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「あの時、リズベット嬢はいきなり後ろから僕に抱きついたことをフィリに諫められたんだよ。『むやみに殿方に触れるのは淑女としてあるまじき行為ですよ』って」
ゴフッという野太い声がなにやら殿下の胸元あたりから響く。なにやらクリティカルに入ったらしい。なにがどこにどうクリティカルヒットしたのかはわからないが。
「いやあの、パーシバル君、それはその……えっと」
「理化学講師の先生のところに質問に行って準備室からでてきたところだったから僕も反応が遅れちゃってさ。避けそこなっちゃったんだよね。まいったよー」
あははと明るく笑って言うパーシバルと、無言で固まっている殿下とリズベット。
抜けるように白い肌をしたパーシバルと、真っ赤になって怒っている殿下と、青い顔をしたリズベット。パーシバルの顔が黄色くないのが残念だった。いや、黄色かったら病気だが。
「で、フィリに怒られて憤慨したリズベット嬢が怒って、来た道をドスドスと戻って、怒りで足元がおろそかになったのか階段踏み外しちゃったんだよー。
──だからね、たしかに”フィリに怒られたせいで”階段を踏み外したともいえなくもない、のかもね」
「そんなの、詭弁だわ」
フィーリアは信じられない思いで幼馴染を見つめた。
幼かった頃は一番傍にいて、一番仲が良いと思っていた時だってあった存在だ。
10歳の時、サリオ殿下と婚約してから縁遠くなった。婚約者、それも王族の婚約者がいる令嬢にとって、そこに友情以外のものがなかったとしても婚約者以外の男性と共にいるわけにはいかないのだ。
だから今は、すれ違う時に軽く会釈を交わし、家名で呼びかけあう。適切で正しい関係だ。
──それでも。交流が途絶えて7年。それでも確かにまだ自分の手にあると思っていた友情がさらさらと零れていくような気がした。
身体の芯の方から冷えていく。血の気が下がっていくのが判る。
倒れるまいとしてフィーリアはぐっと手を握り締めた。
その、フィーリアの握りしめた手を、優しい手がふわりと包み込んだ。
失ってしまった幼い日の友情に悲しみで暗くなっていたフィーリアの瞳へ、やさしい茶色い瞳が微笑みかける。
溶けたミルクチョコレートのような甘く優しい茶色の瞳。その瞳は、常に「才媛」と呼ばれて努力を強いられているフィーリアを、いつだって甘やかす。どんな時もそっと傍にいてくれる人だ。
「パーシバル・リスター様、フィーリア様に対してあまりな物言いではありませんか」
そのいつもフィーリアを甘やかす淡い茶色い瞳に、珍しくも非難の色をのせて少女が目の前の敵に立ち向かうべく、ぐっと足に力をこめた。
月の光のように淡い金色の髪に、やわらかな色合いの茶の瞳が映える。
フィーリアの着ている朱と紫のマーメイドラインのドレスと揃いの誂えだとよくわかる、ふくらみを極端に抑えたAラインの茶と金のドレスを身に纏った姿が庇うように、フィーリアに寄りそった。
「おや。マリ、君から声を掛けられるのもひさしぶりだね。フィリの為なら僕にも話しかけてくるんだ。さすがの衷心ぶりだ」
くすくすと笑われて、その少女は眉を顰めた。
マリ・アライズ男爵令嬢。この王国では男爵という爵位は一代爵でしかない。よってその子息令嬢は早い年齢から上位貴族のところへ行儀見習いに出て出来得るだけの教養と行儀を身に着けるのが一般的だ。
マリも、6歳になったその日から学園に入る15歳までの9年間、デイマック伯爵家で行儀見習いとして過ごした。
最初はフィーリアとともに家庭教師の指導を受ける友として、ある程度教育が進み10歳になってからはフィーリアの侍女見習いとして。
入学するひと月前に伯爵家での行儀見習いを卒業し男爵家に戻された。
そして、学園にいる間は同じ生徒として対等の存在だよと伯爵本人から声を掛けられても、フィーリアから「これからは本当のお友達ね」そう言われてからも、常に一歩後ろに控えた状態で卒業式の今日この日まで、マリはずっとフィーリアの傍にいた。
だからもちろん、ふざけた態度を崩さないパーシバルとも幼馴染といえる存在だった。
腹にくすぶるものを抱えていようとも、フィーリアと一緒に3人で過ごした日々はかけがえのない宝物のような思い出だ。




