1.とある日の出来事
からんと扉についたベルが鳴る。
客人が来た合図だ。
強面の顔をした店主は手入れしていた武器を置き、顔を上げる。と同時に眉を僅かに顰めた。
訪れた者があまり歓迎したい客ではなかったからだ。
ここは王都の平民街にあるさほど大きくない鍛冶屋だ。
一流の冒険者たちは王都の一等地に構える大きな鍛冶屋を使う。もちろんそういった鍛冶屋に並ぶ武器はどれも一級品だが同時にそれなりの値段もする。
ここに来るのはまだ冒険者になりたての若い冒険者たちが多い。金がないため、なるべく安価である程度の武器を買おうとするのだ。
なかには今日冒険者になろうという若者もやってくる。期待に胸を膨らませ、己の武器を買いに来るのである。そういった相手に武器を売ることはもちろん店主としては構わなかった。そのなかで本当の冒険者になれるのは僅かだが、それでもそういった相手に商売をしなければ店はやっていけない。
だから訪れた者がどう見ても冒険者に見えなかったとしてもそれは気にならなかった。
店主が気にしたのはその訪れた者の顔だ。
今にも死にそうな、追い詰められたようなそんな顔を訪れた少女はしていた。
この国では珍しい黒髪に黒い目をした少女。髪は肩にかかるぐらいまで伸ばしていて、女の子にしてみれば短めだった。
彼女は店主がいるカウンターまでまっすぐやってくると静かに言った。
「武器をちょうだい」
どう見てもその華奢な身体では武器を扱えるようには見えなかったが、あえてそれは指摘しなかった。
「金はあるのか?」
「これで」
彼女はそう言って、手から銅貨を3枚出した。この店で一番安い武器でも銅貨20枚はかかる。
「嬢ちゃん、悪いがその金じゃ話にならない。せめてもう少し金を稼げるようになってからここに来てくれ」
冒険者になるにはまず金が必要だ。最低限の防具と武器がなければいくら低級のモンスター相手にも勝てない。
銅貨3枚ではどうにもならなかった。
しかし彼女は引かなかった。
「それでも私には武器が必要なの!」
必死な顔で彼女はそう言った。
銅貨を握りしめるその手は震えている。何があったのかはわからない。しかし何かがあったのだろう。そうでなければここまで思いつめた表情をしたりしないだろう。
店主は少し迷った。
このまま追い返すのは楽だ。金が足りないのだから、追い返されたとしても彼女も文句は言えないだろう。しかしここで追い返したところでこの少女は諦めるだろうか。
ここまで思いつめているのだ。このまま追い返せば彼女はきっともっと何か重大な過ちを犯してしまうかもしれない。
今日会ったばかりの名も知れない少女。だと言うのに、店主は気づけば彼女の心配をしていた。
我ながらばかだな。
そう思いながら、店主は小さなため息をつくと手を出し、彼女が差し出した銅貨3枚をとった。
「え?」
少女はそれをぽかんと見る。
まさか受け取ってもらえるとは思っていなかったのだろう。
驚く少女をよそに店主は店にあるそこそこの値段をする防具をいくつかとるとそれを少女の身体に押し当てる。
「サイズはいいか」
そのまま呆然とする少女をよそに店主は淡々と防具をつけていく。あっという間に見た目はそれなりの装備を身に着けた冒険者になった。
あと足りないものは。
もちろん武器だ。彼女がなんとか振れるであろう細身の剣を店主は選ぶとそれを彼女の腰に下げてやる。
これで立派な冒険者の出来上がりだ。
そこまでしてようやくそれまでなすがままにされていた少女が呟いた。
「どう、して」
どうして。そんなの、こっちが聞きたい。
理由なんてない。ただ、何故か、ほっとけなかった。
それだけである。
しかしそれを素直に言うのはさすがに気が引けた。そこで店主はちょっとした嘘をつくことにした。
「俺は一流の職人だからな。そいつに素質があるかないかわかるんだよ」
「素質?」
「お前は一流の冒険者になる。間違いない」
「私が?」
「ああ」
もちろんそんなのわかりっこない。
ただの口からでたでまかせだ。
しかし、そう言うことでこの少女も少しは安心できるだろう。
「だから足りない分の代金はつけといてやる。せいぜい出世して、一流の冒険者になったらこの店を贔屓してくれ」
もちろん、店主だってそんなにうまくいくはずがないとわかっていた。
いうなればそれは店主なりの彼女への応援メッセージだ。
ただそれだけ。それだけのことだった。
ふと、少女の肩が揺れる。
どうしたのか見ると彼女は笑っていた。
声をだしておかしそうに笑っていた。
その顔はさっきまでの追い詰められた表情ではない。
笑うその顔は普通のどこにでもいる少女だった。
「なに、それ。おかしい」
彼女はそう言って、ひとしきり笑うと顔を上げた。
「わかった。きっと有名になって、ここのつけを払いにくるから」
黒い瞳が真っすぐと店主を見る。その目を見て、店主は安堵する。
これでこの子は大丈夫だ。
「ありがとう」
少女はそうお礼を言うと店を後にした。
少女がいなくなった後、店主は何事もなかったように置いてあった武器を手に取り、手入れの続きを再開した。
たった、それだけの出来事。
それがすべての始まりになるとはこの時、店主であるラルドは全く思っていなかった。
からんとベルが鳴る。
客人が来た合図だ。
ラルドは顔を上げる。と同時に顔を思わず顰めた。
訪れた客はこの国では珍しい黒髪に黒い目をした少女だった。彼女の着ている防具や装備から彼女がそこそこ名の知れた冒険者だと素人目でもすぐにわかった。なによりも彼女の腰に下げている立派な剣が彼女をただものではないと証明している。
彼女はラルドを見ると弾けるような笑顔を浮かべる。そして大きく手を広げ、満面の笑みを浮かべて言った。
「ラルドさん!愛しのユイが会いに来ましたよ!」
何でこうなった。
誰に言うでもなくラルドはそう呟いた。