6. 吸血鬼、名付けられる
私は今、自分の館にいた。
たとえ館の主がノームの小娘になったとしても、ここだけが自分に許された住まいなのだから。
かつての眷属がいなくなり、出入りする者が途絶えた館は静寂に包まれている。
しかし、それは却って居心地が良かった。
エメットが頼んだクリーニング・サービスのおかげで、館はひとまず住める程度には綺麗になった。
きらびやかな内装も調度品もなく些か殺風景ではあるが、今はこれで十分だ。
私は起きてからずっと、リーズ様が運び込んでくださった書物と格闘していた。
それらは辞書や人間に読まれている本、魔族が人間について書いた本だった。
リーズ様はエルフの甘美な血だけなく、わざわざ本まで与えて私を世話してくださる。
彼女の心は魔王の王国よりも広い。
これから生きていくためには人間、そして"地球"について学ばなければならない。
地球の支配者は人間であり、彼らに楯突いたところで殺されるだけなのだ。
この世界は最早、私が知っている魔界ではなかった。
今はただ、地球について知ることに集中する。
私はとりあえず人間が用いているいくつかの言語を習得した。
そして、さらなる知識を得るべく、人間が子供を教育する際に使うという教科書や百科事典を読んでいた。
私が書物を読み漁っているところへ、二つの影が現れた。
リーズ様とエメットだ。
「吸血鬼さん。ずっと本に齧りついて……勉強熱心ですね。ちょっとお時間いいですか?」
「何かご用でしょうか」
私は眼鏡を外し、本を閉じてパイプ椅子から立ち上がった。
「今月の家賃がまだです」
「それはもうちょっと待ってください」
「あと、リーズさんと相談したんですけど」
「君の名前を……どう呼んでいいか、教えてほしい」
そういえば、私はまだ名乗っていなかった。
しかし――
「私は今まで一人で生きてきました。だから、呼ばれる名前もありません」
そう言って私は俯いた。
良くいえば孤高。悪くいえば孤独。
それが吸血鬼の生き方だった。
「無ければ番号でお呼びしていいですかね?」
「いや、やめてください。というか、これ以上、舐めた態度を取るなら、今すぐ貴方を床の染みに変えてもいいんですよ」
私の挨拶代わりの軽い脅し文句に、エメットは後退りした。
「現代でそんなことしたら、吸血鬼さんは凶悪犯として逮捕されて、何年も刑務所暮らしになります」
「私はかつて人間を百といわず千といわず殺めてきたのです。今更、刑務所で更正なんてありえません」
「物騒な時代だったんですね。お気の毒です。とりあえず警察呼びますね!」
「わかりましたから、やめてください」
「ここ、スマホの電波が届かない! はめられた!」
「はいはい……」
「で、殺人自慢は終わりですか」
「まだ魔界にいた頃、魔族と人間は戦争状態にありました。私はただ敵を殺しただけです」
そう。殺すしか能のない私は、戦争だから必要とされたのだ。
平和の到来は私の意義を奪い、そして私は眠らされた。
「戦争のない現代に起きたのは間違いでしたね」
「貴方が起こしたんでしょ!」
「そうでした! うっかりしてました!」
「すまない。色々と大変だったんだな。今は昔より平和な世の中だと思う。だから、君は別の生き方を探してほしい」
リーズ様はやはり私を気にかけてくれる。
今は彼女こそが、私が生きる意義だ。
「ところで、名前のほうだが。どうすればいい」
「呼び名を決めていただければ、それに従います」
「エメット、何か案はないか?」
「最近の流行りだと麻楽、亜菜瑠、希空璃とかありますけど、どれにしますか?」
「なるほど、どれも愛らしい名前だな」
いや、どれも酷い。
というか絶対に流行ってないだろう、その名前。
外で言ったら間違いなくアウトな名前だ。
リーズ様も突っ込んで欲しい。
「あの、もう少し簡潔な名前にしていただいてもよろしいですか」
「そうだな……。それでは、その赤い瞳に因んで"ルビー"と呼ばせてもらっていいか?」
「はい! リーズ様!」
「あと、姓も諸々の手続きに必要になるんで、とりあえず"高島ルビー"さんでいいですよね」
「はい! って、え?」
かくして私の氏名は高島ルビーに決まった。