52. ベジタリアン
アルヴィの車は何事もなくセンフェス・イオシフ教会に辿り着いた。
センフェス・イオシフ教会はこの日、休館日だった。
代わりに地元の住民に向けて儀式が行われている。
主教であるウルリカは儀式を執り行うために教会に出向いているはずだった。
留守電だったということは、きっと取り込み中だったのだろう。
人気の無い教会堂は静寂に包まれていた。
既に今日の儀式は終わっている。
「ダンジョンの見回りにでも行ったのかな」
ダンジョン内ではスマホの電波は届かない。
ウルリカがダンジョンに入った可能性も十分にあった。
私とアルヴィはダンジョンの入り口がある聖具室を調べることにした。
しかし、扉には錠が下がっており、誰かが入った形跡はない。
残るは主教の待機室。
私は少し不安に感じ始めていた。
銀狼は館の客間に現れるほどの知能を持っていた。
ウルリカはまさか魔物に襲われたのでは。
私の歩みは自然と早くなっていた。
待機室に近づくと、中から物音が聞こえてきた。
「ウルリカさん! いたら返事してください!」
待機室の扉を叩く。
2度、3度。
「ウルリカさ――」
「お待たせしてごめんなさい」
以前と同じように静かに扉が開かれ、ウルリカが顔を覗かせた。
「あら、アルヴィさんもご一緒なのですね」
「やぁ、ウルリカ。留守電だったからここまで来ちゃった」
「さっき、私の館で魔物が出て、こちらに来ていたらと思って」
「わざわざすいません。ご心配をおかけしてしまったようですね」
ウルリカが頭を下げた時、彼女が左手を後ろに隠そうとしたのが見えた。
怪我をしているのか、左手には包帯が巻かれている。
「ウルリカさん、どうしたんですか。その左手」
「え……? あぁ、これですか。儀式の準備をしている時に水盤を落としてしまって。私ったら、ドジですよね」
ウルリカは気恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
「怪我をしている時に魔物が出たら危険です。今日は一緒にいませんか」
「そうですね。アルヴィさんもお出でくださいましたし」
「いやー、今日は両手に花だな」
アルヴィはエメットを計算に入れていないようだ。
既婚者だし、当然か。
その後、私たちは観光案内所でリーズ様たちと合流した。
壊れた窓をそのままにしておくのもまずいので、片付けと応急処置のため館に戻った。
「うわー、庭にでかい足跡が残ってますね」
エメットは不安気な表情で庭に座り込んで魔物の形跡を眺めている。
手塩にかけた庭が荒らされていなかったようで、エメットは安堵の溜息をついた。
「エメットさん、窓のほうお願いしていいですか?」
「いいですよ。夕食のほうはリーズさんとルビーさんでお願いします」
「了解した」
「私も手伝いましょうか」
「いや、ウルリカは怪我をしているし、私たちがご馳走しよう」
「ごめんなさい。それではお願いします」
私とリーズ様はキッチンに立った。
「アルヴィはベジタリアンなんだ。乳製品はいいが、肉と魚は駄目だと言っている」
リーズ様はキャベツ、玉ねぎ、ビーツ、ニンジンを切り始めた。
「エメットはボルシチにはブイヨンを使ったほうが良いと言うんだが、今晩は無しで作ろう」
ベジタリアン・ボルシチ。
付け合せには数種類のチーズを用意する。
他に、ジャガイモとほうれん草のトマトソースグラタン。
最近は少し涼しくなってきたので、こういうメニューが喜ばれるだろう。
食卓に並ぶ皿が増えると、なんだか嬉しくなる。
今夜はいつもより賑やかだ。
「この赤いチーズは?」
「赤ワインに漬けたんです。いかがでしょう」
「なるほど。赤いボルシチに赤いチーズ、そして赤いグラタン。なんだか吸血鬼らしいね」
吸血鬼のベジタリアン・フルコース。
他の吸血鬼たちが好むかは定かではないが、私にとってはご馳走だった。
「ビーツって血みたいで美味しいですよね」
「え? そうなんですか?」
「確かに血みたいに赤いが」
「冗談ですよ」
「君もエメットに影響されてきたか」
こんなに温かみのある血は他にはない。
食事の時間は和やかに過ぎていった。
こんな時間がいつまでも続けばいいのに。
私はいつの間にか平穏を願っていた。




