80. 迷い
こんちゃんはショックを隠しきれず、項垂れている。
彼女は顔を覆い隠して、泣いているようだった。
日本を去るというのが、そこまで大変なことなのか。
私には理解できなかった。
機会を見て日本に戻ってくれば良いだろう。
日本とエルヴェツィア大陸を往復するような生活でも良い。
こんちゃんにとって、Uzが日本から離れるということは、彼女自身も見捨てられるということに等しいのかも知れない。
私はそこまで愛国心が強い魔族をあまり見たことがなかった。
一部の歴史の長い地域を除いて、多くの魔族にとって国は単なる土地の括りでしかなかった。
そこにどれだけ同族が住んでいてコミュニティがあるとか、どれだけ税負担が軽くて生活が楽とか、そういう次元の話なのだ。
そうでなければ、エルヴェツィア王国が分裂した理由が説明できない。
多くの魔族が拠り所としたのは国ではなく、自分と同じ種族であり、国を選ぶのは合理的、経済的な根拠に基づいている。
だからこそ、なのか。
獣人は十把一絡げに獣人と見做されるが、多種多様な形態の者がおり、彼らの分類は細分化していた。
そうした多様性から、獣人は種族という拠り所が希薄だ。
獣人の国は無かったが、それでも彼らは各地で生きている。
それとも。
こんちゃんの拠り所は日本という国ではなく、個人に対するものなのか。
Uzは居た堪れなくなったようで、遊覧船の客室へと入っていった。
私たちはこんちゃんが心配で、彼女の傍にいるしかなかった。
「嫌じゃ……Uzと離れるのは嫌じゃ……」
こんちゃんはカメラもマイクも取り落して泣きじゃくっている。
「それなら、君もエルヴェツィア共和国に来ればいいじゃないか」
「嫌じゃ……わらわは海外ではきっと生きていけないのじゃ……」
彼女が首を大きく横に振ると、ふわふわの尻尾も同じ方向に揺れた。
「どうして?」
「どうしてって……同じ魔族でも種族も違うし、習慣だってまるで違うのじゃ。皆が優しいのは観光客だからなのじゃ。マネージャー業を辞めたら生きていけないのじゃ」
習慣という意味では、巫女服を着て海外に来てるのもどうかと思うが。
「それは単に、自分が日本人を特殊なものだと思い込んでいるだけだろう。どこだって誰だって変わらない。どこの国でも、特別な者はいない」
「でも、Uzは特別なのじゃ! Uzは……わらわにとって、一番大切な……」
そこまで言って、こんちゃんは涙を拭き取った。
「Uzがいないのなら、日本に帰る意味なんてないのじゃ……」
「そこまでUzと一緒にいたいなら、私たちと一緒にここで働いてみないか?」
「え?」
「トゥーリで観光案内所に常駐してくれる者を探していたんだが、良かったらどうだ。あまり様子を見に行けないかも知れないが、オンラインで対応できる。話したかったらすぐ相談に乗る」
「……」
リーズ様が手を貸すと、こんちゃんはゆっくりと立ち上がった。
「おぬし、どうしてそんな……ただ観光ガイドをしてもらっていただけなのに。何か裏があるのではないのか?」
「問題があるのか」
「おぬしたちのほうに問題があるはずじゃ。わらわがいても迷惑になるだけなのじゃ」
「こういう勧誘でルビーも加わった。不都合はない」
「リーズさんって割と真剣過ぎますよね」
そう言いながらも、エメットは落ちていたカメラとマイクを手に、いつも通りの笑みを浮かべている。
「そういう性分なだけだ。エメットも反対ではないだろう」
「トゥーリが暮らしやすい場所かどうかは知りませんけど、話し相手くらいにはなりますよ。暇ですし。生活費はリーズさんが工面してくれますから」
リーズ様は一瞬、意外そうな表情になったが、小さく咳払いしただけだった。
「……本当に良いのか?」
「友人や仲間が増えることは良いことだ」
リーズ様はグラープの一件の後でもめげていないようだった。
私は目標にひたむきなリーズ様の様子に安心した。
「一緒にやりましょう、こんちゃんさん」
私が手を差し伸べると、こんちゃんはその手を取った。




