㐧1の獄 お前らってロック殺しすぎじゃないか?
「ロックは死んだ」
このような言葉が昨今、度々耳に入ってくる。
曰く、「ロックは反体制であらねばならぬに、しかし体制に媚びへつらうようになった」
曰く、「反体制すなわち最大権力たる国に抗ってこそロックなるも、しかし国を讃えし国家を神聖なるフェスの場で歌うとは何事か」
曰く、「ロックはヒップホップに駆逐されて今や死に体──いや死んだ」
これらが事実なれば、甚だ由々しき事態。ロックの生命は今や風前の灯──否、「死んだ」というのであるからもはや手遅れイッツ・レイト!「お前はもう死んでいる」どころかすでに死んだ後なのであるから、これはもう葬式を盛大に挙げねばならぬというものであろう。
坊主を呼んでこなければならぬ。──否、ロックは海外の産まれなのであるから葬式は海外式に、つまり切支丹式に挙げてやらねばまずかろう。後で遺族に文句を云われては敵わぬ。──否、ロックは悪魔主義と聞く。悪魔の敵たる神を崇める邪教切支丹などの様式を用いて葬れば、それこそ遺族らに吊るし上げを喰い処刑されかねぬ──
莫迦め、ロックが何度死んだと云われたと思っている。
そもそもが、「ロックは死んだ」などとの言説は、なにも昨日や今日に産まれたものに非ず。──云わんや、何をフジロックフェスがごとき哉。
現行最新の死を'21年の夏今現在としても、'14年ほどより『KISS』のジーン=シモンズ御大の口より何度も、「ロックは死んだ」と云われ続けておるのだ。それこそ毎年のように──さながら新作フランス製葡萄酒の宣伝文句のごとく──何度も何度も現行最新の「ロックは死んだ」なのである。
しかしこれとてもまだ新しい。莫迦め、まだ若いぜ。──今世紀はおろか前世紀、このわしすら未だこの世に生を受けておらぬ'70年代に於いてすでに、「ロックは死んだ」宣言がなされているのである。しかも2回も。
そのうちの1回を宣言したのが、今や伝説となったジョン=レノンなのであるから、その衝撃たるやいかばかりか。
レノン御大と云えば、云わずと知れたロック界の大御所──どころか大権現である。“神聖ニシテ侵スベカラズ” 存在であると云ってもよかろう。
それほどの者が──「ロックは死んだ」などと云ったのであるから、これはもう死んだと云うに他ならぬのではないか!
莫迦め、レノンは死んだわ。──そもそも2回もなされたと先に述べたではないか。'70年代に行われた「ロックは死んだ」宣言、そのうちのもう1回を聞いてからでも死んだとなすは遅くはなかろう。
もう1回をなしたは誰か? 他ならぬジョニー=ロットンである。
──誰やねん?
そう思ったそこの貴様! 前に出いっ! 今からロック魂注入張手を喰らうか、セックスピストルズのアルバムを買いに走るか選べい!──つまりは、ピストルズのメンバー、しかもバンドの華となりやすい立場のリード・ヴォーカルの人である。
ピストルズのヴォーカルはシドじゃねぇ。シドはベースの人だ。──そもそもわしはシドのベースよりも前任であり後任でもあるマトロックのベースのほうがよほど……
話がそれた。ピストルズのベースからヴォーカルへと話を戻す。──このジョニー=ロットン、今現在はジョン=ライドンと名前が変わっているので、知らぬ人も多いも当然のことである。云うなればウルリッヒ=ロートがウリ=ジョン=ロスと云う名で今現在活動しているのとまあ理屈は同じである。
時系列で云えば、レノン御大よりもこのロットン卿のほうが「ロックは死んだ」宣言をなしたがはやい。──'78年に彼がピストルズを脱退した際の発言であった。
レノンの宣言はこの発言を受けての言葉にすぎぬ。──つまりは、“ピストルズこそロックの至高。ピストルズの後にロック無し”──との、最高の賛辞であった。
「褒め言葉です」すくなくとも彼らにとってはね。
さて早々に──'80年代にならずして──ロックが死んだことにされたが、これで死んで終わりデッド・エンド、画面が縦長になって終劇とはならぬ。
まだまだロックは死ぬのである。暇があれば蟹に──さながら虐殺遊戯のごとくに──殺されるクラムボンのごとく何度も、何度も──
それはじつに様々な視点より宣言がなされる。ある者は“ロックは商業主義に毒されすぎた。黄金の輝きに眼がくらみ肥え太った資本主義の舞台となり下がった” との視点よりロックは死んだと述べ、またある者は“ロックは反抗の心を失った。今や反抗の心を持っているのはラッパーだけだ” との視点より発言をなした。
こんな状況であったが故に、かの有名バンドマリリン・マンソンのリーダーであるマリリン=マンソンはマリリン・マンソンの名義で『ロック・イズ・デッド』(訳:ロックは死んだ)との曲を書くに至った始末である。──「ロックは死んだ」は完全にネタ枠となりにけり。
しかし完全にネタとするには些か重すぎた。
これは余談ではあるが、『ロック・イズ・デッド』は、通信技術の発達した近未来世界を描いた映画『マトリックス』のエンディング曲として使われたが、これはある意味では予言とも云えた、奇妙な符合を後になす。
『ロック・イズ・デッド・ヌーヴォー』とでも呼ぶべき、ジーン=シモンズ御大の「ロックは死んだ」宣言にある。
シモンズ御大の口よりなされた宣言は何度なされたか、何度反論されたかは把握しきれぬほどにある。「今世紀最後のロックは死んだ」「さらばロックは死んだ」「ロックは死んだ完結篇」「ROCK IS DEAD」「ロックは死んだ2019」「ロックは死んだ復活篇」「ロックは死んだ大往生」「ロックは死んだ大復活」……などと、完全にネタにされても文句は云えぬ頻度でなされておるのであるが──
この中にひとつ、マリリン・マンソンのマリリン=マンソンとつながる発言がある。
曰く、“インターネットの発展で円盤が売れずダウンロードばかりだ。これではロック野郎どもは生活できない”
マトリックス劇場公開よりはや20余年、便利な世の中となったものであるがしかしこのような弊害も出てきた次第である。わしがやたらとアルバムを買え、円盤を買えと云うのはこのためでもある。──おう、貴様ら、だから円盤を買えい!
またも話がそれた。「ロックは死んだ」宣言に話を戻す。
──かくのごとくして、何度も何度も飽きるほどネタにされるほど「ロックは死んだ」と云われ続けてきたわけであるが、しかし今現在周りをすこしばかり見渡しただけでわかる通り──ロックは今現在も生きている。
これはどう云うことであるか?
ロックは慥かに死んだハズ。御大級の者らの口から何度も死んだと告げられた。だが今も生きている。慥かに生きている。
この謎を解くべく、我々はすべての謎を知る賢者バゴーを訪ねてアマゾンの奥地へと向かった──
まあ、南米ではなく北米のアマゾンであるが。
通販サイトで『ロック』と検索してみると、検索したことを後悔するレヴェルで膨大な──異常ともよべる──数のアルバムが見つかるであろう。それらは「ロックは死んだ」発言がなされた後に世に出されたものも多い。──否、後に出たもののほうが明らかに多い。
とくに、「ロックは死んだ」直後の'80年代産や、ラッパーに反抗の心を取られて「ロックは死んだ」ハズの'90年代にかけて、どれが今このまたたく瞬間に買うべき名盤であるか、今すぐには決められぬほどの宝庫である始末。
この……矛盾!「ロックは死んだ」ハズなのにむしろ榮えているという矛盾!
この矛盾を解く鍵は、これである。
「ロックは死なない」
“ロックは生き続ける。常に進化と再構築──つまり死と再生を続けるんだ” とは、かのデヴィッド=ボウイの弁である。
『ロック』と云うのが──そもそも乱暴な括りなのである。云うなれば今現在の状況は、スパゲッティを指して「パスタ」と呼ぶがごとくに乱暴な、いいかげんでデタラメでテキトーな、混乱を招く括りなのである。
「パスタ」とは、伊太利語で『麵』を指す。マカロニもペンネもリガトーリもフォカッチャーもホワッチャーも皆すべて、パスタの範疇に含まれる。──ロックもまた、今やこのような広い範囲に多岐に渡り細分化しているのである。
昔──それこそ'60年代末期ほどならば今現在ほど細分化もしておらず(それでもすでに幾らかに枝分かれしていたが)、「ロックは反体制なんだ!」「ロックは権力に逆らうものなんだ!」との論も真を突いたものであったろうが──しかし今やすでにそうではないのである。──乱暴なことを云うと、今現在そのような論を本気で述べている方々は、'60年代末期からまるで成長していない、進化に取り残された化石であると云われても文句は云えずおとなしく家に帰りパパのミルクでもちゅうちゅうしているより他に術はなし! すくなくとも我はそう思う。我もそう思う!
このように、ロックは何度も死んだと云われ続けてきたが、その度に死よりよみがえり、さらなる改造手術を受けてパワーアップしてきたのである。
ロックの魂は死なず、ロックは健在なり!
死んでも死なず、殺しても死なぬのである。
何度も死んだと云われ、何度も新興勢力に駆逐され息の根を止められてもなお、さらに強大となり進化してふたたびよみがえり帰ってくるのである。
お前ら、うかうか死んでる暇なんてねえぞ──