Coming Up ーYamato Ver.ー
20XX年7月20日 日本 東京
梅雨明け宣言が出て間もないこの日、おれは東京都心のオフィス街に居た。愛車の隼を駐車場に停めてフルフェイスのヘルメットを外すと、汗が滴り落ちた。暑い。暑過ぎる。炎天下の都心でのモーターサイクルは苦行だ。おれは汗を拭き、ペットボトルの水を飲み干すと、半地下の駐車場からエレベーターに乗りエントランスに入った。
別世界のようにクーラーの効いた屋内に足を踏み入れると汗が引いていくのが分かる。思わずため息が漏れた。クールビズが推奨されているとは言え開襟シャツにスラックスを穿いたビジネスマンの中にライダースーツを着たおれは場違い感があるが、皆バイク便の配達員だと思っているのかあまり気にする人はいない。
広いホールを歩いて受付に来訪を告げると、髪から足先まで綺麗に整えられたマネキンみたいなお姉さんが
「18階の第3応接室でお待ちください」
と言って来客用の通行証を渡してくれた。エレベーターホールや部屋に入るのも、この通行証が必要らしい。大事な物だから失くさないようにしないと!と思っているとどこかにやりがちなあの現象、名前あるのかな?なんて考えながら18階まで上がり、指定された部屋に入った。入室して1分経たないうちに、これまた一糸乱れず完璧にスーツを着こなした秘書らしきお姉さんがよく冷えた麦茶を持ってきてくれた。しかもポットごと置いていってくれるという気遣い。社会人ってすごい。
高級そうな革張りのソファに座って気の所為かやっぱり品良く感じる麦茶を頂きつつ人を待っていたが、すぐに手持ち無沙汰になって、ここでスマホを弄るのも宜しくないよなと思い、壁に掛かった淡いタッチで描かれた丸の集合体みたいな抽象画を、これ何が描かれているんだろう?どの角度から観るのが正解なんだろう?と悩みながら眺めていた。
おれは爺ちゃんの知り合いだと言うこの企業の社長に、学校が夏休みの間通訳の仕事を引き受けてくれないかと頼まれた。賃金は学生のアルバイトとしてはかなり高額な上に就職先も斡旋すると言うので、就活中のおれは喜んで引き受けた。
近年問題になっている「オーガ化」に関する調査でアメリカの会社からやって来る人物の通訳と案内ということだったが、通訳にしてもオーガ化にしても専門ではない一介の学生に依頼するのは不思議ではある。
コンコンコン!
ドアがノックされたので返事をして立ち上がる。今度は秘書ではなくロマンスグレーの紳士が入って来た。仕立ての良いスリーピースに身を包んでいる。祖父より少し年下に見えるこの人がおれに仕事を依頼した社長の金成氏だ。その後ろからついて来た小学生?いや中学生?くらいの白人の子供がひょっこり顔を覗かせる。亜麻色の髪に琥珀色の瞳の栗鼠のような印象の少年だ。はて?何故子供がここに?調査員が息子を連れて来たのか?
「どうも、待たせたね。彼が――」
と、社長が言いかけたところで、
「ハロー!ワールドツリーから来たASです!案内よろしくね!」
少年が割り込んで元気に挨拶してきた。調査員の息子じゃなくて調査員本人だった!
「あ、東堂です。東堂大和。こちらこそよろしくお願いします」
動揺したおれを見て察したらしくASくんは
「オレたちタメだから!遠慮しなくていいからね、大和くん!」
とにこやかに言ってきた。その目が言っている、「ガキじゃねぇよ」と……笑顔が怖い。
おれも笑顔――引き攣っていそうだ――で答えた。
「大和でいいよ」
「オレもASでいいよ〜!」
AS――本名ではないだろうが、略称なのか別名なのかいまいち分からない。本人もフレンドリーだがつかみどころが無くて、見た目通りの愛嬌があるだけの子……じゃなかった、人ではないのだろう。おれの年齢を知っていたのも予め情報が渡されていたからだと思う。世界展開する警備関係の会社なのだから民間人の個人情報を調べるのは簡単な筈だ。
「じゃあ早速だけど金成社長、依頼内容について説明してもらえます?」
依頼人との挨拶は済んでいるのか、ASは社長の方へ向き直って声を掛けた。おれが伝えると社長は「承知した」と答えておれたちを席に座るよう促す。すぐに例の秘書がお茶と、何故か大量のお菓子の盛られた籠を持って来た。これはASは子供扱いされたと怒るんじゃないかと気を揉んだが、大喜びでおやつに食い付いた。甘い物は好きなようだ。秘書はテキパキとプロジェクターのセットをして、ASが籠の中身を4分の1程平らげた頃には、スクリーンに地図を映し出していた。というかこいつ、もうそんなに食ったのか!?
社長の説明によると、地図はオーガ化が確認された為閉鎖した村と、その付近の集落だそうだ。閉鎖した村及び全ての集落の住人の避難は既に完了しているが、オーガが山中に逃げ出した為、その個体を見つけ出して欲しいとのことだった。ちなみに山の麓や尾根は自衛隊によって封鎖されており、包囲網から出た形跡は無い為地図の範囲内に潜んでいるようだ。そこまで聞いておれは思わず口を挟んだ。
「それって調査と言うより退治するってことですよね?」
社長は訝しげに眉をひそめる。
「そうだが……。もちろん負傷して動けない等緊急事態には救援を出してもいい。――もしかして君はお祖父さんから何も聞いていないのか?」
「祖父には護身用に家宝の業物を持って行くように言われましたが……」
そんな物を持って街中をうろついていたらそれこそ危険だ!と突っ返したが。爺ちゃんは
「呼び止められても家紋を見せれば問題ない」
と宣ったが、そんな水戸のご老公みたいなチートが存在するとはとても信じられない。
おれの返事に、社長は深くため息を吐き頭を振った。
「全くあの男は!意地でも後継者を育てるつもりは無いのか!」
「……何のことですか?」
「まあ今回はプロもいることだし、君が戦う事は無いだろう。ただ念の為現場に向かう前に刀は預かって行きなさい」
戦う?刀で?いつの時代の話だ……とポカンとしているおれを他所に、ASはおやつを完食し、おかわりを秘書に要求した。まだ食うのか。
このお菓子に夢中な子供みたいな奴をオーガハントに行かせるというのも信じられない。オーガ化すると常人より筋力も上がり、体も頑丈になって口径の小さい銃弾は弾いてしまうと聞いた。そんな奴とどうやって戦うんだ。分からないことだらけで頭を抱えるおれを横目で見ながらASが優雅に紅茶を啜る。この暑いのにホットだ。いつオーダーしたんだろう……。
「オーガのことなら後でしっかりレクチャーしてあげるよ。ハントも初めてじゃないし任せて!」
そう言ってASは悪戯っぽく笑った。
「それにオレ、君よりずっと強いから!」
track1はこれにて終了。
次章からメインの話に入ります。
ちなみにASはアイスティー邪道派です。
作者はホットもアイスも大好き!