなれず中途半端に汚れたままで。
ぼくは綺麗でいたかった。真っ直ぐで清らかな心で生きていたかった。だけどもう手遅れだ。
あの少女ならまだ引き返せる筈だ。母の死を喜び、父を利用したことは悪だが、彼女自身が手を下した訳では無い。恨まれるきっかけを作ったのも両親だったのだから。
彼女を解放した仲間の存在が気になるが――何故少女が監禁されている事を知り、接触出来たのだろう。一体何者なのか。本当に少女にとっての救世主なのだろうか。
自身のことは兎も角、他人の少女の行く末を案じてもどうにもならない。ぼくはすっきりしない気持ちを抱えつつ、オーガの居た二階の部屋に引き返した。犠牲者の遺体は放置する。その方が、後にこの現場を見た者に、オーガが家族を食い殺し脱走したと勘違いしてもらえるだろう。生活の跡すら無い少女の行方は詮索されるかも知れないが。逃げ切れるのか、それとも然るべき機関に保護を求めるのかは彼女次第だ。
ぼくはオーガをお土産にジャムの待つ倉庫へ飛んだ。
3
3体目のオーガの取り引きが終わると、ジャムに
「これでニューヨークでの仕事は終いだろ?折角ならあんたの獲物を使ったショーを見物していったらどうだ?今後役に立つこともあるかもしれないぜ」
と勧められた。
「遠慮しておくよ。オーガにしろ、その相手役にしろ、殺し合う様を見たくは無い」
オーガの売買を生業にしている奴が言う台詞では無いが。
「アングラで良い子ぶったって意味無いだろ」
端的にぼくの様を言い表すジャムに深く頷いた。
「その通り。ぼくは悪になり切る度胸も無い腰抜けなんだ」
「そこまでは言ってねぇよ。全く、あんた仕事は出来るのに、なんでそんなに自己卑下ばかりするんだ」
「それはぼくが面倒な人間だからさ。君とは色々あったけど、そんな面倒くさい奴と付き合ってくれて感謝しているよ。今までありがとう」
「そんな事を言われたら寂しくなるじゃないか。――なあ、俺たちと組まないか?ハンターは暫くお預けになるけど、俺たちの用心棒に付いてくれたら心強いんだがなあ」
「お断りする。犯罪組織の一員になったらそれこそ「彼」に顔向け出来ない」
「彼?」
ジャムが首を傾げた。
彼とはもちろんぼくの片割れのことだ。この先会うことも無い弟に義理を立てたところで意味など無いし、そもそもオーガの売買に関わっていた奴が綺麗事を言うなんてふざけた話なのだが、それでも譲りたくない一線がある。僅かに残された矜持故か、それともただ弟の価値観と乖離することを恐れているだけなのか。
「あんたにも事情があるんだな。まあ裏社会に訳ありじゃ無い人間なんて居ないけどな」
そう言ってジャムは口の端を吊り上げた。
「それじゃ達者でな。もし「こっち」に戻って来たら連絡をくれよ」
「君もね」
仲間と連れ立って去って行くジャムの背を見送ると、ぼくも倉庫を後にした。
月の無い夜だった。暗いが、その分星がよく見える。と言っても、都会の空なので星降る夜とはいかないが。
闇が深いほど、光は明るく映える。夜空で瞬く星々は、まるで遠く揺れる灯火のようだ。
孤独には慣れている。だけど、君を助けたあの日、君に触れて感じた温もりに、命を繋いだ誇りと共に、離れてしまった寂しさを思い出すんだ。
もし、人形使いの少女のように君の前に現れたら、受け入れてくれるのだろうか。知られないままでいい、ただ遠くから見守っていられればいいなんて、きっとぼくの強がりなんだ。だけど、拒絶されることを恐れ、暗闇に潜みながら様子を窺う臆病者のぼくは、君の面影を追いかけることしか出来ない。
ぼくは自分のYZF-R1の元へ歩み寄る。このモーターサイクルがぼくの「舟」だ。
夜闇に舟を漕ぎ出す。凍てついた漆黒の世界を、ぼくは進んで行く。彼方に輝く灯を目指して。辿り着いた其処に何があるかも分からないまま。
本編track4でASと対戦したオーガを捕獲したのはゼロでした。
そしてtrack2の大和の初陣と所々内容が対になっています。
本編に繋がってくる箇所も出てくるので良かったら探してみてください!




