㐧7の獄 お前たちのロックってこのあたり無視してないか?
祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ──
なんだよォォォ冒頭からいきなりィィィ、国語の先生かオメーはよォォォ!──と、思われし読者諸兄もおられようが、まことこれは'70年代パンク勢を表すと云えよう。
なるほどパンクの勢いたるやすさまじかった。またたく間にオールドウェイブ勢を駆逐し、自らがその後釜に座ったばかりか、今現在まで半ばテンプレート的な『反権力、反戦平和、反差別、反ナチ、不服従』──などと云ったイメージをロックに植えつけるまでに至っていたのであるから。
まことニューウェイブこの世の春にあった。本来関係のないポップスすらも『ポップロック』などと半ば無理矢理のこじつけに近い売り方をしていたほどにある。ロックに非ずんば音楽に非ず、ニューウェイブに非ずんばロックに非ずと──まさしく全盛期の平家さながらな勢いを誇っていたのである。
それを如実にあらわすが──当時大人気であったABBAなど、半ば無理矢理にポップロックの範疇に入れられた挙句、「お気楽な音楽を演ってるんじゃない、もっと政治的なメッセージを歌に込めんか、この脳天気どもが」などとの、まこととばっちり以外の何物でもない批判を受けるまでに至っていた──との、話にある。
まこと、驕れる平家さながらの勢いにあった。
左様。驕れる平家は久しからずを、まこと体現するに至ったのである。
'76年より'77年の間にオールドウェイブ勢を駆逐しこの世の春を謳歌したニューウェイブ勢にあったが、その中核を担うパンクの肝心要の頂点を突如として失ったのである。
'78年に、まずダムドが解散してしまう。続き、なんと全米ツアー中にて、ピストルズの重要人物ジョニー=ロットンが初の「ロックは死んだ」宣言とともにバンドを抜けてしまったのである。
これはピストルズにとって致命傷となった。──なるほどビシャスの影響力、そのカリスマ性はバンドの要には違いなかったが、しかしロットンの穴を埋めるには至らなかった。ピストルズは事実上解散状態となる。そのビシャスも、ロットン脱退後いけないおくすりのやりすぎでこの世を去るに至ったが故のことにある。
なるほどビシャスの生き様はまことロックにあった。──同じ時代のもうひとりのシド、同じくいけないおくすりのやりすぎで廃人同然となっていたピンクフロイドのシド=バレットの存在をほぼ消し去ってしまうほどには──影響力がつよすぎた。
ビシャスに馴染みのない方は、尾崎豊をイメージしてくれればわかりやすいものと思われる。あれを2階級ほどパワーアップさせたようなものである。
故にその死は伝説となった。──ほぼほぼ英雄扱いのようなものである。
しかしながらそれに苦言を呈する者がいた。──他ならぬジョンレノンにある。
レノンは云う。「パンクは好きだ。純粋だからね。──だけど、自分を破滅に追い込む人間は好きになれない。彼から何を学べるんだ?『死』だけじゃないか。彼を英雄として崇めるのは莫迦げてる。僕は生きているやつ、健康なやつを崇拝するよ」
しかしながら──そのレノンもまた突然の悲劇的な死によって英雄として、伝説として死した後崇め奉られたは、何たる皮肉にあろうか。
結局のところ、英国パンク勢の頂点にあった連中のうち生き残ったはクラッシュのみにて、それも後に方向性を見失い解散の憂き目をみるに至る。──まあ、ダムドは何やかんやで方向性とメンバーを多少変えて今現在まで生き残ってはおるのだが──ともかくもパンク黄金時代は、明智光秀がごとき三日天下に終わったのである。
さてレノン御大の「ロックは死んだ」宣言は必ずしも嘘大袈裟まぎらわしいのJARO案件というわけでもなかった。オールドウェイブ勢が駆逐され、新たに台頭したニューウェイブ勢が自滅みたいなやり方で軒並み消滅してしまったが故に──まさにつわものどもが夢の跡。全米ロックシーンが焦土広がる無限の荒野がごとき不毛地帯となり果ててしまったのである。先ほどの明智光秀にたとえると、「本能寺へ向けて核ミサイルを発射!」したようなものであった。
どのくらいの不毛地帯と申せば──たとえばKISSからドラマの人が抜け、ベスト盤を出したはよいがそれと同時に活動休止に至り、エアロスミスはメンバー内の揉め事が原因で事実上の解散。QUEENほどの猛者までもが当時流行っていたディスコミュージック寄りの方向性へと向かい、ファンに不興を買っていたりした。──そのような時代であった。
これが'70年代末から'80年代初頭にかけての話。──'80年代初頭と云えば輝ける黄金時代の幕開けといった印象があるやもしれぬが、案外とその出だしは、なかなかに世紀末臭のする、絶望感漂うものにあったわけである。
さて不毛地帯とは云うものの、これは見方を変えれば好機である。──なにしろともに隆盛を誇ったつわものどもが軒並み消滅した状態なのであるから、喰い込んで行きたい放題切り取り放題の無主地が広がっているも同じことであったと云えよう。
今にも世紀末覇者らが次々に旗を掲げて我も我もと一番槍を競って乗り込んできそうな手つかずの無主地が。
だが、そこに喰い込んでゆくが、非常にむずかしい状態にあった。
先に述べた通り、頭を失ったパンク勢が後に続くはむずかしい。──云うなれば本来のロックへの原点回帰、すなわち後に戻ると云うかたちの進化を遂げたがため、この時点では先に進むが不可能な状況にあったがためである。
しかしながらオールドウェイブ勢もまた──やはり先に述べた通り、QUEEN、KISS、エアロスミスなどの頭を失った状態にあった。かのイーグルスとて、名曲『ホテルカリフォルニア』の大ヒットを飛ばし、全米売り上げ枚数の記録を更新しながらも解散の憂き目をみており、ブラックサバスとてオジー=オズボーンが当時は廃人状態にあったがため、生き残るため彼を切断手術のごとくクビにして切り捨てざるを得なかった頃にある。
こうした──互いに主力艦隊を失い決定打を欠いた──'42年時点の日米両軍のごとき状態となっていたが、'80年代初頭のロック界にあった。'42年以降の流れとしては双方ともに残った艦艇を大事に使いながら相手をなんとかすり減らさんとする戦をしばらく続けるに至ったが──
此度もまた、似たような流れとなった。
主力艦の建造、並びに艦の力を存分に発揮できる上等な兵員をイチから育て上げるは非常に時間と手間とそして銭がかかるもの。──それ故に日本軍はすり減らされる側にまわったのであるが此度のアメリカロック勢はまさしくこの状況にあった。
何しろロックスターと云う名の主力艦を軒並み沈められたも同じで、またイチから新人を育て上げるほどの余力は、この時点に於いてはさすがのアメリカロック界にもなかったのである。
故に残存していた巡洋艦隊や駆逐隊とでも呼ぶべき──今まではスター勢の陰に隠れていた中堅勢を支援し、この不毛地帯へと送り込む占領戦をするを、選んだのである。
それら中堅勢を──なにもかもすべてひっくるめた極めて乱暴な括りにて──『産業ロック』と呼ぶ。
『産業』とは云うものの、インダストリアルロックに非ず。なるほどインダストリアルミュージックが産まれたるはこの頃には違いないが、それがロックと結びつくはもっと──ずっと後のことにある。
この誤解は、『産業ロック』なるものが本邦独自の、しかも個人の極めて乱暴な独断と偏見に満ち満ちた括りであることに起因するもので、音楽的な区分にて分けると、ハードロック勢の一派だったり'60年代ロックの正当な流れを汲む者であったりソフトロック──すなわち初期AOR勢であったりと、極めて多岐にわたる。云うなればパジェロもジムニーもランドローバーもみなすべて『ジープ』と呼ぶがごときものであったと、そう思ってくれればわかりやすいかと思われる。
しかしながらこの時期のロックを大まかに語るには便利であるが故に、ここでは敢えてこの括りを用いてしるすものとする。
この『産業』とは、先ほど述べた通りインダストリアルとは何らの関係もなく、云うなれば“産業製品のごとく売るためにつくられ──或いは量産された──ハンコ音楽である” との意味合いが込められている。──ファンにもバンドにも失礼極まることではあるが、売るためにプロデュース側がやや強烈に後押ししたところがあるは、まあ事実にはあった。
しかしながらどうしようもなく聴くに耐えんくそみてぇなバンドを銭の力で強引にゴリ押しのねじ込みをしたかと申せば、絶対にそうではないと断言する。これら産業ロック勢はなるほどかつてのスター勢と比べるとイマイチ華やかさに欠けるところはあったが、その実力は本物であったが故にである。
これらの産業ロック勢の中で有名なのは、『サバイバー』であろう。かの『ロッキー』シリーズの主題歌ともなり、ロッキー3に出演したハルク=ホーガンの入場曲ともなった『アイオブザタイガー』のすばらしさは誰にも否定できぬであろうし、またそれだけの一発屋に非ず。『キャントホールドバック』など聴くと、アイオブザタイガーでの力強さはそのままに疾走感あふれる彼らの別の顔が見えてこよう。
REOスピードワゴンもわすれてはならぬ。中堅バンドと先ほどひと括りに述べはしたが、こやつら実のところ'60年代より活動を続けていたベテラン勢にあった。──それ故にか、ややビートルズ的な匂いを漂わせつつも'70年代ハードロックの色を帯びており、ばかりかこの'80年代の眼をもってしても古さを感じさせぬところがあった。代表作『涙のレター』や『涙のフィーリング』などを聴いてみれば、「何故こやつらが今の今まで埋もれていたんだ?'70年代の人間どもは40億総つんぼだったのか?」と、思わせるまでのところがある。
同じく古参のベテラン勢と云えば、サイケデリックロックの際に述べたジェファーソンエアプレインがある。──もっとも、ジェファーソンエアプレインの名前はない。当時の名前は『スターシップ』であった。──これはジェファーソンエアプレイン長い歴史の中でメンバー離脱や加入をくり返す果てにメンバー内で派閥が分かれ、ジェファーソンスターシップとして分離独立を果たしたという流れにあった。──なお本家から「ジェファーソン、並びにエアプレインの名前を使うなボケども」とのお優しい激励の言葉があったため、スターシップと名乗るに至った次第にある。しかしながら代表作『シスコはロックシティ』など聴くに、まったくそのような古さは感じさせずむしろ新時代の幕開けにふさわしきものにある。
TOTOやナイトレンジャーもわすれてはならぬ。ともに今現在まで安定して続く御大クラスにまで成長した連中にあり、とくにTOTOなどは知らぬところで他の音楽にも影響を与えていたりする縁の下の力持ちにある。──決して銭の力で無理推しを通したのではなく、これら産業ロック勢はあくまでも実力派揃いであったと云うことが、これらのことからもわかるであろう。
しかし何故これら産業ロック勢がそれまでの、或いはそれ以降の連中らと比べて一等落ちるような──不当な評価に基づいた──扱いをされているのであろうか?
その理由は幾らかあるが、そのひとつは前回のパンク、ニューウェイブ勢の際に述べた『反商業主義』と云う考えに基づいたものにある。反体制側のヒーローたるロックが売れ線狙いでポップキャッチーな曲を演り、資本主義の豚として銭を稼ぐはけしからんとの考えにあった。
よく考えてみればなんとも理不尽な理屈である。なるほどパンク勢は反体制反権力反商業主義を標榜し、それを貫いていたようにみえたが、事実、セックスピストルズはプロデュース側後押しの力も大きく、また莫大な銭を稼いでいたではないか!
しかしながらパンク勢がそのスタイル、見た目故に非常にカッコよくクールな印象を皆に与えていたは事実。それと比べると──これがもうひとつの理由──これら産業ロック勢はたしかに、ダサかったと云えようか。いや今現在の眼からみるとたしかに'80年代スタイルはダサくみえる。色の抜けきってないジーパンにわしゃわしゃの金たわしのような長髪はダサくみえるかもしれない。だが当時はカッコよかったのだ。
そしてこれら産業ロック勢は当時の眼からみてもファッションはややダサかったのだ。
だが──それはあくまでも比較した上での話。あくまでも見た目と云うどうしようもないものの話にて、音楽そのものは非常にキャッチーで、そしてカッコよかったのである。
キャッチーで産業的と申せば、この時期よりアメリカ映画とロックとが深く関わる。──今でこそ映画サウンドトラックと云う名のオムニバス盤が出る時代にあるが、これがはじまったはこの時代にある。
すこしばかり後の話にはなるが、シルベスタスタローン主演、かのスコットノートンが2秒だけ出てる映画『オーバーザトップ』の主題歌Winner takes it allや、若きデミムーアの出てる『セントエルモスファイア』の主題歌Two Heartsなどはなかなかに通好みのロックにあり、かつ、それら自身アルバムには収録されていない、欲しければサントラを買えいというレア曲であったりもした。──これは余談ではあるがそれぞれ、スコットノートンと馳浩の入場曲である。ついでにオーバーザトップのサウンドトラック収録曲にあるThe Fightはマサ斎藤の入場曲である。
このように思想はともかくとして現実にては、もはやロックの掲げる御題目たる反商業主義などまやかしにすぎず、一大巨大産業となっていたのである。
なるほど反商業主義とは美しい響き。純粋であるとも思える。──だが果たして、まったく売れてもおらぬバンドをひたすらに推すような忠誠心の高いファンは、日本人口1億の中のなん%であろうか。またそのようなバンドをどうやって探すのか。
無論、売れることのみを盲信し、「売れてなければ無価値」じゃの、「売れることこれすなわち正義」と云うは、まこと資本主義の豚そのもの。飢えた狼は生きよ豚は死ねい! である。拝金主義ここに極まれり。そうした上っ面の数字のみを見るは、人としての底の浅さを知られるが故に、あまりよそで声高に主張せぬを勧める。
話がそれた。──'80年代ロックへと戻る。
ともかくも商業と化したロックにはあるが、それはロックのみにとどまらず他の音楽もまた同じにあった。今現在は当たり前となったMTVができたはこの頃にて、音楽とともにPVを用いた映像広告を売り出す手法がなされるに至ったもまたこの頃にあった。
こうして皆の知るイメージ、華やかな'80年代がはじまった次第にあるが──なにやら云いたそうな視線を感じる。よろしい、発言を許可する。
なに?「銭金に魂を売り渡し、ロック本来の心が死んでしまった」じゃと? うぬは、いったいなにを読んでいたのか。うぬは'70年代の亡霊にあったか。
ロックの魂は死んではおらぬ。ともすればわすれられがちな、とくに産業ロックの陰に埋もれがちにてときに一緒くたに語られがちではあるが、正統派ハードロックの流れを汲むヴァンヘイレンが始動したはちょうどこの頃なるぞ。サバイバーらと同期にあるぞ。
まあ、眼を北米のみに、或いは日米のみに注いでおるからこそそのような誤りを犯すのだ。
そう、闇より現れし刺客がこの頃、北米大陸へとなぐりこみを今まさにせんとしていたのである。
第2の侵略が、はじまろうとしていたのである。