㐧11ノ獄 お前たちのメタルイメージってこの時のままじゃないか?
「ニルヴァーナのリーダー、カート=コバーンは死んだ」
冒頭より世紀末クソゲーのような出だしで申し訳ないが、事実なのだからしかたがない。──ニルヴァーナはおろかグランジ、オルタナティヴの人気絶頂期のまさにこの頃、先に述べた通りコバーンは散弾銃で頭を撃ち抜いて自殺してしまったのである。
理由には諸説あり、嫁が好き勝手放題してバンドの方向性云々に口を出しまくって何もかもが嫌になったなどのどこかで聞いたようなものもあるが、ここはそうした半ばオカルトじみた電波陰謀論を撒き散らす猛毒電波発信所ではない。──故にここではコバーンの遺書に基づきなるたけ客観的にしるすこととする。
そこには「これ以上嘘をつきたくない」との文言があった。「自分が考えるもっとも重い罪とは100%楽しいふりをして嘘をつき他人を騙すことだ」とも。
これよりすこし前、ニルヴァーナは2枚目のアルバムを出していた。『インユーテロ』である。『ネヴァーマインド』よりもさらに攻撃的で絶望感漂う大問題作──本人曰く「売れないようにつくった」ほどのものにある。しかしこれはその意に反して全米ナンバー1の売り上げを誇るに至った。
ここにきて彼らの信念、反商業主義である。「売れたくもないのに売れてしまう、目立ちたくもないのに目立ってしまう」とのある種贅沢な自己矛盾の果てに──耐えきれず死を選んだと云うが、今現在もっとも有力な説のひとつとされる。
個人的にはわからぬでもない感覚にある。──が、コバーンの死の理由及びそこに至るまでの経緯は此度の本筋とは大きく逸れるが故、ここでは語らぬ。
結論から云うとグランジの隆盛はここで終了し、また、ロックシーンそのものの隆盛もまたここで終了してしまったということである。
コバーンの死、及び死に至るまでの葛藤の経緯は北米ロックシーンに相当なる衝苦を与えた。──全米ロックシーンが、お通夜モードと化したのである。
'80年代のきらびやかで華々しいPVはどこへやら。どこか殺風景な舞台を背景に小難しい顔をした人たちが思い悩んだ表情にて歌い演奏する──そのようなPVがあふれるようになる。かくのごとくして、北米に於いてロックはその勢いを失うに至った。
やがてそこを侵略するかたちにて、'90年代初期より勃興したヒップホップ勢が全米を支配し、やがては世界中に広がることとなる──
さてまこと絶望的な自体にあるが、しかしロックそのものが死んだわけではない。かつての隆盛を失い高転びに転び地に落ちたかのごときロックにあるが、しかしそれはあくまでも北米という「いち地域に於いてのみ」にある。──まあその北米というものが世界の大半を占める巨大市場であるのだが、まあ、それでもいち地域にすぎぬというは慥かなことである。
他の地域ではまだまだロックが生き残っていた。ドイツや北欧ではパワーメタルの牙城が築かれたままにある。とくに北欧はここからメタルのさらなる発展をみせるのであるが──しかしここではひとまず英国に眼を向けてみよう。
英国にてもグランジ人気の影響は大きなものであり、それに対する反感としていかにも英国らしいロックをやっていたストーンローゼスらマンチェスター勢ががんばってはいたものの、しかしグランジに頭を押さえつけられるかたちにあった。
そこに、グランジが急死するかたちにて急激に失速するに至った。──これによりずっと求められていた『英国の英国的な英国らしい』ロックが花開くとなった次第にある。
それはじつに英国的であった。英国は階級社会であるが、下層階級を代表するような生き様の『オアシス』と、中産階級を代表したと云える洗練された『ブラー』とが一気に頂点へと躍り出るに至る。彼ら双方ともにオルタナティヴロックの一派に数えられるが──この勢いに乗り、英国ロック界はにわかに活気づき、大衆音楽と化していった。
『ブリット・ポップ』の誕生である。
ブリットと云っても稲妻を意味する『BLITZ』の単数形に非ず。だいいちBLITZは英語ではなくドイツ語である。このブリットはそもそもBLITではなく『BRIT』! いわゆるUKロックとほぼ同じ意味を持つ。
これとほぼ時を同じくして本邦にては『Jポップ』なる言葉が市民権を得るに至る。云ってしまえばブリットポップの日本版である。──このように日英両国にてロックがポップスの一部として組み込まれ、流行をみせるに至った。
「ロックとポップスを一緒にするとは何事か」などと云う方々もおられるやもしれぬが、もうこの時期、'90年代も半ばを過ぎ後期へと向かいつつこの時にはすでにロックは一般化、大衆化するに至っていた。むかしからの尖った、触れると火傷では済まぬような危険臭漂うロックはすでに極めてマイナーな、いわゆるアンダーグラウンドの世界に没しているに至っていたのである。──そのアンダーグラウンドですら『発掘』が行われ、流行に組み込まれるに至り、そうでない者らはいよいよ陽のあたらぬ世界にて細々と生きる有様となってしまった。
それを象徴するが、'80年代中期から'90年代にかけての本邦メタル勢にあろう。
'70年代本邦ではイマイチ人気のなかった本邦ハードロック勢にあるが、'80年代になると全世界に広がるN.W.O.H.M.勢の勢いに乗り、晴れて和製メタルバンドが人気を博するようになる。現在でも世界に通用するラウドネス、それに続くアースシェイカーなどはこの時期に結成されたバンドである。
'80年代中期ともなればパワーメタルの影響もつよいANTHEMらが活躍し、いよいよ本邦メタル勢の黄金時代到来という次第にあったが──各々方はこれらよりもっと有名な名を知っているハズである。
『聖飢魔II』である。
当時は今現在のようにインターネットなどという便利なものはなかった。故にそれらを知る媒体と云えばテレビラジオ新聞雑誌という手段に限られていたわけであるが、当時の本邦でもっとも権威あるロック雑誌と云えば『BURRN!』と『Rockin'on』にあったが、この聖飢魔II、よりにもよってデヴューアルバムを、『BURRN!』誌面のレヴュー欄にて酷評されるに至ったのである。
先ほど本邦でもっとも権威ある雑誌と述べたが、内容はカストリ誌に陰毛が生えたようなものであり、とくにBURRN!など、碌に聴きもせずレヴューしておるのではないのか? との噂も聞かれるほどにある。──しかしながらそうした話を皆が共有するようになったもここ最近になってからのこと。当時、BURRNレヴューで0点をとったと云うは、なかなかの痛手であった。
故に聖飢魔IIは売り方を変えた。雑誌が当てにならぬならテレビラジオで売れという作戦にある。──これは大きく当たり、聖飢魔IIは知名度をバリバリと上げ、ついには年末の紅白歌合戦に出場するまでに至る。
ここまで聞くとまるで売り方のみの問題のようにも思えるが、メタルファンはつんぼではない。実力なき者らのゴリ押しには2秒で蹴りを入れるような連中なのである。──そう、彼らは紛うことなき実力者集団にあった。
エース長官が好きかルーク参謀が好きかで好みは分かれるやもしれぬが、そのギターサウンドはまこと海外勢にも負けぬもの。無論、ジェイル代官もである。
リズム隊も負けてはおらぬ。伝説となった北海道は札幌のライヴに於いてゼノン石川和尚がアクシデントで滑って転倒し、「今まで聴いたこともないような」ものすごい音が響くや即座にこれまたすさまじきドラム捌きにて応えてみせたるライデン湯沢殿下の反応速度の速さたるや、いかばかりか。
しかし聖飢魔IIと聞いて皆が思い浮かべるは、なんと云ってもデーモン小暮閣下にあろう。普段の濁った低い声の印象がつよいであろうが、しかし透き通った甲高い歌声なのである! 世界で戦えるヴォーカルにて、相撲にくわしい悪魔なだけではないのである。
聖飢魔IIに触れれば、次は『X』について述べねばなるまい。こちらも、専門誌よりもTVを用いた売り出しかたにて人気を博したバンドである。──海外進出の際、同名のバンドと混同を避けるため改めた『X JAPAN』としての名のほうが有名にあろうが、文字をしるす際の手間の都合上、以下Xの名にてしるす。
両者とも、当時のロック界隈にての流行の関係からスラッシュメタル勢と誤って認識されることがあるが、なるほど初期Xこそそうした匂いが感じられぬこともないがしかしそれよりもドイツ・パワーメタルの影響がつよく、また、聖飢魔IIに至ってはハードロックの流れを汲む正統派ヘヴィメタルにある。
これら、'80年代から'90年代にかけての本邦に於いてヘヴィメタルとは何ぞやと問われればその名の出てくる2大バンドにあるが、なるほどその実力は本物にて双方とも海外進出を果たすに至るまでにあった。──だが肝心の本邦にては、ヘヴィメタルというロックの一派に偏見を植えつける役割を果たしてしまったも、また事実。
これはともにバンドの責に非ず。出演番組の構成をした者に責がある。その音楽に重きを置かず、危なげな印象をつけるに重きを置いたTV側の責にある。──すなわちデトロイトメタルシティ的なイロモノテンプレートイメージは、このときつけられたものにあった。
彼らは決してイロモノに非ず。紛うことなき実力派にある。だがいち度つけられた印象を拭い去るはむずかしく──未だそれを払拭するには至りきっておらぬようにみえる。
しかしながら、こうした売り方がなされたにも理由がある。当時はそうした、悪ぶった、イカれた、俺たちにはとてもできないことをさらりとやってのける、そこにシビれるあこがれるゥ!──といった風潮があったが故のことにある。「ロックは不良の音楽ざます」の考えが、未だ大手を振って歩いていた時代にあった。
それ故に悪ぶるがよしとされた、そうした時代にあった。──昨今話題になった小沢健二のオマケ……もとい、コーネリアスの件などその最たる例にある。先ほど述べた通り、当時の権威あるロック誌ですらカストリ誌に陰毛の生えた程度のものにあったがため、アレを鵜呑みにするは危険であることを留意されたし。
だがここに、「ロックは不良の音楽ざます」の思想に変化がうまれた。ロックからメタルへと、ヘイトの押しつけが成ったのである。
とくに、'90年代初期から中期にかけて、北欧にてメタルバンドが引き起こした事件が起きてからは尚更にある。酒鬼薔薇が起こした事件の際、コメンテーターのハゲが「犯人の少年はメタルを聴いていてそれに影響された」などと、TVで堂々と『誤認まみれの』珍説を披露するまでに至った。許さんぞ有田芳生。
このような流れの中、本邦に於けるメタル勢はその勢いを失ってゆく。'90年代も末期になると、聖飢魔II、Xともに解散し、その他も解散や事実上の活動停止となるに至った。
そして2000年代に入ると──太平洋を渡ったヒップホップ勢によりJポップは席巻されてしまう。
折しも前年、'99年に公開された映画の主題歌は、マリリンマンソンの『ロック・イズ・デッド』にあった。
メタル氷河期の、到来である──