特別篇 お前もしかしてまだ、ロックが死なないとでも思ってるんじゃないかね?
“彼らがはじめにロリコン漫画を攻撃したとき、わたしは声を上げなかった。わたしはペドロリゲスではなかったからだ。
彼らがエロマンガを燃やしはじめたとき、わたしは声を上げなかった。わたしはフランス書院文庫愛読者だったからだ。
つぎに彼らが巨乳ちゃんを攻撃したとき、わたしは声を上げなかった。わたしは断崖絶壁まな板貧乳好きだったからだ。
彼らがドラゴンカーセックスを攻撃しはじめたときも、わたしは声を上げなかった。わたしは爬虫類が自動車にはめるのが好きではなく人類の叡智と科学の結晶たる自動車が! 飛龍の名を冠するボクスホール・ワイバーンが! ワイバーンを見下す白いショタ竜の尻ANAにはめて竜の尊厳をことごとく奪い牝堕ちさせて自動車の仔を産ませるのが大好きだったからだ。
そして彼らがゴアグラインドを攻撃したとき──わたしのために声を上げてくれる者は誰ひとりとして生き残っていなかった。
──モロチン=ニーメラー”
さて昨今、巷で話題となっている表現規制であるが、これはただエロマンガを規制して終わるものでは断じてない。否、エロ絵、イラスト絵画にとどまらず──このまま放置しておけばいづれやがては文学を、そしてロックを含む音楽を燃やし尽くすは確実なことである。
これは油断を戒めるためのものではない。断じて嘘大袈裟まぎらわしいの誇大な被害妄想の類にも非ず。今現在に至るまでの歴史が物語っておる、事実である。
そもそも、ロックは黎明期より規制の対象となっていた。古くはエルヴィス=プレスリー御大の時代から。プレスリー御大は唄いながら腰を振って踊るという独自のムーヴを得意としていたが、これが、「性的である」じゃの、「卑猥、猥褻の違いである」じゃの、「不埒な行いを公共の場でするな」じゃのといった批判に晒されてきたのである。
今現在の眼からすれば、「どこが卑猥やねん文句つけてきた連中はめくら揃いか?」と、なにを莫迦なと思われるやもしれぬが、これは事実。実際にプレスリー御大は、「今度公共の場で腰を振ったらその瞬間に逮捕しちゃうぞ」と、フロリダ州警察より公式に脅し──否、警告と云う名のありがたいお言葉を賜るに至ったのである。
続いては'70年代──正確には今現在にまで続くのではあるが、表現規制をくらいまくっている常連、スコーピオンズについて述べる。このバンド、曲はすばらしいがアルバムジャケットのアートワークもすばらしい。すばらしすぎて──規制を受けるのであろうか。
まずは代表作、『狂熱の蠍団』のジャケ、これは今現在に至っては国内盤ですら差し替えジャケの、当時のバンドメンバー集合写真となっているが、本来のジャケは女の子の全裸写真にて、それを貼った硝子がヒビ割れているという──原題の『VIRGIN KILLER』をまこと一枚絵にて表現した、芸術性の高いものであった。
発売当初より、「性的である」「児童ポルノである」「猥褻である卑猥である」などとの云いがかりに近い抗議を受けて速攻でジャケが差し替えられるという事態に陥った次第であるが、世界でほぼ唯一、本邦のみがオリジナルのジャケがそのまま用いられることとなった。すばらしい日本。わしは日本に産まれたことを誇りに思う。しかしながらついに──21世紀になって紙ジャケ再販盤からは外国と同じ差し替えジャケになってしまったは、とても残念なことである。オリジナルジャケ盤を持っている人は、大切にしてほしい。
その他、『暴虐の蠍団』は「墓場で銃撃戦を行うとは切支丹を莫迦にしている」と云うわけのわからぬ理由にてこれまた差し替え、『蠍団爆発』は「薔薇は女性器を刀は男性器を表している」などと云われまたまた差し替え、『ラヴドライブ』は「おっぱいが見えておるぞけしからん」と差し替え、『復讐の蠍団』も、「女の子がいやらしい」と文句をつけられ差し替え、『電獣』は「こちらに尻を向けている男性はちんぼを出しておるないや見えていないが出しているに違いないィィィ」とまたしても差し替え──と、オリジナルジャケなのは『蠍魔宮』とか数枚くらいになってしまった始末である。
たかがジャケと思われるかもしれぬが、ジャケのアートワークも含めて作品である。同じアルバムに複数のジャケを用意したレッドツェッペリンの立場は。いやレッドツェッペリンですら『聖なる館』で「女の子の尻が見えているけしからん」と理不尽な規制を受けている。──故にこうした云いがかりによる規制は、すべきではない。それがどのようにいかがわしく不道徳なものであっても。
左様、『メイヘム』のように本物の、頭が割れてそこから脳髄が流れ出しているヴォーカルの人のモノホン屍体写真が使われているジャケであっても、『トルソーファック』のようにばらばらになった女の人ときたならしい全裸のおじさんが合体していても、うんこまみれの女子高生同士が下痢の海の中で睦み合い抱き合っていても、『ビル=ナイ・ダ・ナチ・スパイ』のように女性器からナチヘルメットかぶったおじさんが「やあこんにちは」していても、『2 Minuta dreka』のように裸の女の子がうんこをぶりぶりひり出していても、である!
それらもすべて芸術作品であり、『アート』なのである。アートワークとはよくぞ云ったもの。断じて、くそみてぇな理由にて規制や差し替えをされてよいものに非ず。
それがどれだけいかがわしく、不道徳なものとても。──そうしたきたならしくいやらしく病気めいて不道徳でにおってきそうでくさそうな背徳の極みの道をひたすらに追求する芸術があってもよいであろう。実際にあるのだから。
さて、曲そのものに対しても規制は存在する。そもそもが、ロックに対する理不尽な規制の代表たる『PARENTAL ADVISORY』そのものが、「プリンスの歌詞がオゲレツざます!」というところからはじまっている。この指定を受けたアルバムは、わしら日本人にとってはよいアルバムの目印でしかないが、北米ではウォルマートやタワーレコードなど大手の店に並べることを禁止されてしまうのである。ファッキンくそ規制!
英国にてはもっと事態は深刻にて、こうした指定もなしにある日突然禁止されることが稀によくある。『メタリカ』のカヴァーで有名になった『SO WHAT』という名曲があるが、これのオリジナルは『アンチ・ノーウェアリーグ』という英国のパンクバンドである。──なんと、『発売翌日には発売禁止』という憂き目に、アンチノーウェアリーグは遭った!
ファッキンくそ規制! まことファッキンガム宮殿の総本山である。いくら1曲中の歌詞に8回もファックという文言が出てくるとは云えどこれはやりすぎである。キングジョージ5世が草葉の陰で泣くぞ? いや泣いているぞ、おい。
しかも公式には歌詞が原因とは云わず、「ジャケのアートワークで斧を持っているのが暴力的である」という理由にぼやかしているのがまた卑怯卑劣オゲレツ極まりない。 ブリカス・ムーヴここに極まれりであると、云わざるを得ぬ。──さらにつけ加えると英国では『クレイドルオブフィルス』のTシャツを街中で着ていると逮捕されるのであるが、その罪名は猥褻物陳列罪にある。そりゃあたしかに「Jesus is a cunt」(イエスは女性器)と書いてはあるが本心はそこにないであろう。汚いなイギリスさすがきたない。
しかしまあ、これはまだ眼に見えてわかりやすいからまだやさしいやもしれぬ。もっとひどいのは見えにくい規制である。映画『マトリックス』に使われたマリリンマンソンの『ロックイズデッド』など、シングル盤はなんと「音声がさりげなく一部消されている」のである!
『ロックイズデッド』は『メカニカルアニマルズ』というアルバムに収録されているので、そちらと聴き比べてみるとすぐわかる。「ファック」と「シット」が雑な編集で消されていることが。──なおこのメカニカルアニマルズ、北米盤と国内盤でアートワークがさりげなく修正されているのでこちらもぜひ両者を見比べてみてほしい。ファッキンくそ規制。
こうしたくそみてぇな規制に、ロックアーティスト並びにロックファンたちは反抗するは当然と云える。ロックは反抗の音楽なのであるから。俺らは反抗するで? ロックンロールで! 差し替えや修正前のアルバムをわざわざ探して買うなどといった行為も、そのひとつと云えよう。
昨今はアルバムを買うのではなく曲をダウンロードで買うのが一般的となりつつあるが、しかしこれはある日突然修正された場合オリジナルを探すを困難とさせる危険を孕んでいるをわすれてはならぬ。フランスワインのごとく毎年恒例となったジーン=シモンズ御大の「ロックは死んだ」発言もまったく的はずれな妄言ではなくこうしたダウンロード販売に於ける規制や修正を踏まえた上でのことでもあるのだから。
話がどんどん脇道に逸れていったが、「エロマンガがなくなったって困らない」とか、「グロリョナイラストが消えるのは賛成だ」とか云って表現規制を推し進めていれば、やがてはポルノグラインドやゴアグラインド、或いはエログロメタルといったロックの一派にまで飛び火しかねぬ。「社会的責任」だとか、「公共の場をわきまえる」だとか云う耳当たりのよい言葉にだまされてはならぬ。それはやがて廻りて巡りて──ついには己の大事なものを燃やすを助ける行為に他ならぬのであるから。
対岸の火事と考えず、消火、防火に努めるべし。ロックが禁止されてからでは、遅いのであるから。(※注)
火の用心、規制1回火事の元!
気をつけよう! 甘い言葉とディストピア!
※事実いくらかの国では「ブラックメタルを法律で禁止したほうがよいのでは?」との議論がなされたこともあり現在進行形で議論されているところもある